何回でも同じことを書く試み。
ちまちまと新サイトのデザインをやっているのですがユーザビリティと見た目を考えるとどうしても一ページをテーブルでくくってしまうことになってしまってます。
こんなものを趣味のWebデザインの中の人に見られたら「テーブルレイアウトをする輩は腹を切って死ぬべきだ」(←元ネタが分かる人は僕と握手)。とか言われそうですが、CSSの方がいいとは分かっていても、私はCSSの技術がまたっくないので(HTMLすらビルダー)。
しかし、例えば私はCSSの知識が皆無だし今から勉強しようにも、それよりも記事の一本(今書いてるけど、ひとつ書くのに数日かかるんだこれが)でも書く方が有益だと思うわけで、テーブルレイアウトの嫌いな人が、CSS普及のために書いてくれてもいいんじゃないかとか思ったり思わなかったり、何が言いたいかは分かるな?(最低)。
それは置いといて、テーブルでデザインしてるときによく思うのですが、以前「侍魂フィルター」とかいうのがありましたが、それの応用でテーブルをCSSに変換するようなスクリプトって作れないんでしょうか?
いや、私はその辺の知識が全然ないので適当に言ってますが、もしあればすごい便利だろうなと。
CSS をある程度以上わかっている人は、テーブルレイアウトでデザインした HTML 文書を自動で CSS によるデザインに変換するようなツールを作りたがらないはずです。それは何故かといいますと、CSS は仕方なく使うものであって、CSS を使うこと自体にはあまり意味がないからです。このあたりは勘違いされている人が非常に多いのではないでしょうか。
HTML は文書構造を(少なくともソースにおいて)明示することを目的とした言語です。本来 HTML 文書は、見出しを見出しとして、段落を段落として、箇条書きを箇条書きとして、強調部分を強調部分として明示すれば、それだけで完成するものです。
ところが、IE などの PC 向け視覚系 WWW ブラウザのほとんどは、デフォルトで適用されるスタイルシートの出来がよろしくありません。h4, h5, h6 要素は見出しなのに本文よりも字が小さくなります。マイナーな要素はみな斜体か太字か固定幅で表現するという手抜きになっていて、各要素の区別さえつきません。こんな状況でありますから、意図をきちんと伝えたい製作者は font 要素などで文書を装飾する必要があったわけです。
ここで、ひとつ大きな勘違いが生じました。きちんとマークアップしても、文書の見た目はあまりきちんとしません。だから追加の装飾で、見た目をきちんとさせるわけですね。こういう作業を繰り返していると、たいていの製作者は人間に文書を見せることしか考えていませんから、じゃあ、見た目さえそれっぽければいいんじゃないのという方向に進むわけです。見出しを見出しとしてマークアップしなくても、見た目が見出し風ならそれは見出しであると思うようになる。
テーブルレイアウトは、こうした発想から生まれてきたものです。本当は表なんだけれども、見た目が表っぽくないから、表じゃないってことにするわけです。前述のケースとは逆転していますが、これは同じ事象の表裏なんですね。
さて、近年のブラウザは閲覧者が自作のスタイルシートを適用する機能を備えております。デフォルトスタイルでは見分けのつかなかった各要素を、自分の定義したスタイルで区別して表示できるようになったわけです。また本文より小さい見出し文字という問題も同様にして解決できます。再び、製作者が楽をできる時代になりました。
しかし残念なことに、ほとんどの閲覧者は不勉強なままです。自分の好みに合わせて HTML 文書のスタイルを設定することができるようになったのに、あまり嬉しそうな顔をしません。「面倒くさいから、製作者の方で適当なスタイルを指定してよ」といいます。しかし相変わらずブラウザのデフォルトスタイルは不出来です。そこで仕方なく、製作者がスタイルシートを用意するという発想が出てきます。
CSS はスタイルシートの一種なのですが、スタイルシートは基本的に、各要素にスタイルを指定するものです。見出し要素は太字で文字を大きめにしなさい、段落は前後に1行空きを用意しなさい、強調部分は太字で文字色を赤にしなさい、といった感じです。なので、予め HTML 文書に見出し要素とか段落要素とかが存在しないといけません。
テーブルレイアウトをやっている人のほとんどは、見出し要素も段落要素も使っていないんですね。そんなもの使っても、自分が期待する見た目にならないから。見た目さえそれっぽければいいということで、改行とか font 要素とかばっかり使っているわけなんです。
ここで問題になるのは、「こういう見た目なら見出しだ」といった統一ルールがないことです。製作者のセンスによって、見出しは太字だったりそうじゃなかったりします。人間はそれでもなんとなく判読できてしまいますが、自動認識は現状では不可能といっていい。だから、テーブルレイアウトされた文書を CSS を正しく使った文書に自動変換することはできません。
そもそも、HTML はかなり文書構造の構成要素の種類を絞り込んでいます。段落要素は p 要素ひとつしかないんです。この段落は前後に10行空きにしよう、こっちは3行空きだ、みたいな、こまかな区分けは基本的にはできません。class 属性で区別してそれぞれにスタイルを指定すれば話は別ですが、それだって製作者スタイルを無視されたら意味のない区別になってしまうのです。HTML は非常に制約の多い言語で、微妙な差異を表現するのには向いていないのです。
つまり、仮に見た目から要素を自動で認識できたとしても、HTML の制約上、完全な再現は不可能なのです。侍魂フィルターなどと比較して CSS デザインへの自動変換が技術的に困難である理由は、変化が許容されないという点にあります。
このあたりの問題を私なりにまとめたのが"いろは"の先のCSS 第2回です。CSS 解説の部分は読み飛ばして構いませんから、講義と FAQ だけはぜひご一読ください。
そもそも私が「テーブルレイアウトをする輩は腹を切って死ぬべきだ」
と思っているのかというと、そんなことはありません。CSS を使うこと自体には、あまり積極的な意味がありません。CSSを使うわけに書いたことですが、HTML を正しく使うことと、お望みのデザインを実現することを両立させるためには、CSS を使うしかないという話なんです。
逆にいって、HTML を正しく使うことに興味がないのなら、テーブルレイアウトの方が多くの環境で表示が大崩れしないという点で優れています。またブラウザのデフォルトスタイルで満足できるなら、やっぱり CSS なんて使う必要はありません。
そういうわけですから、ブログ神と呼ばれる平田大治さんのブログのように、非常にいい加減な HTML 文書に CSS を適用するのはくだらないと思います。見た目さえそれっぽければいい発想はテーブルレイアウトとまったく変わりなく、それでいて狙い通りに表示される環境がテーブルレイアウトの場合よりも狭いわけです。一体、何のために CSS を使っているのだか理解できません。
重要なのは HTML をきちんと記述することなのであって、CSS を使うことじゃないんです。ところが、CSS を使うことにしか注目なさらない方が多いんですね。でも、ただ CSS を使うだけならテーブルレイアウトの方がマシだとさえいえるんです。だから、HTML の勉強が面倒だということであれば、CSS も使わないでいいと思います。そして私は、HTML の考え方を理解できる人はそんなに多くないと思っております。
というわけで、結論としては、別にテーブルレイアウトでいいんじゃないの、ということになります。
私も長らくホームページビルダー(HPB)を使っていました。けれども、テーブルレイアウトをやめてしまったら、かえって HPB を使う方が面倒かな、と思うようになったんです。HTML エディタのカスタマイズを進めたこともあり、いつの間にか HPB を使わなくなっていました。
HTML を正しく使っていけば、マークアップは非常に単純になります。けれども、HPB はその単純なマークアップが割と面倒くさいように思います。範囲選択して Ctrl+P とすると p 要素の開始タグと終了タグが挿入される、とかそういった環境を構築してしまうと、プルダウンメニューから「標準」を選ぶとか、そういった作業が非常に面倒なんですよね。
必読の参考記事。
きちんと仕事する管理業者が待望されており、それが商売として成り立つのなら、これは大きなビジネスチャンスです。1代で全国規模の会社を作れますよ。また id:oidashiya さんはウチの会社は当該マンションの区分所有者です
と仰る。たしかに私の知る管理組合にだって、強硬派が一人もいないわけではありません。ただ……もうやめます、この話は。既に述べた以上の材料はこちらにありません。
そして第一、「時効援用」の件に関しても、こちらの立場を考えず、管理会社のおじさんの主張にばかり肩入れしているではないですか。
とのことですが、実際の交渉でそのような態度が必要で、それをそのまま記録することにも意味があるという立場は理解します。
と私は書いているでしょう。最初から競売業者がこういう商売をしていることは承知しているつもりだった
とも述べております。
私は id:oidashiya さんの主張を全否定していません。私は id:oidashiya さんの主張は正論だと認めてきたつもりです。だからネットに公開する手段としての「ワタシの文章」がただただ気に食わない、という旨
というのは当たっています。「あなたの意見は正しいと思うが、そんな言い方はないだろう」という批判(第2の論点への移行後)は、よく見られるものでしょう。
ようするに、私が「一歩譲ってはどうか」と意見したのに対して id:oidashiya さんが「正論をいっているのだから一歩も譲らない」と返答している状況なんだと思います。私にはもうこれ以上の説得材料がないし、逆に id:oidashiya さんの発言も同じ内容の繰り返しになっているようにお見受けします。これ以上は平行線でしょう。
id:happu さんが id:oidashiya さんを業界の先輩と呼んでいらしたので、意味の広い「不動産営業」よりも「追い出し屋」の方が正確な表現だろうと考えたのです。そちらの業界では普通に使われる言葉なのかと思ってそう呼んだわけですが、id:oidashiya さんご自身がいい意味の言葉ではないと仰るので困りました。無知をお詫びします。ちなみに私はメーカー勤務ですが、こちらには「屑屋」と呼ばれる職があります。これは決して悪い意味の言葉ではありません。
Internet Explorer 5.x の HTML ソース表示を任意のエディタに変更するソフトです。メモ帳トラッパーを Windows2000 で動作させるためには小細工が必要なのでめんどくさいなー、と思っているような人におすすめです。
じつは IE6 にも対応しているので、ご紹介。私自身は雑誌の付録についていた「しょうゆ」というソフトを使って同じことをやっていたのですが、いつの間にか作者のサイトもなくなってしまい、さりとてかの有名なメモ帳トラッパーは Windows2000 以降では使いにくく、どのソフトを紹介したものかなあ、と思っていたのでした。
もともと私がこの手のソフトをほしいと思ったのは、Win98 付属のメモ帳が Unicode に未対応で、文字化けに困っていたからでした。
多くの文字コードに対応しているエディタ、もしくは常用している HTML エディタなどを指定すると便利に使えるようになるかと思います。私の場合、基本的に自サイトはローカルで閲覧します。ですから、その最中に誤記などを見つけた場合、ソース表示で常用の HTML エディタが起動して当該ファイルが読み込まれ、修正にたいへん便利です。
今回はワタシの判断で交渉を行いましたが、その交渉方法とワタシの話し振りとBlogでの記載ぶりが徳保さんにとってみたら気に食わないみたいですが、ワタシは交渉に関してはプロですので、この状況の判断が間違っているとは微塵も思いません。
最初から書いている通り、世界が違うのだから、強い調子の交渉が正しい場面があるのでしょう。それは認めています。ただ、私は背景・真意の説明がない最初の記事を読んで、非常に不愉快でした。特定承継人が滞納債務を全て引き継ぐものと勘違いしていたので、これはひどいなー、と思った。だから悪用
とか悪辣
といった表現をしたわけです。
翌日の説明を読み、id:oidashiya さんが悪いことをしていたわけではないと理解しました。そこで、勘違いしていた部分について、お詫びしたわけです。
けれども、交渉場面を読んで腹が立つことには変わりありません。やっぱりおじさんに同情したくなるんです。そこで、その理由を書きました。
大体、「昨今、こちらも商売が厳しいものですから、これを全部ですね、元の所有者に代わってお支払いするということはできないんです」って、そんなこと相手側に言うべきことではありませんし、言っても意味がないことです。
こちらとしてもウチの会社に金があるないで時効の援用を求めているからではないからです。今回は時効援用を受けられそうだから、そう主張しているまでであって、援用を受けられないのなら買受人の立場としては管理費等滞納金を代払いするまでのことです。
いや、ですから、時効とは関係なく滞納分は全部払ってほしいわけでしょう、管理業者は。でも時効援用を受けられるならその権利を主張するのが id:oidashiya さんの立場です。商売上、それは当然だと思います。けれども、相手の立場に何ら配慮しない物言いは、読んでいて不愉快なんです。
