「アメリカ脳の恐怖」というのは「ゲーム脳の恐怖」というばかげた主張(ゲームをしている人は脳が異常になって犯罪を起こすとかの非科学的な説)のパロディーで、 ジョークである。アメリカの行動をワッチしたり、かかわりあっていると、脳がおかされる、というブラックジョークだ。 (アメリカ人の脳がおかしい、という意味ではない。) なお、「ゲーム脳の恐怖」という俗説が広まったのは最近だが、それに対するパロディーとしての反論は、 前世紀に書いた「高校リンチ殺人事件、主犯は朝日新聞の読者 」がある。
「アメリカ脳の恐怖」という言葉はジョークであり、「ゲーム脳の恐怖」をおちょくる言葉であるから、 くれぐれも誤解ないように願いたい。 アメリカの国策がたとえいかに奇妙であるにせよ、それを見る人にきちんとした視点があれば、べつに「悪影響」がないばかりか、 人間学の生きた教材として「有効」であることは言うまでもない。
何というか「戦争反対」とか訴えている人のなかに、あまり思慮深くないような向きがあるようで、 そっちが心配だ。「戦争反対。平和ばんざい」な人々の中には、思慮深いかたもいるとしても、 何というか軽薄な人も少なくないのでないか。何が心配かというと、表面だけで「戦争反対」とか言っている連中は、 ちょっと事情が変わると、たちまち「この戦争は絶対正しい。○○陛下ばんざい」というこれまたうのみの主張にくみしかねない気がする。 そういう意味では人間の盾なんてくだらない、くらいの斜にかまえた批判精神がある人のほうが、よっぽど頼りになる気がする。 だいたい考えてみたら、戦争反対、戦争は悪だ、といううわべのロジックからすると、 そもそもアメリカ侵攻前からアフガンは悪の国だった、という結論に達して、 何を非難したいのかすら、筋が通らなくなる。 それはソ連撤退後の内戦の泥沼のアフガニスタンに対して「あなたがたがやってることは間違っています。 ただちに内戦を中止しなさい」と呼びかけるような、非現実な(間違っていないが無意味な)行為で、 テロリズムの温床だから根こそぎ撲滅しましょう、というのと同じくらい乱暴な議論だと思う。 あるいは、韓国の政治家が南北問題にどれだけこころをくだいてきたかを知らずに、 南は北にもっと強い態度でのぞむべきだ(あるいはその逆)と勝手な独り決めをするようなものだ。 複雑な事情があるのをよく理解しようともせず「すぐやめなさい」と言ってみても空虚なだけだ。 アメリカがいろいろやっているのも「アメリカは悪だから」といった単細胞なロジックでなく、 それに至る事情に思いをはせる必要があるのでないか。 もちろん考えても完全な結論が出るわけでもないが、理解しようという努力もせずアメリカはジャイアンだからジャイアンなのだ、では、おそまつだ。 例えば貿易センタービルが破壊される事件があったので、とか言うけれど、 その前にもイージス艦コールに対するゴムボートでの自爆テロが起きていたりもする。 他方において、ビルが破壊された話でも、何か不自然な点がいろいろ出されているのに、あえて徹底的に調査をしようとしない、という話も気になる。
といいながら、我が身をふりかえると……。 アメリカの情勢を強烈なギャグにしてにやにや笑うしかない、という考えは、 結局、まともに批判してもせんかたない、どんなに言ってもどうせ変えられない、 話し合ってもムダ、議論しても何もできない、という無力感の裏返しで、 ということは、「ムダなのに人間の盾なんかやっている」のをみて、コンプレックスを刺激されて極端な発言をする人と、 ねは同じなのかもしれない。 と同時に、自分の場合もうひとつあって、 正面からまじめに議論をした場合に一部読者が「アメリカ人はひどい」という反米感情の自己目的化におちいるのがスゴクいやなので(アフガンねたのとき、 うんざりした)、なるべくアメリカを直接非難したくない、でも何か言いたい気分のとき、 「分かる人にだけ分かる」ようなひねったギャグにひかれるのかもしれない。
アメリカへの怒りを「アメリカ人」に向けても仕方ないのに……。 一般市民どころか、米軍の兵隊のひとりひとりにさえ、どんな罪があるというのだろう? たまたま職業軍人で、職業上の任務を果たしているだけではないか。 それも命にかかわる危険な任務だ。劣化ウランのことでアメリカを批判するが、現地にいる米兵だってそこに危険な化学物質なりがあれば、 同じ健康被害を受けるのだ……。
