化ケモノ青年

2005年09月30日

ブログアラシ認定についての所感について少し

  1. あたしのき・も・ち: いつの世も・・・・
  2. そうせいじの視点: トラックバック技術の現在と将来
  3. そうせいじの視点: ブログアラシ認定についての所感

時系列順。私が最初に読んだのは三番目の記事。一番目の記事はホワイトバンド AKOgoogle検索して発見。

例によって本題については特に言いたいことなし。ただ、そうせいじ氏の対応について、いくつか記事を紹介しておきます。

追記

では、何故記事をアップしたかというと、私のブログを定期的に閲覧してくださってる方へ、いきなり全然関係ない記事内で「ブログアラシ認定」とコメントされたことに対して説明が必要だと判断したからです。

ブログアラシ認定についての所感について少しへの言い訳

了解しました。

追記その2

名指し批判についてまた記事を書いた。この記事で触れられなかった「名指しで批判しなくてもいいんじゃない」という視点にも触れてみた。

2005年09月29日

ぼくらのルール

某騒動に首を突っ込んで、「東氏」とか「白倉氏」とか書いてたら、いつの間にかこのサイトでは人名には敬称をつけなきゃいけないみたいな気分になってしまって非常に困ってる。別に誰かに強要されているわけではないが、そういう気分になってしまったのだからしょうがない。敬称って言っても「様」とか「殿」なんて使えないし、「さん」も(ザンキさんにしか)*1使いたくないので、結局使うのは「氏」だけになる。で、先日TR2を惜しむ記事で、リリー・フランキー氏、安めぐみ氏、とか書いちゃって、凄い違和感(リリー氏は基本的に「リリーさん」と呼ばれていて、安氏も「めめたん」と呼ばれているから)。「氏」を外したら外したでそれまでの決まり、ルールから外れてる、という居心地の悪さを覚えてしまうので、どうしようもない感じ。四面で楚歌。五里が霧中。

回避策として、白倉Pというように、その人の肩書きを敬称代わりに名前の下に付ける、というのがあるが、なかなかこれが出来る人もそうはいない。策はもう一つあって、それは愛称で書くというもの。安めぐみ氏はめめたん、園田敦史氏はゾノネム。私は愛称に敬称を付ける気にはならないらしい(そりゃそうか)。めめたん氏とか凄い違和感だ。しかし、通りのいい愛称を持ってる人もあんまりいない。

結局、諦めてこれからも人名の下に「氏」をつけ続けていくのだと思う(違和感に耐えられなくなるまで)。特にオチとかはない。

こういう話題について前に書いた文章

ここ数日、電気を消して目を瞑ると過去を思い出して自殺したくなるため、よく寝られません。前々から記憶を反芻しては悶えるということは頻繁にありましたが、最近のは本当に酷いです。大人になるということは、夜中に発作的に手首を切りたくなる過去が増えるということだという趣旨の文章を読んだことがありますが、正しく正しくです。仕方がないので昼間寝ています。

何がどうという記憶でも過去でもないんですよね。他の当事者はきっと忘れているだろうし、実際自分だって通常ならば掘り起こさない記憶なんです。しかし、一度思い返すと延々苛まれてしまう。意識を統制して、嫌な記憶をシャットダウンするために別なことを考えても、またその思考から派生して過去が蘇ってしまう。日頃想像力と記憶力(忘却しない力では思い出す力)は絶望的に足りていないくせに、こういった時だけそれらが全力で稼動しやがるのです。

つまり、記憶という蓄積、思い出になった過去は、肉体を持って生まれたというだけで意味もなく生きられる我々の、唯一の枷なのでしょう。肥大化したキャッシュが内容に関わらずパソコンのパフォーマンスを低下させるように、脳にあるだけで生命を脅かす呪いなのです。

蓄積は呪いだ云々の話ですが、Webサイトにも同じことが言えるでしょう。過去ログの蓄積は多かれ少なかれ、良きにつけ悪きにつけ、サイトのイメージを固定するものです。そういうのが嫌になったから、もしくは将来嫌になるかもしれないから、人は過去ログを抹消したり抹消した上で閉鎖したりするのでしょう。というか、それ以外に過去ログを消して閉鎖する理由って思いつかなかったり。飽きた、嫌になった、価値を感じなくなった、あるいは物理的に不可能、などの理由で更新の継続が出来なくなったのなら、更新をしなければいいだけで、過去ログを消しての閉鎖には繋がらない。少なくともぼくの中では。

思いついたことをなんでもWebサイトに適用しようとする自分は本当にキモいと思った。死のう。

悩んだこと

昔の自分の文章って、blockquote要素なんですかね。手直しとかせずコピーアンドペーストしただけなので、blockquote要素にしてみたんですけど、間違ってる予感。悪寒。

あー駄目だー

記事制作のために、引用元や関連リンクにしようと思っているリソースをクリップしたところで、気力が尽きる。

超神ビビューンについて誰か語れよ

そろそろ響鬼大好きブロガーの皆は、妖怪繋がりで超神ビビューンに注目するべきだと思うよ。

ごめん、私は見たことがない。

関連リンク

*1:こうやって細かく響鬼ネタを仕方まなきゃいけない気にもなってて、これも若干困ってる。別にわたくしは響鬼大好きブロガーじゃないのよ。

2005年09月28日

的を射た言葉

他人には「わかってもらいたいなら言葉を尽くすべき」と多くの言葉を求める私ですが、「核心を突いた一言」に対する憧れはかなり強いです。文章を書く時、言葉が多くなればなるほど、考えていたことが歪んでいく気がし続けています。

ああ、言葉の選択が下手なだけですね。

寂しい/淋しい

リリー・フランキーのTR2が終わっちゃった。最後はいつものグダグダ感タップリの終わり方で、らしいと言えばらしい。散々引っ張ったリスナーからの体験談も、まともに終わらなかったし。

毎週欠かさず聞き続けるというような真面目な聞き方はしなかったけれど、やはり終わってしまうと、寂しいなんて思うものなんだな。このまま何年も変わらずやってるんじゃないかという気にさせる安定感と、(すぐチンコとか言うので)来週からなかったことになってんじゃないかという印象を与える、不思議な番組だった。きっとリリー氏の人柄なのだろう。

来週からリリー氏の番組がまたJ-WAVEで始まるらしいけれど、大丈夫かなぁ。リリー氏最近同じネタばっかり話す感じだし。安めぐみ氏のような、少し外したところのある、でも控えめな話し相手がいないと、駄目なんじゃないか?

ところで、「園田敦史(ゾノネム)のちょっと熟女なシルエット」を放送してくれる局はないの?(ないか)

忍者戦隊カクレンジャーについて誰か語れよ

そろそろ響鬼大好きブロガーの皆は、妖怪繋がり、路線変更つながり(ニヤニヤ)で忍者戦隊カクレンジャーに注目するべきだと思うよ。

カクレンジャーは忍者戦隊の名通り、忍者の戦士で、敵は何百年かの封印を解かれた妖怪軍団。ここで注目すべきは、忍者という存在。カクレンジャーは戦闘前の口上で叫ぶ。「人に隠れて悪を討つ!」。そう、決して表に出る存在ではないのだ。

忍者は歴史上、遊民や流浪の民との関わりが深い(彼ら流浪の民が生きのびるために諜報の術を編み出したとか云々)。カクレンジャー作中でも、カクレンジャー達は拠点を持たず、猫丸という乗り物でクレープを売りながら日本各地を転々とする。彼らは社会のアウトサイダーであり、まつろわぬものたちであり、つまり敵対する妖怪達と同根の存在である。

鬼と魔化魍の戦い、陰と陰との戦いという構図は、10年前既にカクレンジャーで描かれていたのだ!