交渉のプロ
を自認する id:oidashiya さんが言っても意味がない
とおっしゃるのだから、実際の交渉ではそうなのでしょう。ただ、この世界に疎い私などが交渉記録を読む分には、かなり印象が違います。以下に補記した通り、私と id:oidashiya さんとでは意見の対立があります。しかし、文章から受ける印象がもう少し違っていれば、展開も違っていたろうと思うわけです。
ところで、「管理会社に恩を売る」という発想がよく分かりません。
について。元の所有者からは管理費を徴収できなかったわけです。だからうまく話せば、5年分もいただけるならありがたい、と相手に思わせることができたかもしれない……という話です。素人考えなので、実際にうまくいくかどうかわかりませんが。
今回のケースに限らず、数多くのマンションで滞納金の問題が発生しています。この現実を見据えると、これに対する自衛というのを行わなければならない、というのは至極もっともなことではないでしょうか。
今回の文章は、特定承継人の権利を行使するべく、時効の援用を行った場合の効用を書くとともに、元々の所有者の滞納金を黙って看過していたプロにあるまじき管理会社とそれについて何の疑問も持たない管理組合に対する問題提起として記したという次第です。
アパートの大家業とマンションの管理で諸条件が全然違うのかというと、そうでもないと思います。実家は長らくマンションにあって、二十歳になるまで私はそこで育ちましたが、マンションで起きるトラブルはアパートでのそれと似ていまた。(ちなみにアパートの家賃の明細には管理費の項目があって、一人の滞納がみんなの迷惑になるという構図は同じです)
マンションには20〜50世帯に1世帯の割合で頑として管理費を払わない方がいましたから、組合全体では常に4〜10世帯ほどの問題世帯を抱えていたことになります。しかし、行くところまで行ったのは1事例だけでした。町内会も含め、きちっと管理費を徴収するため万難を排して臨むという姿勢の管理組合にはお目にかかったことがありません。毎年、組合の役員が交代しますが、何度代替わりしても同じでした。「万難」を無視できないのです。
id:oidashiya さんのご意見は正論ですが、仮にそれで必ず成功するのなら、そのような管理業者がこれからだんだん増えていくだろうと思います。儲かる会社が生き残るのが資本主義社会ですから。逆に現在、強硬策を取らない業者が淘汰されずにいることには、ちゃんと理由があるはずです。滞納者に怒りを感じない管理組合はないでしょう。ではなぜ強硬策を取る業者に依頼しないのか。あんまり簡単に、この疑問を切り捨てないでほしいのです。
とはいえ、これ以上は平行線かもしれませんね。
2つの疑問が出されていますが、いずれも既に説明しているつもりです。以下、再度説明します。
争点の軸がずれた理由
当初は特定承継人が滞納債務を全て引き継ぐものと勘違いしていた
ので、最高裁判断を盾に時効になった分を払わないという id:oidashiya さんの発言を非難しましたが、この件は当方の勉強不足を認め、お詫びしました。「管理費等を支払わない=悪質である」
という主張は変わりません。しかし、id:oidashiya さんに対する批判としては筋違いだったということです。
「管理会社は悪くない」
というのは、第2の争点です。前述の勘違いを正しても、私は id:oidashiya さんの交渉記録と主張には賛同できないままでした。それは何故か、という話をしているわけです。
強硬策を取る管理業者が少ないとすれば、需要がないからです。あるいは、強硬策に必要な経費を負担する管理組合がないからです。私の経験から、強硬策を避けたがる管理組合の現状を指摘しました。盗人にも三分の理といいますが、管理業者にも言い分があります。
「ワタシの書きようが無用の敵を作る」という発言の趣旨
相手の立場を斟酌せずに強く出る態度は、内容以前の問題として反感を買います。実際の交渉でそのような態度が必要で、それをそのまま記録することにも意味があるという立場は理解します。しかし、一般向けの記事として書く場合には、注釈をつけるなりして相手の立場への配慮を示した方が反感を買いにくいはずです。仕事をサボっている管理業者に同情の余地は一切ないなどと冷たいことをいうと、冷たいというだけで反感を買うでしょう。
なるほど、id:oidashiya さんのご意見は理解しました。
時効消滅を理由にして管理組合に対し、「消滅した債権すべてを放棄しろ」といっているわけではありません。あくまでもワタシが言いたいのは「特定承継人として時効消滅分までは元の所有者に代わり滞納債務を認め、これを支払うが、残りの部分は元の所有者に請求するべきではないか」ということです。
そういうことであれば、納得できます。私が id:oidashiya さんの立場・仕事とやり取りの意図を誤解していたことを認めます。誤解の大きな原因のひとつが私の不勉強にあることは明らかで、その件もお詫びします。すみませんでした。
しかし管理費等債権の時効について、管理会社に「時効消滅した分は払わない」と言ってみたを読むと、やはりむかっ腹が立ちます。私のいる世界では紳士的な対話によって双方の事情を積み上げていき、お互いに妥協点を探るのが一般的な交渉のやり方です。ガクを武器にしておじさんを痛めつけるようなやり取りの記録は、読むに堪えません。発言内容の是非以前の問題として、私はおじさんに味方したくなります。
そして。
ウチの会社のような特定承継人が係る債務を支払うのはあくまでも代払いですので、少なくともワタシはその代払いした部分を元の所有者に対し、法的に請求します。そのように買受人さえ出来ることが、何故管理組合もしくは管理会社が出来ないのでしょうか?
逆に、なぜできないのかを想像してほしいのです。私自身は管理の仕事をしている者ではありませんが、遠戚にはアパートのオーナーもおります。ドライに法的措置を取れない現場の事情があるのです。動かないものを動かすプロの id:oidashiya さんが、やって当然のことをしない(できない)管理業者に苛立つお気持ちはわかります。しかし原則論を貫けば、多くの場合、管理に失敗します。滞納者さえ一掃できれば、後はどうなってもよい……というわけにはいかないのです。
そのことは id:oidashiya さんも毎度の付き合いで承知されているはずです。であれば、もう少し言葉の選びようもあったでしょう。
甘い、そんなことでは追い出し屋は勤まらない、とおっしゃるかもしれません。もしそうであれば、せめて(現場の生のやり取りを記した)記事の前後に、管理側の事情に対する今少しの斟酌の言葉が補われていてしかるべきでは? はてなは不特定多数の一般読者を対象とした情報発信の場なのですから。私が自身の不勉強(による無体な批判)を棚に上げていうことなので説得力に欠けますが、無用の敵を作るのは戦略上よろしくないはずです。
仕事って、売上きっちり回収してきてナンボですよ?
と id:happu さんが仰るのは正論でありますが、売上が増えても経費がそれ以上に増えては意味がないこともご理解いただけるかと思います。アパート管理業は、ややもすると慈善事業になってしまいます。強硬な管理費徴収は住人の消費者意識を呼び覚まし、要求のエスカレートを招くのです。逆恨みも怖い。そんなことで商売ができるか! とお怒りになるかもしれませんが、筋を通せば角が立つのが世の中です。悪質な相手には対応を変えますが、追い出し屋と管理業者では強硬策と柔和策の分水嶺が異なります。
トータルで見たとき、徴収最優先の方針が成功をもたらすとは限らないのが、(私が多少の実状を知っている個人経営のアパート管理業においては)現状であろうと思うわけです。「仕事をサボってきた管理業者に灸を据える」という大義名分を掲げ、最高裁判決を盾に強引に押し切るような物の言い方には反感を覚えます。
交渉に関する見解にはワタシと徳保さんの間には大きな隔たりがあるみたいです。(中略)ワタシの交渉は、相手やその場の状況に応じ、硬軟変化を加え行っています。時には土下座営業並みの交渉を行い、時には圧迫面接の如き交渉を行う。
交渉というのは、お互いの妥協点を探りつつ、如何に自己に有利な展開を見出していくか――それが交渉のあるべき姿だと思います。
私が件の交渉を行うとすれば、概ね以下のような話し方になりましょう。大部分 id:oidashiya さんの発言を引用しておりますが、印象はかなり違うかと思います。
いつもお世話になっております、Aマンション○○号室の所有者会社です。ウチ、競売でこれを落札したんですけど、管理費結構たまっているようですね。いただいた請求書を拝見しますと、トータルで200万以上ですか。物件をきれいにしたいのはやまやまなんですがね、昨今、こちらも商売が厳しいものですから、これを全部ですね、元の所有者に代わってお支払いするということはできないんです。先日の最高裁判決にもありましたように、時効になっている分については、勘弁していただきたいんですね。一通り調べてみたのですが、内容証明の督促等は時効の停止事由にはなりそうなのですが、時効の中断にはなりそうもないんです。そのあたりご確認いただいて、もう一度、時効消滅分を差し引いたもので債権を確定させて下さい。5年分ですね。そこまではお支払いしますので。では、そういうことでよろしくお願いします。
今回、うまく話せば管理業者に恩を売ることさえできたかもしれないのです。果たしてゴリ押し風に行くべき場面だったのかどうか、私は疑問に思います。
id:oidashiya さんはマンション管理費滞納は5年間で時効成立――最高裁判決という記事ではまともなことをいっているのに、早速、管理費等債権の時効について、管理会社に「時効消滅した分は払わない」と言ってみたに書いているような悪用を始めている。
私は id:oidashiya さんとは意見が異なり、ぬるい管理で問題なく回っていく社会を望む。最高裁が短期消滅時効の適用により,不誠実な一部の滞納者がその納付義務を容易に免れる結果とならないようにするための適切な方策が,立法措置を含め十分に検討されるべきものと考える。
と述べているのは、ふつうの管理人がふつうに管理していても悪徳利用者のゴネ得が生じないよう、法整備すべきだという意図だろう。
基本的に管理会社って管理費等の徴収に関しては、適当であり、せいぜい内容証明を送るのが関の山。管理をする会社というよりも、人材派遣や大規模修繕工事の斡旋業というところが大部分ではないでしょうか。事実、だからこそ、管理費滞納者が多い。
管理会社は、その名の通り「管理」を標榜するのなら、単なる人材派遣業・斡旋業から脱却し、管理費・修繕積立金をしっかりと回収して貰いたい。そして滞納者を出させないで貰いたい。
マンション住民は真の意味で「管理」をしない管理会社を即刻契約解除し、「管理」を行う管理会社、もしくは自ら進んで自主管理にし、自分たちで自治を守るくらいの意気込みをもたなければならない。
さすれば、管理費・修繕積立金等滞納問題並びにそれに起因する問題はなくなる、とそう思う次第です。
この id:oidashiya さんの提案を望ましい社会のあり方と考える人は少なかろう。内容証明を送付し続けることで時効を不成立とするよう法改正し、ゴネて逃げ切る悪徳住人の退路を断つ方向性こそが望まれているのではないか。
……と私は考えるので、id:oidashiya さんが最高裁判断を盾に悪辣な真似を始めたことを苦々しく思う。時効だから払わなくてもいいのかもしれないが、払うべきものには違いないのだ。刑事事件の公訴時効だって、時効を迎えたから犯人はもう反省しなくていいというものではない。真実が闇の中に消えていいというものではない。時効成立後であっても、犯人がわかれば警察は取調べをやるではないか。どうもそのあたりを勘違いされているのではないかと思う。
ネタにマジレスという奴なのかもしれないが、たいへん不愉快なネタであるということだけは申し上げておきたい。競売業者がこういう商売をしていることは承知しているつもりだったが、堂々と日記にその様子を書かれると怒りを感じずにはいられない。
17日に開催されたウェディング問題を考える会 第1回総会ですが、前日になってようやく受付確認のメールが届きました。そして詳細な連絡が届いたのはなんと当日の早朝。私はメールチェックなしで家を出たので、読んだのは帰宅後でした。とはいえ、とにかく当日朝には届いていたわけで、ある程度は私の責任でもありましょう。あと、当日に道に迷ったのは完全に私の方向音痴のせい。地図は正確でした。
せっかく行ってきたので、何か書こうと思いつつ時間が経ってしまいました。既に詳細なレポートがたくさん出ていますので、私は個人的に印象に残ったことについて書きとめておこうと思います。
探偵ファイルはほぼ満席状態
と伝えていますが、これは事実誤認。INTERNET Whatch が伝える会場には会員、非会員含めおよそ90名の参加者が集まった。
の方が正確です。約200席が準備されていたので、かなり余裕がありました。ちなみに私の左右も空席でした。市民集会のようなギスギスした雰囲気はなく、参加者がみな落ち着いた態度だったので安心しました。
私が今回の総会に参加したのは、消費者原理だけで話をしない理性的な紀藤弁護士が、どのような理由で Beyond さんとその支持者を支援するのか、興味があったからです。期待に違わず、紀藤弁護士は強烈に厳しい現状認識を披露されました。弘中弁護士が慎重に言葉を選びつつも Beyond 支持者へのリップサービスに終始されただけに、紀藤弁護士の率直な発言には驚きました。(役割分担?)
