3 : 26 人間は何のために生きるのか

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「乙女の祈り」

2001年10月28日
記事ID d11028_1

耳をすます

「乙女の祈り」はツウからバカにされることが多いと思う。作曲者として言えば「まあそうでしょう」。バカにする人には、とりあえずこれはエチュードだと思っていただこう。

自分自身、小学時代には「もっとひどかった」。ピアノのいちばん低い音のラとオクターブ上のラのユニゾンを左手でじゃーんと弾いてそれだけでうっとりと耳をすますことができた――荘厳な迫力あるうなりがして、とてもぞくぞくしたのを覚えている。乱雑で時に暴力的な人間の話し声や現実世界の物音から比べると、ただのオクターブであれ、和音であれ、ピアノの音は純粋な結晶のオアシスだったのかもしれない、ほとんど瞑想的な。あるいは望郷的な。

笑うかもしれないが、小学生には、スッペの軽騎兵序曲とか、シベリウスの2番のフィナーレのようなのが、カッコヨク聞こえるのだ。

そういう意味では、乙女の祈りは単に和音が分散してるだけでも「天上的」だ。ドミソの和音、分散和音というのは、長い試行錯誤をへて抽出された純度の高い結晶。これが純正調だったら?という想像もしてほしい。

音そのものの美しさ、楽しさにたわむれ遊ぶというのは、非常に良いことだ。調理の技術の前に、素材の手触りにうっとりしなければいけない。そうでなければ調理はただの技術だ。乙女の祈りより、もっと良い教材がたくさんあるのも事実だが、乙女の祈りもまあ単純に悪いとは思わない。子どもは探検に進む前に、まず三和音のような出発点の美しさをよく知らなければいけないと思う。でなければドビュッシーの「ピアノのために」とか「子供の領分」の新鮮さも分からないではないか! ――「ミクロコスモス」でピアノ入門するぜいたくさと、バイエルやって眠くなったところでミクロコスモスを知るぜいたくさと、どっちがトクかというと、子どもはバイエルでも素直にきれいだなと思うので、後者がトクなのだ。キーを叩くと、音が鳴る。離すと音が鳴りやむ。キーを押し下げっぱなしにして耳をすますと、だんだん音が消えてゆく。それでもまだ押している。指先が少し白くなる。ペダルをふむと夢のように音がにじむ。そういうことだけで、わくわく楽しいのだ。そのことを理解しなければ(思い出さなければ)いけない。

中学時代、例えば、Cm7-5 つまりトリスタン和声、C-Es-Ges-Bにうっとりした。何もしなくても、ただその素材だけで。Cdim7sus4 つまり C-F-Ges-AからC-Es-Ges-Aの進行にもうっとりした。A-C-E-G-B-Esなんかもぞくっと来た。A mollの上にEs Durが乗っている。バルトーク和音(通称「メジャーマイナー」)E-G-C-Esは挑戦的な壁だった。魅力的だったが初めは汚い不協和音だとも思った。だが魅力的だった。ジャズでいえばC+9とかC+11。ハ長調の和音をやってるときに、上でいちばん遠いファの#が鳴るのはどう考えても挑発的だ。しかしこれがファでなくファの#でなければいけないことは、音が現実にきれいかどうかと関係なく直感的によく分かった。それは現実と離れた現代代数学の方向感覚にも似ていると思う。

シベリウスが4番や7番でこれを扱ったやり方は、かなり「おくびょう」だ。ドミソの上にファの#を長々と堂々と鳴らすが、すぐに「これはソに解決する一時的なものです」という顔をしてごまかしている。ところが進んでゆくと、やがて、下の弦がA調なのに上で木管がEs調でハモり始める。また、ソに解決するファの#が伸びてるところで、わざと同時にミに解決するファのナチュラルをぶつけ、古典和声の枠のなかで「合法的に」バルトーク的な響きを構成している。バルトークは「我が不協和音の帝国」と言ったらしいが、シベリウスはバルトーク帝国の領土に興味を示しつつ、結局、精神的に侵略しなかった(できなかった)といえる。4番のあの場面は非常に軽妙だが、おそるおそる足を踏み入れ、すぐに、ひっこめる感じだ。そこで鉄琴がかわいらしく鳴るのが「雰囲気」。けどシベリウスのほうでも4番について「ムダな音符は一個もない。ウソだと思うなら楽譜を調べてみろ」と言ったらしい。それもそうだ。例えば2楽章の終わりのあの打楽器奏者のストレスになりそうなティンパニー3連打。ぎりぎりの骨。

