観測者はそのネコを愛している、という仮定を追加する。
そして、重なり合っているのはネコの生死ではなく、観測者の意識だ、と考えてみる。
ふたを開ける前、観測者の意識には「ネコたんが死んでるかもしれない」という深い悲しみと、 「ネコたんは生きているかもしれない」という大きな喜びが重なり合っている。 どちらか分からないし、どちらもありうる。
ふたを開けた瞬間に、悲しみか喜びかのどちらかに意識は確定し、 重なり合いは解消される。
このように「観測者はそのネコを愛している」という補助線を引いてやることで、 この問題は直観的に当たり前の話になるのではないか。(「観測者はそのネコを愛している」というのは本質と関係ない補助的な仮定、 補助線に過ぎないのだが、それに感情移入し過ぎて「愛しているなら実験に使うはずがない」と言う人のためには、 「ところが1億円の超過債務をかかえた社長である彼は、物理に興味がある変な債権者代表に迫られ、おまえのネコの半死半生状態を担保にして、 借金をちゃらにしてやるというオファーを受けた。受けなければ会社は倒産、一家離散、夜逃げ、社員300人が路頭に迷う。 やむにやまれず、確率50%でネコも助かるんだ、これに賭けるしかない、と危ない橋を渡る彼だったが…」)
つまり、観測しようとしまいとネコは生きているか死んでいるかのどっちかに決まっているじゃないかという錯覚を、 観測しようとしまいとわたしがホッとしているかショックを受けているか、どちらか決まっているとおっしゃるのですか! 観測してみるまでは、どっちつかずのハラハラした気持ちに決まっているじゃないですか、非常識な!と簡単に論破できるようになる。
「愛するネコたん」仮定を追加した場合、 問題の本質は「未来は決定論的か」にシフトしている。 本質的には等価なのだが「未来は決定論的か」については「ネコを愛するわたしの身になって考えてください。 決定論的だからハラハラしても仕方ないと言われてハラハラしないで済むわけないでしょう」という一言で案外簡単に相手を説得できる気がする。 説得できるだけで、問題の本質は同じなのだが、この説得の仕方にはちょっと人間原理が入ってる感じがする。
説得できるが、問題の本質は同じということを、さらに突き詰めると、 上の説得方法では、このパラドックスは次の形に要約できる、 ということだ。つまり、「観測者が悟りを開いた人であるかどうかで、物理法則が変化する」。 観測者が「愛するネコですが、すべては神のみこころです」とかいってハラハラしない場合、 「わたしの意識は重なり合っていません。ひとつに澄んでいます」と反論できる余地がある。 しかし、平均的な人はそんなふうに悟り澄ましておらず「ネコを愛している」という仮定を形而下的に解釈するため、 説得がうまくいく。
「検出器の信号で毒ガスを発生させるシステムですが、OSはWindows 95にしていただけないでしょうか」
「なぜですか」
「その方が安心できる割合が増える気がするんです」
「ずるはだめです。Linux を使います」
「そんなぁ;;」
画像の出典: Schrödinger's Cat
ふたを開ける。
観測者「! ガーン死んでる;_;」
おちゃめなネコ「にゃあ」
観測者「てめえ、死んだふりしてたな! 驚かせやがって! 笑(コイツ)」
おちゃめなネコ「ふみぎゅーーーかりかりかり(そっちこそ何という実験するんだ!)」
実験終了後ただちに箱から出してやらなかったのが失敗だった。 ネコがすね、観測者が笑っているその瞬間、検出器が…。
このように、必ずしもふたをあけた瞬間に観測は終了しない。 ふたを開けた瞬間にすら不確定なのだから、ましてやふたを開ける前は不確定だ。 意識が確定した瞬間に確定する、としたほうが実情に合ってるのでは。
意識はいつ「確定」するのだろうか。 「経験」に基づいて、この状態は覆らないと確信したときだ。 経験はすべての現実の可能性より狭い。 ゆえに、覆らないという確信が、覆されることもある。 その場合、いったん確定したはずの意識が二転三転する。
ふたを開ける。
観測者「! ガーン死んでる;_;」