プログラムに紀藤弁護士の講演は含まれていませんでしたが、幸い、質疑応答では弁護士代表として積極的にお話してくださいました。なかなか私まで順番が回ってこず気を揉みましたが、滑り込みセーフで質問できたので、以下、概要をご紹介します。(私の質疑応答が長引いて時間切れとなり、こせきさんまで順番が回らなかったことをお詫びします)
Beyond さんは株式会社ウェディングからの申し入れに対し、掲示板上での対話と各種資料の提示を求めたが、果たしてこれは企業にとって受け入れ可能なものだったろうか? また仮に話し合いが成立していくつかの記事が削除されたとしても、ウ社が削除を求めたすべての記事が消えることはありえず、非常に限定的なものとなったろう。Beyond さんとウ社の主張・希望には乖離が存在し、Beyond さんがウ社に一方的に譲歩を求める限り、裁判は避けられなかったのではないか。
今回、ウ社は諸般の事情を鑑み、Beyond さんに対し裁判を起こしたことについて「間違った方法だった」と述べたが、問題解決の方法として必ずしも裁判が間違いとはいえないはずだ。双方がこれ以上は譲歩できないというラインを提示したとき、そこに大きな段差があれば、裁判という手段が最後に残されていなければならない。話し合いは万能ではない。
三浦和義事件は、殴打事件においては有罪が確定したが、銃撃事件は無罪が確定した。その後、マスコミ各社が裁判に負け賠償金を払ったことはあまり知られていない。相変わらず大衆は三浦和義が殺害事件の犯人だと思っているだろう。そのこと自体はもはや仕方ないとすれば、明確な根拠のない憶測による中傷の被害者にとって、裁判以外に救済の道があるだろうか。
悪徳商法マニアックスや匿名掲示板(仮)では、「**は悪徳業者ではないか?」という類の憶測には簡単に賛同と信頼が得られる傾向がある。常連の参加者層が偏向している。初心者がこれらの空間を覗いたとき、果たして冷静な判断が可能か。悪徳と断定された業者への膨大な否定的意見に圧倒され、正当な判断が脅かされる不安はないのか。
安易に「読者が判断すればいい」とばかりいうのは無責任ではないか。
まず第1の質問について、Beyond さんが「必ず存在する資料の提出を求めたに過ぎない」と発言され、ウ社取締役の米盛さんは「企業として、不特定多数の匿名人物に向けて内部資料を出すことはありえない」と回答なさいました。また Beyond さんは「対話の限界を口にできるのは、実際に対話した者だけだ」とも仰いました。
Beyond さんは「多くの目がある場所で戦えば怖くない」との信念に基づき、公開でのやりとりを基本としています。ところが、これは事実上、対話を拒否しているも同然の姿勢です。Beyond さんと支持者が提出を求める資料には企業活動のノウハウが含まれますから、基本的に公開は不可能です。けれども潔白の証明に必要ならば、Beyond さんだけには見せるという決断はありえましょう。ところが、最近まで Beyond さんは匿名の怪人物であり、直接の接触は不可能でした。
相手が絶対に受け入れられない条件を提示しながら、「対話に応じず裁判を起こすのは大企業の横暴だ」と主張するのは無理筋ではないでしょうか。会の冒頭で、会長の山本さんが匿名から実名へと向かうネットの大きな流れをテーマにお話され、その後、弘中弁護士らから Beyond さんに実名公開を勧めた経緯の説明がありました。なるほど、話はここでつながってくるのでした。また応答の中で、紀藤弁護士が2ちゃんねる管理人のひろゆきを例に挙げ実名の利点を説明されました。
そして第2の質疑について、紀藤弁護士の応答を INTERNET Whatch の記事から引用します。
また、紀藤弁護士は講演後に行なわれた質疑応答において、今回の問題について「そもそも名誉毀損のルールがインターネットというメディアが登場する以前の社会状況に合わせたものであり、実態とかみ合っていない部分がある」と指摘。「新聞社や出版社などの企業が情報コンテンツサービスとして提供する情報と、個人がホームページやBlogなどで公開する情報とは切り分けが必要だ。企業が事業として行なう情報サービスは、情報の裏が取れているものと受け止めるのが当然だが、個人がサイトで公開する情報はあくまで個人が見聞した範囲で述べているもの。情報を受け取る側が予期する情報の信憑性に違いがある」と述べた。
個人による情報発信については、「たとえ個人サイトの上での発言でも、今の法律で名誉毀損で訴えられたら、裁判に勝つにはその見解が公益性を持っていることを証明しなければならない。個人レベルでそれを立証するのは到底無理だ。現在のルールでいうと、実質上は訴えた方が勝つという仕組みになっている。そもそも、訴えられただけでサイトを閉鎖するケースがほとんどだろう。ネットで個人が発信する情報は、雑誌や新聞といったメディアとは全然違うものだということを訴え、法的なルールとして対抗できる策を見いだしていかなければならない」とし、現行法の問題点を指摘。「インターネット上の表現の自由を考える会というようなものが必要ではないか」とも述べた。
なるほど、と思いつつ、やはり疑問も感じます。Beyond さんが「ウ社は悪徳業者だ」といったら、憶測発言であっても、なまじっかの雑誌よりも影響力があるではないか、と。個人の発言だから信頼されないとはいえないし、そもそも憶測の記述に意を込めた記事はマスコミにもたくさんあります。
しかし、よく考えてみると、ウ社が削除を求めたのは掲示板の匿名諸氏の発言でした。Beyond さんの発言ではなかったのです。果たして、それらの個々の発言にどれほどの信憑性があったか、というと疑問が残ります。そこで登場するのが Google です。「株式会社ウェディング」で Google 検索したとき、かつて上位に登場したのは匿名掲示板(仮)の当該スレッドでした。Google が匿名諸氏の発言に重大な意義を与える役割を果たしていたのでした。
何らかの理由で影響力の大きな個人は実在します。個人的発言だからといって一概に責任を免除することに、私は賛同できません。大勢の信頼を集めるようになった発言者は、相応に慎重な発言を心がけてほしいのです。また企業は無尽蔵に裁判費用を捻出できるわけではありません。天下のソニーだって、WWW からソニータイマーという中傷を撲滅することは不可能です。現実問題としては、9割以上の人々にとって、WWW は日常会話と同程度に何でも発言できる場であり続けるはずです。
つまりその意味で、私はこのウェディング問題はレアケースに過ぎないと考えています。私はむしろ、紀藤弁護士の提案する法改正によるネット言論の保護によって、大手の煽動サイトが無責任な言論を流すようにならないか心配です。
……というわけで、じつは INTERNET Whatch の記事の過半は、私の質疑に対する紀藤弁護士の応答からできています。もし私が質問していなかったら、どんな記事になっていたのでしょうね。
恐ろしく見づらいデザイン……。もうちょっとどーにかならんのか。
読み終わった本は、廃品回収に出すか売るかしている。だから、読むだけ買っていれば蔵書は増えないはず。ところがふと気付いてみたら、4畳半1間で生活しているのに、2畳が本の塔の下に消えている。いい加減、どうにかしたいと思った。月に10冊しか読まないのに、近所の古書店では1冊50円で本が買えるのをいいことに、毎週4冊も5冊も買ってくるのがいけないのだ。久々に、「買ってから半年以内に読了できなかった本は全部廃品回収に出す」作戦を決行するしかないかも。
ちなみに。近所の古書店だって、どんな本でも50円で売っているわけではない。それくらいの値付けじゃないと売れやしない本だけ50円なのだ。つまり、買取はしていないということ。引越しの出物などをまとめ買いする際に、仕方なく引き取ってきたというわけ。なので、読まないから売る、という選択肢はない。
上司がいないところでは上司の陰口、先輩のいないところでは先輩の陰口、同僚のいないところでは同僚の陰口、後輩のいないところでは後輩の陰口。世の中、そういう風にできているので、いちいち陰口をカミングアウトする必要はありません。困ったときはお互い様、つまらないことにはこだわらないのが吉です。贈り物を突き返される悲しみを、思い出してほしい。
罪悪感にとらわれて差し伸べられた手を振り払うくらいなら、最初から陰口など叩くべきではない。潔癖に生きたいのなら、出口だけ掃き清めるのでは片手落ちではないでしょうか。
どうせみな大なり小なり罪作りな生き方しかできないのだとしても、正しく生きるために罪を作るなんてことは、なるべく避けてほしいと思う。
多くの Web サイト制作者は、「HTML は機械に読ませるもの」だという認識をしていません。「人間に読ませる、"ホームページ" を作るためのもの」だと思っています。それで、「HTML 文書を書く」のと、「ホームページを作る」のは、違う目的だと考えたほうがいいんじゃないかと思ったりします。
人間は「気まぐれに文字の色を変えたくなったり、意味もなく飾りの画像を表示したくなったり」するし、読む側も、適宜「どういうつもりでこうしたのか」解釈していきます。そこに「書かれた要素の意味を、一々 "機械に" 教えてやらなくちゃいけない」なんてことを言われて、すぐに納得して了承できる人間はそうはいないと思うのです。そして、「気まぐれ」や「意味もなく」をやるのに CSS は不便で、「その場の思いつき」で <font> タグを書いていくほうが簡単だし#1、テーブル要素が機械にとっては「表」なのかレイアウト用の「グリッド」なのかなんて、どっちでもいいことだと感じると思います#2。
備忘録でも"いろは"でも繰り返し書いてきたことですが、大切なことだと思うので、こうした意見は何度でも紹介していくつもりです。あなたの好きな要素(HTML)は?にも書いたことですが、正しいやり方を理解するのも、正しく教えるのも、簡単なことではありません。
認識の有無が問題ならば、認識させればいいんじゃないか? とは、あまりに単純な意見で、それができれば苦労しません。だから、引用した文書の展開も、人間に読ませることしか考えない人々の存在をそのまま認めつつ、対策を考えていこう……となっています。けれども、私はその方向に答えはないと思っています。HTML をある程度まで理解していることを前提に、マークアップ作業の簡素化を狙うという方向性しかありえないのではないか、と。
けれども私は、そう思わない人が挑戦するのを邪魔するつもりもありません。頑張ってください。
Beyond さんがインタビュー記事を公開して、週末社長(管理人:米林)へのアクセスが急増中。ココログのデザインも私はあまり誉めませんが、週末社長のデザインはなかなか凄いですよ。画像非表示を基本としている私の環境では、当初、ほとんど何も表示されませんでした。探せばこの手の HTML 文書は WWW にたくさんあるのですが、不意打ちでやられると未だに衝撃を感じます。私はまだまだ修行が足りませんね。
悪マニ本体でも別の週末社長へのインタビュー記事が掲載されています。紹介されたところはいずれもアクセス急上昇。
び「松岡さんのページには、『私は、佐賀県に住んでいる松浦です』って書いてますよね?誤字ですか?」
松「いえ。あれは、グループのホームページで、松浦さんはグループのリーダーです」
び「グループって、良く分かりませんが、あれは松岡さんのページではないのですか?」
松「最初のページだけが、私のページで、あとはグループで共通で使っているページに行くようになっています」
び「じゃあ、ポルシェがどうとかは、すべて松浦さんの話と言うことですか?」
松「ええ、そうです」
ということだそうなので、おかしな HTML 文書の作者は松浦さんなのかな。
虚像
ではなく実像ではないのか。それから、平和立国
といって防衛費の大幅削減を主張してきたのは旧社会党系の方々なのであって、政権党の自民党は基本的に「平和の維持にはコストがかかる」という認識に立ってきたはず。その辺をごっちゃにしているのは、国民の問題だろうと思う。広報不足という見方もあろうが、そういう人の何割が防衛白書を読んでいるのか。情報を押し付ける手がない以上、国民が自ら情報収集する気概を持つしかない。せめて、もう少し。
ところで、最近の防衛白書はフルカラーできれいです。その代わり、値段もそれなりに上昇中なのですが……。
私はさもしい人間なので、もし自分が繁盛のヒミツ
を知っているなら、絶対に他人にタダで話したりしない。いや、有料でも話さないだろう。なので、儲け話にはいちいち身構えてしまう。まあ、それくらいがちょうどいいのだろうと思うわけだけれども。
- 相互リンクのお願い
徳保隆夫様
初めまして、増地崇志と申します。このたびこちらのサイトを拝見し、私のHPにてリンクをさせて頂きました。
サイト名「まだ儲からない喫茶店を続けますか?」繁盛喫茶店のためのメルマガを書いております。
よろしければ徳保様のサイトでリンクして頂けないでしょうか?その際には「繁盛喫茶店のヒミツ」というタイトルでお願いいたします。
どうぞよろしくお願いします。
増地 崇志
当サイトの何に興味を持たれたのだかわからないのだが、ひょっとすると Design 講座だろうか。確認してみると、たしかに、リンクされていた。けれども、これは大方、相互リンク狙いの捨てリンクだろう……と感じた。もちろん、真実は不明だ。しかし、リンクの仕方が下手なのは事実だ。現在のようなやり方で、「リンクしてくれてありがとう!」と私が感謝すると考えていらっしゃるのだとすれば、メルマガの内容も推して知るべし、といってよい。
というわけで、メルマガのバックナンバーを読んでみた。他愛ない内容だった。が、他愛ない内容の話は間口が広い。朝礼のネタにちょうどいい感じだし、飲み屋の雑談にも便利かもしれない。あまりおおまじめに読まないよう気をつければ、まあ害はないか。(たいていの儲け話は、まじめに読むと大火傷の元/要注意)
24日午後、都内某所で将宗さんにおいしい蕎麦定食をおごってもらいました。それからスパロボで遊ばせてもらって、その合間に TRPG のリプレイ本を読みました。面白かったです。お土産に5年間かけて集めたという音楽ファイルをたくさんもらいました。どうもありがとうございました。
というわけで、上記スレッドに登場する徳保は本物です。
将宗さんは屑DEATHに行きたかったなーと仰っていましたが、お仕事が忙しく睡眠時間が足りないとのことで、PC に向かって作業されながら眠りに落ちるという高等芸を連続で披露されました。多分この様子だと、会場に行こうとしても駅を寝過ごしてしまって永遠にたどり着かないだろうと思いました。で、(代わりに?)私に屑DEATHへ行ってはどうかと提案されましたが、私は多分オタクじゃないので意味がないような気がしました。というか、作業が終わったのが午後7時頃なので、時間的にも無理だったのでした。
何はともあれ、5年分のデータのほとんどを無事にサルベージできてよかったです。サイトも遠からず復活されるでしょう。将宗さんの TRPG 仲間の方々には朗報かと思います。
会社帰りに寄ってきました。今晩、上司は徹夜で実験に没頭しているというのに、平社員の私はさっさと退勤して中華ちまきを頬張りながら楽しい映画鑑賞。幸せな罪悪感。ごめんなさーい。
週の半ばごろに、一通の小包が届いた。差出人は高校時代の美術部仲間、大野尚人だった。茶封筒を開封すると、中から出てきたのは1本の VHS テープと手紙。なんと大野くんは現在、映画監督を目指すドリーマー(フリーター)なのだという。学生時代を映像製作に捧げ、「天子のしっぽ」で法政大学映画祭大賞を受賞し井土紀州監督に絶賛されたが、世間的にはまだまったくの無名といっていい。
そうか、消息が途絶えていた彼も、こうして頑張っていたか! さわやかな感動に胸がいっぱいになったが、私の部屋にはビデオデッキはおろかテレビさえない。さて、どうしたものかなあ……と思ううちに、金曜日になった。仕事が一段落したのが午後7時。「そういえば、三悪映画宇宙の日だったよなぁ」と、ふと思い出した。ふらっと会社の門を出て、取りとめもないことを考えつつ歩みだす。次に気がついたときにはもう、帰路とは逆方向の電車に乗っていた。
金曜夜の新宿の喧騒は池袋とは段違いで、駅舎を出た途端に我に返った。会場のロフトプラスワンって、どこ? アルタの方へ進めばいいのだとは聞いていたけれど、アルタというのがどこにあるのだかわからない。東口を出たことは間違いなくて、それなのに「新宿アルタ」という大看板はひとつも見当たらない。泣きそうになった。こういうときは足で勝負だ。あてどもないのに、横断歩道を渡って歩き出す。と、百果園のネオンが前行く人の頭の上に! 助かった!
