2004年1月、RealVideo 10 関連のプレビュー版が一通り出そろった。 エンコーダの Helix DNA Producer 10 Preview (Ver. 10.0.0.74)、 RealPlayer 10.0 (Beta Build: 6.0.12.687) などだ。 2004年1月24日頃 guliverkli からリリースされた RealMediaSplitter 1.0.0.9 により Windows 上で RMVB コンテナの AAC, HE-AAC が一通りサポートされ、作成・再生の両面で RV10 が使えるようになった。
注意: 記事の情報は、それぞれの日付の時点でのもので、 バージョンアップにつれて状況が変わることがあります。
RV10 では、RV9 よりさらに品質が向上したばかりか、 AAC, HE-AAC, Lossless の音声圧縮もサポートされるなど、 可能性が広がっている。いくつかのポイントをメモしておこう。
2004年3月1日 RealVideo 10 'Elysian' について追記
RealPlayer そのものに対する嫌悪感はほとんど変わらないものの、 RV9以降、コーデックに対する純粋に技術的な評価は高まった。 低レートでは明らかに DivX5/XviD より有利(何もしなくてもそこそこの結果が出る)、 高レートでも優劣つけがたい(特にアナモルフィックのネイティブサポートが注目に値する)。 使い勝手は XviD のほうが良いし、 RVは再生プレーヤーが限られてしまうのも問題だが、 Media Player Classic (MPC) で簡単に再生できるのは大きい。
RealPlayerをインストールする場合、スパイウェアめいた悪いふるまいをやめさせるように十分に注意してほしい。 こうやってコーデックの RV9 をかなりほめて書いている自分ですら、RealPlayer は起動するたびに腹が立って、全削除したい衝動に駆られる。 「RealPlayer を使わなくては再生できない」としたら、どんなにコーデックが良くても、これほど人気は出なかっただろう。 RealPlayer は部品取りのためのインストールと割り切って、MPC を使うことを推奨。 RealMediaSplitterをインストールすれば .rm/.rmvb は Windows Media Player などの任意のDSプレーヤーでも再生できるようになる。
手元では低レートねらいはあまりしないし、 Real に対する不信感がぬぐい去れないので、やはり常用は XviD で(こちらも、いよいよ 1.0 RC1 が出ている)、2004年1月現在基本的には XviD がイチオシだが、 純粋に技術的には、RV9/10 も無視できない存在になってきている。 エンコーディング作業の内容を XML で指定する方法にも、技術的に非常に興味を感じる。
RealPlayerがスパイウェアめいているとしても、 その活動を完全に封じエンコード結果だけを任意のプレーヤーで利用する方法がある以上、 それができるユーザにとっては、一応選択肢に入ってくる。 DivX5 と同じだ。実際に使う使わないはともかく、後学のために幅広く試しておいて損はない。 (といってもまあ、Real のコーデックなど、できれば使いたくないというのが本音だが、それは会社が嫌いなだけで、 コーデックが悪いわけではないので、無関係な感情をまぜこぜにしないように理性的に割り切る必要がある。)
ビデオ成分は、再生側から見る分には同じ FourCC = RV40 だ。 改善されたのはエンコーディング側で、RV9のEHQが、RV10のデフォルトだ。 RV9のHigh設定が、RV10のLow設定に相当する。RV10は「最低画質・最高速」エンコでもRV9で「高画質」を選択した場合と同じになる。 RV10 High = RV9-EHQ 85 だ。
オーディオ成分は、AACが使えるようになった(FourCC = RAAC)。 ライセンスがきついのは同じだが、 AACはRealAudioよりずっとオープンな規格なので、やはり再利用性などの点で好ましい。 ただ、Real の AACエンコーダの品質は、今のところは、あまりあてにできないようだ。 特に HE-AAC (FourCC = RACP)は公式リリースでは使えない。 DLLにバグがあることと、ライセンスの関係で racp.dll が同梱されてないため。 修正版の rnaudiocodec.dll に置き換え、 racp.dll も用意すれば使えるが、 手元のテストでは、入力のサンプリングレートにかかわらず、出力のサンプリングレートが 22050 になってしまった。 実験目的以外では、 そうまでして RACP を使う意味がない。
(2004年1月27日追記): もしかすると、ダウンサンプリングは仕様で間違いではないのかもしれない。 HE-AAC音声のRMVBの再生には、RealMediaSplitter 1.0.0.9 以降、または MPC 6.4.7.6 以降が必要。 音声を再生できないケースもある。 古いバージョンの mkvwriter.dll にはMKVのヘッダを正しく書き出さず、 ビデオのフレームレートをゼロにしてしまうバグがある。 再生には問題ないが、VDMで編集できなくなる。 (追記終わり)
(2004年1月28日追記): AAC/HE-AACでは、ソースにかかわらず、44100または22050にダウンサンプリングされる。 別のAACエンコーダを使うほうがよい。 (追記終わり) (追記の追記@2004年8月28日: RealPlayer10 for Linux & HE-AAC clips)
(2004年3月14日追記):Producer 10 Beta の AACエンコーダは、音質が悪い。 音質はどうでもよく、とにかく手っ取り早くやりたいなら、すべて Real でもいいかもしれないが、 品質志向なら、他のAACエンコーダを使って、あとから映像と合体させるほうがいい。 (追記終わり)
RV9でも、MKVコンテナにすればAACやHE-AACを自由に使えたから、実質的なメリットは少ないが、 RMVBコンテナにAACを格納できるようになったこと、 またNero以外ではおそらく初めてのメジャーなHE-AACエンコーダのリリース、 というようなことで、注目に値する。 さらに、ロスレス圧縮も新たにサポートされている。
2004年1月現在、定型的な作業なら、RealAnime がある。
(2004年3月2日追記):2004年2月には、それを強化した RealBatch がリリースされた(関連スレ、開発者サイト)。こちらを推奨。
(2004年6月14日追記):Easy RealMedia Producer(別記事)が現在、最も良い。
これらはGUIフロントエンドでRV10に対応しており、HE-AAC (RACP) も使える。 経験者は、jobファイルを直接操作するのがいちばん速く、柔軟だ。
Producer は一次的にはhelixcommunityにあるが、 DLには登録が必要だ。 10.0.0.74 は RealBatch にも付属している(rnaudiocodec.dll もバグ修正版になっていて、HE-AACも可能)。 souxinからも入手できる(rnaudiocodec.dllは公式リリースのもの)。 RealBatch にも付属している。
別記事「RealBatch で RV9 (.rmvb)」 「[RV9] jobファイルによる.rmvbの作成」参照。 jobファイルの使い方はRV10でもほとんど同じだが、EHQについては、 How to set encoding complexity in RV10を参照。