はぁ?の極致だ。アフガンに対する「経済制裁」と同じくらい筋違いな話だ。 何か自分にできることはないか、という焦燥感にかられているなら、不買運動だの、 議会や大統領や国会議員なんかにスパムメールだのの無意味なことをせず、 例えば一般の(ごくふつうの)アメリカ人やイギリス人やフランス人なんかの個人ホームページで趣味が同じ人のを検索して、 個人対個人のレベルで誠実なメールでも送って意見交換してみるほうが、建設的だろう。 だいいち、もし本当にアメリカを批判して反戦を訴えたいなら、 まずその前に、 最低ひとり、できれば複数のアメリカの人と友だちになってほしい。 戦争より対話を、話せば分かる、と言いたいなら、まず自分が、そんな一方的にアメリカを叩かず、対話の努力をするべきだ。 話してみれば思ってるよりずっと話が分かる相手が多いし、 また(これが重要なのだが)アメリカの人でもすんごく意見に幅がある。 「アメリカ人は」と簡単に言うことができなくなるだろう。 (ただ、べつの意味で――アメリカの場合に限らず、 アジアや日本に対する差別的な発言をする人は、なかには、いるから、思っているのとは別の意味で不愉快になることもあるだろう……)
2003年3月23日 イラク侵攻関連のねたは2001年9月の場所に移動。 実際、これは2年前のニュースで、本当に今さら新鮮な興味を持てない。 2001年9月は「米の中央アジアへの軍事介入問題」の時期だ。 当時から「アフガニスタンへの報復攻撃」などと言わず「中央アジア」への進軍と書いているのだし、 アメリカ叩きが自己目的化している人々への不満感とか、難民の子どもの写真とか持ち出してそれが議論の中心となる構図への不満感、 重要なのは「アメリカを理解する視点」の取り方、といった問題意識の構図も変わってないので、どうしても最近の記事と並べる気がしない。 思い返せば2001年9月のアフガン侵攻自体「またこの話か」、テロ対策と称してアフガン侵攻というのは、 このサイト的には、そのさらに一年前から繰り返されたネタだった。 2001年当時に、 このサイトの記事を見て反米的なコメントをする人にうんざりして、アメリカを批判する記事を大幅に削除したそのスキマがちょうどあるので、 2003年の重複記事は、そこに入れておく。
当時との変化は、アメリカへの支持が減っていることだ。当時は、政治的理由からの仕方なしの「賛成」も含めて約40か国がアフガン侵攻に賛成の立場ということだったが、 現在のイラク侵攻へ賛成の立場を見せているのは30か国だろう(地球上には160くらいの国があることに注意)。アメリカ国内での支持も、統計をごまかしてようやくぎりぎり過半数、実際に本当に賛成しているのは、 半分いないような感じだ。あと2回も続ければ、ほとんどアメリカを支持する国はなくなる。
もうひとつは、当時、湾岸戦争以来のアメリカの中央アジア政策は、わりと経済目的のものだと見られていた。 特にアフガンについては、中央アジアの天然ガス資源をめぐるグレートゲームということがよく言われていたし、 日本の外務省の公式ページや、自衛隊のケーススタディのページにも、そのことが明言されていたので、 仮説とはいえ、ある程度「通説」だった。 しかし、今回のイラクは油田こそあるものの、勝ってもそこの利権をアメリカが簡単に得られる状況でないし(アフガンなら、 完全に一からかいらい政府を作れる可能性があるが)、ものすごい戦費が報じられており、 どう考えても投資が多すぎて大赤字になるような気がする。 いわゆる「カネめあての戦争」のような単純な構図ではなく、心理的な理由がけっこう入っているのでないか。 もちろんそれも仮説にすぎない。あんがい当事者自身、なぜ戦争をしているのか本当の理由がハッキリしないのではないか。 惑星全体の資源をひとりじめしても、どのみち百年もたないだろうし、本質的には絶滅寸前の最後のみにくい争いなのかもしれない。
