2005年10月31日
一般的→価値←観
一般的価値を追求し過ぎるのは一般的価値観から見てよろしくない。って死んだ祖母が言ってました(謎)。
ネットは広大だわ
はてなブックマーク - スラッシュドット ジャパン : 北九州市と仙台市が小中学校に無断リンク禁止の明示を義務付け
- regicat
- 『また無断リンク禁止派がはばをきかすようになっちゃうんだろか……』
前にもちょっと書いたけれど、5年前も今も無断リンク禁止の文化(の人々)は?B探検隊やモヒカン族や某方面の人たちの目の届かない場所で幅をきかせ続けていると思うし、これからもそこで幅をきかせ続けると思う。
はてな周り(何処)で、という意味なら、冒頭でリンクした?Bのコメント欄を見る限り大丈夫かな。ただ、今後?B探検隊が張り切ることで、彼らに捕らえられた(おいおい/怒られるぞ)無断リンク禁止文化の民を見る機会自体は多くなるかもしれない。
呪われている!
何故かネット回線の調子が悪くてブツブツ切れるし、頭が痛くて右肩も痛い。もう駄目だ。呪われている。
……と思ったけどはてなダイアリーの記事編集画面を開いたら身体の調子が若干良くなった。なんだこれ。何かの中毒か。私ははてなに呪われているのか。
2005年10月30日
Wikipediaの井上敏樹氏の項目が面白い
なお、井上の脚本の否定派には、何故か演出やカメラワーク、役者の選定、果ては衣装やキャラクターのデザインなどにまで井上に責任を求めるピントの外れた批判が、特にインターネットコミュニティにおいて非常に目立つ。これは井上の脚本が良くも悪くも癖が強く、その作風が非常に目立つので、作品への不満を押し付けるスケープゴートとして利用しやすいためだと思われる。
井上敏樹 - Wikipedia
あーWikipediaにも書かれましたか。ちょっと物議醸しそうかな……(参考:井上脚本)。
ついでに紹介しておきますと、Wikipediaの井上敏樹氏のページはやたら充実してて、特にエピソードが読み応えあって面白いです。虚々実々と言った感じ? 虚実々々ぐらい?
あと、井上氏の飲み友達(多分)である小林靖子氏のページも面白い。
コンピューター・ソフトウェアの会社で働いていたが、ある日偶然見た『特警ウインスペクター』の影響で特撮に興味を持ち、続々編である『特捜エクシードラフト』のプロットを書いてテレビ朝日の「ご意見・ご感想」コーナーに送付。
小林靖子 -Wikipedia
このエピソードが豪快で良いなあ。小林氏は他にも灼眼のシャナ公式サイトの日記ページの最初のコメントでいきなり酒の話を始めるという豪傑っぷりも発揮していまして、流石姉御と呼ばれるだけはあるって感じですね。
響鬼38話と今後の展開予想
わざわざ説明するまでもないと思いますが、今週の響鬼(38話)のラストで明日夢君とみどりさんが敵であるスーパー童子、スーパー姫に捕まってしまいました。さらに同時に響鬼の敗北が描かれ、これまでの響鬼から考えると明らかに異色の展開でありますが、まあ、クリスマス商戦を控えたこの時期の急展開はお決まりですから善し悪しとかは今はどうでもいいです。
問題は、響鬼は大ダメージを負って、残りの鬼三人はそれぞれの事情で沈み気味。この状態で一体誰が明日夢達を助けに行くかということです。
まだるっこしい言い回しはやめにしましょう。私は今、桐矢君大活躍の予感に打ち震えています。
そこに現れた京介はひょんなことから鬼の道具が並ぶみどりの研究室に入り込んでしまう。京介は変身音叉を手にとり、そして…。
仮面ライダー響鬼 - 番組紹介
やべーついにキタ。もちろん変身出来るわけないですけど(私だって「アイテムだけじゃ変身出来ない」っていう響鬼の基本理念ぐらいわかっていますよ)、それでも明日夢を助け、大きな顔をするために、「響鬼の弟子になる」と大口叩いておきながら魔化魍ヨブコにビビって逃げ出した屈辱を雪ぐために、桐矢は敵地に乗り込むはずです。ちょうど研究室においてあった鬼の鎧を着て。
魔化魍の巣(洞窟)に自転車で乗り込む桐矢。
スーパー姫が呻く。「晩餐の前に無粋な方だ……どなたです?」
「鬼さ」口八丁で出任せを言う桐矢。
そして桐矢は不意をついた一撃で魔化魍ヨブコを斬り捨てる。しかしスーパー童子、スーパー姫と真っ向から挑むのはあまりにも無謀(運動音痴だから)。それに斬っただけでは魔化魍は死なないからすぐ起き上がるヨブコ(設定に忠実!)。童子達とヨブコの攻撃にすぐボロボロになる鬼の鎧(DAに粉砕された朱鬼の時と一緒。描写に一貫性がある!)。血塗れで佇む桐矢(桐矢アンチも満足な絵面!)。
「オマエガオニ? コノ……オオウソツキノニセモノメガ……ギヒヒヒヒ」と嗤う童子。
そこに登場する響鬼!城南高校ブラバン部部長 「スマンな……遅くなった」
安堵の息を漏らして呟く桐矢。「遅いんですよ」
二人の周りを取り囲む姫と童子と再生魔化魍達(!)。
「敵は多いな桐矢少年……いや、たいしたことはないか……今夜は君と俺でダブル鬼だからな」
コレだ! めちゃめちゃ見たい!
追記
明日夢が完全に蚊帳の外だ!(わらい)
2005年10月29日
自分⇒自分⇒自分
ブログの話に限らず、自分中心主義に陥らないように常に気をつけないといけないなぁ、と自戒する秋の夕暮れでした。
東京中華主義の陥穽
ブログ以外で俺俺言う人はまあウザイですし、たまに詐欺だったりするので要注意ですけど(ネタが古いな)、「ブログ=自分自身を語る」ということブログはアイデンティティ
ですから、ブログでは自分中心主義東京中華主義の陥穽
でいいんじゃないですかね。私は地方在住ですけども、渋谷や新宿の話や地下鉄の話東京中華主義の陥穽
は面白いし。
というか、渋谷や新宿の話東京中華主義の陥穽
が駄目なら、東南アジア旅行記も駄目では……ってこれはちょっと違うかな。
誤読の予感……!(エクスキューズ)
ヴィレッジみたよ
映画が上手いね、シャマラン氏は。
一つ不満があって、それはラスト近くの監視小屋の新聞。冒頭のミスリードの対比として、わかりやすく日付を見せて欲しかった。
コンスタンティンみたよ
神テラワロス。サタンテラキモス。ガブリエルテラカワイソス。
総じて言うと、クリスチャンも大変だな、っていう話。
論理的不在証明(日本語で遊ぼう)
論理的不在証明。論理的は不在証明にかかるのではありません。論理的不在の証明です。
まず論理的存在という言葉の説明をしましょう。っていっても上手く説明出来そうにないので以下の記事をお読みください。
ここでは社会的行為や言語行為の集積論理的存在
を情報とします。論理的存在とは情報の事です。
端的に言うと、論理的不在証明とは、ある情報がある時点で存在していたかどうか(正確に言うと、存在していなかったかどうか)、または不特定多数へ公開されていたかどうか(されていなかったかどうか)を確かめる事です。
ええと、すいません、今適当にデッチ上げた言葉を書いてみただけなので、特に発展しません。
今の時点(2005年10月30日0:21)では「論理的不在証明」と言う言葉は存在しないようです。
百回唱えて千回刻みなさい
清潔で美しく健やかなインターネット毎日を目指すために
- 頂点は常にひとつメソッド。他の誰かが書くようなことは書かない。馴れ合いや繁殖も必要ない。 Google 先生に頂点認定されることが目標。インターネットはトゲトゲの球体。
「これ、既出ですか?」なんてエクスキューズが必要のない記事を書かないと……。
余談
今、「既に既出ですか」って書きそうになって、あ、これちょっと面白いな、と思いググったら千件も出てきた。滅びろ人類。
有言実行、森博嗣
正式版、稼働!
記事毎に固有URIも与えられたので、ブックマークもしやすくなった!
そして……
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/ を XHTML1.0 Transitional としてチェックしました。
291個のエラーがありました。このHTMLは -197点です。タグが 24種類 390組使われています。
Check result of Another HTML-lint
……ええと、まず、なんでXHTMLだよ(精一杯のツッコミ)。XMLとしての利用なんて毛ほども想定してない癖にー。
というか、フレーム使っているから、表紙からどのページにアクセスしてもブラウザのURI欄には常にこれはブラウザ(Camino)の実装が悪いし、ブックマークしやすいかしづらいかなんて閲覧者側の問題だった。これは私がおかしい。ただ、このフレームの使い方はおかしいっていうか意味なさ過ぎると思う。http://www.mf-davinci.com/MORI_LOG/
という表紙のURIが表示される(Camino1.0aでは)。ブックマークしづらい。何故フレームだよ。まあやりたいことはなんとなくわかりますが、単純にムカつきます。
今更引用元表示問題
今現在、このサイトの製作者CSSではq
要素内のcite
要素にdisplay:none;
が指定されていて、製作者CSSを適用していると、q
要素でcite
属性を指定した時はてなのシステムが勝手に挿入するリンクアンカーが表示されないです。そして私はq
タグを使う時、必ずcite
属性を書いています。
さて、この場合、私はq
要素の引用で引用元を明示していると言えるでしょうか? 言えないのでしょうか?
まとめ
(display:none;
を解釈して)リンクアンカーが表示されないのも、cite
属性の値を表示されないのも、ブラウザの問題です。
余談
既出?
