RFID タグとプライバシー問題についての、私の知る限り最も単純かつ強力な問題提起のひとつ。
ただし、私がこの記事を読んで「RFID タグはヤバイ」と思っているのかというと、そうではありません。少なくともこのシンプル・シナリオから想起される様々な問題は、いずれも私にとって「利便性と天秤にかけて、許容できるレベル」だからです。RFID タグになんら問題がない、利益だけあって損失が何もない、という意見は間違っている……それは認めますよ、ということ。
したがって、特集ICタグ35の疑問, 日経コンピュータ2004年10月4日号, p.57にある(らしい)以下の記述は、ミスリーディングかもしれないと思います。
ICタグに記録してある情報は0と1を羅列したバイナリ・データであることが普通。それだけ読んでも、何ケタ目から何ケタ目までが何を意味しているのかは分からない。バイナリ・データの意味を知るには、ネットワーク上に星の数ほどあるデータベースの中から、そのバイナリ・データを管理しているデータベースを突き止める必要がある。さらにセキュリティの網をかいくぐってハッキングに成功しなければならない。
そもそも、赤の他人に近づいてカバンに入っている持ち物のバイナリ・データをこっそりと読み、その意味を解釈するのにわざわざハッキングなどの手間をかける人間が本当に存在するかどうか疑問が残る。
けれども、この記事の真意は、「クリティカルな問題は、こうでもしなければ生じないじゃないか」ということだろうと、私は解釈します。何をもってクリティカルと考えるか、ということは、簡単にコンセンサスの取れる問題ではないでしょう。ただ話の前提として、「ネットの匿名性」が多くの場合に幻想に過ぎないことと同様、実社会の活動においても、RFID タグなどなくたって相当のプライバシー流出は生じている、という認識はあってよいでしょう。RFID タグ以前は無問題、RFID タグがパンドラの箱を開ける、という話ではありません。
つまり RFID タグが社会に入り込むことにより、またひとつ小さなステップを登ることにしかならない、と考えるのが妥当だと私は思います。
例えば一般の郵便物なんて、第三者が郵便受けから簡単に盗み出すことが可能でした。シールを貼ったものならともかく、ふつうの葉書は内容が一目瞭然、封書だって密かに開封して元に戻すくらい、素人にもできることです。そんなことは、ちょっとわかっている人には常識でしょう。「個人情報が漏れる危険性があるから、郵便物なんて一切使うべきではない」という意見は聞きません。
RFID タグも同様で、シンプル・シナリオを見ての通り、結局のところ、単に ID の固有性を根拠に可能となる「追跡」には、自ずと限界があります。そして N システム(車のナンバープレートが RFID タグに対応)や ATM の監視カメラ(顔などが RFID タグに対応)などが生起しうる問題と、基本的に同じ構図に過ぎないことがわかります。
ある店舗のコンビニの監視カメラの記録映像を辿れば、ある人物(名前や住所は不明)が、どれくらいの頻度で、何時頃に来店したか、大体どんなものを買ったかまでわかります。レジの記録を参照しなくても。さらにあちこちの店舗の映像まで探索範囲を広げれば、顔や風体といった固有情報から、一定の「追跡」が可能となるわけです。非効率だから、強盗事件でもない限り、誰もやらないだけです。可能か不可能か、というレベルでは、可能という他ありません。
速度違反自動監視装置(オービス)はもっと効率がよくて、かなりのデータが自動で収集・処理されています。またナンバープレートを用いた低度の「追跡」は誰にでも可能で、同じナンバーの車が A 地点と B 地点で目撃された場合、おそらく同一の車が A 地点と B 地点へ行ったのだろうと、推測できるわけです。盗まれでもしない限り、ナンバープレートと車は1対1対応しますから。車と持ち主の対応関係は微妙なのですが、それでもしばしば妙な場所で車が目撃されたのが原因で浮気がばれたりします(=プライバシー流出)。
これまで米国では,「警察が必要とする利益」と「市民の権利」のバランスが取られてきた。ナンバー・プレート自体が,このバランスの“産物”である。1900年代初頭に起こった議論を振り返ってみよう。当時警察は,所有者の氏名が書かれた飾りプレートをすべての自動車に取り付けるよう提案した。警察は,「犯罪発生時に車を追跡しやすくなる」と主張した。市民の自由を主張するグループは,「所有者全員のプライバシが侵害される」という理由でこの案に反対した。そこで両者は妥協した。ランダムな文字と数字の組み合わせを使い,警察が自動車の所有者を特定できるようにしたのだ。故意にシステムを扱いにくく設計することで,警察の必要性と市民のプライバシ権とのバランスを取った。
犯罪の捜査において、目撃情報として必要なのはナンバーだけ。車の所有者名を、一介の目撃者が知る必要はありません。そういう意味で、車のナンバーがランダムな文字列なのは合理的です。RFID タグに収められている情報がランダムな文字列なのも同じことです。それでも固定 ID であるだけで一定の「追跡」は可能ですが、しかし……と、そういった読み方をしないと、怖い怖いというだけで話が先へ進みません。
進まなくていいよ、という意見は、もちろんあるわけなんですが。
大筋では、そういう流れがあるようには思う(思うだけ)。
こうして他人のやり取りを見ていると、なんだか冷めてくる。素直にスタイルシート推奨という気にもなれない。表示の崩れが気になって云々、という考え方は、やはり強固なものです。幅広い環境への対応、という題目も、現実的な人数を数え上げていくか、観念的に対象を広げるか、という立ち位置の違いによって結論は変化します。携帯電話から PC 向けサイトを見ようとする人は、やはり多くないわけで。
最近まで MacIE5 より WinIE5.5 の方が利用者が多かったのに、なぜか IE5.5 の利用者からご不満の声をいただくことがありませんでした。あちこち表示は崩れているのだけれど。ちなみに、実際に NN4 をメインでご利用になっている方から、何か苦情が出たという経験もない。NN4 はオマケ程度にしか使っていない人からは、いろいろご意見を頂戴したこともあるわけですが。
