備忘録

平成17年4月27日

以前、各所で話題になった恋愛頭脳という性格診断プログラムの結果を追加しました。問診票のデータも公開していますので、方々で公開されている相性チェックのリンクをたどり、私との相性を確認することができます。なお、ここでいう「相性」は「価値観の近さ」を示しており、女性は女性同士の方が、男性は男性同士の方が相性が高めに出る可能性が高いようです。気のせいかなあ。それほど大勢のデータを調べたわけじゃないのですが。

ふつう、価値観の近い者同士が仲良しになると思われがちですが、このように恋愛観だけを抽出したりしますと、意外に大きなズレが出たりします。オフラインの友達とワイワイいいながらやるのが楽しいと思う。というか、よく知らない人との相性を調べてみても、私にはピンときませんでした。ただまあ、議論を吹っかけられたりしたときには、相手のこうしたデータがあるとありがたいな、とは思いましたけれども。

補記

蛇足かとは思いますが、恋愛頭脳が示す「ランク」に噛み付くのは大人気ないように思います。私は批判記事で恋愛頭脳を知ったのですが、調べてみると、けっこうたくさんの人々を怒らせているようなんですね。恋愛頭脳のランクというのは、あくまでも現代日本の多数派、それも比較的若い世代の多数派の意見を「一般的に正しいとされている価値観」とみなして暫定的に提示しているだけのものです。

ちょっと考えれば、そんなことは理解できるはず。

人肉食はいけないとか、そういった考え方だって、所詮は多数派の意見がどこにあるかだけで決まっているのです。恋愛観は比較的バラけているとはいっても、やっぱり地域・民族を限定すれば、一定の意見が多数の支持を集めている。そこに「正しい」とか「間違っている」といった価値が入り込んでいくのは、少なくとも現在の日本人の思考パターンにおいては必然といっていい。

「あえてイチャモンをつける」という立場なら支持しないこともないけれど、「これは許せない」といった方向で怒り出す人には付き合いきれません。その「許せる」とか「許せない」といった意見に普遍的妥当性があるのか? ないだろう、と思うのです。その限界を知る、分をわきまえることは、少数派が潰されないための知恵です。「いや、虐げられたまま生きていたくなんかない、潰されたってかまわないのだ」それくらいの覚悟があるなら、ある意味、立派だと思ったりもしますが。

一方、恋愛頭脳の結果に衝撃を受けて素直にガッカリしてしまうのも、またいかがなものかと。自分がどういう人間か分かるのは、基本的にはいいことだと思います。ただ、多数派の考える「正解」を盲信するのもつまらないのではないか。というか、つまらないと思ったから、私は少数派であり続けることを選択したわけなので、話が逆ではあります。「これはヤバイ。性格を変えないといけないな」と思う人には通じないのかな。

世の中を動かす多数派がどこにいて、自分の位置から見てどの方向、どれくらいの距離なのか、それだけ把握しておけば、現代日本では少数派にも比較的伸びやかに生きていく余地が用意されています。能天気に生きたら衝突ばかりで苦しいけれど、ちょっと頭を使えば、そこそこ幸せにやっていける。ありがたい時代になったものです。

怒りのパターンが似ているケース。いい方に言葉を補って解釈すればいいところ、脊髄反射でブチ切れる人が出て、わかりきった補注が追加されたという次第。しかし実際、何でもかんでもこのレベルで理解しやすくしなけりゃならんとなると、生きにくくて仕方ない……と思うのは私だけでしょうか。(2005-05-09 修正)

常に圧倒的多数派に属す超常識人の場合、いつだって能天気でいいわけだけれど「いいのは本人だけ」という感じもします。少数派は生きる知恵として自制を知るべきだと私は考えますけれども、少数派ではないと思っている方々にも、願わくば自制心を持っていただきたいな、と思います。