最後の関門が劇場前に待っていた。蕎麦屋とコンビニの間にロフトプラスワンはあるはずなんだけど、探し方が悪いみたいで、風俗の客引きのお兄さんに声をかけられるばっかりで埒があかない。いっそこのお兄さんに場所を聞こうかと思ったのだけれど、それだけですまないような気がしたのでグッと堪える。しばらくビルを遠くから眺めて呻吟していたのだけれども、ひとつひとつ看板をていねいに読んでいったら、ようやく見つけた地下2階。うわ、そんなところなのかよ。ていうか、看板が小さいよー。
というわけで約50分遅れの7時50分頃に会場入り。画面では「ロッキー3」を上映中だった。ううむ、面白い。でも、こっちは会場に到着して安心した途端に空腹に襲われていてもたってもいられない気分。中華ちまきとくろう茄子を注文する。名作映画のパロディもひたすら食べながらの鑑賞。宮本さんが麻草さんに惨殺されたとき、私は茄子をパクついていた。「あーっ、ザ・ニンジャが見せ場もなしにやられてしもうたモゴモゴ」いや、おいしいんだ、これが。次回があれば麻草さんお勧めの鶏蒸し飯に挑戦しよう。
で、麻草さんのタイトルでネタばれという「すごく怖いホラー作品」の頃には追加注文のフライドポテトが到着。我ながらよく食べるなあと思いつつ、画面に見入っていたわけだけれども……うははは、口の中のものを危うく噴出すところだったじゃないか。多分、私はベタな展開のコメディーが好きなんですね。くるぞくるぞと思って身構えているのに、予想を上回るバカバカしさでやっちゃってくれるというような。まったく先の読めない作品も、もちろんいいのですが。
さて、休憩時間になったときには私は満腹。幸せな気分。あとは適当に飲むだけ。というわけでジンジャーエールを注文。
名作劇場のあたりでサイキさんがやってきて隣の席に座ったのには、予想の範囲内とはいえ微妙に驚いた。まさか席までこんなに近いとは。で、休憩時間になって後ろを振り返ってびびったね。なんで橋本ぽよさんとことこさんまでいるのよ? いや、会場内にいてもおかしくないけど、半径1メートル以内に知った顔が3つてのは多すぎる。
で、本日のメインディッシュ、豪華長編3本立の上映が始まったのだけれども……ぶわはははは! おもろい。これはおもろい。小和田明監督のことは今日初めて知ったのだけれども、「殺す屋」は素晴らしかった。一週間の疲れが吹き飛んだね。手塚治虫システム(作品は変わってもいつも出演者が同じ)がまた見事にはまってその……。いやー、これ見る前に食事が終わっててホントに良かったと思った。
次のリュースケ監督作品も興味深く見ました。金魚が、ラスト近くであのような形で再び出てきたのはアッと思った。サイキさんが「うまい……」といっていましたですよ。個人的にはじつは「青空」の方が印象に残っていたりして。どうやってこんな部屋を用意したんだろー、みたいな。引越しシーズンを活用した作品だったという種明かしに納得。
で、麻草監督の「片目猿」にまた爆笑。全般的にいえることなんだけど、漫画の世界をそのまま実写に持ち込むというのは、笑いの基本形のひとつであるらしい。白々しい台詞回し、ありえない手足の動き、決めポーズに作った表情、全部笑える。砂の中から出てきた***で、もう笑い疲れました。うひー。エンディングの「戦って、笑え」も麻草作品。いやー2大看板俳優(いや、冗談でなく)の片山・樋口の魅力が詰まった1本。みなさん出演されてましたし、エンディングにぴったりだったと思う。
というわけで、たいへん面白かったです。多忙につき途中で帰ってしまったぽよさんは残念でした。多忙といえば、宮本さんもこのところ忙しいのだとか。人質解放のニュースを超速報でクリッピングされていたし、このところ更新が多くて嬉しいので、しばらく暇な生活が続いてほしいなあなんて勝手に思っていてすみません。でもなんだかお疲れのようだったので、どうか無理はなさらず(……と、ここで書いておきます)。
それから、麻草さんの期待に反して男性でごめんなさい。サイキさんは「おっぱいありますよ〜!」の客引きに絡まれ過ぎ。知らん顔でスタスタ歩いていってしまってごめんなさい。
……ううむ、テキストサイトっぽいオフレポが書けたぞ。これで一区切りってことにしよう。
あ、大野くんの VHS テープ、まだ見ていないんだよなあ(これを書いているのは月曜日です)。いつ、どこで、どうやって見よう? そういえば、もうすぐ GW だね。実家に帰って見るかなあ。やっぱり、テレビとビデオくらい買うべきなんだろうか。何はともあれ、大野くんの未来に幸あらんことを。
有名人のやっているブログをときどき覗いてみると興味深いのは Trackback を追いかけるだけでざっとネット上での反応をチェックできること。もちろん、室井佑月のブログなら、基本的にはそれを読んでいる誰かの意見しか Trackback されないのだろうから、一定の偏向はあるだろう。それでも、便利になったものだ。
もちろん、blogmap のようなサービスを使うのが本道ではあるだろう。しかし、それほど調査意欲のわかない場合、巡回範囲とそのリンク先(今回紹介した室井佑月さんの文章は巡回先のリンク先)くらいの世界にこうした関連記事クリップ集が出てくるのは、ありがたい話ではないかと思う。
最近のリンク元からいくつかご紹介。
最近また盛り上がりつつある CD の輸入権の話題です。CD の還流問題と著作権法改正の動きについて。という記事が発掘されています。私の意見なんかを引っ張り出すところを見ると、おそらくよほど改正案に賛成するサイトが少ないんですね。仲間が増えないことは諦めるとしても、消費者は近視眼だからとDVD-Audio についての追加はお願いしたいところ(とくに前者)。
私、最近半年あまりは山田 BBS に何も書いておりません。ただ、以前には何度か書いたこともありますが。
対談系の記事はあまり読まないのだけれども、じつは「当たり」の確率は平均より高いんじゃないかと思っています。それなりの人が呼ばれて、自サイトで書いていないようなことをけっこうボロボロと出してしまうわけなので。
今後の発展に期待してご紹介。
ローカルで簡単に HTML 文書を作成して、ボタンひとつで FTP できるというツールです。この手のソフトはいろいろあるわけなんですが、ブログっぽいことをするのに向いているという意味では、たしかにこれは完成度の高いソフトだと思います。
私の場合、毎回きちんとローカルで文書を作成して、1話毎に MT の編集画面に貼り付けています。使い慣れたエディタで文書を作成でき、ローカルにログも残り、FTP も不要で、まったく申し分ありません。で、ときどきローカルのログもサーバに上げています。古いログから URI を類推されれば、簡単にたどり着けますので、興味のある方はそちらもどうぞ。表に出していない(?)記事もいくつかあります。まあ、ご覧になれば、つまんない話だから出さなかったわけね、と納得されるかと。
実家の庭にも植わっている花のきれいなハイビスカスは、英語で書くと hibiscus だったような気がする。それだけ、ちょっと気になった。
私は面倒くさがりなのでスクロールが好きでない。そこでブラウザを最大化し、文字を自分が読める最小サイズに設定し、ユーザスタイルシートで目いっぱい1行字数を増やして HTML 文書を読んでいる。1行字数は30字程度が読みやすいなどといわれる。一般論としては正しいのだろうが、私自身は賛同しない。
ところが私は、あまり長い段落も好きではない。200字程度書いたら段落を分けてほしいと思っているし、自分も概ねそうしているつもりだ。
その一方で、ひとまとまりの文書を分割されるのはスクロールよりもっと嫌いで、許し難いとさえ感じることがある。回線が細いので、リンクを辿るたびに1分以上も無駄に待たされることがしばしばだ。非常にイライラさせられる。
それでいて、長文は大好きだ。書籍というメディアは素晴らしいと思う。
以上の独白は一見矛盾しているようだが、じつはそうではない。優先順位の問題なのだ。私は長文が好きなので、長文を理由とするスクロールは許容する。しかし1行字数を減らした結果としてのスクロール量増大は望むところではないし、親切で文書を分割されるのは大きなお世話だ。書籍の場合、分厚くて文字が詰まっている本は好きだけれど、下半分がスカスカの本は嫌いで、薄っぺらい本に分冊されることには怒りを感じることさえある……わけだ。
私は自身にとって読みやすいデザインを追求した結果、マルチカラムを基本的に避けるようになった。現在のデザインが多くの方にとって読みにくいものかもしれないことは、もちろん承知している。ただ、シングルカラムのデザインを好む人は割合としては少なくとも、人数は数百万人いてもおかしくない。世界中の Web サイトがマルチカラムのデザインになってしまったら、その人々は悲しむだろう。
というわけで、私は私の好きなデザインを追求していけばいいのではないかと考えている。
特定層に対して最高のパフォーマンスを提供したいと考えることは、間違いとはいえないと私は思う。1行30字程度が読みやすいと考えている人が世の中に多く、そして現にその声に応えたデザインを採用している Web サイトが少なくない現状において、誰もがひと手間かければお望みの表示結果を得られるという考え方を閲覧者に啓蒙しても、その言葉は届かないことが多いだろう。
端的にいって、閲覧者の究極の希望は、製作者が閲覧者の好きなデザインの範囲内で個性を発揮してくれることだ。製作者と閲覧者のセンスの差を、閲覧者側の努力で埋めていくなんて面倒なことはしたくない。けれども、閲覧者の希望には個人差があり、1行字数ひとつとってみても、これが正解だという答えはない。結局、どんなデザインを採用するにせよ、特定の層にしか受けない。
例えば、リキッドデザインをみなが喜ぶわけではない。閲覧者は、自身にとってベストと思われる横幅が予め設定されていることを望むものだ。SXGA のモニターを使用しブラウザを最大化しながら、本文領域の横幅は 600px くらいがいい、と思っている人もいる。リキッドデザインだと表示領域に合わせて本文領域が広がるが、1つの文書はせいぜい数分しか読まないのだから、いちいち表示領域の横幅を好みに合わせて修正したりはしない。閲覧者が横幅を調整可能だからといって、実際問題としてどうかといえば難しい。面倒との兼ね合いになるからだ。
現状、大半の人は Windows 版の IE6 で PC 向けの HTML 文書を利用している。モニターの解像度は 1024×768 以上で、ブラウザの表示領域を最大化もしくはそれに準じた大きさに広げている人が多い。その一方で、1行字数は 30〜40 程度が読みやすいと考え、またマルチカラムデザインによる本文領域と周辺情報の切り分けを直感的に理解できる人が多い。そしてほとんどの閲覧者は面倒くさがりで、かなり気に入らないデザインであっても自分の努力で解消するというアプローチを拒否し、むしろ情報収集を断念する傾向がある。
本文と直接には関係のない周辺情報のリンクを大量に生成する傾向にあるブログツールが、デフォルトでマルチカラムデザインを採用するのは、こうしてみると故なきことではない。
以前にも紹介したサイトなんだけれども、田中さんは国際問題の専門家で、よく新聞やテレビにコメントを寄せていらっしゃいます。で、この方もまた、多くの専門家と同じく、基本的には日本にいらっしゃるわけですよ。じゃあ、どうやって情報収集なさっているのか? って、疑問が出てきますよね。
勝谷誠彦さんは、なにかというと独自の人脈とやらで現地の情報を仕入れているとかお書きになるのだけれども、詳細はたいてい伏せていらっしゃる。張ったりなのか本当なのかよくわからないのだけれども、いちおう信じておくことにします、私は。
で、田中さんの話。
結論からいうと、ようは世界中のニュースを読んでいるんですね。田中さんの記事には、世界各国のマスコミサイトの記事へのリンクがちりばめられています。まあ、それしかないわなあ、といえばその通り。でも、なんとなーく、「それでいいの?」と思わないでもありません。
Folio Vol.5 がようやく出ました。ぜひご一読ください。私は「このミス」回答サークルの素顔拝見と"いろは"の先の CSS 第5回を書きました。
素顔拝見で取材(?)したのは関西学院大学ミステリ研究会です。公式サイトは読書会のテープ起こし(!)など面白いコンテンツがたくさん用意されているので、本格ミステリファンの方は一度訪問してみる価値があるのではないかと思います。
"いろは"では初めて企業サイトの Web Designing 広報サイトを題材にしましたが、昨日発売の5月号に数十字くらいのコメント付で"いろは"が紹介された記念です。サイト批評サイトリンク集は過去にも何度か出版物で紹介されているのですが、CSS 解説関連では初めてだと思います。それにしても、書籍の編集者は全然連絡なんかくれないのに、雑誌の編集者は偉いですね。7万部出ているそうで、そりゃまあ1000部しか出ない書籍とは編集体制が違うのでしょうけれども。サイト批評サイトリンク集は(たぶん)書籍で紹介されたことしかなくて、いつも書店で「あ、載ってる!」と驚くばかりでした。
それはともかくとして、今回の Folio の目玉は MYSCON5 レポートだろうと思います。で、スタートダッシュでアクセスが集中しているのはチラリズムという芸なんですね。ううむ、たしかに面白い。どちらもお勧め。
