2001.07.31 - ポリュペーモス考。那月かおり様が、
なかなか詩人でありますね、ポリュペモスくん・・・。
カラオケ教室で鍛えていれば、なにげにガラテイアの心を揺さぶったかも・・・
なんて、カラオケに励む一つ目巨人なんてもっと怖いけど(^^;)。
好きな人の為にけなげになっちゃうとこはすごいと思いましたが、
髪の毛あったんですね、彼にも!!(爆)
なんとなく、はげ頭に角かなんか生えてるイメージが強いです、一つ目巨人と言うと・・・(^^;)。
でもアーキスは川の神として甦ったわけではないのですね。
川として存在してるって感じでしょうか。ちょっと切ない・・・。
1703年版の挿し絵は↑こんなで、さりげに髪が描き込まれてます。オウィディウスは「髪をとかした」と歌っているので、当時のイメージとしては、巨人に髪があったのでしょう。しかし付近の家畜から大きさを想像すると、こやつが歌えばどんな甘い恋歌でも雷のよう……。あっしがガラテーアだとしても、こやつがとつぜん頭上から おれの、いとし~ガラテ~ア~
なんて言ったら「きゃっ」と海に飛びこんでしまうであろう。
オウィディウスによるとポリュペモスは単に歌ったのでなく葦笛のようなものを吹いたらしく挿し絵もそのポーズ。しかし笛を吹きながら歌う(吹き語り?)なんてできるのか?と疑問に思ったりしたため、面倒なので翻案版のほうでは、あえて笛の存在は無視してます。絵のヤツは牧神が持ってるアレっぽいです、なんか家畜もいるし、こやつもパンの親類か??? (フィンランド人なら、チーズのシールの絵を連想するかも……)
1640年の13巻表紙にもすみっこに登場していて、やっぱり髪があります↓ 逃げまどうアーキスくん(笑)
2001.07.30 - 二、三日前に、韓国のマリベラーなかたのサイトの掲示板にカキコしたら、日本語でお返事が……。
こんにちは....?
あのは韓國のkimtaisundです....
あのは日本語初心者です....
文章がぎこちないです....
先潛りに日本に啓示は人だと思います....
bbsの文はしました....
第が英語をできないです.....
それで英語ページ作る仕事は難しいことのようです....
しかし努力します....
あのマリ-ベルをよく分からないです....
私のが有してあるものはマリ-ベルビデオ6編12ストーリーが全部です....
多い資料は日本のマリ-ベルサイトに博してあります....
搜して頂いて感謝申しあがます....
これからもよろしくお願いいたします !....
多少なぞな部分もあるけど言いたいことはほぼ分かるので、もーまんたい。バビロンのページにも書いたけど、意味が通じれば恋人のひとりやごにんやじゅうにん……だもんね(意味が通じないって)。50話中の12話……ということは、ジートさんが悪い妖精ハンターのまま。ビビアンもひねくれたイメージのままかぁ。妖精学者シェルボー教授もまだ出ないな。はぅ。でも「らくがき天国こんにちは」が入ってる。あれってピカソの絵と同じくらい好きなんだ……昔みたいに照れて衒(てら)ったのじゃなしに、マリーベルはホンネで全話、語りたいなぁと思っているのです。韓国と共同で「新しいマリベサイトをつくる会」を結成して――(と、またすぐスプーキーな冗談でお茶をにごす)イーリアス物語(イーリアスのストーリーを日本語で紹介する)とか、版権が切れてるジョージ・マクドナルドの物語を勝手に日本語訳してアップするとか、いろいろ夢があるんですよん☆
考えてみると、マリーベルがなかったら、いまだにテレビ受像器を所持していなかったでしょう。「ぼくらをにんげんにする母親たち 子どもらは、おとなの親だ わたしはそれでこのましい」
「アーキスとガラテーア」ではリーデさんから届いた暑中お見舞いの涼しげな絵をアップするついでに、画題と関係ある物語をひとつ訳(というより翻案)しておいたのですが、そのなかの「ポリュペーモスがガラテーアを想って歌ったうた」について、リーデさんは、前からずーっと気になって探していたけれど判明せずあきらめていた……とのこと(四大精霊スレッド21参照)。そんなわけで改めてその詩の部分をちゃんとアップしておきます。「アーキスとガラテーア」は翻案なので、全体として原詩と異なっています。原詩は、とりあえず、こういうふうに始まってます――
Candidior folio nivei Galatea ligustri,
floridior pratis, longa procerior alno,
splendidior vitro, tenero lascivior haedo,
levior adsiduo detritis aequore conchis,
solibus hibernis, aestiva gratior umbra,