平成17年4月17日

人はいま『18禁』とあまりにも軽く言うが、よく考えてみれば、それは18歳未満の人々をのけ者にする制度、すなわち、差別である。どうして誰も、この根本的な問題に目を向けないのか。「青少年を保護するために〜」「住み分けすることでしか守れない表現が〜」という理由づけは、なるほど合理的ではある。南アフリカ共和国のアパルトヘイトも合理的だった。南アフリカ共和国の経済や治安は、アパルトヘイトの廃止によって大幅に後退し、人々は不幸になった。ではアパルトヘイトを続けるべきだっただろうか。

アパルトヘイトは、棲み分けの方式としてデメリットが多かった、とされています。白人が黒人を支配するスタイルが国際社会の非難を浴び、政治的な孤立を招いたわけです。資源豊富な国だけに、経済的には悪くなかったけれども、「アパルトヘイトを廃止すれば、もっと発展するはずだ」という予想もあったと中学で習ったような気がします。

素直な多数決で国が動くようになって、果たして南アフリカはよい国になったのか。大いに疑問符がつきます。

平成17年4月17日

世の中には新しいウインドウをいくつも開きたい人と、意図せず新しいウインドウが開くのをこころよく思わない人がいるのです。以前、リンクの target 指定について でも書きましたが、新たにウインドウを開くという動作は閲覧者 ( アンテナを見てる人 ) 側でできますが、その逆は一部ブラウザを除いてできません。つまり、サイト側で何も指定がない場合は、リンクを新しいウインドウで開く自由も開かない自由もありますが、新しいウインドウで開く指定がしてあると、閲覧者にはリンクを新しいウインドウで開かない自由が無いのです。

しかしそんなこといっても新しいウインドウで開きたい人が多いのも事実。なので、"新しいウインドウで開きたいとわかっている人" に対してはサイト側で指定することにしました。なので、"リンクを新しいウインドウで開く" の設定をしたユーザーは、ログインしていれば誰のアンテナを見ていてもリンクが新しいウインドウで開きます。逆に、ログインしている状態でないと、"新しいウインドウで開きたいとわかっている人" とわからないため、指定無しになります。

なるほど、明快ですね。これはよいアイデアだと思う。ただ、ふと思ったのは、「設定を逆転させた方がいいのかもしれない」ということ。つまり、ログインしている人だけ、target 指定なしにするわけ。「最大多数の幸福を考える場合、どちらかというと、その方がいいんじゃないかな」なんて考えたんですが、勘違いかなあ。

平成17年4月16日

面白い。すごくいい人っぽいので、読んでいると情が移ります。春場所の日記はぜひご一読あれ。

まだそれほどの人気ではないためか、コメント欄開放中。こういうのはホント、いいときはいいけれど、いったんコケると悲惨なことになります。コメント機能とかトラックバック機能が無ければ平和だったのに、という事例には全く事欠きません。

コメントを削除されて不愉快(via. otsune さんとこ)なんて意見も昔から根強くあって、まあそれはそれでわかるのだけれど、「なんかこいつムカつく」という理由で削除したらいかんのか、と思わないでもない。私がコメント欄を用意しておらず、トラックバックも消極的にしか受け付けていないのは、無用の摩擦を避けるためです。

「なんとなく」で削除されたって、コメント欄が無いよりある方が読者にとっては都合がいいだろう、と私は思うのだけれど、つまらないことを言い張って管理者を疲弊させる人が少なくない。よそでその手のギャーギャーピーピーをたくさん目にしてきたので、コメント機能はやめることにしています。多くを求めて騒ぐやつがいるので、一切の利益提供が失われる……よくある話。(参考:Trackback と精神力の問題文化的背景のある誤解は、いつか正解のひとつに昇格する

この項、追記の予定アリ。

平成17年4月16日

中国と日本の歴史認識問題のズレについて、以下の点を指摘しておく。

ひとつだけ反論。

日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。

これって、文書だと思うのだけれど。末尾に、以下の署名があるそうですから。まあ、中国政府はこれを謝罪と認めていないようなのだけれども、日本人が考える一般論としては、微妙な感じがしませんか? 何らの補足もなしに松永さんの文章を読むと、勘違いする人が多いのではないかな。