1週間ぶりの更新ですね。ここ1ヶ月ほど、ちょっと更新しては数日休むという繰り返しです。たしかに更新したらそれなりに読まれるのですが、休んでも不思議と客足が落ちないんですよね。たまたま、そういう記事を書いてきたということもあるのでしょうが、とにかくここしばらく、やたらとリンクされることが多い。で、たいていリンクされるのは休む直前の日の更新なんです。記事をバリバリ書いて、どんどん過去ログ送りにするってのは効率悪いかなー、と思ったり。
でもまあ、この備忘録は書きたいことがあれば、そして書ける状態にあれば書くという方針なので、いったん書き始めたら算段なんて吹っ飛ぶわけですけれども。
何はともあれ、イラクで誘拐された邦人がみな解放されたことには安心しました。これで皆さんも安心してあれこれ書けますね。寝覚めの悪い展開は、おそらくもうありえないわけですから。
ところで、前回の更新にどこのサイトだったか忘れてしまったのだけれど、「今回の事件はイラクから真実を伝える NGO やフリージャーナリストを追い出すための謀略」という意見を読んで目から鱗が落ちた。自作自演説の反対側に、そういったモノの見方があるわけだ。なるほど、と感心する。
と書いたのが注目されて、たくさんリンクされましたが、オリジナルの筆者に申し訳ない気分。ただ、いったんそういう目で情報を捉えなおしてみると、情報不足の一般人が陰謀論を語る虚しさみたいなものを感じずにはいられませんでした。
今回の事件、私が最初に疑ったのは自作自演でした。けれども、よくよく考えてみると、それは私にとって一番都合がいいんですね。自作自演なら、人質は安全なんです。政府(またはアメリカ)の謀略だったとしても同じです。あるいは、どうせ「被害者」なんてのはどうなろうと自業自得、って意見はそれはそれで理解できるけれども、そればかりいうとすれば、自衛隊派遣を支持した人間として都合が良すぎませんかね。
私はフセインがひどい独裁者だったとしても、そんなことを理由に侵攻して政権を倒してしまうことには反対でした。ビンラディンがアフガンにいて、アメリカが復讐のためにこれをやっつけるというのはよくわかる。ビンラディンをかばうからタリバンもやっつけてしまう、これもわかる。で、ビンラディンを支援していた証拠のないイラクをなぜやっつけなきゃいかんのか。イラクが大量破壊兵器を持っていて、しかも金さえ出すならどんな相手にも売ってしまうのだ、みたいな話があった。つまり、イラクの大量破壊兵器は、全世界の脅威である、と。そして、フセイン政権を打倒しない限り、この状況は変化しないらしい。……であれば、戦争やむなしと私は思いました。でも、結論からいえば大量破壊兵器は出てこないし、ということはつまり、フセイン政権が世界の脅威ではなかったことになりますね。
フセイン政権を打倒してイラク国内をボロボロにしちゃったものは、今更どうしようもなくて、自衛隊をイラクに派遣して復興支援することには賛成せざるを得ない。けれども、後ろ向きでしか、賛同できないんです。で、そういう状況下で邦人誘拐事件が起きました。
仕方ない、仕方ないといってここまで進んできたけれども、本当でそれでいいのか、と、立ち止まって考えるきっかけになりうる事件でした。けれども、事件発覚の直後から、これはもう自演説で決まりでしょ、と思わされる情報がたくさん出てきて、すっかり考えるのが面倒くさくなってきてしまいました。いくら真剣に考えて覚悟を決めたって、どうせ人質は無事に解放されるんでしょ、って。で、逆方向の政府謀略説には目をひかれたけれども、結局それも「人質は無事に解放されるよね」と弛緩してしまう材料にしかならなかった。
そうやって、考えないまま事件が無事解放という展開を迎えて、私は相変わらずモラトリアムの中に生きているわけですよ。きっと、人質が惨殺されたって、私は自衛隊は(少なくとも今すぐには)撤退するな、という結論を選んだろうと思います。それは予想できるのだけれど、そういう方向性を支持するってことについて、自分の中でもう少し、何らかの覚悟みたいなものが形成されていたんじゃないか。
なんかですね、余計なことに気を取られて、最初に悩んでいたことについて、なーんにも考えないまま緊張が解けてしまって、こんなんでよかったんだろうか……と思っているわけですよ、私は。
いつものように反論ページが作られていたので、興味のある方はどうぞ。あの、あんまり市民団体系の方の行動パターンをご存じない方に説明しておきますと、けっこう、こうしてお勉強なさっているんですよ、市民団体のまじめな方ってのは。南京事件とかですね、原発とか、いろいろ典型的な話題ってのはあるわけなんですけれども、末端のおばちゃん達とかがまるっきり無知で感情論を唱えているだけなのとは対照的に、ちゃんとお勉強を担当されてる方がいるんです。役職とかではなくて、天分として。
ざっと読んだところ、興味深い内容ですが「自作自演ではない」と証明するものでもありませんでした。しかしモノの見方もいろいろあるのだなあ、と勉強になります。
いずれも芸風が定まっているサイトですから、読む前から何が書いてあるかわかるんですね。でもまあそれはどうでもよくって、読者としてどう考えていくかが問われているのだと思います(無意味な結論)。
泣き言を書くと、フセインが亡命すれば侵略しないよとアメリカはいったのだから、フセインがその提案を受け入れていればバース党を主体とする行政組織もイラク軍も崩壊しなかったわけで、イラクの復興なんていうつまらない仕事は必要にならなかったはず。ありえないシナリオながら、その奇跡が実現していたらなあ、と思ってしまうのでありました。
この手のスレは話が延々とループするので、きちんと読めば繰り返し学習になって都合が良い。
いわゆるひき逃げには救護義務違反と報告義務違反があって、今回の事件では「被害者は即死→救護不可能→救護義務違反には問われない」と地検は判断した。ところが遺族支援者らの訴えが通り、地検判断が覆った、という話。いずれにせよ、ひき逃げには違いないので、スレの元になった記事は煽り気味。ただし、同じひき逃げでも救護義務違反があるかないかは、量刑に重大な差をもたらす。(道路交通法 第72・117・119条)
で、裁判のポイントは、まず過失致死と報告義務違反は明らかとして、被害者は即死であったという判断の妥当性にかかっている。正式に死亡を判定できるのは医師だけだが、誰がどう見ても死んでいるとしか思えない状況であれば一般人の判断も妥当とみなされる。果たして即死という判断は無理のないものだったか否かが争点になる(なお事実としては即死だったようだ)。でまあ、そのあたりの判断次第で、最長の刑期が5年3ヶ月から7年半へと延びる。遺族としては、少しでも刑期を長くしたいから、救護義務違反にも問いたい。
……ということらしい。
ちなみに、ひくなら即死させた方が得、というわけではない。回避動作を怠って、わざと死亡事故を狙ったら(例えばブレーキを踏まずにアクセルを吹かすとか/これはブレーキ痕の有無でバレる)、殺人罪になって刑期はドカーンと延びる。また、逃げたってどうせ捕まるのだから、きちんと警察に報告した方がよい。というわけで、結論は常識的。
また、この事件は自爆による転倒事故を起こした被害者を避けきれずにひいたものなので、被告は現場から逃げさえしなければ相当に軽い判決になったことが予想される。脊髄反射で「殺せばひき逃げにならないって!?」と怒るのは早合点。被告は結局、逃げたために人生を棒に振ることになったのだ。
イラク邦人人質事件で、「サラヤ・ムジャヒディン(戦士旅団)」を名乗る犯人グループと、人質となった北海道千歳市のボランティア高遠菜穂子さん(34)との間に接点があった可能性が浮上した。
あの緊迫感に欠けるナイフ押し当て映像(国内メディアは未放映だが今井さんが手を拘束されていないので驚いた)から連想された通り、「被害者」と「犯行グループ」は(少なくとも心情的には)共闘関係にあったのだろう。「犯行グループ」は「被害者」と寸分違わぬ主張の声明を発表し、24時間以内の解放を発表した。自衛隊は撤退せず、「被害者」は奇跡の生還を果たす。当然、これで一件落着とはならない。「被害者」にとって、いよいよこれからが正念場となる。
ミラクルエンディングなんてものは、通常、まともな理由では現実化しない。世の中、「被害者」の家族のような素直な人間ばかりではない。「被害者」は今後、徹底的に疑いの目で見られることになる。……しかし、きっと「被害者」はいろいろ喋りたがるだろう。私は密かに期待していたりする。
ただし、勝谷誠彦の××な日々。の昨夜高名なジャーナリストから今回の事件が自衛隊撤退を狙った自作自演の「芝居」ではないかとの指摘を受けた。氏の解説にはなるほどと思わせるところもあった。しかしもしそうだとすれば日本の市民運動というものはこれで壊滅する。
という予想は必ず外れる。70年安保世代の子どもたちは、それでも市民運動の精神を支持するからだ。
よく知られているように、民主党は若い世代に人気がある。何の失政もなくたって、自民党政治の(一時的な?)終焉は時間の問題だ。最近の選挙において比例代表の比較第1党は民主党だ。自民党ではない。かつての社会党と異なり中道路線を基本とする民主党は、米国の民主党のように幅広い支持を集めつつある。日本の社会は、米国のように2大中道政党の対決という図式の裏で、極端な意見の分裂が進むことになる。
仮に自作自演が明らかになっても、「正しい目的のために勇気ある行動を取ったのだ」という真正面からの擁護論が出てくることは目に見えていて、そのような状況を想像もできないらしい勝谷さんは古い人間なんだろう。もちろん、朝日の社説などにそういった意見は出てこない。これからの時代、超大手のマスコミは右も左も中道路線を歩まねば商売が立ち行かないのだから。しかし、その裏で何が育っているか、きちんと見つめるべきだ。
日本赤軍は完全に国民の支持を失い、成田闘争も大筋で解決の方向だ。かつて朝日新聞が楽園と喧伝した北朝鮮も、今や怒りと哀れみと嘲笑の対象でしかない。過激派を切り捨てて、平和主義・個人主義・反権力・反権威の市民勢力は、新たなステージへと駆け上りつつある。
クライン孝子の日記は「利用された」派で、「被害者」に同情的な立場をとってはいる。しかし、個々の記事は手厳しい指摘を内包している。とくに脅迫映像を収めた CD-R の手際よい作成に関する疑念について、詳しい。
クライン孝子さんはヤバげな発言は読者にさせるのがお得意で、マスコミで活躍されている方はさすがでありますなー、と。まさか、著名人がこれほど堂々と(読者の意見というエクスキューズをつけるだけで)根拠不詳の自作自演説を紹介するとは思わなかった。以下は、クライン孝子さんの日記で紹介された情報の一部。
- [208] ヒミツの大計画!(笑) 投稿者:今井です 投稿日:2004/04/07(Wed) 09:57
今日は週刊朝日の記者さんと知り合いになりましたよ!アンマンで取材されているフリーライターなんだって。
とりあえず仲良くなったところで、郡山さん(記者さんね!)が、あるとっておきの計画を持ち出したよ!これってサイコーかも?(笑)
歴史に名前を残す大偉業のような気がする!一緒に聞いていた高遠さんも乗り気みたいだし、これはやってみる価値アリだとおもうね。
そのうち日本でもニュースになると思うから、チェックしてね
私も、これは某所で目にしました。でも、本物かどうか判断がつかなかったので、黙っていた。でも、なんというか、あっけらかんとしたクライン孝子さんのやり方をみていたら、こういう怪しい情報の拡散を自己規制するのもバカバカしくなってくる。
ところで、今回の事件は日本のブログで広範に話題となったわけだけれども、これだけ大きな話題となると、ちょっと Trackback などを辿るだけではなくて、全体の傾向を知りたくなってくる。ところが、それがなかなか難しい。
一番、多くのブログの記事へリンクしているのが、こちらの Wiki だ。100以上もの記事がリンクされているが、これでも全然足りない。勝谷誠彦の××な日々。さえ登録されていなかったので、九十九式の記事などとともに追加しておいた。この Wiki がもっと有名になって、より多くの人が自発的に自分の登録してくれたら嬉しい。このリンク集は Wiki を使っているので、誰でも内容を追加・削除できる。
やはりこういうことは人海戦術でやるべきで、みな人任せにせず、どんどん情報提供してほしい。
えーと、どこのサイトだったか忘れてしまったのだけれど、「今回の事件はイラクから真実を伝える NGO やフリージャーナリストを追い出すための謀略」という意見を読んで目から鱗が落ちた。自作自演説の反対側に、そういったモノの見方があるわけだ。なるほど、と感心する。こうした発見があるから、クズ石っぽい意見も念のために全部収録するリンク集には、存在価値がある、と思う。
あと、俗なことを書くと、なまじっかの Trackback よりはアクセス増につながるので、そういう期待を込めて登録するというのでも構わない。とにかく登録数が増えたら、私は喜ぶ。
Web 版には掲載されていないのだけれども、昨日の産経新聞朝刊では識者が踏み込んだ表現を含む解説を寄稿していた。記者ではなく識者に語らせるあたり、いつもながらうまいやり方だ。昨日の朝刊はもう買えないということもあり、少々の無理を押して全文を引用する。
