備忘録

平成18年11月21日

お急ぎの向きは3番目のリンク先をご覧いただければ幸い。環境税制論議の内容自体は(これらの記事を紹介している私にとって)あまり重要でなく、経済学的なモノの見方の面白さを知ってほしいな、という意図なので。→講談社BIZは面白そう(2006-02-04)

そりゃ車を安く保有して思いっきり乗り回したい人は多いのでしょうが、まあその、経済学者は特定個人の幸福を最大化することを考えているわけじゃないので、というあたりを読んでいただければ。

こちらは全然違う話。「収入ではなく所得から税率を考えるべき」といいつつ年収だけ提示して税率が同じと煽ってみせた森永さん。その戦略の背景には、給与所得控除には下限が設定されており低収入の人の所得は実感とかけ離れた低い値が算出される事情があって……。

どの意見に賛同するとかしないとか考え出すと思い入れ優先になってイライラが募る。税制なんて一朝一夕に変化するものでなし、自分の立場は保留して読むのが吉。

平成18年11月21日

御手洗冨士夫「強いニッポン」 上げ潮の時代―GDP1000兆円計画 デフレから復活へ―「出口」は近いのか

「道州制や市町村の合併、ひいては近年の地方分権への盛り上がりって一体何なの?」と思っていたのだけれど、経済財政諮問会議関係者の著作をいくつか読んで、ようやく合点がいった。

基本的に、人口密度は大きい方が経済効率が高い。とくにサービス産業の発展には人口密度が重要だ。また生活基盤(道路・鉄道・電気・ガス・水道・情報網……)も都市部の方が概ね整備・維持に有利だろう。日本人の生活水準向上を、都市部の発展が支えている。

日本の人口は漸減傾向にあるから、都市部の発展は必然的に過疎地を生み出す。人口減少地域は、それぞれ何らかの理由があって魅力に乏しい土地なのだろう。それは必ずしも自然条件ばかりでなく、歴史的・文化的条件によるものかもしれない。だから「国の支援さえあれば」という住民の気持ちは理解できる。

しかし当然ながら、国土全域を都市化するほどの人口は日本にない(あればあったで大問題だろう)。生活水準の向上を支える人口密度を全国各地で実現するためには、発展を続ける都市の周辺に過疎地が広がっていくことを許容しなければならない。

これからの日本において、旧い市町村は、行政単位として小さ過ぎる。市町村の合併なしに都市の拡大と過疎地の増大を進めていくと、人口移動で得するだけの地域と損するだけの地域が生じる。財政の潤う地方自治体の隣でバタバタと破綻する自治体が出てくることになる。だから、市町村の合併が進んでいるのだそうだ。

同様に、今後ますます県と県の格差も拡大していく。だから道州制、ということらしい。

でも、何もわざわざ多大なコストをかけて社会制度を変革しなくても、人口減少地域には静かに滅んでもらえばいいじゃないか? ところがそうはいかない。人の心は制度に引っ張られる。制度で区切られた小さな部分の利益には敏感なのに、全体の最適化には思いが向かない。

市町村の合併、そして道州制は、人々の思考の枠組みを少し広げ、現代の生活水準に見合った行政単位に適応させるために、まず形の方を整える提案なのだ。

中学の公民の授業で「過疎は自民党政治の失敗例」と教わったような記憶があるが、素朴な実感として「移動の自由がある以上、やりたい仕事のない地域にいつまでも人が残っていたら、それこそおかしいのであって、林業や山間部農業があまり儲からない現状下で過疎の進行は止められまい」と思ったものだった。

一極集中の歪みとか故郷の荒廃などと感情に訴える言葉は21世紀の今もよく聞く。地方分権という言葉のイメージも、(周囲を観察するに)国土の均一な発展とかいう幻想とともにあるのではないか。でも現実には本当に過疎地で暮らす人々は少数派。地方都市が成長し大多数の国民が地方の振興を実感できるなら成功だ。