余談

中国の反日派が少数派であること、昨夏に愛国サイトが当局の圧力で閉鎖されたこともきちんと記しており、産経新聞だからといって読まず嫌いするのは勿体無い記事。(無料の)記事としては出さないと予想していたのですが、【特集】中国反日デモということで公開されていたのでリンクしておきます。

松永さんはいいのだけれど、単に自分のアンテナが低いだけなのに、「マスコミは重大な情報を隠し国民を都合のいい方へ誘導している」という陰謀論に飛びつく人を時々見かけます。産経は反中新聞かもしれないけれど、

これらの記事を読み比べてみれば、事実は事実として一定の情報を出していることはご理解いただけるかと。社説だけ読んで「新聞はダメ」というのでは、ちょっと無理がある。たった800〜2000字で多様な視点や多くの事実を盛り込めるはずもないわけで。

参考になる記事とか

いきなり卑近な話をするのだけれど、ブログなどが「炎上」して、管理人が「反省の意」を表明するとき、中韓の反日派のような物言いをする人が少なくない。「相手の意見に一理あることを認め、大筋で譲る」という話をしているのに、「非を認めたならきちんと反省しろ」といい募るわけ。「私のいうことにはひとつの理もありませんでした。完全に非を認め、謝罪いたします」みたいなことでもいわないと納得しない。

私も2003年にこれをやられて、あのときはほとほと嫌気が差したものです。発端となった話題については誤りを認めて結論だって同意したのに、相手が結論に上乗せした意見に異を唱え続けたら「負けたくせに見苦しい」とギャラリーがうるさい。本筋の議論において正しかった人が、オマケで付加した議論まで正しいとは言い切れない。それに、いくつか出したこちらの根拠の内、最も重要なものが誤っていたことは認めたけれども、ほかの根拠が全部間違いだったとはいえない。

交通事故の事後処理だって、「加害者」が「被害者」に平身低頭して全ての要求を受け入れる、なんてことにはならない。命まで奪ったとしても。それに対して「加害者のくせに生意気だ」といった怒りの声があっても、それだけで世の中は回らないよ。加害者には加害者の言い分があり、それは簡単に無効化できるものではない。私は日本が謝ってきたこと自体は、正しいと思う。けれども、中国人がみんな許すところまで「徹底的に謝る」のが正しいとは思わない。

かなりわかりやすく書いたつもりなのだけれど、やっぱり私の意見を「支離滅裂」という人はいるのだろうし、「矛盾している」という人もいるのでしょう。寂しい話ですね。

平成17年4月16日

若隠居さんは人権擁護法案について反対からウィークな反対へ遷移された方。その過程を記す多くの記事において、若隠居さんは何度も何度も、嫌っていたはずの陰謀論へと流されそうになります。自分には理解できない他人の行動に対する、最も簡単な説明が陰謀論であるわけです。ひょっとすると、稀に本当に陰謀が存在するケースがあるのかもしれない。けれども、たいていそんなものは庶民の想像の産物に過ぎないのだと思う。

私はひとつの縁があって、高校時代にはあちこちの「偉い人」に会って話をする機会を得ました。みなふつうの人でした。空港建設反対派だったはずの元社会党国会議員・小川国彦さんが空港建設推進の旗を掲げて成田市長になったとき、唖然とした市民は少なくありませんでしたが、これだって何の陰謀でもない。人のやることだから、多少は汚い話もあったでしょう。ではそれが全てか。違うだろう、と。

小川さんは、意に反して土地を奪われる人々に対する補償と、計画推進の手続において承服し難い部分があり、なし崩し的な空港建設に反対するために一坪地主となったのです。シンポジウム開催をはじめとする幾多の交渉の積み重ねや、空港建設による地域発展の実績、補償面で折り合いがつきつつある状況などを勘案して、空港建設推進へ舵を切ることは矛盾でも転向でもない。その結果、空港建設そのものが絶対悪と主張する左翼過激派から命を狙われボディーガードの必要な生活を強いられたことを「自業自得でしょ」という市民が少なくない状況について、側近の方は苦笑されていたものです。