- 4つの不可解な点 (寄稿:一橋大大学院 内藤正典教授)
イラクで三人の邦人が誘拐された事件については、一市民として人質の解放を願わずにはいられない。しかしながら、メディアを通じて得た情報を分析するかぎり、この事件にはいくつかの不可解な点がある。
第一に、ほぼ同じときに拘束された韓国人牧師らの一団が、ほどなく解放されたのに対して、日本人が解放されていない点である。直前に拘束されているからといって断定はできないが、韓国人を拘束した組織も「ムジャヒディーン(聖戦士)」を名乗ったという。もし同じ組織による誘拐ならば、拘束された日本人が、アメリカの占領や自衛隊の派遣に明確に反対しているのに、なぜ解放されないのだろうか。
報道によれば、人質のうち二人は、イラク市民への支援活動をしており、韓国人と同様の主張をすれば解放してもおかしくない。脅迫文によると、日本は友好を裏切ったとあるが、韓国軍がイラクに駐留しているにもかかわらず、それを批判した形跡もない。
第二に、脅迫文の論調が、これまでのイスラム過激派のものとはかなり異なる点に奇異な感じがする。日本人は友人だったし、好きだった。しかし自衛隊派遣でアメリカに追随し、イラク人を裏切った。だから報復する。自衛隊を撤退させなければ人質を燃やす――というのが脅迫文の流れだ。
しかしイスラム過激派の場合、爆破なり誘拐なりが、神の意思にかなうものだという、いわばイスラム的に正しい行為だという点を一方的に強調するのが普通である。友人だったのに裏切られたから誘拐したという筋書きは、イスラム的というより反戦活動家の主張に似ている。
第三に、これは状況がわからないと断定すべきではないが、アルジャジーラが放映した映像を見る限り、人質に窮迫した様子が見られない。これは個人的な経験だが、私も中東のある国で憲兵隊に拘束されたことがある。銃口を突きつけ、安全装置をはずされたときには、言葉では言い表せないような戦慄を覚えて、とても冷静ではいられなかった。目隠しを取っている映像では、人質は、さかんに犯人側と話しており、誘拐犯の日本政府に対する脅迫としては不可解なものと言わざるを得ない。
第四に、ビデオで撮影してから、そのテープを届けたり、CD-Rに焼き付けたりするまでの作業が、かなり手際が良い。カメラとコンピューターをリンクさせていれば可能だが、その場合でも、規格を合わせないと簡単にはできない。だとすると、犯人たちの中に、この種の仕事に慣れている人物がいる。正体も不明で突然現れた組織にしては、かなりよく組織化されていることになる。
イラク全体の状況としては、民間人を含めて外国人をターゲットにするテロが発生する可能性は十分にあるのだが、反抗自体の奇怪さが目につくのである。
そして、言うまでもないが、アラビア語(イラクでの口語)の十分な能力と状況判断の能力とを持ち、自らの安全確保に関して相当の覚悟がなければ、今日の情勢下でイラクに入ることは常識に外れた行動である。支援の志について批判するつもりはないが、今回の不幸な事件をみて、被害を受けたイラク人の立場に立つということが、何かしてやろうという意志だけでは成り立たないことを理解すべきではないだろうか。
(寄稿)
- 一橋大大学院 内藤正典教授
- 1956年生まれ。東京大学教養学部卒。97年より現職。90-92年にトルコのアンカラ大学客員教授。専攻は現代イスラム地域研究。
今日は珍しく製作者スタイルを有効にしてみたところ、ちょっと目を引かれました。レイアウトにせよ、画像の使い方にせよ、ひとつひとつをみていけば非常にベーシックなデザインです。しかし、モチーフの妙味で印象深く仕上がっています。WWW stagio など素人離れしたデザイン(ただしガチガチのテーブルレイアウト)のサイトもよいのですが、「あと一歩の差」を見せ付けてくれるようなデザインに、最近は興味を持っています。
関係ない話ですが、ブログ神と呼ばれる人のサイトを見てみたら、いわゆる div 厨だったのでがっかりしました。こんなおかしなカスタマイズをするなら、デフォルトテンプレートをそのまま使った方がマシです。でまあ、こういう方が Movable Type の入門書を書き、Six Apart 日本法人の社員となるのだから、(一部の)ブログが CSS 普及の旗手となり、(さらに一部のブログが)正しい HTML の使い方を考える人を増やす切欠となったのは、単なる偶然だったのではないかと思う。
あと、goo BLOG のテーブルレイアウトのガチガチぶりは、製作者スタイルを無効化してユーザスタイルのみ有効にしている私の環境では、なかなか壮観。エンピツやメモライズを越えた、といっても過言ではありません。
体育の授業が好きだったことのない私は、どんなスポーツも「好きじゃない」ということになるのかな。見るだけなら、好きなものはたくさんあるのですが。
別にPRIDEに因縁付けようとか恐ろしいことを言っているのではありません。ただ、「野球が好き」「サッカーが好き」という方は、少なくとも人生の一時期に少しは野球なりサッカーなりを経験していたものです。弱くて話にならない部活動だったとしても、仲間内の草野球だったとしても、いくばくかのリアルな体験を経た上で、今は良きファンとして社会人生活を送っているのです。
ところが、こと格闘技となると、「やる」側の人と「見る」側の人に大きな溝ができてしまっています。多くの「格闘技ファン」にとって、自分がグローブを付けて打ち合うことなど「とんでもない」ようです。「見る」側にとっての格闘技と、「やる」側にとっての格闘技は、まるで別のスポーツであるかのようです。
それは違うのではないですか。
私は、体育の授業でプロレスや K-1 のような格闘技をやったことはありません。陸上、野球、サッカー、相撲などはやりましたが。でも、好きでやっていたものはひとつもありません。石倉さんの文章は、そのようなケースを除外しているように読めます。だとすれば、サッカーファンの過半数、野球ファンの過半数もまた、格闘技ファンと同じタイプなのではないでしょうか。
例えばプロ野球というものは、膨大なアマチュア人口に支えられて初めて「プロ」として存在し得ます。ボクシングも同様です。スポーツ競技としての全体像があり、そのピラミッドの頂点として「プロ」が君臨しているのです。アマチュアがあるからプロがいるのです。
ところで、「アマチュアのプロレス」とは何でしょうか。ほとんど形容矛盾ですらあります。
念のためですが、大学のプロレスサークルといったものは、初めに「プロレス」あってのアマチュアですから、プロ野球に対する一般野球愛好者とは意味が違います。また、いわゆる「アマレス」、つまりレスリングは立派なスポーツですが、プロレスとはまったく異なるものです。プロレスはあくまでプロレスであって、「プロのレスリング」ではありません。
このあたりは賛同できます。「プロレスは狭義のスポーツではない」と説明する意見としては非常に一般的なものですし、広く認められた結論だと私は認識しています。(注:広く認められていればそれでいいのか? という疑問は、この場合、あまり意味がないでしょう。ここでテーマになっているのは、一般的にスポーツという言葉がどのような意味づけをされて用いられているか、ということなのです。多数派の意向さえわかれば、それでいいわけです)
ですが、もしもあなたがラグビーを愛する人であったなら、「サッカー対ラグビー最強決定戦」などという試合を楽しむことができるでしょうか。
昔、「なんでもダービー」というテレビ番組がありました。もう少しまじめな企画としては、「筋肉番付」の最強スポーツマン決定戦(ちょっと名前は違ったかもしれない)というのもあります。何らかの共通項、あるいは歩み寄り可能な範囲での折衷案的ルールを抽出・考案し、その条件下で異なるスポーツの代表者を競わせる企画は、過去にたくさんの例があります。つまり、やりよう次第で「サッカー対ラグビー最強決定戦」は興味深いコンテンツとなりうるのです。
もちろん、それが狭義のスポーツの範疇にないことはいうまでもありませんが、ラグビーを愛する人
が一概に不愉快に感じるとも思えません。父は水泳と登山に青春時代を費やした人ですが、水泳選手や登山家のタレント的活動に好意的でした。純血主義的なファンも少なからずいることは予想されますが、「**が本当に好きなら**は楽しめないはずだ」みたいな決め付けは、当たっていないと思います。
PRIDEやK-1に出場している選手は、確かにものすごく強いでしょう。華やかさもあります。しかし格闘技の醍醐味は、自ら流す汗(と時々血)の中にこそあります。他人の血を眺めて悦にいるのではなく、会社帰りの疲れた身体に鞭打つところにこそ、真の愉しみがあるのです。
「格闘技好き」を名乗るブロガーは、なんでも良いからまずは自分が汗を流してみてはいかがしょう。K-1を眺めてウンチクを垂れているより、ずっと楽しいこと請け合いです。
……というわけで、結局、(狭義の)スポーツも(その範疇にない)格闘技も、見るよりやるほうが楽しいんだよ! という、いかにも「昔、体育が大好きだった人」風の意見でまとめられてしまっているわけですが、どうなんでしょうね、それは。いささか、賛同しかねるのですが。
私はこれまで、少なくとも運動関連のことで真の愉しみ
を感じたことがない。自分がやって楽しいと思えることは、それはたしかにいろいろあります。真の愉しみ
といいたくなる感覚は理解しますが、「格闘技ファンはみな実践にも挑戦すべし」というのは暴論でしょう。たいていの物事は、傍観者の立場なら楽しめるけれども、実践者としては面白くもなんともないものです。スポーツに限らず、何でもですね。
最初のボタンが掛け違っているので、中盤でいいことをいっても結論でこけるという話。
田口元さんって、いったいいくつの連載コラムを抱えているんだろう……。
予想通り、庶民レベルの食事が続いている。志乃さんのご指摘にあるように、昼食をテーマにしたのがミソなんだろう。
ところで、「目刺の土光さん」はたしかに立派な方だったと私は思うけれども、しばしば無条件で「庶民派」を称揚する日本の文化には、納得できないものがある。
当サイトでは RSS を提供していない。現状の RSS アプリケーションは魅力に欠けるからだ。世の中のあらゆるサイトが RSS を提供するなら私も対応を考えるが、現状では一部の物好きが利用しているに過ぎない。そもそも HTML は情報共有のために登場したものなのだから、HTML 文書の伝える情報の一部を RSS として切り出すという発想自体に、屋上屋を架すような違和感がある。
たしかに HTML 文書は、更新日時や、どの部分が更新されたのか、どの部分が主要な記事なのか、といった情報を収集するには向いていない。作成者の自由にしてよい範囲が広すぎて、基本情報の標準的な記法が存在しないからだ。しかし手作業で HTML 文書と RSS を更新するのはあまり現実的な話ではないし、RSS を自動生成しようとすると、一般人にはブログツールなどを利用する他ない。その場合、よほど勉強しない限り、作成できるサイトの形式が狭められてしまう。
現状の技術レベルを勘案すれば、RSS は過渡期の技術として有用なのだろう。現在のアプリケーションに私は魅力を感じないけれども、あれはあれで便利だと思う人もいる。しかし将来的には、HTML 文書を直接に解析していろいろ利用するサービスに、私は期待したい。
橋本大也さんが紹介されているサービスは、いずれも HTML 文書を直接に解析することで、圧倒的な情報量を元に展開されている。ブログでの発言ばかり拾っても、私はあまり面白くない。Similarity Search をつまらなく感じるのも、同じ理由。
入会せずとも参加可能な第1回総会に出席の申し込みをしたのですが、何日経っても返信がありません。会場も決まらないうちに申し込んだので、定員オーバーのはずがありません。どなたか、返信の来た方、いらっしゃいます? 私だけ参加を拒否されているのか、あるいは誰にも返信がないのか、知りたいのです。
メールまたは電話での情報提供をお願いします。本件に関する情報提供については、メールアドレス、電話番号等、情報提供者の秘密を厳守することをお約束します。
当サイトでは長らくいちゆうさんが作成されたスクリプトを利用していましたが、先月中頃から北村さん作のスクリプトへ変更しています。私が動作を期待する環境において、ほぼ狙い通りの機能を実現できており、たいへん満足しています。CSS切替スクリプトに興味のある方は、ぜひご検討ください。
紹介ページは Wiki を利用しているので、ご利用の際には利用サイトの一覧に追加されてはいかがでしょうか。
過去にも目にしたことのある話題。やはり既視感のある結論に落ち着いた。
残業帰りで、ガランとした寮の食堂で少し遅い夕飯を食べているとき、ふと NHK ニュースを見て愕然としました。後出しじゃんけんで何をいっても仕方ないのだけれども、私が以前「仮に本気で自衛隊のイラク派遣を阻止するなら、どうしたら成功するだろうか」と想像した通りの事件が、起きていたのです。
アンマンからバグダッドに向かった3人のプロ市民(うち一人は週刊朝日に書いているジャーナリストだという)が、武装グループに拘束されました。3人とも、米国によるイラク攻撃・占領統治、自衛隊のイラク派遣に反対の立場だったと NHK は報道しています。