まだ公共の交通機関であるバスが動いていたので乗ってみると半分くらいの乗客はイラクの兵士だった。 慌ててカメラを隠そうかと思ったら、なんと兵士の方が写真を撮ってくれと頼んできた。みんな信じられないくらい陽気だった。 一人が「衛星を使って日本に送ってくれよ」というようなことを言っていた。
ここ数日、久保田さんのテンションが上がっていて、妙に感傷的になったり、かと思えば自分をアイドルになぞらえてみたり、 「人間、あす死ぬかもしれないという事態に直面すると揺れるものなんだなあ」と思っていた。 それをリアルタイムで観察できるインターネットというのは、 強力ではあるが、ある種、ぶきみな存在だとも思う。
もちろん、わたしたちにしてみれば、こんなことがニュースになりまじめな議論になることそれ自体、怒るどころか脱力する気もおきないほど無味乾燥で、 正直、興味を持てない。なんでこんな馬鹿馬鹿しいことがありうるのだろう、シナリオライターが手抜きしてるのか、と不可解なだけだ。 久保田さんが「アクセス増えてますか」と気になさるので、イラクのページだけ別にログをとってみたら、確かにアクセスは増えていた。 一日1万ページビューとかのオーダーだろう。思っていたより人が見ているのだなあ、と驚いた。 と同時に、日本の人もアフガンであきたというか、もううんざりして、しらけてしまったのかもしれないなあ、とも思う。 アフガニスタンに進撃するしないと騒いでいた時期のアフガンページは、それこそサーバが落ちるのでないかと心配になるほどアクセスがあって、 物理的にサーバを分散していたほどだ。それもプレインテキストだけ。今回は現場に写真家がいて、毎日、生の映像を送ってくるのに、 一日1万ページビューしかいかない。 もちろん内容の性質の違いということはある。 イラクのページは、情報として、辛辣な議論にたえられるものというより、叙情的で個人的な、すなおで素朴な日記だ。 心優しい読者には訴えるとしても、理性的な議論の素材を提供するものではない。 そもそも理性的な議論の余地など初めからないわけで、どこからどう考えても何かおかしいのは確かで、 といっても「間違っている」と感じることを止められないのは情けないので、できることなら間違っていないのだと信じたい、というくらいだろう。
現地からの貴重なレポートという人的コストを無視するかのように、 ほかの「たわいない」コンテンツのほうが桁違いにアクセスが多いということは、 一種皮肉ではあるが、やはり巨視的な情報の力学だと思われる。 実際、イラクのページが一日1万ヒットあることで、むしろ驚いたほどなのだ。 現地からの写真レポートは貴重ではあるが、そのコストというのは要するに、 むざんな姿をさらす子供の死体写真を目にしてから初めて「これは間違っているのでないか」と思いつくマヌケさをつぐなう費用なのだから。 とはいえ、人間の生写真(天然の肉、特に動画)を見るとぞっとしてしまう自分ですら何となく興味を感じる写真があるので、 素直で感受性豊かな、正常な人々にとっては、やはり貴重な映像だと思う。 一枚一枚の写真はそれ自体として何気なくても、人間には、それを出発点にする想像力というものがあるはずだ。
このサイト(FAIREAL.net)はアフガンねたのページなど作っていた関係で何か国際平和運動みたいなものを基調にしているのかと見られたりもするが、 最初から見てたら分かるように単にABC順で気まぐれに地域をとりあげていたにすぎない。 アフガニスタンはAだから最初にきて、あとBブルキナファソ、Cコンゴ、カーボベルデなどと進んできた当時、 アフガニスタンは世俗のニュースねたになどなっていなかった。今でも「ブルキナファソ」や「カーボベルデ」がそうであるのと同様、 当時「アフガニスタン」は世の中の動きと無関係なまさに妖精的なねただった。 たまたまこっちがネタで書いていたことが思いがけず世の中でもネタになったので、見かけ上、世俗的なサイトみたいになってしまったが。 ともあれ、なぜイラクについて書かないのか、これでお分かりいただけると思う。 Iなんて、まだまだ先のほうだからだ。 また、あまりにあからさまで、微妙な議論の余地などないということもある。 まあ「こうまで強引にごり押しすれば、世の中のまともな学者たちは、あきれて本気で反論しなくなるだろう」という計算まであってやってるなら、 それはそれで優れた洞察の勝利と言えるのかもしれないが……。
