ときどき、こういうわけのわかんないことを企画しますよね、遺族って。で、文学史的には完全に無視されるという。有名な遺族公認の続編といえば、世界中で読まれた大長編「風とともに去りぬ」の続編「スカーレット」(これがまた大長編)でしょう。そこそこ話題にもなって、商品として成功したように思いますが、100年後には忘れ去られているのでしょうね。(参考記事)
ところで私はかなり本は読んでいるつもりだけれど、大長編は苦手。200ページの本を3冊読むのは平気だけれど、600ページの本1冊をなかなか読めません。だいたい買ってきても積読になったり、途中で挫折したり。「フリッカー、あるいは映画の魔」「華麗なる一族」「続・白い巨塔」「模倣犯」「幸福という名の不幸」「砂のクロニクル」「鋼鉄の騎士」「逃亡」「屍鬼」……無数の作品が、ただ長いというだけで放り出されています。
絶対に読めないってわけでもなくて、勢いというか、うまく波に乗れば読めるんですけどね。2月には「影武者徳川家康」を読破していますし。2年間本棚に置いてあって、読み始めたら2週間で読了。私は1冊に集中することができないので、「影武者徳川家康」を読んでいる間に、他の本を何冊も読み終えました。こういった読み方をする人は少ないようで、人に話すと驚かれることがあります。でも、長編を一気に読もうとしても、途中で飽きないですか? あと、私は本を読み終えることが快感なので、大長編を読み続けてなかなか区切りがつかないと気力がなくなってきます。
文庫本大好きは個別記事の URI がわかりにくくて、以前も迷ったような気が。ブログブーム以前はそもそも個別記事という概念がない場合が多く、「段落アンカー」だって一部のサイトに限って用意されたものでした。なので当時は、とりあえず表紙にリンクしておけばよかった。さりとて「あの頃はよかった」というのも何か違うような気がするわけですけど。ただ、なまじっか「できてしまう」ことの不幸というのは、世の中にあると思います。
オススメのコンテンツはRenewal。ああでもないこうでもないと、だらだらレイアウトしてしまったホームページ達。それをまずhtmlタグひとつひとついたるまで分解して整理整頓。webの文法に沿った適切なタグを使ってテキストにマークアップを施し、CSSでシャキッと読みやすく引き締まったホームページに生まれ変わらせます。
特にたったあれだけの手数で、緻密に整理されたhtmlコードをデザインできる氏の手腕には、どきどきさせられます。
連載の初期には、ああ見えて割と苦労していたんですけれども、第4回あたりで何かコツをつかんだようで、試行錯誤による手戻りが急減したように思います。とはいえ、今でもアドバイスの改善案を作るのに2〜3時間(ほぼ完成したものが気に入らなくなって全部作り直したら、もっと)かかる場合もあって、多少の手戻りがあっても作業の早い人の方がやっぱり速いんじゃないでしょうか。
手数が少ないですね、というご意見は以前にもいただいたことがありますが、結局、試行錯誤のグチャグチャを排除すれば、全体の流れとしてはアレ以上何もないような気がします。多分、一番苦労するのは新しいデザインを考える過程であって、既存のデザインを再現するだけなら、マークアップの修正と CSS を書くということ以外に、やることは何もないんですよね。
アクセスアップを目指す方は大変ですね。考えることがたくさんあって。
最近、当サイトへの訪問者が増えていまして、毎年恒例の2〜3月大量更新の影響だろうとは思いますけれども、立て続けに複数の記事があちこちのニュースサイトに取り上げられたのは大きかったですね。アッカさんは検索エンジン対策を中心にいろいろ書いていらっしゃるのだけれども、こうしてそれなりに人気のあるサイトを運営していると、検索エンジンに頼ってアクセスアップを狙うのは話が逆なんじゃないか、という気がします。
当サイトの場合、人気が上昇するに従って検索エンジン経由のお客さんも増えています。現在サイト全体で1日3000ページビューあって、その内の1日1000ページビューくらいが検索エンジン経由。検索エンジン対策は無意味じゃないし、それで一定の結果は出るでしょうけれども、1日1000ページビューを検索エンジン経由で稼ぐためには、他で稼いだ人気が必要なのではないでしょうか。
というわけで、人気サイトってどんなサイトなんだろう? と思ってあちこち見て回った私は、絶望的な結論に至るわけです。アクセス数を増やす方法なんて、株で儲ける方法と同程度の確度しかないんじゃないか、と。「成功には理由がある、失敗にも理由がある、じゃあそこから法則を見出して確実に成功することが可能か? 不可能でしょ」……だから、現状で満足した方がいい、と私はいうのだけれど、やっぱり難しいものなんでしょうね。
「同じことを100回書く」が備忘録のポリシーだから、読み飽きたという意見は無視して、毎月のように同じことを書きますよ!
悪いことをした人がいるとして、それをうまく裁く法律がないので、多少の無理をおして搦め手から有罪に持ち込むのは、しばしばある話。いろいろ心配している方がいるのだけれども、杞憂でしょう。office さんは人を怒らせたから訴えられたのであって、感謝されるようなことだけをやっていたなら、有罪にはならなかったわけです(参考:office さんの逮捕について)。
判決前日に出た、高木浩光さんの見解。いつもの激しい論調ではなく、落ち着いた印象。
「まとめサイトへのログ転載は気にしないけれど、金儲けは許さん」という人がけっこういるようで、ネット本が売れなかった頃にはあまり問題にならなかった 2ch 本が、最近では作りにくくなっているようです。いや、作ること自体には(事実上)支障ないのだけれども、ネットでの猛反発は我慢する他ない状況。ところで 2ch 以外では、掲示板のまとめ本が問題になった事例(育児ママを癒す本」事件/「ホテルジャンキーズ」事件)が早い段階からありまして、ろじぱら本が過去の投稿を採用せず新規に出版向けと断って投稿を募集したのも防衛策なんでしょうね。
著作権の問題については、あまりリンクされているのを見たことがないのだけれど、妖精現実の第9章11項と第6章2項が参考になると思う(賛同するにせよ、しないにせよ)。じつのところ私は革命的な提案にはついていけない。全員に分配するほど利益の出ないビジネスの足を引っ張ることはないじゃないか、と思う程度。気になるのは、他人のちょっとした金儲け(電車男だって高々数千万円に過ぎない)を口を極めて罵る人の醜さ。
ふだんはRinRin王国に紹介されるとリスペクトのリンクが増えるのだけれど、今回は最初に増えたリンク元が2chログの書籍化について 8……。
以下、少々補足など。
2ch は匿名掲示板ですから、出版などに際し著作者全員の明示的な許可が必要となると、事務コストが常識的な損益分岐点を遥かに越え、2ch のコンテンツは金銭的価値をほぼ失います。それは公共の福祉に合致することでしょうか。個々人の権利は大切ですが、適当なところで折れる必要もあると思います。「思い出に残る食事」など私の好きな本が、今後は(コストの問題で)作れなくなってしまうのだとすれば、寂しい話です。
大ヒットした「電車男」はもちろん、細々と売れてきた過去の 2ch 本にも一定の需要がありました。「2ちゃんねる」著作権侵害問題や電車男@FAQにある通り法的リスクの存在は明らかですが、これまで訴訟はありません。「著作権侵害は許せない」そうかもしれません。しかしながら、誰かが涙を呑んだ代わりに欲しい本が手に入った人がいて、西村博之さんも出版社の社員も書店員も印刷所の従業員も少し潤って、経済の歯車がひとつ回ったのも確かです。
電車男の時刻表は「2ちゃんねるぷらすVol.11」や「泣ける2ちゃんねる(2)」の出版を問題視していません。その理由が「知らなかったから」以外の何か(例えば「反対意見が目立たないから」)だったとすれば、少なくとも鉄子さんの価値観に「全員の著作権をきちんと守るより大切なもの」が想定されていることを意味しませんか?
2ch の9月危機以降長らく、2ch が儲かる話には基本的に応援する雰囲気があったと思う。独身男性板の住人が「電車男」出版に反対したこと、他板にも共鳴するスレッドが立ったことに、私はガッカリしました。「2ch ってそういうところだったっけ?」と。2ch 住人が、「参加者」ではなく「利用者」になってしまったことに、寂しさを感じたのです。
Advice の過去ログを整理しました。ログが増えて管理が面倒になっていたので、100件毎にフォルダを作って放り込んだのです。メンテナンス性優先で一覧ページのデザインを簡略化したら、ちょっと寂しい感じにました。作業のついでに、閉鎖または方向転換したサイトへのリンクを一掃。これはさすがに手間がかかりましたが、一人くらい消えた個人サイトの跡地を巡察して手を合わせる人がいてもいいだろう、と思いました。
今回も Speeeeed が大活躍。こういった検察置換ソフトと正規表現に関する(多少の)知識なしでは、千箇所を超える記述の修正を伴うサイト構造の変更なんてできません。
最近、ちょっと驚いた話。
ここにあった! 保険関連サイト厳選リンク集のみずほ銀行:みずほ住宅ローン用火災保険という記事で難燃住宅の建設より、火災保険への加入が大事がリンクされたのだけれども、私の記事をリンクしたということはつまり、リンク先を読んでいないことを示しています。
驚いたのは、このサイトから何人もの方がリンクを辿ってきたということ。これほどワケのわからない、いい加減なサイトなんか利用して何になるのか理解できない。でも実際、喜んで利用している人がいるわけで、「世の中広いなあ」と思いました。
PandoraSystem が黒と金色のデザインバランスが素晴らしい
と紹介している森永カフェ・ド・ショコラの公式サイトを覗いてみたら、フォスタープラン支援事業というページがありました。
私が小学生の頃、両親はフォスタープランに出会い、ネパールのスカラル・タマン君の就学を支援することになりました。フォスタープランの興味深いところは、直接に進学費用をお金で渡すわけではない点にあります。我が家の支援金はタマン君の暮らす集落の畜産事業の資金となり、地域の経済状況改善と引換えにタマン君の進学をご両親に約束させる、という計画でした。この計画の妥当性を、私の両親は信じたのでした。
結果的には、家畜が育つ頃に首都カトマンズで騒乱が起きるなどしてネパール経済は低迷し、予定通りの収益を上げることはできませんでした。小学校には何とか通うことができたタマン君ですが、希望していた中学への進学がどうなったのかは、わかりません。
タマン君、なんて書いていますが、実は私より年上で、お兄さんなのです。ひょろっとして背が高く、お母さん思いの少年ということでした。兄弟姉妹が何人もいたのに彼が選ばれたのは、幼少時より利発で、一家の期待を背負って立つ存在だったからでしょう。
少々の日用品は送ってよいということだったので、色鉛筆やクレヨン、ノートなどを送りました。紙が貴重品で、文字は砂に書いて練習している、という話も聞きました。だから、鉛筆など筆記具を送るときには紙も必ず一緒に送ったものです。手紙が返ってくるのは年2回程度。最初は字が書けないので、現地スタッフの聞き書きが送られてきました。1年後には直筆の絵手紙が送られてきました。最初は小学1年生が祖父母に出す年賀状くらいの内容。それが次第に、夏休みの日記くらいになり、理科の観察ノートくらいになり、最後にはブログの記事くらいになりました。
いつも温かいご支援をいただきまして、ありがとうございます。**様、**様、徳保隆夫様、**様(私の家族4人の名前が並べられている)、毎朝、毎日、毎夕、毎晩感謝しております。家族が幸せな生活を送ることができ、私が学校に通い社会で役立つ人間になることができるのは、皆様のおかげです(以下略)
両親が月収25〜30万円、年収400〜500万円の家計から出す年数万円の支援が、ただ遊んでいるだけの私を「心からの感謝」の対象としてしまう世界の現実に、胸が押しつぶされる思いがしました。ただただ悲しかったのです。自分に、人に感謝される何の資格があるだろう? けれど、そんな苦悩も一晩泣いたら忘却の彼方。
若年の頃より途上国支援に積極的に関わってきた作家の曽野綾子さんが3月18日の新聞連載「透明な歳月の光」第151回に、いつもの持論を展開されていて、私はいつものように首肯するのでありました。
三月十三日付の全国紙に、静岡の六十三歳の主婦の投書が掲載されていた。
自民党の新憲法起草委員会がまとめたという前文に、「水清く緑濃く四季巡り五穀豊かに、命に満ちて幸多い国である」とあり、「美辞麗句に驚いた」。「その通りとうなずく国民がどれほどいるだろうか」というのである。
私は国民の一人に入れてもらえないのかもしれないが、自民党案の通りに感じている。それは日本の幸運の結果だ。それプラス日本にはすみずみまでに、植林や農業に精を出すすばらしい人たちがいる。その人たちがよく経営された国を作ってくださった。私が現在働いている財団を通して、日本の民主主義を体験してもらうためにサマワから招聘した宗教指導者や女性教師たちは、伊勢神宮の境内に立って息をのんだ。
「聖戦」と呼ぶ自殺テロで死ねば、テロリストたちは天国で流れる清らかな水と緑あふれる茂みのそばで憩うことができると教えられているという。しかし日本では、殺人を伴うテロをしなくても、誰もが流れる清流と緑の山を見られることを、私達が何も説明しなくても彼らはこの目で見たのである。
私は今の日本が決して完全だといっているのではない。政治家も身を正すべきだ。しかし日本は私が行ったことのある百二十カ国ほどの中で、国民に基本的生活の安全を与えている数少ない国家の一つである。
投書には「食糧まで他国に依存し、山奥は荒れるに任せ、飢えた動物が里へ降りてくると即殺され、学校、家庭、社会に虐待や自殺、犯罪が横行している。自衛隊を軍隊でないとか、イラクは危険でないとか言いくるめた自民党のいつものやり方を憲法にまで使うとは、許せないことだ」ともある。
食糧やエネルギーを他国に依存するのは危険なことだという意見には私も同感だ。しかしアフリカの貧しい国には、里で殺して食べられる動物もいない。アフリカだけでなく、コロンビアやチェチェンなどに見られる難民。学校に行けず、働いている子供たちはどこにでもいくらでもいる。サハラ以南のアフリカは、飢餓線上にいて医療も得られない人々だらけだ。コンゴ、ウガンダ、スーダンの虐殺や暴行は、今日も行われている。マラリア、結核、エイズは放置されているといってよい。思想、学問、職業選択の自由は事実上ないに等しい貧困である。それらの国々に比べたら、日本は天国だ。それともそうした国々のことは比較することさえしなくていい、とこの人は切り捨てているのだろうか。
自民党案の前文は旧制高校の校歌風の古めかしい表現だから現代の人の心を打たないのだろう。しかし事実を無視して、ことのついでに自国を悪くいえばいいという姿勢を、私はとらない。
曽野綾子さんの主張は、ネットでは断片的に伝えられて無用の反発を招いていることが多いように思う。この記事にひとつ補足しておくと、曽野さんはイラク戦争に一貫して反対しており、先の選挙も「成功」とは考えていないし、民主主義の普遍性にも繰返し疑いを表明されている方です。
九十九式は今、mixi そっくりのデザインになっています。以前、orkit そっくりのデザインにされたときにも驚かされたわけですけれども、こういうのは案外、簡単じゃありません。ソースを見て、画像を拾ってくるだけじゃダメ。細かい画像加工に手間暇かけないと、この完成度は得られないものです。私には真似できません。
技術的に無茶苦茶すごいとはいわないけれど、この「おもてなし感」というか、「書き捨てではありませんよ」というアピールを支える精神性は本当にすごい。ふつう、本のレビューをしようと思ったって、ベスト99レビュアー のような小物画像をいちいち用意しないわけです。私なんかいい加減だから、書影さえ用意しない。
ニンジャ流おもてなし術のひとつの到達点が W(ダブルユー)、第2弾カバーアルバム!。JavaScript でリンク先を偽装する小技まで利かせて情報源を見事に創作。あまりにも手際がよ過ぎてクレームがついたというオマケつき。正直、これは私には絶対に真似できない領域。仮にこういったアイデアを思いついても面倒くさがってやらないだろうし、苦心惨憺して偽情報源を完成させても、JS でリンク先を偽装するところまでは思い至りません。
日経エンタテインメント!2005年3月号のインタビューで波田陽区がお笑い界がいつも同じ顔ぶれなのは、先輩達がどかないのではなく、勝てる後輩がいないんだと実感しました。
といっているのですが、これはウェブサイトでも同様だと思います。
エンタ!のインタビューは他の雑誌と違って(?)、本音っぽいインタビューが多いのでお勧めです。浜崎あゆみが「自分はエイベックスの戦略商品」と冷め切った理解を披露したり、細木数子が「六星占術は占いではなく、世界を理解するひとつの様式。運命論のように捉えられるのは心外」「テレビが過程を全部省略して強烈な言葉だけを報じ続けるなら出演をやめる」と説明したり、上戸彩が友達には仕事の話はあまりしないし、みんなもそういう話はしてこない。自信がないから、仕事についてあまりふれてほしくないというのが、正直あるから。
とネガティブな発言をしたり。実相とイメージのズレを気にしている芸能人は本当に多いんだな、とあらためて気付かされます。
自分から人に話しかけることが苦手で、スタジオでは無言で一人寂しくしているような女の子が、笑顔のイメージだけで「損保じゃパンダ!」とか「元気ハツラツぅ?」なんてやっている。「ありうる話」と認識してはいても、きちんと本人の言葉を紹介している雑誌がどれだけあるかな。産業としての芸能界を見据えるエンタ!は、さすが日経BP社の芸能情報誌だな、という感じ。
またまた九十九式にリンクされた! というのが、数日前に途中で放り出した記事を完成させたきっかけ。リンクされた記事とこの記事の内容は全然関係ないのですが、私の中では関係があったりします。
で、ふと思い出したのは、斬鉄剣のナミさんが「リンク報告は無用」といいつつリンク報告から傑作サイトを発掘しまくった故事。やっぱりリンク元の記事をよく読んでいる人は少なくないと思うし、面白い記事からリンクされたら、直接返信することはなくとも、その書き手を覚えることが多いんじゃないかな。私が突然、紹介するサイトや記事も、じつは以前に当サイトへリンクしてくれた方のものが多いのです。
Amazon のベスト100レビュアー、なんていっても、実際にはそれほど「参考になった」票をもらえるわけではないので、短期間に21票もいただいてビックリ。いくら売れている本とはいえ、ピックアップされているレビューよりたくさん投票されているのは尋常でない。さてはどなたかに好意的に紹介されたに違いない、と思って探してみたところ、しろはたスレッドPart2 で紹介されているのを発見。
しろはたというのは「電波男」の著者、本田透さんのオタク系サイト。正直、私にはよくわからないコンテンツが多い。でも例えばコラムやレビューなどは、Readme系テキストサイトが好きだった方なら楽しめると思います。私はテレビを持っておらずカレーにも思い入れないですが、十分に楽しめました。
閑話休題。
電波男リンク集には「電波男」の様々な感想が集められており、中には批判的意見も。面白いのは、しろはたスレッドが批判をいちいち拾って反駁している(いた)こと。なかなか興味深かったのですが、なるほど批判者の大半は誤読者なのかもしれないけれど、賞賛している側にも(少々の)誤読者がいるように思えました。といっても私の解釈も怪しいのだけれど、以下、簡単にメモしておきます。基本的に称賛系感想と批判者への反批判が元ネタ(のはず)。
「電波男」はオタクによるオタクの勝利宣言書
と銘打たれていますが、本書を最後まで読むと、オタク
を「本田透」に置き換えるべきだ、と気付きます。「電波男」最大の謎は、なぜ本田透さんが完璧な愛を求めてやまないのか、でしょう。本田透さんは「3次元(=現実/実体)の愛は不完全、完全な愛は2次元(=理想/妄想)にしかない」と断言し、2次元のために3次元を犠牲にすることを厭いません。世間一般では理解され難い考え方です。
本田透さんは、この価値観を奉じるに至った背景を、母に愛されず、父に捨てられ
愛のない世界で生きてきた35年間、心の支えは妄想(=2次元の完全な愛)だけだった、と説明しています。つまり本書の根幹をなす思想は、強烈な個人的体験に由来します。「電波男」が不特定多数のオタクを暗黙の主語としているのは、商売の都合です。ぬるいオタクが、本田透さん同様の悟りを開き、護身を完成しているはずがない。例えば、親のぬくもりを知っている人が、心底から「完全な2次元の愛のためなら不完全な3次元の愛を犠牲にできる!」といえますか? まず、不可能だと思う。
本田透さんの主張において、2次元の主観的な優位性は愛の完全さに支えられています。しかし愛の他は3次元に優位な面もあることは本田透さんも認めている通り。となると、不完全(≠0)な愛で充足した記憶のある方にとって、3次元を犠牲にするのは簡単でない。もちろん二者択一になるとは限らず、3次元側が独占を欲しなければ完全な愛とオマケが両立します。
「結局、努力を拒否して現実から逃げているだけでしょ」という批判は、誤読です。「電波男」において護身を完成させたオタク
とは本田透さんのことなのだから。けれども、本田透さんと自分を安直に同一視していた方にとって、この批判は少しカスっているのではないでしょうか。「本当にオマケを諦めたの?」という程度の意味で。(2005-03-24 補記)
「電波男」は妄想の向かう先として主に「2次元」を紹介していますが、これは本田透さんの人生を反映した結果。よく読めば、別にアニメやゲームだけが「萌え」の対象ではない、ということは明確に記されています。トラヴィス、宮沢賢治、そしてベートーベン。
「電波男」に女性への恨みつらみが目立つのは、本田透さんが男性だから。本田透さんが女性なら、男性への恨みつらみが書かれたでしょう。「電波男」は女性批判でも男性批判でもなく、3次元批判なのです。
また、女性オタを完全に無視しているというのは誤りで、少しだけ触れられています。
そして、女性をみなアナログ扱いするのはひどい、という意見もどこかで読みましたが、これはまったくの誤読。3次元である以上、男女問わずアナログです。本田透さん自身も、当然アナログなのです。3次元は所詮アナログで、だから度し難いのです(「電波男」的には)。
- 「恋愛資本主義上の恋愛」と「愛(純愛)」の混同
- 恋愛資本主義の廃止を求めているものと勘違い
- 萌えることを強制された勘違い
「電波男」感想リンク集を見ていくと批判的意見に攻撃的なコメントがつくケースが多々ありますが、まず価値観の差異を斟酌すべきでは? 価値相対主義なら、相互理解を前提に認めあう余地があります。一方、価値絶対主義ならば、ある価値観に基づく行動が必ず正しいということになります。処世術としては相対主義者が譲るのが正解だと私は考えます。
本田透さんの主張は(少なくとも現在)少数派の価値観を代表するものであり、世界に普遍的なものではない。多数派の価値絶対主義者は気楽だけれども、少数派がそれでは生きていくのがつらい。「電波男」読者の中では、支持者が多数派だから気が大きくなって批判者を叩いているけれども、例えば職場や学校など、より一般的な構成のギャラリーの中で現在のように威勢よくできますか。本田透さんならともかく、大半の支持者は腰砕けになると思う。
恋愛資本主義に背を向けることを「脱落」「逃走」「怠惰」と評するのは、恋愛資本主義側から見れば当然です。(極言すれば)恋愛≒受験戦争で何が悪い、というのが恋愛資本主義なのだから。学歴は努力に比例しないので不公平ですが、努力が無意味でないのも事実。「受験勉強はしない! こんなのは本当の勉強じゃない! 低学歴を差別するな!」と主張しても多数派は冷たい。
「電波男」を読んだなら、萌えオタクを「脱落」「逃走」「怠惰」と評するはずがない! 誤読している! というのは誤りです。「理解」が「共感」に達しない限り、評価は覆りません。
1985年に刊行された桜井哲夫・著「ことばを失った若者たち」は「3次元より2次元の方が素晴らしい」と考える「ニジコン」を紹介し、コード化が進みモノに収斂した社会体制が生んだ新世代の一典型と解釈して日本の将来を危惧しました。20年前、「萌え」が勝つ可能性があったのです。しかし実際は伝統的価値観を破壊した恋愛資本主義が社会を呑込み、「萌え」は敗退を重ねました。本田透さんの主張の原型は、20年前に提出されています。恋愛資本主義が成熟し矛盾が極大化した今こそ、反撃の時? 私は懐疑的です。
誤読を正しても共感されない、理解されるだけです。理解した上で、別の価値観を基準に批判することは珍しくもない。「あなたとは異なる価値体系を奉じているので、私は批判せざるをえない」云々。「わかる=賛同する」ではありません。様々な価値判断について、「誤読しているに違いない」といって突っかかる人が、少し目立つように思います。もちろん人は処世術だけで生きられない。私もそれは分かります。だから切ない。
先日、metro さんのお嬢さんがすくすく育っていることについて触れました。そういえば当サイトを開設して以降、子煩悩なお父さん達には何かと縁がありました。その内の2つのウェブサイトへ訪問してみたところ、しばらく見ないうちにイオちゃんもshuuちゃんもとっても成長していて感動。
イオ日記には(スタイルシートを有効にしている場合)イオちゃんのイラストがジャジャーンと紹介されていて、私の両親も家の中のあちこちに子どもの拙い絵を飾って喜んでいたなあ、と思い出しました。壁に飾る絵は次第に変化していき、引越しの際にほとんどしまいこまれてしまったのですけれども、裁縫箱の蓋に描かれた「お母さんの顔」だけは、今も現役です。幼稚園の授業で描いた、母の日のプレゼント。今でも母はこの小さなプラスチック製の裁縫箱に針と糸を小さな鋏を入れ、穴があいたり破れたりした服を日々直しているのです。
ところで、イオちゃんのこどもに100のしつもんは楽しいですね。そろそろ第3回が行われているかな? と思ったらまだだったので、ちょっと残念。この春休みあたり、いかがでしょう?