ネコ「ひくひく」
観測者「む、まだ微かに息がある。ガスが出たのはほんの数秒前だったらしい。救命の努力をしよう」
助手「解毒剤を注射しました!」
観測者「助かるだろうか」
助手「それは何とも…。様子を見るしかありません。吸引したのは半数致死量程度です」
観測者「誰だ、ふたを開ける前から確定しているに決まっているなんてぬかしたバカは! 開けた後でも不確定ではないか!」
ネコ「ひくひく」
ふたを開ける。
観測者「やったぁ、生きている!」
ネコ「ぐたー」
観測者「…のか、これ? 様子がおかしいぞ。あっ! ハンマーが斜めにそれてびんにひびが入ってる。ネコが暴れて自分で装置を変に誤作動させたらしい」
助手「微量のガスが漏れたようですね。生命維持装置につないだところネコの心臓は動いていますが、脳死状態です」
観測者「脳死はネコの死か?」
助手「それは、あなたの意識が決めることです」
観測者「それでは、わたしはこう考える。心臓が動いている以上、死んでいるとは言えない。 このネコは生きていると、わたしは宣言する」
助手「本当にそうですか。このネコにはもう二度と意識が戻らないんですよ。精神活動がないんですよ」
観測者「そうか。やっぱり死んでいるのかな。うーむ」
助手「ところで記録を調べたところ、検出器は作動していなかったようです。本来、ネコが暴れなければ、この実験の結果は、 生きている、だったのです」
観測者「そうか。ネコが勝手に暴れたのは偶発的事態だ。実験そのものとしては、やっぱり生きている、という結果だな」
助手「あ、ちょっと待ってください。これ実験開始後しばらくして、記録システムがクラッシュしてますね」
観測者「じゃあ検出器は作動したけれど、記録されなかったわけか。死んでいるに変更だ」
助手「記録システムがクラッシュしたので何とも言えません。クラッシュしなくても記録すべき検出はなかったのかもしれないし」
観測者「どっちなんだよ、もうー!」
観測者「さて、1時間経ったのでふたを開けるかな…。ところで、最近、幻覚がひどくて医者にかかってるんだ」
ふたを開ける。
助手「どうでしたか」
観測者「ネコ自体が見える」
助手「えっ? ネコ自体?」
観測者「うん、現象してないネコ自体」
助手「死んでるんですか?」
観測者「死んでいるというのはひとつの現象、ひとつの現れでしょう」
助手「おっしゃる意味が分かりませんが」
観測者「いやー最近、幻覚がひどくって」
助手「で、ネコは生きているんですか、死んでいるんですか」
観測者「観測してもしなくても、生死は確定しているんでしょう。だったら尋ねる必要ないじゃありませんか」
助手「でも気になります」
助手、箱の中をのぞきこみ「あっ」と叫ぶ。(幕)
読者「どうして、そんな中途半端なところで幕なの」
観測者「いやー結末を考えてなくってサ」
読者「ネコたんがどーなったか気になるよー」
うにゅう「どや、見てみい! 意識が確定するまで事象は収束せえへんやろ? 『箱を開ける前から』ちゃうやん」
完
アインシュタイン「我々が見ていないときに月は存在していない、というのはおかしい」
エレウェモス「一秒間目を離してまた見ても、たぶん、月はそこにあるでしょう。でも一年では? 百万年では? 十億年では? 次に観測して確認するまでの間、それが本当にあると証拠もなしに確信できるほうがおかしい」
アインシュタイン「神はさいころを振らない。そんなことは絶対に許されない」
エレウェモス「神に指図するつもりですか」
神「やつにその考えを吹き込んだのはおれさ。……そういう目が出たんでね」
超神「神よ、おまえのさいころを決定論的に支配しているのはおれさまなんだぜ」
著者「おい、おまえら、朝っぱらから脳内でけんかするな! うるさくて仕方ないから文章にしてウェブ上に追い出してやれ」
文章「というわけで、わたくしこの文章です」
カント「ああ、天なる星の運行と、我が心の内なる道徳律…」
柄の悪い人「あん? お前の道徳はバタフライ効果で結果が揺らいで最後に爆発するたぐいか?」
……
著者「速く次の行を送ってくれ」(誰に言ってんねん?!)
