備忘録

平成21年9月30日

ここ数年、私はあまり他人にはそういうことをいわないよう自制してきたつもりですが、心情的には何かと「自己解決しろ!」と思う方だと思う。

ネットで私がムカムカするのが様々なネガティブキャンペーン。相手の言い分を無視したり曲解したりして攻撃する手法、あるいは自分の無知を放置して偏見を押し通す手法が許せない。私はAmazonにたくさんカスタマーレビューを投稿してきたから、レビュー欄を舞台としたネガキャンにはとくに怒りを覚えます。

もっとも、私もまた自分が必ずしも相手の言い分のよき聞き手ではないことを自覚しているし、悪気がなくとも暗愚と怠惰ゆえに無体な非難をすることが決して少なくないことを、過去に何度も指摘されてきました。声高に敵を攻撃すれば、必ず自分に返ってくる。

ですから、自分に余裕がある限りは、人を責めるより自分が手本となることを目指そう、と思っています。

もともとAmazonのレビューは質が低いと思っていました。レビュアーの個人的な感想ばかりで、商品の内容がサッパリ伝わってこないものが多い。そうした中には、商品購入後に読み返すと深く同感できるものも少なからず含まれてはいたのだけれど、やっぱり商品購入前の検討材料としては不適格なのでした。

私のレビューだって決して上手なものではありませんが、商品選択の参考になる情報を伝えようと努力しているつもりです。厳しい字数制限もあるので、自分なりにポイントを絞りつつ、まず商品そのものを紹介する情報を書きます。続いて「どのような人が、どんな風に利用すると有意義か」を説明します。

*この原則に反するレビューも書いてはいます。今後も完全に排除することは難しいと思う。それがよいことだとは思いませんが、意欲・労力に鑑みて、今後のレビューを可能な範囲で充実させていく、という程度で勘弁していただきたい。

この3つのレビューは、あえて死地へ飛び込んだものです。他にも、こちらはそのつもりで気張っていたが反応は薄かった事例などが多々ありますが、きりがないので略します。

Amazonのレビュー欄で行われるネガキャンなどを外部から批判しても、状況が改善される可能性はほとんどない。汗をかき、泥まみれになる覚悟が必要です。誰も自分の代わりに世界を救ってくれはしない。おかしいと思うなら、自分の行動で正す他ありません。

ひどいレビューばっかりだと思うなら、自分がよいレビューを書くのです。もちろん、ろくなレビューにならない。あー、この程度か、とガッカリする。

逆説的だけど、その「ガッカリする」ところからはじめなければ、相手と同じ水準で非難合戦をやることになってしまうと思う。「その気になれば、よいレビューなんかいつでも書ける」と心のどこかで思っているから、そのための努力を惜しんで、目の前のわかりやすい敵を叩くことに時間を浪費してしまうのです。

レビューへの投票だって同じだと思う。気に入らないレビューに「参考にならなかった」票を入れる必要はない。そんな嫌がらせで相手を刺激する暇があるなら、よいレビューをきちんと発掘して、「参考になった」票を入れていくこと。やってみればわかるけど、これは本当に時間がかかる。だからこそ自分がやるのです。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

梅田望夫さんは、インターネットが世界を本当に変革していくためには、さらに数段階の飛躍的な技術の進歩が必要だ、と説明していました。そんな進歩がそうそうあるわけがない。ゆえに現実的な予想は、既存の社会の大部分は現状の延長上で(衰退しつつも)相当遠い未来まで存続する、というものでした。

2009年現在、技術の劇的な進化は起きていない。ゆえに大変化は文化障壁に阻まれ、日本のウェブは梅田さんにとって「残念」な状況のまま。

私も、残念に思ってる。Amazonのレビューの状況って、川崎憲次郎さんがオールスターのファン投票で1位になったのと同じで、いくらレビューや投票を集めても、少しも質が向上していかない。集合智なんてどこにあるのだろう。だけど、それでも何かを諦めきれないから、ブログなんか書くわけです。

みんなが諦めてしまったらそこで終わり。いや、諦めるのは自由なんですよ。諦めつつ、ブツブツ文句だけいっていてもいい。ただ、そこに何か希望を持ちたいなら、自分が何かをする他ないと思う。

補記:

ぶっちゃけた話をすれば、ブログに書いたDQ9の記事を1万8千人が読んで、概ね反応は好意的なのに、どうしてAmazonの投票でこれほど苦戦するのか、と。「たしかに、ひどいねー(でも私は何もしないよ)」っていう。福島瑞穂さんの本を読まずに叩く人へのカウンターも同様で、レビューの得票は記事閲覧者数の1%未満。

世の中そんなもの、というか、福島本のレビューは私にとって100票獲得の最短記録だったから、1%弱の方々が投票してくれたのは奇跡的な成功なのかもしれない。そうは思うけれども、「じゃあ残りの99%超の読者は何を思っているのか」が気になります。結局、「面倒くさい」で放置する程度の「問題」なのか。

私だって、何もしていない。見て見ぬふりをしていることばかりです。それでも、1%未満……そんなものかなあ。

追記:

作れる!わたしのWebサイト

私が大プッシュしてきた「HTMLとスタイルシートによる最新Webサイト作成術」の改訂版が発売されてた! 嬉しいな。今ではこうした入門書自体あまり需要がなさそうだけど、他の本と見比べて、やっぱりこの本が一番いい。売れてほしいと思う。

平成21年9月20日

1.

このところ私の視界に入ってくるブログではあまり見かけなくなってしまったランキング投票のボタン。あれをウザイとかいって攻撃する意見もちょくちょく目にしてきたんだけど、私は違う意見を持っています。

人間は基本的に、やりたくないことはやらない。とくにブログなんてのは趣味の領域なんだから、文章を書いたり写真を撮ったりして投稿するのに見合った、何らかの「報酬」を期待するからこそ、更新が続く。

2.

「報酬」といっても、ふつうそれは金銭ではありません。

例えば、このブログは長らく、日々のとりとめもない思いを形にして残すことを目的としていました。数年後に、自分が読み返して楽しむことを想定したのです。しかし私は、「未来の自分が我慢すれば今の自分は面倒な文章書きから解放される」という状況では、目先の苦労を疎んじて、ほとんど何も書けませんでした。

最初の200字くらいを書くのが難題なんです。何とかして200字書けば、後は勢いがついて最後までいける。書きたい、けど最初の一歩を踏み出すのがつらい。情けない話です。

ふがいない自分にガッカリしていた私に、救いの手を伸ばしてくれたのが、数人の読者の存在でした。知人のサイトに文通の内容をリライトして転載してみたら、それを読んでくれる人がいたんです。毎日1〜3人の訪問者の存在が、私に「最初の200字」を書くエネルギーをくれました。

その後、数年間あれこれ書いてみて、「ここしばらく、過去記事の焼き直しばかりだな。えっ、自分ってこんな考えを持っていたの!? と驚くことがなくなっちゃった。これ以上、書き続けても、未来の自分が過去記事を読んで「またこの話?」とウンザリ顔をするのが目に浮かぶ。しばらく休もう」と思うに至りました。

私にとってブログを書く最大の動機は「将来の自分が楽しむため」であって、読者の存在は一歩目の支援には有効だったけど、それ以上のものではなかったわけです。

わかりにくい例え話をすれば、「将来の自分が楽しむため」が過酸化水素水、読者の存在は二酸化マンガン(触媒)で、完成した記事が酸素、という感じ。過酸化水素水からボコボコ酸素を出すためには二酸化マンガンが必要なんだけど、肝心の過酸化水素水が薄まったら二酸化マンガンを増やしても酸素は出てこない。

3.

といいつつ、今も私が(更新頻度を落としつつも)ウェブでの活動を続けているのは、「報酬」を多角化したからです。そのひとつが、社会をほんの少しだけ変えること。

これは2004年に私が奮闘した記録です。小さな狭い世界でのことではあったけれど、HTMLとCSSのひどい解説書に引き寄せられた多くのカスタマーに、良い解説書を紹介することに成功しました。(*私の活動とは関係なく、2004年以降、良書が多く刊行され、HTMLとCSSに関して完全に間違った解説書は減っていきました)

Amazonにカスタマーレビューを投稿し続けるのは砂漠に水を撒くような作業です。アクセス解析できないつらさを、思い知りました。それでも、マイナーな自分のブログで、さして上手くもないレビューを書き続けたって、良書の売上を伸ばすことは不可能です。ましてや、ダメな本に魅力を感じる方に翻意を促すなどできるわけがない。私はAmazonで戦わねばなりませんでした。