話がそれたが、北欧の音楽は、よく甘ったるいと言われる。そして乙女の祈りつながりで行くとグリーグのピアノ協奏曲イ短調がバカにされるであろう。もしかすると、シベリウスの悲しきワルツとかさらにはバイオリン協奏曲(シベコン)もここでやりだまにあげられるであろう。――けれど、これは、とてもとても純粋な音楽だ。「フィンランディア」ですら!これに聞きほれる子どもをバカにすることは、ゆるされないと思う。ツウな音楽ファンというのは、しばしば悪い意味でもすれている。指揮者がナンタラシュタインだとかビオラがカンタラローズだとかオケがホゲフィルだとかの余計なこと、つまり「演奏」のパラメータにこだわって、「音楽」そのものを聞かない。ひどい例(けどよくある)だと義理チケット買わされてピアノコンチェルトを聴きに行って、終わったあとで曲の話でなくピアニストが着ていたドレスの話でもりあがったり。ナントカ先生ちょっとふけたねーとか。タケミツ自分の曲にだけ拍手してたよとか(古い)。

悲しきワルツだって、例えば北欧の長い長い夜にひとりでしっとりと聞くと気分だろうし、乙女の祈りだろうが何だろうが、曲としては本質的にチャチだとしても、響きがそれなりにキレイである限り、そこには少年少女の甘い思い出がやどりうる。それは、あとになって、乙女の祈りを聞くたびに、もやのようにこころによみがえる。――いわゆる歌謡曲だって、音楽としてとか言われたらもう議論するまでもなく三和音が古典和声で並んでいるだけでそもそも歌詞カードがないと歌詞が分からないというデタラメな「歌」だが、そこに思いや夢や憧れや悲しみをたくす若者がいるかぎり、そこにはひとつの真実がある。

良いモノは本質において「自分」を越えてゆくが、良くないモノでも形式において良いモノにとりこまれることができる。時間的に連続しているなかの切り口にすぎないのだ。乙女の祈りの単純な分散和音だって(当たり前の左手の伴奏の上に Es Dur の分散和音をべたで並べただけで曲といえるか?ということでしょう)、そこに優しい思い出、悲しい思い出、せつない思い出、苦い思い出がやどるのだ。

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ホメーロス - 「作者の意図」?

2001年10月28日
記事ID d11028_2

この作品のこの場面で(あるいは作品全体として)作者は何を言いたかったのか?という問の立て方がある。と同時に、ご承知のように、すぐれた作品は「原作者ひとりのプロット」にとどまらない。それは原作者自身が意図・意識・予想していなかった解釈を与えられるだろう。つまらない作品なら結果として作者ひとりのものかもしれない。しかし、多くの作品は、結果として多かれ少なかれほかのストリームを触発する。

そもそも作者などいない、とも言える。実際、詩聖ホメーロスは、こんにち的な意味では存在していないと考えられる。いたとしたら、たぶんカレワラにおけるリュンロットのような役割だろう。ホメーロスにとってイーリアスは人間のドラマというより「機械的な美しさをもった響きのストリーム」であったに違いない。実際、これは文学作品でなく、音のストリームだ。今で言えば音楽の歌曲に近いし、言うまでもなくミューズの領域だ。

そして、そもそも作品などない、とも言える。ホメーロスがホメーロスの世界で完結していると考える人は、いない。作品には音楽のように時間的な始まりと終わりがありえるが、時には3000年たってもまだ続いているし、そもそもの始まりも分からないことも多い。消えたようでも音は時間の記憶としてかすかに漂っている。

音楽の場合、「これは何かを言うためにあるのでなく、これ自体です」という意味が、わりと分かってもらえるだろう。コトバには意味があると思われがちで実際、意味があることが多いが、ときには音響詩もある。「ゼファリーアン 西風さん」「ジプソフィラ かすみそう」というとき、べつに何も言いたくなくて「ゼファリーアン」とか「ジプソフィラ」という響きに耳をすましている。分かるかたには分かるだろう。だから「エレン・シーラ・ルーメン・ノメンティエルボ」とは「エレン・シーラ・ルーメン・ノメンティエルボ」でいいのだ。