正しいことをやるには詐術めいたことも必要、という話なのか。

平成18年11月21日

西村さんは京都府長岡京市出身。どこでも値切る大阪の消費者に面くらいつつも、「あの人たち以上に値切る人がいるのか」との問いを抱いたのが、調査のきっかけだ。

ゼミの研究として05年1月から、大阪、神戸、広島、札幌などでの中古品市に足を運び、主催者の作業を手伝いながら調査してきた。10回の調査で男女1万人強から回答を得た。その蓄積をもとに、消費者へのアドバイスも各地でしてきた。

11月に集計したこれまでの調査で顕著だったのは、「値切りに成功した」と答えた大阪人の少なさ。大阪では計4回調査したが、平均27%。それに対して、東京48%▽広島47%▽札幌35%だった。東京では「値切り交渉はしない」と答えた人が12%で、大阪は平均9%だった。

西村さんは「大阪では値切るのが日常なので、ちょっとした額では成功と言えない。東京では値切る場面が少なく、少額の値引きでも喜ぶ。機会があれば、値切り上手の関西人並みの手法を伝えたい」と話す。

値切り上手の関西人並みの手法を伝えたいという結論は何だかヘン。調査結果が示したのは、値切りに積極的な性向が幸福感を増大しない現実だった。値切りの手法を普及する活動は、それはそれとして意義があるのだろうが、現時点で不幸なのは大阪人であって、東京人ではない。

私の弟には幼い頃から美食志向があって、母の料理を美味しいと誉めることが非常に少なく、文句をつけるのは日常茶飯事だった。私が「これは旨い!」と思う水準が「ふつう」で、「まずまず」と考える味が「けなさずにはいられないレベル」なのだという。不幸なヤツだ、と私は思ったものだった。

「兄ちゃんみたいに何でも満足できる人には、本当に美味しいものの素晴らしさは理解できないんだ」といった弟の人生哲学は、わからないでもない。ただ、これは食の話だから「そういうものかも」と思うのであって、値切り交渉となると、さてどうですかね。大阪人にしかわからない快感があるのだろうか。

「理想水準を下げて小さな幸せを発見せよ」という私の従来からの主張に即していえば、大阪人こそ、人生の達人である東京人に学ぶべきなんだ。ま、それが不可能と知っていればこそ、東京人の幸福をさらに増大しようという提案になるのだろう……。でも、次のような記述を読む限りでは、西村さんの助言が世界の幸福の総量を増やしているとはとても思えない。

「欲しかった2万4000円の財布を2000円値切って買ったのよ」。都内から来た50歳代の会社員女性は満足げに西村さんに語った。しかし、西村さんは「まずは1万円以下の端数を削ってもらう。その上で店員や商品を褒めて、さらに値切れたでしょうね」と応じた。

試合に勝って勝負に負けた、みたいな寓話は、テレビドラマや漫画や小説などで繰り返しモチーフとなっている。なのに試合に勝つ方法の魔力に心を奪われてしまうのは、一体どうしたことか。幸せいっぱいの東京人を大阪人の不幸の泥沼に引きずり込む手伝いをする西村真澄さんは、罪作りである。

……とまあ、あまり感心しない点はあるのだけれど、学部生のゼミ研究で1万人も調査して(サンプル抽出がいい加減ぽいとはいえ個人の作業としては驚異的)しかも大きな新聞記事にもなった、すごいなあ、と思う。調査結果がまとまったらウェブでも公開してほしいな。

ところで、減点法の値切り交渉文化と加点法のオークション文化は相容れない感じがします。ヤフオク利用者が多いのは値切り交渉文化の弱い地域かも、と思う(自分で検証する気はゼロ)。

平成18年11月21日

よく言われることですが、アイデアを育てるにはまず「否定しないこと」ですね。それから「バカなことを言ったら自分のマイナスになる」という空気を排除すること。その2つの基本ルールを詳細化したのが、上記のリストだと思います。

