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「猫イラズ」訴訟、愛猫団体の請求を棄却

2000年8月11日

京都府の愛猫家団体「シャ・カッツェ」が、特許庁と東京の成毛製薬株式会社を相手に起こしていた殺鼠剤(さっそざい)の商標名「猫イラズ」の使用の差し止めを求める裁判で、10日、東京地方裁判所の森義之裁判長は、「猫イラズの呼称は既に広く通用しており、差し止めによる訴えの利益が認められない」として、原告の請求を棄却した。また、慰謝料の請求について、「原告らに多少の精神的苦痛が生じていることは認定できる」としながらも、「被告側に予見可能性はないうえ、『猫イラズ』は表現の自由の範囲内。その一語をもって過失を認めることは、むしろ『言葉狩り』につながる」として退けた。

愛猫家団体「シャ・カッツェ」では「猫イラズ」の名称は猫に対して侮蔑的であり、動物愛護の精神と公序良俗にもとるのみならず、実際にはネズミ駆除の薬剤であるのに猫駆除の薬剤であるかのごとき誤解を与える不当表示にあたるとして、名称の使用差し止めと3000万円の慰謝料の支払いを求めていた。同団体が全国の愛猫家に対して行った意識調査でも、「猫イラズ」の名称を「非常に不快」と感じる者が73%、「不快」「どちらかといえば不快」とあわせると99%の者がこの名称を不快語であると感じている。また、愛猫家を含む一般人のなかにも「猫イラズ」を殺鼠剤ではなく野良猫をよせつけないための薬と誤解している者が多いと分かったことから、提訴に踏み切った。

これに対して、成毛製薬広報室では、「確かに猫イラズを猫駆除用製品と誤解されている方もいるようだ」としながらも、「この商標が登録された大正1年には、猫はネズミ退治の益獣という認識が一般的だった。つまり、益獣である、いわば『猫様』の助けを借りなくてもネズミを駆除できる、という意味であり、なんら猫に対して侮蔑的な含みはない」とコメント、「猫イラズとはネズミ駆除に猫が必要ではないという意味であって、その家に猫がいてはいけないという意味ではない」と反論している。

ネズミ愛好家団体「ぴかもん」では、この問題について内部で意見の対立が生じている。「人間の一方的な都合ばかりで、猫は益獣でネズミは害獣という図式的な切り分けは好ましくない」との点ではほぼ一致しているものの、「猫イラズとは、猫などいなくても、ネズミはネズミで生きていけるのだ、という自主独立の精神を表していると受け止めるべきで、そんなことでいちいち目くじらを立てるほうが愚劣」との少数意見も根強い。猫代表のラフィエル氏も「猫ハラ? フッ、猫イラズと言われようが猫の手も借りたいと言われようが、猫は猫。そんな低劣な争いに興味はないね。猫イラズという言葉が気にくわないなら、猫がいなければ生きていけない哀れなヤツと呼んでやるよ」と冷笑する。

実際、「ぴかもん」と「シャ・カッツェ」では、アメリカのアニメ「トムとジェリー」をめぐって、けんけんがくがくの対立がある。もっとも、「シルベスター&トゥイティー・ミステリー」に関しては、愛猫家団体でさえ「あれは猫ちゃんが馬鹿だ。トゥイティーは、かわいい」との意見が大勢をしめる。

アメリカ労働省は Microsoft との間で3年間の独占的なインテリマウス調達契約を結んでおり、今やネズミ(マウス)もインテリの時代だ。猫イラズの時代になっても、もはや現代人はマウスなしでは生活できないだろう。


味覚の冒険

2000年8月18日

みんなきてKOIKOI

「なんじゃこりゃ! 衝撃の味が完成しました。完全に訳がわかりません。まず苦い!しかし甘い!そしてスッパイ!そして塩味!人類が体験した事が無い味だと思います」

カップラーメンを作るには熱湯を使う。熱湯とは水をわかしたものだ。だが、みんなきてKOIKOIは違う。考えつく限りのありとあらゆるものを湯のかわりに用いカップラーメンを作り、試食する。ビール、緑茶、ユンケル……。上記の引用は、液状の合成甘味料シュガーカットを電子レンジで沸騰させ、それを湯のかわりにしてカップラーメンを作ったときのレポートより(その9収録)。必ずしも奇行を目指しているわけでもなく、牛乳で作ったカップめんは、びっくりするほどおいしいという真面目なレポートもある。トマトジュースで作っても、いけるらしい。