shuuちゃんは今、体調が悪いらしい。お腹の具合が悪いとき柑橘系の果物はダメ。ミカンもオレンジジュースもよくない、ということを、私は身に沁みてわかっているのですが、小学生の頃は馬鹿で、何かとオレンジジュースを飲みたがっていたものです。よっぽど好きだったんですね。「もう治ったから大丈夫!」そしてその晩、治ったはずの腹痛がぶり返す。逆にお腹の調子が悪いときにありがたい食べ物は、リンゴの他には大根でしょうか。大根を食べる工夫は、調べてみるとたくさんあります。今は少し難しいでしょうが、将来、試してみてはいかがでしょうか。
ところで、The Face は MT を利用して作られているウェブサイト。今、レンタルサービスがどんどん条件よくなっていて、ふつうにウェブログやるだけなら自分でサーバを借りて運営するより無料レンタルの方がいいくらい。やるならやっぱり kazuo さんくらい本格的にカスタマイズしないとね、と思ったり。あと、全然脈絡ないけれど2月14日の日記は一番胸に迫った記事。
メールでご意見をいただいて、「う〜ん」と考え込むことに。ちょっと判断がつかないので、以下、しばらく全て仮の話という設定で話を進めます。
保身術としては、「地雷地帯は避けなさい」なんでしょうね。他人の病気なんて、おいそれと理解できるものではないし。とはいえ、メンヘル系サイトくらい、わかりやすい警告(デザインにせよテキストの内容にせよ)があればともかく、たしかにプロフィルや日記にそれっぽいことは書いてあったけれど、ごくふつうに社会人生活を送っていらっしゃる方について、性格を評してはいけないものなのか。怒りっぽい人を怒りっぽいと(本人に聞こえるところで)いってはいけないのか。
万一病気に関係していた場合、「妊婦のお腹を蹴飛ばすくらい悪いこと」というご意見は、わかるつもり。だから悩んでいるのですが、そうなるとウェブでの表現なんてみんな精神活動の成果という側面を持っているわけで、危なっかしくてひとつも言及できなくなってしまいませんか。通院歴がある、というだけでは地雷の埋設箇所はわかりませんから。この流れで考えていくと、私の場合、リスクが高すぎて精神科の患者さんには一切言及できなくなりそうです。
今まで、私の周りにもいたんですよ、メンヘラーに出会うと桑原桑原ってスタコラ退散するタイプの方々。何をそんなに怖がっているの? 同じ人間なんだし、ふつうに接していればいいじゃない? と思っていたのですが、「妊婦のお腹を蹴飛ばすくらい悪いこと」と断じられたら、足がすくみます。
それでいいんだ、人の気持ちがわからないクズは黙ってろ、ということなら話はお終いなのですが、でも世の中って、程度はいろいろあれどそういうクズが多いでしょ。これがみんな黙ったら、本当に患者さんにとって素晴らしい世界になるのかな。あえてこんな記事を書いたのは、この問いを発したかったから。
少なくともお前は馬鹿なんだから黙れ、関わるな、という意見が多ければ、そうしたいと思います。
blockquoteはもう古い〜fieldsetの伝説(legend)!!を思い出す笑撃テクニック。1年前、ブログと CSS デザインに「CSS デザインは HTML によるデザインより素晴らしいのだ」という価値観が、理屈抜きで蔓延しつつあるらしい
と書いたのですが、結局、理屈抜きなら何でもありになってしまって、つまりその、何というか……。
ちなみに角丸をテーブルレイアウト+画像なしで実現しているのが NAVER - 知識plus です。ソースを見たら悶絶必至。ドット絵職人大活躍! なのです。角丸だけじゃない、たかが点線ひとつ実現するためにテーブルを使うなんて……正気ですか!? とはいえ、発注者も(ほとんどの)閲覧者も別に気にしていないはずで、変な方法を採用して苦労するデザイナーの自業自得。
……と煽ってみたものの、発案者は HTML ソースに b 要素を直書きする方法を最初の基本的な説明だけに用い、実践レベルでは id 属性を付加した div 要素内に JavaScript で b 要素を追加する方法を勧めています。(final example のソースもご確認ください)
直書きはともかく JS による付加については否定論も少ないだろうと思う。ありみかさんのところでも左下の角丸を実現するために IE では似たようなことをしているし、あれこれポップアップをリッチスタイルで使用されている方は、そこそこ鷹揚に考えていらっしゃるはず。無駄な要素の付加は認めて、その上で Valid であることだけは担保する、といったあたりが妥協点でしょう。
じつをいえば当サイトも JavaScript で文章構造上は必要のない要素を付加しているわけです。見た目のためだけに。盲点になっているかもしれませんが、スタイル切替のセレクトボックスと、それを包含する div 要素がそれです。(改訂:2005-03-20)
「電車男」関連本はみんな目を通しておこうと思って、5冊とも読んで Amazon にレビューを投稿したのですが、「封印」と「ありがとう」のレビューが未掲載。理由は不明ながら、また不採用なのかな、という感じ。結構、掲載されないレビューって多いんですよ。やっぱり悔しいですね。
ちなみに「電車男」特集の「2ちゃんねるぷらす Vol.11」は読んだけど未レビュー。
「電車男」に感動した方向けの「ありがとう!電車男」、できすぎた話に釈然としなかった方向けの「封印された『電車男』」、「電車男」を生んだ 2ch の文化を知りたい方向けの「「電車男」は誰なのか―“ネタ化”するコミュニケーション」、2ch 住人向けの「2ちゃんねるぷらす Vol.11」、そして恋愛資本主義を批判する「電波男」……こうして並べてみると、見事なラインアップですね。全部出版社が違うのに、企画にだぶりがない。まるでひとつの出版プロジェクトが存在したかのようです。
(注:テーマは「ありがとう」と「ぷらす」が被りますが、対象読者層が違うため、最終的に内容もまとめ方もかなり異なっています)
全部読んだわけですが、岡田斗司夫さんの社会評論系の本が大好きな私にとっては、「電波男」が一番ツボでしたね。著者が変な人っぽいので躊躇したのですが、読んでみれば無茶な仮説をどんどん補強していくズッコケ社会評論。面白かったです。けれども、ふつうの人は自分と違う価値観を奉じる人の本は楽しく読めないことが多いと聞きます。心配な方は必ずキモイ伝をチェックなさってください。これがダメならダメだと思います。
葉っぱキロク所(暫定に電波男リンク集がありますが、どうもやはり、本田透さんに(いろいろな意味で)近い立場の方が買っているようですね。まあ、そういうものなんだろうと思います。あれだけ批判しておきながら「千人祈」を買っていたりする私の方が変なのでしょう。
いくらなんでもレビューを書く本を全部買うのは無理。しかし読まずにレビューするなんて、もってのほか。椅子と机を店内にたくさん用意しているジュンク堂書店池袋店がなければ、大量のレビューもこの記事もありえませんでした。参考までに、この記事に登場する本の内、同書店で買ったのは「電車男は誰なのか」「2ちゃんねるぷらす Vol.11」「電波男」です。「電車男」と「完全パンクマニュアル」と「千人祈」は Amazon で買いました。じつは購入していないのは2冊だけ。
あと、関係ないですが2ちゃんねるぷらす休刊のお知らせが個人契約っぽいサーバに置かれているのは何故なんでしょう。
同名のウェブサイトの書籍化。とっても楽しい本なので、まずはちょっとサイトを覗いてみてくださいな。
で、私も再訪してみたわけですよ。そして、本を買って油断していたことを、つくづく後悔しましたね。ダウンロードという新設ページに気付いて悶絶。サーバの負荷軽減のため、ということでひとつのコンテンツにつき数日間しかダウンロードできない制限がかけられているのです。こんなにたくさんコンテンツを作っていたのに、な、なんで書籍に付録の CD をつけないのよ?
Winny を使えば公開終了分も入手できるらしいのですが、ダイヤルアップと同等の回線で Winny ってのは無謀じゃないかなあ。サーバからのダウンロードなら、時間さえかければ確実に落とせるのだけれど。ま、何はともあれ、書籍化によって予算がついて楽しいコンテンツが製作されたわけで、みんなハッピー。無事に1刷が完売するといいですね。
CSS コミュニティでちょっとした議論が起きていました。内容は「いつか見た話」なのですが、なんで MinuteDesign がここまで一斉に突っ込まれるのかは理解できませんでした。ここで日本赤軍のリンチ殺人を想起したのは私の勇み足でしょうが、もっと他に敵はいるような気が。ミスの指摘はかまわないのですが、かなり高いレベルで「わかっている」人と目される MinuteDesign さんに対して、脱・テーブルレイアウト初心者が犯しやすいミス
と書いて感情を逆なでする FUMING さんのキレ芸に、つい噴出してしまいました。
MinuteDesign さんはたまったものじゃないだろうけれど、FUMING さんの沸点の低さは一種の芸になっていると思う。リンク集に FUMING さんのお名前を発見したときから期待はしていたのですが、狙いすましたかのような一撃に感服。
一つの言葉で、人は喜び、楽しみ、傷つき、悲しみ、怒りetc.いろんな感情を抱きます。言葉の恐ろしさを知っているからこそ、気軽にコメントを入れたり、文章にしたり、口にしたりできないのだろうかと思ったりします。
……私は、どちらかといえば気軽に言葉を発するタイプの人間です。結局、言葉の力を信じていないのでしょう。
指摘するなら、コメント欄だって用意してあるのに、自分のBlogに書いて挙げ句の果てにあの表現ですか。
というのは私の記事への感想でしょうか。多分そうだろう、と仮定して、以下書きます。
私は「言葉遣いを直せ」といいたいわけじゃありません。FUMING さんの日記はキレ芸が面白い、という紹介記事なんですよ、これは。意に沿わない紹介文でしょうが、文章がしばしば作者の意図と違った読まれ方をすることはよくご存知のはず。映画「アルマゲドン」を壮大なコントネタとして観るようなもの、といえばご理解いただけるでしょうか? そして感動映画をギャグ作品として紹介することは許されるのであり、個人の日記についてもそれは同様だと思っています。
玄人の方でも素人の間違ひをしてしまふことはあるし、その時「素人の間違ひ」と指摘するのは、普通の事です。
というご指摘に異論はありませんが、それが相手をムカつかせる可能性も容易に想像がつくところ。ただし私は目くじらを立てているわけではなく、「さすが FUMING さん、期待通りですね」といってみたかっただけです。
ミスはミスであり、ましてや影響力の強い人なのですから、突込みもそれに比例して大きくなるのは当然のこと。一体何処から
日本赤軍のリンチ殺人とかもっと他に敵はいるような気がといふ話になるのか。そりあFUMING氏が怒るのも無理はないでせう。
「身内による特定の価値観から少し外れた発言を厳しく責める集団というと、左翼を思い出しますね」という素朴な感想を書いたのです。別に FUMING さんが日本赤軍だといっているのではなくて、共通点がありますね、というだけの話。これをレッテル貼り
といわれても困る。柊アマテルさんだって困るでしょう、「A と B には C という共通点がある」という話を全然できなくなってしまったら。
今回の話には関係ない話。ふと頭に浮かんだので、忘れないうちにここに書きます。「レッテル貼り」は他人の言説を潰す魔法の言葉として便利に使われていますが、抽象的な議論をするのに問題の類型化は避けられない。個別にそれぞれ事情が……といったら、集合の話はちっともできなくなってしまう。しばしばお互いに「レッテル貼りをするな!」といいあって硬直化する議論がありますが、もったいない話です。
二次創作同人娘のためのアクセスアップ講座の運営>お手入れ編でリンクされてからというもの、同人系サイトからのアドバイス依頼が増えました。もっとも、2002年の300件余のアドバイスも少なからずがみゅうはぁとのサイト鑑定掲示板への投稿をサルベージしたものなので、ログだけ読んでいくと変化に気付かないかもしれません。私にとっては、ご指名での依頼と、鑑定掲示板でつけるレスとでは気の持ちようがだいぶ違うのですが、結果は大差ありませんから。
さて、昨年8月に再開後、わずか19件しか書いていないアドバイスですけれども、予想以上に読まれているようです。掲示板は ROM だらけ(注:ROM=Read Only Member=読むだけの参加者)と先日書きましたが、アドバイスも平均で1000人以上に閲覧されています。表紙から過去ログへ移った後に限ってもそれくらい読まれており、意外に人気があります。その割に、アドバイスの中でリンクした文書を見に行く方の少ないことといったら驚くほどで、これでは1000人が読んでいるといっても誰も信じまいな……。いや、まあそれはいいのですが、同人系サイトにアドバイスしていたら、同人系サイトからのリンクが増えて、ちょっと嬉しいという話。
なぜ、嬉しいのか。
最近、mixi ばかり更新するのは本サイトの読者への差別だという話題が一部で再燃している(強烈な燃料の投下があったため)のですが、私はこれ、差別されても仕方ないと思っています。沈黙のオーディエンスが話題になったとき、mixi なら記事に好意的な反応がたくさんつく! という主張が出てきました。実際には mixi でも寂しい思いをされている方が多いように見えますが、運よく mixi でよい読者に恵まれた場合、そちらを優遇するのは自然なことでしょう。
仮に足跡機能による圧迫効果だとしても、記事にレスがついたら嬉しい方は少なくありません。浅野教授も結局、土下座しなければリスペクトの言葉をくれない読者に愛想を尽かして mixi 三昧。id:cosmo_sophy さんが分類されているように、管理人もいろいろなのです。同じようなコンテンツを提供する管理人も、そのメンタリティは必ずしも似通っていない。
日記書きにせよ絵師にせよ、ある種の管理人が mixi などに活動の場を移していくのは、資本主義的に正しい。浅野教授の(あるいは岡田斗司夫の)用語を借りれば、管理人はラブ
の稼げるところで活動するのであって、適切な対価を支払わない読者がコンテンツの供給を止められるのは当然です。とはいえ、値札を隠して適切な対価が読者から見えにくいようにしている管理人にも、問題はあります。アクセスが多過ぎるので閉鎖、反応が多過ぎるので閉鎖、なんてケースもあるから読者は頭を柔軟にして、あらゆる可能性を考えねばなりません。けれども、閉鎖や更新休止に至る前に、たいてい警告が出ているように思うのは私だけでしょうか。
ちなみに当サイトは、何度も書いている通り、基本的にコミュニケーションに対して冷淡です。これは当サイトがスタートしてからほとんど変化のない私のスタンス。訪問者数については考えが二転三転しており、アクセスを減らしたくなって更新をサボったりしたこともあります。現在は文中リンク大歓迎、リンク集でのご紹介やアンテナ登録も歓迎、トラックバックは消極的に受付中、といったところ。
今、何でもかんでも総ブログ化計画がブログへの反応、正直少ないと思いません?ということでトラックバックを募集中。リンクされたのも何かの縁、せっかくだから一言書こうかな、と思ったときに見つけたのが、GREEN(仮)からのリファラでした。リンク集の方では素っ気ないのですが、某ひみつページでこないだ見つけた超素敵サイト
と紹介されていて、いくら私でもこれは嬉しかったですね。
Amazon でベストセラー街道を驀進中の電波男の主張は、いささかオタクに都合がよ過ぎると思うのだけれど、無根拠でもないと思います。前段で一例を示しましたけれども、同人系サイトからのリンクはたいていリスペクトいっぱいで、ヘイトは滅多にない。この幸せなバランスは、こっちの(と書くと「一緒にするな!」って怒られそうだけれど)殺伐系プチ論壇の世界に欠けているもののひとつだと思います
運営>お手入れ編がきっかけで嬉しいリンクが増えたわけなので、誓さんには感謝しています。
けっこう人気があったらしい。突然の閉鎖宣言とはいえ、リンクされた閉鎖する前に考えて欲しいことへ、かなりの人数がやってきたので目を引きました。
思えばRAITOさんに影響されて突発的に作ったブログ。飽きっぽい私の性格で二十数日も続いたと思います。ネタがなくてシレーナ様(*´д`*)ハァハァな方向に逝っちゃいましたがw
約1ヶ月も続いたなら、偉いものですね。私はなかなか続きません(このサイトは例外)。多角経営でバリバリやってる伊藤春香さんって、どれだけ暇なんだろう。そうか学生は春休みか。というか、「忙しいから更新を控えます」とかいいつつ、既に先月よりたくさん記事を書いている(本数ではなく分量)私はどうかしていると思う。
過去の流れからいくと、暖かくなるに従って更新頻度が落ち、夏場はきっとまた全然更新しなくなるに違いありません。なんでそうなるのか? と考えてみるに、これはライフサイクルの問題なんですね。詳細は秘す。
閉鎖といえば、夜が明けるまで僕はここに座っているが間違えて全部の記事を消してしまいました
ということで閉鎖していたので、「とうとう身近な(?)ところでもこの手の事故が……」と悲しくなりました。たいていの無料レンタルブログサービスには記事のバックアップ機能がないのだけれど、基本的に特定のウェブサービスに全面的に依存するべきはないと思う。手許に記事データのバックアップを取っておくことは常識になっていいはず。記事データがウェブにしかないのは、よくない。
私が OE と hotmail の組み合わせにこだわってきたのも、ウェブサービスの利点とローカルへのバックアップを両立させたかったから。私はあちこちのパソコンに、hotmail のバックアップをおいています。これはこれで、情報管理の観点からはよくないのだけれど、別に他人に読まれて困る内容でもないしいいかな、と楽観視しています。
私が伊藤春香さんの存在を知ったのは♪はあちゅう(&さきっちょ)♪の悪あが記のコメント欄が大荒れになった話題が視界に入ってきたときのこと。関連記事を読めば読むほど、何だかバカバカしい気分になってきて、記事にする気力もなくなって放り出していたものをここで載せておきます。(前段で日記をひとつも読んでいないのに伊藤さんの名前を出したのは、この余談を記事の末尾に押し込むためだったりします)