レビューするためには本を買って読まねばならず、お金も時間も相当に費やしました。売上ランキング上位の顔ぶれはゆっくり改善されていきましたが、その歩みは日々の心の支えとするには、あまりにも緩慢。私の日々の活動を支えてくれたのは、レビューの「参考になった」票だったのです。

注:

私のしたことは、褒められたことではないと思う。個人の信念で言論の暴力による「戦い」を仕掛けるのだから、これはテロ活動に他ならない。その自覚があるなら、やり過ぎてはいけない。もし悪書の信奉者が同じことをしたら……と考えてみれば、私の行為の危険さは明らか。

私は2004年の戦いについて反省しており、以後、「意図的に悪書を100冊レビューして良書に誘導する」といった強烈な方法は避けています。もちろん、たまたま手に取った本がひどい内容だった場合は、批判的なレビューを書き、良書へ誘導します。でも、それ以上のことは。

4.

RSSリーダーに記事全文を入れるとか入れないといった話題が盛り上がったとき、「ブロガーというのは自分の文章を大勢に読ませることが一番の目的なんだから、全文を入れて、RSSリーダーだけでウェブ巡回を済ませたい読者に便宜を図るべきだ」といった意見に私は賛成できませんでした。

大勢に文章を読ませることが一番の目的ではない人も少なくないだろうし、仮にそれが一番の目的だとしたって、日々の更新を支えるエネルギー源は別のところにあるかもしれないでしょう。

私もブログを書いていて思うのだけれど、アクセス解析を見て1日の読者が1万人とかになっていても、手応えがない。昔はサーバーが落ちたりして「うわー」とかありましたが。私がはてブでコメントを募集している理由の何割かは、「本当に大勢が読んでいるんだという実感がほしい」といったものだったりします。

だから、「また新しい記事を書こう」という意欲の源になるのは、読者のブログで肯定的に紹介されたり、はてブで好意的なコメントをもらったり、といった目に見える反応なんだ……といった意見に、私は共感できます。私自身はRSSに全文を入れていますが、別の判断もあっていいはずです。

つまり、読者が単に「読む」だけでは、著者にとっては「正当な対価」にならないかもしれない。

「RSSに全文を入れないブログなんて俺は読まないぞ(それでもいいのか?)」というような恫喝も目にしたけれど、著者が「自分の文章が読まれている実感」を「報酬」と位置付けていることに、なぜ気付かないのか。

金銭の授受はなくとも、ブログには著者と読者の擬似通貨のやりとりがあるのです。著者の求める対価を拒否する読者が、「だったら商品なんかいらないよ」というのは滑稽な話です。それは著者のセリフですよ。「だったらあなたに商品は渡せないね」と。

5.

ブログの更新を続けるモチベーションは個人的なものなので、あるブロガーの気持ちに「あなた」が共感できるかどうかは問題ではない。

ランキングの投票をしてほしくて仕方がない人を嘲笑したって、ページビューの割に投票が少ないことに憤慨する人の気持ちを変えらるわけがない。私が思うに、もし説得を意図しているならば、無言の読者の存在がどれほど有意義かを説き、ランキングの他にも「報酬」はいろいろあるのでは、と語りかける方がいい。

ブログの動機付けなんて、ひとつの価値観で世界を塗り潰す必要性の乏しいテーマでしょう。こんな話題でさえ、自分と似た考えを持っている人同士で、「理解できないね」「こういうのは嫌だね」「消えてなくなるといいのにね」「ねー」なんてやっているから、生き難い世の中になるんだと思う。

平成21年9月17日

昨日、福島瑞穂:編「産まない選択―子どもを持たない楽しさ」の紹介記事を書いた。この本が話題になっていることを知ったのは一昨日。調べてみると、麻布の都立中央図書館に蔵書されていることがわかった。そこで昨日は定時に仕事を上がって、家と反対方向の電車に乗った。

私は福島さんと意見を異にすることが多い。それは過去ログを読めば分かる。が、だからといって、こんな攻撃は許せない。もちろん、世の中のたいていのひどいことは、私にはどうしようもなく、自分の無力さを噛み締めるだけに終る。いや、本当は何かできたとしても、「どうしようもなかった」ことにしてしまう。