山本一郎さんが「けなす技術」の第6章で端的に述べている通り、ネットの圧倒的な無力さは無視できない。ネットは(さして)世界を変えませんでした。人権擁護法案の衆愚系まとめサイトがどれほど人気を集めたといっても1日1〜3万人しか読んでいない。国会議員に1万通のメールが届けば、なるほど国民の声をある程度偽装することはできるけれども、それは60年安保あるいは70年安保のぬるい再現に過ぎない。政治に一番関心を持っていたのは、デモ隊の方々だったかもしれない。けれども、その彼らがみんな口を揃えて主張していることが、社会全体で一般的に正しいとされている意見かどうか? 無知蒙昧な馬鹿な国民を啓蒙してやるんだ、と思っていた側だって、結局、衆愚のひとつの形に過ぎなかった。

……というわけで、私は陰謀論よりも衆愚論の方にハマりましたね。ただ、ひとつ断っておくと、私は私の価値観において他人の主張を「賢い」〜「愚か」と序列をつけているのだけれども、それはあくまでも私のモノの見方。「愚か」とされた側にとってみれば堪ったものではないだろう、と想像することくらいは、できるつもりでいます。

「冷静に話せば理解されるはず」「陰謀があるとでも考えなければ彼の頑なさは説明がつかない」といった考え方は、あまり実りがないと思っています。その背景には、「ひとつの価値観だけが(最終的には)正しく、常識ある人はみな同じ結論に達するはず」という前提があるからです。gakkun さんが陰謀論を唱え、対する若隠居さんが電波認定を行って対話を放り出したのは、典型的な帰結でした。たぶん、それ以外の結論が出ないんですよ、その方向で進むと。

かくいう私も、「どうでもいいよ、放っとけばいい」と思っても、それだけで生きられない。だから何度も、こんなことを書くのですが、どうでもいいことが無意味だとも思っていないのです。若隠居さんが、アンチ人権擁護法案漫画衝撃を受け早急な修正を要望することを邪魔するつもりは毛頭ない。むしろ賛成したい。ただ、ちょっと危なっかしく感じるのです。

昨年、私はウェディング問題に関心を持っていろいろ発言したわけです。最後にウェディング問題を考える会の第1回総会に出席して、疑問と意見をぶつけたのだけれども、このとき紀藤弁護士から「ネットにおける大変なバッシングにもかかわらずウ社の売上は落ちていない」事実が語られ、またウ社を代表して発言された方も「実害」を口にしませんでした。そういうものか、と思ったところで我にかえったことを覚えています。ウ社が薄弱な根拠でバッシングされてよいのか? という問題は問題として、「そういうものか」という感覚もまた、あった方がよいと私は思うのです。

平成17年4月15日

ふと思い出した話。

安藤美姫が公式戦で女子選手としてはじめて4回転ジャンプに成功したのは、2002年のジュニアグランプリファイナルだった。安藤はスポーツ新聞のみならず一般紙の一面にまで登場し、テレビも大特集を組んだ。じつはこのとき、安藤美姫は一人の若い日本人スケーターに完敗し、最終順位は3位に終っている。

2002年のジュニアグランプリファイナルを制したのは、太田由希奈という名の少女だった。だが、彼女の名を知るのは一部のスケートファンにとどまっている。報道は、された。だが、その扱いは安藤のおまけに過ぎなかった。当時、私は「4回転はジュニアグランプリ優勝より凄いことなのだろう」と思った。しかし、そうではなかった。2003年、安藤美姫はついにジュニアグランプリファイナルの栄冠を手にした。2004年は新星・浅田真央が優勝した。いずれも大々的な報道が行われ、フィギュアスケートの新時代到来を日本人に印象付けたのだ。