コメント機能とトラックバック機能がなかったなら、世の中はもっと優しくなれるのに。ウェブでコミュニケーションなんて、やめておいた方がいい、なんて思ったり。
電車男に対するいくつかの反応についても同じことを思ったんだけど、私は他人の金儲けの足を引っ張りたがる人を好きになれない。つまり、全員に分配するほどには儲からない小金稼ぎのビジネスがあったとして、数人だけが利益をせしめたっていいじゃないか、と。他の人が損をするわけじゃないのだから。
あと話の流れと関係ないことを書き添えると、人気ウェブログランキングの類で実録鬼嫁日記や悪あが記がトップに出てきたのは、とても嬉しいことでした。かつてウェブ日記文化の片隅にいた人間として、信じていた道は間違っていなかった、と思うのです。やっぱりネタ日記(注:この言葉が適切かどうかは悩みどころ)は面白かったんだ、と。この文脈において、私は真鍋かをり支持派です。
ふつうの人が気にするのって、やっぱり見た目なんですね。そんなもの、そのうちに改善されるんだろうから、別にどうだっていいじゃない、と思うのが最近の私の立ち位置。
飽きちゃって、しばらく更新していませんけれども、Word 解説書の選び方は参考になると思います。
「アウトラインモードで構造を意識して文章を作成する」「スタイル機能で見出しや本文の見た目を決定する」が正しいWordの使ひ方だ。かう云ふ使ひ方をしないなら、Wordを擇ぶべき理由は全く無い。標準モードやページレイアウトモードで、ツールバーのボタンを使つて文字修飾する奴は、例外ナシに馬鹿。
取敢ず、正しい文字の組み方の話と、Wordの正しい使ひ方の話とを、混同するのは止めようよ。
掲示板は書き込む人より見る人の方がずっと多い、ということを頭ではわかっていても、心底からの実感を持っている人は少ないと思う。
ぜひ、リンク先をご覧ください。「嘘でしょ!?」って思ったアナタ、これが世界の現実です。
3月10日で1周年! おめでとうございます! 1年続けば、結構、この先も続いていくんじゃないかと思います。
管理人の"かす"さん(苗字から一字取ったのかな?)は、山の中の田舎町に暮らす高校生。BUMP OF CHICKEN のファンで、その熱の入りようは本サイトの1周年を期にバンプのイラストを集めた新サイト VINA を発足させたほど。2002年にアドバイスを始めた頃にも若い方にはファンが多かった印象のある BUMP OF CHICKEN ですが、当時の中学生が高校性になってもやっぱり人気は健在なんですね。移り気な若い世代の心を掴んで離さないバンプは、ホンモノなんだろうな、と思います。
私のサイトは版権CGイラストを展示しています。アクセス解析を見て、自分の作品の質の割には、見にきてくださる方は多いと思っています。でも、ここ半年くらい、訪問者の数がほぼ一定なので、少しでもいいので伸びればなぁと思っているのです。アドバイスお願いします。他にもここはやばいだろうという所があればお願いします。
あと日記なんですが、私はその日あったこと、思ったことをそのまま書いていて、楽しいのですけど、とても自己満足な気がして、読んでる人にはとてもつまらないなぁと思うのです。見る人が楽しめるようにすべきでしょうか…?(そうできる才能があるかは別として)やはり自分が楽しくても閲覧者の視点は気になります……
まず目次ページのイラストにたいへん驚いた、というのが正直な感想ですね。非常に上手いし、巧み。ふつう、塗りはきれいでもデッサンがどうしようもなく崩れるのが凡人のパターンなのですが、かすさんのイラストは、そこがしっかりしています。線画の段階でバッチリ決まっているから、アッサリした(じつは非常に手間がかかっているのかもしれませんが)仕上げもセンスよく見えます。そして配色がまた素晴らしい。目次イラストの紫と黄の取り合わせは、さすが自信作の完成度。
もちろん、構図やデッサンに歪みがないというわけじゃない。ただ、そのことをよく自覚されているし、非常に向上心を持っていらっしゃるようなので、私は心配していません。自分の作品の質の割には、見にきてくださる方は多い
とは謙遜し過ぎで、イラストのよさで人気が決まるなら、もっともっとお客さんは多くていいはずだと思います。自信を持ってほしいですね。
技術的な弱点は、凝った塗りにあるように思います。シンプルに仕上げた作品に比して、塗りを非常に頑張った作品ほど、粗が目立つというか、のっぺりと平板に見えてしまう嫌いがあります。CG の知識はないので、絵の具を用いた絵のケースに即して申し上げるなら、油絵で色を節操なく塗り重ねて、かえって影が消えてしまったような状態に似ています。メリハリというのでしょうか。線画の味が殺され、流れるような勢いが失われているような……。抽象的ですみません。
例えば、この2枚は非常に好きですね。陰翳や立体感がよく出ていて。線画なら3月8日の日記のイラストが、すごくいい。まあその、私の趣味として、こぎれいにまとまっているのが好き、というのがありまして、だから私の意見に引っ張られると小さくまとまって伸びなかったりすると思うので、参考程度に、って考えてほしいんですが。でも例えば、3月10日の日記のイラスト、これはちょっと憧れる人は少なくないと思いますよ。サラッと描いたようでいて、配色から何からほぼ完璧でしょう。
私の見てきた「ふつう」というのは、かすさんのイラストでいえば fuji.png のレベル。かすさんのイラストは概ねレベル高くて、いくつかはとってもいいので、多分、ブレイクのきっかけを待っている状態なんだろうと思いますね、私は。1日100ページビュー以上は期待できそうです。
魔法のような手段はありません。基本的なことを積み上げていくしかないと思います。かすさんのサイトは同人系ですので、
この2点は基本。でもかすさんはいずれもクリアされているようですね。しかし登録だけで満足されていませんか? せっかく登録したなら、活用も考えてみてはいかがでしょう。
既に1年の実績があり、コンテンツも一定量を確保しています。これは他のサイトと仲良くしていくにあたって、大きな優位点となります。アクセス向上を考えるなら、人気サイトへリンクしたら報告のメールを出すのが定石。このとき、自分のサイトが一定以上のレベルに達していれば、逆リンクされる可能性が高くなるのです。だから、リンク報告をするならこれからが正念場でしょう。新サイトを作ってすぐに、まだろくなコンテンツもないのにリンク報告する方が少なくない。そうしたライバルに対して、現在のかすさんは有利な立場にいるというわけです。
ただし、リンクの報告に際して、「よかったらうちのサイトにリンクしてください」なんて書くべきではありません。また過剰な期待は禁物です。好きなサイトへリンクする、好きなサイトの管理人さんに感想メールを書く、そのついでにリンク報告をする……この基本路線を見失うと、「なんだ、アクセスが欲しいだけか」と思われて、かえって相手に不快感を与えてしまうことにもなりかねません。
自分が応援メールをもらったらどれだけ励みになるか、どんなリンク報告をもらったら楽しい気分になるか、どうかそのことを忘れずに。好きなサイトの管理人さんがやる気を出してくれたら嬉しいですよね。だから、メールを出す一番の動機をそこに置いて、リンクされることについては、「運がよければ」と考えることが大切です。そうして気長にやっていくと、じわじわと効いてきます。
また、こうしたことに嘘は禁物なので、見てもいないサイトに「すごい! 感動しました!」なんてメールを出さないこと。それではお互いに気が滅入ってしまいます。サーチエンジンや同盟は、リンク先=巡回先を増やし、リンク報告を書いたり、掲示板にリスペクトの感想を書くいいきっかけになります。けれども、手当たり次第に口先だけのリスペクトをばら撒いても、結果は空しいでしょう。
私が勧めているのは、「このイラスト、いいなあ」と思ったときに、これまでは何もいわずに立ち去っていたところ、これからは「**のイラスト、よかったです、気に入りました」と掲示板やメール(ウェブ拍手や一言メールでもよい)で言葉を残す、何度も訪問して、本当にいいなと思ったサイトには、どんどんリンクしていく、リンクしたら感想のメールも送る、そういった当たり前のことなんですね。当たり前のことなんだけど、多くの方は、面倒くさがってやっていない。そのために多くの管理人がどれほど寂しく思っているか、ということは、かすさんもご存知の通り。
正しく行えば、みなが幸せになることです。あまり面倒でなければ、一度は試す価値があります。過去にうまくかなかったかもしれませんが、今、再挑戦する価値はあると思います。
コンテンツがアクセス向上の最重点であることは、もちろん間違いないのですが、これはアドバイスが難しい。イラストサイトですから、イラストの更新が多い方がいいだろう……というのがひとつの発想としてありますが、果たしてそれでうまくいくかどうか、保証はいたしかねます。
イラストをたくさん描こうと思って、すんなり描けるわけもないのであって、ではどうするかというと、ひとつには日記に載せたイラストを再掲載することが考えられます。かなりの力作を、あまり読まれないことが予想される日記ログに沈めたままにしておくのはもったいない。週1回、あるいは月1回でもいいので、拾い上げていくことをお勧めしたいですね。
サイトの構成についても、ひとつ意見させていただきます。いろいろあるのは構わないのですが、現状は、サイトの人気に比してコンテンツが分散しすぎているかな、という感じがします。最近、更新したコンテンツに「New!」といったマークをつければよいのでしょうが、現状では絵日記、お絵描き掲示板、写メ日記とチェックポイントが多い。実際によく更新されているのは絵日記(Note)なので、私なら絵日記を目立たせて、お客さんを誘導します。他のコンテンツを更新したときには、絵日記で告知します。
あまり盛り上がっていないコンテンツであっても、必ずしも消してしまう必要はないわけです。ただ、メリハリはつけていった方がいい。絵日記は目次の中でとくに目立っていないけれど、常連さんにとって一番、関心のあるコンテンツのはず。これから常連さんになる人に対しても、「とりあえずここを見てね」と伝わるようなデザイン、サイトの構成を採用することが望ましいと思います。
昔からよくいわれることなのですが、サイトの人気を上げていくには、宣伝して新しいお客さんを呼ぶことよりも、いかにやってきたお客さんをひきつけるかが大事です。けれども、これは簡単じゃない。私にも、こうすれば絶対にうまくいく! なんて方法は提示できません。厄介なことに、欠点を減らすアプローチでは、ふつう目標を達成できないのです。かすさんも、無数の欠点を持つ人気サイトに出会ったことがあるでしょう。
欠点の法則化に比して美点の法則化は困難です。アドバイザーが泣き言を書いても仕方ないのですが、結局のところ、たいしたアドバイスはできないのです。申し訳ありません。
ただ、何らかのヒントになりそうな話をひとつご紹介しておきたいと思います。以前に書いたアドバイスです。
簡単に書けば、「内容があれば宣伝も意味がある」というつまらない話なのですが、よろしければご一読を。
かすさんのイラストのファンなら、絵描きさんの身辺雑記として日記を楽しんでくださると思います。
あまり気負わず、書きたいことを書いていけばよいのではないかと私は考えるのですが、日記を単体でも魅力的なものとしていこうということであれば、1点だけヒントを差し上げたいと思います。
今、ウェブログというのがブームだそうです。ウェブログというのは、私の書いている備忘録のようなものです。日記の一種であるとお考えいただいても構いません。で、その日記の一種を読みたい読者が大勢いらっしゃるというのです。なんで一般人の日記を読みたい人がそんなにたくさんいるのか? ただの日記なんて、そんなに面白いものじゃないでしょう? じつは、ただの日記、ではないのです。
この備忘録を例に説明します。ふつうの日記であれば、今日の天気は晴れ、朝は何を食べて、昼は誰と会って、夜はこんなテレビ番組を見ました、みたいな内容になりますよね。けれども、私はそんなことはほとんどまったく書いていない。では何を書いているかというと、その日、思ったこと、考えたことを、テーマを絞って書きとめているのです。あれもこれも、ではなく、何かひとつのことについて書く。
このたったひとつのコツをつかむだけで、日記は少し面白くなります。1日にいくつかのことを書きたい場合は、記事を分けたり、あるいは小見出しで区切ったりするとよいですね。細かいことをいえば「ちょっと深く書く。あるいは、短くても、ひとつ自分らしい視点を入れてみる」といった工夫はいろいろあります。でも実際のところ、私はほとんど何も考えていません。1項目につき、ひとつのことを書くことが大切です。それだけ気をつければいいのではないかと思います。
あと、もとはイラストサイトだったのに、日記が人気出てしまって、いつの間にか日記中心のサイトになってしまった、というケースは少なくありません。それが楽しければ別に構わないのですが、そういうこともあるよ、ということでご注意を。なお、私は逆のケースをほとんど知りません。
現在のデザインは「吉日」に倣ったものだと思います。最初は(表紙への戻り方と「reset」の意味について)ちょっとだけ戸惑いましたが、とくに問題はないでしょう。とはいえ、やはり新しく作った「VINA」の方が洗練されていますね。
「ビーナ」はコンテンツが多いから、そのまま真似することはできません。けれども、少し工夫すれば似たような効果を狙うことは可能では?
扉ページの次のページを仮に「目次」と呼ぶとして、この目次ページを「VINA」同様に縦2分割のフレームとします。目次を右側に置く現在のデザインはそのまま踏襲すればよいでしょう。そして日記や掲示板など、小目次を必要としないコンテンツについては、そのまま左側のフレームに内容を読み込むようにされると、閲覧者にとっては便利ではないでしょうか。
メール送信フォームが目次側にあるとまずいでしょうから、フォームと幅広の更新記録は左側へ移動することをお勧めします。
さて、「image」「treasure」などの小目次の処理が一番のポイントとなるだろうと思います。私なら、こうしますね。
「VINA」のデザインが洗練されて見えるのは、左側に紺色の帯があるから。画面全体を真っ白にしてしまうより、帯がある方が画面が締まります。そこで、「ビーナ」の改善案では画面の右に紺色の帯を残します。これがベストだ、というわけではなく、現在のデザインを活かしつつ、少しだけ手を加えるとすればこんな感じ、という一例です。もっといい手もありそうな気はしますが、参考程度にはなるかと思います。
「ビーナ」改善案のソースをご覧いただくと、かなり簡単になっていることに気付かれるのではないかと思います。HTML と CSS についてきちんと勉強すると、サイトの製作がとても楽になります。最近は、易しさと正しさを兼ね備えた解説サイトも増えてきました。もし興味があれば、再勉強されてはいかがでしょうか?
以上です。
古いリンク集を見ると、ウェブサイトの寿命の短さを痛感させられますね。リンク先の生存率の低いこと、低いこと。驚かされたのは、たった3年で企業サイトも半数くらい討ち死にしていること。それでいいの?
あと、WinIE+JS ON で2002年当時の表紙を閲覧していただくと、いろいろスタイルの切り替えができたりします。ここ1年半くらい、当サイトのスタイルはほとんど変化していないのですが、昔はいろいろ馬鹿馬鹿しいスタイルに挑戦していたことがわかります。とにかく擬似フレームがすごく好きだったことは、よく覚えています。
じつは2002年に300件アドバイスして私は疲れてしまい、2003年から2004年前半までは、あまりアドバイスをしませんでした。この時期はメールでアドバイスしており、これをログにまとめなおすのが面倒くさくて、結局、1年半(約30件)のログがどこかへ流れて消え去ることに。
最近も私はろくなアドバイスをしていませんが、今見ると、昔のアドバイスはそれに輪をかけてひどい。。アドバイスされたサイトが1割程度しか生き残っていないのもむべなるかな。と思ったら、最近のアドバイス先も、ちょこちょこ消えててショック。
山本一郎さんがで、どういう経路でネタになったのか見に逝こうと思ってモバイル社会研究所とかいうやたらポップなデザインのサイトを巡って見たが一向に出てこず。どこにあんの。
と書いていたので調べてみると、本日の段階では目立つところに公開されていました。
山本さんの感想はそら下がらんだろ。
なんですが、まあ、たった200万人が不正したって下がらないでしょうね、当然。研究された田中辰雄さんは、以下のように結論されてます。
この推定結果はまだデータ数が少ない上に、検討すべき要因が残っており、きわめて暫定的なものである。データ数の増加、並びに分析手法の頑健性のチェックが残っており、結論は最終報告まで持ち越される。しかし、仮にこの結果が正しいとすると、ファイル交換によるコピーを禁止するために、訴訟など強権を発動する必要はないことになる。すなわち著作権の保護はゆるめるべきである。ビジネスの観点からは、ネット配信を試みる音楽事業者は、いわゆる違法コピーをそれほど恐れる必要はないということになるだろう。
大騒ぎするような話ではない、というか、どうでもいい結果のようで。
ブロガーも2ちゃんねらーも、未だ少数派にとどまっています。
という指摘を奇異に感じる方は少なくないでしょう。ネットで盛り上がっているのは反対派ばかりなのですから。しかし、私は小倉さんの指摘は事実だと思います。
ひとつ端的な数字を挙げます。人権擁護推進審議会の「人権擁護委員制度の改革に関する論点項目(2001-09-10)」に対し2001年9月11日〜同年10月31日に寄せられた意見は25621通にもなりました。内、書面での意見が25165通ですから、大半の意見が身元を明かしてのものと考えてよいでしょう。人権擁護 - 未来検索livedoorは647件
です。未来検索はウェブログの40分の1しか巡回していないのでしょうか?