NN4 といえば、にゃごろう村時代には大学の図書館や、情報処理室の UNIX では他に選択肢がなかったことを思い出す。IE5 そして IE5.5 が図書館の情報処理端末にインストールされたときは衝撃を感じたものだった。同じ Web サイトでも、なんだかとってもきれいに見えるんだもの。あの頃、開発速度が IE の優位点のひとつだったのは間違いなかった。最初からバンドルされているから云々、という話はあるけれど、IE5 や IE5.5 は Windows 98 ユーザでもみんな導入したはず。私の場合、IE6 まで Windows 98 に入れた。Windows XP が軽快に動くパソコンを買ったのはその後のこと。
じつは Folio の最新号、WinIE5.5 とか WinIE5 ではマトモに表示されません。でも、それで不満が出たという話は聞きません。Firefox や Opera や MacIE5 で表示が崩れると、いろいろ不満の声を頂戴することになります。「このブラウザで表示が崩れるのは CSS 側の問題」という発想。「W3C で CSS を調べて Valid だと確認している。後はそっちの都合だろう。JS か CSS のいずれかを無効化すれば、簡単に表示の崩れは解消できるので、ご参考まで」というのが私の返答。IE6 の CSS 解釈ミスには厳しい人も、なぜか Firefox のミスには甘かったりするのがおかしい。
Firefox と Opera と MacIE5 のユーザは、古い WinIE ユーザの忍耐強さに、もう少し学んでほしいと思っています。
なんでも美談にすればいいってものでもないだろう、とは思うけれど、教育用(?)には悪くないのかもしれない。とはいえ、物言わぬ存在に勝手に気持ちと声を与えて操り人形とする発想は、基本的には動物を原告とした環境裁判と同じ。この物語にも、人間の作者がいる。今のところ何の罪もない存在なのだけれど、警戒しておいた方がいい。
例えば「とき325号記念館」を作ろう、みたいな税金の無駄遣いが計画されたときに、安易に乗っかったりしないために。
3つの記事を紹介したけれど、ニートを問題視している人と五十歩百歩、だとは思う。憶測で適当なことを書いているだけだから。それでも、SHINTAKKIN さん(R30)の指摘は興味深い。
つまり、僕がニートという言葉に何かもやもやしたものを感じていた理由というのは、この言葉自体が「いい年した男性は結婚して働いているべきだ」という社会的偏見をたっぷりと含んでいるからじゃないのか。
偏見
と呼ぶか、文化と呼ぶか、といった問題はともかく、ニート批判の本質は価値観の摩擦なのだろう。テレビニュースを見たり、新聞を読んだり、WWW で情報発信したりしている人々の生活・知的水準は、そういうことをしない層の平均より上になる。その意味で、テレビや新聞やネットの意見はみな広義のエリート層の意見であって、現在、その範囲内ではニートという存在は貶められている。
さて、いつまでこの状況が続くのか、見物だと思う。
自信ありげな落合弁護士に対し、小倉弁護士がコメント欄に寄せている言葉に注目。(さらにこちらの記事で詳細を参照のこと→小倉秀夫の「IT法のTop Front」:ファイルローグとblog事業者)
こう考えれば当然、こういう結論になる! ……そこで話が終るなら裁判なんていらない。たいていのトラブルは弁護士に相談した時点で解決することになる。でも、弁護士が有罪だ無罪だといってやりあうテレビのバラエティー番組をみればすぐにわかる通り、実際には意見が割れる。
「あいつらはわかってない!」というあたりに敗因を求める人は多いのだけれど、さて、どうなのでしょうか。
結局、人の価値観、世界の見方は多様なので、「こう考えれば」の部分で意見の一致を見ることは、なかなか難しい。頑張ればできるという種類の話でもない。ネットで声の大きい弁護士は、たいてい消費者に肩入れする。匿名での発言環境を守るのに有利な結論を導こうとされる。論旨明快、どうだこれで反論できないだろう、という感じ。でも現実の裁判では、けっこう苦労されているわけで。世界の理想像、前提条件の捉え方を共有できない相手を、スマートに説得する手段はない。
例えばこの記事に、レンタルブログサービス→通信事業→電話業者という連想を使った例え話が登場するのだけれど、電話の場合、問題を知ったときには通話は完了しているのが一般的だけど、ブログなら違法な記事は現にそこにあって、サーバ管理者なら削除でも何でもできるという点が異なる。「知っていながら放置した」としても、放置の種類が違うではないか。
……なんて反論は簡単なわけで、結局、それぞれの価値観に照らして「そう思うかどうか」が争点となったりするのだろう。
W3C は HTML の仕様を勧告している団体。英語版は斜め読みし、JIS の技術書(?)になった翻訳版と有志による翻訳版を読みました。HTML4.01 の仕様書の説明にはいろいろ考えさせられ、そして共感するものがありました。さらにいろいろな状況を勘案して、W3C の勧告に従って HTML4.01 を使っていくことにしました。それから3年あまり経ちました。
他にもっといい仕様があるなら、そちらに従ってもいいと思っています。じつは W3C 以外では ISO も HTML の仕様を制定しています。これは JIS 規格になった翻訳版しか読んでいませんが、仕様書自体はつまらない内容ながら、補足の解説が興味深いものでした。ただ、ルーズで中途半端な私には向かないかな、と思って、自分のサイトに採用することはありませんでした。(ちなみに ISO-HTML に準拠した文書は HTML4.01 にも準拠した文書となります)
XHTML には興味がなくて、仕様書は翻訳版を斜め読みしただけ。XHTML の仕様書は、少なくとも読み物としてはビックリするほどつまらないので、一般の方には勧めません。
Movable Type を導入した当初、このツールは XHTML じゃないと駄目なのかな? という先入観があって、テンプレートを XHTML1.1 に準拠させてみました。けれども、どうも気に入らない。W3C は XHTML はいいよー、みたいなことを書いている(と思う)のですが、ピンとこない。それでテンプレートを書き換え、HTML4.01 に戻しました。