「エレン・シーラ・ルーメン・ノメンティエルボ」「エレン・シーラ・ルーメン・ノメンティエルボ」と何度も何度も歌うように繰り返し、きゃはっ、きゃはっ、キレイな音!とぴょんぴょん飛び跳ねるのだ。

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Mad Promo: 脳RAM書き換え装置

2001年10月27日
記事ID d11027c

- Mad Promotion - スグレモノメカ・ナンバー、009

「HB-RAM Writer」――ヒトブレインRAMを安全、簡単、高速に、直接、書き換えることができます。使われていないゴミ記憶、思い出したくない不要な思い出を削除してあたまスッキリ! お子さまを虐待したあとなど、訴えられないよう記憶を消すのにもご活用いただけます。書き込み速度は1物理時間あたり1800時間の1800倍速。これなら幸せな1年がすぐ構築できますネ♪ ――今なら豪華特典!「ハッピー幼児期体験レプリカ」1024話に、恋愛シミュレータ「わくわくメモリアル」つき! もう君は物理世界に戻れない。

*

「直結するより、なかみを仮想化せよ。脳のような物理メディアはテンポラルだ」

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NTFSに変える

2001年10月27日
記事ID d11027b

2001.10.27 朝 NTFS に変換☆ (ここまでのあらすじ)→ 毎秒10メガビットの高品質で動画をmpeg2にVBRリアルタイムエンコードする板。そこに、スカパーのチューナを直結したリーサ! うぉを、キレイ! もはやビデオもテレビもいらん!と豪語していたが、ふとした問題が。そう、スペースに空きがあるのに、4GBytesを超過するファイルが作れない。約2時間のアヴァロンを録画しようと思ったら、10Mbps出せるのに4Mbps程度の画質になってしまう。これは Windows のファイルシステムがFAT32なのが原因に違いない。

以上がきのうのお話。早朝にとりあえず資料用にmpeg1で落として、夕方にmpeg2で落とそうとして発覚したのであった。なぜこれまで発覚しなかったのか? マリーベルは30分番組だからそれ以上は必要ない。という単純明快な論理であった。そもそもテレビを買ったのもスカパーと契約したのも、これだもん。

アヴァロンの結末と冒頭数分を見比べて、良い作品には、しばしばバナー広告が入るもの、と思い知るリーサ。それにしても回線自体が300Mbpsとかになれば、そもそもローカルに録画する必要もなくなる。それこそがネットの真のポテンシャルだろう。デジタルアニメをデジタル放送してるのに、それをアナログVHSに保存するのは冒涜的だ(もっともmpeg2再圧縮も可逆でないのだが‥‥)。そんなことも考えるのであった。「購入意欲=宣伝=鬱」の問題にも気づく。

というわけで、今朝はNTFSに変換したよ。ネットでやりかた調べて。思ったよりカンタンだった。一日がかりになるかと思ったら、2時間くらいでできた。しかも、ディスクの空きが10ギガを切ってたのに(アヴァロン数ギガがHD上にあるままなので、これをDVDとかに追い出せば空くけど)、NTFSに変換したら、空きが12ギガに増えた。よくよく確認するとクラスターサイズが512バイトになっている! クラスターサイズが32Kだったせいで2ギガも損してたのか(単純計算でざっとファイルが13万個あることになる)。ボーナスポイント2GB。たかが2ギガでほくほく喜ぶ小市民なリーサ。なによりエンコーダを立ち上げると、図星に、4ギガの壁が消滅している!