mobilior damma, platano conspectior alta,
lucidior glacie, matura dulcior uva,
mollior et cycni plumis et lacta coacto,
et, si non fugias, riguo formosior horto;
「Ovid: Metamorposes XIII」より引用。OCTを買わなくても、こうしてネット上に古典のテキストがあるのは、なんともありがたいものです。この調子でギリシャ古典もアップされたらすごくうれしいのですが……ギリシャ語はフォントの問題があるので、もう少し時間がかかりそうです。
さて、上の詩について、簡単にご説明いたしましょう。歌い方はギリシャのホメーロスと同じ複合6拍子なので、詳しくは別記事「イーリアス」を参照してください。リズム的には、まったく同じシステムです。
なお、あらかじめ強調しときますが、じつはラテン語、得意じゃないので、細かい文法説明は、多少てきとーなとこもあります(分からないところは分からないと書いてます)。ギリシャ語ができるのになぜラテン語が苦手なの?と思われるかもしれませんが、いろいろあって、ギリシャのものほど歌いたいと思わないできたので慣れてない、ってことです。ともかくこの記事はラテン語入門じゃなく詩の紹介なので。
語学や物語としてとらえるのでなく、説明を参考に声に出して「歌って」みてください。オウィディウスの意味は、歌わないと体感できないからです。ストーリーだけ黙読しても少しは楽しめるかもしれませんが、やはり歌うのが本筋でしょう。読者の便宜のため、だいたいの発音をカタカナで書き、リズムの取り方もタンタタで示しておきました。カタカナとアルファベットと両方みれば、発音がよく分かると思います。リエゾンしてる部分はカタカナでは一語のようにくっつけて書いておきました。
以下、一行ずつ説明しますが、できれば順に暗誦して、つなげて歌えるようになってください。一行ずつみても分からない音の響きあいが入ってるからです。複合6拍子のタンタタを感じながら、すらすら歌えるまで練習してみてください。詩の内容と音楽的な響きがいかに密接にからみあっているかが魔法の核心です。そのいくつかについては、簡単にヒントをコメントしておきました。
Candidior folio nivei Galatea ligustri,
カンディディオル、フォリオー、ニウェイー、ガラテーア、リグストリー
タンタタ|タン、タタ|タン、タタ|タン、タタ|タンタ、タ|タンタン
candidius「白く輝く、純白の」の比較級。英語の「キャンドル」参照。folium「葉」、比較の対象は奪格。niveus「雪のように白い」。ligustrum、樹木の名前(英privet)。葉っぱが大きくて、光沢があるらしい。ガラテーアは、ここだけみると主語ともとれますが、呼格。あとで分かるように、これらの主語のない文は、すべて二人称単数「君は」の述語になってます。「リグストルムの輝く葉より、もっとまばゆいガラテーア」。下の翻案では「ああ、うるわしき海の妖精ガラテーア……雪より白く」という現代人に分かりやすい表現になってますが、当時ではリグストルムの葉っぱというのが、きらきらするものの代名詞みたいな詩的表現だったのでしょう。たぶん。
floridior pratis, longa procerior alno,
フローリディオル、プラーティース、ロンガー、プローケーリオラルノー
タンタタ|タン、タン|タン、タン|タン、タン|タンタタ|タンタン
floridus「花多き」。pratum「野原」、複数奪格。longus、英語の long です。alnus、これも樹の名前「はんのき」、高さ20メートルとかにもなる樹木だそうで、背の高いものの代名詞。ご承知のように古代ギリシャ・ラテンの美的感覚だと背が高い「大女」は誉め言葉で、女神アテナなんかも大女として描写されてます。alnus は us で終わってるけど女性名詞(樹は男のかっこうをした女性)なんで、longus も女性奪格におかれてます。ついでながら、発音は、lon-ga でなく、鼻濁音の lon-nga だと思います(典拠なし。単なる想像)。procerus「高く伸びた」。この行は「タンタン」の脚がつづき、憧れをかみしめるように、せつせつと思いをこめてる響きがするでしょう。一行め「カンディディオル~」と対をなして「フローリディオル~」と響かせ、張るイメージも一貫して植物のたとえ。「野原より花に満ち、そびえるはんのきよりも背が高い」下の翻案では「しなやかな樹よりもすっくりと立ち、花よりもかぐわしく」という現代人への説明になってますが、当時としては、alno というだけで高くそびえる樹木が浮かんだのでしょう。