今、HTML の仕様を考える団体は W3C に集約され、マイクロソフト社なんかもずっと昔から参画していて、対抗馬が存在しないわけですが、別に W3C 以外の団体が新しい仕様を発表してもいいと思う。それが素晴らしい内容で、みんなをひきつける魅力にあふれているなら、Web ブラウザを作っている会社も対応を検討するでしょう。そうして新仕様対応のブラウザが十分なシェアを確保したら、私もその仕様に従って文書を作ってみたいと思う。
「W3C 信者」という言葉は、かなり以前からあるのだけれど、うまいこといったものだと思う。中にいろいろな分派があって、私は新約聖書(=XHTML の仕様書)はなんだか好きじゃない。かつてそこに導きの光を見た旧約聖書(=HTML4.01の仕様書)
の示す戒律に従って生きている。
世間に多いのは、いわゆる(?)「不思議マークアップ」「とほほ HTML」の亜流に属する方々。教祖様のそのまた教祖様をたどっていくと、結局、すべての道は W3C に通じているのだけれど、途中で異教と融合したらしくて不思議な変貌を遂げています。末端信者とか、支部長クラス(中には数万人の信徒を抱えている大物も)になると「HTML というのはホームページを作るためのプログラミング言語」だったりして、面白いですね。
それはそれでまあいいや、と(基本的には)思っているのですが、ときどき不愉快になって異端尋問の動議を起こしたりもしてきました。しかしたいていの相手には自分の意見が W3C 教にルーツを持っていることを知らず、当然、聖典に目を通したこともないので、ちっとも効果がない。いや、そういう方はむしろ話しやすくて、むしろ厳しい戦いになるのは、自覚的な異端者。冷めていれば「放っておけばいいんだ」と気付くのですが、燃えているときはなかなか……。
ただし「宗教戦争は不毛です」というつもりもなくて、意外と、勉強のきっかけはそういう場面だったりすることが多いと思う。
いずれにしても、こういった、「どんな教えを信じるか」「救いとするか」という選択の仕方を考えるとき、たしかにこれは宗教めいています。
「趣味のWebデザイン」は lint では減点されるけど、W3C によれば Valid みたいです。まあ、ウチなんかは対象外なのかな、とも思いましたが。変な div 要素とも縁が切れていないし(じつはそうなんです)。
- 簡単に(3〜4つのファイルの設定とパーミッションの変更程度)
- 自由度が高く(HTMLのテンプレートの自由度)
- 手軽に更新できる(はてなくらゐの手軽さ)
の、日記スクリプトつてありませんかね。私はMTやtDiaryやnDiaryのやうなものは、弄りたくもありません。設定やインストールにばかり時間をくつて、本末転倒だからです。かといつて、自分のサイトがあるのにそちらでやらない現状にも不満、といふ状態なのです。誰か良い案をお持ちでないでせうか。やはり手動更新しかないのかな……。
MT のインストールは簡単だと思う。少なくとも BerkeleyDB を使う場合は。設定も簡単。加納さんのご希望の範囲内でおさまります。回線が細いとダウンロードとアップロードに時間がかかるけれど、インストールマニュアルをきちんと読めば、その他の作業時間はせいぜい30分です。日本語化が必要だった頃とは状況が違います。sb というブログツールがあって、これもブログ風のことをやるだけなら、非常に設置は簡単。テンプレート機構もシンプルでいいですよ。
更新の手軽さ、というのが何を指しているのかよくわからない。管理画面へのログインという手順自体を排除し、閲覧画面から直接新規記事の編集へ移行できるほど簡単なツールは見たことがありません。ただ、いったん管理画面に入るくらいの手間は気にならないのであれば、選択肢は広がります。wiki ライクなマークアップ機構まで備えるとなると、MT+プラグインまたは tDiary しか知りません。
テンプレートの自由度を求めると、覚えることも増えるわけで、設置の簡単さを気にされるならテンプレートの自由度だって低い方がいいと思うのだけれど、どうなんだろう。MT のテンプレートは自由度が非常に高いけれど、勉強無しではデフォルトのテンプレートを一部変更することしかできないのではないでしょうか。
オンライン更新ではなくて、FTP を使ってもいいなら、lily とか凄くいいと思うのだけれど、どうでしょう。原稿の本文部分は FTP でアップロードして、インデックス(最新記事数件とか)とナビゲーションを自動生成するというタイプ。コメントやトラックバックもできる。tNote という手も。この方面も、いろいろ選択肢があります。
現在、私が使っているのは MT と sb だけなので、そのあたりは割り引いて読んでください。あと、基本的にツールを使うとなると、手動更新の持ついい加減さがどうしても問われることになります。例えばファイル名のつけ方とか。うまくすれば楽できるでしょうけれども、現在のあれこれを完全に維持しようといったことになってくると、いくら自由度が高くてもどうにもならない部分が必ず出てくると思います。
さて、何人かのかたが、id:wslashさん = 旧id:theoriaさんという等式を受け入れがいらっしゃる。これ、少しだけ不思議な感じがしています。というのも、いま、まさに、「著作権侵害や苦情等に対応できるようにするためユーザ様の正確な住所登録を!」という話が出てきてアレコレ紛糾っぽくなってるときだから。ひとと話をするときに「まず相手を信じてみよう」という態度は悪くないというか一つの見識だと思う。つねに実現できているひとを尊敬したいと思ったりもする。でも、同時に、なんだか素朴(もしくはイノセント)だなぁ、と思うでした。今回の等式についていえば、自己申告があったし、CSSとか内容とか雰囲気が似てるから、まぁ同一人物なんだろうなぁ、っていうところなんでしょうけれど。
いやいや、本当にそうなんですよねー。証明のしようがないのが、アレですけど。もう一回某お犬様と喧嘩すれば解ってくれるかなー、とか云ってみる。
