サイゴンで日本人駐在員の方と話をする機会があった。彼は40代後半、日本人なら誰でも知っている一流企業勤務の幹部社員である。海外勤務が長く英語も堪能で「社畜」と呼ぶにはあまりに紳士的ではあるのだが、次のようなことをさらっと語った。
プロの条件は、2つある。有能である(able)ことと、いつでもつかまる(available)こと。夜9時・10時でも客から掛かってきた電話には応対しなければならない。さもなければ新しい仕事を逃す。子育てのために残業が出来ないという女性は、プロになれない。
(中略)
私も批判ばかりでなく、ではどうしたらいいのか、ということを考えて発表したい。(中略)なにかヒントがあれば教えてください。
これね、端的にいえば、「長時間労働を排する代わり同業他社より給与を低く抑えます」という企業がもっと増えればいいんだよね。生産性を上げて短時間労働でも同業他社と給与は同等にする、なんてのは、無理。そういう夢を持つのはいいけど、現実には無理なんでね。
「遅番管理職制度」をご存知ですか? 大きな労働力を用意する必要はないのだけれど、時間外にも即応を要する仕事が飛び込んでくる状況が恒常化している職場にピッタリの制度です。管理職待遇の社員を増やしまして、管理職のみ早番、遅番という2種類の勤務時間を設定します。
フレックスタイムの拘束時間を職場単位で設定する自由度があれば、テストは簡単です。拘束時間を午後のみにして、「朝出勤、夕退社」の早番組と、「午後出勤、夜退勤」の遅番組に分け、ローテーションを組むのです。恒常的に完全2交代体制が必要なら絶対に制度の整備が必要ですが、忙しい時期でも少人数、ふだんは1人くらい待機していればOKというくらいなら、大きな制度をいじる必要はありません。
こういう工夫って、研究開発の職場では時々実践されていると思います。実験の都合で数ヶ月にわたって「1日12時間くらい、実験機器に人が張り付いていなきゃならない」みたいな場面があって、「みんな9時5時」では不都合があったりするわけです。でも残業代を払うのは嫌ですからね。人件費を節約しつつ、長時間労働も避けたいと考えたら、当然に出てくる発想なんです。
ちなみに技術者の場合、昇進が「上がり」になって課長や部長といった職を外れても、「主任研究員」みたいな肩書きは残ることが多い。だから研究開発の部署には、「管理職待遇だけど管理職の仕事はしてない」ベテラン社員がたくさんいたりします。管理職待遇の少ない職場だと難しいのかな。
あと、こういう制度を運用できるかどうかを決める最重要のポイントは、「仕事の二重化」ができているかどうか。平たくいえば、ある人の仕事を、他の人がほぼ完全にフォローできるかどうか。「Aさんにしか判断できないこと」があるとダメなんですよね。
私の勤務先では、「今日、体調が悪いので有給とります」という連絡から、「これを買いたいんですけど」という決済承認まで、全て複数の人が判断権限を持っています。情報共有がきちんとしていれば、とくに混乱は生じません。だから部長や課長が「親族の不幸」や、「子どもが万引きした!」といった事情で急に早退しても、業務は遅滞しません。
この恩恵を一番受けるのは、じつは一般社員ですね。「今日は何となく会社に行きたくない……」と思ったら、気軽に有給休暇を取れてしまう。さすがに堂々とそう公言する人は珍しいですが、体調不良といって休んだ同僚に翌日「もう大丈夫なの?」と声をかけたら「じつはね……」と聞かされたことは何度もあります。私のように「昇進しない人」というのは、仕事より自分の気持ちが大事という人が多いので。
ま、責任感の強い人でも、有給休暇くらい気兼ねなく取りたいでしょ。当日の朝になって急に「今日は休む!」という人ばかりだと、さすがに会社も困ると思います。だけど「他の人に迷惑がかかるから休めない」なんて職場は嫌だなあ。前日の朝に申し入れたら全く遅滞なく業務が進むというような、そういう職場がいい。
同僚が子どもを産むのを祝福できない職場なんて嫌だよね。同僚が「子どもが熱を出した!」といって急に休んだときに「ちっ」とか舌打ちする人にみんなが共感するようなところで働きたくない。「大丈夫かな。早く治るといいね」って素直に人間らしい心を持てる環境を用意できない会社はダメだと思う。
私の勤務先では、管理職になった人が「この人はこれ以上昇進させられないな」と判断されると、「***」(すみません、伏字に変えました)という謎の肩書きになります。ポストは限られているので、例えば課長止まりの人が定年まで課長を続けると後進がいつまでも課長になれない。それを防ぐ仕組みです。
営業にも管理部門にも***の方はいます。これを「無駄じゃん……」というのは、違うわけ。業務の二重化を支える根幹が、***の存在なんです。管理職待遇だけどポストはない***の方々が、常にバックアップとして存在していれば、出張や外出もしやすいし、私的な緊急事態があれば「後はよろしく」の一言でサッと早退もできるんです。
日常の管理職業務は当然、管理職に一本化されています。しかし情報へのアクセスは管理職待遇の***にも許可されていて、ふだんから***は管理職のよき相談役となっています。だから、いざとなれば業務を代替できるのですね。
いま「官僚の天下り」が問題になっていて、後進にポストを空けるためには早期退職する他なく……なんて説明を新聞などでよく目にします。どうして「***制度」程度の知恵が実践されないのか、私にはよくわかりません。
と、ここまでの話には「うんうん、そうだね」と頷いてた人でも、「給料が同業他社より3割少なくて、大卒30代で手取り月給は約20万円なんだけど、それでもいい?」と迫られると、「ゴメン、やっぱり無理っ!」となる人が多いんじゃない?
どうして同業他社と同等の給与水準を保とうとする企業が多いのか、それはもう、内側から見れば、よくわかる。会社の将来を支えるはずの優秀な社員が、ボロボロ抜けていくんだもの。体力に自信があって、給与で報われたい若手社員には、ホント逃げられやすい。逆に「残る人」って、まあ、そういう人でしょ。だから臆病だったり自信がないといった理由で転職できない人は、「やる気のない中年社員のせいで俺たちは割を食っている。こんな会社に未来はないよ」といって憂さ晴らしする。言論の自由は抑圧できない。
生半可な胆力では「給料を抑制して多くの人員を雇い、長時間労働を排する」なんて経営方針は貫けないよ。
本当にその日に働かないと、組織は回らないのだろうか?
そして、蓋を開けてみると、そんなことはないのだ。
ふだんから「自分がいなくても会社は(さして)困らないんだね」という経験を積み重ねておくのは、よいことだと思う。
もう5年も同じことをいい続けています。私の勤務先みたいな会社の説明会に学生が殺到するようなら、日本の労働事情は現状のようにはなっていないよ。
問題の岩盤は、経営者ではなく労働者の側にあると思う。分相応の給料で満足しない労働者が多いので、「同業他社の給料」がサービス残業前提の数字になってしまう。そして優秀な人ほど「やっぱり給料が高い方がいい!」と転職してしまう。逆パターンはきわめて珍しい。