<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?> <job xmlns="http://ns.real.com/tools/job.2.0" xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance" xsi:schemaLocation="http://ns.real.com/tools/job.2.0 http://ns.real.com/tools/job.2.0.xsd"> <enableTwoPass type="bool">true</enableTwoPass> <parInputs> <input xsi:type="avFileInput"> <filename type="string">R:\elves9\huff+wav16.avi</filename> </input> </parInputs> <parOutputs> <output> <destinations> <destination xsi:type="fileDestination"> <filename type="string">R:\elves9\rv9.rmvb</filename> </destination> </destinations> <mediaProfile> <audioMode type="string">music</audioMode> <audienceRefs> <audienceRef>myaud</audienceRef> </audienceRefs> </mediaProfile> </output> </parOutputs> <audiences> <audience> <avgBitrate type="uint">450000</avgBitrate> <maxBitrate type="uint">2250000</maxBitrate> <name type="string">myaud</name> <streams> <stream xsi:type="videoStream"> <pluginName type="string">rn-videocodec-realvideo</pluginName> <codecName type="string">rv9</codecName> <encodingComplexity type="string">high</encodingComplexity> <codecProperties type="bag"> <firstPassComplexity type="uint">85</firstPassComplexity> <customPacketSize type="uint">16000</customPacketSize> </codecProperties> <encodingType type="string">vbrBitrate</encodingType> <quality type="uint">75</quality> <maxStartupLatency type="double">60</maxStartupLatency> <maxFrameRate type="double">23.976</maxFrameRate> <maxKeyFrameInterval type="double">10</maxKeyFrameInterval> <enableLossProtection type="bool">false</enableLossProtection> </stream> <stream xsi:type="audioStream"> <codecFlavor type="uint">2</codecFlavor> <codecName type="string">raac</codecName> <pluginName type="string">rn-audiocodec-realaudio</pluginName> <streamContext type="bag"> <audioMode type="string">music</audioMode> <presentationType type="string">audio-video</presentationType> </streamContext> </stream> </streams> </audience> </audiences> </job>
現在開発中であるRV10の、機能向上版のコードネーム。 RV9の発展途上で現れたEHQが注目されたように、RV10におけるElysianは新機軸。 エンコードとデコードの両面に関係する。
Elysian でのエンコードを試してみたい場合、新しい erv4.dll を手に入れて、producer\codecs のものと置き換える。 Jobファイルの新オプションなど、詳細は RealVideo 10 'Elysian' を参照。
NOTE: 10.0.0.195 Command Line App (Beta) には、既に新しいバージョンが含まれている。 ファイルバージョンは同じだが rv10_elysian_022404.zip のものよりさらに新しいビルド。 10.0.0.72 Command Line App (Preview) の erv4.dll は Elysian 未サポート。
新方式のレートコントロール(RC)を有効にすると(rcEnableCurveCompression = true)、 従来のレートコントロールの設定(maxStartupLatency = 60.0 など)は関係なくなるが、 互換性のため、そうした古いRCのパラメータも依然、形式的に残す必要がある。
アニメに特化したような新オプションもある。RV系は少しディテールが失われてのっぺりした印象になることが多い、 という評判に答えてか、細かい部分をシャープに出すオプションなどが追加されている。 上のサンプルは、 とりあえず、だいたいデフォルトどおり。 同様の理由からか、HFE (High Frequency Emphasis) というデコード時処理オプションも追加されている。
もうひとつの目玉は2パスの Curve Compression で、 XviD のアルゴリズムからいいとこどりをしたそうだ。 ビット配分のカーブをどうするかは DivX3 SBC 時代から常に議論が分かれる問題ながら、 基本的には、リニアに(あれこれ色をつけず、 画像複雑度に応じて単純にそのまま)ビットを割り振るのが結局最善と考えられる(異論もある)。 RVの特質的にどうなのかはまた別だが、 「Iフレームが連続しているから無駄だし、2個めは少しビットを節約しても目立たないだろう」といった理論的考察と、 実際の人間の視覚心理は必ずしも一致しない。「これで決まり」と言える補償モデルがないので、カーブに色をつけるのは難しい。 もくろみがはずれれば逆効果だ。そのぶん、図に当たれば効果が高いとも言える。 期待はできるが実装や設定しだいで逆効果になる可能性もある諸オプションだ。
XviDは、あるレート以下ではものすごくブロックが出て画像が破綻する。 しかしそれは極端に低い場合だけで、高いレートでは、XviD は極めて美しい。 RV9/10は、相当レートを下げても破綻せず、そこそこ見られる。高レートでも最近のRVは美しい。 それでもRVが圧倒的に優位なのは低レートの場合で、高レートでも悪くはないのだが、RVは再生環境が限られてしまううえ、 再生時負荷もかなり高いので、現実的に高レートでの使用はどうかとも思う。 再生まわりなどの現実的要因を考えず、純粋にコーデックの性能ということを考えるなら、確かに素晴らしいが。
2004年1月27日 Intellectual Property in the Real World 知的所有権というのは「裸の王様」の「ばかには見えない服」に似ているという指摘から始まり、理想と現実をふまえた含蓄のある記事。 知的所有物というのは実際にはどこにも存在していないのだから、 それを「所有している」ということは、要するに「他人にわたしはそれを所有しているのだ、と信じてもらえるということ」と等価で、 一種の信仰のようなもの。いくら「わたしは所有している」と言い張っても誰も認めてくれなければ所有していることにならないし、 逆に自分では所有している気はなくても人々が所有していると認定すると所有していることになる。
「ソフトウェア特許の禁止に向けて、今こそ行動の時」や、「輸入盤を「非合法化」する著作権法改正」と合わせて読むとおもしろいでしょう。(注意: 最後のリンクはページを開いたすぐにヒトの顔の生写真があります。)
9ページある最初の3ページを訳してあります。 映画や Microsoft の話が出ますが、これらを批判するのが目的ではなく、あくまでオープンソースを論じる枕の部分です。
This article was syndicated under osViews's Open Content License,
with Japanese translation by seelie317 <seelie317 at faireal.net>.
The translation is not normative, having nothing to do with the original publisher, and may be somewhat inaccurate, but should be informative.