「ゲーム脳」は典型的な事例ですが、いわゆるネット世論には、しばしば大きな偏りがあります。国内7000万人のネットユーザの大半は物言わぬ存在です。彼らは基本的に「無関心」ですが、さて、法案を策定した側の意見と、反対している側の意見の両方をきちんと検討した場合、どちらに味方するか? ブロガーが思っているほど、反対派への賛同は得られないだろうと思います。
……なんて書いていたら、産経新聞が本日の朝刊で反対サイト(Ex.人権擁護(言論弾圧)法案反対!/人権擁護法案特設サイト/サルでも分かる?人権擁護法案/人権擁護法案BLOG(臨時))の意見を(マスコミ規制関連を除き)実質的に全面肯定する社説(注:産経新聞では「主張」と題す)を出しましたね。
- 【主張】人権擁護法案 問題多く廃案にすべきだ
三年前に国会に提出され、廃案となった人権擁護法案に代わる新法案が十五日閣議決定され国会に提出される。
出生や国籍などを理由とした差別、虐待は許されない。適切な救済措置などを取ることは当然である。
だが、新法案はあまりにも問題が多い。「人権侵害」の定義があいまいなため、恣意(しい)的な拡大解釈がまかり通る恐れがあるからだ。運用次第では密告社会すら出現しかねない。
憲法で保障されている国民一人一人の「言論、出版その他一切の表現の自由」だけでなく、国民主権も損なわれる懸念がある。
新法案は前法案を踏襲したが、違いはメディア規制条項の「凍結」と五年後の見直しを盛り込んだことだ。
この条項は、報道機関のつきまといや待ち伏せなどの取材方法による人権侵害を「特別救済」の対象とし、犯罪少年の私生活の報道もその対象に含めている。行き過ぎは是正されねばならないが、この条項は、報道の自由を侵す恐れが極めて強い。
問題は、「人権侵害は不当な差別、虐待、その他の人権を侵害する行為」とするあいまいな定義だ。「人権侵害を助長、誘発する行為」も禁止される。いずれも拡大解釈が可能である。メディア規制条項を削除しても、メディアを含め、すべての国民が規制の対象であることに変わりはない。
人権侵害の判断は、法務省の外局として新設される人権委員会に委ねられる。人権委には事情聴取や立ち入り検査などの権限が付与される。拒否には罰金(三十万円以下)を科す。
下部組織の人権擁護委員(二万人以内)は人権侵害の情報収集などを行う。事実上の警察機能を持つ巨大組織の誕生といえる。
ところが人権委、人権擁護委員とも国籍条項が入っていない。従来の人権擁護委員は「市町村議員の選挙権を有する」だったが、新法案では「市町村の住民」にした。外国人を想定しているとも考えられる選考基準だ。
これは、「公権力の行使または国家意思の形成に参画する公務員に日本国籍が必要なことは当然の法理」とする政府見解にも抵触しよう。憲法違反の疑いがある法案は、国会で厳しく検証し、廃案を目指すべきだ。
うわ、一部修正どころか廃案を目指すべき
ですか。私は産経新聞の購読者ですが、この社説には大筋で反対です。一部賛成なのは、人権擁護委員の資格は現行通りが望ましいと考えているため。ところで政府案は自民党法務部会でも異論続出となっていますが、こちらは決して廃案ありきではない。新法に社会的要請があることを認めた上で、まずい点を修正していこうという方向の議論となっているようです。
行政処分の証拠収集に必要な立入検査は、刑事捜査の捜索とは異なり、裁判所の令状を必要としません。
10年史へのご意見なのですが、返信はこちらで。
今日は昨日の続き、明日は今日の続き。新法が社会秩序を一撃で転覆させる可能性を問うのは非現実的です。著作権法の事例が示す通り、あまりにも対象が広範囲にわたる場合、とくに悪質なケースや運の悪い人のみ処罰されるようになる、と考えるのが妥当です。スピード違反、名誉毀損など、現在の日本ではみなそういうことになっています。著作権法違反の偽ブランド品が、なぜ撲滅できないのか、疑問を感じたことはありませんか?
著作権法も道路交通法も、完全に執行されたら庶民の生活に大きな影響を及ぼします。では現実に、そういった不安があるか? ない、とは申しません。しかし、国民の不断の監視が続く限り、極端な運用は制限されていると考えるのが妥当ではないかと思います。
問題が出てくればそのときに法律を修正すればいいと思うかもしれませんが、言論の自由がいったん制限されてしまうと「修正すべき」という意見がたとえ正当なものであってもこの法律の効力によって押さえつけられてしまう恐れがあるのです。
と仰るのですが、いきなりそうなることはありえない。憲法第21条を掲げて裁判が行われ、過去の判例に従って人権委員会の活動に一定の制限が科せられていく可能性は低くないはずです。
既成事実が無数に積み上げられていく過程で国民が沈黙を守り続けた場合にしか起こりえない話を持ち出して不安を煽り、こんな可能性があるから一歩も引けない、という意見に、私は賛成しません。
人権擁護法案が希求される社会情勢、審議過程、賛否両論へのリンク集など。(改訂:2005-08-29)
- 第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
- 第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
1995年、日本国は人種差別撤廃条約へ加入するにあたり、「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」、「人種差別の扇動」等につき、処罰立法措置をとることを義務づけ
た第4条(a)及び(b)に留保をつけました。国連の人種差別の撤廃に関する委員会は、日本の第1回及び第2回定期報告(それぞれの提出期限は1997年1月14日、1999年1月14日)を、2001年3月8日及び9日に開催された第1443回及び第1444回会合において審査し、2001年3月20日に最終見解を採択しました。その中に、以下の一節があります。
10.委員会は、本条約に関連する締約国の法律の規定が、憲法第14条のみであることを懸念する。本条約が自動執行力を持っていないという事実を考慮すれば、委員会は、特に本条約第4条及び第5条に適合するような、人種差別を非合法化する特定の法律を制定することが必要であると信じる。
これに対し日本国政府は2001年7月、意見書を提出しました。その中で我が国の現状が、既存の法制度では差別行為を効果的に抑制することができず、かつ、立法以外の措置によってもそれを行うことができないほど明白な人種差別行為が行われている状況にあるとは認識しておらず、人種差別禁止法等の立法措置が必要であるとは考えていない。
と説明しています。その後、委員会は新たな見解を示していません。
本稿では小倉秀夫さんの誘導に従い人種差別撤廃条約を軸にまとめましたが、新たな立法措置が期待されるその他の外交的背景は外務省:外交政策「人権」の項より辿ることができます。
1948年に創設された人権擁護委員制度は、翌1949年に人権擁護委員法の制定により法的位置づけが明確になり、現在では約14000人の委員が人権擁護活動を行っています。しかし同制度は長年、力不足が指摘され続けてきました。そこで1996年12月26日、人権擁護施策推進法が公布され、人権擁護推進審議会が設置されました。
現状と課題を洗い出し対処策を検討してきた審議会は2001年5月25日、人権救済制度の在り方についてを答申、会長談話にある通り、新たな人権救済制度の創設
(=新法の制定)を迫りました。なお、審議会は2002年3月24日、人権擁護施策推進法第3条の失効に伴い解散しています。
人権擁護推進委員会の答申を受け法務省は作業を開始、2001年12月4日の新聞各紙に人権擁護法案の素案概要が報じられ、翌5日の衆議院法務委員会にて質問が出ています。そして2002年3月8日、第154回国会へ最初の人権擁護法案が提出されましたが、第155回国会(2002年後半)、第156回国会(2003年前半)と3会期連続で審議された末に廃案。しかし法案の再提出は規定路線であり、第159回国会と第161回国会でも3度ずつ小さく話題になっています。
2005年2月18日、第162回国会(2005年1月21日召集)の法務委員会において、南野知惠子法務大臣は以下の通り発言しました。
人権の擁護は、法秩序の維持と国民の権利の保全の任に当たる法務大臣固有の職責でありますが、すべての者がひとしく人権を享有するとの理念は、分野を問わず、社会の隅々まで行き渡るべきものと考えております。その具体的実現のために、新たに独立の行政委員会としての人権委員会及びこれを担い手とする新しい人権救済制度を創設する人権擁護法案の提出及びその成立に向けて精力的な取り組みを進めてまいりたいと考えております。
日本国政府は第162回国会への法案再提出・成立を目指し急ピッチで調整を進めましたが、自民党法務部会が紛糾した結果、法案提出は見送られました。
冷戦が終りバブルが崩壊した1993年、自民党支持層の退潮を背景に「市民派」の支持を受けた細川護煕内閣が誕生しました。短い羽田内閣を挟み、翌1994年、自社さ連立村山内閣発足。この時期、長年進展のなかった課題のいくつかが政治日程に乗りました。1995年の人種差別撤廃条約加入も、そのひとつ。人権を考える際、報道被害は避けて通れない問題です。となると国内法の整備に報道機関の賛同は得られず、難航が予想されます。第4条に留保をつけ、条約加入を優先させたのは、総論賛成各論反対の状況下で具体的な成果と既成事実を積み上げる判断であったといえます。
1996年、日本国政府は人権擁護施策推進法により人権擁護推進審議会を設置しました。75回の会議と幾多の公聴会から、従来の人権擁護委員制度には十分な問題対応能力がなく、多くの人権侵害を解決できずにいる現状が浮かび上がりました。そこで2001年、審議会は新たな人権救済制度の必要性を答申し、国連の人種差別撤廃委員会もまた法整備の必要性を指摘しました。2002年3月、法務省は人権擁護法案を国会に提出しましたが、1年半の議論を経て廃案。2005年、一部を改訂して法案が再提出されようとしています。
人権擁護法案は一日にして成らず。人権擁護委員制度50年の歩みが新制度を待望し、条約加入を契機に10年間の議論が積み重ねられ、新法案提出(予定)へと至ったのです。無関心な人は、別にいい。政治に無関心でいられるための間接政治制度でもあるのでしょう。ただ、抗議活動に燃えている方々は、国会議員らに怒りのメールを送る前に、これまでどれほど多くの方々がこの法案に関わり、何を議論してきたかを知るべきです。
実際に起こることは何か、よく考えてから意見しなければ、虚しい。例えば著作権法が、どう運用されているか。pya! のようなウェブサイトが、なぜ存続しているのか。Winny 利用者が2人逮捕されましたが、200万人中たったの2人。法と社会の現実的な距離感を掴むことが大切です。実情に即した建設的な議論を期待したいと思います。
様々な意見があります。ぜひ多くの記事をご確認ください。
「言葉の定義」の曖昧さをことさらに問題視して非現実的な(しかし理屈としては「可能性がある」)煽りを入れ、法案のもたらす利益を全否定する意見には賛同しません。「中途半端」の指摘と「言葉の定義」の要求は、自分に少しでも不利な意見に難癖をつける万能の戦略。「差別」を詳細かつ具体的に定義すれば、法案は骨抜きになります。それが社会にとって望ましいのか否か?
法の厳密さは、弱者の犠牲を生みます。しかし逆に曖昧さが生む犠牲もあるわけです。憲法第14条の曖昧さは巨大なグレーゾーンを生み出し、相当ひどい差別的発言さえも許される世界を現出しました。極端な名誉毀損や侮辱でなければ、罰することができません。無罪と有罪の間に、中間のステップがない。蟻の一穴論で一歩も引くまいとする頑なさは、ネット世論の担い手たちが嫌う老人の頑固さにそっくりです。老人の臆病を笑うなら、若者の臆病も笑っていい。
矛盾する憲法第14条と第21条について、日本の司法は第14条が保護する範囲を小さく、第21条が認める権利を大きく取る解釈を積み上げてきました。もし新法がこのバランスを破壊する解釈で運用されたなら、必ず憲法問題になります。司法は判例がモノをいう世界、悪法が社会を転覆させる前に必ず安全装置が働くはずだと私は信じています。これが楽観論の根拠です。
人権擁護法が待望される社会背景は、国の内外に存在します。新法案が廃案になった旧法案とほぼ同じ内容なら、修正してほしい点は多々あります。しかし私は「現状維持=廃案」が「望ましい着地点」とは思いません。「言論の自由が一歩引くべき局面」と考えています。
あれから2年、いまだに訪問者が絶えず、ときどきご意見などもいただきます。しかしいやはや、今になってこれほど長文の感想メールをいただくことになるとは……。それだけインパクトのある内容だったということでしょうか。
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改めて、はじめまして。通りすがりで「華麗にたろまにあ」を拝読した一web作家です。お返事有り難うございました。昨日のメールは出来るだけ短くしようとしてしまい、用件だけの無礼なメールになってしまったことをまずはお詫び致します。
時事列を見ると騒動からもう一年(引用者注:正しくは2年)が経過しており、徳保様がまだ本件に携わっていらっしゃるかどうかはわかりませんが、追補1にあった「私には、このロジックがよくわからない。」の一文を読んで、このメールを書きたい欲求に駆られました。大変長いメールになってしまいましたので、この分量を見た上で、読むも読まないも徳保様のご判断でお願い致します。単なる私見であり、読まねばならないメールではありません。また、もし読んで頂けるならば、一意見として読み捨て下さいませ。
全体を通して、徳保様の考察には非常に納得いきました。この騒動の何が一番罪だったのかという点に関して特にそう感じます。しかしながらその中で不明瞭なのが、上記に引用した一文、プリシラさんがこのような暴挙に出てしまった心理と、そもそもゆきさんがなぜ相手を明確にせずに「パクリ…?」という独り言を書いてしまったのかという心理、この2点かと思います。不明瞭というか、徳保様が思い当たれない、ですね。ここから先は私の推察でしかありませんが、以下に「こうだったのだろう」と思い当たったことを書いていきたいと思います。
- 1)そもそもゆきさんはなぜあのような日記をupしたのか
彼女は『桃』が、自作『夏の日に』のパクリではないか? と疑っていたわけではありません。そして自作の方こそパクリではないかとの疑いをかけられるかも、と案じていたわけでもないでしょう。どちらの懸念も微塵もなかっただろうと推測します。
ではなぜ、彼女の口から似ていることに対する不満ととれる言葉が出てきたのか。
彼女は『桃』を読んだ際に、彼女にしかわからない不快感を持ったのだと思います。
まず彼女は、『桃』を読んである疑いを感じます。それは「パクリ?」という疑念ではなく「間宮さんは私の『夏の日に』を読んだ上で『桃』を書きたくなり、書いたのではないか。なぜ間宮さんが『桃』書きたいと思ったのか、その動機は、自分なら同一の要素(猫など)を使って、もっと面白い作品が書けるという自負心を持ったから、ではないだろうか。つまり、私の作品は、私という一人の作家は、間宮さんに侮られているのでは?」という疑念です。
自分好みのモチーフやシチュエーションを使った「駄作」と感じる作品を読むことが、創作に向かう上の発憤材料になり得ることは、多くの作家さんが認められることかと思います(誉められた感情ではなく、そう公言するのは人として恥ずかしいことですが)。だから逆に、間宮さんがそういう動機で『桃』を書いたのでは? と、まさしく疑心暗鬼になった。少し自意識過剰気味の作家なら、そう思い当たるかと(私も含めてですが…)。それは作者にとって非常にシャクなことです。
そしてゆきさんは、『桃』を読んで面白いと思ったのでしょう。もしかしたら、自作よりも面白いと認めざるを得なかったのかもしれません(もちろん、彼女の頭の中のみで)。当時の事情がわからないので次も推測ですが、自分の作品より『桃』の方が、多くの称賛を浴びていたということも考えられます。それは更にシャクなことです。そして、この不快感を昇華したいと考えるでしょう。そこで取ってしまった行動が、あの日記のupなのです。
あの日記は、ゆきさんのでっちあげの疑惑です。彼女は『桃』がパクリであるなどと微塵も思っていないのに、ああ書いたのです。
なぜでっち上げの疑惑を書いたのか。それは、現実に敵に回したら絶対に勝てない相手を、想像の世界で倒すことでひとときの爽快感を得る、という心理に起因する行動だと思います。私のアイデアが優れていたから使ったのねと、パクッた? との疑惑を持っているとも取れる侮辱することが、ゆきさんにとっての想像上の勝利だったわけです。人間心理の暗部ですね。非常に暗く後ろ向きで、かつささやかな発想です。
この時点ではかなりおっかなびっくりというか、万が一の場合にいくらでも保身に回れる内容にしていますね。自分こそが疑われたらいやだな、というのは、まさしくその保身かと思います。私は証拠もなく決めつけたり、ましてや相手を一方的に疑うばかりではないですよ、というアピールです。本当は過激な内容を書いた方が爽快感はあるけれど、その爽快感は嘘がばれた場合、自らを破滅に追いやる諸刃の刃だと、この時点のゆきさんはよく承知しています。
ところが、その空想の産物であるパクリ疑惑に、素直にねぎらいの言葉をかける人が出てきました。ゆきさんはそのせいで、自分の作りだした想像に自家中毒を起こし、さも本当にあったこと(それはパクリの事実ではなく、ゆきさんがパクリを疑った、ということです)のように錯覚してしまったのではないでしょうか。もしくは、この程度ならばれないだろうと気を緩めてしまった。いずれにせよ該当作品のヒントを公言してしまうのは軽率な行動でした。
「もしね、どこかで私のを読んでらしたとしても。心の中に残ったから、それが出てくる・・・ってこともあると思うし。うんうん。フィクション・・・もなにかきっかけがあって書くものなのでしょうからね〜。」私にはこのレスが全てを語っているように思います。事実を知る術がないからこそ、せめて間宮さんの心に自分の作品が良い形で残ったと思わなければ、やりきれなかったのでしょう。これは強がりというか、相手に対して負けを認めたくない、自分が優位だと信じたいという叫びに聞こえます。しかしゆきさんは一方で、現実の勝利は不可能だと痛感しています。だから相手が誰であるかを濁すのです。非常に虚しく、歪んでいる心理だと思います。
間宮さんに対する表には出せない作家ならではの不快感、不快な相手に敗北したと認めざるを得ない不満と絶望、しかしそれを昇華して心のバランスを得たいと願う気持ち。この三点なくして、あの日記のupは有り得ないと、私は考えます。女性によく見られる暗い発想だと、同じ女性として申し上げておきます。
- 2)プリシラさんが暴挙に出た心理
まずは動機について論じていきたいと思います。
プリシラさんは、ゆきさんが自サイトへリンクを貼っていることを知っており、なおかつそれを知ってからゆきさんの作品も読んでいました。その上で、ゆきさんという一人の作家を見下していたことは間違いないでしょう。リンクを貼り返さなかったのは、プリシラさんがゆきさんを取るに足らない存在だと判断したからでしょうし、随所にあるゆきさんへの侮蔑からもそう感じます。
一方、間宮さんのことは認めており、『桃』も非常にいい作品だと感じていました。
そこで偶然、ゆきさんが自作品のパクリかもしれないと疑っている作品があり、それがかなりの確率で『桃』だと言えることを知ります。
『なに、パクリ前提に所感述べてんすか?つーか「ココロの中に残る」て!ありえない。アタシさっぱり忘れてた。つまりアレですか。深層意識に刻まれるほどスンバラシイ出来であるといいたいわけですね?』ハジメテのオフィシャルネットバトルの中の文章です。プリシラさんが暴挙に出た動機は、まさしくこれなのです。
プリシラさんは、格下の作家(ゆきさん)が格上の作家(間宮さん)の作品を読み、「私のパクリだわ」と思った図々しさに腹が立ち、制裁を加えたかったのです。もっと言うなら、思い上がっている(プリシラさんの目にはそう見える)ゆきさんに、身の程をわからせたかったのでしょう。
また、ゆきさんが『桃』をパクリだと感じる理由や根拠も、プリシラさんには全く理解出来ません。私は1)で書いた理由が真相だろうと思いましたが、プリシラさんにはその可能性を思い付けなかったことでしょう。だから余計にゆきさんの心理が不可解で、パクリ要素が見当たらないということは、ゆきさんの間宮さんに対する悪意の侮蔑、そしてその侮蔑は自意識過剰からくる感情に違いないと固く信じることになったのだと思います。