今回はたまたま、会社から40分の位置に図書館があって、そして、きっと私以外の誰もこんなことはしないだろう、という直感があった。そういうときくらい、重い腰を上げなくてどうする、と思い、珍しく行動に移した。いつもは、結局、何もしない。仕方なかったんだ、といって眠るだけ。

平成21年9月17日

昨日は福島さんの本「産まない選択―子どもを持たない楽しさ」を好意的に紹介したが、同書に収録された手記には、保守派の格好の攻撃の種になりそうな文章が少なくない。素人が本音を正直に書いた、仲間内で励ましあう本なので、これはこれでいいのだが、ともかく論争の場へ持ち込むには適さない。

私のAmazonレビューに、題名に脊髄反射している他のレビューの書き手への侮蔑を隠さないコメントが投稿されていた。その方は、本を読んでいないことが明らかなレビューについて、Amazonに通報して削除を依頼したそうだ。なぜいちいちそんなことを公言するのだろう。けんか腰になれば双方が傷つくことになるのに。

福島さんは、たとえアニメ作品だって児童ポルノなんか嫌だと思っているだろう。それでも、表現の自由を優先して、嫌な表現とも共存していこうという意思を示された。そういう福島さんのファンが、なぜ多様な価値観との共存を、まず最初に考えないのか。

私は憲法第9条を改訂して自衛隊の合憲性を小学生でも納得できる形にすべきだと思っている。死刑制度維持は消極的賛成。原発推進派で、高速増殖炉の研究を促進すべきと考えている。遺伝子組み換え農作物への非科学的な忌避論に辟易している。規制強化にばかり熱心な社民党の経済政策には賛成できない。

福島さんと私とでは、政治信条は大きく異なる。しかしそうであればこそ、2chやAmazonのレビュー欄で繰り広げられている無体な攻撃には怒りを覚えた。こんな攻撃で福島さんを嘲笑する仲間を増やして、いったい何の意味があるのか。相手の意見が間違っていると思うなら、まともに戦うべきだ。

本当にfinalventさんが蒔いた種だとは私には思えないが、仮にそれを認めても、buyobuyoさんの要求は人に可能な範囲を超えている。無理を強いても、どうにもならない。それに、勘違いを招いた人を責めたところで、誤解はあまり減らないだろう。

結局、面倒でも自分が何か有効なアクションをとるしかないのだと思う。

平成21年9月16日

0.

民主党政権で少子化対策の担当大臣に内定した社民党の福島瑞穂さんは、1992年に「産まない選択―子どもを持たない楽しさ」という本を編者として刊行しているよ、という記事。はてなブックマークで話題になっているようですね。

この本はあまり売れなかったみたいで、中古市場にもあまり流れていない(日本の古本屋くらいでしか見つからない)し、市町村レベルの図書館にも蔵書されていないことが多い様子。なので、簡単に内容をご紹介します。

1.目次

はしがき i
T 対談 産む・産まない、どちらも正しい!? 1
   「搾取」か「創造」か―出産・子育てをめぐる攻防 福沢恵子・福島瑞穂 3
   出生率という名の危険な罠 諫山陽太郎・緒方由紀子 51
U 手記 産まないかもしれない症候群 71
   バンになんか乗りたくない 梶原葉月 73
   二十七にもなって 佐々木さとみ 83
   産みたくない理由 久々湊典子 94
   出産・育児の不安がいっぱい 清水富美子 104
   楽しければいいじゃない、産んでも産まなくても 椋野美智子 120
V 手記 子どもって結局……!? 151
   産む・産まない……どちらの人生も楽しかりけり 山本美知子 153
   “子無き”も生きる 勝野正子 173
   産まない理由 佐藤みどり 186
   終の願いを夫婦におかず親子におかず…… 椎野礼子 202
   子ども以上のもの 高木由利 219
あとがき 236

2.Amazonに投稿したレビュー

タイトルで早合点しないでください。福島瑞穂さんの編集意図は 1)様々な「産まない理由」を紹介する 2)出生率低下論議に複数の視点を提供する 3)出産・育児環境整備への要望の大きさを示す 4)生の声を多数紹介し読者に思考の契機を提供する の4点だと後書きに記されています。

本書は3部構成です。第1部は2本の対談記事による問題の概括と興味深い視点の提供、第2部・第3部は各5人(計10人)の手記による個別事例の紹介、となっています。編者の福島さんは出産・育児の経験者で、その体験を明確に肯定しています。その一方で、他者の「産まない選択」にも理解を示し、その判断を尊重します。