実際、大半の人は、正直あの国のやりかたにうんざりしているのではないか。 その点のジレンマもある。 アフガンねたのページを作っていた時期も感じたことだが……「書き手」が反米的と思われることは無害だが、 実際に記事を読んで反米的感情をもつ人が出ることは有害だから、あれらは有害な記事だったと思う。 いまだに「アメリカはひどい」ということを訴える人があれらの記事を引用しているのを見ると、うんざりする。 けれど、このことを訴えることそれ自体にも疲れてしまった気がする。 日本はまだなんだかんだいってもアメリカと仲が良いほうなのだろうが、 少なくとも自分のまわりでアメリカをばかにする風潮は根強い。 風当たりは厳しい。日本の常識では考えられないほど煙たがられている局面がままある。 「アメリカ人は」とひとくくりに馬鹿にするのは、一部の人が一部のアジアの国の国民をひとくくりに馬鹿にするのと同様、 不合理なことのはずなのだが。アメリカは尊大というイメージがあるかもしれないが、 思慮深い人も多いし、自国の政策(州でなく連邦政府の)に罪悪感を感じている人さえ珍しくないように思う。 自分がふだんネット上でつるんでる相手は当然、日本人が多いが(10%くらい)、アメリカ人も多い(10%くらい)。 いちおう親近感のある仲間うちなので、残り80%からその友だちを馬鹿にされると、やっぱりうれしくない。 アメリカの国策について肩を持つ気はさらさらないが、挙国一致して「やっちまえ」と盛り上がってるのではないし。
アフガンねたのときは、誰もがやるように「アフガニスタンの人々は~」と三人称で文章を書いていた。 ブルキナねたでは「こんにちは、わたしマリアム、12歳」といきなり一人称で書いた。 本質的には自分のなさのあらわれだが、結果的にブルキナの文章はいきいきとしていていい感じだ。 じつはあれを書いていたときスカパーでこどちゃの再放送をやっていたので、単にまねっこしただけなのだが、 わりと、すーっと人のなかに入り込むのが得意なのだ。傷つくのが怖くてふだん甲冑でよろっていても、 もし実際にイラクの人たちのそばにいたら、ばかみたいに同情して最後まで無駄なあがきをしてしまうのだろうなぁと思う。
そういえば、前に友達がモルジブでスノーケリングした時に
下の方でイルカが輪になってナマコのキャッチボールをしていたそうです。
そして、そのうちの1頭が友達に気がついて
上を向いて「キュキュキュ~」と鳴いたそうです。
一緒に遊ぼうよとでも言ったのかな・・と話してくれたのを
思い出しました。
精神世界の達人より
日本の核武装……このネタを最初に見たのはThe Next Iraqという、 次のイラクはどこだ(可能性)、みたいな記事で、 核兵器開発の可能性のマークが日本についていて説明書きに「イラク問題が泥沼化してアメリカへの支持ががた落ちした場合に、 日本は(アメリカに頼らずに)自分で自分を防衛するようになるかもしれない。そして核兵器の配備さえするかもしれない」 というようなことが書いてあったのだった。最初に見たときは、非現実な話だと感じたが、 実現可能性はともあれ、基本的にはいい考えなのかもしれない。
仮に感情的な問題はおいて純粋に技術的に考えると、日本のハイテク技術を持ってすれば、 そこそこ強力な軍を組織することは可能だろう。そして侵攻前からこれだけ(日本国内に限らず世界的に)アメリカへの不支持があるので、 「イラク問題が泥沼化したなら、強制された“友だちだよな”な関係に見切りをつけたくなるかもしれない」というのは、 ありうる話だ。 なにせ現状、やはり侵攻は疑問という考えが多いだろうし、 支持するとしても直接的、積極的に支持するというより「それ自体としては賛成しかねるが、 アメリカのやることにケチをつけて万一のときに守ってもらえないと困るから反対はしかねる、 結論的には支持する」といったようなことなのだろう。 となると、理屈の上では、べつに守ってもらわなくてもいいように、自分で戦えるアイテムを用意して腐れ縁を切ったほうがスッキリする。 いっけん突飛なようだが……。