私の場合、環境に恵まれているので「それは面白そうだね! ぜひやってみてよ」といわれ、それっきりになることが多いですね。こういうものぐさを何とかしないと、根本的にダメ。自らの努力欠如のために「いってみただけ」のアイデアがどんどん溜まっていき、次第に口を開きづらくなってしまいます。

未実行のアイデアが積み上がっても別に誰が私を責めるわけでもない。ひとつでも現実化すればちゃんと評価される。人に頼めば最大限の協力を得られる。いわば最高の職場なので、責任転嫁のしようがない。それがつらい、とか思ってしまうのが私の弱さであり、(少なくとも仕事を進める上での)最大の敵。

アイデアを出すだけで食っていけるような才覚はないので、現在の環境でダメなら一生ダメだという背水の陣であります。

平成18年11月8日

もちろん、霊を見る力はありますよ。ただ、ワシも含めて、みんな人間、10のうち9はハズレです。霊番組がやっているのは演出。霊能者に自信を持たせるため、あらかじめリサーチして答えを出し、そこに霊能者を誘導して、さも超能力で発見したような演出をするんです。テレビの霊番組に真実を求めても無駄ですね

霊能者が出てくるテレビ番組、やっぱり事前にある程度のリサーチをしているのですね。百発百中の霊能者をバックアップするチームを描いた井上夢人さんの小説を思い出しました。

ところで、こうした話を知ってマスコミ批判をするのは、そりゃ勝手ですけど、この記事だってマスコミが取材して公開した情報ですからね。私の知る限り、ときに傍若無人に見える行動を取ってしまうマスコミ人だって、会って話をしてみれば、たいていマジメに頑張ってます。

the TEAM

ちなみに井上夢人さんの小説に登場する「霊能者」は何ら霊能を持たない人物という設定になっています。だから最初はテレビ批判とも見えるわけですが、読み進むにつれて「能力の有無など問題ではない。大切なのは依頼人が救われるかどうかだ」というドライな割り切り方への感情的反発が少しずつ崩されていく。

しかし最後はきちんと「詐欺」を許さない社会常識の「勝利」を描いてストンと落としますから、娯楽小説として安心して読めるかと。

平成18年11月6日

個人的には趣味のWebデザインの徳保さんの巡回先を知りたい。

年数回チェックする、というレベルまで含めると、私の巡回先は過半がプライバシーに属する領域にあります。したがって、以下は比較的高い頻度で巡回しているサイトなどについてのメモとなります。

私の主な巡回先は「アクセス解析のリンク元一覧(検索エンジン除外)」「はてブ新着:deztec.jp」「mixi日記検索:deztec.jp」「2ch検索:deztec.jp」です。リンク元とはてブの新着はネットにつないだ日はほぼ確実に見てますが、2ch と mixi は週1回程度です。

言及やリンクがなくても巡回するのは「九十九式」「プチ日記-R」「おれパパ」「闇黒日記」「bewaad institute@kasumigaseki」「Metlog」「ARTIFACT@ハテナ系」「迎賓館裏口」「RinRin王国」「finalventの日記」以上10サイトのみ。多少の増減はあるものの、上限を15サイトと決めています。これらはアンテナで更新をチェックしていますが、読みにいくペースは概ね週2回〜半月に1回です。毎日更新なのに表紙に1日分しか記事がない「finalventの日記」は、たまたま見に行った日の記事だけ読みます。過去ログたどるのは面倒ですから。

また、リンク元記事のリンク先をいくらか、巡回先記事のリンク先を少しだけ、はてブでブクマしてくれた人が最近ブクマした他のサイトの記事を気が向いたらほんの少しだけ、読んでます。以上で手一杯ですね。私は書くのも遅いけど、読むのも遅いので。