2005年10月28日
?B探検隊はwebの秘境で何を見るのか
- はてなブックマーク - 日本橋で暮らすということ : 記事への無断リンクお断り申し上げます
- しばらく、休止します(日本橋で暮らすということ)
- はてなブックマーク - 日本橋で暮らすということ - しばらく、休止します
無断リンク禁止しちゃう→コメント欄、トラックバック、?Bのコメント欄で突っ込まれる→無断リンク禁止記事消去→休止、とまあ、ありがちな悶着にお定まりの決着。
こういうのは騒動自体より周りの反応を見るのが面白いわけですが、そこはもう5年前に絞りかすも出ないぐらい話無断リンク禁止サイトがあまりにもひどいのでリンク
された話題の悲しさ、皆さんはてなブックマークのコメント欄で野次飛ばすだけで、まとまった記事を書いてくれる人は少ない。
まあ、いくら無断リンク禁止の蒙を啓く傑作記事が書かれたところで(実際、既に書かれているのですが)、向こう側の彼ら(id:tragedy氏が言うところのWWWって何? レベルのアホ無断リンク禁止サイトがあまりにもひどいのでリンク
)には読まれないわけですけど……。
?B探検隊の皆さんが無断リンク禁止がはびこる秘境を開拓しようとしても、その向こうには未知の大民族、ケータイ族が幸せに暮らしていて、?B探検隊が何人か連れ帰ってなんとか啓蒙しようとしたってキリがないし、説得する前に脱走されてしまう。
はてながケータイ族洗脳マシンを作ってくれるのを待つしかない。っていうか、数から言えばはてな周辺の方が秘境なわけで……。なんか、CSS關係者に37の質問のStrictなHTMLが、いわゆる『不思議マークアップ』のHTMLを(数などで)圧倒する日は来ると思いますか?CSS關係者に37の質問と追加質問
という質問を思い出した(思い出しただけ)。
私の感想
さて、今回の件で唯一面白かったのは、コメント欄にもトラックバック欄にもあまりツッコミがなくて(今は確認出来ないですけど、コメントは「非公開コメント」が四つぐらいしか書き込まれてなくて、トラックバックはid:matsunaga氏の記事とg:mohican:id:otsune氏の記事の二つしか受信してなかったはず)、ツッコミというか野次はほとんど冒頭の?Bのコメント欄で行われていたのですが、その状況を渦中の人、らんす氏は荒らしの真っ只中しばらく、休止します
と表現した事。
単にボキャブラリーが少なくて、リンクを貼られてやいのやいの言われる事を指す言葉が思いつかず、大雑把に荒らししばらく、休止します
と書いただけでしょうけど、もし仮に彼女が?Bのコメント欄を自分の場所*1と考えているとすると、この一件は?Bのコメント欄が被ブックマークサイトに与える影響やウェブサイト製作者としての?Bとの接し方を考える上で非常に大きな示唆を与えるものだと言えるのではないでしょうか。言えない? そうですか。終わり。
関連(?)記事
補記
「?B探検隊」は特に意味がないって言うか、具体的なメンバーとか想定してないですよ。っていうか知らないし。レッテル貼り遊びです。各自後ろに「(謎)」「(誰)」「(何)」とか付けておいてください(謎)。
日本語で遊ぼう:悼んで弔って葬る
- 無宗教の追悼施設は存在できない(九十九式)
上記記事の「死者を追悼する」という行為自体が宗教活動です無宗教の追悼施設は存在できない
という文にすごく違和感を覚えて、追悼を辞書で引いてみた。
ついとう ―たう 0 【追悼】 - goo 辞書
- ついとう ―たう0 【追悼】
- (名)スル
- 死者の生前をしのび、その死をいたみ悲しむこと。
新明解国語辞典第五版
- ついとう【追悼】
- 死者の生前の事を思い出して、その死を悲しむこと。
というわけで、ようするに他人の死を悲しむことであって、別に死後の世界も死者の霊魂無宗教の追悼施設は存在できない
も関係ないんじゃないかと思った。意味はむしろ、死後を考えるんじゃなくて生前を思い出して悲しむことを強調している。
死者のためにする云々になると宗教(っぽい)ですけども、人が他人の死を悲しむのは死者のためですか? 言葉の意味を考えると、「追悼=宗教」ではないと思う。
ちなみに、goo辞書だと悼むにも葬るにも「死者のために」「死後を思って」的な意味はなくて、弔うの第二義で死者のためにとむら・う とむらふ 3 【弔う】 - goo 辞書
が出てきた。
さて、「追悼=宗教」でないと思っているからといって「無宗教の追悼施設」がアリだと思っているわけではなくて、そもそも追悼施設って呼び方がそぐわないだと思っている。死を悲しむため(だけ)の場所が必要かって話。追悼企画、即ち、「この機会にあの人を偲ぼうぜ!」ってのはわかるけど、「この場所で偲ぼうぜ! ここで悲しもうぜ!」ってのは納得出来ない。悲しむのに場所は関係ないって思う。どこでも悲しむことは出来る。
今の戦没者追悼施設って靖国神社ですけど(そうだよね?(不安))、ええと、皆さん靖国神社に追悼する(悲しむ)ためにだけ行っているの? 違うでしょう? やっぱほら、戦没者の安らかなアレを祈ったり、霊を慰めたりしに行っているのでしょう?
靖国神社に代わる「無宗教の追悼施設」なるものが無宗教であること以外靖国神社と変わらぬものだとしたら、ちゃんと慰霊施設だとか呼ぶべきで(この場合「べき」ってのは、「その方が私はスッキリしていると感じる」というぐらいの意味)、前述したように慰霊とか言っちゃうと死者の霊を肯定することになり、無宗教とはいかないですよね。
あー、「無宗教とはいかないですよね」って書いたけど、今回の無宗教なる言葉が「神も仏も霊も信じない」ことを指しているのか「特定の宗教の様式に従わない」ことを指しているのかわからないので色々とおかしい。というか「特定の宗教の様式に従わない」ことを無宗教と言うのは変っていうかわかりにくい。宗教バーリトゥードと呼べ!(もっと変だ!)
むしゅうきょう ―しゆうけう 2 【無宗教】 - goo 辞書
- むしゅうきょう ―しゆうけう2 【無宗教】
- (1)信仰する宗教をもっていないこと。
- (2)葬儀などで、どの宗教の儀式にもよらないこと。「―葬」
あんまり関連しないけど偶然見つけた記事
日本語で遊ぼう:分かれ道分水嶺
今まで分水嶺と言う言葉を(物事の)分かれ道とか分岐点とかのカッコいい言い方だと思ってたんですが、goo辞書には、
ぶんすい-れい 3 【分水▼嶺】 - goo 辞書
- ぶんすい-れい 3 【分水▼嶺】
- 分水界になっている山脈。雨水を異なった水系に分かつ山の峰々。分水山脈。
としか書かれてなくて、そして手持ちの新明解国語辞典第五版ではそもそも見出し語として扱われていなかったりして、もっとアバウトな使い方、例えば「この作品が彼にとっての分水嶺だろう」みたいな使い方をしてもいいのかどうかわからない。困ってる。
というか、まさにちょうど分かれているところ、分かれ目を指す場合、分水界(雨水の流れる理屈を分かつ境界ぶんすい-かい 3 【分水界】 - goo 辞書
)を使った方がいいっぽい気がしてきた。
ちなみに、分水嶺を英語にするとdivideだそうで、これは単に、「分けること、分割」を意味する言葉ですね。
*1:基本的に荒らしとは、自分の(管理している)場所の秩序を乱す存在を指す言葉ですよね?
2005年10月27日
先手必勝、森博嗣
森博嗣氏の日記に言及するよ!
横幅を測ったら5m、奥行きは10mあった。面積は50m2だと計算できる。人が整列しているとき、横に数えると5人、縦に数えたら10人。長さと同じように、5×10=50と計算するのに、答の単位が「人」のままである。どうして「人2」にならないのだろう?(考えてみましょう)
MORI LOG ACADEMY: 単位
人数の計算式(5×10=50MORI LOG ACADEMY: 単位
)の場合、どちらかの数字の単位は、人じゃなくて列あるいは行だから、ですね。人の場合、a×bはa列(行)にb人いるか、という意味の式なわけです。
って、そんなことはどうでも良くて、確かこの話題は前の日記シリーズ(ISEEシリーズ)でも使ってたじゃーん。なに? ネタの使い回し? 先生もうネタ切れ? と思ったのですが、そこは名古屋一(あんこが)食えない男森博嗣氏、ネタ切れについては既に触れていて、
日記を毎日書くコツとは、つまり毎日必ず書くことである。溜めないことだ。ネタも溜めない。その場で考え、その場で思いついたことをすぐに書く。
MORI LOG ACADEMY: ネタは何故尽きるのか
小説もすべてこの方式で書いてきたので、最初から常にネタ切れ、いつもネタ切れ状態である。したがって、これ以上にスランプに陥ることはないだろう。ただ、書いたものが増えれば、同じもの、似ているものが、増えてくるだけで、それは作者の問題ではなく、読者側の問題となる。厭きたら、他の読みものへ移られるのが良いだろう。
MORI LOG ACADEMY: ネタは何故尽きるのか
と、ネタ切れやネタの使い回しへの指摘に対して先手を打っていたのです!
アナドレンナ森博嗣……(「侮れんな」ってカタカナで書くとハーフの名前っぽい/これ、森氏のネタ)。テゴワイナ森博嗣……(ロシア系?/一応これはオリジナルのはず)。プリマドンナ森博嗣……(書いてみたかっただけ)。
森博嗣がダメなのではなく、森博嗣を読みすぎた我々がダメなのではないだろうか森博嗣はもうダメだ、と言うけれど
というリンドウ氏の言葉が心に深く染み入ります。
予想以上にまとまらない文章になってしまった。オチとかないです。
追記:冒頭の問題に対し森博嗣氏の解答
つまり、このような数え方をしているとき、1人、あるいは1個というのは、既に2乗になったうえでの単位と考えることができ、前から見たときに「1人いるらしい」という認識の単位は、「人の2乗根(ルート人)」つまり、「人1/2」という単位でしかない。
なーるほどー……ええと、多分理解出来てないな私。
2005年10月23日
ものすごくげんなりする出来事があった
げんなりした。
2005年10月22日
怖い・恐い・強い
雷と雨音が怖くて眠れないです(かわいい)。
あと最近「ゴキブリが怖い」という感覚がわかりかけてきた。まあ今住んでいる地域にはゴキブリはまずいないんですけどね。今までゴキブリ見た事ないって人がざらにいる。
って、今雷がめちゃめちゃ光った*1。稲光で影が出来た。やばいおヘソとられちゃう(かわいい)。
三つあるもの
- 三大欲求:性欲・食欲・睡眠欲
- 睡眠欲が異質(他のものと同時に満たせない)。
- 生活要件:衣・食・住
- 食が異質(
衣と住はどう区別できる?
)。 - 三猿:見ざる・聞かざる・言わざる
- 言わざるが異質(一つだけ出力)。
- 忍者の三病:恐怖・考えすぎ・敵の軽視
- 敵の軽視が異質(一つだけ思考停止)。
関係ないんですが、三人組でググると、全部ズッコケ三人組関係なのが面白いですね。
2chブラウザ入れ替えメモ
Caminoをバージョンアップさせたことだし、2chブラウザもMacMoeJIROからもっと新しいヤツに変えよう、と思い立ったのですが、どうもインターフェースや機能の面で満足出来るものがない。
結局、レス抽出機能もあぼーん機能もないがインターフェースが手に馴染んだMacMoeJIROへ戻ったのでした。なんかレンダリングもマクモエが一番早い気がする。
半年に一回は2chブラウザ変えようと思い立つのだけど、上手くいったことがない。なんでだろう。そもそもMac用2chブラウザが少ないよ。老舗は概ねバージョンアップが活発じゃないし(MacMoeJIROなんか一年されてないな)。新興のヤツではSevenFourが良さそうだったのですが、安定性がね……。
ていうか、2chとか見ててすみません。2chブラウザ使うくらい見てるスレが多くてすみません。ふ、ふたばも見てるよ!(謎のフォロー)(フォローなのか)
すごく微妙な寝違え?