バニラエッセンス(だけ)で作るラーメンは怖い。「まずいと言う言葉が出る前にパニックになる。完全に物事を考える事が不可能なくらいマズイ!いや、これはマズイなんて言葉で表現する事自体が愚かであろう……匂いは甘いままなのが犯罪です」(その8収録)。

KOI2氏の文章で特徴的なのは、誤字脱字が平然と放置されていることだ。一気呵成(いっきかせい)に書き上げ、ほとんど読み直さないようだ。カップめんの食べ方と似ている。誤字の性質から、(かな入力でなく)ローマ字入力を使っていることが分かるが、ミスタイプの多さも、このサイトの一種「のほほん」とした天衣無縫な独特の味を高めているようだ。

突撃実験室

ドライアイスも出てくる。しかし、冷たい料理なら、突撃実験室液体窒素でお料理のほうが徹底しているかもしれない。突撃実験室のレモンの皮むきにあるレモネードの話もおもしろい。「この液体を少量、恐る恐ると口に含んだ直後には、脳はこれを一般的な美味しいレモネードであると認識した。何だ、意外と普通にいけるじゃねえか。それまであった不安や迷いは一気に解消され、次は大胆かつ大量に、口へと流し込む。だが」……詳細は上記リンク先をお読みいただくとして、筆者は結論づけている。「脳をまんまと騙し、瞬時に中枢異常を来すこの液体は、飲み物ではなく麻薬として分類する方が適切である」と。


実験2:いたずら電話の主と仲良くなる

2000年8月18日

「みんなきてKOIKOI」で、カップめんと並んでおもしろいコーナーは、チャレンジ実践コーナーだ。なかでも無言電話と話すいたずら電話とコミュニケーションをする、およびその続編、2000年5月17日。決戦当日の3本をおすすめする。

「今の天皇は伊集院陛下だ」と叫ぶいたずら電話の主。一般人なら当惑し、相手は頭がどうかしているのだ、と片づけてしまうかもしれない。だがKOI2氏は相手のロジックを察知し、すかさず「お前はときめきメモリアルのやりすぎに決定」と逆襲する。一般のギャラリーの理解を超えた戦いである。「自分は天皇の子だ」とか「東大を受験するのだ」といった「幼稚で通俗的な価値観」にもとづく相手を、KOI2氏は、あざ笑う。だが、読者は忘れては、いけない。KOI2氏も、カップめん編では、電話の相手に「もしもし、ペンタゴンのCIAから秘密の電話をホワイトハウスのホットライン経由で君の家に電話している。私はFBIのブッシュ・クリントンだ」と名乗り、自分のことを「君の数千倍の知能指数を持つ」と言っているではないか。

いたずら電話の主「俺と詩織は恋人だ! いいか詩織は最高の女だ。俺を理解してくれるんだよ。おまえもやった事あるならわかるだろ」
KOI2氏「詩織とは仲がいいのか?どっちが告白したんだ?」
いた「詩織だ!」
KOI「お前勉強出来て容姿端麗でスポーツ万能か?」
いた「スポーツは苦手だ!」
KOI「詩織って3つが万全じゃないと告白してこねーぞ?」

……一部略したが、いたずら電話をかけてきた人も、KOI2氏も、基本的に同じ世界観で話している。少なくとも、世界観を理解しうるものとして共有している。「ゲームの中での自分」と、「現実の自分」を、ある程度、同一視することだ(これができなければゲームは、おもしろくないのだが)。例えば「スポーツは苦手」というのがゲームの主人公の属性なのか現実の自分のことなのか判然としない。この電話の会話がおもしろいと思えるとしたら、おそらく、自分自身「ゲームにハマりすぎるとこうなるかも」という手ごたえが実感できるからだろう。そうでなければ、単に会話が意味不明だろう。