とか、こじつけようとすればいくらでもこじつけられるので*1

他にも、変身前の格好というのが当時のストリートファッションを取り入れた、とてもファッショナブルなもので、それもずっと固定だったわけじゃなく、衣装替えが何度も行われたこととか、レッドがリーダーじゃなくてホワイト(女性)がリーダーだったこととか、アメコミ風な妖怪デザイン・戦闘の効果とか、ナレーターの代わりに講釈師として三遊亭円丈が登場したこととか、響鬼ばりの冒険が沢山ある(「響鬼ばり」というのは、子供にはウケなかったのか、話が進むにつれ次第に薄まってしまった、という意味。講釈師のおじさんはいなくなり、アメコミ風戦闘演出はほぼなくなり、ラスボスのデザインはごく普通、ホワイトは最後までリーダーで話も彼女が中心*2ではあったが、一番活躍するのはやっぱりレッドだった*3……)。

ニンジャレッドことサスケの中の人小川輝晃氏は後に高寺プロデューサーの星獣戦隊ギンガマンにも出演しているので、そういう意味でも注目すべき。

いつまでも響鬼にキャーキャー言ってるんじゃねえよ……カクレンジャーのDVDはいつになったら発売されんだよ……(むせび泣きつつフェードアウト)。

電車の待ち時間とか

ふと気づくと、壁や鞄で二重の極みを練習している自分を発見する。

参考

*1:そもそも仮面ライダーってのが異形と異形の戦いの話なので、アレだけど

*2:父親が敵に回ったりとか

*3スーパー戦隊シリーズで一番レッドが強い戦隊との呼び声も高いくらいだ。

2005年09月27日

やる気が出ない

もういいです。ありがとう、ありがとう。

業務連絡的な記事

メールフォームを用意したので適当に利用してください。利用する際は注意点を良く読んでください。

あと、トラックバックは適宜削除しますんで、よろしく(何を?)。

モヒカンだとかモヒカンじゃないとか

白倉伸一郎プロデューサーは確かにプログラム書けるしエチケットペーパーを敷かないで発言する(こともある)人だけど、身内(スタッフ)にはゲロ甘い(凄く褒める)*1人だから、モヒカン族ではないと思う。

2005年09月26日 紹介記事いくつか

白倉P、場外乱闘

基本的に釣られやすい私ですが(東氏にはまんまと釣られたわけですし)、プロレスをやろうとしている人に剣道をやれとは言えません。

言えませんが、とりあえず、白倉氏は礼儀を守るべきだ、責任者が迂闊なことをやることで他のスタッフに迷惑がかかるんだぞ! とか言っておきます。

ついでだから書く。2chで「白倉氏は釣り師でマゾ」という指摘がありましたが、当たってると思う。

追記

ていうかなんだか本気で東白倉両氏の狂言煽り合いなんじゃないかと思えてきた。東氏と白倉氏と高寺氏は、夜な夜な吉祥寺のホルモンが美味い焼酎専門店で飲み明かしてて、*「じゃあ加門さんの文章が公開された日の夜に白倉さんが煽ると」「そういうことで」「あ、じゃあその日辺りに朱鬼の画像流しますよ」「うはw祭りw」「あ、井上さん来たよ」「いやーどうも、恋する鰹、どうだった?」「大ウケw」「そりゃ良かった。あれ、白倉さん何読んでる?」「ホワイトヘッドですよ。マジで理解出来ないw」とか談笑してんですよきっと。マジ私たち釣られすぎ。ていうか飲み屋で哲学書を読むな。

ブログを運営するのは時間がかかる

リンクを貼るだけの紹介記事でも、色々気を使おうとすると一時間以上かかりますね。疲れる。憑かれた(狐に)。

明日夢・桐谷と小暮・トドロキ

個人的に、役に立った*1感想文。明日夢・桐谷の対比ラインに小暮・トドロキの関係をさらに対比し、明日夢とトドロキを類比者と看破した最後の段落に痺れる。

響鬼妖怪論

東雅夫氏の響鬼論に続き、「響き交わす鬼」にも参加されている加門七海氏が響鬼論を発表。

重要な記事。イケメンヒーローという側面についての白倉Pの思い。妖怪もまた、側面の一つです。

重箱の隅突き

※この文章には著作権が存在します。引用は常識的な範囲内でおこなってください。許可なく全文を転載、複製等することは禁止します。

加門七海さんの「響鬼」論!

技術的な突っ込み。ブラウザで文書を読むことが出来る(=表示されている)ということは、その文書(ファイル)はコンピュータに保存(=複製)されているということです。

というか、複製まで禁止する理由がわかりません。何故ローカルに保存しちゃいけないんですか。複製を不特定多数に公開すること(ウェブにアップその他)を禁止するべきでは。

追記に追記

こんなところで呟いていても仕方ないので、直接指摘しにいったところ、

※この文章には著作権が存在します。引用は常識的な範囲内でおこなってください。許可なく全文を転載したり、複製を公開、頒布等することは禁止します。

加門七海さんの「響鬼」論!

というように、文面が訂正されました。良かった良かった。

製作者を評価するのは難しい

既にリンクは貼ってますが、改めて紹介。

私が白倉プロデューサーの言動にニヤニヤという記事で言いたかったことを、概ね書いてくれた人がいました。

なんにせよ、Pや脚本個人の比較論で語ろうとすると分は悪いですよ。

なぜなら、旧Pが30話以降に全くノータッチなのか、それともプロット自体は元々予定されていたものを出しているのか、もしかしたら非公式に設定やストーリーに助言しているか、その点も分からないですしね。

原作は原作

しかしまあそんなわけで今年は、正直変に知識があるほど非常に批判・批評が難しく、へたすっと自爆する恐れがあって、大変頭の痛いところです。

原作は原作

下手に制作サイドの名前を出すことで自分の感想に収まりをつけようとすると、火傷してしまうよ、というお話*2

さらに関連リンク。

製作者の努力を評価(で批判を終えるの)は不毛という話。製作者の努力の評価というのは、先日耐えられぬ悪意という記事で紹介した「白倉Pは響鬼に明確な悪意を持っている」とかああいうヤツですね*3

*1:「役に立つ」という概念は映画の感想文について。(絶叫機械+絶望中止)参照のこと。より楽しむために多くの視点を提供してくれるということ。

*2:あーちょっと違うなー。やっぱ私は文章下手だわ。

*3:あれは白倉Pブログの時限メッセージの極端な解釈を真に受けてるようなので、また事情が違いますが、製作者の努力の評価で批判を終わらせてしまい、発展性がないのが不毛。

2005年09月25日

もうダメだ

私は死んだ方が良い。

膀胱がパンパンになるまで小便を我慢するなんて良い歳した大人がすることじゃない。

あーあ

怒りに任せて文章を書いても、気分が晴れるわけがない。むしろ苛立ちは募るだけです。自分自身の影響力のなさ、文章力のなさを棚に上げて、「何故わからないんだ!」だなんて思ってる。そもそも何故怒ったのかと言えば、自分で自分が不快になるようなものを見に行ったからです。何、結局馬鹿なのは私です。

耐えられぬ悪意

結局、不快になるんだったら見ない方がいいんですよ。そんなのわかっているんです。少なくとも、自分から見に行こうとしなければ目に入らないもの、というのは確実にあって、目に入れたくなければ見に行かなければいい。見に行ってしまった結果不快になったら、そんなの悪いのは自分なんです。

わかってはいるのですが、見に行ってしまう。そしてちょうど、こんなコメントが一番上にあるわけですね。

(あ、説明が遅れましたが、響鬼騒動の話です)

ThethingOX
賛同します。29話までの響鬼は、まあ、細かいところを見ていけば確かに完全ではなかったかもしれませんが、それでも許せてしまう本当に「良い作品」でした。しかし、現体制のトップの方は(現場の方々は別として)響鬼に明確な悪意を持ち、実際表明もしていました。そんな悪意で作られた物が、はたして「良い作品」となりえるでしょうか。覆水盆に返らず。ですが、もしわずかでもその水がもどるのならば。 (05/09/25 [Sun] 18:49)
たのみこむ - 『仮面ライダー響鬼』に理想の最終回を!

率直に言って、馬鹿なんじゃないか。本当に響鬼制作スタッフに高寺氏が戻ってきて欲しいのであれば、何故こんなことを書き込むのか。白倉Pや井上氏を否定することで、高寺氏が戻ってくると、本当に思っているの?

高寺氏がプロデューサーだったころの響鬼がまた見たいのであれば、その響鬼を褒めるべきなんです。あなた方にとって高寺響鬼(暫定的にこの表現使わせてもらいますが)の素晴らしさなんて自明なことで、わざわざ特筆すべきものではないのかもしれない。しかし、実際は、東映は明確な意志で持って響鬼を「変えた」んですよ。「変わっちゃった」わけじゃない。高寺響鬼の素晴らしさを故意に「なくした」のです。何故か? 必要のないものだと判断したからです。「高寺響鬼の素晴らしさ」なるものは、続けるための様々な不都合と引き換えてまで保つまでもないと判断されてしまっているのですよ。その判断を下した相手に物を頼むのであれば、説得したいのであれば、自明なことであっても、素晴らしさや新しさを伝えなければならないわけでしょう。

あなた方のコメントは、自分たち、即ち価値観が同じ人々にしか向いていない。「高寺さんの響鬼にはアレがあったよねー」「ねー」「白倉さんのにはないよねー」「ねー」こんなことしか言ってない。相手は価値観が違うんです。高寺響鬼にあって、白倉響鬼にない「アレ」の価値を認めてないんです。そんな相手にとって、「白倉さんのにはアレがないよねー」なんてのは全く意味がない批判でしょう。「確かにありません、それがどうしたんですか?」と言われるのがオチ。

何故言葉を尽くそうとしないのですか?

