野嵜さんがガンガン書き込んでいますね。
先日、書いた記事にある通り、私は松永さんの記事に疑問があり、松永さんの個人的な信条は別にいいけれど、「正字正かな派」に対する批判には同意できません。つまり、いちゃもんをつけられた野嵜さんに同情的。
だけど、コメント欄での野嵜さんのふるまいには、眉をひそめます。ひとつひとつのコメントは大した分量ではありませんが、コメント数が多過ぎます。私が松永さんなら、コメント禁止にします。いっていることが正しいかどうかは関係ありません。マナー違反が問題なのです。
おかしな意見を放っておく方が問題だ、と野嵜さんは考えるでしょう。そういう考え方もあると思う。でも、私は野嵜さんを擁護できません。
野嵜さんはtanzenさんに対抗しようとするから、あんなにたくさんの言葉が必要になるのです。私なら、野崎さんのようにはしません。tanzenさんの(ひどい)コメントだけがある状態は、許せない。それはわかる。でも、コメント欄を見ている第三者に対して説得力のある反論を提示し、それで良しとすべき。
ブログもいろいろあって、ふだんから、一部の常連さんによってたくさんのコメントがつけられているところもあります。そういうところでなら、野嵜さんがガンガン書き込んでも、私は何とも思わない。でも、松永さんのところは、日頃、そのような状態にはなっていません。
野嵜さんにとっては、そんなのはどうでもいいことかもしれませんが、(今の)私は逆に、そういうことを気にします。松永さんは気にしていないかもしれない。でも、それは結果論でしょう。何もわざわざ、素直に話を聞くかもしれない相手を頑なにさせかねないようなことを、するべきではないと思う。
あるいは、松永さんが仮に野嵜さんが散々「根拠のある決め付け」をしている通りの人物なら、どうせ説得なんかできない。ならば松永さんとこのコメント欄で長々と持論を展開したってしょうがないでしょう。
私のような闇黒日記の読者も大概だけれども、松永さんとこの読者が、野嵜さんの大量の書き込みをきちんと読んで蒙を啓かれる可能性はもっともっと低いはず。エネルギーの使いどころを間違っていると思う。
いっている内容の「正しさ」と無関係に、その分量自体が暴力的と解釈されることがあるわけです。これまでに野嵜さんが書き込んだ分量は、「コメント欄荒らし」といわれても仕方ない水準に突入しています。
私は野嵜さんを「掲示板・コメント欄荒らしではない」と擁護しようとしているのだけれど、野嵜さんが平気であちこちのコメント欄に突撃しているようでは、お手上げですよ。一般人定義では粘着でも、野嵜定義では粘着ではない……そんな難しい話、世間に通用させるのは並大抵のことではない。
まさにこれ。
松永氏の「ブログ」のコメント欄で、tanzenと喜六郎が結託して俺の事を引つ掛けやがつた。しかも正字正かな派の人間は誰一人あのコメント欄で俺の事を擁護しようとしない。喜六郎大喜び。アンチ野嵜大喜び。アンチ大勝利。俺涙目。正字正かな派壊滅だ。アパッチ正かな軍なんて詰らないジョークに反應して喜んでゐた連中は、一人として信用できない。さう云ふ好い氣になる馬鹿がゐるからこそ、松永氏は正字正かな派批判を書いたのだらうし、喜六郎やtanzenのやうな連中が跳梁跋扈するんだ。
野嵜さんは既に十分、いいたいことをいっており、それ以上、コメント欄という場で、野嵜さんに味方して何か言葉を付け加えたいと思わない。
アンチの方が結束力がある、というのは、まあ、その通り。でも野嵜さんがあんなにたくさん書くものだから、「アンチが徒党を組んで野嵜さんをやっつけてる感」が直感的に伝わってこない。ふつうに考えたら、単に野嵜さんを叩くためだけに登場した喜六郎さんとか、ひどいんだけど。でも、という。
だいたい、Aさんを批判したらAさんだけでなく取り巻きも一緒にコメント欄へやってきて抗議した、なんてのは、一般人が見て「気持ち悪い」と思うこと。コメント欄だけ見れば、大勢でワーワーいってる方が元気に見えるかもしれないけど、マジョリティーの支持は別問題。
むしろ野嵜さんは、野嵜さんに加勢した塗炭さんが書いた、松永さんへの嫌がらせをたしなめた方がよい。塗炭さんの論法を応用すれば、何でもかんでも蒸し返されたくない過去と結びつけることができてしまう。「**さんが**した理由はこれですか?」って、本当に訊ねたいならメールにすべきだよ、こんなの。
野嵜さんは塗炭さんに足を引っ張られていると思う。
松永さんの過去の行動と今回の主張は、少なくとも直接には関係しません。「ちなみに」以下だけで話が通じるのは明らか。
塗炭さんにとっては重要なことだったとしても、繊細な話題なので、まずメールで私的に訊ねるのが妥当です。その返答を読んで、「これは議論を左右する重大事実であり、松永さんが傷ついても公正な議論のためには公に明らかにせねばならない」と確信を持ってから、はじめて公の場で改めて問い直すべき。
まともな議論によらず相手を閉口させて勝とうとする人を野嵜さんは何度も批判してきました。私も批判された一人。松永さんが触れられたくない過去を安直に持ち出した塗炭さんの発言を野嵜さんが黙認される理由はわからない。以上で納得されないなら、もう言葉はありませんので口を噤みます。(修正:2009-03-09)
松永さんは話の通じる人なので、松永さんの態度を硬化させるようなやり方(=コメント欄への集中豪雨的投稿)をせず、例えばメールなどの手段で意見交換すれば、話の落としどころは見えてくると思う。
正しい主張は正しく、間違った主張は間違っているので、中途半端な「落としどころ」などあるわけもないのかもしれないが、やっぱり野嵜さんには何らかの希望があって書き込んでいるのでしょう。その一方で、野嵜さんも、誰も彼も説得できるわけではないことはよくご存知の通り。
野嵜さんはコメント欄で「AはBである」というようなことばかり書いているけれども、「結局、松永さんにどうしてほしいのか」という切り口でシンプルにコンパクトに整理して、メールなどで話を仕切りなおしてはどうか。
先の記事で書いた通り、野嵜さんの希望は、「正字正かな派」の主張に対する誤解を解いてほしい、ということに尽きると思う。誤解がなければ、別に松永さんが「正字正かな派」の主張に賛同しなくても気にならないはず。無論、それはそれで批判の対象とはなるだろうけれど、今のような形ではなくなると思う。
ともかく、私が松永さんなら、野嵜さんをコメント禁止にするし、質問にも答えない。「こういうヘンな人とは、まともに意見交換なんかできるわけがない」と考えます。主張の正誤ではなく行動に問題がある。こういう状態で野嵜さんが松永さんの沈黙を「不誠実だ」といっても、たぶん社会的に勝ち目がない。
何度もたくさん書きたければ自分のブログでどうぞ、というのがコンセンサス。こうした意見に野嵜さんが同意していないことは知っています。知っていますが、私の見る限り、野嵜さんのやり方は不幸な連鎖を生んでいると思う。
反論は「闇黒日記」で書いています、と案内をして、コメント欄への新規書き込みは、どうか止めてほしい。これは野嵜さんを擁護したい私からの(身勝手な)お願いです。