プリシラさんが暴走した動機は一見、「パクられたと根拠のない疑いを口にしたことを謝罪しろ」という要求に見えますが、実は違うわけです。「パクられたという根拠のない自信を持っている人間を叩きのめし、身の程をわからせたい」、これが真実の動機であった(そして、もしかしたらプリシラさん本人も明確に意識していなかったかもしれない)のだと、私は考えます。
付け加えるなら、プリシラさんはパクリ問題について興味があって常日頃から色々調べており、自作品を妄想激しく「パクられた!」と騒ぐ作家の姿を苦々しく思っていて、それでゆきさんに対し過剰に反応してしまったのかもしれません。実際私もそういう人(根拠なく、著作権をろくに理解せず、どんな作品を見ても俺様の作品をパクっていると騒ぐ自意識過剰な人間)が世の中にいることは知っています。
プリシラさんの言動は事情をよく飲み込まずに一読しただけだとただの言いがかり、弱い者虐めに見えて胸が悪くなるのですが、自意識過剰な人間を叩きのめしたいという彼女の気持ちを考えると、ちょっと理解できてしまいます。ちょっと、ですがね。思い上がった人間が好きだなんて人はいないでしょう、ということです。
動機はわかりました。しかし、なぜプリシラさんがあそこまでの行動に出たかということは、常人には理解しがたいでしょう。自意識過剰な人間が誰にとっても好ましくないのは事実ですが、そんな人間を見かけても多くの人はあそこまで攻撃的になれないので、プリシラさんの取った行動は不可解です。
そこで焦点を当てたいのが、彼女の最大の不幸である、彼女の人間性です。
プリシラさんは、ゆきさんの言動から読み取った答え(ゆきさんは自意識過剰で思い上がっている)を、ゆきさんに対する誤解である可能性があると、ちらりとも考えませんでした(事実、誤解でした)。プリシラさんは自分の考えやスタンスに絶対の自信を持っている人なのでしょう。そして、それから外れたことをする人間を悪と見なし、悪を見つけたら制裁を与えることが自分の役割であると自負しています(むろん勘違いも甚だしいですが、彼女にとってはそうではありません)。更に、誰かを裁くことに快感を覚える人間なのでしょう。これらの人間性と動機が相乗効果で高まり、本件最大の過ちである「釣り」を嬉々として行わせました。
プリシラさんは考えます。この駄作しか書けないくせに妙にプライドが高い(プリシラさんの目にはそう見える)ゆきという作家に制裁を加え、
【思い上がっていて申し訳ありませんでした】
と謝罪させるにはどうしたらいいのか。
それにはまず、ゆきさんが疑っている作品が『桃』であることを明らかにする必要があると考えます。
果たしてそれは実現しましたので、次のステップです。『夏の日に』より『桃』が優れた作品で、パクリを疑われる余地など微塵もないことを認めさせるべきです。それをゆきさんに納得させるには、一対一で闘うより、世論を集めた方がより効果があるように感じたのでしょうね。また、世論を味方に付けて大勢でゆきさんを叩いた方が、より制裁の効果も大きくなります。そして、プリシラさんには世論を集められる自信がありました。誰の目にも『夏の日に』より『桃』の方が優れた作品だと認められるだろうと確信していたと思います。その確信と、ゆきさんの思い上がりへの不快感が、そして悪を叩くことの快感が、あんなに過激でかつ攻撃的なレスや文章、果ては検証を書かせたのだと思います。
また、あの異常なまでに楽しそうな誹謗中傷の数々は、ただプリシラさんの悪意から出た文章ではないと考えます。彼女は自分を強く見せたかったのでしょう。私はこの程度の悪人が相手であれば、真剣に立ち向かわずとも勝利を収められる大きな人間だと、アピールしたかったのでしょう。逆に言えば、そうアピールすることで自分の中にある「恐れ」の感情を外から見えないようにしたかったのかと。要は、強がりの一種です。方向の間違った見栄っ張りですね。歪んでいますし、真の人間の強さをわかっていません。しかし、こういう人は世の中にたくさんおり、珍しいケースではないと思います。
そしてゆきさんは、「パクリ」の呟きを漏らしたのが1)で書いたような動機であったゆえに、まずはヤバイと青くなって躱そうと思ったのでしょう。なかったことにしよう、から始まります。プリシラさんへのリンクを切ったことがそれですね。しかしプリシラさんが乗り込んで来て、躱せないことがわかると、ただただ謝り、逃げ腰になっていきます。想像を表に出すことで心の均衡を図っていた自分の姿が世間に露顕してしまうことを恐れ、自分の愚かさを恥じ入り、そしてプリシラさんの予想以上に攻撃的な態度に恐れをなし、ひたすら逃げたいと思うばかりだったのでしょう。
不幸にもその姿勢がプリシラさんと間宮さんの怒りをいっそう煽ることになります。正義である自分たちの望む決定的な一言(思い上がりに対する謝罪)がいつまで経っても聞けないばかりか、逃げ腰になるばかりで誠意がない(二人にはそう見えたのでしょう)ゆきさんを、どうにか自分たちの思う通りに動かすためには、まだまだ追いつめなければと更に過激になっていった……という流れだと推測します。
二人の望む一言がゆきさんから出てこなかったのは、当然なのですがね。ゆきさんが思い上がっているというのは完全に誤解ですから、ゆきさんは二人に何を要求されているのかさっぱりわからないのです。思い上がりに取れるような言動をしてしまった(日記だけでなく、その後の行動も含め)ゆきさんにも落ち度はありますが、それをはっきり指摘せずに「謝れ」と迫っても、双方意味のないことでした。指摘をするのでなくただ怒りをぶつけることは、イジメです。まさに、制裁です。取り返しのつかない落ち度ではなかったのに、この二人に目を付けられてしまって不運だったとしか言いようがありません。
そして、事件は最終段階へ進みます。どんなに攻撃してもピントの外れた(プリシラさんと間宮さんにとっては)謝罪ばかりを繰り返すゆきさんへ不快感が募りに募り、当初望んでいた謝罪だけでは満足できないレベルに感情が沸騰し、ついにはゆきさん、並びにゆきさんのサイトを潰したいとまで思うようになってしまったのでは、と私は考えます。
- 3)
私はプリシラさんと間宮さんに対し、不幸な人だなと同情の念を抱いています。産まれ持った根本の性質を、人間は変えられません。理性で抑えることは出来るでしょうが、所詮それは「抑える、堪える」という行為であり、核になる感情には少しの変化も期待できないのです。そして徳保様が仰る通り、彼女ら自身がこの根本である自分の性質を理解しないことには、彼女らはまた同じ過ちを絶対に繰り返します。全く不幸なことです。
本件を知った大勢の人も、漠然と同じ見解を持ったことでしょう。だからこそ、プリシラさんと間宮さんの存在は多くの人にとって脅威に映ったのでしょうね。自分を疑わず、自分の正義を絶対と信じ、反対意見には全く耳を貸さず、独自の考えだけで他人に危害を加えようとする、しかもその性質が更正される可能性が薄い人間。誰もが思うでしょう、この人らに万が一関わってしまったら、自分の命が危ないと。立場的にはオウムの麻原と何ら変わりないのです。
対するゆきさんは、快い存在だと言い切ることは出来ませんが、プリシラさんが持っている危険性は持ち合わせていません。従って世間に脅威とも映らなく、危険人物にターゲットにされてしまった不幸な人(もしかしたら、閲覧者にとって未来の自分の姿)として、多くの人の同情と擁護を集める結果になったのだと思います。
プリシラさんと間宮さんは、気付いたのでしょうか? 自分に潜む危険性に。その危険性は誰もが持っているわけではなく、かなり特殊な性質だということに。
前述の通り、これに気付かなければ、どれだけ彼女らが自身の行動を反省しても意味がありませんので、騒動直後は思い当たらなくても、今は気付いていることを願わずにはいられません。彼女ら自身のために。
全てざっと貴サイトを見た私の推論でしかありませんが、私はこう考えることにより、あの三人が取った行動が無理なく理解出来ました。
徳保様は考察されています。プリシラさんがもっと上手くやれば、世間の評価は逆転したのに、と。しかし私は、それは本当に虚しい「if」であると申し上げたい。彼女らは、悪と判断した対象を見つけたとき、公然と制裁を与えることにしか、自らの感情を鎮める術を見出せない質の人間なのです。その性質からいって、ゆきさんという存在を見つけたときに取る行動は、あの道しか有り得なかったのです。
人間は学習する動物なので、今回これだけ問題になったからには、次回はもっと賢くやることが可能です。ただ、それは「賢くなった」というだけで、彼女らの本質に変化があったわけではありません。騒動が外に見えないだけです。要は公然と殺人を犯すか、隠れて殺人を犯すか、その違いでしか有りません。プリシラさんと間宮さんが、自身から湧き上がる殺人衝動を顧みない限り。
長々書いてしまいましたが、ここまで読んで下さり有り難うございました。私自身web作家としてサイトを持って活動をしているゆえ、非常に興味深い事件でした。
もう半年ほど前になりますが、規模は小さいながらも(あくまでも本件と比べてですが)知人サイト同士で似たような事件が起きており、当時のことを思い出したりもしました。何が似ているかというと、正しい主張をする側が、相手から望み通りの謝罪が得られないため冷静さを失い、相手サイトに乗り込んでエスカレートしていったという点です。既に解決しておりますが、その際にも思ったものです。この人は不幸な攻撃性を持っている人だな、と。本件までの大騒動にはならなかったので、正しい主張をしていた側が叩かれるまでには至りませんでしたが、それでも私のその人を見る目は変わり、楽しみにしていた作品も色褪せてしまいました。勿体ないことですね、その人にとって。
では最後に。ここまで詳細に経緯、問題点を論じるサイトを作られた苦労、そして維持していく大変さはいかほどかと感じ入りました。このサイトを訪れる一人でも多くの人が、自分の主張を通したいと熱望する余り冷静さを失い、通すためならなんでもしようと思い至ってしまうことの恐ろしさ、それによりどれほど取り返しのつかない災厄が自らに降りかかるかということを、彼女らを反面教師として学べるとよいですね。パクリという言葉が、創作者にとってどれほどの侮辱になるかということも。そしてその言葉が周囲へ大きく影響してしまうこと。身勝手な正義を振りかざして相手を断罪しようとすることの恐ろしさも。
何より一番は、自分が人に対して攻撃的な性質であるかどうかを、またそうであるならどうしたらよいかを、自分の胸に手を当ててじっくり考えて欲しいものです。
そして事件に関わった全ての人が、自らの罪を省み、反省し、また創作の場へ復帰できることを願ってやみません。
大変ためになるサイトでした。作って下さって、有り難うございました。乱文は何卒お許し下さい。
「なるほど、そういう説明もできるな」とは思いましたが、「これで疑問氷解、気分スッキリ!」となるほど、2年間は短くありませんでした。今、私が思い出すのは、間宮さんの主張を(一瞬であれ)理解したのに、うまく擁護できなかった無力感であり、信じていた「常識」に裏切られたマイノリティが叩き潰されていく様子を、結局のところ傍観することしかできなかった悲しさです。
誤解を恐れずに書けば、少なからぬ人が、ゆきさんにも間宮さんにもプリシラさんにもなりえます。それは図らずも間宮さんたちへのバッシングという形で証明されたのではないでしょうか。
私は2003年2月末に、「プリシラさんとはもうメールのやり取りをしたくない」と書きました。しかし実際には、わずかな日を置いて数回のやり取りがありました。長文のメールも一度いただきました。提言騒動備忘録6「手打ち案について」へのご意見でした。
要点をご紹介すれば、(少なくとも)プリシラさんが求めていたのは形式的な謝罪だった、というのです。心底からの反省なんて信じる少女じゃありません、と。そうかもしれない、と私は思いました。しかしゆきさんには間宮さんやプリシラさんの望むような謝罪の形は作れなかったのだし、間宮さんやプリシラさんだって、それは同じでした。当サイトの読者は、徳保だってそうだったじゃないか、といいたいでしょう。
その「場」を支配する多数派は、意地を張らずに謝ればいいのに、と思う。でも、違うんだな。そうじゃない。結局のところ、少数派の意見も物理的に封殺されはしない。「意地を張る」を「信念を貫く」と言い換えたら、どうでしょう。大勢の批判者が周囲に集まっているからといって、信じる正義を曲げることができるのか。この判断は、他人には不可能です。こういった経験は多くの方が何らかの形で通過してきたことなのに、なぜか他人事になると自分で線引きできるような気になってしまう。(参考記事)
もちろん、線引き案の提示が契機となってトラブルが解決する場合もあるのだけれど、そうならないことも少なくありません。しかしそれを仕方ないことと考えない提案者は、ときに問題をいっそうこじらせていくことになります。
かつて私が「最初の一歩が問題だ」と書いたのは、ひとつの推論が導いた結論を提示しただけのことです。この2年間に幾度も書いてきたように、第一歩を避けるなんて無理だと思っています。誰でもこうした問題は起こす。人それぞれスタイルこそ違えど、己の信じる正義のために激して人を傷つけることは、人生において避けられない。そしてみな、その正義に絶対的な普遍性があることを証明できない。砂漠に風が吹く2005年の春。肌寒い。
そういえば「このブログがすごい!」でランク入りしてたんだよなあと思って久々にけいてぃ (KATIE) の日記を見たら赤ちゃんの写真が。ということは……とMETROPOLIS を拝見。お嬢さんが誕生されたんですね。おめでとうございます。
発端はかずよの子育てエッセイ第20回なのですが、id:chirin2 さんの指摘が理解されなかったのは、わかる気がします。端的にいえば、id:chirin2 さんの指摘の方が絶対に正しいのかどうか、素人には分からないですから。いわゆる民間療法が幅を利かせていることからわかるように、必ずしも庶民は西洋医学を信じていない。
それに、予防接種を勧める医学博士も勧めない医学博士も実際にいるわけでしょう。一人一人の意見だけ聞けば、説得力があっても、3人の意見を聞いたらワケが分からなくなる。医学の知見のある方の多数派が予防接種に賛成であるらしいことはリンクなどを辿ってみて理解できましたけれども、どうも結局のところ、前提とする価値観の問題でしかないような気もしました。とすると、導かれる答えはひとつじゃない、ということになります。
このような考え、つまり自分の子供は自己責任で受けさせたくない、という親は日本人には多いですが、外国に渡ると「日本は感染症輸出国だ」として国ごと非難されています。貴サイトで載せていることは、日本という国が他国で殺人を行うことを推奨しているのです。まだ幸いにも聞きませんが、そういう事情で感染経路となったことが証明されれば、訴えられたら負けるでしょう。
海外でマラリアを拾って死ぬ日本人は毎年いますが、予防薬を飲み忘れてたのがいけない、などといって本人の問題にされるばかり。訴えられたら
という脅しは、副作用が云々という脅しと、どう違うのだろう? どちらも針小棒大の煽りではないでしょうか。また個人の幸福追求と社会的利益との線引きは一概にこうといえないところですから、日本人を非難
しているという海外
の方々の考えに一方的に肩入れするのが正しいのかどうか。
ここで id:CROCODILETEAR さんの意見を引きます。
人の命に直接関わる事を書こうとするなら、「ド素人」が日々感じたこと考えたことなどを自由に書いて良いわけないし、何かについて書くときにはその何かについて間違ったことを書かないように細心の注意を払ってキチンと調べてからでないと書けないなんて、当然のこと。不特定多数の人間に己の文章を読んでもらうなら、覚悟と責任が必要だ。
こう迫られるとつい頷いてしまうのだけれど、実際問題として、どうかな。予防接種を受けさせるか否かは、生き方の問題だと思う。かずよさんは伝聞情報は伝聞情報として、個人的感想は個人的感想として書いていて、間違いをホントだと断言しているわけでもないのだし。争点は「社会全体の利益を考えて、副作用の可能性を承知の上で予防接種を受けさせるべき」という意見への賛否なのでしょう?
そして、こういうレベルの話をする際にも、人の命に直接関わる事を書こうとするなら(中略)覚悟と責任が必要だ。
といって「ド素人」が日々感じたこと考えたことなどを自由に書いて良いわけない
と断じてしまっていいのかどうか。私は、これは素人が意見していい領域だと思いました。
こうした観点から見て、yamakaw さんの意見は、かずよさんに対する説得的意見として素直な構成ではないでしょうか。事実として正しいとか間違っているといった問題ではないのだとすれば、価値観をぶつけていくしかないのだと思います。
私の弟は注射が嫌いで、おたふくの予防接種を嫌がるうちに、とうとうおたふくに罹ってしまいました。3学年上の私は弟とは対照的な性格で、嫌な予防接種も我慢して受けていました。だからすっかり安心して、弟の膨らんだほっぺたをつついて「注射を嫌がっているからこうなるんだ、バカ」といじめていたわけです。
ところが、冬休みが終わった途端に私はおたふくに罹り、弟は全快。私はその後、弟の2倍もの期間、寝込むことになりました。もともと私は病弱で、弟は元気。そういった違いもあったかと思います。
母はまず性根の腐った私を叱責し、続いて医者に怒りの矛先を向けました。このときの医者の説明で、予防接種なんて、庶民が思っているほどには効かないものだということを、母も私も初めて知りました。一度、病気に罹った人が再び罹ることもそう珍しくはないとかで、以降、母は父に子どもの看病を一切させませんでした。両親が共倒れしたら誰が子どもを助けるのか、というのでした。優しい父は、部屋の入り口に立って、悲しそうに私を見つめていたものです。
両親は、いろいろな事情があって、あまり予防接種を受けていませんでした。だから母は命がけだったかもしれない。しかし世の中、ときにはいい話もあるもので、慈母はついに子どもの病気を移されることがなく、私のような人でなしにはきちんと天罰が下った、という話。
久夛良木健さんはたしかに社内役員を退任されますが、ソニーグループの役員に新任されます。手塩にかけてきた CELL がようやく市場に出ようかというこの時期に、辞めるわけがない。全社的プロジェクトだった CELL が形になったので、ゲーム事業に再び全力投球しましょう、ということではないかと私は思います。まだ50代前半ですし。
それにしても中鉢氏がEMCSの責任者だったっていうのも微妙だな…。そもそもソニーがここまで混迷したのも、EMCSの機能障害という気がしないでもない。
というご意見は、いかがなものかと。ソニー EMCS はまだ若い企業ですが、各工場が特定分野に特化し過ぎて柔軟な生産体制を組めない状況をハイペースで改善してきました。部品調達システムの一元化もきっちり達成しましたし、有限実行で頑張ってきたのでは? グリーン調達も苦い経験を糧にして業界の先頭に立って推進してきたといっていい。
日経報道による中鉢良治次期社長のメッセージ消費者の視線が欠けていた。消費者の望むモノを届けるという当然の営みに緩みがあった。商品力が低下している感は否めない
が商品企画部門への苦言となっているのは、EMCS への自信を背景にしたものでしょう。そのような流れにおいて本体からエレキ事業を分社してEMCSにくっつけてスピンオフさせるというのが、一番あり得るシナリオなのかな。
と仰るなら分かるけれど、EMCS がダメだから、というのでは話が逆だと思う。
ところでソニーは音楽のコーデックに関して、戦略的な誤りがあったと語った井原勝美さんが昇格することが決まったので、音楽配信メモ的にはいい展開なんでしょうね、多分。(参考:出井氏退任、後任にストリンガー氏)
特定の「何か」に対して思ったことを、一日一つだけ書く
ことをテーマとしたウェブサイト。いわゆる短文系テキストサイトのひとつなのですが、フォーマットはかなり凝っています。これを続けるのはたいへんだろうと思っていたのですが、案の定、毎日更新は途切れまして、現在は無理のないペースで更新継続中です。小さな植物を育てるように、細々と運営していけたらいいな
とのことなので、これは後退というよりも自然な立ち位置への帰着といってよいのでは?