‥‥が、喜ぶのは、まだ早い。どこに「わな」があるか分からない。ファイルシステムを変更した功罪は、これからだんだん明らかになるであろう。たぶんファイルシステムの一部が破壊されたときに――。クラスターサイズが512バイトとは、従来から考えると合理化のしすぎに感じる。詰め込みすぎで不安になる。しかし万一のリカバリーはファイルシステムになど頼るべきでない。そもそもHDのような物理メディアを信頼しては、いけない。重要なファイルはすべて、ローカルが火事になろうが涼しい顔をしていられるリモートと同期させる。物理メディアは、すべて早晩、壊れるという前提でモノを考えるべきだ。「物理層を信じるな!清潔なのは"情報"だけだ!」――だんだんミョーに過激な思想にツッ走るリーサ。とりあえず、今日は、これから、変換後のディスクにエラーチェックをかけて、あとは、すっきりデフラグをまわして10時間くらい放っておくのが宇宙の真理と言えよう。

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競争の孤独と競争のない孤独

2001年10月27日
記事ID d11027a

パピルス、粘土板、石版、木片、木質紙。

リサイクルと言うよりも

本や雑誌やCDを物理的に送りまくる必要は無い。ひとりひとりが同じ映画を録画したビデオを別々に保存する必要などない。本のカタチ、ビデオテープのカタチはゴーストをつつむ包装にすぎない。

充分に速い線があれば、日々の新聞など要らない。すべて共有できるし、配達より速い。

生活するには絶対にカネがいると誤解しているからだ。何も売らないでいいし何も買わないでいい。購入力のためにつらい競争をしなくていい。――早くお金のない平和な世界になりますように。

激しい競争のために商品はコストダウンし、まわりには、軽薄でつまらないものが満ちあふれる。その満たされなさを埋めようとさらに物質に走った古代人。

空間が意味を失うから都市/職場の近くに住む必要はない。てきとーに散らばっていればいい。損も得もない。

「働かなくて良いなら人間は何のために生きるのか」? ――今は?

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人生相談:「関数って何ですか?」

2001年10月27日
記事ID d11027

AさんとBさんのよくわからん関係

A「コメットさん」→B「ラバボー」

A「のび太」→B「ドラえもん」

A「キテレツ」→B「コロ助」

A「マリーベル」→B「タンバリン」★

A「わぴこ」→B「ぎょぴちゃん」!!

...

Bさんは、アニメの主人公の名まえを聞くと、あいぼうの名まえを答えてます。

これが関数です。

こんな説明で理解できるほうがおかしいです(何

数学だから数は我慢してね

A「12」→B「24」

A「100」→B「200」

A「600」→B「1200」

...

これは聞いた数の2倍の数を答えてます。

A「bird」→B「鳥」

A「wind」→B「風」

A「fish」→B「さかな」

...

これは聞いた英単語に対応する日本語の単語を答えてます。

こんなふーに、何かを聞いて、何かを答えるのが関数。ふつうその場の思いつきで答えるのでなく、例えば「あいぼうを答える関数」なら、「のび太」を入れれば、いつでも「ドラえもん」と答えなければいけません。きまりが決まってるわけです。いくら本多知恵子が好きだからって「キテレツ」に対して気まぐれに「みよちゃん」とか答えては、いけません。ましてや「ブタゴリラ」とか「ジャイアン」とか「ブッシュ」は問題外。

インプットがあれば、きまりにしたがって、アウトプットがある。文字キーAを押せば(入力)、画面に「A」と表示される(出力)。入力に対応してきちっと出力が決まる。そのときのマシンの気分で、Aを押したら「A」かと思えば「F」とか「け」とか「鬱」という字が表示されたら、ふつうたいへん困ります。もっともゲームでは、同じAという技を使っても、運によって結果が違うほうが良く、いつでも同じ展開では困ります。「運しだい」「よくわからん」「もやもや」というのが人間の側のおもしろさにつながり、いつでも同じ答が出るのは「冷たい」「機械的」「つまらない」ように思えるかもしれません。

関数さんたちの声: ひどいんですよ、あの人間さん! わたしたちが決まった答え方をすると「機械的な答しかできない」とバカにする、わたしたちが自分の自由意思で答えると「お前の意見なんて尋ねてねえ!!勝手なことせず言われたことだけしろ」って逆上するんです!