手記の書き手は様々です。積極的に「子どもはほしくない」という人の他にも、不妊治療に取り組んだが体外受精までは踏み出せなかった人、「2人目はほしくない」という人、居心地のよい現状を崩す動機がない人、将来的には産むかもしれない人、などなど。

一見バラバラながら、本書は「人生選択の自由を阻害する社会はよくない」という大きな主張に貫かれています。「産まない選択」が非難され人格・尊厳を傷付けられ沈黙させられることも、「産む選択」が生涯収入の激減・個人の時間の激減・教育費等の出費増など大きなコストと引き換えになることも、どちらも改善されるべきなのです。

「産まない選択」というタイトルは、本書が編まれた1992年頃に盛んだった福祉国家構築の議論が背景にあります。編者らは、出産・育児の障壁が下がった未来に「それでも産まない」人々が社会に糾弾されることを恐れたのです。現実には、その後の17年間、体感的な出産・育児の困難は増大する一方でした。

結果的に「産まない」人は「産めない」と説明すれば納得される社会となりましたが、それでよいわけがない。「産まない」選択への理解も全く進んでいない。本書の視点は現在も有効です。

レビューが掲載されたんだけど……

なぜか分からないが、いきなりたくさん「参考にならなかった」票が入ってる。一体、このレビューの何が不満なんだろう。

私は思案して本書を星4つとしましたが、「産まない」「産めない」人々の生の声を集めることを意図した本だけに、意見を異にする人への説得力は乏しい。過激な発言をされている方もいます。だから最初から福島さんを攻撃する材料を探している人にとっては、ネタの宝庫です。

私は憲法第9条の改訂に賛成、原発(とくに高速増殖炉)推進に賛成、死刑制度維持に消極的賛成、遺伝子組み換え作物歓迎、などなど福島さんとは思想・信条が大きく異なる。のレビューは、どうもこの本への期待をすごく上げた方が散見されるのですが、

3.

第1部に収録された福島瑞穂さんと福沢恵子さんの対談から、一部を抜粋。

福島
私は何で子どもを産んだかといったら、ありあまる愛情のはけ口がほしくて……。私は過剰エネルギーの人だから、エネルギーのはけ口がほしかったのよね。だからちょうどよかったのよ。
福沢
(略)私は逆に過少エネルギーだから、(略)たぶん今あるものを薄めて使わなくちゃいけない。
(略)
福島
私は自分はラッキーだとは思うけど、人に勧めようとは思わないわね。(略)なぜ人に勧めないかというと、社会がいろんな人にあまりにも子産みを勧めすぎてるからよ。人が誰も勧めなかったら逆に勧めるけど、みんなが勧めてるものを私も勧めることはない。それよりは産まない選択を勧めたほうがいいんじゃないかと。
(略)
福沢
子どもがいるかどうかが「健全」や「幸福」のもの差しに使われる限り、子どもを持つ人も持たない人も不幸だと思う。子どもって人生の“必修課目”というよりは、クリエイティブな“選択課目”という程度に考えられたらなあ、と思うんだけど……。
福島
そう、それぐらいになるといいね。

福島さんは弁護士という職業の特性、家族の理解と協力もあって、仕事と子育てを無理なく両立させてこられた……というのが引用部の前提となっている両者の認識です。福島さんは社会的な強者であり、ラッキーだった。誰もが福島さんのような環境に身を置くことができたら、出産・育児が人生のその他の要素を阻害する程度が相当に緩和されるので、「産む選択」をする人が増えるだろう、と。

その上で、「多くの人の願いがかなって、そうした状況が実現したとしても、社会が個人に出産を強要するようなことは絶対にいけない」という話に進むのが、この本の特色です。少子化問題を語る本の多くが、「大多数の若者は結婚・出産・育児の希望を持っている」ことを調査結果などを元に示し、その阻害要因を排除する手立てを提言して筆を置いているのとは一線を画しています。

1992年頃といえば宮沢喜一さんが首相を務め、福祉国家の建設を謳っていました。保守政党が主導する少子化対策としての福祉増強策には、「これだけ障壁を下げたのに子どもを産まないのは身勝手」となりかねない……との警戒感があったんですね。