あなた方は、わからせようとしてないのに、「東映はわかってない」なんて言うんです。「東映は商業主義に取りつかれている」なんて言うんです。商業的成功より大切なものを、あなた方は説明しているのかよ、と言いたい。「商業的成功より大切なもの」は存在するでしょう。それが商業的成功より優先して作られる作品というのも存在していい、というより存在するべきでしょう。そんなこと東映だってわかっているはずですよ。映画会社なんだから。実際、平成にテレビシリーズで仮面ライダーを復活させる、なんて企画を通しているんだから*1。だから、あなた方は言葉を尽くして、高寺響鬼に存在した、「商業的成功より大切なもの」を、東映に明示すべきなんです。

白倉響鬼の否定なんて意味がないです。それどころか、根拠のない非難は東映側の心証を悪くするかもしれない。提案者のツバサ氏を始め、真摯に高寺響鬼復活を願って活動している人たちにとって邪魔なだけです。白倉響鬼の否定で高寺響鬼の復活が得られると思っている人は馬鹿です。大馬鹿だ。

関連リンク

当サイト内の関連記事

追記:プレゼンテーション

ほんともっとほめる方向でお願いしたい。稲葉浩志もそういってる。ラブミーアイラブユー。

みんなプレゼンテーションって仕事でやったことない?わたしはないけど。

もっとそんな感じでいこうぜ!

つか普通の仕事とかでも他人の企画けなしてばっかじゃ自分の企画とおらないじゃんかー。

最近の響鬼さん関連まとめメモー

なるほど、プレゼンテーションという言葉があったな、と思いました。

追記:良いコメントも紹介しよう(九月二十六日)

ぬまりん
賛同します。やはり少年の成長というものを抜きにして響鬼は語れないのだと思います。響鬼を見た子ども達の心に何か残り、いずれ明日夢少年くらいの年頃になったとき、それが良い方向へ働くきっかけになれば良いと思うのです。もちろん商売上の部分もあるでしょうが、子ども番組が教育番組としての方向性を失ってしまってはならないと思います。 (05/09/25 [Sun] 21:54)
たのみこむ - 『仮面ライダー響鬼』に理想の最終回を!

これは子ども番組が教育番組としての方向性を失ってしまってはならないという価値観を提示している点が良い(なんか偉そうだな私)。ここら辺を深く掘り下げれば、東映を説得出来得ると思います(無理かしら)。

追記:東雅夫氏の発言より(九月二十七日)

ただ、せっかく意見交換されるのであれば、それぞれの方が感じておられる新旧両「響鬼」の美点を、相互に主張しあうような展開がベターであろうかとは思います。

そうやって様々な「響鬼」への思いが響き交わすことによって、見えてくるもの、変えられること……が、もしかしたらあるかも知れないではないですか。

投稿者 ヒガシ : 2005年09月27日 02:39

東氏、白倉Pのリクエストに応える

処理待ちの項目を上から処理していこう週間。あるいは、紹介系記事はさっさとputするに限るの巻。

というわけで、白倉Pのリクエストに東氏が応えられました。個人的には、批判するならば最初からこれ書いてたら良かったのになあという感じ。まあそういうのについては後で書く。

今後の白倉Pの反方は、東氏をおだて上げて『響鬼論』を本にさせるか(もちろん公式関連書籍として)、完全無視かのどっちかだと予想。多分外れる外れた。白倉氏の反応→もっとがんばりましょう。エチケットペーパーナシの酷評に若干痺れた。いや、白倉Pは今忙しいだろうから反応は当分後になりそうですけど(と思いつつ今夜辺り早速レスポンスがあったりしてと期待)。

これからも目が離せませんね(ニヤニヤ)*2

余談

ところで、今回の更新で幻妖ブックブログの表紙からお詫びと訂正の記事が流れちゃったんですけど、いいのかしらん。ほら、あの記事の性質上、長い期間読者の目に触れやすいとこにないといけないんじゃ、とか。まあリアルタイムで対応*することが重要だったみたいですから、いいのかな。

寒くて布団から出られない

仙台、今日の最高気温が17℃だそうですよ。なにそれ。暖房つけて良いじゃん。

「完全新生」路線復活運動

ツバサ氏*3、頑張るなァ。

それ以外特にコメントはありません。頑張ってください。

*1:その前に平成ウルトラマンシリーズの成功があり、テレビ局に放送枠自体はあったとは言え、冒険だったはず。

*2:「(笑)」や「w」じゃなくて「(ニヤニヤ)」を使っていこうキャンペーンも始めた。文字数が多くて?Bのコメント欄で使いにくいのが難点。

*3たのみこむ響鬼に理想の最終回を!を提案した方ですね

2005年09月24日

白倉プロデューサーの言動にニヤニヤ

メイ鬼ング、というわけで。

暗に「アームド響鬼は自分(白倉P)主導じゃないですよー」って言ってますね。まあ(主役)ライダーが二段パワーアップすることはほぼ確定事項でしょうから、そのパワーアップデザインなんて本来ならば放送開始早々に決まっていてもおかしくないわけです(響鬼の場合は長くかかったようですけど)。途中参加の白倉氏がタッチしていないことは言われるまでもなく明白。

さて、これでアームド響鬼云々で白倉Pを叩くわけにはいかなくなったわけですけれど*1、ええと、今度は爆弾云々の比喩が適当でない、とかで行きますか? もちろん、そんな点を非難しても「元の体制」に戻す助けになるわけもなく、単なる憂さばらしにしかならないと思いますけど。

関連リンク(九月二十六日)

必読。こういうことが言いたかった。

*1:いや、別に叩いてもいいですけど、的外れな非難は言葉の説得力をなくしますよ。「視聴者が批判するのにそんな事情を斟酌する必要はない!」と言うのであれば、最初からプロデューサー云々言わずに作品の評価だけしていればいいのに、と個人的には思いますし。というかですね、「作品の評価」に比べて「製作者の評価」は難しいですよ。特にテレビ番組や映画みたいに、複数人が関わっている(そしてそれが明示されている)ものは。

2005年09月23日

SHINOBI見たよ

椎名桔平萌え*1

この項、追記の予定あり。

*1:以外の見所がない。アクションシーンは、なんか、仮面ライダーの映画の方が斬新なような……。少なくとも東映の(特撮番組制作班の)方が冒険してるよね。

2005年09月22日

色々と書きたいことはあるけれど

いい感じに眠たいので今日もう寝ます。

2005年09月21日

宇宙戦争の感想文

前記

今更ですね。見た2週間後ぐらいに書いた文章。わりと温め。

本文

先日、「妖怪大戦争」、違った、「宇宙戦争」を観た

この映画をSFドンパチアクション映画だと期待して見ると、ガッカリすることになるだろう。そんなにSFじゃないし、あんまりドンパチじゃないし、全然アクションじゃないからだ。

その代わりに、わりとホラーだったりする。何が怖いって、わけがわからない宇宙人が怖い。宇宙人の暴力が怖い。暴力に対して成す術が無いのが怖い。

この映画で、宇宙人は全くの「未知」として描かれる。

彼らの正体、生態はもちろん、目的も、地球に来た理由も、彼らが乗る謎の四つ足メカの動力源も、何も明らかにされない。ただひたすら暴れ回り、人間を殺しまくるだけである。

人間の殺し方にしても、謎のビームで人々を灰にしたり、触手で人々を捕まえて血を抜き取ったりと、方法が一貫しない。人間を、邪魔なので駆除したいのか、食料にしたいのか、さっぱりわからない。

「未知」な「暴力」に晒された映画中の人間達は、殻を失ったヤドカリよりも脆く、右往左往して、ゾンビみたいに車や船に群がったりする。で、突然出てきた四つ足メカにぶん回されたりする。

出てくる登場人物達は、港湾労働者のダメ父親だったり、ジャーナリストの底辺にいるようなヤツだったり、アメリカ万歳なオヤジだったり、末端の兵隊だったりして、宇宙人研究の権威だとか、軍の総司令だとか、CIAの秘密エージェントだとか、そんな、真相を全て明らかにしてくれそうな人は、何時まで経っても出てこない。

出てくる情報は、「大阪では2体倒した」とか、信用出来るのか出来ないのかわからないものばかりだ。

だから観客はずっともやもや、いらいらすることになってしまう。

そう、「未知」に晒されるのは映画中の人間だけではないのだ。

「宇宙戦争? 今時宇宙人? しかも戦争?」などと舐めてかかった観客達は、CG・特撮を駆使して映像なんかより、「わけがわからない」ということに打ちのめされる。いや、不条理なのでは全くない。映画内の論理はかなり堅い。役者の演技も明瞭。計算されたカット割りで、スクリーンで何が起こっているのかはわかりすぎるほどにわかる。

ただ、全ての原因である、宇宙人が、完全にわからない。

唐突に画面に現れては、奇声を上げて暴れ回るだけのあいつらは、とても怖い。

そして、未知なのはそれだけではない。

主演の神木隆之介、じゃなかった、トム・クルーズ演じる、港湾労働者レイにとって、自分を捨てた(!)家族は全くの未知であり、故に恐怖の源なのだ。レイは泣き叫ぶ娘のなだめ方がわからない。彼は娘がピーナッツアレルギーだったことを知らない。彼は息子が何故自分と娘から離れようとするのかがわからない。そして何より、彼は何故家族が自分を愛してくれないのかがわからない。必死になって愛し守ろうとしている家族が、何故自分を愛してくれないのかが、わからない!