私の場合、That’s wrist-slash.をアンテナに入れているので……。「まず相手を信じてみよう」という態度
というより、種明かしを読んでから新生・黎明日記へ辿りついたのです。最初からid:wslashさん = 旧id:theoriaさんという等式を受け入れ
ていた方には、私のような背景事情のある人間も少なくないのではないか、と。
私は割と淡白なので、いつも見ていたサイトが消えてしまっても、基本的には探さない。ただ菊池さんの場合、何度もリンクされたので、(リンク元からネタを拾うことが多い私の場合)これで気付かない方が難しかった。
これは私の場合ですが、菊池さんのこの手の記事については、話半分に読むことにしてます。だって行く先々で自称年齢がクルクル変わる人なのだし。ただし Numeri のオフ会に顔を出していらしたから、そう無茶なことを書いているわけでもないのだろうとは思う(じつは80歳の老女です、孫が4人います、みたいなことはなさそう)。
じつは今回の身の上話、これまでの日記といくつかの点では符合しています。でも、完全に矛盾する話も少なくない。「結婚するから閉鎖」というありがちなネタをやってくれたことでもあるし、面白いなー、と思って気楽に読めばいいんじゃないかと。
私は幸せな人生を送ってきた人間で、まず、これまで衣食住に困ったことはない。いつだって着る服があり、食べるものがあり、住むところがあった。病気になれば医者に診てもらえた。勉強したいことがあれば、必ず支援してもらえた。両親は仲がよく、いつも子供を大切にしてきた。小説やドラマでよくテーマになる「愛されていない、という不安」を感じたことがない。その結果かどうか、私はおとなしい性格で反抗期さえなく、弟も反抗期こそあれ暴力とは無縁だった。
一家の収入は新聞に発表される平均年収には遠く、ちょっと会社の経営が傾くと「今期はボーナスが出ません」となって、年収は400〜500万円くらいだったと思う。ここから税金とか引かれるのだから、まあ庶民だったんだろうね。でも、日本の庶民はいいよね、冷蔵庫も洗濯機も買えちゃうんだから。母が手にあかぎれを作っていたのは私が小学生の頃の話で、私はときどきそのことでポロポロと涙をこぼしたものだったけれど、いつの間にか冬場の食器洗いはお湯でやるようになっていた。
私が大学生になった頃には、一軒家を買う資金ができていて、母の部屋にクーラーがついた。全自動洗濯機も導入され、家事は格段に楽になった。そうしたら病弱だった母が少し元気になり、だんだん太りだした。これまでどれだけ苦労をかけていたろう、と家族はみんな反省したのだった。
貧農の次男として生まれたがために、幼い頃より冷遇されて育った父は、なぜか祖父母の愛情を疑ったことがなかった。父が祖父母に感謝する言葉、祖父母を褒め称える言葉は幾度も幾度も聞いた。そして一度も、父は祖父母を悪くいったことがない。ひもじい思いをして育ったのに、長男である伯父とは何から何まで扱いが違っていたのに。しかし父が口にするのは、ただ登山をしたかった父ために大学へ通わせてくれたことや、丈夫に産み育ててもらったことへの心からの感謝である。
中学校で水泳に打ち込み、高校時代、山に心奪われた。大学へ5年通い、山へ登り続けた。そして、大切な仲間を、吹雪の中で失った。大学を卒業し、実家へ戻った父は家業を継ぐ。だが都会で身体を壊しドロップアウトした伯父が戻ると、愛知から東京へと追いやられた。狭くやせた土地を、兄弟で奪い合うようなことがあってはならない、と。だから、二度と戻るな、と。見知らぬ土地で料理の道へ入り、何年もジャガイモやニンジンの皮をむき続けた。
オイルショックなどで不景気になるたび、不運にも父の勤める店は倒産していった。失職すること3度。失業保険が失効し、サラ金で首が回らず、栄養失調で倒れた。愛知から駆けつけた祖父母に、父は泣いて謝ったという。「**(父の名)には可哀想なことをした」と祖母は悔やむが、父はこのとき祖父母が駆けつけてくれたことを心底嬉しそうに話す。
産経新聞で土田国保・元警視総監の評伝が連載されている。妻を爆殺され、被害者の夫として、警視庁警務部のトップとして、テレビを通じテロの虚しさを説き、凶行の終焉を訴えたことで知られる。70年代の日本には、テロの嵐が吹き荒れていた。ほとんどの人は、喉もと過ぎれば何とやらだろう。だが父は、決してあの時代を忘れない。親友を爆殺されたことを、生涯忘れない。頭でっかちの学生上がりが、革命だ何だといい気になって善良な市民の命を奪ったのだ。
母と結婚するにあたり、失職のない職場として選んだのが成田空港の機内食会社。70年代の成田といえば、国家権力の死守する社会秩序が左翼過激派の挑戦を受け、警官が何人も殺された地である。私と異なりつらい道を歩んできた父が、人生のリスタートにあたり成田の地を選んだのは、偶然ではなかったと思う。25年以上にわたって成田空港で地道に働き、過激派の暴力闘争路線が次第に追い詰められ力を失い、街が発展し、日本の社会が平和に豊かになっていく様を見届けてきた。
周囲の人物評は、ほぼ定まっている。頭は少しヨワいけれど、純朴で人を信じる強い心を持っている、まじめ一筋の正義漢。
高校を卒業する頃までは、頭のヨワいところばかり気になって、いまひとつ尊敬の念がわいてこなかった。だが大学1年の夏休み、一人で父の故郷を訪ね、多くの人々の話を聞いてから、父を見る目がじわじわと変化してきたように思う。ちょっとした要領のよさ、小賢しさなんて、くだらないものだ。くだらないなりに、あれば便利なんだろうけれど。人生に、周囲の人々に、感謝し続けて生きてきた父の謙虚さ、強さ、優しさ。すべて私は足元にも及ばない。なんとつまらない人間なんだと思う。
今更だけれど、「波状言論」の値段については思うところがある。私は同人誌には疎いので、商業誌の感覚でモノをいわせていただくのだけれど、「波状言論」のバックナンバーは1号250円ということになっていて、これは正直いって安くない。モノのコストと中間マージンを相当程度省略したはずなのに、定期購読でも1号150円。もう一度書くけれど、安くない。
別に、内容に不満があるわけじゃない。それだけの価値があると思えば買えばいいだけの話で。