splendidior vitro, tenero lascivior haedo,
スプレンディディオル、ウィトロー、テネロー、ラースキーウィオラェドー
タンタタ|タン、タン|タン、タタ|タン、タン|タンタタ|タンタン
splendidus、英語の splendid は、赤毛のアンがよく使う形容詞(微笑)。カタカナだと4文字の splen が一音節。この打楽器的に高速な音節は、前の行のせつせつとした調子と対照的で、恋に揺れ激しく燃えたり、そうかと思えばとつぜん、ふーぅとため息ついたりというところ。vitrum「ガラス」。紀元前1世紀のフェニキアあたりから広まってるらしいので、メタモルポセスの時代にガラスというと、非常に珍しい宝石のようなイメージでしょう。その貴重な「ガラス」よりも高貴だ、と。tener「柔らかい、若い」。lascivus「気ままな、気まぐれな」。haedus「仔やぎ」、放っておくと、どこでもひょこひょこ行ったり、ぴょんぴょんはねたり、おちゃめな仔やぎちゃんのイメージ。「ガラスよりも壮麗で」と貴婦人っぽく誉めあげておいてから、急にかわいく「若い仔やぎよりも気まぐれだ」。そして、lascivior haedo がリエゾンされて -rhae- となる、ため息のひびきそのまんま。下の翻案では「水晶よりも輝かしく、子どもらよりもあどけなく」と現代人に説明してますが、今だとヤギといっても観念的にしか浮かばないだろうけど、当時は「ヤギ」というと、岩山とかをどこまでもずんずん勝手に(ある意味、頑固に)登っていってしまうイメージがあったらしく、かの詩人も、とんでもなく険しいたとえとして「ヤギも通わないような岩山」なんて言ったもんです。ここでヤギをひきあいにだしているのも、あどけなく気まぐれでかわいらしいというばかりでなく、言うことを聞かずに(おれの気持ちになびかずに)強情だとか逃げ去ってしまうというニュアンスもあるかも。
levior adsiduo detritis aequore conchis,
レーウィオラドシドゥオー、デートリーティーサェクォレ・コンキース
タンタタ|タンタタ|タン、タン|タンタン|タンタタ、|タンタン
levis「なめらかな」(レーウィス)。同じ綴りの「軽い」はレウィス、e が短く韻律があわないのでここでは「なめらかな」のほう。adsiduus (cf. ad-sideo)「かたわらにある」。標準ラテン語では assi- と同化するでしょうが、古風に adsi- と。「すりへった貝たち」にかかる分詞みたいなヤツなので文法的には複数奪格 adsiduis が予想されるが、単数奪格になっている。「貝たち」を修飾、でなく併置の同格「すりへった貝たち(複数)、海辺なる存在(単数)」だと解釈してもいいが、まあ、どうでもいいでしょう……。detritus「すりへった」。aequor, aequoris(変化形でもoが短いまま)「平らな面、海面」、adsiduus にかかる。動詞の前綴りが ad なので対格か与格が来そうなところだが、奪格で位置を表している。雰囲気的には分かるが、比較の奪格がずらずらならんでいるので単につられたのかも……(古代語では、ありがちな話)。concha「貝」。ここも帯気音の cha で、前の行末の rha と響きあって「ためいき」っぽい。「海面のかたわら(=浜)にあるすりへった貝たちよりもなめらかだ」。下の翻案では「海辺の波に洗われた真珠色の貝殻よりもなめらかな、おれのいとしいガラテーア」。このへんでもういちど呼びかけないと忙しい現代人は何の話だったか忘れてしまうので、原文にない呼びかけをくっつけている。
solibus hibernis, aestiva gratior umbra,
ソーリブシーベルニース、アェスティーワー、グラーティオルンブラー
タンタタ|タンタン|タン、タン|タンタン、|タンタタ|タンタン
sol, solis「太陽」ソーラーハウスのソル。三剣物語の剣の名まえ。複数になってるのは「冬の太陽」一般でなく、冬の晴れた日々を個々に数えているとでも解釈してください。hibernus「冬の」。aestiva「夏、サマーキャンプ」。gratius「ありがたい」。スペイン語のグラーシアス参照。英語の grateful、gratitude。umbra「影」。英語のアンブレラ参照。フランス語の ombre。「冬の太陽たちよりも、夏の影よりもありがたい」。下の翻案では「冬の日だまりよりも暖かで、夏の木陰よりも涼やかで」。すぐ上の行と韻律がきれいにそろっていて、ここにも solibus hibernis の -shi- というため息まじりの si ――カタカナではシと書いたが摩擦音でなく強く息を吐き出す帯気の si(深いため息)と解釈してください。典拠はないが音楽的にそのほうが良いので。