こちらの未知は、観客にとってはそれほど未知ではない。トム・クルーズは、不器用で、手際の悪い、ちょっと間が抜けた父親を上手く演じているからだ。これじゃあ家族から見捨てられてもしょうがないよね、となる。レイと家族のすれ違いは、宇宙人と違って、「観客にとっては」かなり理解が出来る。

だからこそ、怖いとも言える。

怖いというか、嫌なのだ。だって、主観的に理解出来ないという意味では、自分の家族も人をゴミくずのように扱う宇宙人も、同じようなもんだと、示されてしまったからだ。これらの違いは、「観客」になった時初めてわかるもので、「未知」に晒されている最中は、それが自分の子供であろうが宇宙人であろうが狂いかけてるオッサンであろうが、「未知」は「未知」としか認識出来ないのだと、気づかされてしまったからだ。

そんなの嫌じゃん

結局、レイは頑張った。「いいんですか、あんたの息子と娘は宇宙人みたいなもんなんですぜ。少なくとも、あんたにとってはどっちも同じなんですぜ」という現実を突きつけられながらも、娘を守り抜いた。

だが、レイが娘とともに妻と再会するという、感動なのかもしれないラストシーンを観ながら、僕はえらく不安を憶えていたのだ。冒頭の、レイと息子とのキャッチボールシーンを観ている時のような、嫌な気分になっていた。

何故かといえば、きっと、映画終了後、レイが家族と共に幸せに暮らせたと思えなかったからだろう。あの場で、必死で守った娘から、「ありがとう、それじゃあね、バイバイ」と言われていそうな気がしたからだろう。だって、新しいパパはもういるのだから

宇宙人は撃退出来たが、彼らは何だったのか、明らかにはされないし、娘を守り抜くことは出来ても、彼女を理解することは出来なかった。宇宙人を撃退しても、娘を守っても、幸せにはなれなさそうだ。

「宇宙戦争」は暴力の映画だと評されているらしいが、何が暴力って、この突き放し加減が何よりも暴力的だと言えるだろう。誰に対して暴力的なのか? それはもちろん、宇宙人を撃退することも、娘を守ることも覚束なさそうな、観客に対して、だ。

というわけで、「宇宙戦争」、お勧めは絶対しない。

それよりも、水木しげる・荒俣宏・京極夏彦・宮部みゆきプロデュースの「妖怪大戦争」を観よう!(オチ)

後記

もう妖怪大戦争もほとんどの映画館で公開終了しちゃって、オチとして機能してないわけですが、オチへのフリとなっている書き出しがわりと気に入っているので残しておきます。

関連リンクって言うか……(なんだこの見出し)

下記の感想を見てこの記事を書いたと言っても過言じゃないです。流石に嘘です。

2005年09月19日

余計なことを書くと、ノイズが混じる

響鬼の井上脚本では「猛士」が組織としてまともに描かれていない、井上氏は組織を描かない、という指摘。炯眼だと思いました。

問題は、id:andy22氏が(組織を描くという)クウガ」のフォーマットを引き継いでいたと評している仮面ライダーアギトのメインライターも井上氏であること(今調べたら、アギトの脚本はほぼ全部井上氏だった)と、この文章における龍騎の扱い。

龍騎は、小林靖子氏がほぼ全部書いているので、井上脚本云々を語る上では(基本的に)必要ないんですよね*1最後で井上氏をフォローするような形で龍騎のキャラクタを褒めるのも変だし*2

上記の記事は「平成ライダーにおける組織の描かれ方の変遷」としても読めるのですが、そうなると井上脚本云々が邪魔になるんですよね。

こんな変な構成になったのは、どうやらid:andy22氏は最初、龍騎のメインライターも井上氏だと思っていたかららしいです。なるほど、井上氏は組織を描かないという根拠の一つに、龍騎を用いていたのですね。

それならば井上氏が龍騎のメインライターであるという記述を直した時に、龍騎関係の話は削れば良かったと思えるのですが……必要のない龍騎の話がノイズになって、井上脚本の問題点の指摘がぼやけてしまっているな、と思いました。惜しい。

逆リンク!(?)

あ、ところでvoootさん、わたしが前のエントリ松田悟志とか持ち上げてるのは、「龍騎」を持ち上げているんであって、井上氏を持ち上げてるわけではありませんので(笑)

綾川亭日乗 - 箸休め:「アギト」はほぼ井上脚本である

いやあの、井上カラーは井上カラーでいいと思うのよなんて文の後に龍騎を「持ち上げる」記述が続けば……あーもうどうでもいいです。

補記

コメント欄を読むと、「結局は<自分は井上脚本が嫌い>→<井上脚本のあらさがしをしてみた>ということですよね*」と言うコメントに、id:andy22氏が凄い答え方をしています。

井上擁護派、あるいはヒビキ新体制擁護派、容認派の、心理というものを表す、一つの特徴*って……。いや、これも的を射た分析だと思いますけど、そこで持ち出す話じゃないような……。結局元祖通りすがり氏の第一の主張(元の記事の論理構成は<井上敏樹が龍騎の主筆>であり<龍騎は組織の存在しない世界>、したがって<井上は組織を描けない>というものでした。第一の点が破綻していることによってこの論理は成り立たなくなります*)に触れてないし……。

もしかして、id:andy22氏の「必要のない、余計なことを書く」というのは、芸(ネタ)でやってらっしゃるのかな、と思った。

追記:私も余計なことを書いてみよう

この「人間が書けていない」問題について一言。どうして「書いていない」のを観察して「書けない」と評価するのでしょうね?

森博嗣「毎日は笑わない工学博士たち」125ページ

追記:555について

555は、よく「大企業との戦いだと思ったら、いつの間にか場末のバーの常連客との戦いに?!」と皮肉られてますね。

いや、改造手術云々とか、スマートブレイン社の凄さの描写もあるんですけどね。

*1:基本的にと書いたのは、井上氏は龍騎で「お見合い合戦」と「ゾルダの恋人」という、色々な意味でやばい話を書いているからです

*2:北岡は井上カラーのキャラだと言ってもいいと思いますが(井上氏の書いた話でキャラが立ったから)、浅倉にしても松田悟志演じる秋山連にしても、どちらかというと「小林カラー」のキャラのような

2005年09月18日

論争の終結と何か

参考リンク

真名垣氏はこれからが(も)大変かもしれない

上記の記事で真名垣氏は大筋を譲って、一つの論点について結論を出されたわけですが。

ブログなどが「炎上」して、管理人が「反省の意」を表明するとき、中韓の反日派のような物言いをする人が少なくない。「相手の意見に一理あることを 認め、大筋で譲る」という話をしているのに、「非を認めたならきちんと反省しろ」といい募るわけ。「私のいうことにはひとつの理もありませんでした。完全 に非を認め、謝罪いたします」みたいなことでもいわないと納得しない。

私も2003年にこれをやられて、あのときはほとほと嫌気が差したものです。発端となった話題については誤りを認めて結論だって同意したのに、相手 が結論に上乗せした意見に異を唱え続けたら「負けたくせに見苦しい」とギャラリーがうるさい。本筋の議論において正しかった人が、オマケで付加した議論ま で正しいとは言い切れない。それに、いくつか出したこちらの根拠の内、最も重要なものが誤っていたことは認めたけれども、ほかの根拠が全部間違いだったと はいえない。

反省と謝罪の間にあるもの

という話があるので、真名垣氏はこれからが(も)大変かもしれないなあと思った。

まあ、真名垣氏のもう一つの主張(cite属性によるURIの記述は出典の明示となる*)には、賛同者がいるし、主な議論相手だったAkky氏は「改変」部分の原状回復のみでも、こちらとしては一定の改善が見られたものとして、引き下がる用意はして*いた、と、明示の論点についてはひとまず譲りそうなことを既に書いているので、そんなに大変でもないかな、とも思った。