どうも私のいろいろなやり方は、パブリックイメージとずいぶんずれているらしい。私はどちらかというとビデオデッキの予約録画が苦手な人間ですよ。RSS リーダーとかに喜んで手を出すタイプじゃないです。

平成18年11月6日

昨今の核保有論議をめぐる与野党攻防を題材に。

一部与党幹部は「議論を封殺すべきでない」、対して与党大物議員が厳しく批判、与党内大勢は静観の構えで、総理大臣は非核三原則の堅持と公式な論議の否定を明言、野党は閣内不一致で攻撃、という状況。

問題提起した一部与党議員は、実際に核論議を行うつもりなどないだろう。なぜなら、結論は議論する前から決まっているから。核論議発言は、「万が一」を聞く者に想起させ、周辺国を牽制する意図による。本当に議論して核兵器保有を完全に否定してしまっては意味がないからだ。

さらに書けば、「万が一」が起きてしまったら、与党だって困るはずだ。核不拡散どころか核兵器廃絶を訴えてきた国が180度方針転換するとなれば、たいへんな困難に立ち向かわねばならない。「万が一」は諸外国のみならず日本にとっても、可能性として留保しておく限りで存在意義のある選択肢なのだ。

議論する自由はあるだろう、といいつつ議論はしない。これが与党の方針であり、閣僚の不規則発言を「個人的見解」として総理大臣が許容する所以だ。

とすると野党の攻撃はアホらしい感じもするが、これはこれで周囲に必要以上の不安を与えないために必要なことだろう。与党幹部が「議論する予定はありません」というだけでなく、野党が本気で(正しい結論が既に出ている問題を再び)議論しようという主張を全面的に否定することには、意義ある。

では産経新聞のような核保有議論を率直に歓迎する主張はどうなのか。産経くらいの小部数の新聞が議論を歓迎する主張を掲げるのが、「万が一」を全くの絵空事にしないためにちょうどいいバランスなのでは? ……なんて考えながら、私は新聞を読んでいる。

あ、そうそう、ひとつ補足しておくと、産経の記者ブログなどを読む限り、産経の記者さんの一部は本気で核保有論議を待望しているように思う。野党の怒りも本物だと思う。それでいいんだ。上っ面だけで状況を装っても底が割れてしまう。プレイヤーが本気でなければ、「万が一」の凄みも、「でも基本的には大丈夫」の安心も生まれない。

あと結局のところ、私は与党内主流派の老獪さを支持しているわけだ。これを「中立」とか「客観的」だなんて思ってはいけない。

私は、日本も核兵器を保有しろとの議論は非現実的だと思っている。

「唯一の被爆国」の話を持ち出さなくても、議論すれば短時間で結論が出る話である。

第一に、日本はインドやパキスタンとは異なり、NPT(核拡散防止条約)の加盟国である。のみならず、厳しい査察を受け入れるIAEA(国際原子力機関)追加議定書の批准国でもある。

第二に、日本は、NPTに加盟しながら秘密裏に核兵器開発を進めているらしいイランとは異なり、地下の秘密工場など建設できる国ではない。

だから、日本が核兵器を開発するためには、まずNPTを脱退しなければならない。つまり、日本は今の北朝鮮と全く同じ立場になる。世界で孤立し、ごうごうたる非難を浴びながら、制裁措置の下に置かれることになる。今の日本国民は、お隣の将軍様とは異なり、世界の中で最もそのような圧力に耐えられない、か弱き民族である。

もうひとつ、日本がNPTを脱退すれば、日米原子力協力協定に従って日本の核燃料サイクルは停止させられる。原子力発電は止まる。いま言葉だけ勇ましく叫ぶことに何ほどの現実的裏づけがあるのか。