少しまじめ

それはともかく、2番めのAさんとBさんの例は、
12×2 = 24
100×2 = 200
600×2 = 1200
という関係。一般的に言えば、Aの言った数の二倍がBのセリフなので、
A×2 = B
または同じことだけど、
Bが答えること = Aが言ったことの2倍
B = A×2

つまりAとBの関係は「Aが何か言うたびにBはその2倍を言わないと気が済まない」という関係で、この関係が「関数」だったりします。

少しも難しくないというより当たり前なことを、わざわざもってまわして表現するので、とっつきにくい人にはとっつきにくい例でしょう。
24 = 2×12
200 = 2×100
1200 = 2×600
...
のよーなことを、わざわざ、まとめて、
y = 2x
という関数なのだ、と難しげなことを言うわけです。

たぶん、教科書の説明では納得できないほうが感覚が鋭いでしょう。24 = 2×12 とか 200 = 2×100 とかは、イコールの右と左が等しい、計算すると同じ数になる、という「等しい」を表してますが、y = 2x というのは、まずxが与えられたとして、それの2倍をyに代入しろ、という「お仕事の内容」を表してる。「等しい」と「仕事の内容」で、話が違う。

ところで y = 2x という関数のxに「しっぽ」を代入するとyは、どうなるでしょう? 数学の先生に質問してみてください。「しっぽ」など代入できない!と言われても、いやー長年、関数やってますと数を入れるところに「しっぽ」や「りんご」や「馬車」を入れるお客さんもいるんですよ。はっはっは。

数字じゃないものが来るかもしれない、と考えて関数を設計しないと「予期せぬ結果」(例外)が発生します。数字を入れろと注意書きしてあっても、相手を信用せず、数字以外が来た場合のことも考えておきましょう。

関数なんて役立つの?

上のような説明では「そもそも何のために関数というものを考えるのか」がちっとも分からないので、納得しろと言うほうが無理でしょう。じつは関数を考えるのは「具体的な個々の関数でなく関数一般を対象にした抽象論をしたいから」なのですが、んなこと言われても何のことやらますますわからんので、とりあえず、関数というのは、あなたのホームページに最終更新時刻を自動的に表示させたり、確認ダイアログを出したり、といった、ちょっと便利なことにも使えるモノだと思ってくだされ。つまり関数というモノは役立つ。

y = confirm("もう自分が傷つくことばかり数えて毛を逆立てるのはやめなよ");
このジャバスクリプトは、「もう自分が傷つくことばかり数えて毛を逆立てるのはやめなよ」というダイアログを出して相手の応答を待つ、という動作をします。んでもって、相手がOKをクリックすると y に「true」(真実)というモノを代入して、キャンセルをクリックすると y に「false」(偽り)というモノを代入する、という動作をします。一般に、
y = confirm(x)
というときの、confirm という関数は「x というメッセージを表示して相手の応答を待ち、応答に応じて y に true または false をセットする」というお仕事をします。シンプルだけど、とっても役立つ良い関数さんです。

ホームページに自動的に最終更新時刻を表示したいですか?
<script type="text/javascript">
document.write( "最終更新: " + document.lastModified );
</script>

とでも書いてみてください。この場合も y = document.write ... としてもいいのですが、document.write という関数は、いつも「未定義値」(おばけ)という決まった答を返すので、それを y に入れても利用価値がありません。y がいくつになるか?より、お仕事(最終更新時刻を書くこと)それ自体が重要な場合もあります。答を計算させるために関数さんを呼ぶことも多いですが、お仕事というのはいろいろなので、答には興味がなく「過程」が重要な場合もあります。例えば人生とか?!

「よくわからん」ですか? まぁそう急いで答を出すこともないでしょう。。。

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お隣さんは花嫌い

2001年10月25日
記事ID d11025

怪物と戦う者は、
その過程で自分自身も怪物になることがないように
気をつけなければならない。深淵をのぞきこむとき、
その深淵もこちらを見つめている。

ニーチェ『ツァラトゥストラは、こう言った』より、としてR.K.レスラーが異常殺人者たちの研究「FBI心理分析官」の巻頭にかかげた。「酒鬼薔薇」少年の自作の詩にも引用されているという。

marybell.faireal.net より。ファイルサイズの関係で一部を省略してます。省略のない完全版はストーリー研究#02でごらんいただけます。

第1話の最後で「お友達になってね」といったローズさん。さっそくマリーベルとタンバリンを招待して、歓迎のお茶会を開いてくれました。

しかし、マリーベルは、ねぼう。

約束の時間を過ぎているのに気づき、あわてて走ってゆくマリーベル。よく前を見ずに通りのかどを曲がったら‥‥

あらあら。通りがかりの老人に激突。つえをついているお年寄りが転倒して痛そうに腰をさすっているのに、相手のことより、自分が持っていた花束のことを心配しているマリーベル。