ただ、ネットが商業出版に価格破壊の波を起こすだろうか? という観点からいうと、果たしてどうなんだろう、ということ。「IN☆POCKET」は210円で、原稿用紙100枚の小説がポンと「オマケ」で掲載されたりする。平均300ページを超える充実の内容。広告が結構あるとか、部数が違う、というのはもっともな意見だけれども、それにしても相手はレイアウトもプロのデザイナーが組んでいる、読みやすい紙の本ですからね。有料メルマガって、読みにくい割に価格はそこそこだよね、という印象は拭えない。そして実のところ、「波状言論」は例外的存在で、(私の見てきた)多くの有料メルマガは文字があんまり多くない。
ここで重要なのは、誰一人暴利を貪ってなどいないということ。ネットが価格破壊を牽引する、という「夢のような話」は、本当に夢想の類だったのではないか。
近所の古書店へ行けば面白そうな本が1冊50円でたくさん売られているわけで。1万円も出したら、1年くらい読むものに困らない。実際、それで部屋に本があふれて困っています。
最近、ちょっと不思議に思っているのが spam メールのこと。というのは、いまだに spam メールがたくさん届いて困るなんて話を聞くのだけれど、私は今年に入ってから全然困らなくなったのだ。ちなみに、私が個人で使っている(いた)サービスは以下の通り。
私が主に利用しているのは hotmail だ。実家へ帰っても、その他たいていどこにいてもチェックできるので Web メールは非常に便利だと思っている。Web メールはいろいろあるのだけれど、Outlook Express で管理できるのは hotmail しか知らないので、ずっと使っている。今はどうか知らないけれど、4年位前には、yahoo メールも excite メールも OE から扱うことはできなかった。それがなぜ嫌なのかというと、私は中学時代(高校時代か?)に「超整理法」の洗礼を受けて以来、今でもたいていのデータは時系列で一括管理している。だから、 Web メールとふつうのメールを一括でまとめておきたかったわけ。転送とか面倒でしょ。メーラーの中でコピーできてしまうのが一番いい。
その後、優先順位が逆転してしまって、hotmail と相性がいいから OE を使い続けるということになっている。引っ越しに伴ってプロバイダを変えたことがあって、安定したアドレスとして信用できるのは、じつは hotmail かもしれない、という考えもある。OE は危ないという人が多いけど、私は普段からスクリプトを実行しない設定にしているし、添付ファイルも見ずに捨てる。よくわからないメールはプレビューもしない。信頼できそうなメールを読む場合にも「メッセージはすべてテキスト形式で読み取る」設定にしているから、九分九厘トラブルには出くわさない。ウイルス対策のソフトウェアにもきちんとお金を出しているから、新聞に載るようなウイルスは必ず自動で対処される。
私はいったん気に入ったら有料サービスでも何でも平気で使う性格なので、hotmail の追加容量サービス(現在の hotmail PLUS)を申し込んだのは、意外に早い時期だったように記憶している。それと矛盾するような話ではあるのだけれど、じつは一時期、メールボックスが spam であふれたときがあった。ずっとアドレスを公開し続けてきた結果だった。右も左もよくわからない頃には、2ちゃんねるにもメールアドレスをきちんと記入して発言していたりした。で、「送信者の禁止」をいくらやっても追いつかなくなり、毎月のように「禁止リスト」がいっぱいになって、リストの全消去をしているという状態に陥った。これはもう駄目かも知らん、と諦め、とうとうアドレス帳に登録されていない相手から届くメールを全部自動振り分けして捨てることにした。
こうすると困るのが、いろんなサービスに申し込んだときの登録確認メールだ。じつは、こういうことを予想して、プロバイダからもらったアドレスを大切にしまいこんでいたのだった。今でこそ大手プロバイダを利用しているから、しらみつぶし系の spam の迷惑もある。しかし以前は、地方の零細ケーブルテレビ事業者との契約だったので、spam は基本的にこなかった。
hotmail の利用者アンケートには2回くらい答えたと思うのだけれど、ウイルスよりも spam を何とかしてください、とお願いした。
hotmail の spam 被害が減りつつあることを知ったのは、いつのことだったか。ふと気まぐれで迷惑メールの処理レベルを変更してみたら、あの嵐のような spam がほとんど消え失せていた。最近では、1日に1通も届かないくらい。「迷惑メールを報告して受信拒否」という機能が用意されてからというもの、急激に状態が改善されたような気がする。Windows も毎月のようにエラー報告を送信しているのだから、次期バージョンではちゃんと問題が解決されているといいと思う。
とにかく今、hotmail なら spam はほとんど届かない。信用できそうな相手だけにしか教えてこなかったプロバイダのメールアドレスには、もっと届かない。目下、一番 spam が多いのは XREA のアドレスなんですが、これも1日1〜2通。昔を知っている人間からすると、spam 対策はこれでもう満足かな、という感じ。原理的に完璧は目指せないわけだし。
というわけで、spam メールで困っている方は hotmail を試されてはいかがでしょうか。念のため。迷惑メール対策のレベルは「高」にされることを勧めます。また、確実に連絡を取りたい相手には、プロバイダのアドレスを教えるべき。結局、spam をよく排除するフィルタは「波状言論」も排除してしまう。それは仕方のないことであって、「そもそも spam が届かないアドレス」と「spam はくるけどフィルタで制御できるアドレス」の2種類を使い分けるのがいいのではないか。
米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長に送りつけられる迷惑(スパム)メールの数は1日400万通近くに上ることが分かった。世界最大手のソフトウエア会社の創業者で、世界一の資産家でもある同氏が標的になっているようだ。ただ、同社によると社内の迷惑メール駆除システムを経て本人のメール受信箱に届く迷惑メールは数通だという。