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この記事は、Intellectual Property in the Real World の紹介です。 原文はこちら。対訳。翻訳版はこのすぐ下。
"Information has been regarded as property in Western society for hundreds of years, but can it really be owned? If you’re a movie studio, a software company, or a record label, the answer has to be “yes.” But Russell Peterson proposes that information can be too valuable to be privately owned, and discusses open source as the means of bringing it into public ownership."
西洋社会では何百年もの間、情報は財産であると信じられてきた。 しかし、それは本当に所有できるものなのだろうか。 映画スタジオ、ソフトウェア企業、あるいはレコード会社にとっては、当然答えは「Yes」だ。 だが、ラッセル・ピーターソンは「情報というものは、ときに私有物とするには貴重すぎる」と説き、 情報を共有する手段としてオープンソースを論じる。
"Many years ago, there was an Emperor, who was so excessively fond of new clothes, that he spent all his money in dress. He did not trouble himself in the least about his soldiers; nor did he care to go either to the theatre or the chase, except for the opportunities then afforded him for displaying his new clothes. He had a different suit for each hour of the day; and as of any other king or emperor, one is accustomed to say, "he is sitting in council," it was always said of him, "The Emperor is sitting in his wardrobe."
「むかしむかし、あるところに服がたいそう好きな王様がおりました。王様は財産のすべてを服につぎこみますが、 兵士たちのこととなるとまるで知らん顔。お芝居や狩りにも行かないのでした。 もっとも、服を見せびらかすチャンスとなれば、話は別でしたが……。 王様は毎日一時間ごとに別の服を着ました。 世の王様といえば、執務室で大臣の報告書に目を通したりするものですが、 この王様の場合、試着室で大臣の差し出す服に袖を通すのでした。」
Hans Christian Andersen probably would have been baffled by the term "intellectual property" even though he inadvertently wrote about it. His story told of two con artists who fooled an emperor into buying clothes made of material which would remain "invisible to everyone who was unfit for the office he held, or who was extraordinarily simple in character." In other words, they were selling an idea. The thieves made a handsome profit before their scheme was eventually exposed.
――もしアンデルセンが「知的所有権」という言葉を聞いたら何のことかと首をかしげるだろうが、 じつのところアンデルセンは「知的所有権」について書いているのだ。 アンデルセン童話によると、ふたりのインチキ仕立屋が王様をだまして、 「その地位にふさわしくないか、性格が単純すぎる者には見えない素材」でできた服を買わせる。 要するに、仕立屋たちはアイデアを売ったのだ。 このペテン師どもは、そのたくらみが発覚するまでのあいだ、相当な利益をあげた。
Ironically, had they been alive today, the thieves could have applied for a "business process" patent from the U.S. Patent and Trademark Office, though another government agency would have been responsible for prosecuting them for fraud. We live in a society in which people claim the right to own ideas. In this Information Age, the public has become familiar with intellectual property; information ownership has become big business.
皮肉な話だが、もしこのペテン師たちが今生きていれば、米国特許商標局に「ビジネスモデル特許」を申請できただろう。 米国以外の政府機関なら、当然そんな詐欺師を罰するのだが……。 われわれは人がアイデアを所有する権利を主張できるような社会に生きている。 この情報化時代、世間は知的所有という概念になじんでいる。実際、情報の所有は大きなビジネスになった。
But ask seven different IT professionals to define "intellectual property" and you'll likely get seven different answers. If "real" property consists of tangible assets in the physical world, what is "intellectual" property? My favorite definition is "that which I think I own." Since intellectual property doesn't exist in the physical world, my ownership is based on convincing others that I can own something that is completely immaterial.
けれど、7人の異なるITプロフェッショナルに「知的所有権」の定義を尋ねれば、おそらく7通りの異なった答えが返ってくるだろう。 「リアル」な所有権が物理世界の有形財産から成るとして、「知的」な所有権とは何か。 わたしのお気に入りの定義は「自分が所有していると思うもの」だ。 知的所有権は物理世界には存在しないから、わたしの所有権というのは、 要するに、自分は完全に無形のものを所有しているのだ、ということを他者に納得させることによって成り立つ。
In the United States, large intellectual property corporations have helped convince an entire society that they own valuable goods. Laws have been established for the purpose of protecting the interests of these companies. We have been conditioned to think that copying intellectual property is tantamount to stealing.
米国で、こうしたものが貴重な「財産」だと人々に信じ込ませるのに一役買ってきたのは、知的所有権にかかわる大企業だ。 法律は、このような企業の権益を保護する目的で制定された。 われわれは知的所有物をコピーすることは盗むことに等しいと考えるように条件付けられてきた。
Society has decided that companies should have exclusive rights to their intellectual property, and such claims are not without merit. However, recent actions of influential IP enterprises have forced me to conclude that, as a whole, the IP industry has a limited understanding of how its products interact with the larger economy.
社会の通念では、企業というものは自社の知的財産に関して独占的な権利を持っている。 そのような主張は決して無意味なものではない。 しかし、IP(知的所有)関連の主要企業の最近の動きを見ていると、 結局のところ、 これらIP産業は自社製品がよりマクロな経済のなかでどのように機能するのか、ということをよく理解していないと考えざるを得ない。
For our purposes, the term "IP industry" refers to companies whose products can be reduced solely to ones and zeros. The biggest players in the IP industry are software companies, record labels, and movie studios.
本稿の目的では、IP産業というのは、0と1の列に還元されるような製品を作っている会社のことと定義できる。 IP産業のなかの最大のものは、ソフトウェア、レコード、映画だ。
To understand the origins of intellectual property, we must remember that prior to the modern age, information was distributed primarily by books, which were painstakingly copied by hand. The value of a book was a function of the amount of time it took to reproduce. Had you asked someone from the 14th century to weigh the value of a book's information independent of the pages on which it was printed, you probably would have received a blank stare. Prior to the modern age, information was inseparable from the medium on which it was recorded.
知的所有権の起源を理解するには、かつて情報が主に書物によって流通した、ということを思い出さなければならない。 書物を手で写すことは大変な苦労だ。 書物の価値は、その複製に要する時間コストに比例した。 14世紀の人間に「ページ数の多い少ないと無関係に、本の価値を判断してください」と言っても、 きっと変な目で見られるだけだろう。当時、情報というものはそれを記録した媒体と分離不可能なものだった。
With the invention of the printing press, information could be infinitely reproduced, and for the first time, its value could be considered separately from the physical object to which it was attached. People became aware that information could be its own store of value. They perceived that a book's real value was not in its pages, but in the information it contained.