ふつう、短文系テキストサイトといえば「笑い」を追求しているのですが、管理人の KGC さんの目指すところは少し違う。一日一言良いことを書くサイト
というタグライン(通常、サイト名のそばに置かれる、サイトの概要を伝えるコピー)がおそらくキーポイント。良いこと
とはまた絶妙なところを狙うものだなあ、と。正直、感想に困るような怪作・珍作も多いのですが、何となく丸め込まれてしまうというか、笑って許してしまうというか、不思議な雰囲気を持っています。
昨年11月に始まったばかりのサイトなのですが、KGC さんは以前、別のサイトを運営されていたとか。枯れた運営方針や端正な HTML 文書なども、なるほど納得というところ。
いくらアクセスアップも何も必要ないとは言え、やはり自分以外の誰かがこのサイトを見た時にどのような印象を受けるのか、あるいは自分以外の誰かが見てすぐに構造が理解できるようになっているのか、とか、そういう面での閲覧者の視点がやはり気になってしまいます。
このご依頼には参りましたね。山根先生のご依頼も、どう応えたものかなあと悩んだのですが、KGC さんのサイトの場合、HTML も CSS も私が作るより出来がいいわけで。いよいよもって、話すことがない。アクセス向上もとくに望んでいないということですし、お決まりのパターンも使えない。
今後、私にアドバイスの依頼をされる方にとっては、ひとつのよい参考例になろうかと思います。
もともと当サイト自体が、私のひとつの答えとなっているわけです。HTML がどうの、CSS がどうの、アクセシビリティがどうした、ユーザビリティがこうした、そういったことをあれこれいってみても、現実問題としてできること、できないこと、こだわる限度があるわけで、じゃあどれくらい頑張ればいいのか。そんなに思い悩むことないですよ、けっこう好き勝手しちゃっていいんじゃないでしょうか? というのが私の本音であり、当サイトの示している生の回答なのです。
とはいえ、当サイトがなんだかんだいってフツーのサイトじゃなくなってしまっているのは事実。もうちょっと、庶民的なサイトを例に挙げたいところではあります。そこで、一筆啓上の出番です。
一筆啓上は、私にとってひとつの理想を体現しているサイトなんです。ストイックでマイペース、飄々と進むその姿! これで1年、2年と続いたら、文句ないですね。趣味の個人サイトは、かくありたい。
以上です。とやったら、3ヶ月も待たせておいて、さすがにどうかな、という気がします。
なので、蛇足に過ぎないことを承知で、敢えて続きを書きます。蛇足なら書かなきゃいいじゃないか、という声も聞こえてくるような気がしますが、現代において「蛇足」という言葉には、「それは百も承知で……」という含みがあるように思います。どうかご理解いただきたく。
ご依頼文にてご相談の件について、短評いたします。
文句なくわかりやすいですね。ただしそれは、テキストサイトのスタイルに慣れた読者を想定しているから。最近のブログみたいにやたらとリッチなナビゲーション群に慣れた人の場合、シンプル過ぎて逆に戸惑ったりするかもしれません。「サイト名をクリックしても表紙へのリンクになってない!?」とか。
でも、そこまで考える必要はないと思います。プラッチックを(過去ログに到達しやすいよう)親切にしたサイト構造なのですし、安心してよいかと。もし最初だけ少し戸惑ったとしても、10分くらいウロウロすれば、ふつうはすっかり理解できるはずだと思うのです。
ただ、個人的な希望を述べるなら、表紙には最新1件ではなく、最新数件の記事がある方が読者としてはありがたいですね。クリックひとつふたつの手間でしかないし、非常に軽く作られている(=リンク先文書はすぐに表示される)ことでもあり、サイトのポリシーを曲げてまで対応するべき要望ではないところですけれども。
モノクロの落ち着いたデザイン、非常にシンプルなので、寂しいという意見もありましょうが、私はよくまとまっていると思います。スタイル切替機能でいろいろなデザインを用意してもいるわけで、問題ないと思いますね。
とはいえ、個人的には思うところがないでもない。それは、コンパクトなスタイルがひとつくらいあってもよかったんじゃないか? ということ。過去ログを読んでいて、少し気になったんですね。ドンドン読んでいくことができないなあ、というもどかしい感じがあって。それは何故だろうと思ったら、1画面に表示される情報が少なすぎるからじゃないか、と気付いたわけです。
表示領域の幅にかかわらず、1画面に1〜2日分しか表示されない。縦に小さなディスプレイでは、選択するスタイル次第では1日分を読むだけでスクロールが必要になりますよね。分量が多いなら仕方ないけれど、非常に情報量は絞り込まれているわけで、どうもこの一覧性の低さというのかな、情報量の少ない画面のデザインは読む側のリズムを少し殺しているような気がしますね。
前項の内容と合わせて、私は母さんのようなデザインが好みではあります。フレームで表示領域を狭くしているにもかかわらず、1画面に3日分くらい表示されますよね。そしてクリックなしで1か月分のログが読めてしまう。私のような閲覧者には都合のいいデザインだと思っています。
日記の出来を自ら寸評するというコンテンツ、私は面白いと思いました。日記の過去ログをドンドン読んでいくと、一番下に寸評があるというあたり、やられたなあ、という感じ。一種の楽屋落ちなんですが、これも更新の「形式」に含まれているんですよね? ぜひ継続してほしいところですね。
以上です。
エアコンの室内機が凍っている写真は初めて見ました。これが未踏の地である北海道や秋田の写真なら、「そういうこともあるかもしれない」とスルーするところだけど、まさか東京でこんな! だって、最近は暖冬で最低気温だってマイナスになることが少ないというのに。部屋の中が冷凍庫になるって、どういう状況なんだろう。
さすがは忍者屋敷。
四畳半の部屋の半分くらい、いろいろ積み上がってて危ないので、売れそうなものを売ることにしました。とりあえず箱詰めまで終ったのが以下の5品。
よかったら買ってください。近所の古書店、1冊50円で売ってるだけあって、買取価格は1冊10円くらい。だけど技術書は、1冊50円でも売れないらしい。もう少し内容に見合った値段で取引されるべきだと思うので、それなりの価格でオークションに出しました。バラ売りは面倒くさいので受け付けてません。
どれも商品先着なので、気に入らなければ踏み倒し可ということで。実際、踏み倒した購入者も既に一人。50円で落札された商品を送るのにかかった金額が640円、合計690円を請求したところ、ちょっとそんなのは払えないという話でした。送料の方が落札価格より高くなってしまうような商品は、オークションに向かないんだな、と当たり前のことに気付かされましたね。本をセットで売っているのは、そういう理由も込み。
あきやんさんの提案の素晴らしさがようやく理解できたので、あらためてご紹介。
CSS の記法には大きく2つの方式があります。
たいていの方は前者を用います。それは何故か? 一般に「直感的にわかりやすいから」と説明されますが、それでは言葉が足りないでしょう。より正確には、「CSS を書き上げていく段階において、セレクタを基準に整理していく方が自然だから」となるのではないでしょうか。文書を腑分けし構造化するのが HTML の役割、その HTML の各要素型を装飾するのが CSS の役割。HTML あっての CSS であって、プロパティ先行では話が逆です。
ゼロからの CSS 構築は、ジグソーパズルを完成させていく作業に似ています。見出しは見出しらしく、段落は段落らしく、リストはリストらしく……。そうしてパズルが完成したとき、ピースのひとつひとつは絵柄の中に埋没していきます。CSS のメンテナンスは、絵柄の調整に相当します。このときピース単位で色など指定していたのでは埒があきません。色の方を基準に、関連するピースを集めたくなります。
なるほど、構築からメンテナンスへ段階を移すにしたがって、CSS を整理する基準をセレクタからプロパティへ変更することには大きな意義があるわけです。
とはいえ、従来、それは難題でした。過去、CSS を再整理する試みがたいてい成功しなかったのは、手作業ではあまりにも面倒だからです。だからといって、最初からプロパティ基準で CSS を書く不自然さ・わかりにくさといったらない。
あきやんさんは、ここにひとつの技術革新をもたらしました。蓄々CSS自動整形は、セレクタ基準の CSS をプロパティ基準へ自動で再整理するツールです。さらに逆変換も可能なので、自在にセレクタ基準とプロパティ基準を使い分けることが可能。これは CSS 記法の革命といっても過言ではないでしょう。CSS の見方・考え方を一変させる破壊力があります。
これは面白い! わくわくしてきます。当サイトの扱うレベルにおいては、CSS は作ってお終い、メンテナンスという段階は存在しません。だから当サイトで今後、プロパティ別整理法をフィーチャーする機会はほとんどないでしょうが、ヘビーなカススタイラーの方々には、非常に魅力的な提案だと思いますね。(改訂 2005-05-30)
私がタブを使わないのは、複雑な入れ子構造を用いない(=見出しも段落も body 要素直下に配置している)ので、ネストに失敗する可能性がないから。そうであるならば、「折り返し」を使う限り、タブなしの方がソースは見やすいと思います。行の左端がガタガタしてたら文章が読みにくいじゃないですか(そういうレベルの意見)。
また行間はある程度ないと読みにくいのだけれど、1画面あたりの情報量は多い方が好ましく、だから1行字数は多い方が好き。エディタは常に全画面表示、ブラウザも同様。タブで左端に空白を作りたくない最大の理由のひとつもそれ。
さらに付記すれば、私は文章を書く際、段落やリスト項目のカットアンドペーストをよくやります。入れ子構造の内外を自在に移動させるので、行頭にタブがあると煩わしい。なので、アドバイスなどで改善案を作るとき、まず最初にやることは原本の行頭にあるタブと空白を消すこと。次にやるのは、ソース上の空行の削除。これらの作業には Speeeeed などの自動検索置換ツールを使っています。
ゼロから作り直すより原本を改変していく方が私の場合は早いです。バリバリのテーブルレイアウトが相手であっても。これも、しばしば驚かれることですが(最近のアドバイスなどを参照のこと)。
やっぱりそうですよね、と納得。
CSS Dencitie は国内有数の CSS 解説サイトだと思うのですが、なんとな〜くとっつきづらい雰囲気があるためか、あまり話題になっているのを見たことがありません。もったいない! というわけで、軽く読める興味深い記事をいくつかご紹介。
そして論理レイアウトへの移行の手引きは面白いけれど、軽くはない記事。
プロパティ別整理法は損益分岐点が高いので、要注意。私は過去に3回挑戦して、ことごとく失敗しました。
私が失敗した理由は簡単、私の書く CSS はいつも簡単なものでしかなかったからです。あきやんさんのいう図書館方式の欠点
は、あくまでもヘビーなカススタイラーの抱える問題。私には関係ないのでありました。直感的なわかりやすさを犠牲にするだけの価値があるかどうか? 導入の際はよく注意すべきですね。
もう1点、付け加えるならば、そもそも CSS を基本的な形で利用する限り、CSS ファイルが肥大化なんてするはずがない。class 属性や id 属性や div 要素なんかを駆使して、同じ種類の要素に対して全然違うスタイルを指定しようとすること自体に問題がある。p 要素は段落なんだから段落らしくスタイル設定すればそれでよい。どうせいろいろ腑分けしてみたところで、ユーザスタイルシートの利用者には無関係な話。私は Opera でユーザモードを常用しているので、とくにそう思う。(参考:"いろは"の先のCSS 第2回)
つまり、基本的には、1要素型につきスタイル指定は1回でよいのだし、であれば図書館方式
さえ必要ない。現に、最近のアドバイスで私が作成した改善案に用いられている CSS は、グループ化とか分類とか、そんなことは一切していない。50行に満たない CSS を書くのに、そんなことをいちいち考える方が面倒くさい。
……というレベルの方は、少なくないと思う。そして、それで別にいいんじゃないかと。
webmasterの印象では、多くのCSSは以下のルールで記述されています。
- 一つのセレクタに複数のプロパティを与える。
- 製作者の任意のグループ別に集める。
この文書内において、以上に基づいた整理法を図書館方式と呼びます。
- 1セレクタに記述できるプロパティは一種類のみ。
- プロパティでグループする。
- グループは、プロパティの文字コード順にソートする。
- [セレクタ] { [識別名]:[値] }[改行] で記述する。
@charset "Shift_JIS";
/*-- position,width,height,float,display,margin,padding,color,background,font,border,etc. --*/
/*-- html,body,class,id --*/
*
{margin:0; padding:0; color:#333; background:transparent; font:normal normal normal 100%/1.5 Times,"Times New Roman","MS Pゴシック",Osaka; font-weight:inherit; border:none; text-align:left; text-decoration:none;}
html
{background:#fff url("http://deztec.jp/x/etc/img/x-walk.png") no-repeat fixed right bottom;}
body,div.break
{padding:0 30px;}
body
{padding-bottom:5em;}
body#index
{padding:0 0 5em;}
div.lv1a,dl.lv3
{float:left;}
div.lv1a
{width:49%;}
dl.lv3
{width:50%;}
div.lv2
{padding:0 10px 0 30px;}
div.lv2 h2
{margin-right:-10px;}
div.break,div.end,ul#address
{clear:both;}
div.break ul#ln,.hidden
{display:none;}
#gn
{position:absolute; right:0; top:0em; margin:0; padding:0.4em 1em 0.2em 0.5em; z-index:1; background:#fff; border-left:1px solid #bebebe; border-bottom:1px solid #7f7f7f; list-style:none outside;}
#gn li,.memo li,#address li,#address address
{display:inline; margin:0; padding:0 0.1em;}
#gn li
{white-space:nowrap;}
#ln
{width:17em; float:right; margin:0 -30px 1em 1em; padding:1.5em 1em 0.5em 0.5em; background:#fff; border-left:1px solid #006; border-bottom:1px solid #006; list-style:none;}
#ln ul
{margin:0; padding:0; border:none; list-style:none;}
#ln li
{margin:0; padding:0; font-size:100%;}
#ln ul li
{margin-left:1em;}
#recently
{width:10em; float:right; margin:-2em -30px 1em 1em; padding:0.5em 60px 0.5em 0.5em; background:#fff; border:1px solid #006; border-right:none;}
#recently dd
{margin-left:0;}
.selectsheet
{position:absolute; right:1em; top:2.5em; margin:0; padding:0.5em 0.5em 0.2em; z-index:1; background-color:#fff; border:1px solid #006;}
#address,address
{margin:1em -30px; padding:0.25em 30px; display:block; color:#000000; background-color:#eef; text-align:right; border-style:solid; border-width:thin 0; border-color:#ccd;}
#address li
{padding:0 0 0 0.5em;}
#address address
{padding:0; border:none;}
img
{border:none; vertical-align:bottom;}
/*-- common --*/
h1,h2,h3,h4,h5,h6,strong,caption,th
{font-weight:bold;}
h1
{margin:0 -30px; padding:1.1em 0.8em 0.1em; font-size:160%; color:#ddf; background:#006 url("http://deztec.jp/x/etc/img/x-h1bar.png") left top;}
h2,h3,h4,h5,h6
{margin:1em 0 0.8em; padding:0.1em 5px 0;}
h2,h3,h4
{color:#446;}
h2
{margin:1em -30px 0.8em -30px; padding:0 10px; font-size:130%; background:transparent url("http://deztec.jp/x/etc/img/x-hdg.png") no-repeat left top; border-top:1px solid #446;}
h3
{margin-left:-15px; font-size:110%; border-width:1px; border-style:outset; border-color:#bebebe #7f7f7f #7f7f7f #bebebe;}
h4
{margin-left:-10px; font-size:105%; border-bottom:1px solid #779;}
h5
{margin-left:-5px; border-bottom:1px dashed #779;}
h6
{padding-left:0; border-bottom:1px dotted #444;}
p,ul,ol,pre,blockquote,table
{margin:0.5em 0 0.5em 0.5em;}
p
{text-indent:0.8em;}
p.source,.longsource,pre
{text-indent:0; padding:0.5em; font-family:"MS ゴシック",monospace; border:1px solid #600;}
.longsource
{height:200px; overflow:auto;}
@media screen,tv {
p.long
{height:200px; overflow:auto;}
}
ul
{list-style:square outside;}
ol
{list-style:decimal outside;}
dl,dd blockquote dl,dd dl.lv3
{margin:0.5em 0;}
dd dl
{margin-left:-0.5em;}
li,dt,dd
{margin:0.2em 0;}
li
{margin-left:2em;}
dt
{padding-left:0.5em; background:#ddf; border-top:1px solid #99c;}
dd
{margin-left:2em;}
blockquote
{padding:0 0.5em; border:2px dashed #699;}
q,em,strong
{padding:0 0.3em;}
q
{color:#366; border-bottom:1px dashed #699;}
em,strong
{background:#eef;}
table
{border:1px solid #669; border-collapse:collapse;}
td,th
{padding:0 0.4em; border:1px solid #99c;}
th
{background:#eef; text-align:left; vertical-align:top;}
th,.start-tag,.end-tag
{white-space:nowrap;}
table.fig td
{text-align:right;}
textarea,input
{border:1px solid #446;}
input
{text-align:center;}
a
{text-decoration:underline; padding:1px;}
a:link
{color:#300;}
a:visited,a:active
{background:transparent;}
a:hover,dt a:hover
{padding:0; background:#ddf; border:1px solid #99f;}
del
{text-decoration:line-through;}
ins
{background:#eee; text-decoration:none;}
hr
{display:none;}
これくらい大きな CSS ファイルともなると、私も要素のグループ化をしていないわけじゃないですね。目次とかの段組関連とナビゲーションをコンパクトにまとめるためのスタイル指定は、HTML 文書の装飾として異常な部分なので、別枠にしてあります。ただ、それらはあくまでも例外部分の記述という扱い。中核をなすのは common と題されたグループで、全内容の6割以上を占めています。
HTML 文書は本質的には1段組であり、リストはリスト、段落は段落、という単純なフォーマット。その本分を外れたスタイル指定は例外であるべきだし、そういう考えがあれば、グループがどんどん増えていくなんて馬鹿なことは起こりえない。私の CSS のように、表紙専用の指定が少々、あとはナビゲーション関連、それくらいじゃない? 趣味レベルのサイトに必要なグループなんて、他に思いつかないんですけど。
長々とソースを記述する場合、最近はよく overflow 属性を使って小さな枠に押し込めてしまうのだけれど、それはなぜかというと、「どうせまじめに読む人は少ないでしょ」という。あと、私の書くのは、まじめに読まれても恥にしかならないソースだったりするので、それを隠蔽する意味でも全部の長々しいソースを圧縮表示(?)している次第。備忘録の本文まで圧縮し始めたら末期症状だと思う。
私は HTML ソース中で基本的にタブを用いません。タブを使うとソースが読みにくくなるからです。……と書くと、「頭オカシイんじゃないの?」といわれたりするのですが、そういうことをいう人のエディタをみたら、なんと「折り返し」を使っていなかったのでビックリしました。ウェブでは横スクロールバーは許せないとかいっているのに、エディタならいいの? その感覚、よくわかんない。
私は「折り返し」機能のないエディタなんて能率が悪くって使えません。マウス操作しにくいでしょ。……と書くと、「いい加減、キーボードに慣れたら?」といわれたりするのですが。私はブラインドタッチもできなくて、それはなぜかといったら、必要がないから。ブラインドタッチできる大抵の同僚よりも文章を書くのは早いし。みんな、キーボードを打つ時間より、何を書くか考えている時間の方がずっと長いわけで。負け惜しみですか、そうですか。
でもとにかく、ブラインドタッチもときどき練習するのだけれど、すぐに飽きてやめてしまう。「必要性」がなく「楽しさ」も感じない技能は身につかない。英語とか。社会人になって英語ができないなんてクズだからね! って脅されて20数年、案外、英語ができなくても社会人できちゃってたりする。会社には申し訳ないけれど。
文法チェック機能付タグ補完型エディタ Crescent Eve がフリーソフトになってからしばらく経ちましたが、みなさん利用されてますか? 私が以前、ご紹介したときにはシェアウェアだったのですが、フリーソフトになってからも順調にバージョンアップを重ねており、ますます便利になりました。
今、私はブラウザの「ソースを開く」で Crescent Eve が起動するように設定しており、また Crescent Eve の設定でファイルを開く際に文法チェックするようにしています。すると案外、記述ミスがよくみつかるので重宝しています。Another HTML lint より簡単ですし、みなさんにもお勧めします。
で、何がいいたかったかというと……(以下略/文法ミスの指摘なんてのはメールでした方がいいと思い直しました)
作者の山根一城さんは杉並区西荻南で山根折形礼法教室を主宰する師範でいらっしゃいます。
折形とは何か、最近の若い人は知りません。これは逆に狙い目でありまして、入門レベルの知識であっても、歳が若ければたいへん感心されます。感心されたら何の得があるのか? なんて質問をしているようではいけませんね。若い人は若い人同士だけで集まりがちですが、もったいない話です。