……バッファリング中……25%……45%……
「3囚人問題」を小学校高学年以上を対象に、 感覚的に説明します。 難しい数学の知識は必要ありません。 中学生以上のかたは、もっと分析的な説明(別記事・準備中)と合わせて、両面から理解を深めてください。
「ろうやの中に、3人の囚人A、B、Cがいます。
3人のうち、二人は死刑になりますが、一人は死刑にはなりません。
そうです、3人のなかで死刑にならず、命が助かるのは、一人だけなのです。
三人の中から誰の命を助けるかは、
囚人Aは、考えました。自分が助かる確率は3分の1だ。約33%だ…。そして、看守にこっそり言いました。
『ところで、BとCのなかには、死刑になる人が少なくとも一人いますよね。
BとCのうちで、死刑になる人の名前を一人教えてください』
看守は『Bは死刑になる』とAに耳打ちしました。
この答えを聞いてAは大喜びしました。『死刑にならずにすむのは、自分かCかのどちらかだ。助かる確率が2分の1になった。
50%に増えたぞ!』
Aの考えは間違っています。Aが助かる確率は3分の1のまま変わっていないのです」
これが3囚人問題です。
後で説明するように「確率が3分の1のまま変わっていない」ということは、理論上では、ハッキリ説明がつきます。 感覚的に分かるかどうかは、別問題です。 多くの人は「感覚的にも当たり前」と思うのですが、 「2分の1になった、というAの考えで正しいのでは」と感じる人も多いのです。 これは「感じ方の違い」なので、どちらが正しいというわけでもないのですが、 理論と感じ方が違うとしたら、すっきりしないですね。
それに理論的に正しくないことを「正しい」と感じてしまうのは、
要するに「
まずは次の話「ドラえもん・のび太の三択」を読んでください。 これを読むと、ますます混乱してくるかもしれませんが、これは「答えを出してもらうため」のものではなくて、 後から説明するためのお話なので、分からなくても心配ありません。 その後のセクションでは、すべての謎が解けて、すっきりできるようにしてあります。
のび太が国語の宿題をやっていると、次のような問題があった。
問題: 次の語句はどういう意味ですか。いちばん近いと思うものをA、B、Cの中から選びなさい。
春子さんがそんなことを言うなんてかたはらいたい。
A. せつなくて、そばにいてあげたい気分だ。
B. 肩がこるうえ、笑い過ぎて腹筋が痛い。
C. とてもばかばかしく、あきれてしまう。
のび太は、どれが正解だかまったく見当がつかなかった。
のび太「分からないから、適当に選んでおこうっと。確率3分の1で○になると思うよ」
ドラえもん「のび太君、宿題はまじめにやらなければだめじゃないか」
のび太「じゃあヒント! どれか一つが正解ってことは、二つは間違いってことだよね?」
ドラえもん「うん…そういうことになるね」
のび太「ってことは…BかCかの少なくともどっちかは間違ってるんだよね」
ドラえもん「そうだね」
のび太「それじゃあさ、どっちかが間違ってることは確かなんだから、BとCのどっちが間違ってるか教えてよ」
ドラえもん「だめだよ、宿題は自分でやらなきゃ」
のび太「だって、どっちかが間違ってることは分かり切ってるんだから、どっちが間違ってるかくらい教えてくれたっていいじゃないか。ヒントちょうだい!」
ドラえもん「仕方ないなあ。じゃあ言うけど、Bは間違ってるよ」
のび太「ってことは、正解はAかCだな。やった、これででたらめに選んでも確率2分の1で○だ」
問1. のび太の主張は誤っている。正解はAかCだが、確率は2分の1ずつではない。 確率的にはAとCのどちらを選ぶほうが有利か。
問2. ふたりの会話が次のようだったとしたら、のび太の主張は正しい。何がどう違うのか分析せよ。
のび太「分からないから、適当に選んでおこうっと。確率3分の1で○になると思うよ」
ドラえもん「のび太君、宿題はまじめにやらなければだめじゃないか」
のび太「じゃあヒント! どれか一つが正解ってことは、二つは間違いってことだよね?」
ドラえもん「うん…そういうことになるね」
のび太「ってことは…Bは間違ってるかもしれないんだよね」
ドラえもん「そうだね」
のび太「それじゃあさ、何となくBは間違ってる気がすんだけど…やっぱり間違ってる?」
ドラえもん「だめだよ、宿題は自分でやらなきゃ」
のび太「だから自分でやってるじゃないか。自分でやってBは何となく間違ってる気がする、ってことを確認したいんだってば! ヒントちょうだい!」
ドラえもん「仕方ないなあ。じゃあ言うけど、Bは間違ってるよ」
のび太「ってことは、正解はAかCだな。やった、これででたらめに選んでも確率2分の1で○だ」
難しいですね。前半と後半で何が違うのでしょうか。前半では
「BとCのなかに×が一つはあるはずだから×のやつを教えて」
と頼んでいます。後半では、もっと単純に
「Bは○か×か教えて」
と頼んでいます。
それだけの違いが、そんなに重大なのでしょうか?