そもそもなぜこうもアメリカは大暴れするのだろう。 冷徹な国際戦略の思惑もあるのだろうが、これでは「成功」しても、ひんしゅくを買いすぎる。 つまり戦略的なメリットがあっても、ツケも大きいので、さしひきあまりトクにならないのでないか。 自分からケンカを売っておいて「仕返しされるかもしれない」と警戒を呼びかけるのはコストパフォーマンスの悪い話で、 最初から殴らなければ良いのに……とだれでも思う。確かに相手が差し迫って戦闘意欲をむき出しにしてるなら防御もかねて先制攻撃とかもあるだろうが、 べつに「一刻の猶予もない、やられる前にやらねば」という切迫した状況でもないのだから。 また戦争をすれば儲かるという俗説があるが、モノが破壊され資源が損なわれるのだから地球全体で見れば大幅な赤字以外にあり得ず、 アメリカ国内に限定しても、あれだけの軍事行動をすれば、やっぱりすごくカネがかかるので損だと思う。 別にミサイルを撃ちまくらなくても、狡猾な、あるいはねばり強い政治手段で「言うことを聞かせる」可能性は充分にあるわけで(それが良いかはともかく)、 勝てるにしてもムダの多い、まずい、恨みと反感を買うやり方だ。
つまり、何かの儲けをめあてにやってるわけでも、賢い長期的展望があってやってるわけでもなく、 要するに疑心暗鬼というか、びびりまくって、度を失ってるのでないのかと思う。 なぜアメリカの偉い政治家とかがガクガクブルブルしてるのかといえば、やっぱ「身に覚えがあるから」だろう。 マンガの悪役じゃあるまいし、べつに世界征服をたくらんでいるとかの野望はない。 ただ「おれを怒らせるとこうだぞ」という感じで、恨みがある向きへの見せしめとして、それで(まわりくどいやり方だが)身の安全を図りたいのだろう。 しかし、それは一般のアメリカの普通市民の意識とイコールではないだろう。 そもそも、見せしめのためにぶん殴ったりしたら、当面は黙らせることはできても、かえってますます根強い反感を買ってしまう。 家族や恋人を殺された若者が、機会があったら絶対に仕返しするぞ、と誓ってしまう。 かつてあれこれあった地域とかでも、せっかく過去は水に流そうと気持ちを切り替えかけているところで、こんなことがあると、どうか。 でも、そういう長期的な危険があったとしても、とりあえず今はちからをふるってみせないと落ちつかないような、 不安な気持ちでいっぱいなのかもしれない。
あるいは、不安ということを別の角度から言い表すと、周囲から無視されたりしてる可哀想な非行少年のようなものかもしれない。 窓ガラスを割ったりトイレを破壊したりするが、それは、月並みな言葉でいえば、 「愛してほしいというサイン」(笑)なのだ。あるいは「だれか、オレを止めてくれよ~ なんで無視するんだ~」という感じ? しかし、 ぐれてやるーという非行少年なので、一筋縄ではいかない。フランスが「お前、何でそんなことするんだ、やめれ」と言えば、 逆ギレしてフランス逝って良し、まではともかく「フレンチフライドポテトという言い方は何かムカツク。変えよう」 何というか、 アメリカの考えは、どうみても権益の追求とか世界侵略とかの「分かりやすい」野望というより、 素人には理解できない異常心理学の世界でないかと思う。 世界のあちこちの地域でこれまでやってきた蛮行、殺してきた人々の数を思えば、恨みを精算することも、 アメリカの恐怖をいやすことも、とてもとても難しい。良くても200年くらいはかかるだろう。 けれど、忘れてはいけないのは、それはひとりひとりのアメリカ市民の「罪」などではない、ということだ。 イラクの指導者がどんな考えであろうと、ひとりひとりのイラクの住民は、べつにふつーの人だ。 アメリカの人だって同じだろう。どこにでも極端な思想の持ち主はいるにせよ、だ。