印刷術の発明により、情報はいくらでも複製可能になった。 このときが、情報の価値は媒体の価値と無関係だと考えられた最初だ。 人々は情報それ自体が価値を持ちうることに気づいた。 書物の真の価値はページではなく、そこに含まれている情報であることを悟ったのだ。
It would certainly run contrary to human nature for people to recognize something as valuable without also seeking a way to own and profit from it. In doing so, they conceptualized information as property though it was immaterial and therefore fundamentally different. Since information could be freely reproduced for only the cost of printing, supply could easily exceed demand, flooring prices and making profits difficult or impossible. How could something have economic value if it couldn't be sold for profit?
価値があると分かれば、それを所有し、そこから利益を得ようとするのが人間のさがである。 それを実行に移す過程において、「情報は無形で、それゆえ根本的に性質の違うものなのだが、それでも財産なのだ」という概念化が行われた。 情報は印刷コストだけでいくらでも自由に複製できるので、そのままではすぐ供給が需要を上回ってしまい、 価格は低落し、利益を上げることは困難あるいは不可能になる。 営利販売が不可能なものに経済的価値があろうか。
The answer was to apply principles of market economics to the exchange of information. In order to prop up demand, supply had to be limited. The monarchies of Europe happily granted information monopolies (copyrights and patents) to the creators of intellectual "property," because doing so provided them with opportunities for revenue and control. The crown taxed the sale of information (hence the word "royalties") and the content holder retained his potential for profit. The system benefited both IP owners and the government.
この問題への答えは、情報の交換に市場原則を適用することだった。 需要を支えるためには、供給が制限されなければならない。 ヨーロッパの独裁君主たちは、知的「財産」の製造者たちに、喜々として情報の独占権(著作権や特許)を与えた。 そうすることで、収入と支配の上で好都合だったからだ。 王侯(ロイヤル)たちは情報の売り上げに税を課し(これがロイヤリティという言葉の由来だが)、 コンテンツ所有者は引き替えに専売権を得た。 このシステムはIP(知的財産)の所有者と政府の両方をうるおすものだった。
When the founders of the United States framed the Constitution, their stated purpose in establishing intellectual property rights was to benefit the public. In Article I, Section 8, Clause 8, Congress is given power "to promote the Progress of Science and useful Arts, by securing for limited Times to Authors and Inventors the exclusive Right to their respective Writings and Discoveries."
米国憲法が起草されたとき、 起草者たちが明示した知的所有権の目的は、 公共の利益であった。第1条、8節、8項によれば、議会は「科学と有用な技芸の発展を促進するために、 一定期間、著作物・発明の著作者・発明者に排他的な権利を与えることができる」。
The phrase "for limited Times" is important because it indicates that the framers' intent was not to keep creative works forever out of the public domain; rather, it was to benefit the public by providing IP owners a limited period of time during which they could receive financial compensation for their work.
ここで「一定期間」というのは重要だ。実際、起草者たちの意図は、創作物を永遠にパブリックドメインから遠ざけることではなかった。 逆に、知的所有権者たちが経済的対価を得る機会を一定期間に制限することで、公共の利益を図ろうとしたのだ。
Consider that with the expiration of a patent or copyright, the public becomes the principal beneficiary of a contribution to the intellectual commons. Consider also that financial remuneration has been the principal test whereby someone other than the titleholder could utilize intellectual property. Traditionally, using another's intellectual property was permitted as long as one did not profit financially from its use or undermine the creator's ability to be compensated (e.g., by mass reproduction or distribution).
一方において、特許や著作権が失効してこそ、社会は知的生産の果実を自由に享受することができる。 他方において、通例、金銭的な報酬がまったくなければ、結局第三者が著作物を利用できるということもないだろう。 営利目的の使用や、著作権者に経済的損害を与えるような使用でない限り、他人の知的財産を使うことは許される、というのが伝統的な考え方であった。
Historically, intellectual property was tied to the physical form by which it was conveyed. Books, for example, are physical objects, but they exist at the intersection of tangible and intellectual property worlds. Though I may not own the rights to the information printed in a book, it is well established that once I own a book, I can do anything I want with it. I can read it, sell it, modify it, or destroy it. I don't just own a license to read a book, I own the book itself.
歴史的には、知的財産は、それを伝達するための物理形態と結びつけられていた。 例えば書物は物理的なものだが、物理世界と知的世界の交差領域に存在している。 わたしは書物に印刷されている情報に関する権利を所有しているわけではないが、 買った本をどう扱ってもいい――これは広く受け入れられている常識だ。 読むこと、売ること、改変すること、あるいは本を破ること。 単に本を読む権利を持っているだけではなく、本を所有しているのだ。
A patented object represents another intersection between tangible and intellectual property. As its purchaser, I become the owner of physical property although I don't have the right to profit from the patent holder's intellectual property. However, as with a book, it is well established that once I own a patented object, I don't just own the rights to use it, I actually own the item. As its owner, I can do with it whatever I wish: I can use it, sell it, modify it, or destroy it.
特許保護された商品も、物理世界と知的世界の交差領域に関係している。 購入者は物理的な商品の所有者になるが、 特許権者の知的財産を使って利益を上げることは許されない。 それでも、書物の場合同様、特許商品を購入した場合、単に使用権を所有するだけでなく、その商品そのものを所有するのだ、 というのも常識的なことだ。購入者は購入した商品を好きに扱っていい。 使うのも、売るのも、改造するのも、壊すのも、勝手だ。
People seek to own things because doing so gives them power over their environment. It is implicitly understood that part of the value of ownership is the complete control of the object that is owned. If there are restrictions on what I can do with my property, my ownership is called into question. If someone else has the power to direct how I use something, they have control over my property and indirectly, over me.
人が商品を所有しようとするのは、それを自由に支配するためだ。 言うまでもなく、所有権の意味は、所有物を自由に支配できることである。 もし自分の財産についてできることが制限されているとしたら、それを「所有している」と言えるかどうか疑わしい。 わたしがあるものをどう使うべきかについて他人に指図されるとしたら、その第三者はわたしの所有物を支配していることになり、 間接的にわたしを支配していることになる。
This is one essential concept that the intellectual property industry repeatedly fails to understand. It wants the public to purchase its products while retaining control of how they are used. On the other hand, consumers want more than licenses to use products according to the dictates of IP owners. When they purchase products, they want to own them and to be accorded all the customary privileges of ownership.