ご老公方が若い人のやりたいことを邪魔だてするのは、たいてい理解できないからです。若い人はこれを「老化現象」と決め付けますが、実際にはコミュニケーション不足に過ぎないことが多い。部活の先輩が何かと後輩にお節介を焼くように、人には不思議と年下の者のやることを支援したがる性質があって、意思疎通さえうまくいっていれば、むしろご老公方こそ若い人の最高の支援者となります。そうはいってもさあ……という話はともかくとしまして、さて、折形とは一体何か。
山根先生の解説をさらに噛み砕いて説明すれば、端的には品物やお金を贈る際の「包み方」に関する礼法のことです。折形は慣習的規則ではなく礼法なので、明快で応用範囲の広い思想と理論が存在します。それゆえ、現在まかり通っている既製品の熨斗袋や根拠のないマナーブック式の作法と異なり、包まれる品物と贈る者の心にあわせて自在に変化し、美しい「かたち」を実現します。
包装が先にあり、そこに中身を詰め込むのでは本末転倒というもの。折形に興味のある方は2月28日の NHK 総合「生活ホットモーニング」をご覧ください……って、もう放送が終わってしまいましたね。アドバイスが遅れて申し訳ありません。でもまだ間に合います! 明日3月2日の NHK 教育「おしゃれ工房」で山根先生による折形講座が放送されます。ただいまテキストが絶賛発売中……これも間に合わないかな。NHK のテキストはきれいで安価、いろいろ載っててお得な感じなので、放送終了後であっても読む価値ありますよ。
『折形礼法』という600年の歴史を持つ日本伝統の礼法を普及させたいと想い創設したHPです。手打ちタグで作成した為、デザインやアクセシビリティーの面でどうすればより見易くなるかご教授ください。自分では見えない客観的な視点で厳しく評価して頂きたいと思います。
私には主観的な評価しかできません、ということは掲示板にも書いた通りです。あらかじめご了承ください。
正直、参りました。趣味のサイトとしては十分に完成されており、とくに全体のレイアウトや画像の使い方など、堂に入ったものといえます。ナビゲーションの充実も素晴らしく、どこを直せというような致命的な欠点も見当たりません。
Yahoo!JAPAN 登録サイトだけに、Google 検索「折形」でも2位に登場。1位は日本折紙学会の秘傳千羽鶴折形なので、これに勝てというのはちょっと酷な話。少なくとも「折形」に興味のある方に対しては、きちんとアピールできる地位にあります。
以下、いくつかの指摘はいたしますけれども、たいへん完成度の高い、よくまとまった素晴らしいウェブサイトであって、折形文化を世に伝える場として、末永く続いてほしいと思っております。
私がアドバイスできることがあるとすれば、「どんなサイトを作るか」ではなく、「いかにして作るか」という点にほぼ限定されるだろうと思います。
まず、以下の再現案をご覧ください。
再現案とはいっても、いくつかの変更点があります。
まず、JavaScript は外しました。案内リストの上下スクロールは、個人的には悪くないと思いましたけれども、IE 独自の機能を無茶して利用するスクリプトだったので、文書型宣言などを行うと、IE でも動作しなくなってしまいます。このサイトには縦に何画面も長く続く文書が存在せず、なければないで不都合ないものと判断しました。見出しの文字をアニメーション表示するスクリプトも同様に動作範囲が狭く、またこちらはほとんど無意味な視覚効果ではないかと思いました。
次に、スクロールバーの表示をいじらないことにしました。スクロールバーの色を変更するスタイルシートがもともと IE 専用だったという点を抜きにしても、スクロールバーの色を白くして背景色と同化させてしまうことに私は賛成できません。スクロールバーは閲覧者に有意義な情報を提供しており、これを事実上、隠してしまうような装飾には積極的な意義が見出せません。おそらく見た目の問題で色を変更されたのでしょうけれども、それもあまり成功していないように思われました。
以下は細かい点になりますが、案内リストの背景色を透明とし、リスト項目の白背景のみ残しました。この意味は、本文領域の背景が白であり、それを囲むように逆コの字型の緑色の領域があるという全体のレイアウトを明確化することです。原本のデザインでは、左の緑帯と同じ幅を有する案内リストの白背景が、帯を寸断していました。これでは閲覧者に全体の構図を印象付けにくい。「白背景は本文領域」という形式を明確化するべきだと私は考え、帯がハッキリ見えるデザインとしました。
最上部のリード文が非常に読みづらかったので、濃灰の背景色に白文字としました。読みやすいけれども、パッと見、閲覧者には無視されるレイアウト・配色となるよう配慮しました。おそらく検索エンジン対策として入れている文字なのでしょう。だからわざと目立たないよう工夫されたのでしょうが、読みたい人には読めるようにしつつ、デザイン意図を概ね達成する方法もあるのです。
文章の改行スタイルも変更しています。1行単位で詩のようにリズムを取る文体を採用され、これを画像によって規定される本文領域の幅と対応させようとなさったから、文字サイズを固定せざるを得なくなったのです。段落単位で改行する文体を選択すれば、幅固定と可変の文字サイズを両立できます。そうすると読みにくくなるのではないか? という不安があったのでしょうが、再現案をご覧になってみて、いかがでしょう? 日本語の表現として、より自然なスタイルとなり、むしろ読みやすくなったと感じるのは私だけでしょうか?
画像とキャプションに枠線をつけたのは、段落単位の改行スタイルとの兼合いによります。キャプションが本文と入り混じってしまっては困るわけで、最も単純に、明確に両者を区別する方方として、枠線を採用したわけです。
原本では、表示領域を大きくして本文が全て表示されても、横スクロールバーが残ります。再現案では、横幅約800pxで横スクロールバーが消えます。タイトル画像をもう少し切り詰めることで750pxまで制限できるはずですが、今回は画像を流用しています。
<HTML XMLNS:t="urn:schemas-microsoft-com:time" lang="ja">
<HEAD>
<META http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS">
<meta name="description" content="山根折形礼法教室-「折形」(おりがた)、折形についてと折形の歴史、代表的な折形の紹介、山根折形礼法教室のご案内等を紹介しております。">
<meta name="keywords" content="山根,折形,礼法">
<meta http-equiv="Content-Style-Type" content="text/css">
<meta http-equiv="Content-Script-Type" content="text/javascript">
<link rel="stylesheet" href="/x/05/03/origata/style.css" type="text/css">
<TITLE>折形『山根折形礼法』</TITLE>
<base href="http://www.yamane-origata.com/">
<SCRIPT LANGUAGE="JavaScript" type="text/javascript" src="/x/05/03/origata/move.js"></SCRIPT>
<?IMPORT namespace="t" implementation="#default#time2">
</HEAD>
<BODY onload="setInterval('sc_tbl()',1000);" Style="margin:0;" text="#616161">
<span class="fs6">
「折形」(おりがた)、折形についてと折形の歴史、
代表的な折形の紹介、山根折形教室のセミナー等のご案内。</span>
<TABLE BORDER="0" cellspacing="0" cellpadding="0" WIDTH="100%" ALIGN="RIGHT" SUMMARY="main">
<TR>
<TD rowspan="14" valign="top">
<div style="position:relative;width:155;height:150;background-color:transparent;padding:0;border:0;outset;"
align="center">
<TABLE BORDER="1" bgcolor="#ffffff" bordercolor="#661f36" SUMMARY="menu">
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><span class="fs12">■山根折形礼法教室の活動</span>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="aboutorigata.html">■折形とは</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="history.html">■折形の歴史</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><span class="fs12">■代表的な折形の紹介</span>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="sakuhin1.html">┣伝統的な折形</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="sakuhin2.html"> ┣儀礼・儀式用折形</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="sakuhin3.html">┣贈進紙幣包み</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="sakuhin4.html"> ┗ 祭事・儀式用飾り</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="wasi.html">■折形に使う和紙</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="goannai.html">■セミナー</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="nittei.html">■お知らせ</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="kousijin.html">■リンク集</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="syuppanbutu.html">■サイトマップ</A>
</TD>
</TR>
<TR ALIGN="CENTER">
<TD><A href="otoiawase.html">■お問い合わせ</A>
</TD>
</TR>
</TABLE>
<t:animate id="tt1" attributeName="top" begin="indefinite" from="" to="" dur="1"
autoreverse="false" fill="freeze" decelerate="1" />
</div>
</TD>
<TD>
<img src="/x/05/03/origata/round01.gif" alt="*" height="80" width="10" border="0" oncontextmenu="return false;"></TD>
<TD COLSPAN="3" bgcolor="#ffffff">
<img src="/x/05/03/origata/top_banner02.jpg" ALT="山根折形礼法教室" border="0" align="left" oncontextmenu="return false;"></TD>
<td bgcolor="#ffffff" rowspan="8"><img src="white.gif" width="174" alt="*">
</td>
</TR>
<TR>
<TD bgcolor="#ffffff"><!--余白-->
</TD>
<TD COLSPAN="3">
<table cellSpacing="0" cellPadding="0" border="0" SUMMARY="title">
<tr>
<td width="2" height="10" bgcolor="#000000"></td>
<td bgcolor="#000000" width="564" height="10">
<font color="#FFFFFF"><strong>
<div style="width:100%;">
『折形』・(おりがた) と私どもの活動について
<SCRIPT language="JavaScript" type="text/javascript" src="t/x/05/03/origata/ransition.js">
</SCRIPT></div>
</strong></font>
</td>
<td bgcolor="#333333" width="12" height="10">
<img width="12" height="100%" src="/x/05/03/origata/Ctab000000.gif" oncontextmenu="return false;" alt="*"></td>
<td bgcolor="#666666" width="12" height="10">
<img width="12" height="100%" src="/x/05/03/origata/Ctab333333.gif" oncontextmenu="return false;" alt="*"></td>
<td width="12" height="20">
<img width="12" height="100%" src="/x/05/03/origata/Ctab666666.gif" oncontextmenu="return false;" alt="*"></td>
</tr></table></TD></TR>
<TR>
<TD bgcolor="#ffffff"><!--余白-->
</TD>
<TD COLSPAN="3" width="41%" bgcolor="#ffffff"> <br>
<TABLE cellSpacing="0" cellPadding="0" border="0" SUMMARY="contents"><TBODY>
<TR>
<TD colspan="2" bgcolor="#ffffff">
<p><b>私共の活動について</b><br><br></td></tr><tr><td>
「折形」(おりがた)とは600年も昔から上級武家の間で行われ、<br>
秘伝として伝えられてきた<b>日本独自の「礼法」の一つ</b>でした。<br>
「もの」や「お金」を和紙で包む「包み方」の方式のことで、<br>
「折形の礼法」といいます。</p>
<p>江戸時代に入ると「折形」は一般社会にも行きわたり、<br>
昭和前期ごろまでは格式ある家では、品物やお金を贈るとき、<br>
純白の和紙に美しく折り包んで、直接手渡しておりました。<br>
四季折々の行事によっても、包む中身の品物によっても、<br>
一つ一つの仕上がりの形が変わり、<br>
<b>一目で何を包んでいるのかが判るのが「折形」の特長</b>です。</p>
<p>その仕上がりの形も、それを贈る行為も、<br>
どちらも日本の美を集約した美学だといえましょう。</p>
<p>しかしながら戦後、西欧の急速なライフスタイルの浸透、普及によって<br>
いつのまにか「折形礼法」は<br>
その形も心も日本の生活慣習の中から消失してしまい、<br>
既成の熨斗袋を単に購入するという安易なスタイルに<br>
取って代わってしまいました。<br>
根拠のない礼法や既製品の熨斗袋があふれ<br>
日本古来の素晴らしい礼法の基本原則が<br>
大きく乱れ混乱しているのが現状です。</p>
<p>山根折形礼法教室では、<b>日本古来の武家礼法本流の原則</b>に従った<br>
正しい折形をわかりやすく普及、啓発することに努めております。</p>
<p>これらの折形礼法の原則は礼法研究家、美学者として<br>
日本での第一人者であった山根折形礼法教場宗主 故 山根章弘氏の<br>
40年以上にわたる研究成果の結果、<br>
文化史、歴史的な裏づけに基づいて折形の思想、<br>
哲学を集約したものであり、<br>
<b>流儀や流派を主張するものではありません。</b></p>
<p>私どもは、一人でも多くの方が、この素晴らしい日本文化を再認識され、<br>
日本古来の礼法の原則にのっとって、折り目正しく品物を折り包んで、<br>
現代の社会の中での人と人との関わり合いを<br>
美しく保ってゆくことを願うものです。</p>
山根折形礼法教室 主宰 山根一城
</TD>
<TD VALIGN="top">
<img src="/x/05/03/origata/toppic.gif" oncontextmenu="return false;" alt="木の花包み"><br>
木の花包み</TD></TR>
</TBODY></TABLE>
</td>
</TR>
<TR HEIGHT="75">
<TD bgcolor="#ffffff"><!--余白-->
</TD>
<TD COLSPAN="3" ALIGN="left" bgcolor="#ffffff">
</TD>
</TR>
<TR>
<TD bgcolor="#ffffff"><!--余白-->
</TD>
<TD width="33%" bgcolor="#ffffff">
</TD>
<TD width="33%" bgcolor="#ffffff">
</TD>
<TD width="34%" bgcolor="#ffffff">
</TD>
</TR>
<TR>
<TD bgcolor="#ffffff"><!--余白-->
</TD>
<TD bgcolor="#ffffff">
</TD>
<TD bgcolor="#ffffff">
</TD>
<TD bgcolor="#ffffff">
</TD>
</TR>
<TR HEIGHT="20">
<TD><img src="/x/05/03/origata/round02.gif" alt="*" height="100%" width="10" oncontextmenu="return false;">
</TD>
<TD colspan="3" bgcolor="#ffffff"><DIV ALIGN="CENTER">
<span class="fs12">山根折形教室の活動</span>┃
<A Href="aboutorigata.html">折形とは</A>┃
<A Href="history.html">折形の歴史</A>┃
<span class="fs12">代表的な折形の紹介</span>
<A Href="sakuhin1.html">1</A>
/<A Href="sakuhin2.html">2</A>
/<A Href="sakuhin3.html">3</A>
/<A Href="sakuhin4.html">4</A>┃
<a href="wasi.html">折形に使う和紙</a><br>
<A Href="goannai.html">セミナー</A>┃
<A Href="nittei.html">お知らせ</A>┃
<A Href="kousijin.html">リンク集</A>┃
<A Href="syuppanbutu.html">サイトマップ</A>┃
<A Href="otoiawase.html">お問い合わせ</A>┃
<br><i><font color="#666666">Copyright
(C) 2004 yamane-origata. All Rights Reserved.URL http://www.yamane-origata.com/</font></i><br>
<img src="/x/05/03/origata/counter.png" alt="カウンター" width="80" height="12">
</div>
</TD>
</TR>
<TR HEIGHT="20">
<TD>
</TD>
</TR>
</TABLE>
<BR>
</BODY>
</HTML>
タグをひとつひとつ手で書いていらっしゃるそうですが、これは相当苦労されただろうと思いました。バリバリのテーブルレイアウトなのですけれども、例えば rowspan="14" とかですね、ふつうなら嫌になります。いったん紙に書いてみたりでもしないと、レイアウトのための行を14も把握できるものではありません。これほど苦労されていながら、完成形はむしろシンプルです。シンプルなデザインはシンプルに実現されるべきだと思います。
全体については再現案をじっくり検討していただくとして、以下、一つの例を挙げて概要を説明いたします。
小見出しのデザインに要した記述は、とくに凄まじい。該当部分を抜き出すと、以下の通り。
<table cellSpacing="0" cellPadding="0" border="0" SUMMARY="title">
<tr>
<td width="2" height="10" bgcolor="#000000"></td>
<td bgcolor="#000000" width="564" height="10">
<font color="#FFFFFF"><strong>
<div style="width:100%;">
『折形』・(おりがた) と私どもの活動について
<SCRIPT language="JavaScript" type="text/javascript" src="t/x/05/03/origata/ransition.js">
</SCRIPT></div>
</strong></font>
</td>
<td bgcolor="#333333" width="12" height="10">
<img width="12" height="100%" src="/x/05/03/origata/Ctab000000.gif" oncontextmenu="return false;" alt="*"></td>
<td bgcolor="#666666" width="12" height="10">
<img width="12" height="100%" src="/x/05/03/origata/Ctab333333.gif" oncontextmenu="return false;" alt="*"></td>
<td width="12" height="20">
<img width="12" height="100%" src="/x/05/03/origata/Ctab666666.gif" oncontextmenu="return false;" alt="*"></td>
</tr></table>
1行5列のテーブルを使い、様々な W3C 非推奨の属性やインラインスタイルシート、font 要素などを駆使して装飾されています。なぜ見出しひとつに5列必要か? 1列目は td 要素への width 属性指定による余白作成、2列目が肝心の文字列、3〜5列目は画像を配置+幅固定によるグラデーション表現、という按配。
私なら、どうするか。
<h2>『折形』・(おりがた)と私どもの活動について</h2>
見出し要素は文書構造上、上位のものから順に h1 要素、h2 要素、……、h6 要素となります。山根さんのデザインでは最上位の見出しがサイト名となっているので、その次の小見出しは自動的に h2 要素と決めてよいでしょう。私の記述は、これで全てです。
……というのはもちろんジョークで、外部スタイルシートに若干の記述が必要になります。なぜインラインスタイルシートにしないかといえば、ひとつにはリニューアルの手間を削減するため(構造と表現を分離する必要があるから)。もし見た目だけの(=本文やサイト構造自体に手を加えない)リニューアルは金輪際ありえないのだとしても、同じスタイルの小見出しはほぼサイト内の全文書に存在していますから、外部スタイルシートに記述をまとめた方が便利です。
ではその外部スタイルシートにどう書くか? 実際の再現案では CSS 記述の省力化のため分散している記述を一箇所にまとめると、以下のようになります。
h2
{margin:1em 20px; padding:0 5px; font:normal normal bold 120%/1.4 sans-serif; color:#fff; background:#000 url(h2.png) no-repeat right top;}
単純明快。余白や文字色、背景色の指定は、外部スタイルシートを用いるだけでこんなに簡単になります。苦労されていたグラデーションの表現は、3つの画像を合成した画像を用意して、背景画像に指定することにより実現しています。わかってしまえば、「なーんだ」というアイデアです。
私は「テーブルレイアウトを使ってもよい」という立場ですが、何もこんなところでこんな風に使わなくてもいいのに、と思わされることは少なくありません。むしろ、そのような「テーブルレイアウト」の方がずっと多い。山根さんのウェブサイトのレイアウトであれば、テーブルレイアウトを使う必然性がありません。無用のテーブルレイアウトを避ければ、サイトの製作は、わかりやすく簡単になります。
<style type="text/css">
<!--
.time{behavior: url(#default#time2);}
A{ padding: 0; border: 0; font-size: 12; font-family: Arial; text-decoration: none; }