2003年、太田はジュニア選手権でひっそりと優勝している。メディアが注目したのは、パッとしないまま2位に終った安藤だった。翌2004年のジュニア選手権、安藤美姫は見事に優勝を飾り、2005年は浅田真央が優勝。スタジオのアナウンサーも現地のレポーターも大興奮だった。

2004年、太田は四大陸選手権で優勝した。しかしその事実を知る日本人は驚くほど少ない。2005年の四大陸選手権が村主章枝恩田美栄の一騎打ちで話題になったこととは対照的だ(ちなみに村主が優勝、恩田が準優勝)。もちろん、今年の四大陸は世界選手権の出場権をかけた重要な決戦場であり、そして今年の世界選手権の結果はトリノ五輪にもつながってくる。だから2004年と2005年では重みが違う、という解説には一理あるが……。

つまり、日本女子フィギュアスケート界の福原愛は安藤美姫と浅田真央であり、太田由希奈は実績と関係なく注目されてこなかった(というのが私の解釈)。「公平な報道」は難しい問題で、「伏兵」と呼ばれる選手が立派な実績を誇っていることはしばしばある。そうはいっても、マスコミは政府と同じで間違いばっかり責められるけれど、かなりいい線で世界を切り取っていると思う。全国のスポーツ記者が安藤や浅田にはビビッときたけれど太田には「ふーん」だった背景には、多分、何かある。

まあそれはいいさ、どうせ私にはわからない世界の話なんだろう。ただ、彼らの記事を読むド素人の私は、下衆の勘繰りと承知していても、太田さんの気持ちを空想せずにはいられない。女子フィギュアスケートという人気競技で世界の頂点を極めながら、街行く人の誰も自分の顔を知らない。名前も知らない。「安藤美姫が4回転に成功したときに優勝した人」と説明しても、「そんな人、いたっけ?」……そして実際、マスコミの眼力に狂いはなく、今シーズン一番の大舞台だった世界選手権のリンクに、彼女は立てなかった。トリノ五輪も非常に難しいと聞く。

このところ太田由希奈が話題にならないのは、ケガに悩まされ続けているからだ。ケガも実力の内なのだろう。ひょっとすると、太田は以前からケガの不安を抱えていて、取材した記者には全部バレていたのかもしれない。しかしそれならむしろ、そのとき輝いている選手にライトを当てたっていいじゃないか。もちろんマスコミも商売だから、ある程度、取り上げる人数は絞ってほしいというのが視聴者の望みなんだろう、とは思う。スターがいなくては五輪特番は作れない。

余談

安藤美姫の名で Google 検索すると、goo 画像検索の結果が最上位に登場。何それ。けっこう少なくない女優やタレントの場合、アダルトサイトの特設ページが最上位で登場してしまう。それに似たようなものかと思った。ちょっとこれは可哀想だな。

ちなみに太田由希奈さんにはファンサイトがあります。本人がそれで喜んでいるかどうかは知らないけれど、検索結果の最上位がリスペクト系の応援サイトなのは、少なくとも不幸なことではないと思う。

ところで、私の記事はいささか思い入れ過剰なので、太田さんに興味のある方はフィギュアスケートジャーナルの記事などもチェックされることを勧めます。また安藤美姫についてウェブで読める記事としては日刊スポーツのインタビューが秀逸。

無関係な記事

私の心の中ではちょっとだけ関係があるのです。

F1 もマラソンもフィギュアスケートも、正直いって私は詳しくない。ただ、毎日新聞を読んでいて、何か心に引っかかることがあります。たいていそれらはどこかへ流れていってしまうのだけれど、時々、新聞記事から読み取った私なりの物語の解釈を、書き留めておきたくなる瞬間があるのです。野口みずきと土佐礼子の話は、記事を読んでから備忘録を書くまでの期間があまりに短く、半分以上パクりになっているような気がします。ちょっと気になるところ。