mobilior damma, platano conspectior alta,
モービリオル、ダーンマー、プラタノー、コーンスペクティオラルター
タンタタ|タン、タン|タン、タタ|タン、タン|タンタタ|タンタン
mobilis「可動の、動き回る、すばしこい」。モービルです。damma「かもしか」のたぐいの動物。platanus「プラタナス」樹の名まえ。30メートルを超えることもあるそうです。この樹木も形は男性だが女性名詞。conspectus「目立つ」。altus「高い」。とりあえず英語の altitude とか。プラタナスが女性なので女性奪格。「かもしかよりもすばしこく、高きプラタナスよりも目立つ」。下の翻案では「高きこずえの林檎の実よりも高らかで」。(勝手に林檎にイメージをしぼったのは、サッポーの「果実をとる人が、高すぎてとれなかった林檎の実」を下敷きにして。)
lucidior glacie, matura dulcior uva,
ルーキディオル、グラキエー、マートゥーラー、ドゥルキオルーワー
タンタタ|タン、タタ|タン、タン|タンタン、|タンタタ|タンタン
lucidius「光の、輝ける」、lux の形容詞です。glacies, glaciei「氷」、dies型の変化、ここでは単数奪格。英語の glacier 参照。maturus「成熟した」英語の mature です。dulcis「甘い、魅力的な」。音楽やってる人ならイタリア語の dolce といえば分かるでしょう。uva「ぶどう」。「氷よりも輝き、熟した葡萄よりも甘い」。下の翻案では「すっかり熟した葡萄の実よりも甘やかで、晴れた空よりいっそう明るく、透明な氷よりも澄みわたり」
mollior et cycni plumis et lacta coacto,
モッリオレッ、キュクニー、プルーミーセッ、ラクタ、コアクトー
タンタタ|タン、タン|タン、タン|タンタン、|タンタ、タ|タンタン
mollis「弱い、柔らかい」。cycnus「白鳥」。天文に興味ある人なら一文字ちがうけど Cygnus といえば分かるでしょう。pluma「羽、羽毛」英語の plume。lac, lactis「乳」ラクトースのラク。coactus「強制された、不自然な」。強制されたミルクとは、加工されたミルク、つまり乳製品に違いない。チーズかクリームかバターか、なんかそういうたぐいでしょう。文法的には奪格なので lacte coacto が予想されるがテキストでは lacta になっている。理由は分からないが意味としては「白鳥の羽毛たちよりも、乳製品よりも柔らかい」。下の翻案では「白鳥の羽毛よりも生クリームよりも柔らかな、おれのいとしいガラテーア」。
et, si non fugias, riguo formosior horto;
エッ、シー、ノン、フギアース、リグオー、フォールモーシオロルトー。
タン、タン、|タン、タタ|タン、タタ|タン、タン|タンタタ|タンタン
fugio「逃げる」。楽曲の「フーガ」参照。riguus「水路のある」。formosus「きちんと整った、整然として美しい」(well-)formed というような。hortus「庭園」。「そして――もし君が逃げないなら――君は水路のある庭園よりも美しいのに」。現代人としては、例えば公園に噴水があったり、そこらに水路があっても何も感じないでしょうが、当時的には「水路のある庭園」というのは、すごく特別な、ぜいたくで王族的なものだったのでしょう。下の翻案では「ああ、あんたは、おれを愛してくれるだろうか……清らかな小川の流れる緑の野よりも美しき、おれのいとしいガラテーア」。現代人には、手つかずの緑野のほうが「美しい」のイメージ。文法的には、ここで初めて主語が「君」であることが分かります。行の始まりタン、タン、とゆっくり刻んで「ああ、もしおれを見ても逃げないでいてくれたなら」という深い想い、また、行末 riguo formosior horto の r と h 、涙がにじみそうな嘆息の連続のひびき。
原作、オウィディウス『Metamorphoses』第13巻より。イラスト:©ミール・エア・リーデ
海の妖精ガラテアは、岩のむすめのスキュッラに髪をすいてもらっていた。
深いため息をついて言うよう、「ねえ、スキュッラ、あなたに言い寄る者たちは、
人の子らだわ。人間の願いなら、断ることもできましょう。
わたしは、紺碧(こんぺき)の海の女神ドーリスのむすめ、
海の姉妹たちのところにいっしょにいれば、あんのんと暮らせるのだけれど、
ポリュペーモスをこばめましょうか……あの一つ目の巨人族を……」
海の妖精ガラテアは、そう言って、涙で息をつまらせた。
岩のむすめのスキュッラは、そのやさしい指先で、そっと涙をぬぐってやって、
「お可哀想に、いったいなにがあったのですの?