ぶつかった相手はバートさんという気むずかしい人でした。バートさんは、マリーベルが助けた花屋(フラワーショップ「マリーベル」)のすぐそばに住んでいます。「花屋などやめろ」と、どなりこんできました。とにかく花が大嫌い。そして人間嫌い。

バートさんとは、おさななじみのローズさんが、わけを教えてくれました。子どものころ、バートさんは、いたずらで花をむしっていて、花のなかにいたハチにひどく刺されたのです。花を見ると、いやな思い出がよみがえるようです。この日は、マリーベルがぶつかってきて道で倒ばせられたので、特に虫のいどころが悪かったのかもしれませんね。

マリーベルは、さっそく魔法を使って、バートさんの花嫌いを治そうとします。花がそばにたくさんあれば、自然と花が好きになるだろう。そんな単純な考えで、バートさんのまわりを花でいっぱいにするのですが――

逆効果! 久しぶりに人間界に出てきたマリーベル、まだ寝ぼけているのか、人間のこころの機微が分かっていません。花を見るだけで不愉快な体験を思い出しぞっとする相手のまわりを花だらけにするなんて……。

手品のような、こてさきの魔法ではダメみたいだと気づいたマリーベル。「花の魔法使い」に変身して「花魔法」を使います。

マリーベルの魔法には、普段着のままひとりで簡単に使えるただの「魔法」と、本格的な「花魔法」があります。「花魔法」を使うときは「花の魔法使い」の晴れ姿に変身。服装が変わるので注意してみていてくださいね。

花魔法で出したのは「お花の馬車」(花馬車)。現実世界を自由に飛び回れるのはもちろん、異次元の世界にも行けるオールマイティーな乗り物。5枚の花びらはマリーベルのシンボルマーク。かわいいでしょう?

今回は、これに乗って「バートさんの過去の記憶の世界」に行きます。ユーリとケンもいっしょです。

さて、ここはバートさんの記憶の世界……。

バートさんの記憶のなかでは「花」は「怪物」の姿をしていました。怪物は花馬車をおそいます。マリーベルは、どうしていいやら分かりません。そのとき妖精タンバリンが、「あの花はバートさんのこころなんだ。バートさんが花を愛する気持ちを持ってくれないかぎり、あいつは消えないよ」と叫びます。

マリーベルは、怪物と戦うかわりに、花を愛する優しい気持ちを、こころのなかで歌います。ユーリとケンも手助けします。

するとどうでしょう! 怪物は消えて、バートさんのこころのなかは、おだやかな、みどりの平和で満たされてゆきます。こころがやさしいちいさな草花で満たされてゆきます。いかめしい顔をしてうたた寝していたバートさんが、ふっとほほえみます。

バートさんは自分が何であんなに花を嫌っていたのか、忘れてしまいます。なんであんなに「花は邪悪だ」「花屋は即刻、閉鎖せよ」などとこだわっていたのでしょうね。バートさんは花を怪物だと思っていましたが、その敵意も邪悪さも憎しみも、すべてバートさん自身のこころのなかに原因があったのでした。

そして、マリーベルも気づいたことでしょう。部屋じゅうを花でいっぱいにしてしまう派手な魔法にちからは無く、本当に有効なのは、目に見えない「歌」のちからだったのです。

初めの魔法は、ただ強引に相手のまわりを花だらけにしただけでした。

見た目はいかにも「魔法」ですが、効果がないばかりか、むしろ反対に相手がますます怒りだしました。

本当の魔法は静かで、目に見えないのです。

初めの魔法と同じように「花でいっぱい」にするのですけれど、チャンネルが違ったんですね。バートさんの「思い出のなか」に入りこむという描き方も、分かりやすい説明にすぎなかったようです。「あなたは忘れてるけれど、わたしに想われているよ。見えないちからを感じて、つよい気持ちでいて」ということなんですね。

Images from 『花の魔法使いマリーベル』, © テレビせとうち, ビッグウエスト, 葦プロダクション, 1992.