同社のスティーブ・バルマー最高経営責任者(CEO)が滞在先のシンガポールで明らかにした。マイクロソフトには正規のメールと迷惑メールを選別する特別な技術があり、社内の一つの部署がほとんどまるごとその対策にあてられているという。
バルマーCEO自身も大量の迷惑メールを受け取っているという。同CEOは「当社の迷惑メール対策技術のおかげで、そのうちで自分の手元に届くのはわずか10通程度だ。もしみなさんが迷惑メールに悩んでいたら、社内の情報技術(IT)部門に対して、迷惑メール対策の最新技術を導入しているか問いただしてみたほうがいい」と自社技術のアピールを忘れなかった。 (11/19 17:14)
AAのズレが直せない
といってお困りの件、画像化するのが正解だと思います。WinIE のデフォルト設定(=ブラックボックス)に依存した表現を、スタイルシートであれこれやっている環境で再現するのは、基本的に不可能。どうせ読み上げブラウザではワケわかんないものなのだし、ひと手間かけて画像として……、あ、そうか、おれパパの場合、画像にしちゃうと float:right; で右に行っちゃうんだった。じゃあ、文章部分も含めて画像化するというのはどうだろう……、あ、そうか、はてなダイアリーには画像の大きさの制限があるんだった。
ところで今まで意味もなく金を払い続けていたダイアリー&アンテナ有料オプションを解約した(元々有料の機能は全然使ってない)。
という記述が11月1日の記事にあって、そういえば無料ユーザでも Amazon のアフィリエイトって OK だったんだっけ? と思ったら、OK なのだそうで、なるほどなあと思った……、のだけれど、その判断の根拠を確認してみたら、やっぱりどうなんだろうと疑問が。→わかりやすい説明をいただきました!
10月21日の記事にでもテキストをパクパクというのはなぜか抵抗感がある。それは出来ない。写真家さんとかに怒られそうな話ですいません。
という一節があり、これについては何か書こうと思っていたのだけれど、面倒なので放り出したのだった。
私はテキストだってパクパク
上等という文化が成立した方がいいんじゃないのかと思う。経済的に価値のあるプロの仕事は散々パクられていて、その割にあまり騒ぎにならず、逆に素人の極めてどーでもいい著作物がパクられると大喧嘩になったりするのがどうにも気に入らない。なぜ逆じゃないのか。たぶん著作権に厳密なサイト運営するとなんかインターネットが全然面白くない
というあたりが問題で、つまり、素人の作品はパクることに公益性が足りないので怒られるのだろう、なんて考えて無理やり納得している。
でもやっぱり、結果的にであれなんであれ、素人の作品の方が厳密に保護されるような文化状況というのは異常というか理不尽な感じが否めない。8月に荒井さんがステキなNAVERブログという記事を書いたのだけれど、これを読んだときにも「なんだかなー」と釈然としない思いがしたものだった。
他人のサイトデザインを簡単にパクれるシステム
を業者側で用意するということは、つまり、利用者はそれを前提に利用するということなので、いったい何が問題なのか。パクられたくない人はよそでブログやればいいだけの話だろう。ていうか、Yahoo のデザインをパクったサイトは世の中にいくらでもあるわけで、プロのデザインが盗まれているのを見ても何もいわない連中が、素人がパクられたときばっかり(話がループしているので以下略)。
これまたありがちな記事なんだけど、少なくとも私から見て NAVER のシステムは画期的に素晴らしいものではなく、やり方さえ勉強すればブラウザの標準的な機能だけを用いて誰でも簡単に行うことができることを、ちょっと自動化してみましたという程度のことに過ぎない。もともと WWW の情報を閲覧する仕組みというのがデータをコピーしてきてローカルマシンの中で再構築するというものなのだから、コピーも転載も根本的には可能なことなわけで。
NAVER ブログで著作権侵害が起きている現状があるとして、じゃあ従来のシステムではどうだったかというと、やっぱりこれまでも同じ状況だったといっていい。だから WWW の仕組み自体を欠陥というならともかく、NAVER のシステムだけをことさらにあげつらうのは、どうかと思う。出展もとを明らかにせず、他人のサイトの画像を呼び出して掲載し、自分が描いたと主張すること、これは明らかな著作権侵害です。
と書いているのだけれど、NAVER はそんなことを勧めてはいない。
ていねいに読めば、誓さんも慎重に書いていることがわかるけれど、あの文脈では、結果的に NAVER のイメージを悪化させることになることは明らかで、それに気付かなかったとすれば不注意でしょう。「できる」ことを問題にするなら、そもそも従来から「できた」。だから、従来通り、それは悪いことをする人が悪いという話でしかない。
ところで、スクラップ機能について第三次四次配布者が発生した場合、それは著作権侵害となってきます。
と書いているのは疑問。もともとスクラップの許可は不特定多数に向けたものなので、二重配布だろうと三重配布だろうと、実質的な違いがない。転載許可のクリエイティブコモンズを付与して公開されているブログと同じ扱いになるのではありませんか。
ちなみに「趣味のWebデザイン」は無断転載推奨です。リンクするより転載してくれというスタンス。だから記事の URI が変わったくらいで文句いうな、と。リンク切れが心配なら転載しろっていっただろう、と。
抗議の意味で(皮肉で?)閉じてるid:HiromitsuTakagiさんやid:otsuneさんみたいな人たちがドカッと集まればブログサービス的には最高なんですけども、確かに招かれざる客をも招くであろう諸刃の剣。
じゃあその、招かれざる客を集めていそうなサービスといえばどこか? すぐに思いつくのがちゃぶろだけれども、じつは Seesaa blog が最強ではないかと思う。じつは私も使っているのですが、登録のあまりの簡単さにかえって不安になるくらい。無料メールアドレス(私の場合は hotmail でした)と適当な名前、この2つの情報しか求められない。そんなことでいいのか、という。(参考:ブログを作るときに要求される個人情報は?)