あと個人的にちょっと興味深いと思ったのが、福島さんのバランス感覚。誰もが「出産なんてバカらしい」と言い出したら、それは反論せずにはいられない。だけど現状は、子どもを産まない女性はよってたかって問い詰められる、「なぜ産むのか」は追及されないのに、「なぜ産まないのか」は何度でも何度でも説明を求められる。それでみんな参ってしまう。法的な強制はされていないが、社会の圧力は個人の人生選択の自由を大いに邪魔している。だから「産まない選択」を社会に提示して、一方に偏ったバランスを是正したい、と。

福島さんは様々な問題について少数派の主張を唱えることが多いでしょう。でもそれは、必ずしも福島さんが偏った意見ばかり持っていることを意味しないのではないか、と思いました。

4.

産めない理由を探せばいくらでもあると思うけど、それって結婚できない理由探しに似ている。

結婚しないんじゃない、いい人がいなくてできないんです、と言い続けて、ついに、身長、学歴、収入ともに高い、いわゆる三高じゃなきゃ結婚できない、と言い出したのと同じ。そこまでくれば、いい人がいなくて結婚できない、じゃなくて、結婚したくないんだ、とわかるよね。

要するに、女も結婚しないで生きられるようになってきたから、結婚するしないを選べるようになってきたから、そして、相対的に結婚のメリットが少なくなってきたから、条件がよくないと結婚したくなくなったってこと。

(中略)

産めないんじゃなく、産まないんだから、産みたくないんだから、産めない理由として挙げるものを一つずつつぶしていったって(つぶせるかどうかは別として)、出生率は上がらないと思う。ちょうど、本当に三高の人が出てきたら喜んで結婚するかっていうと、そうとは限らないように。

それよりも、子産み・子育ての魅力が増すような方策をとったほうがよほど出生率は上がると思う。(中略)

それでも、子産み・子育てによって失うものが少ないに越したことはないんであって、私は、住宅政策や教育政策がこのままでいいと言っているわけではない。ただ、そうしたからといって、たいして出生率は上がらないだろう、と言ってるだけ。

個人的にビビッときた椋野美智子さんの記事を引用しました。過去に私が書いたことと共通点があるんです。よろしかったら以下の記事を参照してください。

この椋野さんは、厚生白書(平成元年版)の執筆者の一人で、現在は大分大学教授の椋野さんと同一人物だと思う。職業が「公務員」となっているし。椋野さんの本は以前に読んだことがあるんだけど、とってもフォーマルな文章だったから、ギャップがまた面白かったというのも少しあります。

えーと、引用した文章は、仕事ではなく私的な活動として書かれたエッセイなので、引用した文章を悪意に解釈して「これが厚労省の本音だ!」とかいうのはやめてくださいね。

はじめての社会保障 第7版―福祉を学ぶ人へ (有斐閣アルマ)

これが以前に読んだ椋野さんの著書。大学生向けの教科書らしいのですが、一般人でもスルスルっと読めます。日本の社会保障制度に関心のある方にはお勧めの1冊。

平成21年9月1日

2009年8月30日投票の第45回衆議院議員選挙の開票結果が公報されました。

いささか膨大な内容なので、個人的に興味のあるポイントのみ抜粋。

最近4回の衆院選結果

図1

小選挙区の得票率と議席占有率の推移

図2

比例代表の得票率と議席占有率の推移

図3

データ

政党別議席数

図4

政党別得票数

図5

私はこう見る

自民党の得票率(比例、以下全て同じ)は2000年と2009年でほぼ同等です。2000年の小選挙区は反自民票が分散した結果、自公連立与党が61%を獲得しました。2009年の小選挙区は民主党が反自民票を吸収した結果、与党は21%しか獲得できませんでした。

2003年の選挙では、自公連立与党は得票率を41%→50%と増やしましたが、民主党の得票率が25%→37%と躍進した結果、都市部を中心に小選挙区で議席を減らしました。

2005年の選挙では、自公連立与党の得票率は50%→51%と横這いでしたが、民主党の得票率が37%→31%と減った結果、小選挙区で与党が大勝します。郵政民営化に反対した議員を公認せず、対抗馬を立てる戦術は、反自民票の分散を実現しました。選挙後、「格差社会」をキーワードに与党批判が噴出したのは、支持が横這いなのに大勝したことへの警戒感ゆえの揺り戻しだと思います。