知的財産(IP)産業は、この重要な点をいつも無視している。 かれらは人々に商品を購入させたいと思いつつ、同時に、買わせた商品の使い方までコントロールしたいと願っている。 購入者は、単にIP所有者の命令に従って製品を使いたい、というだけではない。 購入したからには、購入した商品を所有して、所有者として当然の、すべての権利を行使したいと考える。
Examples are numerous of how IP companies seek to retain control over their property even after it has been purchased by consumers. With books and patented objects, ownership of a physical object was clearly acknowledged. Today, however, IP companies understand that they retain ownership of intellectual property. Their methods differ, but they actively seek to control their intellectual property even after it has passed into the hands of consumers, and even when consumers are only asserting their "fair use" rights under applicable law.
IP関連企業が、消費者が購入した後の商品までをもコントロールしようとしている例は、限りなく多い。 書物や、物理的な特許商品の場合、消費者は確実に購入した商品を所有できる。 しかし、こんにち、IP企業は知的財産の所有権を保持できると考えている。 方法はさまざまだが、かれらは商品を消費者の手に引き渡したあとまでもその知的所有物をコントロールしようとして、 その方法をあれこれと探している。消費者が法律に認められた「フェアユース」を主張している場合ですら、それを制御しようとするのだ。
The IP industry would contend that it is only acting prudently to protect its investment in product development. There are several indications to the contrary. Consider that the Digital Millennium Copyright Act (DMCA), which was sponsored by major players in the IP industry, would make it illegal to construct a DVD player that could ignore the "must watch" instructions placed on the DVD whereby viewers can be forced to watch a movie's previews. The reason for this is obvious, but it ignores the fact that when I purchase a movie on DVD, I should be able to experience it in the manner of my choosing. If I wanted to view a film on someone else's terms, I would have watched it in the theater.
IP産業の側では、製品開発の投資を保護するために思慮深く行動しているにすぎないと言い張るだろう。 しかし、これに反する証拠はいくつもある。 IP産業最大手によって支持されたデジタルミレニアム著作権法(DMCA)を考えてみよう。 これによると、DVDのなかの「必ず再生」フラグの部分を無視するようなDVDプレーヤーを作ることは違法とされかねない。 結果として、消費者は、いやでも映画の予告編を見せつけられるはめにもなる。 このようになっている理由は理解できるが、 しかしこれは「DVDの映画を自分で購入したからには、その映画を自分の好きなように見ていいはずだ」という事実を無視している。 誰かの決めた見方で映画を見たいと思えば、最初から映画館に行けばいいことではないか。
In Utah, a company by the name of CleanFlicks has found a niche market for family-friendly videos. CleanFlicks purchases videos and edits them to remove sex, violence, and profanity. But its actions have raised the ire of the Directors Guild of America (DGA). Martha Coolidge, former president of the DGA, minces no words: "We will fight to express ourselves on this issue. We will fight to get control of this technology." Coolidge apparently has little tolerance for those who want to experience films on their own terms and not hers. She says that even temporary editing is not an option: "We are talking about a technology that obliterates the intention of a movie. Parents can control what their child sees by not allowing [a particular movie] in the house."
ユタ州では、 CleanFlicks という会社がファミリー向けビデオ市場で一定のニッチを確立した。 同社はビデオを購入し、セックス、バイオレンス、みだらな言葉を取り除く編集を行う。 ところが、これが米監督組合(DGA)の怒りにふれた。 DGAのトップだったマーサ・クーリッジは、歯に衣を着せずに言い放つ。 「この問題では、わたしたちの主張を表明するために戦う。このテクノロジーを支配するために戦う」マーサ・クーリッジは、 自分の見たいような見方で映画を見る人々に我慢がならないようだ。 一時的な編集さえも認めないというのだ。 「映画の意図を改変してしまうような技術について言っているのだ。子どもが見るものをコントロールしたい親は、 そもそもその映画を家庭で見せること自体をやめればいい」
Coolidge seems to be saying that if a movie cannot be seen without all its original sex, profanity, and violence, it should not be seen at all. But the debate about content editing is beside the point. At issue is what I can do with the property I own. Coolidge ultimately asserts that the film industry has the right to direct the manner in which consumers use its products even in the privacy of their homes. She is very moralistic in her reasoning: "Tampering with any work of art--film, theater or books--is an ethical issue."
セックス、卑猥な言葉、暴力シーンなどをカットしないと見られないというなら、そもそも見るな、と言いたいらしい。 しかし、論点はコンテンツの編集ではない。 自分が所有するものをどのようにするのも自由ではないか、というのが問題なのだ。 マーサ・クーリッジの考えを押し進めると、究極的には、自分のプライベートルームで自分が買った映画ソフトを見る見方についてまで、 映画産業が口出しできることになってしまう。マーサ・クーリッジが挙げるその理由は非常に道徳的だ。 「映画であれ演劇であれ書物であれ、芸術を改変することは倫理上問題がある」というのだ。
Ironic as it is to have a Hollywood spokesperson preaching about right and wrong, it should come as no surprise that Coolidge's reasoning evaporates upon even casual inspection. Imagine how absurd her logic would be if it were applied to book reading. Were she a publisher, would Coolidge attempt to ensure that readers experienced books only as their authors intended? In her desire for control, would she forbid reading the last page first? How about skipping pages or sections? This would be out of the question!
ハリウッドの報道官が道徳を語るというのも何とも皮肉だが、 そもそもマーサ・クーリッジの言っていることが無意味であることは、ちょっと考えればすぐ分かることだ。 このロジックを書物に適用したらどうなるか考えてみよう。 もしクーリッジが出版社だとして、著者が意図した通りに本を読むように読者に強制するつもりだろうか。 その支配欲に従い、最後のページを最初に読むことを禁止するつもりだろうか。 ページや章を飛ばして読むのがいけないというのか。 あまりにもばかげている。
Strange as it may seem, this is the world the DGA wants for movie viewers. It would prevent them from skipping scenes; it desires to control the consumer's experience even after the movie is brought home. What next? Would the DGA outlaw fast-forward buttons if it could? Even if we agreed that most of Hollywood's movies could be considered art (a far stretch), Coolidge's comments ignore the fact that art must be free to be individually experienced.