たまたまユーザが少ないだけなのかもしれませんが、どちらも(私の視界において)混乱は見られません。
最後に。今回、無料ブログサーバ徹底比較!の記事を参考情報として提示しましたが、基本的には素人のいい加減な調査に基づく主観的な評価を書いているサイト。だから当サイトと同様に、あまり真に受けない方がよいと思います。
韓国戦に誤審が多い、というのは FIFA 公認の事実となったわけか……。ひょっとして日本人だけがそういって騒いでいるのだとしたら嫌だな、と心配していたので、少しホッとした。
あと、中国や韓国はプレーが荒っぽくて、アレは反則じゃないのかという話をよく聞くのだけれど、私が見たところ、日本の選手も当然のような顔をして相手チームの選手のユニフォームを手でつかんでいたりするので、五十歩百歩だと思っている。サッカーはそういうところが嫌い。もっと選手に品性を感じられるスポーツが人気出るといいと思う。
いしたにまさきさんの記事に id:cotca さんの記事からメガネ小売市場が98年の6150億円から03年の5210億円(予測)と漸減しているというデータも載っていましたが、これはレンズ込1万円以下の安いメガネ屋さんが増えたせいだと思います
という一節が引用されていて、やっぱりそうだったのか、と思った。
CD について、「値下げ→バカ売れ→市場拡大」なんて妄想を書く人がいるのだけれど、「大幅値下げ→数量微増→市場縮小」という失敗例(と断言すると語弊があるが)は枚挙に暇がないことをなぜ無視するのか、と思う。私は CD なんて値下げしたって市場が縮小するに違いないと思ってる。値段が下がって余ったお金で何か他のことをしようと思う人が、値段下がったからもう1枚買おうかな、って人より多いんじゃないのか、という予想。
こういうのはアンケートなんてとってもあまり意味がないんじゃないかな。選挙前のアンケートではいつも「選挙にたぶん行く+必ず行く→80%」なんて結果が出るのと同じで。つまり、この手のアンケートにまじめに答える人、という段階でバイアスがかかっているという話。
前項の余談。
久々に更新を再開した黎明日記で「はてなの住所登録問題」のまとめをやって大ヒット中の菊池慶一さんが、かつて大プッシュしていたのがるるるさんのラジオ。ストリーミングじゃなくてダウンロード方式だったので、じゃあ聞いてみようか、と。素朴で面白いと思って、そのとき公開されていた分は全部聞いてみたような気がしますが、いつの間にかラジオのサイトが消えてしまって早1ヶ月。再開されるといいんだけど……という援護射撃(今頃)。
こういう文脈ではてな と 株式会社ウェディング/W社問題Vol.3がリンクされる、というのが面白いと思った。昔からいいたかったことがたくさん詰まっている文書なので、こうして再び日の目を見たのは嬉しい。私の意図しない受け取り方をされているケースもあるのだけれど、とりあえず今はいい。
あまり知られていないことだけれど、ネットで商売やっている人はみんな、商法の規定に従って本名と住所、電話番号を公開している。みんな、そんなに儲かっているわけじゃない。中には年間の売り上げが1万円に満たないような人もいる。その場合、たぶん商法にも引っかからないんじゃないかと思うのだけれど、それでも万が一のことを考えているのだろうか。
図書館へ行って電話帳を調べれば住所と名前と電話番号くらいはタダで数万人分入手できる、ということを最近の人はあまり知らないのかもしれない。一昔前の小説では、素人が人を探す展開になると、図書館へ出向いて電話帳をしらみつぶしであたっていく、というシーンがしばしば描かれたものだが。
私がはてなに登録しているのは、じつは実家の住所。現住所は会社の寮なんだけれども、当面、いつ転属による住居移転があってもおかしくない。両親は現在の家を終の棲家とするつもりだから、よほどのことがない限り引越しはない。そんなわけで、私はたいていのサービスについて、実家の住所を登録している。ただし電話番号は自分のもの。DDIポケットに倒産・廃業されたら面倒だな、と思っている。
そういえば、会社の同僚に全然選挙に行かない人がいて、聞くと、住民票を実家に置いたままなのだという。たかが選挙のために飛行機に乗って実家に帰る気になれないでしょ? というのだけれど、運転免許はどうなっているのか。
とにかくあれだ、電話番号を公開している私から見て、たかが住所で大騒ぎしている人ってバカっぽいと思ったので、ついでに実家の住所も公開しておこう。郵便物はそちらへどうぞ。宛名に何と書いたらいいかということについては、あらかじめメールか電話で相談のこと。というか、楽天フリマで私の出品している商品をお買い上げいただければ、私の現住所とか全部わかります(一番のお勧めの方法)。
あと、電話番号のときに勘違いした人がいたので、今回はきちんと書いておく。何が送られてきても我慢する、なんてことを私はいっていない。不愉快な電話も、不愉快な荷物も、その他様々な嫌がらせ、迷惑な出来事を私は望まない。「電話帳に情報を載せている人の家にはいたずら電話していい」なんて馬鹿な話はない。いちいちこんなことをいわせないでほしい。
下記のタイトルで検索してみてください。私しか出品していない商品ばかりなので、すぐにわかるはず。
CSS の解説書などはすぐに売れたのだけれど、売れないものはいつまでたっても売れない。ここに示したのは売れ残りリストということになるのだけれど、一覧にしてみると、やっぱりこういうのは売れないのかな、と思ったり。