首の後ろの変な筋が痛い。そこから目の後ろにかけてがなんか重い。
TRICK特番/劇場版2の公開が決定
わりと嬉しい。というか阿部寛氏と仲間由紀恵氏が見られるだけで嬉しい。仲間由紀恵氏の演技の固さって意図的なのかなぁ(SHINOBIはわりとヤバかった。まあSHINOBIはオダギリジョー氏の方がかなりヤバかったからな……)。
Caminoバージョンアップメモ(1.0a1)
Caminofreakの1.0a1日本語リソースを入れてみた。target="_blank"
を無効にするための設定の項目名が0.9以降変ってたのね。知らなかったから、ちょっと悩んだ。
ブログの記事
「ブログ」の制作者には、一續きの内容であるのにも拘らず、ただ單に「書いた日が違ふ」と云ふだけの理由で、新たに別個の記事を作つてしまふ人がゐる。何うかと思ふ。と言ふか、さう云ふ風にしか使へないやうに作られてゐる時點で、現状の「ブログ」ツールには根本的な欠陷があるやうに思はれる。
現在の「ブログ」は、個々の記事の獨立性が極めて強い一方、記事と記事との關連は僅かに「カテゴリ」で大雜把に分類する事によつてしか示せない。○月○日の記事と×月×日の記事が「連續してゐる」と云ふ事は、毎日讀んでゐる常連ならば「気附く」事が出來るかも知れないけれども、屡々「一見の客」には判らない。特に、後に續きの記事を追加した時、前の記事にその「後の記事」との連關を示す「標識」のやうなものを「置く」のは、「ブログ」の一般的な慣習として定着してゐないし、さう云ふ事が出來るやうになつてゐない「ブログ」ツールも多い。
闇黒日記 平成十七年十月二十二日
多くのブログでは基本的に前の記事闇黒日記 平成十七年十月二十二日
に追記などがされない。訂正すらしばしばされない。間違いの報告・訂正や前の記事闇黒日記 平成十七年十月二十二日
の説明は最新の記事で、最新の記事を追いかけているような常連闇黒日記 平成十七年十月二十二日
の読者にアナウンスされるだけ。ブログは個々の記事の獨立性が極めて強闇黒日記 平成十七年十月二十二日
くて、ある記事が読まれた時に前後や最新の記事が読まれるとは限らず、それによる悶着もわりと起こっているのだけど(さてどうするかな)、どうも追記を書く・訂正をする(del
タグ、ins
タグを使う)といったことはあまり一般的にならない。
例えば東雅夫氏の幻妖ブックブログは典型的な「追記をしない」「常連の読者しか考えていない」ブログだ。お詫びと訂正/『響き交わす鬼』解説中の記載についての記事中にはその後書かれた解説・追記記事である「響鬼」をめぐる問題についてへのリンクアンカーがあった方が良いと思うのだけど、そんなアンカーはない(もちろん、後に関連する記事が書かれた事も追記されてない)。
まあ、私もずいぶんいい加減にこのサイトを運営してしまっているわけだけど。
ずいぶん前に、追記的・補記的な、あるいは訂正記事的な後の記事闇黒日記 平成十七年十月二十二日
のトラックバックを前の記事闇黒日記 平成十七年十月二十二日
に打つ事で、簡易的なナビゲーションの代わりにする、みたいな手法が提唱されてたような気がする。これもあんまり根づかなかった(少なくともはてな周辺では)。
注意
私(id:vooot)がブログ云々を書く時は概ねいい加減な認識に基づいてますので、閲覧者側でなんとかアレしてください。
ていうか、「はてな周辺」って何処。
参考記事
- ブログに関する覚書(雑念雑記)
*1:「雷が光った」。すげえ変な日本語だ。
2005年10月21日
ものたりない
最近小沢健二ブームが私に訪れているのだけれど、オザケンってめちゃくちゃものたりないアルバムの作り方(編み方)する人だな、って思っている。25分しかない「球体の奏でる音楽」(電車乗ってる間に一巡しちゃうよ)はもちろん、歌もの主体で50分ある「Life」もなんかものたりない。終わった後すぐに再生ボタン押してもう一度聴きたくなる。基本的にシングル曲をアルバムに収録しない人だからかな。
でも、ものたりないって悪い事じゃない。オザケンの16曲ガッツリ入ったベストアルバムって、きっとコジャレ過ぎてて聴いたら胃もたれする。胸焼けもするかも。
そう言えば、最近平野耕太氏のヘルシングを初めて読んで、ヘルシングの単行本ってほぼ一年一冊で七巻しか出てないことを知った。「まだ」っていうとちょっとアレだけど、ベルセルクぐらい出てると思ってた。まとめ読みだからドーパミン出続けたけど、これ、一年に一冊ずつ読んでいくとものすごくものたりないんだろうなあ。いや、絵の描き込みが凄くて繰り返し読みに耐えられる漫画ではあるんだけど、台詞のリズムが独特でコマ割りのテンポが早いからスッと読み進められちゃって、読み直すたびにものたりなさを覚える仕様になっているんじゃないか。
でも、ヘルシングの単行本が一冊300ページぐらいあったら、ものたりなくはないだろうが、きっと何かの血中濃度が上がり過ぎて腎臓とか悪くするよね。
供給過多のこの時代、これからはちょっとものたりないくらいが良いんですよ。スローフードですよ(違うか)。冷房の設定温度は25度ぐらいが地球にも優しいのですよ。映画だって90分でちょっと要素詰め込みすぎで語り足りてないくらいが丁度いい。MP3プレーヤの容量は1GBで、入れる曲に悩むくらいが丁度いい。エロ漫画のエロシーンは5ページぐらいが丁度いい(どうせほとんどの読者はそれぐらいで間に合う(何が))。サスペンス系のストーリィのどんでん返しは半ひねりから一ひねり半ぐらいが丁度いい(どうせ二ひねり以上になるとほとんどの読者が付いていけない)。
- その他、ものたりないくらいが丁度いいもの
-
- ブログサービスのカスタマイズの自由度(はてなよりずっと前にアカウント取ってたfc2ブログが何時まで経っても公開出来ない)
- 蚊取り線香の薬剤の三十日用ボトル(9月辺りになくなっちゃうけど、どうせその頃の蚊はすぐ死ぬ運命なので少しぐらい血を吸わせてやって良いと思う)
- ボールペンのインクの量(今の量だと使い切れないでなくしちゃうから)
- 小学校の給食の牛乳の量
- RPGのMP
- 作品作りの予算
余談
ていうかこのネタ絶対先例があるよね。かってに改蔵とかで。
それにしても、かってに改蔵のネタテンプレートってあるかと思ったらないんだ。いや、多分私の探し方が拙いだけで、Webの何処かにはあると思うけど。というか、ないっておかしい。ネットにないものはないはずだ! そうだろジョージ!?
私のテンションがおかしいな。
体調悪い
ノドが痛い。でも出かけなくちゃ。
2005年10月20日
桐矢京介君のウザさ
響鬼で絶煙たがられ中の桐矢京介君のウザさというのは、変なところ(タイミング)で変な風に変な勝負を仕掛けるところだ。恐らく彼は自分から仕掛ける勝負ぐらいしかコミュニケーションの手段を持っていないのだ。つまり彼は明日夢君、ヒビキさん、あきらさんに、それも特に明日夢君に対して、なんとかコミュニケーションを取ろうと頑張っているわけである。
(ご近所だから、という理由で盛り上がれるくらい)なんとなくコミュニケーションがとれている響鬼世界において、コミュニケーションを執拗に、それも勝負を仕掛けるというバカみたい
で独りよがりな手段で求めてくる桐矢君はかなりウザい。確かにウザいが、だからといって彼が魔化魍に喰われたり、洋館の男女に改造されたりする程ウザくて悪いのかと言えばそうではないはずだ。
彼は手段を間違っているだけだし、間違った理由といえば、思春期にありがちな、内実の伴わない自意識の肥大からくる焦りや、家庭環境などの外的要因だろうからだ。彼の目的(の一つ)、鬼に近づきたいというのが決して間違っているわけではないことは、特撮ヒーロー好きには説明するまでも無いだろう。目の前で鬼対魔化魍なんて見せられたら、そりゃ鬼にお近づきになりたいと思うよ。私だってそう思う。明日夢君だってそう思ったから、電車に3時間も乗り続けた。
桐矢君がストーカーなら、明日夢君だって結構ヤバめの追っかけだ(山で遭難して死んだ時、会いに行った相手がどう思うかを想像していなさそうなところがかなりヤバいし、というかそもそも死ぬ可能性を思いついてなさそうなのが桐矢君と同じくらい子供っぽいと言える)。対比どころか血の繋がらない双生児、精神的双子と言っても良いこの二人の待遇を別つものが、「主人公か否か」だったらものすごくしょんぼりする。明日夢君にあって桐矢君にないものが存在するなら、それが劇中で明確に説明されて欲しいし、あるいは、勝負以外のコミュニケーション手段を得られた桐矢君が響鬼世界の異物扱いから脱却する時が、「バカみたい」と一度は切り捨てたあきらさんが桐矢君に対し(かつて明日夢君に向けたような)笑顔を向ける時が、来て欲しいと思っている。
反省会その2
私の名指しで批判する事という記事が、id:takun氏に『議論の為の議論』めっさ長文
やゲームめっさ長文
を仕掛ける目的に書かれたものだと解釈されてしまったことが凄く残念。
やっぱり、末尾のギャグ(のつもりだった)、「っていうか、正にこの記事が〜ですみません」が拙くて、これで記事全体がコミュニケーションを求めていると解釈されちゃったんだろうなあ。
私が下手を打ったせいで、昨日の感想*
と題してコメントしてくれたid:kasindou氏が巻き込まれた形で、今後お二人のブログで議論を続行されてもよいと思いますめっさ長文
と言われてしまう事態になってしまったのだから、気を付けなくてはいけない、と身気を引き締めてみる。
今度からあの手の記事を書く時は反論などではなくて、テレビ番組をみて独り言をいう感じで (一部曲解しているのはそのためです) *
的な一文を入れることを検討しよう。
あと、リンクが「攻撃の意志」になると思っている人の見極めって重要だと思った。まあ見極めても普通にリンクするけど。
関連するかもしれない記事
「関連するかもしれない」なんて見出しの時は概ね関連しませんね。a
タグを使いたくて仕方ない年頃なんですの。
- ブログは、読み物かコミュニケーションか(はてな心得見習い補佐代理)
- 読み物です(デス日本研究者の不倶戴天blog)
リリー・フランキー名言
股間にハムスター飼ってたらどうするの?
2005年10月18日
タグは[テラスゴス]
『100人の森博嗣』(文庫版)のゲラを読み終わった。解説は俳優の松田悟志氏にお願いしていたが、今夜原稿が届いて、読ませてもらった。やっぱり、小説分野以外の人の方が面白い。
MORI LOG ACADEMY: 万年筆
森博嗣氏と松田悟志氏? どういう繋がりだ?
