下手な小説だと思って、読んでください。
「ドラゴンクエストIX」が7月11日に発売された。ワイヤレス通信により「ひとつの世界」で最大4人まで自由に冒険できるという新しい機能を引っさげて登場したニンテンドーDS専用のコンピュータRPGだ。
父が定年退職して6年、延長雇用も終了して約1年になる。しかし年金がもらえるのは、まだ先。しばらくは庭いじりなどを頑張っていたが、母と違って草花を育てる方面ではなく土木工事系の「庭いじり」が趣味なので、毎年繰り返すようなものではない。予算の都合や、花を育てている母との折り合いもある。早々にやることが尽きた。
幸い、町内会長を引き受けた経験のある父は(誰もが「私なんか……(本音:面倒くさいから嫌だ)」と尻込みするのにいらだち、家を出る前には母に立候補をきつく止められていたにもかかわらず、気が付いたら手をあげて町内会長になっていたという)、町内会の麻雀サークルに居場所を見つけた。麻雀会場の集会所は、父が会長を務めたときに計画を固めたものだ。完成は退任の1年後だったが、父は計画立案者として例外的に集会所の完成まで町内会の顧問を続け、完成式では大勢に祝福されたそうだ。
が、それでも問題は残る。母との関係だ。母は日頃、父を罵倒し続けつつも、一家の大黒柱として全幅の信頼を置いていることを非常に分かりやすい形で示し、バランスを取ってきた。父の稼ぎは「サラリーマンの平均世帯収入」の4~7割くらいだったが、母が収入を「少ない」といったことは一度もなく、子どものそのような発言も決して許さなかった。
そういえば、母が「家計が苦しい」というのを聞いたことがない。もちろん、収入に限りがある以上、ほしいものを何でもかんでも買おうとしたら「家計が苦し」くなるのは必然だ。しかし母は、ここで特異な考え方をする。
父が一生懸命に働いて得た収入は絶対の信頼が置けるものであり、世界の前提条件である。収入が少なすぎるということはありえない。したがって、「苦しい」のは家計ではなく、欲望に支配され分相応で満足できなくなった愚かで弱い心だ、ということになる。
話を戻す。
いま、収入の途絶えた家計は母の采配に全てが委ねられている。当然のことながら、今ある貯金は過去に父が努力して産み出したものなのだから、感謝の気持ちはある。あるのだが、毎月、給料日のたびに行われてきた「お疲れ様でした」という儀式は、途絶えて久しい。
一緒に暮らしていれば、父を罵倒したいことはいくらでも出てくる。それなのに、父へ感謝と労(いた)わりの言葉を発する機会が乏しい。母はそういうことが気になるから、次第に口が重くなる。ストレスがたまる。太る。父に心配される。それがまた心苦しい。
両親は、私と弟がともに家を出て数年経って以降、虎の子の貯金を崩して旅行へ行くことが増えた。父の負担だけが一方的に軽くなってバランスを欠いた日常生活を離れ、共通体験を増やしていこう、というわけだ。もっと手軽に、一緒に映画館へ行ったり、あるいは一緒にテレビドラマを見ることも増えたという。
基本的に旅行先や映画のタイトルは母の趣味が優先で、父に「つきあわせる」形を取る。「ありがとう」という機会を増やしたい、という母の配慮が、そこにはある。が、父は自由人だから、眠くなったら寝てしまう。母は悲しくなる。父が眠らずに最後まで目を輝かせていたのが、宝塚歌劇団のステージ。これまで母は宝塚に特別な興味を持っていなかったのだが、この一件以来、母は宝塚びいきになった。
これで万事解決か? いや、毎日、宝塚を見に行くのは非現実的だ。DVDを鑑賞するだけなら可能かもしれないが、母自身が飽きてしまう。
もっとこう、毎日少しずつでも変化があって、父が単なるお付き合いではなく自ら積極的に努力できて、そしてそれが母の感謝につながるような、しかも2~3日ではなく、せめて1ヶ月くらいはもつような、そんなものはないか。ここしばらく、私はそういうことを考えていた。で、ピーンときた。
ドラゴンクエスト9のマルチプレイ、これだ! と。
DQ9では「ホスト」「ゲスト」の概念がある。全てのプレーヤーは「自分が主人公である世界」を持っており、それぞれの世界で仲間を集めて冒険する。さらに各世界の主人公は、他の世界にゲストとして参加したり、ホストとして仲間を集めたりすることができる。
私が空想したのは、ゲーム初心者の母を、かつてファミコンを気に入ってプレイしていた父が助ける、という構図だった。母は節度を持ってプレイし、父は少し無理をするから、父の方がキャラクターのレベルが低くなるということもあるまい……。つまり、母がホスト、父がゲストとしてプレイするといいだろう。