平成18年11月2日

昨日に引き続き SANKEI EXPRESS(通称EX)の話題。

ちなみにサンケイエクスプレスは“創刊前夜”というPRブログがある。ここのコメント蘭を読んでみたら、首都圏では駅売りをしないということがわかった。

これはずれてないか? 来年から始まる団塊世代の定年退職は、駅売りを主体とする夕刊紙、スポーツ紙の直接的な危機につながるであろうことは目に見えているわけで、新聞社としてはこれに対応したターゲットの差し替えが急務なんじゃないの? 駅売りを主体にしたタブロイド紙にすればいいのに。

私はこの見方に同意しない。

現行のスポーツ紙や夕刊紙は大衆紙に分類されます。具体的には、公営ギャンブル(競馬・競輪・競艇 他)、パチンコ、風俗案内、芸能ニュースなどの情報がレギュラー紙面となっているのが特徴。日刊ゲンダイや夕刊フジは1面が政治経済メインですが、内容を問わなくとも形式で大衆紙と判断できます。

一方、EXはタブロイド版の高級紙を志向しています。「高級」といっても、ようするに一般紙のこと。夕刊紙、スポーツ紙の読者が乗り換えることは、そもそも想定していません。

衰退産業の夕刊紙、スポーツ紙の穴を埋める商品は何か? EX副編集長がズバリ書いている通り、それはフリーペーパーでしょう。

有料紙として創刊されたEXのターゲットは、あくまでも宅配需要の掘り起こしにあるのです。その算段は経営陣の言葉として明快に示されています。私なりに要約すれば、次の通り。

新聞を読む平均時間が15分にまで減少している中、ブランケット版40ページの新聞は明らかにオーバースペックです。ニュース媒体の選択肢が無料ニュース(テレビ+ネット)と有料の分厚い新聞しかない中、後者が支持を失い新聞無読層が増加したのは当然。EXはコンパクトな新聞を目指し、有料紙の活路を切り拓く!

ではなぜ、関西ではEXの駅売りが行われるのか。

産経新聞は大阪・奈良で大きなシェアを持ち、全部数の約半分を稼ぎ出しています。つまり関西圏において産経新聞は宅配中心の一般紙として営業しており、月額1680円とバカ安の宅配一般紙を不用意に展開することは、自らの利益を食いつぶす可能性が高い。京都市内のみ宅配事業を展開し、他の府県では駅売り限定という初期戦略には、十分な理由があるわけです。

逆に関東地方で産経新聞の宅配シェアは低く、月額2950円の朝刊紙という低価格戦略も東京新聞(朝夕刊セット3250円/朝夕刊統合版2550円)に勝てず不振。1部100円の戦略価格によって駅やコンビニでの販売に活路を見出している状況です。よって関東でEXの駅売りをするのは自滅路線、宅配一本でスタートするのは当然といえましょう。

全国展開の一般紙で最初にカラー紙面を導入、レイアウトを工夫して図版や表組みを見やすく、文字を大きくし、ページ数も抑えて……と、産経新聞はもともとEXと同様のコンセプトで編集されてきた一般紙です。現状に満足している読者への配慮からEXほど大胆なことはできなかったわけですが、産経本紙を好む購読者にはEXを歓迎する素質があると考えてまず間違いない。

EXは客観報道とやわらかいニュースからなるニュートラルな紙面を心がけ、産経本紙の保守色を極力排除しています。これもまた、じつのところ産経読者の多くが歓迎するところと思われます。産経本紙と競合する領域にEXを投入すれば、産経本紙のシェアが食われることは容易に想像がつくわけです。

重量級として知られる日本経済新聞なら、コンパクトなタブロイド版を創刊してもこんな心配は無用でしょう。しかし産経では事情が違います。

さて、EXは果たして新聞無読層に浸透するでしょうか? 私は「極めて困難」と考えます。可能性があるとすれば、一人暮らしを始めた新社会人や学生さんですね。紙面構成も分量も新聞初心者に優しく、何より価格が安い。あと品のない広告を入れない方針なので、小中学生向けのNIE(Newspaper in Education)活動にも適しています。