前半のパターンのようなヒントがもらえるなら、 問題が難しすぎてまったく分からなくても、確率3分の2で正解を出せます。
ただし、次の作戦を知っていれば、です。
まず、A、B、Cのうちどれか一つは○で後の二つは×なのです。 常識では当たり前のことですが、ハッキリさせておきましょう。 (上のお話ではあいまいでしたが。)
どれが正解かは分からないけれど、これは絶対×だな、と分かる選択肢が一つあったとします。 その場合、残りの二つのうちのどっちかが○なので、 あなたは、ドラえもんにその二つを示して「この二つのうちで×はどっち?」と尋ねればいいのです。 一つは最初から絶対×だと分かっていて、 二つにしぼれました。 その二つのうちのひとつが○でひとつが×ですが、 どっちが×かはドラえもんが教えてくれるので、 100%正解にたどりつけます!
でものび太君は、これは絶対×だな、という判断ができません。 どれが正解だが、まるで見当がつかないのです。
そこでのび太君にとってベストの作戦は、こうです。 もうどれでもいいから、めちゃくちゃに二つ選んで「この二つのうちで×のやつを言ってよ」とドラえもんに頼むのです。 そして、その二つのなかから、ドラえもんが「これは×だよ」と教えてくれたのではない方を選ぶのです。
最初にでたらめに二つ選んだなかに、○があったとしよう。その場合、上の選び方をすれば正解になりますよね~。
だって、でたらめに二つ選んだなかに○があったってことは、選んだ二つの選択肢は○と×ってことだから、 ドラえもんが×と言わなかった方が○でしょ?
最初にでらめに選んだ二つが両方とも×だったとしよう。その場合、ドラえもんがヒントとして「これは×だ」と教えてくれるのがどっちであっても、 もう一方を選んだらそれも×です。 最初に×と×を選んでしまった場合です。 この場合は、もう運が悪かったとあきらめるしかありません。作戦失敗です。
でも、最初にでたらめに選んだ二つのなかに、○が入っていれば正解にたどりつける!ということは、 すごく有利なのです。三つのうち二つ選んでどちらかが○なら100%勝ちなのだから、確率3分の2で○になります。
なぜか。
最初に一つのけものにして二つにしぼるとき、のけものにした一つが○であったら、この作戦は失敗しますが、 のけものにした一つが×であったら、この作戦は必勝です。のけものは三つの中から一つ選ぶのだから、 運悪く○をのけものにしてしまう確率は3分の1。 でも、それ以外の場合、つまり残りの3分の2の確率で、この作戦で確実に正解にたどりつけるのです。
のび太君にとってベストの作戦だ、というのは、まあだいたいそういうことです。
お話の前半では、のび太は「BとCのうち×が一つはあるはずだから、それを教えて」と頼み、ドラえもんは「Bは×だ」と答えたわけですから、 のび太は「Cにかける」のがトクで、そうすれば確率3分の2で○になります。言い換えればAが○である確率は3分の1しかありません。
ただ、ここでビミョーな問題があるのですよ。 もし、のび太がこの作戦を思いつければ、確かにのび太は3分の2で○になります。 つまり、第三者が冷静に観察した場合、このような「ヒントのあげかた」を繰り返した場合、 のび太は最初に選んだ二つのうちでドラえもんが×と言わなかったほうを選んだほうが、○になる確率が高いです。 でも、のび太君は、そのことに気づかずに、いつまでも残りの二つのなかから、でたらめに選び続けるかもしれません。 もしのび太がそういう行動をとると、のび太が○になる確率は平均して2分の1にしか、なりません。
どうしてだか分かりますか。
(1) 「二つ選んだうち、ドラえもんが×と言わなかったほう」は確率3分の2で○です。これを選ぶべきなのです!!!!
(2) 「最初に二つ選んだときに残った一つ」は確率3分の1で○です。これを選ぶと平均的にはどんどん損をします!!!