そこで私は10日の夜に半年ぶりで実家へ帰り、11日午前に出かけてDSiを2台とDQ9を3本購入、両親にプレゼントした。DQ9が3本なのは、後で自分でもプレイしてみようかと(DS Lite を持っている)。
父「あれ!? それって今朝のニュースでやってたやつ? えっ、くれるの!?」
私「昨日、この週末は暇だっていってたじゃない?」
父「もう週末とか関係ないしね……」
私「ほら、ニュースでもこの新しいゲームは家族とかで一緒に遊べるっていってたでしょ。お母さんは反射神経の必要なゲームは苦手だし、かといって将棋みたいにものすごく頭を使うゲームも好きじゃないでしょ。ちょうどいいかと思って」
父「でもお母さんはテレビゲーム自体が嫌いだったような……」
結果的には杞憂。ファミコン時代のグラフィックには拒絶感のあった母も、ドラクエ9の温かい雰囲気の絵柄には親しみを持てたようだった。ただし老眼鏡は手放せない。
とりあえず協力プレイが可能となるまで、2時間ほどかかる。それまではドラクエ9の世界や操作方法などゲームを楽しむための基礎体力をつくる練習期間だ。父は黙々と進めている。母はテレビゲームの感覚というか常識のようなものに疎いので、私は少しだけ母に付き添うことに。
母はていねいに全ての人や動物に話しかけ、主人公の代わりに何か受け答えをしていた。一人実況プレイみたいな感じ? 20分くらいですっかり慣れたようなので、私は安心して自分用のソフトで遊びはじめた(自分の DS Lite はカバンに入っていた)。
……それにしても、2時間は長い。いや、ていねいなチュートリアルを用意する昨今のゲーム作りの流れから考えるに、妥当な判断だとは思う。でもDQ3くらい早い段階でパーティー編成できても、致命的ってことはなかったんじゃないか。
んー、でも母の様子を見るに、システム面はともかく物語の世界観に入っていくのには、DQ3では説明不足だったろう。当時、ゲーム開始10分後には早くも果てしない戦闘の連続に突入する子どもたちの様子を後ろからじーっと見ていた母は、「で、何が面白いの? 全然わかんないんだけど……」と首を傾げていた。
ランダムエンカウントという仕組み自体、わかりにくかったよう。「ねえ、どこからカラスが出てきたの? どこにいたの、この鳥?」……その点、DQ9はシンボルエンカウントだ。地中や空中からモンスターが湧き出す描写は、やはり母の疑問に何も答えてはいないのだが、たったこれだけのことで母はスムーズにゲームに取り組むことができたのだった。
それにしても、母がDQ9の世界で楽しそうに馬小屋の掃除をしたり、通行の邪魔をする魔物を叩き斬ったりしているのは、不思議な感覚。なるほど、ゲームって進化したんだな、と。母が「わたしには全然わからないから(ゲームが)嫌い」といったのは……20年前か。そりゃゲームも進化するよな。
さて、母がマルチプレイ可能な状態になったのは、途中で休憩も挟んでゲーム内時間が2時間20分を過ぎた頃。「眼も疲れてきたし、続きは明日にするよ」と母。そこへ、しばらく自室で進めていた父が奇跡的なタイミングで登場。「えっ? お母さんもそこまで進んだの? せっかくだからもう少しやらない?」
押し問答の末、もう少しやることに。「ぼくはもう30分くらい前から仲間と一緒に戦ってるから大丈夫だよ。一緒に遊べば強い敵が出てきても心配ないよ」と父。私は悪い予感しかしない。
父には謎の自信がみなぎっており、どんな職業の仲間を選べばいいか、とかいろいろ、延々と力説して母にうるさがられていた。着々とフラグを立てる作業が進む。
結果は、予定調和だったといっていい。協力プレイを始めてわずか15分後、劣勢の中、黒騎士の「さみだれづき」が母の分身である旅芸人「まゆぽん」(仮称)に集中、あっさり死亡。2ターン後には魔法使い「ことりん」と僧侶「るりちゃん」も倒れた。薬草を使う仕事ばかり忙しかった父の分身たる旅芸人「けんちゃん」(仮称)は、さすがに最後まで生き残ったものの、1対1で黒騎士に勝つ力はなかった。
母「なによ、守ってくれるなんて口先だけじゃない!」
父「……」
母「どうせこんなことになるんだろうと思ってお金を銀行に預けておいてよかったわ!」
父「……」
母「さっきまで横であれこれ指図していたのはなんだったのかしら。まだ強敵と戦うのは無理だって、さっきいったのに、無理をいって。バカじゃないの」