EXが浸透するのは、むしろ既存宅配紙の購読者層ではないでしょうか。となると不安は宅配網。シェアの低い全国紙である産経は、ごく一部の地域を除いて他社の宅配網に依存しています。だから委託先の購読者を奪うことになれば委託契約を破棄されかねません。

というわけで、EXは売れなきゃ廃刊だし、売れても物理的にシェア拡大を制約される可能性を否定できません。私の予想が外れ、新聞無読層の取り込みに成功してくれることを期待しています。

平成18年11月1日

既に一般紙、スポーツ紙、夕刊紙、経済紙とラインナップを取り揃えている産経新聞社が、今日新たな一般紙を創刊しました。SANKEI EXPRESS 略して EX と称するのだそう。

なぜ紙媒体? と疑問の声も出ていますが、テキストを検索できないなど不便はあっても、紙媒体には電子媒体にない読みやすさ、場所を選ばない手軽さ、物理的な保存の堅牢さがあり、何より商売が成立する人数の消費者が価値を見出しお金を出してくれるのがいい。書籍が刊行され続ける理由と同じ。

既存の一般紙である産経新聞本紙とEXの違いは編集方針。詳細はリンク先に譲りますが、実際に手にしてみた印象を書けば、掲載記事は本紙とほぼ重なりますが、パッケージを変えるだけでこうも印象が変わるか、といった感じ。

能書きは公式サイトにありますので、以下は私の感想をつらつらと。

タブロイド版で手が汚れない印刷の一般紙というスタイルは、以前から私が待ち望んでいたもの。紙も白くなって写真が美しく映え、横組みのレイアウトもすっきりして見やすい。

全32ページ、8枚の紙からなり、外側4枚がニュース、内側4枚が生活・文化情報とキッチリ区分されている。そして内側の方にテレビ欄が配置されているのが素晴らしいアイデア。「お父さん、テレビ欄は置いてってよ」「でも1面の記事は読みたいんだけどな……」というわけで、宅配の新聞を取っているにもかかわらず駅売りを買っていた人(私の父みたいな人)には朗報でしょう。

産経本紙とページ数が同じで紙面サイズが半分ですから、掲載情報量は大胆に絞り込まれています。その結果、EXは非常に特異な新聞になっています。

EXでは1〜5面までをTOP5面とし、1頁につき1つの話題のみを取り上げます。通常のニュース記事、解説記事、用語解説、写真がワンセット。ニュース記事だけならテレビニュースと同等ながら、解説記事と用語解説で一歩上を狙う。従来、その日の状況によって柔軟に構成やレイアウトを組み替えてきた新聞編集の常識を捨て、練り込まれたシステムを堅持した紙面構成で、初心者に優しい新聞を作ろうとしているわけです。

大きなニュースを数を絞って紹介し、その他の主要なニュースは30・31面にまとめて掲載、残る紙面は「柔らかいニュース」を中心に、毎日所定のページにほぼ同じ大きさの枠・記事数を確保していく。テレビニュースの内容を膨らませて、上品な雑誌にするとEXになる、そんな印象です。

全32ページのうち16ページがカラー紙面というのも頑張っていると思う。写真のないページが1頁だけ(テレビ欄の右半面)なのも特徴かな。

これまで新聞を読んでいなかった人に購読してほしいというEXですが、無事に離陸するでしょうか。

楽観はできませんが、例えば小学生〜高校生の教育用途にお勧めです。主張(社説)も産経抄も正論も意図的に掲載されず、ニュートラルな紙面となっており、NIE(Newspaper in Education)に適しています。

ちょっとマジメな大学生が一紙だけ購読したい場合にもお勧め。従来の新聞は情報量も物理的な分量も、一般人にはオーバースペックだったと思う。EXは部数が少ないから折込チラシも劇的に少なく、紙ゴミが溜まりません。また白い紙ながら新聞紙ではあるので、鍋敷きなどの用途にはちゃんと使えますよ。