現実問題、どうなるのが理想なのだろう? このサイトのコアな読者としては、いっそのこと世界大戦にでもなって人類が滅んだらいいのに、 と夢想しているかたも多いはずだ。それは自分もちょっとは思う。住んでいるところがひどい山奥なので、もし仮に全面戦争になっても、 ミサイルとかが飛んでこないで、変に生き残ってかえってひどい思いをするのでないか、と、馬鹿げた心配をしさえする。 心配といえば、何よりつらいのは、このことで、自分も含めて、多くの人が、世界に失望してしまう、ということだ。 「日本の政治家は馬鹿でも世界にはすごい人がいっぱいいるのだ」と何とかどこかに救いを見いだそうとしていた人々も、 結局、国際政治の世界もひでーということに直面して、がっかりするだろう。 別の人々は「そんなことは前から分かり切っていた」と考えるだろう。 アメリカは正義と自由の良い国だ、アメリカが正しくて日本が間違っていたから戦争に負けたのだ、などと、 ばくぜんと思っていた若い人は、ひどく幻滅するはずだ。 正義とか自由という言葉も次々と踏みにじられ、社会に貢献する、ということ自体の価値観も揺らいでしまうだろう。 こんな社会に貢献したくない、とすら感じるかもしれない。 けれど……それが現実なのだから、仕方ない。やっぱり現実が出発点なのだ。 長い時間がかかるにしても、この授業料があまりに馬鹿げているとしても。 アメリカがベトナムに侵攻した時期は、あまりに情報が出なかった。 「湾岸戦争」のときも。もともとアメリカが国防のために開発したというインターネットが、 結果的に「反面教師の授業、実況中継」の道具になるとしたら、なんとなく皮肉なことだが、 アメリカの救いもそこにあるのかもしれない……。
アメリカの人やそれを「支持」する国の人は、今なんとなく肩身の狭い思いをしたり、 あるいは逆に開き直って「これは絶対に正しいのだ」と強弁しているだろう。 そういうひとりひとりの反応は、まともで理解可能だと思う。 日本にいる自分もあまり偉そうなことは言えないのであって、「何で日本政府はあんなに馬鹿なのよ」とつっこまれたら、 ひどく決まりの悪い思いをするなーと思っている。 いくら名目は民主主義といっても、国民や世論がどうがんばってもそうそう政治は変えられないので(ましてや世論など関係ない、 と言い切る独裁国家では)、アメリカであれイラクであれ日本であれ北朝鮮であれ、そこの政府がやってることの責任をそこの普通市民に追及されても、 にわかには答えようがない。なんで日本はあんな態度なのだ、と日本人のあなたに問いつめても現実問題、仕方ないように、 「アメリカ人」や「イラク人」を責めても仕方ない。実際、あんなに自国政府の政策に反対してるのだし。
さて、アメリカと同盟を続けるとろくなことがないので、独り立ちできるよう日本も軍備拡張して核武装でもしたらいいのだろうか。 自主憲法を作って。 それは、ひとつのオプションだ。 もっとも、アメリカを怒らせる結果になることは必至だ。 「日本には多数の原子力発電所がある。 これらの施設は核兵器製造にも転用できるのであるから、 ただちに廃棄しなければならない」などとからまれても困る。 廃棄などしたら、東京の電力が供給できなくなってしまうから、現実にはできるわけない。 しかしいついつまでに廃棄せよ、さもなければ、などと「国連」決議を出されたらたまらない。 そんなことは非現実としても、やはり、寂しがりやで不安で不安でいっぱいのアメリカを怒らせると、どのみち話がややこしくなりそうなので、 なかなか独り立ちも難しそうだ。同盟関係をやめる、ということは、もうお前は友だちじゃない、と絶縁することだから、 やっぱラディカルだ。でも、それが世界の調和のためにプラスなら、いいのかもしれない。 逆説的だが、アメリカ合衆国は、そういうラディカルなことができる国だ。 そして、それが、わたしがアメリカを好きな理由でもある。
もっとも、現実には、アメリカの圧倒的な軍事力をもってすれば、イラクへの侵攻が泥沼化(長期化)することはないだろし、 万一泥沼化したとしても、泥沼化したという情報がなければ泥沼化していないのと同じことだ。アフガニスタンと同じで、うまく煙に巻かれてしまうだろう。 それに、日本の上の世代には「核」に対するアレルギーがあるので(発電のような100%平和目的の原子力利用にさえ非理性的な反応をする)、核武装はやはり非現実だとは思う。 (「通常兵器」なら良くて「核兵器」は悪いというのは不合理だが。)
TBSへ電話レポートを送る。空爆される場所イラクに僕がいて、攻撃する艦隊の上にもTBSの記者がいる。なんともおかしな感じがする。一人はミサイルが発射されるのを見送り、もう一人の僕はその着弾地点でレポートを送る...