父「……ああ、うん……」
母「ホント、役立たずねっ!」
父はしょげてしまった。
翌日の午後、父は慎重に「ゲームの続きをやらない?」と母に持ちかけた。今度は自分の力を過信せず、装備なども整えて、ていねいに進めていくという。
「お手並み拝見」という軽い気持ちで母の世界にゲスト参加したけんちゃん(仮称)を見た私は、衝撃を受けた。なんと職業が僧侶になっている。しかもレベル18だ。旅芸人の主人公が僧侶に転職するためには、ダーマ神殿を開放しなければならない。しかもレベル18……。昨夜のショックの後、頑張ってゲームを進めたのだ。父らしい。
私としては、あわよくば半年、できれば1年くらいかけて、ゆっくり進めてくれたらいいと思っていた。実際、ニコニコ動画の実況では、1年くらいかけてRPGをクリアしている人は何人もいる。ま、母の方は至ってマイペースだから、大丈夫なのかもしれない。でも父は凝り性だから。1年も続けたら、全スキルマスター(転生を繰り返せば可能)とか、錬金のコンプ率100%とか、実現しちゃうのかもね。
少し感動している私をよそに、冷たい一言が飛ぶ。
母「バカね、僧侶ならるりちゃんがいるじゃないの。かぶっちゃったじゃない」
ぶははは。レベル18というのは、まゆぽん(仮称)が死んでも生き返らせることができる、つまりザオラルを習得するレベルなのだ。母にはそれがわかっていない。でも、子どもが口を出すことじゃないな。父は何を言われても反論をするつもりはないようだった。
その後の冒険の仕方、そして黒騎士戦は、僧侶2人パーティーということもあるけれど、ひたすら安全路線。とくにまゆぽん(仮称)の体力が減ると、けんちゃん(仮称)が即座に回復する。当然、ザオラルの出番はなかった。
そうか、父はいつもこうやって、ひそかに家族を守ってきたんだろう、と思った。
その後、父の道案内を無視してかわいいモンスターを追いかけていった母は迷子になり、「なんでわたしを無視して先へ行っちゃうのよ!」と怒った。
3日目、母が感動イベントに浸っている間、手持ち無沙汰になった父は壷割りを開始。何かいいものを見つけたらしく、「おっ、やった!」と喜ぶ。途端に母は不機嫌になり、「少し黙っててよ、こっちは初めてなんだから!」これは母が正しいような気がする。
一方、私はラスボスを撃破してドラクエ休暇(一度やってみたいと思っていたんだよね)を終えた。ネットで声の大きい層にはやたら受けの悪いDQ9だけど、個人的にはとても面白い作品だと思う。いま本当にDQ3をプレイして、DQ9より楽しめるということは(私の場合)ないんじゃないか。
次に実家へ帰るのは夏休み。それまで無事に冒険が続いているといいな。
母がルイーダの酒場で作成した協力キャラは魔法使いの「ことりん」と僧侶の「るりちゃん」だった。「ことりん=古都里」、「るりちゃん=瑠璃」であり、私と弟の名前を考える際、女の子だった場合の母一押しの候補がその由来だ。
DQ9のキャラメイクでは身長を5段階から選べるのだが、母の分身たるまゆぽん(仮称)は低い方から2番目、るりちゃんが3番目、ことりんが4番目。産まれてこなかった女の子たちも、母の中ではいつの間にか私たちと同様、母より身長が高くなっていたのかな……なんて考えすぎか。
母は、3人目の協力キャラは作らなかった。いつも父が助けてくれるとは限らないのだから、戦士か武闘家を登録しておいた方がいいのでは、といってみたのだけれど、母は「お父さんの場所は空けておかなきゃダメ」というのだった。
なるほど。父は傷つきやすいから、自分の代わりに強力な戦士や武闘家がパーティーで活躍していて、母が危なげなくボスを撃破していったらガックリしてしまうかもしれない。
マルチプレイの最中はお姫様モード全開で、「役立たずっ!」と罵倒しても、父の場所は必ず空けておく。それが母の生き方。
ちなみに、ことりんとるりちゃんはセントシュタイン郊外の原野で肩を寄せ合って生きてきた孤児の姉妹で、魔物に襲われていた彼女らを助けたまゆぽん(仮称)を慕って冒険に帯同しているのだという。
これは私の想像なんだけど、じつは「生き別れた娘たち」みたいな裏設定があるのかも。まゆぽん(仮称)と同様に翼を失った守護天使であるけんちゃん(仮称)が父親(ないしは父親の親友)、みたいな。
詳細はレビュー:ドラゴンクエストIX 星空の守り人 [後日談](2010-01-02)をご覧ください。