平成17年4月6日

私はなかなか本や雑誌を全部読むことができなくて、でも全部読まないと処分できない性格なのでダメだと思う。最近、「捨てる!」技術なんていうつまらない本(どうつまらないかというと、読んでも新しい発見がひとつもない。でも「無駄にした時間を何とかして取り返さねば!」と強く思い、たくさんのモノを捨てる動機付けになったので、有用な本ではありました)を読んで久々に一念発起してたくさん処分したのだけれど、1年後の引越し時にはまた悩ましい事態に直面するのでしょう。社員寮にいられるのも今年度いっぱいです。来年からは金欠になるのだと思います。

で、何の話をメモっておこうと思ったのかというと、ユリイカを買ってきたのだけれど、これを完読するのは無理っぽいという話。私が文芸春秋とかを買わないのは、完読できないに決まっていて、つまり部屋が確実に狭くなるとわかっているから。ユリイカは目次をみたら特集関連の記事ばっかりで、よくわからない連載記事みたいなものがほとんどなかったので大丈夫だろうと思ったのだけれど、甘かった。スズキトモユさんの文章あたりで体調不良となり、上野俊哉さんの文章が記憶に全然残ってなくて、しばらくページをパラパラめくりつつげんなりして、鈴木一誌さんの文章のところで「こりゃあかん」と放り投げました。

気力が充実するまで完読は無理っぽい。無念なり。あと、最初は不安だった詩は、案外、すいすい読めました。春だからでしょうか。(中略)個性的な詩が集まりました。という選評を読んだら、何となく書きかえたい言葉一覧を思い出しました。まあ、気のせいでしょう。

余談

ユリイカはもうしまいこんでしまったのですが、一緒に買ってきたキューブサット物語が面白くて、もうすぐ読み終わりそう。上がれ! 空き缶衛星の後輩達の奮闘を描いたノンフィクション。

私は理系の道を進んで現在も技術者をしているし、大学に入る頃まで長らく宇宙開発を志望していたのだけれど、じつは私には宇宙に賭ける意気込みがよく理解できません。だから宇宙に夢があるのか、人類は宇宙開発をすべきなのか、という疑問など軽々と飛び越えて、学生達は衛星を作って、宇宙へ打ち上げて、運用している。という著者の感動はよくわからない。私が宇宙開発を志望していたのは、「科学と医療を手放すことができない人類は滅亡へ向かって一直線に走っていて、そんな状況下で生きる私が、もっとも人間らしい道を目指すとすれば、人類の英知と馬鹿馬鹿しさの最先端である宇宙開発だな」といった理由だったのです。ひとつの説明としては。

とはいえ、人のやることに何でもかんでもケチつけるつもりはなくて、夢に向かって頑張る人たちがいて、見事に目標を達成しましたという物語は、個人的感情を押えて読めば、なるほど面白いし素朴に感動もします。でもやっぱり、私は私であることから逃れられないのだな、とも思いますね。面白いし、お勧めもしたいのだけれど、「ひたむきな姿勢」とか「チャレンジ精神」とかいって技術バカが免罪されていいのか、なんて言葉もムズムズするんですね。宇宙開発がテーマだけに。

平成17年4月6日

3番目の記事から順にたどったのだけれども、じつのところ3番目の記事に強く賛成するものではない。「昭和の日」を制定するとして、現時点で国民的コンセンサスが得られるのは天皇誕生日の他にない。5月4日の国民の休日を祭日にすることで祝日も増え、国民の多数派は新法を歓迎するでしょう。体育の日や成人の日を3連休などという現世利益寄りの、刹那的な判断で日をずらした前例もあるわけで、4月の第4月曜日を「昭和の日」にする、なんて法案にならなかっただけマシ。(え? 4月の第4月曜日の方がいいって? もちろん、そういった意見もありますよね)

finalvent さんは沖縄の話になると、いつもの「そうはいってもさ」をすっ飛ばした意見をぶつ。別にそれはそれでいい。ただ、読者としての私の希望というのはあるわけですが。以下、話題は異なるけれども、私がいいたいことにつながっている記事など。

関連記事?