と、随分いい加減な記事ですが、いや、上で引用した事例がなかなか印象深かったので、紹介したかったのです。

余談:ブログの機能でよくわからないもの

「ブログ」つて、只閲覽者にとつて役立つ機能が少くて、ほかの「ブログ」製作者が言及する爲の機能ばつかり目立つから、嫌なんだよね。「URL がコピーし辛い」なんて、「ブログ」制作者にとつては大問題かも知れないけれども、只閲覽者には何うでも良い話ぢやない? 見出しがアンカーになつてゐる「ブログ」つていつぱいあるけれども、それを突ついたら何うなるものなの? 「ブログ」に據つて、本文で話題にしてゐる「餘所のサイト」に飛ばされるものもあれば、その本文を再表示するものもある。最う出たら目、あつちの「ブロ グ」のルールがこつちの「ブログ」では通用しない。ローカルルール亂立し過ぎ。何か見た目だけ皆似てゐるものだから、閲覽する側にとつてはややこしい事この上ない。

見出しをアンカーにしてゐるサイトでありがちなのが、「他所の『ブログ』の人がURLをコピーし易いやうに設けてあるアンカー」。「ブログ」の主宰者本人は「便利だ!」と思つて、他所の「ブログ」や「ウェブ日記」の中の人にも「設置しろ!」と言つて押附けようとさへするもの。しかし、「ブログ」をやつてゐない人間にとつて、そんなアンカーは情報としてノイズでしかない。「それ自身へのアンカー」=「クリックしても何も起きない、何處へもジャンプしないアンカー」=「只閲覽者にとつては役に立たない・要らないアンカー」=「良く解つてゐない閲覽者にとつては混乱を惹起こす羂以外の何物でもないアンカー」。「ブログ」の世界の中の事しか考へない人は、只閲覽者に對する配慮を屡々忘れる。

闇黒日記 平成十七年九月十九日

私は一応「ブログ」製作者なので、大概のブログの機能は便利に使わせてもらっているのですが(と言って、なくなったら不便というわけではない。何故かといえばCamino べんりセットを使っているからであります)、それでも一つだけ、何に使うのかよくわからない(でも大体のブログに実装されてる)機能というのがあります。

それは「h1要素がそのブログの表紙へのアンカーになっている」というもの。

表紙へのアンカーは他にちゃんと用意しているのに(「トップ」だとか「メイン」だとか、はてなダイアリーだと「最新の日記」)、何故わざわざh1要素をアンカーにしているのでしょうか? これも「URLをコピーし易いように」ということ? よくわからない。

表紙へのアンカーがh1要素のアンカーしかないブログも多いですね。なんでだろう。そういうブログのh1要素はどのページでもそのブログのタイトルになっている場合が多いんですが、ブログのタイトルをクリックすると表紙に戻れるって、全然直感的じゃないんですが。一体何処の文化(ローカルルール)?

「これは××じゃない!」*1禁止

と、id:ityou氏の俺禁止シリーズばりに大きく出てみたのだが、実際のところ、私は他人の俺定義を読むのが好きなので、「これは(こんなのは)××じゃない! ××というのは〜」と××の俺定義を読ませてくれるならOK、一行レスの形で「これは××じゃない!」と言い捨てて俺定義を読ませてくれないのはNG、となる。

んでもって、大体ブログやってる人たちは俺定義を語るのが好きなので、頼まなくても俺定義を読ませてくれる。というわけで、別にことさら「禁止!」と声を上げる必要もなかった(でも見出しは直さない)。

余談

最初、俺定義という言葉を「俺定義」と鉤括弧で囲んでいたのだけど、ググってみたら約 867,000 件も出てきたので鉤括弧はとった。

*1:××に入る言葉の例:響鬼仮面ライダー、ミステリ、子供向け、アニメ

2005年09月17日

仮面ライダーバトル

ライダーバトル(仮面ライダー同士の戦い)が子供向けじゃないって言ってる人は、元祖が「改造人間同士の戦い」であることは許容するのだろうか? しないのかな。

補記

「ライダーバトルは陰惨だ」という意見は理解出来る。

しかし、ライダーバトルが陰惨なのは、ライダー同士の戦いだからではない。正義や信念や願いをぶつけ合う戦いが、陰惨なのだ。

追記(九月十八日)

誰か「ライダーバトル」のキーワード化してくれないかな。

追記(九月十九日)

ショッカーライダーとか駄目そうだよね>ライダーバトル否定派

2005年09月16日

最近の痛いところ

背中と腰が痛くて苦しい。

最近の良かった探し

無為徒食日記に最新版ページ(latest.html)が出来たのが嬉しい。これでやっとアンテナに登録出来る。

比べるもんじゃないけれど

まあニュースの中身はどうでもいいんですが(スピードワゴン好きですけどね)。

井戸田氏のブログ、14日付けの結婚報告記事のコメント数が16日現在で3480。トラックバック受信数は301。

劇場版響鬼公式ブログのコメント数は、(16日現在で)全部合計しても3000行くか行かないかぐらい?

一言で言うと、一言で言えない、みたいな複雑な心境。

追記(九月十八日)

結婚報告記事が消えてしまったようです。記事ファイルのサイズが大きくなりすぎたための処置かな。結局コメント数がどれくらいになったのかは不明。

2005年09月15日

踊る

面白いことやるなあ。一緒に踊っていただける方、募集中*だそうで。

追記:試み自体は面白いのですが(九月十六日)

結局愚痴の溜まり場にしかならないのか。お前らは何かを貶さないと自分が好きなものを褒めることも出来ないの?

追記(九月十八日)

なんだかんだ言ってなかなか賛同者増えないね。正直期待外れ。

「君たちの響鬼にかけた情熱はそんなにアマッチョロイものだったのかーっ!!」(高寺成紀著「響鬼道」より)(嘘)

当サイト内の関連記事

2005年09月14日

まだまだ続いて欲しいのですよ響鬼騒動

本編よりこの騒ぎの方が面白い*と感じている一人としては。

響き交わす陰謀論

昨日触れた幻妖ブックブログの件はむしろプロレス用語でいう”ブック”なんじゃないかと(覚えたて))

すこやか日記 - エンジョイ&エキサイティング - まだまだ続くよ響鬼さん祭り。

なんてつらつら書いてきたけど、実は東編集長と白倉PDが仕組んだ壮大な釣りだったらすげえなあ。ガクガクブルブル!

kasindouの日記 - ネタのために本を買う

これね、本当にありえそうなんですよね(笑えない)。

東氏、現状がおいしすぎるんですよ。自著の宣伝になりえる記事が2chに晒されて(アクセス数が倍ぐらいになったのでは?)、しかも2chから飛んだ人の中で、東氏の意見(三十話以降の響鬼は第二十九話までとは似て非なる別種の作品*)に肯定的な人は少なくないでしょう? そしてコメント欄で煽り耐性の高さをアピール、って、良いとこ取りじゃないですか。

というか、私も「妖怪文藝〈巻之弐〉 響き交わす鬼小学館文庫」買っちゃったし

ああ、なんか凄く釣られてる気がするんですけど。

あと、本といえば、id:matuoka氏の引用されてた白倉氏の「ヒーローと正義」が頭良さそうでカッコいい文章だったので、7&Yで注文しました。

こうやって、金を使うにしても、響鬼のDVDを買うでもなく、仮面ライダーヒビキ DX音撃棒セットを買うでもなく、公式じゃない関連書籍を買うだけというのは、東映とかバンダイにとって見れば嫌な客なんだろうなあ、と思った。というか、客ですらないっていう。

最初の例え話

育てましょうよ。ちゃんと育ってきたものを。

「親の都合」で子どもたちを混乱させるなんて。

映画もこの反響で失敗しそうで残念です。

いくらなんでも「響鬼さん」やみんなをスクリーンで観たいファンはいるのに。

スタッフをもとに戻していただきたい。

それともあなたたちがこれからちゃんと「鍛えて」くれるのでしょうかね?

名前: jil | 2005年9月 4日 午後 04時16分
劇場版ブログのコメント欄での例え話はこれが最初かな……。最初のが「親と子」の例えっていうのは面白いですね。

2005年09月13日

「響き交わす鬼」解説の訂正云々について

関連記事

記事の意味

ただし、既放映分から判断する限り、新体制による「響鬼」が、29話までの「響鬼」とは異なるテイストの作品になっていることは事実だと思いますし(その良し悪しを問題にしているわけではありません)、それゆえ、29話までの路線の「響鬼」をリスペクトする趣旨で編まれた『響き交わす鬼』の読者の皆様に、その旨、早急に注意をうながすことは、編者としての責務であると考え、あのような記載をおこなった次第です。

投稿者 ヒガシ : 2005年09月12日 09:49

あの記事でなお、現在放映中の同タイトル、同キャストによる番組は、第二十九話までとは似て非なる別種の作品なので、ゆめゆめ混同されることのなきようと書いた意味は、やはり、三十話以降の響鬼は鬼譚として評価出来ないため、ということだったようです。

ということで、前回の批判をそのまま持ってきましょう。

ならば最初から、「三十話以降の響鬼は鬼譚として評価は出来ない」と書けば良かっただけの話です。第二十九話までとは似て非なる別種の作品などと書く必要があったのでしょうか?