投稿から3日後にようやくレビューが公開されましたが、うーん、やっぱり星5つにしたせいか、「参考にならなかった」票が多いですね。……残念。クチコミ欄では星5つのレビューが参考にならないのは具体性を欠いているからだという意見が多かったので、このレビューなら、と思っていたのですが。
どんな願いも叶える女神の果実。だが自然の摂理を超越した力は世界に悲劇をもたらす。翼を失った守護天使は、酒場で出会った仲間たちとともに救世の旅に出る……。
ワイヤレス通信によるマルチプレイと新設計の転職システムが特徴のDQシリーズ最新作です。プレイ時間の目安は、パーティー編成とマルチプレイまで1~2時間、転職まで4~8時間、本編エンディングまで20~60時間(私は28:11)。セーブデータは「NDS Adaptor」でPCにバックアップ可能。
シナリオ本編を協力して進められるのがDQ9のマルチプレイの特色。定年退職して暇な父と、そんな父をもてあます母にプレゼントすると、とても喜ばれました。試行錯誤の末、ゲーム初心者の母がホスト、僧侶に転職した父がゲストという形で安定。父の道案内を無視して母が迷子になったり、感動イベント中に壺を割ってはしゃぐ父を母が睨んだり、自由度の高さがドラマを生みます。
職業の個性と確実な成長を両立させたのがDQ9の転職システム。職業固有の魔法と転職後も有効なスキルが分化し、魔法が復権。新しい職に就くとレベル1に戻りますが、パラメータ上昇のスキルで底上げ可能。復職すると以前のレベルへ復帰するので、気軽に転職できます。
ドラクエらしい温かいデザインは健在。待望のキャラメイクと装備品の外見への反映を3Dの特性を活かし実現。DSの制約ゆえ2Dで描かれる街の人々に溶け込む3Dキャラの表現は見事(イベントでは2Dが浮く)。切ない物語を優しく包む音楽も気に入りました。旧作の名曲も各所に登場。
その他、セリフ中の漢字にルビあり、イベントのコンパクトな演出、街の会話のユーモア、リアリティよりプレイヤーの都合を優先したスキルの数々、進化した錬金釜、スマートなクエスト処理、DQ8より高速化しつつ演出を強化した戦闘、等々、進化と工夫を感じました。
違和感のあるサンディ、作業感のあるクエスト、多様性の足りないキャラメイク、背景のない仲間たち、ボリューム不足の本編……といった批判は理解できます。けれども、「私のレビュー」では触れませんでした。これは欠点隠しではありません。私個人にとっては欠点ではなかったからです。
[サンディ]私はだんだんサンディを「ウザカワイイ」と思うようになり、はじめは敬遠していましたが、10数時間経った頃からことあるごとに戦歴画面を開くようになりました。
[クエスト]ボス戦であっさり全滅したとき、ふつうはレベル上げをするでしょう。そういうとき、「そういえば放置しているクエストがいくつかあったな」と思い出す。そんな付き合い方をするならば、むしろ無味乾燥な作業にちょっとした動機を追加してくれる、楽しいものではないかと。
[キャラメイク]中高年の顔や体型の肥満・痩せも選択したかった……異論はありません。が、現状に「欠点がある」のではなく、「発展の余地がある」というのが私の考え方です。
[仲間の背景]私はDQ3が好きです。自分で好き勝手に物語を妄想できて楽しい。少なくとも、こういう作品も面白いじゃないか、と思うのです。
[短い本編]私はむしろ本編クリアに40時間も50時間もかかる最近の大作には辟易しています。じっくり楽しみたい人だけがオマケをやって、さっくりクリアしたい人は30時間以内でEDに到達するのがよいと思う。
……ただし、私がDQ9を気に入った大きな理由は、ワイヤレス通信と転職システムでした。ガイドラインではレビューは800字以内とされています。実際にレビューを書いてみると、いちばん伝えたい内容だけで800字に到達したため、大勢が批判している項目への「異なる見方」まで書く余裕がありませんでした。
繰り返しますが、私は「批判はおかしい」とは考えていません。怒る人がたくさんいるのは道理で、星1つというレビューがいくつも寄せられるのも自然なことです。でもそれは、私個人が上記のように考えて、「自分にとっては不満点のほとんどない素晴らしいゲームだ」と評価することと何ら矛盾しません。
DQ9は適当に進めると終盤のボスが強いのですが、スキルポイントの使い方を工夫すると途端にラクになります。以下、詳細はコメントアウト。