とまあそんなわけで、EXを一言で表現すれば、きれいでコンパクトな新聞です。テレビニュースでは物足りず、従来の新聞は無駄が多い、とお考えの方なら検討の価値あり。逆にいって、テレビニュースや無料のウェブ版で満足している人にはアピール困難でしょうね。

月額1680円と従来の一般紙の半額近い破格の値段設定なのですが、産経本紙からの乗り換え需要がメインではマズイ。EXが新聞無読層の需要喚起に成功することを私は期待してます。こういう面白い媒体には、ぜひ継続してほしい。以上、応援記事でした。

以下、余談。

原口和久さん(「成田あの一年」は空港問題に関心のある方必読)の冠コーナーが予想以上に大きなスペースをもらっていて、目を引きました。ブログを読んでいるので親近感がわき、大きな扱いが嬉しい。あと私は参加してないけど片岡友里さんと高橋裕子さんのオフ会の記事が顔写真入りで載っていて大笑い。

平成18年11月1日

……こういう記事を見て「マスコミ報道はバカがバカを再生産するシステム」と決め付けるのは早計。産経新聞では生活面にこのコラムを掲載した10月26日、経済面にまともな解説記事を出しています。

決算期をまたいで持ち越す赤字の「繰越欠損金」が、巨額の不良債権処理で拡大。決算で利益が出ても繰越欠損金で相殺される場合、法人税が免除される会計ルールがあり、同制度を利用できるのは銀行業界に限らない。しかも、繰越期間は日本では最大7年だが、海外は15年程度認められる事例もあり、日本が特殊なわけでもない。

読者の求める記事を書かなければ、そもそも読んでもらえない。安部さんのコラムで主要読者層にサービスしつつ、きちんと考えたい人には詳細な情報を提供する。新聞記者に良心はあります。無料のウェブ版は広告頼りなので、どうしても安直な記事が中心となりがち。それだけ見て判断するのでは片手落ちでしょう。

というか、マスコミ報道の「ウソ」とやらを攻撃する人々の持ち出す「根拠」って、たいていマスコミ報道や大手出版社の刊行物を基礎にしているのだから矛盾している。まあそれだって、個人的な偏見だけを根拠にしてる人々よりはずっとましなんだけど。

私は産経新聞を購読し、過去記事検索用に Web-S も契約しています。Web-S は紙面掲載記事を地方版以外ほぼ全て収録した正統派の電子新聞なので、ウェブ派の人なら単独契約でもいいかと思う。私は通勤途中と昼休みに読むこと、一覧性の高さなどから紙媒体を常用していますが……。

社員寮にいた頃は、読売なども読みました(寮が購読していた新聞なので食堂からの持出しは厳禁)。有料の媒体だけにマトモな解説記事が載る傾向は、どの新聞も一緒だな、と思ったものです。

昔は各社のサイトの目立つ位置にあった購読の案内が最近は画面の片隅に追いやられてる。無料ウェブ版の利用者に宣伝してもほとんど無駄だと分かったのでしょう。ようするに今回も結論は同じ。マスコミも商売、記事のレベルは読者のレベル。鏡を見て唾を吐きかけるのは愚の骨頂です。

補足すれば、従来はパッケージ販売だったので読者のレベルがよくわからず、手探りで低級な記事と高級な記事を配置してきたのですが、ウェブ版の登場により、読者のレベルが如実に分かるようになった、そして予想以上にそれは低かった、と。そういうことなんじゃないですかね。

追記

件の記事、イザ!で公開されてました。Sankei Web で非公開なのにイザ!で公開、という事例がちょくちょくあるわけですが、どちらも産経デジタル社の管轄でしょう、どんな判断なのか理解に苦しみます。イザ!を実験場として、いろいろ試しているのかな? ともかくこの記事で引いた事例は、事例として不成立。

喜ばしいことなのに残念に思ってしまうのが私のレベル。