おかしなことに、米監督組合が映画ファンに望んでいるのは、そういう世界なのだ。 シーンを飛ばすことは許さない。 映画を購入して家庭に持ち帰った後までも、消費者の経験をコントロールしようとする。 お次は何か。 できることなら早送りボタンを非合法化したい、とでもいうのか。 ハリウッド映画の大半は(広い意味では)芸術と考えられないこともない、という点は認めるとしても、 マーサ・クーリッジの考えは、芸術は個人によって自由に鑑賞されるべきものである、という事実をまるで無視している。
When I see the Mona Lisa featured in a TV commercial with her lips moving, I appreciate the fact that someone else's experience of the Mona Lisa is different from mine. Altering a creative work is a form of expression in and of itself. It is offensive mainly to artists who are insecure about their work. If it really wanted to, Hollywood could suppress the editing of movies by not releasing its films on video.
テレビのコマーシャルでモナリザの唇が動くのを見るとき、 「モナリザについて、自分と違って、こういう見方をする人もいるのだ」という事実を、わたしは快く受け止める。 創作物を改変することは、それ自体、表現の一形式である。 それが不愉快だなどというのは、自分の表現に自身がないアーティストくらいだろう。 もしハリウッドが映画の編集を完全にやめてもらいたいと考えるなら、そもそもビデオの形で映画をリリースしなければよいことだ。
As ridiculous as it seems from an artistic perspective, the DGA's stance makes even less sense economically. The DGA seems to forget that most movies are edited by the studios themselves for airline flights and television audiences. The technology the DGA wants to control could fit two versions of a film on one DVD. The movie industry could solve its own problem--and increase its revenue in the process--by releasing its own edited versions to the public.
米監督組合の立場は、芸術の観点からみておかしいばかりか、経済的な観点からもあまり筋の通ったものとは言えない。 たいていの映画は、機内上映用、テレビ放映用などとして、各スタジオそれ自身によっても編集されるのが普通だが、 そのことを忘れてしまったのだろうか。 米監督組合が憎むまさにそのテクノロジーを使って、同じ映画の2種類のバージョンを1枚のDVDに収録することができ、 映画業界は問題を解決できるばかりか、売り上げを増やすことができるではないか。 暴力シーンをカットしたバージョンの需要があるのなら、それを作って売ればいいのだ。
But this seems too difficult a concept for the movie industry to grasp. Instead of identifying and meeting consumer demands, it spends time fighting those who do. Remember our earlier suggestion that the economic value of intellectual property depends on market manipulation. Without artificially restricting supply, prices for IP would fall below the point at which financial profit is possible. Like other players in the larger IP arena, the film industry is more interested in controlling markets and technology than it is in adapting to them.
映画産業にとって、この概念は理解困難なようだ。 消費者の需要をとらえ、それに応じる代わりに、かれらは消費者の需要に応じようとしている人々を訴えることで時間を浪費している。 最初に指摘した「知的財産(IP)の価値は市場操作に依存する」という点を思い出してほしい。 供給が人為的に制限されない限り、IPの価格は損益分岐点以下まで下がってしまう。 ところが、IP分野の他の大手と同様、映画産業も市場とテクノロジーをコントロールすることには熱心である一方、 市場やテクノロジーに適応しようとする努力は怠っているのだ。
This preference is understandable; market forces are unpredictable and understanding them takes effort, time, and skill. Who would purposely choose a course involving risk when it could be avoided altogether by legal or legislative means? What the IP industry fails to remember, however, is that market forces continue to operate in spite of efforts to control them.
消費者のニーズへの適応より一方的な支配を望む気持ちも、理解できないわけではない。 市場の動きは予測不能で、マーケティングにはそれなりの努力、時間、スキルが必要とされるからだ。 法的手段や新法の制定によってすべての面倒が避けられるなら、誰がわざわざそんな面倒な道を選ぶだろう。 しかし、これらIP産業は重要なことを見落としている。 いくら支配しようとしてみたところで、どのみち市場を完全に支配することはできない、ということだ。
Case in point: A movie industry lawsuit might stop CleanFlicks from editing videos, but it won't be able to stop ClearPlay, Inc. ClearPlay is the next step in family-friendly video viewing. Perhaps in anticipation of legal action from Hollywood, ClearPlay's newer technology allows subscribers to download editing scripts. Without modifying the DVD itself, ClearPlay's technology intelligently instructs the DVD player to skip over objectionable content.
一例を挙げよう。映画産業による訴訟は、 ひょっとして CleanFlicks 社によるビデオ編集をやめさえることができるかもしれないが、 そうだとしても、 ClearPlay 社は止められないだろう。 ClearPlay はファミリー向け映画の次世代で、 ハリウッドによる訴訟に対抗するためと見られる新しい技術を使っている。同社の顧客は編集用のスクリプトをダウンロードできる。 このスクリプトは、DVDそのものを変更することなしに、DVDプレーヤーにカットすべき暴力シーンなどを伝えるようになっている。
"We have done extensive legal research on it," says ClearPlay chief executive Bill Aho. "We don't ever touch that DVD." The movie industry apparently feels that if it doesn't want to supply a market for which there is an established demand, it can sue or legislate it out of existence. But free markets don't work that way. Markets will find a way to give consumers what they want, whether or not the movie industry chooses to be part of it. ClearPlay is but a prime example.
「法律問題については徹底的に調査しました」と ClearPlay 社の幹部は言う。「当社ではDVDには指一本ふれません」 映画産業は、マーケットの需要を自分たちで満たす気がないとなると、 訴訟を起こすか、法律を変えてその行為を非合法にしてしまえばいい、と考えているようだが、 自由市場は、そんなふうには動かない。 映画産業がそこに参加する気があるにせよ、ないにせよ、 消費者が望むものを提供するようにマーケットは動く。 ClearPlay 社はほんの一例にすぎない。
Suffice it to say that movie studios are so focused on whether or not they can control every aspect of their intellectual property that they fail to question whether or not they should. Consumers desire to experience creative works on their own terms, and they are willing to pay to do so. Attempting to control intellectual property after consumers have purchased it is counterproductive. In attempting to control market forces, IP companies miss opportunities to capitalize on new markets. They seem to believe that demand will cease even if they aren't willing to provide supply.
映画スタジオは、映画の各側面をコントロールできるかどうかというその点ばかりに心を奪われたあげくに、 コントロールすべきなのかどうなのかという点を考えることを忘れてしまったと言っていいだろう。 消費者はそれぞれの仕方で創造的作品を味わいたいと思っているし、 そのためには喜んでお金を払う。 消費者が購入した後まで、支配を続けようとすることは逆効果だ。 (ニーズに応える代わりに)ニーズを支配しようとしたことで、IP各社はせっかくの新しいビジネスチャンスをふいにしてしまった。 まるで供給を渋れば需要がなくなるとでも思っているかのようだ。
If the Directors Guild of America seems excessive in its desire for control, you have probably never scrolled through an End User License Agreement (EULA) governing the use of a Microsoft operating system. The EULA for Windows XP is 18 pages long, and it explicitly states that "The SOFTWARE is licensed, not sold." Given this statement, the number of restrictions placed on a Windows non-owner should come as no surprise. Indeed, it would seem easier for Microsoft to specify what a user can do instead of listing what he or she cannot.