もし、のび太がこの重大な事実に気づかず、(1) と (2) をでたらめに選択し続けると、確率は3分の2と3分の1の平均で2分の1になってしまいます。 せっかく3分の2で○、全体では66~67点くらいの、まあまあの点をとれるはずが、50点くらいになってしまうのです。 50点でもまあいいけれど、(1) ばっかり選ぶ作戦を使えば70点くらい行けるのだから(あくまで確率だから、実際には運もあるけどね)、 違いは大きいでしょう? さらに、ひどい可能性もあります。 のび太が何をどう考えたのか、(2) ばっかり選ぶと、のび太は33点になってしまいます! これは大変です。 ママのかみなりが待っています。
まとめると、お話の前半のようなヒントの出し方で×を一つ教えてもらえるなら、 残った二つの選択肢について、どっちが○か?というのは確率2分の1ずつではなく、 「3分の2」と「3分の1」になります。でも、その事実をのび太が活用できるかどうかは別問題です。
一方、お話の後半のようなヒントの出し方では、単に「Bが×だ」と分かるだけでAとCについては何の情報もないので、 どちらを選んでも○になる確率は2分の1です。こっちは当たり前で、分かりやすいですね…。
重要なのは、お話の前半と後半で、のび太はよく似たヒントをもらっているようですが、
似ているようでも、ちょっと違いがあるってことです。
(1) 前半のヒントでは確率が3分の2と3分の1になる。ただし、のび太がそれに気づけないと結果的には平均2分の1ですが…
(2) 後半のヒントでは確率が2分の1ずつになります。(1) のような、特別な作戦は必要なく、感覚的に分かりやすい結果となります。
(実はこの場合も、のび太の勝率は2/3です…)
3囚人問題にもどって考えると
(1) 「BとCのうちで死刑になる人の名前を一人教えてほしい、と頼んで、相手がBだと答える」ということ
(2) 「Bは死刑になるのかどうか教えてほしい、と頼んで、相手がBは死刑になると答える」ということ
は、似ているようですが、意味が違うのです。
もう分かったでしょう。この二つのことをごっちゃにすると、勘違いにおちいるのです。
3囚人問題では、BとCを選んで (1) の尋ね方をしています。だから看守が「Bは×(死刑)」と答えたあとでは、 Cが○の確率が3分の2であり、Aが○の確率は3分の1です。
もし(2)の尋ね方で「Bは×」という答えを引き出していれば、 Aが○である確率(死刑にならないですむ)は2分の1に増えていました。
ではAは(2)の尋ね方をした方がトクだったでしょうか。
あなたがAの立場になって考えてみてください。
(2) の尋ね方で「Bは死刑になりますか、なりませんか」と尋ねたとします。 看守が「Bは死刑です」と答えたら、確かにあなたが助かる確率は2分の1にアップします。 でも、看守が「いいえ、Bは死刑になりません」と答えたら、その瞬間、あなたは確実に死刑決定です。 だって3人のうち二人は死刑で一人だけ助かるのですから、Bが助かると分かったとしたら…。
だから (2) の質問は、Aの立場では、怖いですね。運が良ければ助かる可能性がアップするけれど、 運が悪いと答えを聞いた瞬間に自分が×であることが決定してしまいます。
(1) の方法で「BとCのうち死刑になる人を一人教えてほしい」と尋ねておけば、看守が何と答えても、まだ自分が○である希望は残ります。
つまり (1) の尋ね方では、看守が何と答えても「損」はありません。
ルーレットなどを考えてください。 どういう目が出ても損はしないで、絶対にトクだけするようなかけ方があるでしょうかね。 いかさまなどはないとして、 確率にしたがって、フェアに計算する限り、ないですよね。
(1) の尋ね方では、どういう目が出ても損はしないけれど、トクもしないのです。 ルーレットで赤と黒にそれぞれ金貨1枚かけたようなものです。 当たると金貨は2倍になるのです。赤が出れば赤にかけた1枚が2倍になるけれど、黒にかけた1枚は没収。 逆の場合も同じこと。2枚かけて2枚戻ってきます。
(2) の尋ね方では、結果によっては大ショックだけれど、結果によってはトクします。 赤だけに1枚かけたようなものです。
いちばんはっきりするのは、Aが「わたしは死刑になるのですか」と尋ねた場合です。 これは全財産を何かに賭けたようなものですね。答えが「はい」なら100%×ですが、 答えが「いいえ」なら100%○で、もう悩む余地はありません。