楽天フリマで探し物を登録したら、何年間も目にしたことすらなかった本を、あっという間に全部入手できてしまって吃驚しました。ネット万歳! みたいな気分を久々に満喫。ちょっとした喜びは日々あるわけですが、これは大きかったなあ。何でもこう、都合よく手に入るとは限らないのでしょうが、十分な予算を確保して臨めば、意外と手に入るものは多いのではないかと思います。
ひとつ嫌味を言わせていただくと、ふだんソーシャルな面での近藤さんを知らずに、近藤さんの性格を云々したり、はてなラブとか言っていた人が、いざソーシャルな情報をくださいと言い出したら、信用できるはずがない、なんて言うのはちゃんちゃらおかしいのであって、近藤さんの性格を信じるならば、さっさと登録すればよいはずである。彼らは都合のよいときだけ人を信用し、信頼するが、それが悪くなれば何事もなかったかのように批判する。なるほど、それが処世の術であることは私も十分承知しているけれども、処世という生活の場ではなく、思考や観念の場においては、それは単なる卑劣なやり口に過ぎず、その手の卑劣さは己れの言説の価値を貶めるだけだ。
この順番で読むことをお勧めします。
……という注意書きからお分かりの通り、私は id:kanoke さんのご意見に賛同します。コメント欄にたくさんの反論が寄せられていますが、「無理いうな」と思う。
が現に存在するわけだから、選択権は消費者にあります。たしかにゲームは熱心なファンにとっては可換商品ではありません。しかし逆にいえば大多数のユーザにとっては可換の商品だと思います。
安かろう悪かろうという記事の他、情報の公開コストをテーマに展開した一連の記事でも強調したことなのですが、最低限のサービスを維持するには最低限の負担が必要なのであって、画期的なコスト削減手法の開発無しに大幅なダンピングが行われたとき、そこには必ずカラクリがあります。
RO というネットゲームについていえば、
……とまあ、こうした事情があって、現在の路線でもう長いことやってきているわけです。消費者が生産者に対して偉そうに説教しても意味がない。ノイジーマイノリティの発言とは次元の異なるレベルで商売は展開していくものでしょう。消費者には「選択する」という最強の能力が備わっています。独占禁止法に抵触するような行為がない限り、(基本的に)消費者の裁きは静かに残酷に下るものだと思います。
以前、「リンクの target 指定」「バカな閲覧者は勝手に不幸になればいい」という記事を書いたのだけれども、なぜ target="_newtab" なんてものを思いつく人がいるのか、よくわかりませんでした。今回、ようやく理由がわかったのでメモしておきます。
target="_blank" はリンクを別窓で開けることだと分かってあきれた。別窓でリンクが開くと,いつもうぜーと思っていたのだ(笑)。別窓で開けたいときは,自分でそうするさ。勝手に窓開くなよ,てな感じだ。
ちょっとひっかかるものがあって、調べてみたら案の定。
Mozilla や Firefox の場合、target="_blank" が指定されていると、右クリックから「新しいタブで開く」を選択しない限り、新しくウィンドウが開いてしまう。target="_blank" が設定されたリンクを、通常のクリックで新タブに開く方法は、標準の設定ダイアログに用意されていません。3ボタンマウスの中ボタンへ「新タブで開く」を割り当てるといった中途半端な対処法しかありません。
ちなみに Opera の MDI モード(デフォルト設定)では、target="_blank" で新しくタブが開かれます。MDI モードなのだから当たり前……なのですが、考えてみると Sleipnir などの IE コンポーネントを利用したタブブラウザ(の大半)も、デフォルト設定の Opera に似た仕様となっていることに気付きます。ポップアップウィンドウも全部新タブで開かれるから、より徹底しています。
Mozilla の仕様は「基本形態は SDI だけど、タブも使える」というもの。一方、Opera や Sleipnir は、「最大化表示の MDI が基本形態」なのです。だから target="_blank" で当然のように新タブが開くし、多重起動もできません(少なくともデフォルト設定の場合は/きちんと調べていません)。
target="_blank" があふれている現状をうまく処理できるのは、Opera や Sleipnir の方針だと思います。
数年前は和ジラを使っていたのですが……。長らく表示確認以外に Mozilla を起動することもなく、この仕様を失念していました。それにしても Firefox の設定画面はシンプルですね。GUI からいろいろ操作できる IE の方が、大多数のユーザには便利だと思います。
寝過ごした! ヤバイ、遅刻だ〜、と思ったら、祭日だった。
我ながら、さすがサラリーマン……といいたいところだけど、本当に寝坊で午前半休を使ったことがあるので、今回はただ運がよかっただけ。情けない。
今、秋闘の真っ最中。秋闘といっても最近の若い人はわからないらしいのだけれど、冬のボーナスと退職金の増額をテーマとした労使対決のことです。初回の回答に組合は大不満で、まず残業拒否闘争がスタート。次の回答も進展なしで出張拒否闘争が付加され、このまま埒が明かなければストライキに突入します。春闘ではストライキをやったので、今回も予断を許さない。
私は組合員ではないんだけど、残業協定がなくなっている状態なので、残業できない。サービス残業しかできない状態の中、勝手に残業したら上司が監督責任を問われます。
……それなのになんで寝坊するのか、という話。自分でも理解できない。気分は毎日、日曜日かよ! って自分で突っ込んでみたりして。
今日は文化の日。