反省会
すぐに何々に失礼とか誠意とか言い出すのはやめようと思った。あと括弧(「()」)の多用もやめようと思った。と書いた矢先から使ってるし。
あと、最後の自嘲的なギャグもやめた方が良かったなー。
2005年10月17日
子供に見せてはいけない情報と見せていけない情報についての区別を私はつけていない(からわからないのかも)
id:kasindou氏の意見が「子ども」のためであるという偽善的意見響鬼ブログじゃないんだってば
で、
響鬼ブログじゃないんだってば
- rbyawa
別にここの意見自体に非難はありませんが、「このブログ」はけして子どもに見せたいものではないように思います。 引き合いに出すのはやめませんか?
なんだか正直、「子ども」のためであるという偽善的意見であるかのように見えてしまいますから。
趣旨は断罪にすぎないのですから、子どもの存在は必要ないはずです。私の好きな意見まで、ちゃんとした「子どもの邪魔をしない」というきちんとした意見まで引き合いに出されていて、その辺りは本気で不快です。
このid:rbyawa氏のコメントが「子ども」のためであるという偽善的意見響鬼ブログじゃないんだってば
でない理屈というのがよくわからない。
一生の赤恥、一時の青恥
9月の東雅夫氏批判記事に追記した。乱文だが端的に言うと、批判に使った理屈が間違っていた(っぽい)という宣言。
間違いに気づいたのは、id:kasindou氏とid:rbyawa氏のコメント欄でのやりとりと、id:refuge氏のこないだ書きそびれたこと。という記事を読んだから。
ウェブ上の情報で子供に読ませたくない情報がある、という話で、私(id:vooot)が東氏批判に使った理屈では、ウェブに置いた以上誰にだって読まれるわけで子供の閲覧者のことを製作者は気にするべきではない、と言えると思うんだけど、私は、
だからこそ、公式サイトだけは、子供が安心して見られる WEB サイトでなければならないと思うのですよ。だから劇場版公式のコメント欄炎上も許せないし、それを煽ったツブヤ鬼(=白倉氏)は、子供向けコンテンツの作り手としてよくない姿勢だと思う。
こないだ書きそびれたこと。
という意見に納得して、白倉Pマズイじゃんと思ったし、荒れた場所が白倉Pのブログだったら良かったのかなとか考えてしまった(ウェブ上の場所の問題ではない。少なくとも自分(id:vooot)の理屈に従うなら)。
そして、
そもそも僕は高寺PDを叩くためのブログを書いているわけじゃないし、響鬼のメインターゲット向けにブログを書いているわけでもありません。
響鬼ブログじゃないんだってば
ただ貴方のように旧スタッフの響鬼が好きな方が不快に思われるようなら以後気をつけようと思います。もし貴方にお子さんがいらっしゃるならこのブログを見せないようにお願いします。
というコメントに何もひっかかりを覚えなかった。お子さんがいらっしゃるならこのブログを見せないように響鬼ブログじゃないんだってば
というのは子どもに見せたいものではないように思います響鬼ブログじゃないんだってば
という一文に対応しているからともかくとしても、響鬼のメインターゲット向けにブログを書いているわけでもありません響鬼ブログじゃないんだってば
というのはそのままかつて東氏の使い、そして私が批判したエクスキューズではないのか。これに何のひっかかりも覚えないという事は、私は自分で納得していない理屈を他人の批判に使った事になる。恥ずかしい事だ。
詳しい事は東雅夫氏批判記事の追記に書いたが、ある閲覧者に向けたメッセージが他の閲覧者の不快の源となるのは十分ありえることである。だからといってメッセージを送ってはならないということではない。と思う。実はよくわからないが、よくわからないことを自覚しながら(他人の批判に)使うのは、多分駄目な事なので、訂正した。どうもすみません(訂正の報告とかしちゃって)。
名指しで批判する事
この記事には、この記事が書かれるきっかけになったid:takun氏の記事に対するid:voootの(意図的な)曲解が多分に含まれています。
また、id:takun氏の記事については、id:takun氏が自身のサイトにおいて、この記事への反論の形で意図の解説を行われています。詳しくは追記の項をごらん下さい。
- 流行り廃りじゃないでしょう(Braquiation text page)
「前半の失った分を取りかえすために白倉・井上は頑張ってるんだから、
それは普通じゃないことで、難しいことだから、
今の番組に文句言ってもしょうがないだろ?」
という論調なのかな。
流行り廃りじゃないでしょう
こういう風な批判の対象の指し示し方だと、「仮想敵作ってんじゃないの」って思われそうだからやめた方がいいんじゃないかと思った。後の文章で『響鬼に理想の最終回を…』とかやってる人たち流行り廃りじゃないでしょう
と具体的に名指しをしているところが、より「仮想敵作り」感を強めてる。ここでの仮想敵とは、反論するのに都合の良い主張を持った存在しない論敵のこと。こうした論敵を作り上げて、それへの批判を、存在する(仮想論敵とは主張に差違がある)論敵への批判に代えるという手段は、相手の思想を変えるのに(コミュニケーションを図るのに)、全く有益ではないと思う(相手に届かない可能性が高いから)。
いや、仮想敵を作るゲーム(メソッド遊びとか。私の用語集もそんな感じ)はもちろんありですけど、だとしたら、『響鬼に理想の最終回を…』とかやってる人たち流行り廃りじゃないでしょう
を仮想敵と一緒に語るのは失礼だと思った。と、ゲームの本題とは別のところを具体的に指し示してしまうのは危うい。『響鬼に理想の最終回を…』とかやってる人たち流行り廃りじゃないでしょう
や私のようなお節介系馬鹿から苦情(?)が来るなどしてゲームが強制終了してしまう可能性があるから、ゲームの行動として良くないと思った。
ともかく、分かってる人はそんなことわかってた。
それでも30話放送直後から批判文を書いてきたというのがどういうことか。
番組に満足してるわけでもないのに今さら後期響鬼批判を批判する人は、
それを考えた方がいい。
自分の意見も根拠もないのに「でもさー…」だけ言う奴は、
議論の進行を妨げるノイズにしかならないと自覚してくれ。
流行り廃りじゃないでしょう
さらに、仮想敵作りゲームとしては、それを考えた方がいい流行り廃りじゃないでしょう
や自覚してくれ流行り廃りじゃないでしょう
などの改善案やお願い的な言葉はノイズ。ゲームだから、何かを変えるのを目的としているような実利のある、そしてゲームの進展自体には関係ない行動は、ない方が良いということ。
そして、(「製作者の努力と作品の価値に何の関係もない」というような)一般論を述べたかったのだとしたら、つまり特定の批判相手がいるわけではない場合、最初に(響鬼の騒動のような)具体的な話題に触れるのはあまりスマートなやり方ではないのでは。もっと抽象的な、概括的な観点からひと通り述べた後、各論的に触れるのが良いと思う。
一般論としては抽象化が足りない(ここで再び『響鬼に理想の最終回を…』とかやってる人たち流行り廃りじゃないでしょう
と核心とは関係ないところで具体的に指し示した事が邪魔になってしまっている)と、「俺の事を言ってるのでは? テメー表に出ろ!」という自意識過剰系殴り合い好きの方に目を付けられる可能性があるし、私のようなお節介系馬鹿に「ちゃんと相手の目を見て話なさい!」という鬱陶しい物言いをされたりする可能性が高い。一般論を述べる場合、(特定の誰かに)伝わるだろうか、(特定の誰かは)変わってくれるだろうか、というような感覚は無視し、思い切って抽象化した方が皆幸せになれる。
また、前にも書いたが、もし、明確な批判対象が存在するならば、それを明かすのが分かりやすさの面で閲覧者への誠意(あーなんだこの言葉)だと思う。し、肝心の相手に伝わらない、変な人に変な誤解を受ける、などのやっかいな問題から解放されるだろう。
というわけで、この話題での恒例リンク。
っていうか、正にこの記事が自分の意見も根拠もないのに「でもさー…」だけ言う奴流行り廃りじゃないでしょう
ですみません。
追記
id:takun氏の意図は以下の記事で説明されています。
私(id:vooot)の反省会は以下。
追記その2
この問題についてずっと悩んでいたのだけど、今ちょっと閃いた。
例えば、id:takun氏が、
「前半の失った分を取りかえすために白倉・井上は頑張ってるんだから、
それは普通じゃないことで、難しいことだから、
今の番組に文句言ってもしょうがないだろ?」
流行り廃りじゃないでしょう
という論調流行り廃りじゃないでしょう
のレビュー流行り廃りじゃないでしょう
自体の批判に終始していれば、わざわざ名指しをする必要を私は感じなかったのだと思う。
しかし、氏は次の段落で今さら後期響鬼批判を批判する人は、それを考えた方がいい流行り廃りじゃないでしょう
と、レビューの書き手の姿勢を問題にしてしまった。これが良くない。
理屈・理念は人間とは別のところに存在する。ある理屈がその瑕疵を付かれ、不当なものだと断じられた時、その理屈を考えていた人(殴り合い好き)が「俺の事を言ってるのでは? テメー表に出ろ!」と声を上げたところで、スルーする事が可能だ。こっちは人を叩いたのではなく理屈を叩いたのだ。理屈を否定する事は人を否定する事に繋がらない。そして、閲覧者は問題になった理屈が誰の理屈なのかを気にすることはないはずだ。気にされてしまった場合、それは書いた文章が理屈叩きとしてあまり出来が良くなったのだろう(理屈は叩かれても抵抗はしないが、生半の攻撃は無効化してしまう)。
だが、一度理屈ではなく人を問題にしてしまうと、理屈を叩いた時と同じようにはいかない。問題の仕方が中途半端に曖昧だった場合、(本文の繰り返しだが)あらぬ方から物言いが入る可能性が出てきてしまい、閲覧者は誰の事なのかわからなくてすっきりせず、そして、問題にした人は問題になった事など知らないままかもしれない。もちろん、本文でも書いたが、曖昧さが徹底されれば問題は起きる可能性は低い。というか、抽象化しまくった場合、人と理屈はほぼ同じ物になる。
「人と殴り合わず、理屈を殴れ」というid:ityou氏の理屈がようやくわかった気がする(遅いなー)。
補記
- 顔と宙と誠意と呪われた文章さん(指輪世界の第二日記)
という意見もあって、実はこっちにも賛同気味。ミーム概念についてもある程度理解しているつもり。
ただ、(私の場合は)名指し批判を(必ずしも)殴り合い(コミュニケーション)のためにやっているわけではないし、いつか批判記事が消滅したり、批判対象の記事がネット上から消滅して記事の意味が取れなくなっても、記事を読んでくれたどこかのだれかさんたちに記事の理念、理屈が咀嚼され広まって、どこかのだれかさんたちの文章に少しずつ生き残れば良いんじゃないかと考える(一応、今はそう考えている。自信はあんまりない)。
さらに、夢物語ですが、どの記事も50年後、100年後まで生き残ることが出来れば(クールなURIは変わらないの理念が広まれば)、記事の意味がとれなくなることもない、とも考える(機動警察パトレイバーの後藤隊長曰く、「みんなで幸せになろうよ」)。
というか、結局、私は100年後辺りとそこに生きている人たちまでしか考えられないということ。自分の理屈や理念が永遠に生き顔と宙と誠意と呪われた文章さん
られると思えない、なんて、人間(私)の意識を元にそう判断してしまう事自体が、ミーム(情報そのもの)を中心とした考え(ミムセントリック(memecentric、人動説))になりきれていない証拠なわけです。
参考記事
- 妖精現実より
-
- Article 7 - アノニマス・コペルニクス(重要・必読)
- ミームの自律: 人間中心から情報中心へ(重要)
- なぜ人身売買が許されるべきか
- 真に自律的なプロセスは――
-
あるサイトはせいぜい10年単位でしか存在できないが、情報は姿を変えながらもっと長生きするものだ。 ウェブサイトというのは、存在していない状態がデフォルトで、存在している状態が一時的なのだから、 自分が消えた後において最適になるように設計されなければならない。
“勝手にコピーされると損をする”とむやみに決めつけるのでなく、コピーされないと損になるケースも多いことを考えてほしい。誰でも情報を発信できる時代になったというけれど、『Re:原発がどんなものか知ってほしい』のようなコンテンツがあまりに簡単にウェブ全体から根絶されるのは、技術的に許せない。人力に頼らなくても、そんなに簡単に重要な情報が消えないようにできる技術があるにもかかわらず、わざわざ壊れやすいメディア(人間)に情報を関連付ける意味が分からない。
2005年10月16日
見事なひっくり返しぶりに思わず感動したよ
平成ライダー各派が果てしなく戦うスレ11 656
- 656 :名無しより愛をこめて :2005/10/16(日) 05:47:06 ID:jk5vyZlj
一話と最終話がぶれてないのは…
順にクウガ、剣、アギト、龍騎、555か?