要するに、確率の勝負でトクをしたければ、それに対応したリスクを負わなければならない、ということです。
「Bは○ですか」という尋ね方は確率3分の1で自分の死が決定する怖いかけです。でも確率3分の2で自分が○である割合が増えてトクをします。
「自分は○ですか」という尋ね方は、もっと怖いかけです。
確率3分の1で自分が助かることが決定しますが、
確率3分の2で自分が死ぬことが決定します。
かけに負けたときの大きな損害をかくごすればするほど、かけに買ったときのトクも大きくなるわけです。
当たり前のことですね。
のび太の三択では、ヒントのもらい方しだいで、「作戦」が必要になります。 一見、正解になる確率は2分の1のようなのに、確率3分の2で正解になる作戦があることを説明しました。
のび太がこの重大事実に気づけるかどうかは別問題ですが、のび太が気づいても気づかなくても事実は事実です。
3囚人問題は、それと同じパターンなので、一見2分の1ずつと思うかもしれませんが、確率は3分の1と3分の2にかたよっています。 多くの人は「感覚的にも当たり前」と思うのですが、 「2分の1になった、というAの考えで正しいのでは」と感じる人も多い。
ですが、3分の2と3分の1にかたよっていることを理解できてもできなくても、事実は事実です。 のび太の場合と同じです。
今回の説明は人によっては分かりにくかったかもしれません。 じつは、数学的には、今回の説明は、良くないのです。 この考え方では似たような別の問題での応用がきかないからです。
そして応用がきくような、本格的な理解の仕方も、じつは、そんなに難しくありません。 むしろ、そっちの説明をきいたほうが、さらにすっきりするかもしれないくらいです。 そして、本格的な考え方で取り組むと、3囚人問題に「問題としてあいまい」「ちょっと出題ミスみたい」な部分があることまで、 くっきり分かります。
それについては「変形3囚人問題」という話題と合わせて、問題を一般化しながら、次回以降にお話したいと思います。
細かいことですが、今回の説明の仕方では、前半パターンで「のび太にとってのベストの作戦」と言いましたけれど、 より良い作戦が存在しないことは証明されていません。 「後半パターンの場合に、うまい作戦がない」ということも証明されていません。 「前半パターンが2分の1ずつにならないこと」は今回の説明でも十分ですが、 数学的には少し穴がある説明でした。
A、B、Cの一つが○で残り二つが×である三択を、のび太に解かせます。 のび太は、正解の見当がつきませんが、ドラえもんに「BとCのうち×のやつを言わせる」ことでヒントを得ます。
例えばドラえもんが「Bは×だよ」と答えた場合、何となく「じゃあAかCのどちらかが○だから、確率1/2で正解できる」と思うかもしれません。 ところが、この条件で、のび太には、確率2/3で正解できる道があるのです。言い換えると、ドラえもんが「Bは×だよ」と答えた場合、 Aが○である確率とCが○である確率は1/2ずつではないのです。
実際にシミュレーションしてみましょう。
デモ1では1000問のドリルをのび太にやらせて、「のび太三択」で、のび太は実際に、確率2/3で成功することを実演します。 のび太の戦略は単純、「bとcで×のやつを教えて」と尋ね、ドラえもんが×と言わなかった方が○だ、と言い張るだけ。 何度かリロードして、正解がランダムに入れ替わっても、結果が同じになることを見てください(実際には確率なので運次第で多少変わりますが)。
「Aが○のとき『BとCのうち×のやつを教えて』に対してどう答えるか」の偏り方を示すμは、 毎回ランダムに設定されますが、このことは結果に影響を及ぼしません。 「Aが○のとき『BとCのうち×のやつを教えて』に対してどう答えるか」と無関係に、同じ結果になります。
デモ2ではμと無関係に、 のび太の戦略が成功することを、もっと直接的に実演します。 μを10回、ランダムに変動させ、それぞれについて10000回ののび太三択を実行し、結果を調べます。
デモ3では、デモ1のような戦略を使わないのび太を登場させて、残りの二つ(どちらかが○)から、ランダムに選択させてみます。 当たり前のことですが、のび太が戦略を知っていてもいなくても(使っても使わなくても)確率は変化しません。
このデモは、上記の尋ね方では、Aが○である確率が1/3であることを示します。 のび太に絶対にAを選ばないようにさせると、のび太は2/3の正解率を達成します。