私がこのニュースを見知って、何を考えたか。それは、前段落を読めば想像がつくと思います。政治家というのは、難儀な商売ですよね。非常に、非常に判断に迷う事態です。ことによると、あっさり片付くかもしれませんが、悪い方へ転がれば小泉政権にとって史上最大の試練ともなりかねません。
――。
約2時間、悩んだのですけれども、前段でぼかした内容についてハッキリ書きます。私が想像したのは、次のようなことです。
小泉首相の決断に注目したい。過去の発言との整合性を取るなら、自衛隊の撤退はありえない。しかし日本は民主主義国家だから、たとえ理由が「民主主義を守るため」であっても、目先の世論をおいそれと無視できるものではありません。たしかに決断するのは首相だけれども、このような日本国民の過半が強い関心を抱いているような問題、そして選択肢がこれほど明確な問題においては、「本当に問われているのは国民の判断だ」といってもよいでしょう。
アルジャジーラの伝える犯行グループの託した手紙の内容によれば、期限は3日間だという。私はまだ、悩んでいます。
日本赤軍以来の……と書いたのは、1.日本国政府への挑戦である、2.国民の多くが「なぜ事件が起きたのか」を理解できる事件だ、という程度の話。例えば「ペルー大使館公邸占拠事件」では、なぜ日本の大使館が狙われたのか、犯人の要求は何か、多くの国民にはよくわかりませんでした。
リンクによる参照で徳保さんが書いている「
例え話」は、どういう結論を導くためのものなのか、自分には今一つ理解できないところでした。「コピーされる」ということで言えば、そもそもウェブで閲覧されるリソースは全てウェブサーバからPC等のクライアントへコピーされるものであるし、「転載」が人の手による外部リソースのコピーであるならば、iframeはコンピュータによる自動的な外部リソースのコピーとも言えるわけで、大した違いは無いように思います。
整理しましょう。Web リソースは「複製」なしに利用できませんが、これは私的利用の範囲内での複製という説明も可能ですし、技術的に避けられない問題として許される問題でもあるでしょう。私は Web リソースについて、閲覧に必要不可欠な「複製」と(Web リソースから Web リソースへの)「転載」「引用」を、次の条件によって分離して考えています。
今回、私は北村さんの文章を「引用」しました。「引用」されたリソースは、引用元の URI によって特定されるリソースだけでなく、私の用意した URI によって特定されるリソースの中にも存在する状態となっています。iframe 要素によって北村さんの文書を「参照」した場合、参照側のリソースには北村さんが当該文書に与えた URI へのリンクが存在するだけで、その内容は含まれません。
北村さんが引用元の文章を消した場合を考えれば、両者の違いは明らかです。「引用」であれば、引用元が消えても存続します。しかし「参照」は、参照先が消えれば「参照不能」になります。
端的にいって、「リンクする人」が当該リソースを複製も移動もしていないのに、「転載」と呼ぶのはおかしいでしょう。iframe 要素にせよ img 要素にせよ、見た目がそれっぽいだけであって、実態は「参照」に過ぎないというべきです。現在の WWW ブラウザにおいて iframe 要素などによって「参照」されたリソースの URI がわかりにくい(最大シェアの IE では「右クリック→プロパティ」の手順で表示)のは、ブラウザの設計がまずいという話に過ぎません。
しかし現在、iframe 要素による「参照」を「転載」とみなす人がいるのは事実です。そして裁判所が同様の判断を示す可能性も否定しません。ただ、技術的には「転載」ではなく「参照」の方がぴったりくるだろう、ということです。
なお、前回示した例え話は、公共の電波を拾ってテレビに映す行為を「転載」とはいわないでしょう? という話です。番組はテレビ局が持っていて、番組を公開しているのもテレビ局で、テレビの持ち主はただその信号を拾っているだけなのですから。家電売場のテレビで番組が放映されているのを見て、「転載」だという人はいないでしょう。テレビ局が放送をやめたら、途端にその番組は画面から消えてしまうのです。
私は「転載」に対置する概念として「参照」を持ち出していて、表現は「参照」に付随する低次の問題と考えています。a 要素と iframe 要素の違いは表現にあり、その意味で iframe 要素にとって表現は重要でしょう。しかしリソースの実際の所在に注目すれば、表現によらず「参照」が「参照」であることは明らかです。
また embed が現在の WWW ブラウザでは「転載」と誤認されやすい表現になっている現状を、私は支持しません。多くの人にそれが「参照」だとわかる embed の表現も工夫次第では可能です。現状の実装が唯一の解ではありません。iframe 要素の技術的本質はリンクしたリソースの embed だ、という意見には賛同しますが、現状の実装による表現を根拠に「概念は転載に近い」とする見方には与しません。私は「転載」と「参照」の区別は表現より高次の領域で決まるものと考えますから。
以前「リンクによる参照」と書きましたが、「リンク(<参照)」と整理した方が、私の(直感的な)理解をより正確に反映しています。リンクは「参照」の一形態です。iframe 要素によるリンクは、リンクの一形態です。すべて、「参照」の範疇にあります。
これ、いくつかのサイトで話題になっていたのだけれども、けっこう注意の必要なデータですよ、これは。
なぜはてなやココログの利用者が(以前に紹介されたいくつかの調査と比較して)少なく、MT 利用者が多いのか? 簡単なことです。MT 利用者は BlogPeople 以外にブログ同士を結ぶ有力なサービスがありません(Trackback は記事同士を結ぶ)。JUGEM も同様です。だから、BlogPeople でアンケート調査をすれば、MT 利用者が当然のように多いわけです。はてなダイアリーなら、はてなアンテナが用意されています。ココログにも、ココログユーザ同士を結ぶ仕組みがたくさん用意されています。
今回の調査対象に WWW 利用歴の長いユーザが多い理由は、MT 利用者が多いことと密接に関連しています。MT を設置できるサーバを借りている方、設置の技術を持っている方、さらに BlogPeople の存在を知り、活用している方……これだけ条件を積み重ねると、自然、初心者は淘汰されます。ようするに、この調査には回答者層に相当な偏りがあり、決して一般的なブログ利用者の実像を示していません。
僅かかどうかは、主観である
とは、その通り。また、私は「意外に多い」と思ったわけです。
ところで、「管理人」さんの主張に欠落している情報にふと気付いたので、補足しておきます。亡くなった子どもは、簡易な柵を無視して回転扉に駆け込み、頭を挟まれました。「これ以上、隙間が狭くなったら進入禁止」という範囲は、柵によって明示されていたのです。問題の回転扉は、何の注意事項も示さず、ただそこにあったわけではありません。柵によって、誰の目にも危険領域が判別できるようになっていました。
回転扉は危険だ、ということを子どもに教える機会は、そうそうないでしょう。6歳の子どもには、回転扉の危険は理解できなかったかもしれません。あるいは、「管理人」さんが指摘される通り、社会的にも危険は十分に認知されていなかったかもしれません。しかしもし犠牲となった子どもが、回転扉の右端に置かれた柵が「ここからの進入を禁止する」ことを理解できなかった、あるいは、そのような社会的ルールを尊重しない性格だったとすれば、教育上の問題も浮上してきます。
「柵に注意せよ」という一般的な生活能力さえ十分に備えていれば、事故は避けられたかもしれません。日本の街角には、たいしたことでもないのに柵が多く置かれ過ぎているような気もします。しかし、だからといって、柵をないがしろにするような教育をするのは危険です。バカバカしいと思っても、ひとつひとつの柵を尊重するよう、子どもに繰り返し言い聞かせねばならないと思います。
親だけに責任がある、といいたいのではありません。6歳にもなる子どもの手を離したら「危ない」というのも、いかがなものかと思います。ただ、「子どもがなぜ柵を軽視したか」という問題は、一考の余地があるでしょう。私は、独断で柵の向こう側へ進むことを、強く戒められて育ちました。今にして気付く、親の配慮。
六本木ヒルズ関係者によると、昨年の類似事故後、右側支柱の前に帯を渡した2本のポールを置き、駆け込み防止対策としていたが、警備員は配置していなかった。
図解を参照のこと。
そもそもこういうのって、装具を作ってる会社とかが使用者の意見を聞いたりしながらやるべきことだと思うんだけど。なんか他の業界に比べてすごく前時代的です。作ったら作りっぱなし、売ったら売りっぱなしで進歩がナイ。見た目もいかにも『治療中!!』みたいな感じでダサダサだし。というか悲壮感さえ漂ってます。
見た目といえば、もし私が装具士だったらもっとカラフルな素材を使ったり、その時代の流行を取り入れたりして作るのになあ。個人的な趣味で言わせてもらえば、もっとスポーティな見た目にして、『Niki(!)』とかロゴ入れちゃったり(^^; そんなリーメンビューゲルだったら、子どもの親だって少しは気がラクになるだろうに。もうちょっと考えてほしいぞ。
装具を作ってる会社が利用者に話を聞ければ、たしかにいいのですが……なかなか、それが難しいんですね。医療機器製造メーカのもどかしいところなんですけど、基本的に、医者を通じて具体的でない情報を得ることしかできないんですよね。患者の情報は最高機密なので、メーカと患者をつなぐ情報線は、基本的にはありえないのです。(という話を、聞いたことがあります)
で、どうなんでしょう。薬ならメーカの名前がたいていわかっていますよね。リーメンブリューゲルの製造会社が仮にわかるのであれば、患者側から接触を図ってみてはいかがでしょうか。ことによると、喜んで応対してくれるかもしれません。
リーメンビューゲルのような医療装具は少量多品種生産で、しかも製造に高度な技術がいりませんから、(元締めはともかく製造現場は)小さな業者が乱立していたりすることが少なくないようです。そうなるとデザイン面の改善は困難でしょうね。デザインは数量の多少に関わらず一定の初期費用がかかりますし、そもそもデザインにあまり要求のない商品でもありますから……。
しかし、千里の道も一歩から。医療用装具に改善の余地「大」である、という声は、何らかの形で伝えるべき相手に伝えていきたいものですね。
kazuo さんの解説と考察。必読。
成功するパターンには、宇多田ひかる的成功と浜崎あゆみ的成功があります。大勢がその素晴らしさを認めているか否か、という違いがあるにもかかわらず、売上といった実際の商売の規模で両者ほぼ互角。不思議なのは、浜崎的成功事例を解説する記事の少なからずが、それを宇多田的成功と勘違いさせるような内容になっていること。
「こんな Web サイトは嫌われる!」といった記事が無数に存在しますが、嫌われるはずのサイトが大人気というケースはいくらでもあります。ところが、「それでも成功した理由」は、あまり語られません。そして、「売れない宇多田」の存在が無視されている。いくらユーザビリティなどに優れたサイトであっても、人気があるとは限りません。Web デザイナーの個人サイトや、Web デザインをやっている企業の公式サイトが決して大人気となっていないことからも明らかです。
理屈がついたところで満足するのもいいし、多くの場合、深入りしてもいいことはありません。けれども、理屈に合わない現実から目をそらし続けることにも、無理があるように思います。
水に落ちた犬を叩く……といった感じで、ちょっとなあ、と思わないでもない。それでも「Deep love」は勝ち組だからいいんだ、ともいえるか。しかし逆に、それ故に批判者側のリミッターが解除されてしまっているようで、ちょっと気になるわけですが。
仮にダメな政治家がいるのだとすれば、その責任は有権者に帰結するのではないですか。ダメな作家が成功するのだとすれば、それは読者がダメだからに他ならない。
出版不況だの、若い人が本を読まないだのということがいわれているけれども、祖父母らの話を聞くに、日本の庶民がみんな本を読んでいたなんてのはごく短い期間のことに過ぎません。もともと本はインテリのものだったのです。従来、本をあまり読まなかったそうに受け入れられた本が「リアル鬼ごっこ」「世界の中心で愛を叫ぶ」「Deep love」だったというのは、別にそれはそれでいいというか、作家を責めても仕方のない話ではないかと。日本語表現の稚拙さなど問題にしない客層がいるのであって、その領域に斬り込んで成功してみせた先駆者には、いくらかでも学ぶものがありそうなものだ。
批判者の想定する「もう少しマシな作品」は「Deep love」読者の大半に見向きもされないはずで、つまり「Deep love」の作者は文字通りの意味で「バカには見えない服」を着ているのであります。「バカには見えない服」の問題点は、着ている人にさえ見えないこと。ケータイ小説の作法を押さえた文体が云々、といった指摘は見当外れに決まっていて、yoshi さんは遠からず栄華を失うでしょう。「バカには見えない服」を紛失せず着こなし続けるのは、想像を絶する難事業なのです。
つまり何がいいたいのかというと、西村京太郎は天才だ!