2009年の選挙では、自公連立与党の得票率が51%→38%と減り、民主党の得票率が31%→42%と上昇しました。2005年とは逆に民主党が小選挙区で大勝し、政権交代に成功します。

民主党が小選挙区で反自民票を吸収するにつれ、小さな得票率の差が大きな議席数の差を実現するようになってきたことがわかります。2006〜2007年の安倍政権は、議席占有率を背景に自民党らしさを前面に出して失速しました。民意は得票率に現れることに留意が必要です。

民主党の得票率は2003年は37%、2009年も42%に留まっています。民主党は社民党、国民新党、新党日本と連携する予定ですが、4党合計でやっと得票率が49%、約半数に達します。民主党が連立の苦労を厭い、単独政権で劇的な改革を推進しようとすると、不支持が勝って行き詰るかもしれません。

社民党、国民新党、新党日本は、いずれも譲れない政策があって与党を抜けた政党であり、民主党は連立の維持に苦労するでしょう。むしろ中期的には公明党との連立が考えられます

自公の協力が続くなら、2009年の選挙の得票率は自公38%、民主42%と拮抗しており、次回の選挙で民主単独政権に対し勝機十分です。逆に自公が分かれた場合、自民党の早期の政権復帰は絶望的。自民党が保守系野党として衰亡し、民主党が新「恒久与党」となる可能性も否定できません。

では民主党が分裂するとどうなるか。2000年の自民党の得票率は28%で、2009年の27%とほぼ同等でしたが、野党の選挙協力が成立せず、自公連立与党が小選挙区で61%の議席を獲得して勝利しました。したがって、自公の結束が固ければ分裂民主は敗北、自公がバラバラなら分裂民主と混戦になります。

選挙制度を考える

1.

民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究

アンドレ・レイプハルトさんの研究成果の一端を簡単に整理すると下表のようになります。(出典:BI@K 2005-12-30

適切な選挙制度選択の早見表
 国内対立が厳しい国内対立は緩い
争点は1つ二大政党制・比例代表制二大政党制・小選挙区制
争点は2以上多党制・比例代表制多党制・小選挙区制

2.

2回続けて議席の大きな移動が起きたことから、小選挙区中心の選挙制度を「見直すべき」とする意見を散見します。それでいて、自民党と民主党の政策が大筋では似ていることを批判する意見もあります。どちらの立場にも、私は賛同できません。

もし自民党と民主党の政策が全く異なっているならば、政権交代は社会に大きな混乱を起こします。ですから、安定志向の選挙制度を作り、どうしても必要なときだけ政権交代が起きるようにすべきでしょう。

逆に自民党と民主党の政策が近いならば、政権交代による社会の変化は緩やかに生じます。ですから、振れ幅の大きな選挙制度を作り、国民の繊細な判断が政権選択に反映されるようにすべきでしょう。

日本では長らく、安定志向の中選挙区制(ただし単記非移譲制で半ば比例制のように機能することを特色とする)が採用され、自民党政権が続きました。しかし1991年にソ連が崩壊し、社会党や共産党による「革命」の可能性が消えたことを受け、数年の議論を経て1994年に小選挙区比例代表並立制が導入されました。2000年には振れ幅が大きくなるよう比例代表の議席数が200から180へ削減されています。

比例代表の議席数については、減らそうという議論がほとんどです。55年体制の保守VS革新の区分けを援用するなら、今や衆議院の9割超の議席が保守になりました。国内対立は緩く、多くの国民が関心を寄せる政策上の争点は、ほぼ社会保障に絞られています。二大政党制・小選挙区制は妥当な方向性だといえそうです。

3.

民主党政権が実現を目指す日米関係の見直しや外国人への地方参政権付与は、1999年に成立した国旗国家法や通信傍受法と同様、社会に大きなインパクトを与える変化です。しかし国民の多数派は、賛否に関わらず、この新政策を政権選択の決定的理由とはしませんでした。

一人一人に意見を聞いていけば、争点はたくさんあって、厳しい意見対立も無数にあります。しかし多数派と多数派が対立し、政権選択につながるテーマは限られています。

2大政党制が定着しているアメリカでは、2009年に共和党のブッシュさんが退任し民主党のオバマさんが大統領に就任しました。その際、ゲーツ国防長官は再任され、金融政策を司るFRBのバーナンキ議長も8月に再任が決まりました。安全保障と経済運営について、漸進的な変化を目指していることがわかります。

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