けなす技術は面白かったです。

平成17年4月6日

他者の価値観を尊重する生き方を貫くのは容易でない。

私といたしましてはCafe de Johnny様のトップページおよびリンクページに「リンクフリー」の記述がありましたので、アンテナへの登録とレビューの紹介をさせていただいておりました。しかしながら、損害賠償請求をご検討されるほど運営に支障をきたしていると言うことで、ジョニー・タカ様に当サイトからリンクを貼ったことによりご迷惑をおかけしてしまったことに対しての謝罪を行い、アンテナからの削除、および過去の紹介記事の全削除を行いました。

現在も Cafe de Johhny には当店はリンクフリーです。リンクされる際はメールorジョニーへの伝言(BBS)にご一報下されば幸いです。と書かれています。「リンクはご自由に」という文面と「でもご連絡をいただければ幸いです」という文面は矛盾しないと私は解釈します。連絡が必須である、といっているわけではないので。

けれども現実問題として、ある種のリンクが様々な災厄を引き寄せることはよくある話。法的に問題ないとか、本質的にはリンクに問題があるのではなく……といった議論とは別の次元で「ちょっと悪いことをしたかな」と思うことは私にもあります。そのときに謝ったり、リンクを削除したりすることがないわけではありません。多分、今回の話もそういったケースなのだろう、と私も思ったわけです。ところが。

別に荒らしが来たから、と言う意味ではありませんが、やはりリンクした場合には一声かけて頂きたかった、と言う意味で、はてなからご来店下さっているお客様には大変申し訳ありませんが、アンテナの削除をお願いしました。

掲示板を確認したところ、スカスカの過疎状態。別に荒らしが来たから、と言う意味ではありませんがとは、「掲示板荒らしのような具体的な被害は生じていないが」という意味のようです。またアクセス過多でサーバがつぶれたわけでもないようです。ようするに、ジョニー・タカさんは「一報を入れずにリンクした相手には損害賠償請求を行う(ことがある)」らしい。これでは損害賠償請求は通らないのではないかな、と思いました。

いしい(id:assam_tea)さんは、ジョニー・タカさんの価値観を尊重して、面倒な作業を実行し、謝罪までされたのだけれども、私にはとても真似できそうもない。

その後(2005-04-08)

かずあきさんの日記を読んで驚きました。ジョニー・タカさんは記事に寄せられたコメントへの返答として無断転載・リンクは禁じますが、コメント・トラックバックは大歓迎という方針を発表されたのですね。

ひょっとすると、アクセス解析でリファラを調べる方法をご存じなかっただけ? でもそれだけでは損害賠償請求にはつながらない……。私もどんな損害があったのかが一番気になる。というアニさんのはてなに乗っかりたいですね。

平成17年4月5日

超カンタン! 最強メディア ブログ成功バイブル
  • 百世 瑛衣乎 (著)
  • 価格: ¥1,449 (税込)
  • 発送可能時期:ただいま予約受付中です。− (2005/04/19)
出版社/著者からの内容紹介

著名な俳優オイゲン・ビショーフは、数人の客たちを前に余興の役づくりと称して庭の四阿にこもった。しかしその後、突如鳴り響いた銃声に一同が駆けつけると、拳銃を握りしめ床に倒れたビショーフは既に瀕死の状態だった。現場の状況から自殺に間違いないと思われたが、客のひとり、技師ゾルグループは「これは殺人だ」と断言する。折しもウィーンの街では不可解な“自殺”事件が頻発していた……。ボルヘスが惚れ込み、鮎川哲也らの言及でも知られる伝説的作品がついにヴェールを脱ぐ。

単なるカタログの入力ミスなんでしょうけれども、これほど笑えるのは初めて見ました。多分、遠からず修正されてしまいますので、今のうちにどうぞ。(画面写真が StarChartLog で公開されましたので、焦る必要はなくなりました)

