趣味Web 小説 2011-08-11

有能ならざる先輩のための手引き

新人はこういうところが苦手だから……みたいな話ばっかり。「万年ヒラ社員街道をトボトボ歩き続けてるような先輩が、いくらかでも後輩の役に立つための講座」みたいな記事がほとんどない。

何ていうの、「引き上げる」話ばっかりで、「歩み寄る」という発想が乏しい。いや、リンクした3つの記事は、まだしもギャップを理解して新人指導のポイントを見出そうとしているのだから、これすら批判の対象としてしまったら、ほめる記事がなくなってしまう。だから褒めなきゃいかんと思うのだけれど……。

このあたりの記事に書いたようなことって、かつて無能ゆえに苦しんだ記憶と、いまも自分は無能同然だという認識があれば、すんなり納得できる話だと思う。たぶん、日本中の組織で、そっと実行されている方法でもあると思う。

それなのに、キラキラした言説が飛び交うウェブ論壇(?)では、トンとお目にかからない。「有能な先輩方に貴重な時間を割いてご説明いただくのだから、新人は同じ質問を二度せずにすむようしっかりメモを取らねばならぬ」みたいな話ばっかり。そんな偉そうにしないで、お互いに歩み寄ったらみんなもっと幸せになれる、という発想がないのはどうしてだろう。

私の先輩方は有能で、それゆえ私の出来が悪いことをを見抜いて、ダメ新人をうまく扱う方法を常識にとらわれずに考え抜いた。その成果は応用範囲が広く、私のような有能ならざる社員が後輩を指導する側に回った場合にも有効なのだった。例えば、質問しづらいオーラをまとった人(=私)でも、簡単な指導法のアイデアを実践すれば、最低限の指導が可能になる。

メモを作って回答することも、私のオリジナルではない。かつてとある先輩が、私の飲み込みがあまりに悪いので、パパッとメモを作って「これを見て半日頑張ってみろ」といってくれた事例にヒントを得たものだ。逆の状況……つまり、聞く側は優秀だが、説明する側が無能な場合にも、メモを作って回答するアイデアは大いに役立つのだった。

かつて無能な新人だった方々のうち2割か3割くらいは、いまもそれほど有能ではないだろうと思う。それでも、先輩になってしまった。で、あるならば、自分は有能ではないという前提に立って、指導法を模索すべきだと思う。そのとき参考になるのは、「貴重な時間を割いて無能な後輩の面倒を見る」道を選択した、有能な先輩方の「歩み寄りの工夫」だ。

さして有能でもない先輩が、「お前ら新人のために俺の貴重な時間を無駄にさせるなよ」という態度を取るのは、失笑モノだろう。どうせ自分の仕事はロクに進まないんだ。自分より優秀な後輩をきちんと育てることの方が、長い目で見ればよほど生産的だろうと思う。

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