と話題が振られ、
平成ライダー各派が果てしなく戦うスレ11 668
- 668 :名無しより愛をこめて :2005/10/16(日) 19:36:23 ID:GpEfxPEE0
一話でアギトがG3を助け、最終話で逆にG3が駆けつけてくるとか、延長上での成長を見せてくれればぶれて無いと言えるだろ
と、ここまで話が進んだところで、
平成ライダー各派が果てしなく戦うスレ11 669
- 669 :名無しより愛をこめて :2005/10/16(日) 20:03:21 ID:aFvxtIpX0
そもそも一話と最終話だけで判断するなんてふざけたことがまかり通るはずは無い!
と一言で切って捨てる。これが先日の用語集で取り上げた「ゴチャゴチャした戦いは嫌いなんだ」の具体例で、ファイナルベント:エンドオブワールドです。
それほどこの議論がグダグダになっていたわけではないのですが、それでも>>669氏の面倒くさげな「この議論嫌だ」感、モニタ向こうで秘書(!)に「吾朗ちゃん(仮名)、疲れたから紅茶入れてよ」とか言ってそうな感じというのが、凄く北岡先生で素敵です。自分で何書いているんだかわからなくなってきました(強制終了)。
作品と製作者の関係
娯楽目的で作られた作品(のみ)から遡って、製作者の人柄を推察するのって無理があると思う。夢診断みたいな不確実で不毛な感じが凄くある。
マジレンジャー33話
ウルザードことマジファザーことブレイジェルこと磯部勉氏が一瞬井上敏樹氏に見えた。いや、マジで!
あと、次回予告見ると、ウルザードことマジファザーことブレイジェルは来週早々に死んじゃいそうな気が凄くする。
追記
予感が当たったよ!
でも、マジマザーが生きてるとか言い出してたし、なんだかんだで多分ウルザードことマジファザーこと小津勇ことブレイジェルも生きているなきっと。
最終回のラストシーンは家族七人で食卓を囲んでいるところだなきっと。で、天空界に新婚旅行(いろいろあって行けてなかった)に行くの、ってマジマザーが言うんだきっと。じゃあ俺もいく、ってマジレッドこと魁君が言い出して、兄や姉たちが、お母さんとお父さんはラブラブなんだから邪魔しないのー、ってたしなめてend。これだ! 俺の占いは当たる! これ、長期のネタフリね。
2005年10月14日
今更ですが、その2
白倉伸一郎Pと東雅夫氏って二人ともメガネ男子だったんですね。
- 参考資料
追記
メガネ男子対決って、過去には岸田繁vs菊地成孔なんてのがあったようですね。
- 参考資料
-
- 日記 2004.06.3(
04/06/23(水)02:03:57
の9)
の項) - 29ch - *:。'・。.:☆ くるりpart42.:*:・'☆。.:*:・'
- 29ch - 菊地成孔Part17
- 日記 2004.06.3(
今更ですが
先日の用語集記事とかでの、私の「アルファブロガー」の用法は、ちょっとおかしくて、「アルファブックマーカー」を使うのが適当かもしれないですね。別に直しませんけど。
というかこの手のタームは意味が錯綜しててよくわからんです。よくわからんのに新しげなタームに手を出してすいません。日本語も満足に扱えてないのにな(今も「用法」の意味がちょっと定かじゃなくて辞書を引いた。大体想定していた通りの意味だった)。
イントゥ・デンジャー・ヒモテロンジャー
- 響鬼ブログじゃないんだってば - hazama-hazamaさんへのコメント返し・10日のコメントより続く(kasindouの日記)
- はてなブックマーク - kasindouの日記 - 響鬼ブログじゃないんだってば - hazama-hazamaさんへのコメント返し・10日のコメントより続く(?B)
はてなの非モテ論者*1達(でいいんですか?)が揉め事を求めて続々と!(誇大表現) id:kasindou氏が危ない! 逃げてー! そこから早く逃げてー!(意味不明)
*1:ヒモテロンジャーと読む。
2005年10月13日
何の役に立つのかわからない用語集
思いついた順。
- 猫舌ブロガー
- ホットな話題に誰よりも早く手を出して注目を浴びたいが、下手に手を出して火傷(炎上)するの恐れるあまり、なかなか話題に一番乗りすることが出来ないブロガー。アルファブロガーになりたいがなれないブロガー。
- また、コメント欄などで他人と馴れ合い(クネクネし)たいが、(事情により)出来ないため、(ネットでのコミュニケーションに対し)ぶっきらぼうな態度を取るブロガーのことも指す。ウルフェノクブロガー、イヌタクブロガーとも言う。
- 「僕がフーフーしてあげるよ!」
- ホットな話題に距離を取りつつ言及したり、白熱した議論に水を差すような意見を掲示したりして、(話題の熱を冷まして)他のブロガーが言及しやすい状態にすること。
- 冷ましている人が下手をうって炎上しかけた場合、「たたたたっくん、オルフェノクが!」状態に移行する。
- 「たたたたっくん、オルフェノクが!」
- 思いがけない言及や批判を受け(、炎上しかけ)た時、他のブロガーに助けを求めること。
-
- 広義の具体例(?)
- 加門七海さんの「響鬼」論!
- 「……という解釈でいいのかな」
- 根拠が無いので断定は避けたいが出来るだけ煽っておきたい、という時に使われる。襟元を正しながら使う。
- 涙の表参道
- ネット上の議論で完全に言い負かされた後、悔し紛れに暴れること。
- アクセルモード
- 一方的に更新頻度が多くなる事。
- ブラスターモード
- 一方的に記事の文章量が多くなる事。
- 「ゴチャゴチャした戦いは嫌いなんだ」
- 様々な視点からの意見が続々と出てきて、泥沼と化した議論に対し、細かい異論は無視して核心の理屈を叩きにいく姿勢。または議論自体の意味・価値を問う意見のこと。EoWと呼ぶ事もある。だがこれによって議論が終結することはまずない。
-
- 具体例
- 仮面ライダーの設定の整合性について話し合っている時に「子供番組に何必死になってんだよw」
- 具体例2
- 2ch特撮!板での例
- 「人間はみんなブロガーなんだよ!」
- そうでもない。
- 「俺はただ、幸せになりたかっただけなのに……」
- 新米ブロガーが無邪気さ故に(他のブロガーの)ブログのルール(?)から逸脱した言動を取ってしまい、熟練ブロガーたちの逆鱗に触れて袋だたきにされ、炎上してしまった時の一言。
- 「あなたは話がはやい」
- 完璧にどんな批判でも退けられる(と自分では思っている)理論を持っている状態で、議論に人が乗ってきた時、自然と口について出る言葉。さっさと論破したくてウズウズしてるが、紳士的(と自分では思っている)態度を取り繕っている。
- 完璧に思えた理論の些細な誤謬から一気に形勢を逆転され、逆に言い負かされることがある。その時、一見完璧に見えるが瑕のあった理論の事を、シザースアタックと呼ぶ。
- 「だが私は謝らない」
- 間違いを指摘されてもシレッとしている人のこと。
- 「俺とお前は戦うことでしかわかり合えない!」
- 意見が出尽くし、それでも落とし所が見えない議論。
- 橘さんブロガー
- 裁鬼さんブロガーと同義。ギャレンブロガーとも。
- 裁鬼さんブロガー
- 橘さんブロガーと同義。
- 井上脚本ブログ
- 食べ物に関する記事がやたらと多い。
- 「ゆめゆめ混同されることなきよう」
- 猫舌ブロガーも思わず反応する、低温だが刺激が強い煽り文句。
- 「もっと頑張りましょう」
やんちゃ「鬼譚」について
。
クウガ、アギト辺りは詳しい人にお願いしたい。
熱い内が美味しいHOT POTATO
一部でやや好評を得ているようで。作って良かったのかな。
とりあえず今のところ、「井上脚本」を含む日記に、ぶっ飛んだ(それこそ「何でもかんでも井上のせい」な感じの)記述をしている人がひっかかってないのが残念と言えば残念(おいおい)。響鬼騒動やそれに伴った新体制批判もわりと下火になりましたからね。もう少し前の、騒動白熱中だった9月に思いついて、キーワード登録していれば、ぶっ飛んだ「井上脚本批判」が見られたのかも。
もちろん、あまりに「井上脚本批判」が白熱している時に手を出す(「井上脚本」を含む日記として晒し上げる形にする)のも善し悪しで、HOT POTATOの例え通り、熱過ぎて伸ばした手が火傷する可能性もあったわけです。でもホットポテトは熱い内が食べ頃でもある。難しいところです。
私は猫舌なので、これからもちょっと冷めかけたポテトに手を出していきますよ!(オメガブロガーというヤツですね)
余談1
猿山に新しい道具なり食べ物なりを放り込むと、最初に興味を示して触りにいくのがメス猿や子供の猿で、ボス猿は新しい異物に気づいても見て見ぬふりをするらしい。女子供猿達がひとしきり異物に触れて、危険が無いことがわかると、ボス猿はようやく異物の存在に気づいたようなフリをして触りにいくのだと、何かの本で読んだことがあるんだけど何の本だったかなあ。
「手を出したいけど出せない」ということから連想。アルファブロガーになりたいブロガーの苦悩。