ちなみに、この本の目次はこんな感じ(強調は引用者)。

目次
  • 巻頭インタビュー
    • GMOグループ 熊谷正寿氏(『一冊の手帳で夢は必ずかなう』著者)
      ブログは最強のメディアツール
  • *コーヒーブレイク:ブログ元年とブログの歴史
  • ■第1章 ブログで、世界が変わる!(インタビュー)
    • ブログでベストセラ&人気講師に[人生はアドベンチャーだ!]
    • 3カ月でブログランキング1位![発狂ニュース島]
    • ばく進する怒濤の女子高生ブロガー[まいまいの生存歴]
    • リストラ・うつ病から、ブログで独立開業[10年後も行政書士で生きていく!]
    • 成功法則が現実化したネット書評家[起業家のための書評ブログ]
  • 以下略

……こ、これは!!! ユリイカとどちらか1冊選べといわれたら、こっちを選ぶような気がします、私は。頭痛になりそうな伝説より、能天気な伝説の方が素人には楽しそうだし。キャンペーン用ブログで一部の記事が公開されていますので、興味のある方はぜひご一読を。

ちなみに、著者の百世瑛衣乎(ももせえいこ)さんはこんな方。

百世瑛衣乎(ももせ・えいこ)
ソーシャル・ナビゲーター、フリーライター、ブログ伝道師
■プロフィール
1959年、広島県生まれ。日本デザイナー学院卒業。
広告業界でデザイナー、アートディレクターとして勤務ののち独立。企業や官公庁のPR誌を中心に手がけ、フリーライター歴15年。
ジェンダーには中学生時代より取り組み、活発に発言してきた。短大で女性問題のゼミを専攻し、女性・男性・社会の3者に視点を置いたジェンダー論で卒論を仕上げる。
20代後半は、小劇団を主催して作・演出・役者に没頭。
結婚歴・離婚歴、各2回(1人目は5才年下、2人目は11才年下)。
不妊を経て高齢出産(38才)で、娘を出産。
数々の同棲・結婚歴で、男性エプロン化率100%を実践。

ううむ、学生運動後の世代の業を全部背負ったようなプロフィール。現在、百世さんは女も男もハッピーにする、ジェンダーフリーをテーマに♪明日を変えよう♪ Change!for tomorrow を合言葉として明るく元気に活動中。

ただ、公式サイトの表紙からリンクされている SmartWoman の記事に紹介されている百世さんのホームページがアダルトサイトの広告スペースになってしまっているのは出来過ぎた話。ネットは怖いですね。みなさん、腰掛け程度のつもりでも、サーバ屋はきちんと選びましょう。というか、2年も放っておかずにリンク先を修正するべきなんじゃないかな。

子供や趣味人向けの「ほーむぺーじ作成指南」には、本書「超カンタン! 最強メディア ブログ成功バイブル」ほど荒唐無稽な本は多くなかったと思います。一般人をターゲットにして大人がマジで商売を始めると恐ろしいですね。簡易 CMS ごときで世の中そんなに変わるわけないのに(注:「成功者」の存在は否定しません)。こうなってくると、HTML の解説が正しいとか間違っているといった次元をすっ飛ばして、人生と社会を見つめ直す必要が……。

とまあ、茶化し気味にご紹介しましたけれども、既刊書「家事する男の作り方」をパラパラ眺めた限りでは、SmartWoman の紹介写真に近い印象を受けました。「お姉さん」と呼んだら喜んでくれそうな感じ。顔文字いっぱいの日記を書いてるので、多分「いい人」なんだと思います。

……。

補記

著名な俳優オイゲン・ビショーフ……の謎解きをしておきましょう。オイゲン・ビショーフとは晶文社ミステリの新刊、レオ・ペルッツ「最後の審判の巨匠」の登場人物です。同書は1923年の作品ですが、今回が初訳。晶文社ミステリは信頼していますので、私もこれから読んでみようと思います。