カートゥーンのページより。by Steave Sack
「国連を通過」
2003年3月21日 スイス国際放送の報道によると、米軍はアフガニスタン南部で、空爆を伴う大規模な軍事行動を開始した。
「果敢な一撃」作戦と名づけられている(Operation Valiant Strike)。イラクへの大規模進撃を始めたからといってアフガンへの侵攻をゆるめるつもりはない、
とアピールするねらいがあると見られる。
http://www.swissinfo.org/sen/Swissinfo.html?siteSect=143&sid=1707215
この作戦部隊(セクション)の名前 The White Devils のネーミングセンスが印象的。
魔法使いにも白魔法と黒魔法とかあったり、ハッカーにもホワイトハットとブラックハットという言い方があったりするけれど、
「悪魔たち」にもホワイトというのは、ポエジーがある。
正義の悪魔、「正義」なんだけどやってることは「悪魔」、という自虐ギャグなのだろうか? あるいは、遠くから巡航ミサイルを撃ったり高空から空爆したりする戦い方が、ホワイトカラーなバトル、なのだろうか。「正義のいじめ」とも訳せるが。あるいは「白衣の悪魔」?
思いやり語法? - 数日前にロシアの情報局の中間報告というのをみて(米軍の通信を傍受した結果の分析)、そのなかで米軍のことを「侵略者たちは」と呼んでいたのが気になった。 べつに非難して感情的に「これは侵略戦争だ」とか言っているのでなく、たんたんと、ふつーに「侵略者たちは現在××川にそって進軍中であり」というただ事実を描写している客観的なレポートの口調だったから、かえって気になったのだ。でもヨーロッパのメディアとかよくよく見たら、なんかふつうに「侵略は高速に進んでいる」とか言ってた。分かっていても気をつかって「侵略」と呼ばない国のほうがむしろ少数派だったのかもしれない。 そういえば、百年ほど前のヨーロッパ強国の国民も、これは危険分子を排除して正しい民族の世界を作る正義の行動だと言われていたのかもしれない。 もちろん百年後(2100年)の歴史の本には全然違うことを書かれるのだが。
The gates of hell(エジプトの新聞より)……エジプトは、 地域のなかではアメリカに対して理解のある国だったのに。。。
The day after(イスラエルの社説)―― 「戦争が終わったとき、世界が変わっている可能性は少なくない。 西側世界は再編成されるだろう。 新しい同盟関係が結ばれるだろう。 アメリカはヨーロッパから軍を引き上げるかもしれない。 NATOも分裂しそうだ。 国連の役割も問い直されるだろう。 世界は今にもまして一極的な場所になるだろう。 アメリカは地球の警察として英雄でありつづける。 イスラエルがアメリカに頼りすぎるのは危険だと主張していた人々も、 もはやヨーロッパに救いがあるとは言えなくなる。 アメリカのイラクでの勝利は(その他の結果がありうると信じるほど我々の脳はおかしくない)アメリカだけがテロリズムと戦う世界唯一の力であることを証明するだろう。 この戦争は世界の秩序を変えるだけでなく、中東地域での激動の引き金ともなる。 テロリストの温床とみなされる土地は粛正される。 中でも、テロに対する戦争をアメリカがこれからも続けていく過程で、 次にはイスラエル・パレスティナ問題がやり玉にあげられるのでないか」……地域紛争があるとなると、コソボにせよタリブVSムジャヒドにせよ、地球の反対側から飛んできてごりごり介入して泥沼を深める前歴もあることだし、アメリカに対するイスラエルの見方は、微妙だ。 ほかの記事を見ても「アメリカがアラブを叩いてくれるのは嬉しいことだ」といった脳天気な論調は見あたらない。 それどころか、厳密に言うと、イスラエルのパレスティナ占領政策も国連決議に反しているので、ひとたびアメリカを怒らせると、 あすは我が身だ。もっとも、アメリカは強そうな相手とはケンカしないだろう。 今のアメリカの政治的頭脳ではイスラエルの上にたてっこない。
「アメリカ人であることを恥じています」おフランスな色使いがポイント? シカゴでの抗議活動 Washington Post の報道より
「アメリカに対してフィンランドがとっているスタンスは、『好ましい事態とは言えないが、このようなことになった事情は理解する』ということなんだ」