仮面ライダー響鬼には様々な側面があります。鬼譚としての一面はある(あった)のでしょうが、他にも、人間ドラマ、子供向けヒーロー番組、おもちゃ会社バンダイの商品CMとしての一面があります。それらを混同して、仮面ライダー響鬼総体に対し、否定的な発言をするのは(しているように見えるのは)、あまりにもいい加減で大雑把ではないかと思います。評論家&アンソロジストとして発言なさるなら、言葉を選んでいただきたかったところです

ブログというメディア

こうなると気になるのは、「響き交わす鬼」が重版した時、解説は今回訂正された通りの文章になっているかどうか、ということです。

なっていなかったとしたら、東氏は「ブログだから」あのような表現を用いたということになります。つまり、ブログの気安さに流されてしまったということになるのです。

それは、ブログを出版情報サイトにしている評論家&アンソロジストとして、あまりに浅慮だと言わざるを得ないでしょう。

と、思っていたら。

拙ブログは通常、「響鬼」の視聴者数とはケタ違いに少ない文学業界の、そのまた極北に位置する怪奇幻想文学ジャンルのマニアな方しかご覧にならないところです。小生の記事も、あくまで『響き交わす鬼』の購読者に向けて書いたものなので、正直いって、このような反響があるとは予想外で、驚いておりますよ。

投稿者 ヒガシ : 2005年09月14日 02:09

ああ、なるほど、やはり「ブログだから」とたかをくくっていらしたのですね。

いいですか、ネット上で何の制限も受けずに公開されている文書というのは、「響鬼」の視聴者数よりも、「響き交わす鬼」の読者数よりも、多くの人間に読まれる可能性があり、同時に、想定外の読者に読まれる可能性も、「響き交わす鬼」やその他東氏の著作より高いのです

東氏は商売としてブログを運営されているのでしょう? 何故このことを理解していないのですか。

前述したことを断定調にして繰り返しましょう。

東氏は、ブログを出版情報サイトにしている評論家&アンソロジストとして、あまりに浅慮だと言わざるを得ない

補記(9月14日)

もちろん、「響鬼」の視聴者数よりも多くの人間に読まれる可能性を想定してブログを運営するのは、現実的ではありません。

そんな可能性を考えて真面目にブログを運営しようとすると、まずサーバは一度に千人がアクセスしても大丈夫なようにしなければ……という話になってしまいます。そんなことをいったら、自宅に非常に高級なサーバを置ける人ではないとウェブで発言出来ないことになる。馬鹿馬鹿しい話です。

私はブログを運営するのなら、ブログの(というよりWWWの)性質を理解するべきだと言いたいのです。あるいは、理解していないような発言はやめるべきだと。

追記

改めて読むと、この記事の理屈は変。これではウェブでは「このサイトは18禁です。未成年の閲覧は許可しません」云々の注意書きも良くないってことになる。あ、私(id:vooot)は「制限を受けずに」って書いたな。18禁サイトの注意書きは制限か……。でもなんか上の文章は変。なんか変。

結局、私が東氏にキレたのは、

東氏は純粋に注意を呼びかけただけだった場合
書き方悪い
東氏は注意を呼びかける形をとりながら感情を吐露したかった場合(今回の告知、特に最後の一文が、言外の示唆を含むものであることは自認しております「響鬼」をめぐる問題について
それ商売の場でやっちゃっていいの? アリなの?
東氏は注意を呼びかける形をとりながら感情を吐露するという突っ込みやすい隙を作る事で誰かを釣りたかった場合
それにしてはコメント欄のいなし方はへたくそ過ぎるし、ウチのブログは閲覧者少ないんでー、こういうの反応が来るのなんて想定外でーというような、素人が趣味でやっているブログが炎上した時のような糞つまらん言い訳を(あくまで隙を作るためのものだとしても)使ったのは酷過ぎる。やる気あんのか。

という理由からだったわけで、この記事を書いていた頃はそれぞれがごちゃごちゃだったような気がする。あーもう、自分で書いた文章なんだから自分で読みとれろよ!>自分。

ところで、この記事に触発されてかどうかわからないが(多分違う。ごめん自意識過剰過ぎた)、東氏は、

小生としては、事態の急変に際して、リアルタイムで対応できる「ブログ」というツールを活用したまでのことです。

幻妖ブックブログ: 「響鬼」をめぐる問題について

と、書いてくれた。「ブログだから書いたんだよーん。でも、ブログだから書いた=気安さに流されたから書くことが悪い事ばかりではないよーん」と私は読み取った。

この理屈には納得出来る。私は東氏への批判記事に、「オフラインの書籍とブログの記事は同じように気を払って書くべき。オフラインの記事とブログの記事に気を使う優先順位はない。オフラインで書けないことをブログで書くな!」という意味を裏に秘めていたのだが、「ブログだからこそ書かれる記事もある」ということを失念していたようで、それはつまりブログというメディアの特異性を認めていないということだから、ブログとオフラインのメディアに優先順位を適用していたのは私の方だったようだ。すみません。

ただ、先に述べた私の理屈、「オフラインの記事とブログの記事に気を使う優先順位はない」というのには、前提条件があって、すなわちそれは「東氏はどちらも商売で書いているのだから」というもの。商売というのは、数字的な代価があるということね。もちろん、東氏は幻妖ブックブログを書く事で金を貰ってはいないだろうけど、個人でやろうとするとかなり手間がかかるブログ運営を、(いくらかは)bk1のスタッフにやってもらっているのでしょう? そして、サーバも間借りしている。こういう運営の代価を貰っておきながら、趣味でやっている人(例えば白倉P)のブログと同じ扱いは受けられないと思うのだ。

だから、重版の時に訂正されるであろう「響き交わす鬼」の解説と、ブログでの「お詫びと訂正」の文章は、限りなく同じものでなければならんのではないかと思うわけ。さらに言うと他の記事だって、例えば東氏が編集長を務める雑誌、「幽」の編集後記(幽に存在するのかしらねえけども)とかに載っておかしくない文章であって欲しいわけ。どうなのその辺? 特に響鬼関係がミーハーな感じ過ぎない? フィギュアの写真のっけちゃったりさー。良くないよ、というのがわりと怒りの根幹だった気がする。私がこの記事の後、東氏の響鬼論が発表された時に、最初からこれ書いてたら良かったのになあと書いたのはそういうこと。なんか東氏、書いてる事がファンサービスの域を出てないよ? 森博嗣氏の日記シリーズぐらいの思想は書いて? 仕事で書いてんじゃねーの? と思ってたの。

で、「想定外の閲覧者が現れてウヒャー」問題に話を戻しますが、例えば仮面ライダーにこれぽっちも興味のない人が、「仮面ライダー響鬼超全集」を買って楽しめなかったとしたら、それはその人が想定読者ではないからでしょう? 高寺Pや白倉Pが、「あんたは超全集の想定読者ではないから楽しめないの」と言うのは普通。では、東氏が「このブログは幻想文学畑の読者しか楽しめないの」というのはアリ? アリでしょう。ブログだからとかウェブだからとか関係ない。想定外読者が楽しめないのは当然。楽しめる可能性はあるけどね。

というわけで私の(この記事から読み取れる)怒りは不当、というわけなんだけど、なんか今の理屈も微妙におかしい気がするというか、読んで怒るのと読んで楽しめないのを曖昧にして混同している気がする。

多分私は「HTMLは環境によらず閲覧されるものでなくてはならない」という理念を変な拡大解釈して変に適用したような気がする(さっきから「気がする」ばっかりだ)。w3c原理主義者失格ですね。まあいいけど。いいのか。

なんかすいません(各方面に/主に東氏に)。ただ、東氏の事は上記の理由から未だムカついています。それだけは悔し紛れ(悔し紛れじゃだめだろ)書いておきます。

参考記事(9月17日)

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トラックバック初送信。そして失敗

死にたくなった。

白倉氏のブログを批判

内容への感想は置いておきましょう。言いたいことは一つだけ。

転載禁止などと書く、一度書いた文章を消す、などは止めた方がいいんのではないかと思います。

転載禁止という文句に過剰に反応した人が、白倉氏の文章を極端な解釈の元に要約して、それを白倉氏の発言だとして広める、ということが多すぎるからです。そういう人は原文にリンクも貼らないことがある。これでは極端な解釈を読んだ人は、白倉氏を誤解してしまうじゃないですか。