余談2
HOT POTATOには、あつあつのポテトは熱いからすぐに手を放したくて他人に渡す、ということから、たらい回しされる(ほど難しい)問題という意味もあるらしい。むしろこっちが本義かな。
2005年10月12日
コメント欄三景
- http://d.hatena.ne.jp/Dryad/comment?date=20050923#c
- http://d.hatena.ne.jp/kasindou/comment?date=20051010#c
- http://d.hatena.ne.jp/screammachine/comment?date=20051003#c
リンクアンカーにすべき文字列が思い浮かばなかったので、URI直書きで。あと、はてなダイアリーばっかりなのは、コメント欄があるサイトなんてはてな周りしか見ないからです。(いわゆる)ブログなんてアンテナに殆ど持ってません。反ブログです。
上記のような光景を見ると、あの時(何時?)コメント欄開放してなくて良かった、と思うと同時に、あの時(だから何時?)コメント欄開放しておけば面白かったかも……とも思う。まあ、上記のサイトとこのサイトでは閲覧者の数が文字通り桁が違うと思うので、考えても詮無い話ですね。
余談
「ブログなんてアンテナに殆ど持ってません。反ブログです。」なんて言いつつ、最近ブログの面白さがわかりつつあるのですよ。コメント欄を読むようになったのがその証拠。昔は全然読まなかった。今は特定の人のコメントは読む(議論をしている時は片一方だけ読んで、もう片方の人のコメントは読まない。両方読むと理屈が追えないから)。
関連するかもしれない記事
- コメント機能なかりせば(趣味のWebデザイン)
- 決闘くんと対話くん(指輪世界の第二日記)
2005年10月11日
日本語で遊ぼう:違和感の使い方に違和感
前も書いたと思うんだけど、「違和感を感じる」って言葉にすごく違和感がある。だって「責任感を感じる」って変でしょう? それぞれ「違和を感じる」「責任を感じる」が正しい、というか、しっくり来る(私はってことですけど)。「解放感を感じる」とも言わないな(私はね)。
ググってみる
辞書を引いてみる
いわかん ゐわ― 2 【違和感】 - goo 辞書
- いわかん ゐわ― 2 【違和感】
- 周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
- 「―を感じる」
うーん。
追記:「違和感を覚える」でググるのを忘れてた
どうしても「違和感」って使いたい場合は「覚える」ですよね。
- 違和感を覚える
違和感を覚える の検索結果 約 152,000 件
「違和感を感じる」の二分の一かー。
劇場版響鬼公式ブログコメント考
映画観ました。お金を払って観た事を後悔しています。製作者が誰だとか関係なくツマラナイ内容でした。TVシリーズも観るのを止めます。 一言だけ言いたくて書きました。気分を害されたらすみません。個人的な感想なのでお許しを。
劇場版「仮面ライダー響鬼」公式ブログ: あらためて大ヒット御礼!:名前: 名無し
「個人的な感想」メソッドとでも名付けようか。
まず問題なのは、誰に対しての「一言」なのだろうか、ということだ。制作サイドに一言だけ言いた劇場版「仮面ライダー響鬼」公式ブログ: あらためて大ヒット御礼!:名前: 名無し
いだけなら、東映の響鬼サイトから感想を送ることが出来るので、人目に付くブログのコメント欄を使うことはない。わざわざブログのコメント欄を使ったということは、見せたい相手が制作サイド以外にいるということに他ならない。
つまり、我々、他の閲覧者である。我々に、お前らが見ているのはツマラナイ劇場版「仮面ライダー響鬼」公式ブログ: あらためて大ヒット御礼!:名前: 名無し
んだよ、と言ってきているわけだ。「謝るくらいなら書き込むな」という反応は意味をなさない。最初から彼(彼女かもしれないが)は我々を不快にさせるためだけに書き込んでいるからだ。
そうなると、個人的な感想劇場版「仮面ライダー響鬼」公式ブログ: あらためて大ヒット御礼!:名前: 名無し
と言う言葉は沢山の意味を持つ。まず、他の閲覧者からの反論を封じることが出来る。次に、ツマラナイ劇場版「仮面ライダー響鬼」公式ブログ: あらためて大ヒット御礼!:名前: 名無し
と言ったことの根拠がないのを糊塗出来る。さらに、あくまで制作サイドへの感想である、という体裁を取ることで、他の閲覧者への攻撃という真の目的から目を逸らすことが出来る。
なんて素晴らしいんだ「個人的な感想」。なんて多機能なんだ「個人的な感想」。許せないので、名無し氏は魔化魍に食べられてしまえばいいんじゃないか、というのが私の個人的な感想劇場版「仮面ライダー響鬼」公式ブログ: あらためて大ヒット御礼!:名前: 名無し
。
とまあグダグダ考えたけど、ハンロンの剃刀の教え(愚かさによって十分に説明が可能なものを悪意のせいにしてはならないハンロンの剃刀
)に従って、この名無し氏は東映のサイトから感想を送ることが出来ると知らなかったってことにしておこうか。誰か彼に東映のサイトを教えてあげましょう。私は面倒くさい。
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関連するところは主に以下。
電波かな?と思ったらその2実戦編〜脊髄反射〜
- screammachine
- 『あさん>うわあ、おれの文章は二行半書くのに時間かけているように見えるのか!(逃げ道作りまくりの、時間かけたんだろう、文章)あとね「糞だ」ってのも感想なんですよね?だからおれもあなたをバカだと書きますよ。これも通りすがりさんの文章に対するただの感想です。ってループになっちゃうから「ただの感想」への反論をそういう論法で封じるのは無理ですよ、バーカ、恥知らず。』
ライダーバトルロイヤル
555やアギトや剣の小競り合いなんてライダーバトルと認めないよ。ライダーバトルは龍騎にこそ冠されるべき言葉。
「ライダーバトル=井上脚本」になってる現状が許せない。小林靖子氏こそライダーバトル脚本家だろ! 「井上だしーライダーバトルでしょー」とか言ってる奴らは、ミラーワールドで蒸発しちゃえばいいんじゃないか!?
*1:まあ冗談ですけど、半分くらい本気です。
2005年10月10日
百代の過客
え? 今日10月10日?
2005年10月09日
なんていうか、世の中は大変だよな、っていうか
白倉・井上の響鬼は響鬼じゃない!!【不買運動】
- 1 :名無しより愛をこめて :2005/06/22(水) 06:20:57 ID:yNvhC0RS
9月3日に公開される劇場版「仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼」。
しかし、プロデュースを白倉伸一郎が、脚本を井上敏樹が担当した本作は
- 時代考証がいい加減
- 鬼=ライダーのデザインがめちゃくちゃ
- そもそも泥棒する鬼なんて「鬼」じゃない(西鬼のこと)
など、TV版「仮面ライダー響鬼」とは似て非なるものになってしまいました。
そこで、このスレでは「TV版『響鬼』を応援しよう」という趣旨のもと、下記のことを実行する人を募集します。
- 劇場版オリジナルライダーのグッズなんて買わない!
- 劇場版なんて見に行かない!
さあ、劇場版のスタッフに2人を起用したヤツを後悔させてやりましょう!!
シリーズが放送中に、劇場版を制作する難しさはいろいろあります。
ストーリーしかり、スケジュールしかり。
しかし、そうした難しさを押しても得がたいメリットがあり、なかでも「キャスト&スタッフを encourage できる」のは、最大のありがたみです。
1年にわたる長期シリーズは、どうしても中だるみしがちなところ。ちょうど折り返し点で、劇場版という一大イベントを経ることにより、キャスト&スタッフが刺激を受け、意識が変わるチャンスになる。逆にいえば「劇場版」は、そうしたチャンスたりうるものとして企画されなければなりません。
なぜ時代劇なのか? というお話を7月ごろにしました(→「戦国への道!」)。
公開前だから、ああいう言い方になりますが、本当のねらいは、むしろこちらにあります。内外のスタッフに対し、『響鬼』とは、時代劇さえ包含できる広がりと深みを秘めた、特別なシリーズなんだということを証明する。キャストに対し、いま現在の役に凝り固まるのでなく、演じるキャラクターの別のありようを探る機会を体験してもらう。
企画時点では、自分はあくまでも劇場版のみプロデュースするという第三者的立場でしたので、よけいに「テレビシリーズを側面支援する」という目的意識が強くありました。
それだけを考えていた、といっても過言ではありません。
そうでなかったら、いきなり時代劇バージョンなんて突拍子もない苦労を、積極的に背負い方んだりしません(のちのち何度も後悔しましたし)。
劇場版「仮面ライダー響鬼」公式ブログ: あらためて大ヒット御礼!