ARTIFACT で紹介されていた「デイリーポータルZ」の素顔という記事が面白い。加野瀬さんと同じ箇所を引用します。デザイン会社社長で、DPZ のライターでもある住正徳さんの発言。
デザイン会社の方では、クライアントありきの制作が多くて、SEO(検索エンジン最適化)とか「ユーザビリティー」とか言いながらまじめにプレゼンしているわけですよ。でもDPZみたいに、一見勝手気ままにやっているように見えるサイトに実際は人が集まっている。分からなくなってしまいます。
「バカでも見える服」は、小さな需要を喰らい尽くす役にしか立ちません。需要自体が圧倒的に大きい相手には、太刀打ちできないのです。そして需要の拡大を目指す試みの前方には、「浜崎あゆみ問題」(大勢に嫌われても日本一売れる歌手になれるという不思議)が待ち構えているわけです。何をどうしたら需要が増えるのか、凡人にはわからない。
「バカには見えない服」が、蜃気楼のように立ち上がってくる所以です。
ぽよさんに呼ばれてオフ会に顔出してみたら、同じお店に「8mile オフ」打ち上げのエントーさんご一行がいらした。私が「趣味Web」の徳保として本条恵さんに出会ったのは、そのときが初めてだったと思う。その名前に、非常に悪い予感がしたことを覚えている。けれども、顔を見ても何も思い出すことがなくて、この嫌な感覚がどこからわいてくるのか、理解できなかった。
そして、約1年経った。相変わらず、本条さんはエントーさん周辺の重要キャラで、10年1日のごとく禁肉マラソンなどの輪の中心近くにいらっしゃる。それは別にいい。問題は、私の中のもやもやが消えないことだった。
で、とうとうこの奇妙な感覚の源泉に辿りついた。本条さんは、私の大学の先輩だったのだ。そして私は、入学直後の時期に、本条さんに会っていた。そのことを、すっかり忘れていた。なぜ忘れていたかというと、忘れたかったからだ。眩暈がした。本条さんとは、ろくに話もしていない。ただ、本条さんの所属していたサークルが問題だ。いや、決して悪いサークルじゃない。ごくふつうの、たぶんまじめなサークル。ただ、私には鬼門だった、と記しておく。
呑気にネットなんかに現を抜かしていると、こういうことがあるから恐ろしい。うわあ、気分が悪くなってきたよ。一眠りして、気が晴れるといいと思う。
やっぱり論点がズレてたんですね。徳保さんは、「現状はともかく、ブラウザの実装も悪い。だからブラウザの実装を改善すべきだ」とおっしゃりたかったわけだ。
どうやってもそう読めませんでしたよ。
(中略)
- [徳保] 03/30 19:38 No.145
いや、だから「盗用か否か」を問うているんですよ。アプリオリに「フレーム内表示=盗用」ではない、といいたかったわけです。ブラウザの実装「も」じゃなくて、ブラウザの実装「が」悪い。フレーム内表示を悪者と決め付けるな、と。これは過渡期の問題である、と。
- [橘] 03/31 06:09 No.146
その論理では「現状では松永さんの対応は正しい」という記述と矛盾するのでそのように受け取れません。
一連のやり取りの中で、返答を目にした途端に最も「ドッと疲れた」もののひとつ。
私は、「現時点でどう見えるか/どのような誤解を招くか」という視点に依拠した松永さんの主張の核心部分には反論していないわけです。今は亡き黎明日記が指摘した通り、裁判官は技術的見地から判断を下すのではなく、「公共の福祉」を判断の根拠とするのだから、今、この問題について法的に断を下す(あるいは法の裁きを予測する)ならば、松永さんの意見が通るでしょう。私は「技術的にこうだから**は無罪!」だとか、いいたいわけじゃないのです。
と、こういうことを書くと、「じゃあ黙っていればよかったのに」みたいな意見をいう人が出てくるのだろう。私がなぜ、技術的見地からひとつの異論を提出したか、その理由はいくつか示しました。非常にわかりやすい理屈も添えたはずです。それでも、今日のこの発言だけを見て、以前の発言を読み返しもせずにあれこれいってくる人の様子がまざまざと思い浮かんで、げっそりしてしまいました。もちろんそれは事前に十分予測のつく事態だったのですが……。予想通りでも、気疲れするときはします。
技術の可能性が、古い実装のために無為に狭められていて、悲しい。参照は参照なんだから、みんなもっと自由にできる世の中になったら嬉しい。そのためには、まず、「それは参照だ」という事実の認識の積み上げがないといけない。松永さんは比較的、「革新」風の物言いをなさるのに、なぜか現状肯定から一歩も動かない言説にしがみつくことがあって、「それは矛盾じゃないのか」なんていってみたかったりもする。
という話とは関係ないのですが、闇黒日記のあの「反撃」が、著作權法の規定とどのやうな關聯のある「反撃」なのか、と云ふ問題があるのだが。あの「反撃」は、それ自體、著作權法と何の關係もない。「やられたからやり返してやれ」以上のものではない。
という指摘には「なるほど」と思いました。
松永さんは自分で傷つけた VEGA CLUB の名誉を回復しなければならない羽目になりましたが、ご苦労なことでした。で、松永さんと一緒になって VEGA CLUB を叩いていた人の多くは、松永さんのお願いに従って VEGA CLUB の無実を広報したけれども、九十九式の対応はさすが一味違いました。盗用?問題後始末は***のお手本。
1時間で作るホームページという非常に怪しげなタイトルのサイト内にあるコンテンツですが、じつはなかなか見所がある作品なので、興味のある方はどうぞ。たぶん、だんだん正しいやり方へと変遷を遂げてきたタイプの解説サイトなんじゃないかと思います。興味深い。今後の発展に期待しています。
文中、IE ではユーザスタイルでどうとでもなるよ、という提案があるのだけれども、Firefox には外部サイトへのリンクはすべて新しいタブで開くという Extension があります。基本的に、製作者がどうこうしようとしても決して全員を幸せにすることはできないので、利用者が各々、自分に一番ぴったりの挙動にカスタマイズすればいいんだ、という話。
でも例によって多数派というのは横暴だから、「他サイトへのリンクは新窓で開いてくれた方が嬉しいのが普通なんだから、製作者はその希望に沿うべき」と主張します。とにかく、勉強したがらない。いつも自分の希望を周りの人間が理解してくれる状態で育ってきたから、自分で自分だけの環境を構築する努力を仕様としない。……という、いつもの多数派批判。まあ、不勉強なのは少数派だって似たようなものですけれども。
これは大切なことだから何度でも書くけれど、アクセシビリティ向上を本気で狙うなら、多数派に一定の不便を強いる他ない。ユーザビリティとなると話が難しくなってしまうのだけれども、例えば「ユーザの自由を奪わない」という原則を追求するならば、必然的に「ユーザの行動を先読みしたおせっかい」の多くは、排除されることになる。target の問題はまさにこれですね。
こういった問題発生の構造を大枠で掴んでおくと、しばしば新しい局面で見通しがよくなります。(まあ、見通しがいいだけでは仕方ないのですが)
ところで、無重力さんが先日まとめられたWebデザイン指針はたいへんよい記事なので、興味のある方はぜひ。
今頃、返信するという。
隠したって自分のレベルが上がるわけじゃないです。「え〜?」というレベルの人を実戦投入するということは、他の人がフォローできる体制になっているということだと思います。
逆に、明らかにしたって自分のレベルが上がるわけじゃないです
。だから、明らかにする必要はない。そしてお客さんは、他の人がフォローできる体制
なら満足するというわけではありません。それでも仕方ないか、とは思うけれども、できれば一から十まで信頼できるプロ中のプロに担当してほしいと願っています。でも、そんな契約はふつう、できないですし、仮にやるとなったらかなり割高になります。だから、お互いに大人であれば、お互いの事情はわかっています。
けれども、あっけらかんと、「どうせわかっているんだから黙っているより口に出した方がいい」といってしまったら、商売はできません。少なくとも、今の日本ではそうです。建前は建前として、きちんと守らなければいけない。仕事時間中、一瞬も気を抜かないなんてことは、まあ、ありえない話です。でも、わざわざこちらから進んで、「時々気を楽にしています」なんてことはいわない。組織の論理を基準にすれば、いってはいけない。
現在、自分に至らないところがあるならば、静かに精進すればいいんです。お客さんに「私はまだ未熟者でしてね、てへへっ」なんてことをいうのは、馬鹿げていると私は思います。
うーむ。これだと自分はこうするといっているだけですね。「専門家は個人の責任で情報発信するな」という命令形のタイトルとは明らかに意味が異なる。どうも、徳保さんの主張がよくわからない。
これには補足が必要でしょうね。崎山さんとその支持者には異常
だの唾棄すべき精神
だのといわれましたが、私は多くの方が自明のテーゼとして「組織に迷惑をかけたくない」と考えているのではないかと想像していました。私の周囲のサラリーマンは大抵、そういう気持ちを大切にしているものですから。それで私は、説明抜きで「目覚まし時計の論理」を適用したのです。
組織に迷惑かけたくないでしょう? という話は当然の前提としていたから、命令形となったのです。しかし、崎山さんに限らず、三中さんも Vins-T さんも組織のことなんか知らんということをおっしゃる。ようは自分が自分に恥じない生き方をすればいいんだ、というようなスタンス。私の場合、組織に迷惑をかけることは即ち自分の倫理観に抵触するのですけれども、そのあたりで共通理解を得られないようで。
お名前がわからないのですけれども、A Way Out の筆者の方も、私の前提をそもそも共有なさっていない方で、まあそれなら命令形は不適切となりましょう。私は「迷惑をかけたくない」と思っているのに、ふと気付くと迷惑をかけるようなことをしてしまっている連中に対して「バカだ」といったのです。自制できないなら、意地を張っていないで他律的環境を導入しろ、と。それだけの話です。
私の休んでいる間に結論(?)が出たようで。
例によって怪しい例え話をすると、私は img 要素も object 要素も iframe 要素も、いわば部屋に置かれたテレビのようなものだと思っているわけです。テレビの画面に何が映っていようとも、それは部屋そのものじゃない。拾った電波が、とある機構を経て像を結んでいるだけです。テレビには手持ちのビデオも映すことができる、という意味でも、何となくそれらしい例えになっているような気がします。
「転載」なら、リソース自体が移動というかコピーされるわけです。「引用」だって、そう。img 要素や iframe 要素は、リソースの位置を動かさないし、そもそもリソース自体には何らの影響も与えません。ただ、参照するだけ。参照した結果として、得られた情報を embed という形で表現したりするわけだけれども、それはパッと見の話に過ぎないわけで。
embed を「埋め込み」と訳してしまうと、あたかもリソース自体が転載されてしまうような印象がありますよね。だから、私はニュアンス重視で「リンクによる参照」と書きました。だいたいよく読まずに人の意見を早合点する人が多いから、クリティカルな誤解を避けるためには、戦略的にはこれでよかったんじゃないかと思います。私はそふぃあさんの示された HLink についてはほとんど無知だったのですが、たいへん勉強になったというか、ホッとしました。
HLink はまだ草案に過ぎないわけですが、このような規格案が出てくること自体が、W3C の考える広義の link 概念がいかなるものであるかをよく指し示しているものと思います。a 要素だけが link なんじゃなくて。というか、そういうことをいうなら link は link 要素なんだから、であれば embed だろうと relace だろうとそれは表現上の違いに過ぎなくて云々という結論に辿りつかざるを得ない。
……などと不勉強を省みずに書いていると、また足元をすくわれかねないので、ひとまず閉じます。
せっかく、たくさんの本のレビューをしたのに。1ヶ月近くも放置されていて悲しい。HTML 解説書ばかりたくさん読んだのだけれども、レビューがちっとも更新されないものだから、すっかりやる気をなくしてしまった。それでぼんやりしているうちに、読んだ本の感想も忘却の彼方へ……。あーあ、時間の無駄だった。Amazonじゃなくて備忘録に感想を書いていけばよかったのかもしれない、と今更ながらに思わないでもない。
意外にも、「親」が僅差の2位。
親の責任を問う声はマスコミに(ほとんど)出てこない。ここにもまた、サイレントマジョリティが存在するわけだ。興味深いのは、掲示板にも正面から親の責任を問う声がないこと。この強力な自己規制を見よ。