正解はcです。 のび太「bとcで×のやつを教えて」 ドラえもん「bは×だよ」 のび太「じゃあぼくはcを選ぶよ」 のび太は正解しました! - 正解はbです。 のび太「bとcで×のやつを教えて」 ドラえもん「cは×だよ」 のび太「じゃあぼくはbを選ぶよ」 のび太は正解しました! - 正解はaです。 のび太「bとcで×のやつを教えて」 ドラえもん「cは×だよ」 のび太「じゃあぼくはbを選ぶよ」 不正解です! (中略) 問題数 = 1000 μ = 0.7698000387149905でした。 のび太の正解率 = 67%
このデモでは、BとCの両方が×のときドラえもんがどういうふるまいをするか、と無関係に確率が定まっていることを実演します。
μ = 0.6297454537753463 Probability = 0.6659 --- μ = 0.5012360083052511 Probability = 0.6653 --- μ = 0.7370168976886045 Probability = 0.6617 ---
このデモでは、デモ1のような「良い作戦」があることをのび太が知らないとしても、 この条件で、Aが正解である確率は1/3に過ぎないことを示します。 のび太がAを選んだときは「分の悪い選択。そっちが○である確率は1/3なのに!」というコメントが出ます。 実際、Aを選んでしまうと正答率は1/3になります。
正解はbです。 のび太「bとcで×のやつを教えて」 ドラえもん「cは×だよ」 のび太「じゃあぼくはbを選ぶよ」 良い選択。そっちが○である確率は2/3です!! 良い選択の結果、のび太は正解しました! - 正解はcです。 のび太「bとcで×のやつを教えて」 ドラえもん「bは×だよ」 のび太「じゃあぼくはaを選ぶよ」 分の悪い選択。そっちが○である確率は1/3なのに! 分の悪い選択の結果、不正解です! - 正解はaです。 のび太「bとcで×のやつを教えて」 ドラえもん「bは×だよ」 のび太「じゃあぼくはcを選ぶよ」 良い選択。そっちが○である確率は2/3です!! 良い選択でしたが、不正解です! - 正解はbです。 のび太「bとcで×のやつを教えて」 ドラえもん「cは×だよ」 のび太「じゃあぼくはbを選ぶよ」 良い選択。そっちが○である確率は2/3です!! 良い選択の結果、のび太は正解しました! (中略) 問題数 = 1000 μ = 0.2601259835911225でした。 確率2/3で○の側を選んだとき、のび太の正解率 = 350 / 507 = 69.0335305719921% 確率1/3で○の側を選んだとき、のび太の正解率 = 166 / 493 = 33.67139959432049%
「○である確率は半々でなく 2/3 と 1/3 になっている」という事実をのび太が知らなくても、 このように、確率は冷酷にのび太を支配します。
デモ4ではμを0から1まで一定幅で変えながらそれぞれ1万回ののび太三択を実行し、 μの大きさがデモ3の結果に影響しないことのだめ押しをしています。
「三択でどれか一つ×の選択肢を教えてもらえると正解の確率は1/2ではなく2/3」…というわけではないです。 「どれか一つ×の選択肢を教える」だけだったら1/2です。 「この二つの中で×のやつを教えて」だったら2/3なんです。 それだけの微妙な違いで何で…?と思うかもしれませんが、 その説明は「ドラえもん・のび太の三択」の考え方を見てください。
でも「後半タイプ」は上記「どれか一つ×の選択肢を教えて」という尋ね方のほうが良かったかもしれませんね…。 「Bが○か×か教えて」だと、Bが○だったときに100%正解できるので、言葉の問題として、それじゃ「ヒント」じゃなくて「正解」を教えてることでは、 と因縁つけられそうなので。 もっとも「前半タイプ」でもいわゆるμの設定では100%正解が分かるヒントが出るので同じことですし、 推理ゲームでは「このヒントで論理的に正解が完全に分かった」というのはありうるので「ヒント」という言葉が間違っているというわけでもないです。
のび太三択の前半と後半のたとえ話は、 掲示板の1992、 1993でいただいたフィードバックをそのままモデル化したものです。 掲示板では箱のなかの玉の話になってました。
μというパラメータについては、まだ記事にはしてませんが、BakaMemoにメモあり。