そして、この世界の本質は、徹底的な一人称ではないかと思う。

我々が信じる現実世界においては、「いいか詩織は最高の女だ。俺を理解してくれるんだよ。おまえもやった事あるならわかるだろ」という質問は成り立たないだろう:「ああ詩織は最高の女だ。オレもやったことあるから知ってるぞ」「なんだと。おまえ、オレの恋人に手を出したのか」とかえってケンカになったりしそうだ、が、この一人称的世界では「ああ詩織は最高の女だ。オレもやったことあるから知ってるぞ」「だろ!」と意気投合できる。何しろこの世界を統治するのは俺様なのだ。この世のものは、すべて俺様の意向に従うのだ。俺様が詩織がいいといったら、いいのだ。俺様が論理なのだ。この論理が分からないヤツは俺様の原稿を読むんじゃねえ。俺様の言ってることが理解できるヤツだけが俺様の言うことを聞く資格があるのだ。俺様は大統領なのだ、偉い博士なのだ。この世界は俺だ。世界など革命せんでいい。……ということで理解しなさい。

というわけで、いたずら電話をかけてきた変な人をして「生きてるんだ!彼女は確かにいるんだ!お前なんかに何がわかる!お前みたいに人生がつまらない人間に何が判るってんだよ……(なぜか最後は涙声)」と言わしめ、泣かせてしまったのは、かわいそうである(ちなみに、この言葉でも「お前」といっても、結局、一人称しかないような気がする)。ためらいもなく、とつぜん自作の詩の朗読を始めるのも無邪気なら、「この詩を読めば分かってもらえる」と信じているところもナイーブだ。痛ましいまでにナイーブだ。こういう子を傷つけるのは、かわいそうだ(と同情めいたことを書くときの「こういう子」という三人称は、だいたい半分は一人称なのだ。でなければ「シンパシー」にならない。この括弧内は意味不明かもしれないが、書いておくことに意味があると信じているのだ(笑))。

直後に裏切られるとも知らず、「だってかけてくるっていってたじゃん」と答える無邪気な信頼が、いじましい。一分前には鬼になると決意したKOI2氏ですら、にわかに自分のほうが悪いと感じたのか「気が引ける」と漏らしている。

この電話が録音されておらずライブ中継もされていなければ、どうなったろう。録音してあとでネタにするつもりでなければ、KOI2氏もここまでハッスルしないだろう。私小説作家がおちいる「生活演技」の問題だ。くちが悪い人は「日記奴隷」とも言うが。

KOI2氏はテープをおこした文章の途中で、何度も「皆さん感染しない様にして下さい」と注意を喚起する。読まされる読者も頭が変になるのではないか、と本気で心配しているようだ。だが我々から見ると、たしかにどちらも変わっているとは思うが、だからといって自分も変になりそうだとは思わない。どちらのセリフも、距離を置いて、いちおうなるほどと思えるだけで、自分を見失うほどの混乱は感じない。「なるほど」と思うほうがおかしいのか、「この文章を読むと気が変になる」と本気で心配するほうがおかしいのか、そのへんは、みなさんひとりひとりがご自由に判断してほしい。もっとも、KOI2氏が「気が変になりかかった」のは理解できる。怪電波に共振する同じ波長の琴線があるのだろう。それは、カップめんコーナーを読むとよく分かる。分かるということは自分もある程度「そう」なのだが……

いたずら電話の主の「詩と日記のホームページ」は、きっと狂おしいばかりに清浄な世界なのだろう。この人は、いたずら電話をしておきながら、正直に本名や自分の電話番号をうち明けるが、自分のサイトのURLは言わない。現実の本名などより大切な世界なのだろう。KOI2氏が、もっと日数をかけてこの人と本気で仲良くなって、うまく幻のURLを聞き出してくれたら良かったのにとも思うが、そうやって聞き出したサイトをネタにすることこそ、完全な裏切りだろう。結局、KOI2氏がこのいたずら電話を撃退したのは、一種の優しさ(あるいは自己保身)だったと思う。

魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、
気をつけねばならない。
深淵をのぞき込むとき、
その深淵もこちらを見つめているものである。

――ある少年(酒鬼薔薇として知られる)の作文より。元はニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」だそうだが、レスラーの『FBI心理分析官』(早川書房)からの孫引きだろう。

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