映画の米監督組合の望むコントロールが突出して行き過ぎだと思うかたは、 たぶん、Microsoft のオペレーティングシステムの使用許可契約 (EULA)を最後までスクロールさせて見たことがないだろう。 Windows XP の EULA は18ページに及び、「このソフトウェアはライセンスされるのであって、販売されたのではない」と明言している。 これを読めば Windows OSの“非”所有者たちが経験する数々の制限も納得がいくだろう。 実際、Microsoft にしてみれば、いっそのこと「ユーザの禁止事項」を書くより 「ユーザの許可事項」を書くほうが手っ取り早かったのではないかと思える。 「こういうことは禁止です」ではなく「あなたがしていいのは、これとこれとこれだけです」という具合だ。
Many users routinely backup their hard drives. Making several backup copies allows a user to backup different configurations from different points is time--essential if the user would like to roll back to a particular point in time during which a system was most stable. If you have ever done this, you might be surprised to know that you are acting illegally according to the Microsoft EULA, which states that "YOU MAY MAKE A SINGLE BACK-UP COPY OF THE SOFTWARE."
多くのユーザは定期的にハードドライブのバックアップをとる。 いくつかの時点でバックアップをとっておけば、異なるシステムの状態を保存しておくことができる。 システムがいちばん安定していた時点の設定に戻したいという場合、このようなバックアップは必要不可欠だ。 もしあなたがそういうことをした経験があるとすれば、意外かもしれないが、あなたは Microsoft の EULA に反する違法行為を行っていることになる。 「使用者はバックアップの目的で、一つに限りソフトウェアの複製を作ることができる」となっているからだ。
What if you bought a music CD and discovered that you could only play it on one of your CD players? Consumers wouldn't tolerate such controls on music, but Microsoft places similar restrictions on its software. The Windows EULA specifies that the OS may be installed on one machine only. It doesn't matter if you own two computers and never use both at the same time. Microsoft insists that you must buy (or rather, LICENSE) two copies of Windows.
もし音楽CDを購入して、一つのCDプレーヤーでしか再生できないとしたらどうだろうか。 消費者はそんなふうに音楽をコントロールされることに我慢できないだろう。 Microsoft が自社ソフトウェアに課しているのはそれに似た制限だ。 Windows EULA には「このオペレーションシステムは、一台のマシンに限りインストールすることができる」と明記されている。 2台のコンピュータを所有していて、同時に使うことはないとしても、駄目なのだ。 Windows のコピーを2本買え(より正確には「ライセンス契約を結べ」)、というのが Microsoft の言い分だ。
Next, Microsoft specifies that a user may allow a maximum of ten "computers or other electronic devices… to connect to the COMPUTER to utilize one or more of the following services of the SOFTWARE: File services, Print services, Internet Information services, and remote access." The EULA doesn't specify whether a user is in violation of this limit if more than 10 hackers simultaneously exploit the "share level password" vulnerability to gain access to a particular file share.
次に、Microsoft は、
「Windows をインストールしたコンピュータに接続し、
Windows のファイルサービス、印刷サービス、IIS、リモートアクセスを利用できるコンピュータまたは他の電子機器」を、
最大10台と制限する。
もし10人以上のハッカーが「共有レベルパスワード」の
Finally, when your machine is at the end of its useful life and is ready to be uploaded to that great Computer Lab in the Sky, make sure that you leave your only copy of Windows on it, because you cannot keep it with you. The EULA for Windows XP states that "THIS LICENSE MAY NOT BE SHARED, TRANSFERRED TO OR USED CONCURRENTLY ON DIFFERENT COMPUTERS. The SOFTWARE is licensed with the COMPUTER as a single integrated product and may only be used with the COMPUTER."
最後に、マシンの寿命が尽きて、最後の「アップ」ロード、つまりはおだぶつ・昇天となった日には、 Windows OS もいっしょに昇天させることを忘れなく。 なにしろ Windows XP の EULA は、 「このライセンスを共有・譲渡し、もしくは同時に異なるコンピュータで使用することはできない。 このオペレーションシステムは、コンピュータマシンと一体となった不可分の複合製品としてライセンスされ、 当該コンピュータにおいてのみ利用することが許可される」というのだから。
So there you have it: four prime examples of how Microsoft wants to control your use of its intellectual property throughout the life and death of your machine. If you have ever made more than one backup copy of your system, you have violated the EULA; your license is technically invalid and you are illegally using Windows. (And all this time you thought you were a law-abiding citizen because you purchased Windows pre-installed on your system!)
以上、四つの顕著な例を挙げた。 Microsoft が自社の知的財産の使用法について、 あなたのマシンの寿命の全期間にわたって、あなたをいかに支配したいと考えているかを示す例だ。 もしシステムのバックアップを二つ以上とったことがあるなら、あなたは EULA に違反している。 厳密に言えば、あなたのライセンスは契約違反で無効になり、あなたは Windows を違法に使用していることになる。 (プリインストールマシンを買ったのだから、自分は法を守る善良な市民だ、と考えていたのでしょう!)
Let's digress for a moment. For all the restrictions listed in the Windows EULA, what Microsoft really wants is your money. Whether specifying how many backup copies of Windows a user can have or how many computers can connect to a Windows machine, the EULA restrictions are designed to ensure that each user pay a fee to Microsoft at every conceivable opportunity. Bill Gates doesn't want you copying software when you could be purchasing his newest products instead. It is not consumer-friendly, but it is understandable.
ちょっと話がそれるが、こうした Windows EULA の各制限の真の意味は、Microsoft は金がほしい、ということだ。 バックアップコピーをいくつ作っていいのか。 Windows マシンに最大何台の他のコンピュータが接続できるのか。 EULA の制限は、少しでも金を取れる場所からは取ろうという観点に立っている。 ビル・ゲイツとしては、あなたに最新製品を買う余裕がある限り、コピーするより買ってほしいのだ。 顧客思いの態度とは言えないが、これは理解できる話だ。
What's not understandable is the paranoia about piracy. Microsoft officials apparently have nightmares about people installing copies of Windows on computers with reckless abandon, but in the real world, it seldom works that way. Sure, I've installed Windows dozens of times for friends when hard drives have crashed or when file systems have been corrupted. But if you've ever tried to install a newer Microsoft operating system on an older computer, you know that the results are rarely worth the effort; the older computer usually isn't fast enough to make the upgrade worthwhile.