いや、それでも原文が残っていればいいんです。リンクを貼らない人より、貼る人の方が多い。「白倉伸一郎」で検索すれば、いちばん上に氏のブログが出てくる。原文が残っていれば、誤解は正されます(先入観があることはあまり良くないですが)。

しかし、原文が残っていなければ、誤解は正されようがない。

しかも、「類似品にご注意」という記事では、最初から特定の文章を消すことが同記事中でアナウンスされていました。それにやはり過剰に反応してか、極端な解釈で要約を書く人は増えてしまった。

白倉氏は誤解されたいのですか。

たとえ読まれなくても、渡せるならそれでいい。人が人に何かを手渡す――そのことに、価値がないはずがないから。*という考えの方ですから、「勝手に解釈されてもいい、誤解されてもいい、広まってくれれば、誰かには正しく伝わるかもしれない」と思っているのかもしれない。

しかし、それは単に無責任なだけのように私には思えます。読者に甘えているだけのように思うのです。

「極端な解釈の要約」の例

追記(九月十五日)

自分は白倉PDは誤解されるリスクを犯してでも「祭り」をとったのだと思う。転載禁止なんてコピペの出来るネットではなんの意味もないわけで*1、それを改悪されるリスクはいくらでもあるけれど、それを巡るゴタゴタもまた祭りの一環になるのだ。いやーほんとにやり手。

kasindouの日記 - ネタのために本を買う - [web] 「響き交わす鬼」解説の訂正云々について

なるほど。私も私なりに「祭り」を盛り上げる気でいますよ。

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2005年09月12日

変な虫だそうで

東北地方、朝晩は涼しくなって参りました。

うわ、やられた

凄いなあの人。ええと、どうしよう。

2005年09月11日

白倉氏ブログへの批判について

ところで、今回の響鬼騒動について書かれた(という解釈で広まっている)釣られてみるかという白倉氏の記事、これに対して、「仕事がらみのことは、いっさい書いてくれるな*と書いてるのに自分では書いてるじゃん!」っていう批判があるんだけど、私には微妙に的を外しているように思える。

どういうことかと言えば、この批判では、基準など示したくはない。どうしても《基準》を求められたら、*という一文が考えに入れられていないようだからだ。

白倉氏が言っているのは、「仮に他人から基準を求められたら、「仕事については全部ダメ」というしかない」ということであって、別に、必ず仕事のスタッフに「仕事については全部ダメ」と言っているわけでも、「ブログ書いているヤツは全員仕事について書くな」と言っているわけでも、さらに言えば、「自分は仕事について書かない」と意思表明しているわけでもない。

基準など示したくはない*ということは、「示せるけど示さない」ということなわけで、きっと、「仕事については全部ダメ」以外の基準というのが白倉氏にはあるのだと思う。

白倉氏は、その基準に照らして、釣られてみるかという記事はOK、という判断を下しているのだろう。

釣られてみるかの内容についての感想は今は書かないでおく。

「自分では書いてるじゃん!」という批判の例

参考記事

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東雅夫氏のブログでの発言はいただけない

ええと、以下、私が知っている前提。間違っていたらご指摘ください。

以上をふまえて、以下、九月十二日午前三時現在の、幻妖ブックブログの最新記事。

小学館文庫版『妖怪文藝 巻之弐 響き交わす鬼』について、思いのほか早くネットのあちこちで熱い反響をいただき、とても歓んでおります。言及いただいた皆様、本当にありがとうございます。
それは良いのですが、実はちょっと困った事態が生じてしまいました。
同書の解説中で小生は――

もちろん『響鬼』を未見の方でも十分に愉しんでお読みいただける作品ばかりだが、過去と最新の〃鬼譚〃が互に響き交わすことを目 指した編者の企図を十全に味わっていただくには、やはり『響鬼』をご覧いただくに如くはない。放映開始から半年を経過して、DVDの発売も開始されたとこ ろではあるし、どうか騙されたと思って、御一見のほどを――。

……と書きましたが、肝心な個所が抜け落ちておりました。謹んで、下記のとおり訂正させていただきます。

もちろん『響鬼』を未見の方でも十分に愉しんでお読みいただける作品ばかりだが、過去と最新の〃鬼譚〃が互に響き交わすことを目指した編者の企図を十全に味わっていただくには、やはり『響鬼』の第一話から第二十九話までをご覧いただくに如くはない。放映開始から半年を経過して、DVDの発売も開始されたところではあるし、どうか騙されたと思って、第一話から第二十九話までを御一見のほどを――。なお、現在放映中の同タイトル、同キャストによる番組は、第二十九話までとは似て非なる別種の作品なので、ゆめゆめ混同されることのなきよう……。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月11日 14:36

幻妖ブックブログ: お詫びと訂正/『響き交わす鬼』解説中の記載について

第二十九話までとは似て非なる別種の作品というような発言は(これが的を射た批判となっているのかどうか、すなわち、二十九話までと三十話からで、響鬼は変わったのか、面白くなくなったのか、は置いておきましょう)、路線変更・スタッフの入れ替えなどが行われた作品の感想としてよくあるものしょう。今回の仮面ライダー響鬼のプロデューサー降板騒動においても、2ch特撮版!板の響鬼関連スレッド、公式サイトの視聴者感想ページ、個人ブログ、色々なところで言われています。はてなダイアリーでも、「仮面ライダー響鬼」を含む日記から探せばいくらでも似たような発言を見つけることが出来るでしょう。

しかし、まがりなりにも、仮面ライダー響鬼で商売をしている人が、公式に、第二十九話までとは似て非なる別種の作品という発言をするのは、如何なものでしょうか? 実際には、プロデューサーと脚本家以外のスタッフも、キャストも同じ方達です。彼らに失礼だとは思わないでしょうか? 物書きのプロとして、商売の場で、それまで自著の宣伝に「利用していた」仮面ライダー響鬼に対し否定的な発言をする。まずいことをやっているという自覚はないのでしょうか? はっきり言って、物書きとしてのプロ意識に欠けるのではないかと思います。

いや、「響き交わす鬼」は妖怪アンソロジーだ、そこで仮面ライダー響鬼を取り上げたのは妖怪の物語(東氏の表現を借りるならば、鬼譚)として評価したからであり、三十話以降の響鬼は鬼譚として評価出来ないため、上記のように書いたのだと、そういうつもりであったのかもしれません。

三十話以降の響鬼に鬼譚として価値を認め得ない、東氏のその判断に口を挟むつもりはありません(ここでは私の個人的な感想は置いておきます)。鬼譚として認められない作品を妖怪アンソロジーの読者に薦めることは出来ないというのは、理解出来ます。

ならば最初から、「三十話以降の響鬼は鬼譚として評価は出来ない」と書けば良かっただけの話です。第二十九話までとは似て非なる別種の作品などと書く必要があったのでしょうか?

仮面ライダー響鬼には様々な側面があります。鬼譚としての一面はある(あった)のでしょうが、他にも、人間ドラマ、子供向けヒーロー番組、おもちゃ会社バンダイの商品CMとしての一面があります。それらを混同して、仮面ライダー響鬼総体に対し、否定的な発言をするのは(しているように見えるのは)、あまりにもいい加減で大雑把ではないかと思います。評論家&アンソロジストとして発言なさるなら、言葉を選んでいただきたかったところです

仮定の話

これが、あくまで東氏の個人的な感想であったら、と思います。つまり、自らの営業活動(「響き交わす鬼」)と絡めずに書かれていたら、と。それならば、漫画家の上山道朗氏の感想吉田戦車氏の感想と同じように、私は許容出来ました。

あるいは、「響き交わす鬼」が東映に認められた公式関連書籍であったならば、とも思います。そうであったならば、東映やテレビ朝日や石森プロのチェックがあろうがなかろうが、東氏はこのような発言はしなかったでしょうから。

万が一の話

ひょっとすると、これはタチの悪い冗談なのかもしれません。そうだったら、あまりにも書く場所を間違えていると言わざるをえませんが。

結論

新しく響鬼のプロデューサーになった白倉伸一郎氏の言うところの、反ブログ*だと思った。反ブログ反ブログ。流行らないかなこれ。

参考記事(9月17日)

当サイト内での関連記事

2005年09月10日

やばい

情熱に負けそう。理性は何処だ。冷静は何処だ?