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[IntelliPoint] マウスドライバ Ver.4 リリース

2001年10月23日
記事ID d11023a

2001.10.23 マイクロソフト製マウスのドライバーが Ver.4にメジャーバージョンアップされました。MS製品のインテリマウス、ホイールマウスなど(オプティカルを含む)をご使用のかたは、ご検討ください。いま現在マウスの不具合がなければ必須のアップデートでは、ありませんが、べんりな機能が追加されてますので、ご紹介します。

Mac版も更新されています(OS 8.6 以上、OS X 非対応): Microsoft IntelliPoint Software for Macintosh Version 2.0 Macintosh 版 アップデート プログラム無償配布のご案内

「プログラム特有のボタン割り当て」とは?

手元では、マウスのホイールボタンをクリックするとウィンドウを閉じる設定にしているのですが、ここでは試しに、mame.exe だけは別の動作をさせてみましょう。これは通常、開きっぱなしにしているファイラーなのであまり「閉じる」必要がありません。そこで mame.exe の上でホイールボタンをクリックしたときは、キーボードの[1]が押されたのと等価になるように設定してみます。

mame.exe 側では、もともと、「1」キーを叩くと、カレントが c:\home\ になるように設定しています。そこで、

――となります。使い方によっては、なかなか良い機能では、ないでしょうか。

カスタマイズの方法ですが、マウスのプロパティの「ボタン」タブにある「プログラム特有のボタン割り当てを有効にする」にチェックを入れて、「設定」をクリックします。

すると、「ボタンの詳細設定」というダイアログが出ます(画像)。

ここで「追加」をクリックすると、おなじみファイルを選択するダイアログが出るので、特別なマウスの挙動を割り当てたいソフト(ここでは mame.exe)を選択。そして、ダイアログボックスの右側にあるプルダウンリストから好きにいじれば、左、右、ホイールの3ボタン(マウスによっては、もっと数が多い)のそれぞれについて、クリックしたときの働きを設定できます。ここでは左クリックと右クリックは普通のままにして、ホイールボタン(中央ボタン)には「キーボード操作...」を割り当ててみます。「キーボード操作の割り当て」というダイアログが出るので、割り当てたいキーを叩いて[OK]。数字の [1] キーを割り当てたあとの状態の画像

このような設定が、個々のプログラムごとに、好きなだけ追加/削除できます。修飾キーがあってもかまいません。例えば、マウスで操作することの多いソフトの中央ボタンに [Ctrl]+[O] を割り当てれば、新しいファイルを開くとき、メニューのところまでマウスを動かして「ファイル(F)」をクリックして、またマウスを動かして「開く(O)」をクリックするかわりに、画面のどこででも単にマウスを一回クリックするだけでいいわけです。キーボードショートカットに対する「マウスショートカット」という感じ。同様に、右クリックをほとんど使わないソフトでは右クリックによく使うべつのショートカットを割り当てるのも良いかもしれません。

ただ、あまり複雑にいろいろ設定すると、自分でどのボタンが何だったか分からなくなるかもしれません。

ダウンロードとセットアップ

ダウンロードは、Microsoft IntelliPoint Software Version 4.0 Windows 版 アップデート プログラム無償配布のご案内を参照。手元の Windows 2000 では、解凍したら Microsoft IntelliPoint 4.0 というフォルダとそのサブフォルダに setup.exe がいくつも出てきました。てきとーにいろいろ試したら、Mouse\SETUP\oemsetup.exe からセットアップウィザードを起動できました(セットアップウィザードの起動画面)。

環境によっていろいろ違うと思うので、てきとーに試してください。Windows 98 などでは、ダウンロードしたファイルを起動するだけで一気に自動でセットアップまで進むみたいです。

以上、マウスドライバ(マウスをコントロールするソフトウェア)の更新は無料で行えますが、ドライバまわりは微妙な点もあるので、慎重にやるには1~2週間、様子を見たほうが良いかもしれません。おおぜいのユーザがこのアップデートを行うと思うので、問題があれば必ずニュースになると思います。

でも、要するに、万一、更新して不具合が起きたら、アンインストールして元のバージョンの IntelliPoint を再インストールするなりすれば良いわけで、自分自身は、ドライバが新しくなったらとりあえず更新するタイプです。いちおうマイクロソフトが日本語版ページで大々的に正式リリースしたものですし。

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