どうか隠さずわたくしにお話しくださいまし」
海の妖精ガラテアは、答えて言うよう、
「川のニンフとファウヌスの子に、アーキスという美しい若者がおりましたの。
父にも母にも自慢の息子、そして、ああ、わたしにとっても日の光。
彼はわたしを愛してくれたの、ただわたしだけを――」
「アーキスは十六歳、まだひげもはえない美少年、
彼はわたしの愛でした。けれどわたしは、ポリュペーモスに見そめられ、
果てしなく求愛された。アーキスを愛する気持ちの激しさと同じくらいに、
わたしは激しくうとんだわ、つきまとう一つ目怪物ポリュペーモスを」
「ああ、愛の女神ビーナスよ、愛のちからは何と偉大でふしぎでしょう、
そしたらあの野蛮なポリュペーモス、森の怪物、旅人の恐怖も、
恋のくるしみを知ったのですの。わたしにうとまれていると知るや、
自分のわるいところを改めようと、いっしょうけんめい。
大きなくま手で、もつれた髪をとかしたり、
大きな鎌で、もつれたひげをそろえたり、
あの血に飢えたあらくれ者が、
乱暴なおこないをつつしむようになったので、
旅人たちも安心して行き来できるようになったのでした。
そんなけなげなポリュペーモスに、
高名な鳥占い師、預言者のテレムスが、
『そなたの片目は燃え立つべし』
片目の巨人ポリュペーモスは、笑って言うよう、
『おおまぬけな預言者め、燃えるもなにも、
おれの顔には、もともと片目がないと来ている、
ないものがどうして燃える? わっはっは、おぬしも焼きが回ったな』」
「それから巨人のポリュペーモスは、
岬の先の岩山の、てっぺんに腰かけて、
たったひとりで歌ったわ。その声は岬の崖にとどろきわたり、
わたしも聞いたの、岩かげで、若い少年アーキスの腕(かいな)のなかで」
「ポリュペーモスのどら声は、震えるばかりに恐ろしい、まるでわれ鐘。
だけどわたしは忘れられない、彼の歌ったそのうたを――
『ああ、うるわしき海の妖精ガラテーア……雪より白く、
しなやかな樹よりもすっくりと立ち、花よりもかぐわしく、
水晶よりも輝かしく、子どもらよりもあどけなく、
海辺の波に洗われた真珠色の貝殻よりもなめらかな、おれのいとしいガラテーア。
冬の日だまりよりも暖かで、夏の木陰よりも涼やかで、
高きこずえの林檎の実よりも高らかで、
すっかり熟した葡萄の実よりも甘やかで、
晴れた空よりいっそう明るく、透明な氷よりも澄みわたり、
白鳥の羽根よりも生クリームよりも柔らかな、おれのいとしいガラテーア。
ああ、あんたは、おれを愛してくれるだろうか……
清らかな小川の流れる緑の野よりも美しき、おれのいとしいガラテーア』」
「『ああ、あんたは、おれを悩ませる……
野生のけものよりも容赦なく、古い樫の木よりも堅く、
海の波のように気まぐれで、
折れない柳、丈夫なぶどうのつるよりかたくなで、
うずまく急流よりも激しくこばみ、とがった岩よりも鋭く拒絶し、
くじゃくよりも高慢で、焼き尽くす火よりも残酷な、おれのいとしいガラテーア。
いばらよりもとげとげしく、海よりも冷たく、
仔熊を守る母熊よりも恐ろしく、蛇よりも冷血な、おれのいとしいガラテーア。
猟犬から逃げる鹿よりすばやく、おれから逃げてしまうのだ。
おれを見るや、風より速く走り去る――。
ほかは何でもがまんするけど、見るだけで逃げるだなんて、
つらすぎる。ああ、おれのこころをあんたに見せたい、