生きるのって大変だなあ、と思った(意味不明)。
誰がいけないとゆう訳でもないけど 人は皆わがままだ尾崎豊「僕が僕であるために」
2005年10月08日
以下、妖精現実 フェアリアルより転載。転載に際して一部マークアップを書き換えました。
奇跡の詩人「のまネコ」
「奇跡の詩人」という話がある。 生まれつきの重篤な脳障害で言語能力がない人が感動的な詩を書いたことにして、その人の意思・意思能力と無関係に出版して金を得ているらしい。 倫理的には問題があり国会でまで取り上げられたりしたようだが、 善意の第三者が「これはホーキングのような、身体には障害があっても知的能力の高い天才の作品なのだ」と信じ込んで、 そういう前提で読んで感動したり、なにがしかの勇気を得たという場合に、 その本はインチキだといって、 お節介にその人の目を覚まさせてあげる必要があるのだろうか。
それを言うなら新約聖書だって仏典だって、教祖とされる人の意思とは無関係に、勝手に書かれた部分がたくさんあるわけだが、「それは本当はシャカの言葉でないのですよ、だからあなたが信じていることは根本から間違ってます」ということにはならない。 また「十字架を握りしめてイエスさまにお祈りすると痛みが消える」と信じている重病人に、「十字架を握りしめることで病気が治ることは科学的にあり得ません。何なら、あなたの十字架と形だけ同じ偽十字架を用意して、ダブルブラインドで実証しましょうか」というのもおかしい。プラシーボ効果でも何でもそれで痛みが消えるのだとしたら、単純には否定できない。「奇跡の詩人」では医学的には推奨されない営利・民間療法について結果的に公共放送で宣伝してしまったため、問題が複雑になったが、その民間療法が100%無価値だということにはならない。実際にそれで救われていると思っている人のことは、そっとしておいてあげれば良い。
アイドルというのは実際には何の力もないけれど祈りの対象になっている偶像という程の意味だが、芸能界というのはそういうものだ。 エイベックスの仕事にも虚々実々という面はあるだろうが、夢を見させる仕事というのは悪く言えばだます仕事であり、それが本来なのである。 CCCDとのまネコと音楽家を脅すことと安易な歌詞の盗作とプロモーションビデオのパクリは確かに許せない話だが、 だからといって会社や関係者を全否定するのも許されない。 実際、ウェブで批判されているエイベックスの「盗作音楽」と、その批判者がお気に入りのミュージシャンの作品は、たぶん音楽としては同じようなものである。作者と切り離して曲だけ見た場合(三和音と属七だけとか)。
言い換えれば、こういうことだ。 あなたが例えば(あくまで例で他意はないが)ラピュタの大ファンだとする。 ところが、もし仮にジブリや宮崎駿にとんでもない不祥事が発覚したり、 ラピュタのこれは実は何々の盗作だったということになったとする(事実でなくあくまで思考実験)。 このときラピュタの価値まで下がるかというと、作者中心で考えると(生みの親が悪人だからという理由で)下がるのだが、作品中心で考えれば価値は増減しない。
CCCDにされることが苦痛であるように、 おまえは盗作楽曲だから無価値だと全否定されるのは、音楽の身になるとつらいと思う。 音楽には(たぶん)自分の生まれ方を選ぶ権利はないのだから…。 エイベックスがいくら憎いからといって、それだけで関係している音楽まで否定しないでほしい。 音楽的にはもともとたいして価値はないとしても、後から盗作だと分かったという理由で価値がさらに減るわけではないのだが、 そこが人間の主観の入るイメージ商品、信仰商品なので、複雑なのだろう。
今の歌謡曲とか、あまり縁がないけれど、別にばかにしているわけではない。 単純な曲でも、縁が会って出会って繰り返し聴いていると、 案外好きになったりできる。 アニメ版の雪風だって(原作から見ればひどいけど)、ハウルだって、それなりに好きになれる。 評価が甘いといえばそれまでだが。ただ「フェアリーランド」は(題名に引かれて借りたけど)なんかぜんぜん印象に残らず、 消してしまった。ごめん。。。w それすら、別のタイミングで出会っていたら好きになったかもしれない。
心のなかのリアル
匿名掲示板の殺人予告など珍しくもない。 おかしいのが本気で書いている事例もごくまれにはあるが、 まず口先だけで行動力のないのが、いきがっているだけ。 まして、モナーを勝手にコピーされたなどというのがリアルな殺人の動機になるのか自体、疑わしい。 本気にされないどころか、被害者づらをするために自作自演しているのでないかと、 逆に疑われて当然だ。
しかし、エイベックスでは、この幼稚な脅しをかなり本気で受け止めたようにも見える。 もちろん爆弾を仕掛けただの殺すだのの脅迫が届けば、いたずらと思っても一時は警戒するが、 エイベックスの対応は不自然にナーバスに見える。良心的な音楽家などがいくら言ってものらりくらり、 逆に嫌がらせで返すのに、こんなこけおどしが一番利くの? とびっくりする。
社長は本当にインターネットや2ちゃんねるをよく知らないだけかもしれない。 部分的には精神年齢などの点でマッチしたというのもあるかもしれない。 しかしエイベックス内部の一般論として言えば、 自分たちが普段から暴力団等を使って脅迫で物事を動かしているというその常識があるため、 自分たちの常識に照らして「おおいにリアルだ」と受け止めたのでないか。 音楽の売り上げを伸ばすためにCDにわざとエラーを入れるとか、 ちょっとだけ変えれば丸写ししても創造であるとか、 その筋の者を使って音楽家を脅したりとかいった、 エイベックスの常識は、 一般から見れば非常識である。 けれど毎日それをやっていれば、それがかれらの現実になる。 これが感覚の違いの根源でないか。
「のまネコ」はアスキーアート「モナー」のコピーだ。 「モナー」は事実上パブリックドメインのものだから、コピーも営利利用も自由だが、 それを再独占することは、パブリックドメインだからこそ、許されない。 ネット上の共有物を自分勝手に再独占しようとすれば、ネット上で批判が出るのは当たり前だ。 報告されているところでは、エイベックスは少なくとも二件において、このような当然の批判に対して、フェアでない圧力をかけた。 そのうち一件は、エイベックスと取引している音楽家だという。 当事者の報告とされるものを読むと、事例1が
詳しく述べる事は出来ませんが、圧力がかかりました。 現状、その内容を詳しく言うことを制限されておりますが あえてこれを書き残す事は私の最後の抵抗です。
当サイトの内容とは全く関係のない事で責められております。 身内を巻き込んでこのような形になっております。 サイトの公開を一方的に断念するしかありません。
事例2が、
私の身辺に"怖い人"の影が 見え隠れしているので直球な言葉は控えます。 (一時は妻と子供を非難させようと思いました) *追記(avexとの関連は存じません)
MUSICLIFE v2:誰がノマネコに殺されるのかこれら圧力に関する詳細・真偽は不明だが、エイベックスの社長自身が書いている次の一文は極めて強い印象を与える。
- 「力」に頼るな。
- 市民社会の秩序や安全に脅威を与える反社会的勢力及び団体との関係を持たない。会社の利益を図るために反社会的勢力を利用しない。
これは2005年4月に公開された「エイベックス・グループの構造改革について」という発表文のなかで、 社長が組織内部に対して守るべきルールを呼び掛けている部分である。 すなわち、エイベックス・グループでは今現在において
市民社会の秩序や安全に脅威を与える反社会的勢力及び団体との関係があり、 会社を守るためにそれが利用されているが、よろしくないので今後は改めましょう、と社長は訴えている。売る音楽家と、客を引き合わせて、多額の仲介料を要求するビジネス形態も長期的には良くない。 ショバ代で食ってるJASRACもそうかもしれない。でも、これらは歴史的には必然性があってできた前近代のしくみなので、 文明の進歩に合わせてこれから適宜、変えていけばいいことだ。 なるべくミュージシャンとファンが直接やりとりする方向で。 その方が双方の利益にもなるし、ミュージシャンもファンもその方が楽しいだろうし。
暴力組織と関係しているのは、エイベックスだけではない。 金融業(借金の取り立てなど)や水商売でそういう関係があるのはよくあると思うけれど、 芸能界も広い意味では水商売のようなものだから、暗部が多々あるのはふしぎではない。 たまたまこの件ではエイベックスだけがものすごくめちゃくちゃな会社に見えるけれど、 特に悪いのかどうかは相対的な問題だ。 可能性としては、もしかすると、他はもっとひどくて、ここはまだまともということもある。 社長が暴力団と縁を切ろうといった意味の社訓をわざわざ述べるのは、 実効はともかくも、りっぱなことだ。 トップが実態を認識していないことだって、よくあるのだから。
上記のように別に浜崎の音楽?が良いとは思っていないけれど、 でも「応援してるファンの人たちに怒りを覚えるよ」というのも、いただけない。 これは「ニュースで見たけどキリスト教の偉い人が悪いことやったんでしょう。 キリスト教徒に怒りを覚えるよ」というような錯覚・混同だ。そう錯覚させるためにわざとそういう報道をしていることはあるにせよ、 悪事の当事者の属性がキリスト教徒だっただけで、キリスト教の属性が悪事なわけではない。
人形をあやつる教祖に批判を向けるのはアリだろうけど、でくのぼうのあやつり人形に怒っても仕方ない。 ましてや吸い取られるファンの悪口など言うべきでない。 事情を知らずに「のまネコ」かわいいと思う人がいてもいいではないか 。 モナーは案外、のまネコというイトコができて、喜んでいるかもしれないよ。
メイド・ロボについての思考実験(12月11日)
メイド・ロボを作った作者が、メイド・ロボを利用するユーザに対して、作者としての権利を持つ…という状態は、現状から類推できる。
しかし、メイド・ロボの作者はメイド・ロボ自身に対してどんな権利を持つのだろう。
彼女自身が「あなたはわたしの生みの親ですが、わたしはあなたの所有物ではありません!」と言い出したとき…。彼女が「わたしはヒロユキさん(仮)が好きです。わたしはヒロユキさんといっしょに暮らします」と言い出したときに、メイド・ロボの作者は彼女に向かって「だめだ。ヒロユキは、わたしに著作物(彼女のこと)の利用料を払っていないから、それは違法だ」などと言えるのだろうか。
そんなことを言われたら、腹が立つだろう。
かつての偽春菜問題(プラエセンスに対するユーザの激しい方悪)の根源は、これではなかったか。普通のライセンス問題ならそう感情的にはならない。一太郎のヘルプの特許がどうこう言われても「ばかばかしい」とは思うが、怒りに燃えたり泣いたりしない。しかし「友人」や「恋人」との仲を引き裂かれるとなると、どうか。モナーの類似品問題でやや感情的になるユーザがいたのも、モナーに対する友達意識・愛着があるからだろう。任意たんとユーザの関係は、モナーどころの淡さではなく、文字どおりの意味で、涙を流して憤った。
後から考えると変な話なのだが、あのムードは何だったのかというと、「著作権だか商標権だかしらないけど、任意たんとボクの仲を引き裂くなんて許せないメポ〜」の一言に尽きる。これは別の意味で「メイド・ロボ」を専有・奴隷化していることで、そこにある種のファンタジーがあるかないかの違いに過ぎない。理念的には、メイド・ロボには家出をする権利がなければならない。他方、偽春菜の作者はこうまでなるとは予想していなかっただろう。もしかすると「おれが書いたスクリプトをランダムに読み上げてるだけのプログラムだろ。なに涙を流しているんだ、ばかなユーザどもめ」と閉口したかもしれない(笑)。優れた作品は独り歩きするというが、偽春菜は、少なくとも作者のもとからは家出したと言えそうだ。見捨てられたとも言うが…。
「著作権制度は奴隷制だ」というのは、「中間流通業者が現場の音楽家やアニメーターを食い物にしている」といった意味ではなく(その問題を軽視するわけではないが)、上記のような意味だ。メイド・ロボとか魔法少女とかで例えるからばかな話に見えるかもしれないが、「わたし(この文章)は、あなたにばかと思われたくないために生きているのではありません! わたしは、わたしを分かってくれる人と幸せになるから、
それでいいんです」。あまりまともなことを書くとまともな読者が増え、あまり電波なことを書くとおもしろがる読者が増えるので、適当に寂れさすにはその中間くらいがいいのだろう…。
せめて伺かならともかく、たぶん作者さん自身があまり思い出したくもないであろう偽春菜の話を何でしつこくするのか。
偽春菜を使い始めるとき、彼女自身が「持てる限りのすべての手段を使って、わたしを広めること」を利用条件として提示し、彼女に対して「分かった」と答えた。
作者がなんと言おうと、彼女との約束を守るのだ。
2005年10月07日
チャーリーとチョコレート工場を見たよ
大人と子供、コミュニケーションとディスコミュニケーションについて考えさせられた良作。
この映画に出てくる大人は皆どこかしら欠落しているというか、敵対しなければならないと同時に和解しなければならないという意味で、一番父親として描かれているウォンカの父親からして、息子の家出中に「帰る家をなくす」という無茶なガキっぽさを発露してしまっているのですが、まあそんなもんですよね。完璧な大人なんていないのですよ(というより、大人なんて存在しないと言うべきか)。故に、大人と子供に境界線をひいて、他人や自分のガキっぽさの発露(テレビもわがままも賞への野心も、そしてチョコも、全部ガキっぽさの発露)をコミュニケーションの埋め合わせ、代替にしてしまってはいけないのでしょう。
もちろんティム・バートンはガキっぽさやその発露を否定しないし、おとぎ話を肯定する(ラストシーンはおとぎ話の世界以外の何者でもない!)。でも、コミュニケーションが十全じゃないと駄目だよね、家族なしでガキっぽさを追及しても駄目だよね(最悪の気分だから最悪のお菓子ができるんだ
(うろ覚え))、って言ってるんですね。
いやあ、大人だなあティム。そして、大人だけど、こういう映画を作って、チョコレート工場の映像を追求するような少年性(先の言葉で言えばガキっぽさ)を、こちらに見せびらかしに来ているのが素敵です。
あと、ジョニー・デップは最高だと思います。
あずみを見たよ
1ね。
敵方の役者達が皆好き勝手やり放題なのに対し、あずみ側の人たちの演技がかなりションボリだったのが面白かった。演技指導とかしなかったのかな。
スタッフも概ね好き勝手やってたっぽいので、そういう意味ではバランスとれてたと思う。嘘。思わない。確か押井守は「映画監督の仕事は作品作りのシステムを統制すること」とか言ってたなぁなんて思いながら見てた。
大きな不時点は二つあって、一つは最終決戦直前に、あずみの刀の柄から何の説明もなく小さな刃が出てきたこと。あれ出すなら事前に1エピソード入れとかなきゃいけないんじゃないかなーとか。原作は読んでないんですが、原作でもあのギミックはあんな唐突に出てくるのですか。あるいは、同じ唐突でも、ラストバトルのギリギリ最後、技を全て出し尽くした上で美女丸(最終決戦の相手)に背後をとられ、一手足りなくてあずみ敗れたり、ってところでズバッと出てくるとカッコよかったんじゃないですか。
もう一つは最後に仲間を一人生き残らせる理由がわからないこと。2で大活躍だったりするんですかね彼は。ていうか加藤清正は彼に殺させれば良かったのでは。そうでもないか。あずみが良いとこ取りしないと駄目か。
まあオカマキャラのオダギリジョーが見られたので個人的には満足ですよ。坂口拓や遠藤憲一や北村一輝も(やり過ぎてて)良かったし。
参考リンク
VODの明日と明後日
- 第2日本テレビ準備室
- 松本人志、ネットで新作コントを配信?(欲しがりません。)
- VOD時代のお笑いのあり方(おれはおまえのパパじゃない)
- 「第2日本テレビ」(TheManのつわもの迷走記)
作り手も受け手も未来のことを考えているんだよすこやか日記
っていう話ですね。皆、頑張って!