「事情は理解する、というのは、うまい表現だね。いっけんアメリカの立場も理解できるというふうに響くけど、
『このようなことになった事情は理解する。つまりアメリカはバカだから仕方ねーよ、もう』とも……」
「うん、少なくとも自分のまわりのフィンランド人は99%がアメリカはバカだと思ってる」
ニュージーランド(The New Zealand Herald / Auckland)――Thousands join anti-war protests in NZ: ニュージーランドのオークランドでは今日22日、5000人以上の人が集まり、イラクでの戦争への反対を訴えた。 ほかのいくつかの都市でも抗議行動があった。
アイルランド――It's over for the UN and good riddance 「サダム・フセインの恐怖政治は終わろうとしてる。彼はすぐにも消え去るだろう。 だがひとりでではない。 彼とともに国連は機能を停止する。 国連が世界の秩序の基礎となるというファンタジーは、終焉を迎える。」
The Hindu (インドのメディア)の社説あたりでは、
ヨーロッパやカナダでの見方 invasion よりさらに強い the American war of aggression という書き方がありました。。
U.N. Council must Act
「一つの超大国が、国際社会でのコントロールがきかなくなってやりたい放題をしてしまう、ということに関する国際的な不安が実現しつつあるのではないか。
国連、そして、国際的な協調に根拠を与える最高機関として、
イラクに対するアメリカの侵略戦争をやめさせる機能をになった国連安全保障理事会。
その機能を回復するべくきちんとした対応がここ数日間のうちになされないと、
国際社会を無視した一国独裁が危険な勝利をおさめてしまうのだ。」
Pakistan cancels Jamali's US visit(The Times of India): イラク侵攻に関してイスラム教系の政党連合から悲嘆の抗議が高まっていることをうけて、 パキスタンは首相の訪米と国の祝日のパレードを取りやめた。 「国民感情に配慮して、首相はアメリカ、イギリス、フランスへの訪問を延期した」と金曜日に公式発表があった。 「イラクでの悲しい、悲劇的な展開とパキスタン国民にもたらされた深い苦悶にかんがみ、 パキスタン政府は3月23日の国の祝日のパレードも中止することにした」中止された祝典ではアフガニスタンの大統領が主賓となる予定だった。
「カナダの政治家とホッケーファンは、アメリカのイラク侵略決定に関連して、アメリカへの個人攻撃はやめるべきだ。」と首相代理が語った。 ……カナダでもふつーに(それも政治家が)侵略と言ってた、、、Manley says Canadians must stop moral attacks on U.S. over Iraq war(The Vancouver Sun / Vancouver, BC)
Blair-Chirac quarrel rages on at EU summit(International Herald Tribune, Paris) サミットがこれほど荒れたことはかつてなかった。イラク侵攻は、ヨーロッパはひとつという神話を崩壊させた。 「軍事作戦の結果がどうあれ」シラクは言う。「イラクの再建は必要であり、そのための場はひとつしかない――国連だ」
フィンランド首相官邸ホームページ「イラクに対する戦争についてのフィンランドの立場」
http://www.tpk.fi/netcomm/news/showarticle.asp?
intNWSAID=13210&intSubArtID=8104&intIGID=9&LAN=EN&Thread=&intThreadPosition=4
「フィンランドは、アメリカとその同盟国がイラクに対して軍事行動を開始したことを、残念に思っている。
この戦争が、国連の有名無実化という結果を招くことは許されない。
今後の決定や対応について議論し、決定する中心的役割と責任をになうべきは、国連および関係諸機関である。」
ハロネン大統領はアメリカに対する直接の非難は避けたものの、記者会見で「言葉をにごす余地なく、まったく遺憾」と強調した。
Helsingin Sanomat