この気持ちが伝わりさえすれば、あんたは逃げたりしなかろうに……』」
「悲しげに歌い終わると、
巨人の怪物ポリュペーモスは立ち上がり、
『こんちくしょう』とつぶやくと、
めくらめっぽう歩き始めた、
いても立ってもいられないというふうでした。
岩影で、わたしはそっと見ていたの、
若い少年アーキスの胸にもたれて……。
運命のいたずらで、巨人は不意にこっちを見たの。
アーキスとわたしは彼に見られたわ。
巨人の怪物ポリュペーモスは、大きな口で、どなったの。
『そうかい、そうかい、分かったよ! だがこれでおしまいだ!』
恐ろしく大きな声、エトナの山にこだまする。
あまりの怖さに動転したの。
思わず海に飛び込んだ。わたしは故郷の水の住まいに。
取り残されたアーキスは、ああ可哀想、おろおろとたじろぎながら、
叫んだの。『待って、ガラテア! ああ神よ、ぼくを助けて!
怪物に殺されてもいい、だけど最期の一瞬までずっとそばにいたいんです、
死ぬのなら、彼女のそばで死なせてください――』
巨人の一つ目ポリュペーモスは、いかりくるって岩を引き裂く、
わたしは急いでアーキスを助けようとしたけれど、
そのときにはもう、飛び散った岩のかけらが彼をつぶしていたんです――」
「若い少年アーキスのむくろから、
谷間の激しい流れのように鮮血がしぶきをあげてほとばしり、
神々は、あわれんで、アーキスを流れる川に変えました。
ほら、スキュッラ、
シチリアにアーキス川があるでしょう、
わたしの愛した少年の、生まれ変わった姿なの。
わたしの記憶のなかに住む彼は今でも十六歳、
しなやかで若い少年……。
もうあれから千年もたつかしら、
アーキス川は今も変わらずあるけれど――」
海の妖精ガラテアは、岩のむすめのスキュッラに、
髪をすいてもらいつつ、悲しげに目をふせた。
死すべき人の子アーキスの、はかない命を嘆きつつ、
不死なるエルフのガラテアは、
千年前とすんぶんたがわず輝く髪をなびかせて。
ご承知のようにオウィディウスの「変身物語」(メタモルポセス)は、ちょうど紀元前から西暦1世紀になる「紀元前後」の作品だ。しかし、海の妖精(ネレイデス)のガラテイアは、紀元前15世紀ごろのイーリアスにも登場している。パトロクロスが自分の身代わりに死んでアキレスが悲嘆に暮れているところへ、なぐさめに現れる妖精たちのひとりとして名前があがっており、しかも、「名高き」ガラテイアという形容詞がついているので、当時から、ネレイデスのあいだでもよく知られているエルフだったらしい。ちなみに、アキレスの母もネレイデスのテティス(父親は人間の王。したがってアキレスは半妖精)、つまり、ここに登場するガラテイアは、アキレスの「おば」にあたる。「おい」のアキレスの悲しみをいっしょに悲しんでから約1500年後のメタモルフォセスにも「ちゃっかり」登場しロマンスしてるところが、なんとも妖精ふうだ。――イラストは、リーデさんが暑中見舞いとしてえがかれたもので、涼しげな海がモティーフになってます(このページの絵は縮小版です。美しい原寸大の原画をごらんください)。同じ「アーキスとガラテーア」ねたでも、リーデさんが絵にこめられたであろう「物語」とは、あえてべつの解釈というか脚色をしてみました。白黒の挿入画はThe Ovid Project: Baur, 1703, Book 13 から引用しました。