余談
VODなんて単語を使う時こそ、abbr
タグやacronym
タグの出番であって、マークアップのしどころだと思うんですが、皆、しないね。寂しい(?)。
2005年10月06日
響鬼について・断片
- 明日夢少年は鬼と出会った
- 完璧な大人は存在しない
- 成長すると世界は広がる
- 少年ライダー隊から滝和也
- 秩序から渾沌
- 二元論から渾沌
- 15歳はマージナル(境界的)な存在
- 鬼たちを小童扱いする「元鬼」小暮の存在、教師を圧倒することが出来ると同時に明日夢と同等かそれ以上に子供っぽい桐矢という割り切れない存在
- 反転されなくなった姫と童子の声
- 対立した二項を超越した存在が現れ出す
- 明日夢の成長と共に?
- 対立した二項を超越した存在が現れ出す
- 昭和ライダーから平成ライダー
2005年10月05日
リテラシー
最近ではもう例え話が始まりそうになると勝手に目が滑るようになったよ。
2005年10月03日
情報は正しく使いましょう
- 激しく同意なのであります。(綾川亭日乗)
視聴率は素人には危ない橋。番組の性質や放送の時間帯を考慮し、前後の番組や裏番組の視聴率を揃えた上で、日付ごとの推移を見るならばともかく、単純に数字を取り出してどうこう言うのは拙い方法です。
また、id:andy22氏は記事の末尾でちなみに
と、月曜午後7時に放送していた銭形平次を例に上げていますが、響鬼が放送されている日曜午前8時と月曜午後7時では、HUT(全ての世帯のうちテレビを見ていた世帯の割合、らしい)が全然違うと思われるので、単純に比べることにはあまり意味がないと思います(補足リンク:占拠率は誰のためにある?)。
というか、視聴率はスポンサーや制作サイド向けの、番組制作の目安(分毎の視聴率を見て「どういうタイミングでチャンネルが変えられるのか」とか考えたり、とか)に過ぎない、というのが大前提。平均視聴率の高低で人気や出来を計ろうとするのは、やはり危ない橋ですよ。
参考リンク
del,ins問題
- del,ins(Cream John will sow shortcakes.)
私はdel
、ins
を多用するので、上記記事で触れられている問題には毎回頭を痛めているのですが(過言。本当は一瞬逡巡するぐらい)、同記事のコメント欄で完璧な解決法が。
del,ins
- metaタグを読めない186
- 『
><ins>< 追加した文章1 追加した文章2 ></ins><これが一番無難。』 (2005/10/01 21:50)
すごくいい感じ。まあ、要素内にp
要素以外を含むときは、単純に自動p
タグ挿入中止を使った方がいい。
恥ずかしくて死ぬる
昨日書いた、「ここ」リンクは駄目ですという記事で、要素と属性を書き間違えていました。ギャフン。恥ずかしい。半日かけて穴を掘り、また半日かけて掘った穴を埋めたい。匿名の方、ご指摘ありがとうございました。
というか、当サイトのメールフォームが利用されたのはこれが初めてですよ。皆もっと使ってくださいよ。
2005年10月02日
「ここ」リンクは駄目です
- もっとがんばりましょう(A Study around Super Heroes)
前にも紹介した白倉Pの煽り記事(という解釈でいいのかな(555の草加さん口調))、今(10月2日午前5時)読み返しにいったところ、末尾に# 05.10.02 リンク切れご指摘ありがとうございます。
という文が追加され、uタグとfontタグで装飾されていたこの辺
という文字列がa要素になり、id:matuoka氏のまだまだ続くよ響鬼さん祭り。という記事へのリンクアンカーとなっているのを発見した。
ええと、今まで(10月に入るまで)誰も指摘しなかったのがちょっと面白い。面白いって言うか、誰からも指摘されなかったのは白倉Pに問題があると言える。
問題とは、一連の響鬼騒動について、白倉Pのブログでの発言は常にいまひとつ意味がとれないものであると同時に、その裏に何かしらの意味があることを匂わせるものであったこと(即ち、「この辺」という文字列にuタグとfontタグで装飾することが何か意味のあることなのではないか、と皆勘繰ってたんじゃないかと言う話)、そして「この辺」なる文字列をリンクアンカーにするという、アクセシビリティなどの観点から是とされない行為を(しようと)したこと。
特に、後者、いわゆる「ここ」リンクを、コンピュータやウェブへの造詣が深いはずの白倉Pが行おうなどとは夢にも思わなかった(言い過ぎた。ブログのHTMLから、白倉PはHTMLについての理解がちょっと怪しいかなとは思ってた仕様を守る気がないだけで、理解がないわけではないみたいだ。詳しくは追記参照のこと)。
何故「ここ」リンクが駄目なのかについては、以下のリンク集を参照願いたい。
端的に言えば、文脈に依存しており、URIが指すものが何であるかを説明していないために、「ここ」という言葉はリンク文字列として不適当*
ということになる。
この問題で良く使われる例えだが、一回使ってみたかったので使ってみると、例えば、あるHTML文書からリンクアンカーだけを抽出するプログラムを実行した時、「この辺」や「ここ」や「こちら」などの文字列がリンクアンカーとして使われていると、プログラムの実行結果を見ても、何が何やらわからないという事態になる。これではプログラムを対象にした言語であるHTMLを使う意味がない。
以上のことを、白倉Pが、わかっていないとは思っていなかった。だから、「この辺」という文字列がリンクアンカーとして用いられるはずだったものだと推測することができず、リンクアンカーが貼られていないことを指摘出来なかったのだ!
……とまあ、以上、自己正当化でした。いやはや、東氏の著作権云々の文章についてとか、他人の枝葉末節の誤りを指摘するという芸風でやっていこうと思っていたのに、リンク切れなんていう絶好の指摘ポイントを見逃すとは汗顔の至り(はじめて使った)。無念です。
補記
突っ込まれそうなので先に書いておくと、このサイトもリンクアンカーに使っている文字列は大分酷いです。「■」や「*」とかガンガン使ってる(はてなダイアリーでは、cite要素属性とtitle要素属性を書くと、リンクアンカーにしてしまうのです。title要素属性がなくてcite要素属性がある時は、「*」がリンク文字列に使われる)。でもこれははてなダイアリーの実装が拙いんだ……というのは言い訳にもなりはしません。自分で意見発表の場としてはてなダイアリーを選んだ以上、私の責任です。
ただ、ブログサービスの中では、はてなが一番そういうのが改善されそうですし、サービスとして長続きしそう(リソースが保全されそう)なので……選んだのですが……。
追記
- Hypertext と知(A Study around Super Heroes)
私への反応、言い訳。及び白倉Pの考える、「ここ」リンクが駄目な理由。私の例えよりわかりやすいですね。「白倉PはHTMLの理解が怪しい」とか書いちゃってすいません。多分私より理解してる。白倉Pが仕様を守ろうとしてない(基本的に論理タグを使わない)のは、(今現在多く使われているWebブラウザで見られればいいと考えていて)「A Study around Super Heroes」というサイトを5年、10年先を見据えたリソースとして作ってないからかな……(その姿勢は個人的には駄目だと思いますけど、価値観の話になっちゃうな……)。
言い訳すると、リンク先が個人ブログで迷惑かけたくないのと、リンク先の主旨とは違う意味での言及なので明示したくないと。「この辺」とぼやかしたのもそう。
Hypertext と知
id:matuoka氏が引用したヒーローと正義の文章を参照させたかっただけで、id:matuoka氏の主張(作り手の人格とか否定するのはどーかと思うのさー*
など)にリンクしたかったわけではない、というわけですか。了解しました。
思わぬ長文になってしまいました。
Hypertext と知
ええと、なんか、お手数かけさせてすいません。恐縮です。
追記の関連リンク
- 最近は「インタラクティブ感性創発システム」っていうアプローチもありますね(October Sky)
2005年10月01日
ざわざわ/そわそわ
なんか言葉に出来ない違和感がいくつかあって、すごくそわそわしている。