理解できないのは、海賊版に対するパラノイアだ。 Microsoft の幹部たちは、どうも世界中の人々が Windows を勝手にコピーしまくってインストールするという悪夢を心に描いているようだが、 現実世界ではそれはあまりないことだ。 現実に、わたしは、 友人のハードディスクがクラッシュしたときやファイルシステムがおかしくなったときなど、 何十回も Windows をインストールしてあげたことがある。 けれど、古いマシンに Microsoft の新しいOSをインストールしようとすると、 ご承知のように苦労はまず報われない。通常、 古いマシンでは、新しいOSは快適に動作しないので、アップグレードする価値がないのだ。
So when I reinstall Windows 95 from a copied CD, it's on a computer that came with it preinstalled from the factory; likewise with Windows 98. I'm sure this isn't technically allowed by the Win9X EULA, but the license fee was paid when the machine was originally purchased. Would Microsoft really want to charge the user twice?
だから、わたしが自分の Windows 95 のCDを使って、友人に再インストールしてあげるとすれば、 対象は、もともと Windows 95 が工場出荷時からプリインストールされていたマシンにだ。 Windows 98 についても同様。 厳密にいうと、このような行為が EULA 的に許されるのかどうか分からないが、 ライセンス料はそのマシンの購入時にちゃんと支払われている。 まさか Microsoft は同じユーザに二重に課金する気だろうか?
If this question seems unintelligent, or if you think that Microsoft is only trying to protect its intellectual property, consider the following scenario: A year after buying a new PC running Windows XP, your system suffers a total hard drive failure. You call the manufacturer and are informed that the warranty period has expired. So you buy a new hard drive at Circuit City and take it home to get your system up and running again. How are you going to install Windows? Your new PC didn't come with a system recovery CD; that software was included on the "system restore" partition of the hard drive that just crashed.
この質問が的はずれだと思うなら、あるいは、Microsoft は単に自社の知的財産を守ろうとしているだけだと思うなら、 次のようなシナリオを考えてみてほしい。 Windows XP 搭載の新型PCを購入して一年後、ハードドライブが壊れてしまったとする。 あなたはマシンの製造元に連絡するが、保証期間は過ぎていると言われる。そこで秋葉原にでも行って新しいハードディスクを買って帰り、 自分で交換して直そうとする。 ところで、どうやって Windows をインストールしたらいいのだろう。 あなたの購入したPCにはシステムリカバリーCDは付いていなかった。 代わりに「システム・リストア」パーティションがあったのだが、それはハードディスクのクラッシュで失われてしまった。
You can't borrow your neighbor's system recovery CD because he doesn't have one either. You call Microsoft only to be informed that "support for the SOFTWARE is not provided by MS, Microsoft Corporation, or their affiliates or subsidiaries" (Windows EULA). Microsoft suggests that you contact your hardware manufacturer. Product activation will prevent you from borrowing a retail copy of Windows XP even for a recovery installation. If you want to install Windows XP again, you will be forced to purchase a retail version.
隣人からシステムリカバリーCDを借りてくるわけにはいかない。隣人も持っていないからだ。 Microsoft に電話をかけてみても「Microsoft はソフトウェア製品へのサポートを行わない」(EULA)と言われるだけだろう。 「ハードウェアの製造元に問い合わせてみてはいかがでしょう」となる。 アクティべーションがあるので、このような修復目的のインストールであってさえ、 Windows XP のリテール版を借りることすらできない。もう一度 Windows XP をインストールしたいなら、リテール版を買うしかないのだ。
Microsoft will obviously appreciate your business, but that won't change the fact that you will have "purchased" XP twice. Microsoft is likely requiring hardware manufacturers to do away with system recovery CD's to thwart piracy, but this will end up costing you, the consumer, in the event of a hard drive failure.
Microsoft はもちろん喜んで売ってくれるだろうが、だから何だろう。 同じ XP を二度「買わされる」のだ。Microsoft は海賊版防止のためにハードウェア製造者にリカバリーCDを付けないように要求したのだろうが、 ハードディスクの故障のような場合、結局のところ、これは消費者であるあなたの付けになるだけだ。
Like the movie studios, Microsoft is so focused on whether or not it can control every aspect of its intellectual property that it fails to question whether or not it should. In its effort to squeeze every possible dollar from the consumer, MS has ignored the fact that its efforts will ultimately harm and alienate consumers. Most people don't reinstall Windows for fun; they reinstall it because it fails. People get irritated when Windows crashes, but they expect it. When they discover that they can't reinstall XP because of product activation, they will become genuinely upset.
映画スタジオの場合と同じく、Microsoft は自社の知的財産の各側面をコントロールできるかできないかという点に夢中になり過ぎて、 コントロールする必要があるのかどうか考えるのを忘れている。 消費者から1ドルでも多く絞り取ろうとそればかり考えて、その結果、消費者に不利益を与え、消費者を遠ざけてしまっているのが、分からないのだ。 Windows を好きで再インストールする人などめったにいない。 正常に起動しなくなったから、やむなく再インストールする。 Windows がクラッシュするとユーザはいらだつが、仕方ないとあきらめてもいる。 だがプロダクトアクティべーションのために XP を再インストールできないと分かったときは、本気で腹が立つ。
With its well-established monopoly of the desktop market, Microsoft isn't likely to pay attention to consumer complaints any time soon. It didn't stop consumers from copying Windows when doing so helped establish its monopoly. Why is it doing so now? Because it can. Microsoft has never been focused on anything but its own best interests. And now it perceives that product activation will increase its revenue stream because consumers will have no choice but to comply with its requirements.
デスクトップ市場での圧倒的な独占があるので、Microsoft はおいそれとは消費者の苦情に耳を貸さないだろう。 同社はかつて、消費者が Windows をコピーすることをやめさせようとはしなかった。やめさせないほうが独占体制の確立に有利でもあった。 なぜ今はやめさせようとするのだろう。「やめさせることができるから」だ。 Microsoft は常に自社の利益を最大にすることだけに集中してきた。そして今、プロダクトアクティべーションが同社の収入を増やすことに気が付いた。 なぜなら、このようにすれば、消費者は同社の言いなりになるほか、選択の余地がなくなるからだ。