それにしても

皆さん例え話がお好きなんですね。

僕と君のアポトーシス

2005年09月09日

手動Now Playing

ここ数日堂島孝平ばっかり聴いてます。

2005年09月08日

はてなカルピス出し

f:id:vooot:20050909014130j:image

汚いし小さいし美味そうじゃない。

寝よう。

あれれ……

「強さ議論」がキーワード化されてないな……。されてると思ったのに……(なんかid:voootさんは?Dキーワードに対して過剰な期待を抱いているようですね)。

カルピスみかんって

おいしいけど、別に「カルピス」ってつけなくてもいい味だよね。

ジェルペダノン株式会社について

今まで知らなかったけど、この会社すげぇ。味の素やカルピスと提携してて、ヤクルトの筆頭株主って……。めちゃめちゃ強そう。いや、「強い」って表現は自分でも良くわかりませんが。

ええと、私の中の格付けでは「ダノン>>>マイクロソフト」みたいな感じになった。今さっき。もっと書くと「ダノン>コカ・コーラ>>マイクロソフト≧ソニー>>>>(壁)>>>KDDI>>(壁)>>講談社=集英社」みたいな。自分でも良くわかりませんが!(基準と目的が)

つまり私は乳酸菌飲料大好きッ子で、強さ議論大好きッ子って事です。

コカコーラとマイクロソフトの間にアップルを入れたかったけどいれなかった私はちょっとチキンなMac大好きッ子だと思う。

2005年09月07日

ジュークボックスの隅を突きます

昨日モーニング編集部に電話し、本日返答を得ました。まだ話し合い中のため詳しい説明は避けますが、結論だけを言うならば、無断引用について編集者からの謝罪を受けました。

[マンガ]モーニングの件

えーと、引用は無断でするものだと思います(参考リンク:「引用」は無断でやるのが当たり前)。今回問題なのは、出所の明示がなされていなかった(=引用の体をなしていなかった=法律的に引用ではない=剽窃)ことなわけで……。

ああ、なんかもうすでにされてそうな指摘。指摘素敵。

参考

無断引用」というのは、「コレは引用です」という『断』り書き『無』しに『引用』していること(=引用であるということを明示していないこと)を言うんだけど。。。

【医療とは?】ブラックジャックによろしく〜16

え、そういう意味で使われるの?

2005年09月06日

誰か作ってくれないかな

ドグラ・マグラ (上)

角川文庫版ドグラ・マグラの表紙のAAってないのかな。ないか。

荒れたコメント欄の例

あーあ、と言う感じ。番組の出来に対してとかじゃなくて(響鬼見てないからね)、単純にコメント欄の荒れ方に対して。あーなんか「荒れる」って表現は微妙に違うような気がしてきた。さほど感情的じゃない書き込みも散見されるし。でも、「劇場版」の公式ブログに、テレビ版の製作体制についてや感想を書くのは明らかに筋違いだし、「荒れた」と言っても間違いじゃない、か?

気になったのは以下のコメント。

こんな空エントリーにコメントしても
エントリーごと削除されるだけですよ。
そして上のエントリーみたいにマンセーコメントだけが
残っていくのでしょう。
暇なブロガーさんや2ちゃんねらーさんたち
コメント保存しておいてね。

でもこういった侃々諤々の反応も大反響!とかファンに賛否両論を呼んだ!
とか白倉井上ラインにありがちな言葉に吸収されていくんでしょうね。
悲しいことです。

名前: × | 2005年9月 6日 午前 06時08分

むしろ保存されると響鬼ファンとしてはまずいんじゃないのかなと思った。勢いで劇場版の公式ブログに「突撃」しちゃうような熱狂的なファン(いわゆる「狂信者」というゆーヤツですね)と、そうしなかったファンがひと括りにされてしまう可能性が……(コメント欄に書き込んでいる人殆ど匿名だし)。今後ずっと2ch特撮!板で、「響鬼信者は痛いんだよ!」みたいなことを言われる材料になってしまうじゃないかなぁ、と。

あ、この人も匿名で書き込んでいるということは、そうやってひと括りにされることを望んでいるのかな?

2005年09月05日

文章書いていると以下略

もういい。

コンピュータに触っていると云々

ええと、ええと、もう寝ますってば!

巡回をはじめると以下略

なんで寝る前に巡回をするんだ。もう寝ます!

エレカシは聴き始めるとすぐに時間が経つ

止められないんだよね。もう寝ます。

CSSを弄り始めるとすぐに時間が経つ

キリがないなぁ。もう寝ます。

肉について

昨日肉が食いたいと書いたら、今日馬肉の大和煮が喰えたよわーい。はてな神(はてなダイアリーに書いた願い事を叶えてくれる。旧支配者(?)。正式名称はここには書けない)のおかげですか。いるんですかそんなの。でもありがとうはてな神。

鳥肉の唐揚げは明日作ろう。

2005年09月04日

なんか今

肉が食いたくなってる。豚か牛か羊か馬。もう鳥でいいや。明日鳥の唐揚げ作ろう。

明日また逢おう、今日は帰ろう

いい加減寝ます。

未だにはてな記法がよくわかんないです

google:"死んだ方がいいよ>自分"

これ良く使われるフレーズだと思って(使って)いたんだけど、一件もヒットしなかった。

google:"死んだ方がいいな自分"

google:"死んだ方がいいよ自分"

こっちは数件ヒット。

google:"死んだ方がいいな俺"

見出しの付け方がわからない

見出しで言いたいことを全部書いてしまうか、あるいは全然内容と関係ないものになるかのどっちかになっちゃうんですけど。助けて。

ああ、この記事の見出しは「有用な見出しの付け方がわからない」にすべきだったな。「内容と関係ないもの」だとしても一応見出しを付けることは出来ているわけだから。そして、この?Dは殆ど誰にも閲覧されていない(「全くない」とは考えないところが楽観主義ですか)ので、「別に見出しが有用じゃなくてもいいんじゃない?」と後ろにいる誰かに言われてしまうわけですね。

でも個人サイトの一番の読者は作者ですよ。

参考資料っていうか

本題とは関係ないんですが

上の文章で二回ぐらい「ブログ」と書きそうになったのですが、その度に消して別の言葉に書き直しました。なんか鉤括弧なしで「ブログ」って書くのが恥ずかしいんですけど。

で、その「ブログ」と書きそうになったところはどこかといえば、まあすぐにわかると思いますが、「?D」と「個人サイト」のところです。

p2

私は引用病(別名イノセンス症候群)患者なので、何か文章書く方は引用出来るような文言を探すところから始めますが、探している間に書こうとしたテーマがどうでも良くなったり、僕の考えと概ね一致してる記事を見つけたり、逆に色々な記事を見すぎて考えがまとまらなかったりして、結局書くのを放棄することが良くあります。というか、半年前ぐらいにあるサイトをやめてからずっとこの状態です。

私が書くべき文章、私だけが書き得る文章なんて、そんなにないんだろうから別にいいのですが(「全くない」とは考えないところが楽観主義ですか)。

今「人は自分が書くべき文章しか書いてはいけないのか」って誰かに言われた。ええと、いけなくないんじゃないですか。ただ私は自分が書くべきだと思えないと文章を書くモチベーションを得られないというわけで。

「じゃあ書かなきゃいいんじゃないですか」ってまた言われた。いや、でも……ああ駄目だ。全然まとまらない。もういい。絵の具を食べて死のう。

自分の気持ちを適切に表現した文章が、自分の文章である必然性はありません。私は何度も「よくぞ書いてくれました」「そうそう、これです、私がいいたかったことは!」といった感想をいただいてきました。素人の場合、自分の言葉の方が信じられない、書けば書くほどずれていく、など珍しいことではありません。

日記=日々の記録であれば、記事の種類によっては表現行為をアウトソーシングしてもよいわけです。いつどこで誰と映画を見た、というメモは自分で書く他ありませんが、映画の感想自体は、どこかで拾ってきたもので足ります。

表現行為の外部委託

窓から虫が飛び込みすぎ

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マジ怖い。

2005年09月03日

すげぇ

考えたり、いろいろお疲れかと思いきや、意外と素で「送ってみました」あたり、なんだか偉大さすごさを感じてしまいました。マジで「送った」のでなさそうな素のあたり(のエネルギー?かな)、私からは尊敬モノです。相手方は「送ってみました」と受け取るものなのでしょうか。こういう場合。

モーの件

全く読解出来ない。

参考リンク

  1. 「ブラックジャックによろしく」に当サイトの文章が? - サイコドクターぶらり旅(2005-09-01)
  2. [ふしぎテクニック][コピペ脳]「ブラックジャックによろしく」にサイコドクターぶらり旅の文章が?の件。 - 絶叫機械+絶望中止
  3. [ネット]サイコドクターぶらり旅のコメント欄の件 - 砂上のバラック
  4. [マンガ]モーニングの件 - サイコドクターぶらり旅(2005-09-06)
余談

そろそろふしぎテクニックのキーワード化希望。