A:hover{position:relative;top:1px;left:1px; color:#cda826;}
td { font-size: 11pt; line-height: 140%}
.title { font-size: 12pt; color: #CC3333}
.fs12 { font-size: 12px; }
.fs6 { font-size: 11px; color: #990033}
BODY{background-image:url("bg_tatami.jpg");background-repeat:repeat-y;}
a:link {color: #669900;}
a:visited {color: #e37252;}
html, body {
scrollbar-base-color: #FFFFFF;
scrollbar-track-color: #FFFFFF;
scrollbar-face-color: #FFFFFF;
scrollbar-shadow-color: #FFFFFF;
scrollbar-darkshadow-color: #669933;
scrollbar-highlight-color: #FFFFFF;
scrollbar-3dlight-color: #669933;
scrollbar-arrow-color: #336633;
}
</style>
私の記法も相当にガチャガチャしている(もちろん私自身にとっては一番わかりやすく書きやすい記法なのですが他者にその優位性をうまく説明できない)ので、あまり他人にとやかくいえたものでもないのですが、もう少し整理された方がよいのではないかと思います。どこかからコピーアンドペーストしてきた記述なのでしょうけれども、まず記法を統一し、次に関連する記述を順に並べるべきです。a 要素へのスタイル指定が分断されているのは理解しがたいところです。
また、外部スタイルシートファイルに <style type="text/css"> <!-- --> </style> といった記述は書かないのが正しいので注意してください。HTML 文書の内容として配置された style 要素であれば <style type="text/css"> <!-- --> </style> などと書かねばなりませんが、HTML 文書の外にあるスタイルシートの中にそのような記述が必要ない(むしろそれはおかしい)ことは明白です。
<!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01 Transitional//EN" "http://www.w3.org/TR/html4/loose.dtd">
<html lang="ja">
<head>
<meta http-equiv="content-type" content="text/html; charset=Shift_JIS">
<meta http-equiv="content-script-Type" content="text/javascript">
<meta http-equiv="content-style-Type" content="text/css">
<meta name="description" content="山根折形礼法教室-「折形」(おりがた)、折形についてと折形の歴史、代表的な折形の紹介、山根折形礼法教室のご案内等を紹介しております。">
<meta name="keywords" content="山根,折形,礼法">
<title>折形『山根折形礼法』</title>
<link rel="stylesheet" type="text/css" href="/x/05/03/origata/new.css" media="screen,tv">
<base href="http://www.yamane-origata.com/">
</head>
<body>
<p id="summary">「折形」(おりがた)、折形についてと折形の歴史、代表的な折形の紹介、山根折形教室のセミナー等のご案内。</p>
<ul class="nav">
<li>山根折形礼法教室</li>
<li><a href="aboutorigata.html">折形とは</a></li>
<li><a href="history.html">折形の歴史</a></li>
<li>代表的な折形の紹介
<ul>
<li><a href="sakuhin1.html">┣伝統的な折形</a></li>
<li><a href="sakuhin2.html">┣儀礼・儀式用折形</a></li>
<li><a href="sakuhin3.html">┣贈進紙幣包み</a></li>
<li><a href="sakuhin4.html">┗祭事・儀式用飾り</a></li>
</ul>
</li>
<li><a href="wasi.html">折形に使う和紙</a></li>
<li><a href="goannai.html">セミナー</a></li>
<li><a href="nittei.html">お知らせ</a></li>
<li><a href="kousijin.html">リンク集</a></li>
<li><a href="syuppanbutu.html">サイトマップ</a></li>
<li><a href="otoiawase.html">お問い合わせ</a></li>
</ul>
<div class="main">
<h1><img src="/x/05/03/origata/top_banner02.jpg" alt="山根折形礼法教室" width="620" height="57"></h1>
<h2>「折形」(おりがた)と私どもの活動について</h2>
<dl>
<dt><img src="/x/05/03/origata/toppic.gif" alt="木の花包み" width="119" height="357"></dt><dd>木の花包み</dd>
</dl>
<p>「折形」(おりがた)とは600年も昔から上級武家の間で行われ、秘伝として伝えられてきた<em>日本独自の「礼法」の一つ</em>でした。「もの」や「お金」を和紙で包む「包み方」の方式のことで、「折形の礼法」といいます。</p>
<p>江戸時代に入ると「折形」は一般社会にも行きわたり、昭和前期ごろまでは格式ある家では、品物やお金を贈るとき、純白の和紙に美しく折り包んで、直接手渡しておりました。四季折々の行事によっても、包む中身の品物によっても、一つ一つの仕上がりの形が変わり、<em>一目で何を包んでいるのかが判るのが「折形」の特長</em>です。</p>
<p>その仕上がりの形も、それを贈る行為も、どちらも日本の美を集約した美学だといえましょう。</p>
<p>しかしながら戦後、西欧の急速なライフスタイルの浸透、普及によっていつのまにか「折形礼法」はその形も心も日本の生活慣習の中から消失してしまい、既成の熨斗袋を単に購入するという安易なスタイルに取って代わってしまいました。根拠のない礼法や既製品の熨斗袋があふれ日本古来の素晴らしい礼法の基本原則が大きく乱れ混乱しているのが現状です。</p>
<p>山根折形礼法教室では、<em>日本古来の武家礼法本流の原則</em>に従った正しい折形をわかりやすく普及、啓発することに努めております。</p>
<p>これらの折形礼法の原則は礼法研究家、美学者として日本での第一人者であった山根折形礼法教場宗主 故 山根章弘氏の40年以上にわたる研究成果の結果、文化史、歴史的な裏づけに基づいて折形の思想、哲学を集約したものであり、<em>流儀や流派を主張するものではありません。</em></p>
<p>私どもは、一人でも多くの方が、この素晴らしい日本文化を再認識され、日本古来の礼法の原則にのっとって、折り目正しく品物を折り包んで、現代の社会の中での人と人との関わり合いを美しく保ってゆくことを願うものです。</p>
<address>山根折形礼法教室 主宰 山根一城</address>
<div class="footer">
<p>┃山根折形礼法教室┃<a href="aboutorigata.html">折形とは</a>┃<a href="history.html">折形の歴史</a>┃代表的な折形の紹介<a href="sakuhin1.html">1</a>/<a href="sakuhin2.html">2</a>/<a href="sakuhin3.html">3</a>/<a href="sakuhin4.html">4</a>┃<a href="wasi.html">折形に使う和紙</a>┃<br>
┃<a href="goannai.html">セミナー</a>┃<a href="nittei.html">お知らせ</a>┃<a href="kousijin.html">リンク集</a>┃<a href="syuppanbutu.html">サイトマップ</a>┃<a href="otoiawase.html">お問い合わせ</a>┃</p>
<p>Copyright (C) 2004 yamane-origata. All Rights Reserved.<br>URL http://www.yamane-origata.com/</p>
<p><img src="/x/05/03/origata/counter.png" alt="カウンター" width="80" height="12"></p>
</div>
</div>
</body>
</html>
原本の半分の記述量となりました。単に短ければいいというものではありませんが、ムダを省いた結果、短くなったのであれば喜ばしいことのはずです。再現案は、概要、以下の構造を有しています。
<!DOCTYPE (略)>
<html lang="ja">
<head>
<meta (略)>
<title>折形『山根折形礼法』</title>
<link rel="stylesheet" (略)>
</head>
<body>
<p id="summary">リード文</p>
<ul class="nav">
<li>ナビゲーション</li>
</ul>
<div class="main">
<h1>サイト名(画像)</h1>
<h2>「折形」(おりがた)と私どもの活動について</h2>
<dl>
<dt>折形の画像</dt><dd>画像の説明</dd>
</dl>
<p>活動の説明</p>
<p>(中略)</p>
<p>画像の説明</p>
<address>山根一城</address>
<div class="footer">
<p>ナビゲーション</p>
<p>Copyright</p>
<p>カウンター</p>
</div>
</div>
</body>
</html>
かなりわかりやすくなった、と思うのは私だけでしょうか? リード文、ナビゲーション、そして本文領域(div.main)からなる、単純な構成です。本文の末尾に再びナビゲーションが登場する(div.footer)のが変なところで、これは本文領域から追い出すべき部分かもしれません。私がそのようにしていないのは、結果としてのレイアウトから逆算して文書の構成を考えた名残です。白背景の領域は div.main としたわけです。これは邪道な方法かもしれませんが、一概に否定しきれない面があるかと思っています。
本文の前にナビゲーション、という文書構成にはいろいろな意見がありますが、私はアリだと思っています。自分自身の閲覧行動を振り返るに、本文はチラッと見出しを見ただけでページを立ち去ることが少なくない。本文を全部読まないとナビゲーションが登場しないのは、必ずしも閲覧者に優しくないと思っています。(参考:"いろは"の先のCSS 第8回)
*
{margin:0; padding:0; font:normal normal normal 100%/1.4 Times,"Times New Roman","MS Pゴシック",Osaka; color:#616161; background:transparent; text-decoration:none; border:none;}
body
{padding:0 0 30px; background:#fff url(bg_tatami.jpg) repeat-y left top;}
p#summary,ul.nav *,div.footer *
{font-size:12px;}
p#summary,dd,div.footer
{text-align:center;}
p#summary
{margin:0 0 30px; padding:5px 20px 5px; line-height:1; color:#fff; background:#616161;}
ul.nav
{position:absolute; top:52px; left:3px; width:154px;}
ul.nav li
{margin:0 2px 2px; padding:2px 0 2px 18px; background:#fff url(listmark.png) no-repeat 6px 8px; list-style:none; border:1px solid #903;}
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{padding:10px 0;}
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h2
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address
{text-align:right;}
dl
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dt
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dd
{width:119px; margin:0 20px 10px 10px; border-top:none;}
div.footer
{background:#fff url(footer2.png) no-repeat left bottom;}
a
{color:#690;}
a:visited
{color:#e37252;}
a:hover
{color:#cda826;}
スタイルシート初心者の山根さんには少し厳しい内容かと思います。とくに全体のレイアウト構成は理解し難いでしょう。当面は部分の装飾テクニックを参考にしていただければ十分ではないかと思います(例えば戦術の小見出しの装飾など)。
以下は当サイトの常連読者の方々向けの補足解説。
段組だけはテーブルレイアウトで実現してもよかったのですが、今回は非常に簡単なケースですから、スタイルシートで全部再現してみました。細かいところは解説しきれないので、各自ご検討いただきたいのですが、段組には position:absolute; を用いています。基本的に扱いづらい手法なのですが、今回の案内リストは文字サイズ固定ですし、本文領域の方が縦に長いことが保証されているなど、いくつか有利な条件が重なりましたので、採用してみました。(参考:"いろは"の先のCSS 第2回 補足解説)
ちょっと注意していただきたいのが角丸部分の再現手法です。原本ではテーブルを分割して、「透明背景+白い角丸画像のセル」と「白背景のセル」により実現していたわけですけれども、これをヒントにして background:transparent url(***) no-repeat left top; などとやっても、うまくいきません。WinIE6 では、初期読込状態において、内容領域の背景が透明になってしまいます(padding 領域の背景画像は表示される)。再読込しないと内容領域に背景画像が出ません。
「透明な背景色指定+一部を透明化した背景画像」というのは非常に魅力的な手法なのですけれども、WinIE がダメなら使えませんね。残念です。
仕方ないので、背景色を白に指定して、 のような背景画像を角に配置しています。ここで問題となるのが、本文領域は文字サイズ可変としたので、左上はともかく左下の角では body 要素の背景画像と畳模様の摺り合わせができないことでしょう。困った私は、角丸画像を 10px×10px まで小さくし、ごまかしました。よほど注意して見ない限り違和感のない仕上がりになったと思いますが、いかがでしょうか?
山根さんは外部スタイルシートを使ったり、複雑なテーブルレイアウトをほぼ文法ミスなしで実現できるほどの実力がありながら、スタイルシートを十分に活用できていない。何かというとテーブルに頼り、ソースを肥大化させていらっしゃいます。
この理由は、端的には「学習経路に不備があり、肝心なところがよく理解されていないため」でしょう。
HTML についていえば、そもそも HTML とはいかなるものか? がわかっていらっしゃらない。だから、見出しに h1 要素などを用いず、段落に p 要素が用いず、順不同リストに ul 要素が用いない。HTML をレイアウト指定言語のように思い違いされています。
スタイルシートについていえば、width, height, padding, border, margin といった CSS の基本中の基本をご存じない様子。CSS におけるボックスという考え方さえ理解されたなら、テーブルは劇的に簡略化され、1行2列のシンプルな姿になる(段組だけをテーブルで実現する形になる)はずです。さらにテーブルを全廃することも不可能でないことは、私が再現案で示した通りです。
再現案のソースがどれほどスッキリしているかをご理解いただけるならば、HTML とスタイルシートを勉強する意義は明らかです。お勧めの入門書もありますから、ぜひ勉強をお勧めしたいところ。
ただ、ひとつ大きな問題があります。サイトの構成上、既に完成された状態であるわけで、更新頻度はこれまで同様、今後も低いことが予想されますね。とすると、山根さんが勉強する意義は、じつは小さい。もし今、山根さんが学習意欲にあふれているのであればよいのですが、いろいろ苦労したけれど、こうしてサイトも完成したわけだし……と、一息ついている状況かもしれません。もしそうであれば、私はなんとアドバイスしたらよいか、悩ましいところです。
いくら複雑なテーブルレイアウトだといっても、文書をコピーして一部を改変するという手順であれば、じつは更新にはそれほど手がかかりません。スクラップアンドビルドをしないのであれば、お勉強にお金と労力を費やすよりも、更新に注力した方がいいのではないかと思うのです。つまり、現状維持でいいということになります。
誰か困っている人がいる! 何とかしなければ! というのは、努力するための、ひとつ大きな動機となります。
山根さんはサイトのアクセシビリティに不安があるとのことでしたが、運よく、ソースの記述順序が文書の構成にマッチしたものとなっており、音声系ブラウザからの閲覧には、さして問題がありません。装飾用の画像が img 要素の形で多用されていますが、それらの alt 属性の値は「*」など適当な記号になっており、音声系ブラウザの読み上げをうまく回避しています。
そもそも実際に音声系ブラウザの利用者がいるかといったらいないだろうし、もしいても数人でしかない。しかも致命的な問題はないレベル。だから、私はアクセシビリティを理由に現状維持ではダメだということができません。これでいいのではないか、というのが正直なところなのです。
文字サイズの固定についてはいろいろ批判もありましょうが、かの Yahoo!JAPAN において、ひどく小さな画像文字が重要な箇所で使用されており、また可変とはいえかなり小さな文字も平気で使われているのが現実なのであって、それで困る人が非常に多いなら抗議への対応で事務所がパンクしているであろう、ということは容易に想像がつきます。だいたいアクセシビリティというのは、うるさい人に限って閲覧者側で対応する方法を知っていたりするものです。ためにする批判が多い。
山根さんのサイトの場合、本文領域の文字サイズは大半の閲覧者にとって問題のない大きさ。案内リストの文字サイズは少し小さいかもしれませんが、Folio Vol.8 ほど小さな案内文字にも苦情は出ていないのが実情であって、Folio のような小さなサイトでは例として不適切と思われるのであれば、かの有名な富士通ウェブ・アクセシビリティ指針をご覧になってください。The Possibilities are Infinite
という文字列の小さくて読みにくいことといったらない。検索
という文字も小さいですね。
画像化文字は IE のユーザ補助を使っても拡大できないわけで、最悪です。ならばせめて大きな文字にしておけばいいものを、日本有数の知名度を誇るアクセシビリティ指針掲載サイトがこの体たらくなのであって、ようするに日本のアクセシビリティは超一流のプロでもこれくらいのところで妥協しているわけです。
日本の、と私は今書きましたが、アメリカなんてもっとひどいですからね。アクセシビリティ法があるとかいってみても、大統領府のウェブサイトをテキストブラウザで閲覧してみれば、そのひどさはすぐにわかります。Welcome to the White House
が3回も出てくる。そして無意味な多重入れ子や複雑怪奇なテーブルレイアウトまである。なのに向こうでは、このウェブサイトが、アクセシビリティ法とやらの意図を汲んで製作された典型的な云々として紹介されているのです。
アクセシビリティについて話すとき、どこまでも「理想論」を受け入れていくと、最終的に多数派の閲覧者の支持を打ち捨てる結果に陥りやすい。基本的には閲覧者は内容についてくるのであって、デザインについてくるのではないのですけれども、少なくともデザインについて好評と不評があるのは間違いない。不評だからって閲覧者が10分の1とか100分の1になることはないけれど、半分とか3分の1くらいにはなり得ます。だからどこかで折り合いをつけざるを得ない。
富士通やホワイトハウスが平気で重要なところに画像化文字などを使い、本文の文字サイズも小さくしていることから、アクセシビリティを理由としたデザイン的後退は最小限でよいことがわかります。こうしてみると、山根さんのサイトの文字サイズ固定を咎めるのは、現実問題として無理筋だと思いますね。テーブルレイアウトであることを理由にアクセシビリティの観点から批判するのも同様でしょう。
折形のウェブサイトとして有名どころといえば折形デザイン研究所ですが、2003年11月から年表が更新されていないのが寂しいですね。たいていこの手のサイトというのは、いったん完成してしまうとそれきり放り出すことになりがち。新刊が出るとか、教室や講座の案内を更新するとか、それくらいになってしまう。
それが悪いというわけではなく、むしろ無理に更新しようしようと思っても、心が重くなるだけです。教室の生徒さんらとの交流の場にでもできたらいいのでしょうが、これもそうそううまくいくものではありません。私が多変量解析を学んだ小林龍一先生のまるばコミュニティも、先生お一人の発言ばかり並んでいるのが現状です。小林先生、ご無沙汰しています。書き込もうにも話題がなくって……。すみません。新年の挨拶くらいするべきだと思うのですが、不人情な話です。
インターネットというと、世界に開かれた云々ということがよくいわれるわけです。しかし実際には、言葉の壁もありますし、何より、人の縁はそうそう広がっていくものではない。東京の家を出てどんどん歩いて行けば箱根の山越えて名古屋、京都、大阪へ通じている、という程度の話とじつはそれほど違いません。
ここで「可能性」をどこまで信じるかという話が出てきます。何でも信じて頑張ればいいというものではないはずで、各人の判断が問われます。ページ数の都合で本に収録できなかった折形の情報を全部ウェブで公開しよう! とか、折形をやっている人間の等身大の素描として日記をつけていこう! といったあたりがすぐに思い浮かぶ積極策ですが、逆に新刊とテレビ出演と生徒募集の案内だけしていく消極策もアリです。
どんな道を選んでも後悔はつきものと割切って、お好きな道を歩まれることを望みます。以上です。
管理人の愛未さんは名古屋在住の学生さん。恐怖を感じる場所は水族館……珍しいですね(参考:はてな:1108810047)。自己紹介に嫌いなものより好きなものの話がたくさん書かれているのですが、なるほどこうした性格の管理人だから、こういった雰囲気のサイトになるのだなあと納得しました。
恋愛茶話館は、恋愛をテーマにしたテキストや豆知識をまとめたウェブサイトです。すごいなと思ったのは、ほぼ毎日更新されている日記のほとんど全てが恋愛関係のエッセイになっていること。ふだんこのジャンルのサイトを訪問することがないということもあって、圧倒されました。その他、印象に残ったのが避妊確率表のこれは私が独自に調べた数値
という付言。驚きましたが、結局、引用なんですね。こういった場合には、引用元を記載すればいいと思いました。
個人の恋愛テキストサイトです。長所は日記の更新頻度と、軽く・わかりやすく・読みやすく、を心がけたサイト作りだと思っています。短所はメインPCの故障のため、3月から日記・BBSなど外部レンタルコンテンツ以外の更新が出来ていないこと。BBSへのレスが遅れがちなことです。
具体的な相談ですが、まずはアクセス数のことです。個人テキストサイトにしては、まずまずのアクセス数があるのですが(平日200人以上/日、休日300人前後/日)ランキング頼みのいわば<浮動票>である、という点が気になっています。アクセス解析によるとランキングからの訪問者が50%以上。初回訪問数は30〜40%になります。リピートしてもらうためのアドバイスがいただきたいです。
あと、冷静にサイトを見てもらう機会がなかなかないので、第三者からの視点でデザイン・文章の読みやすさ(重視したいと思っています)・コンテンツの内容などで気になる点・改善した方がいいと思われる点、逆に当サイトの評価できる所や長所もありましたら、教えていただきたいです。
結論からいうと、勘違いではないかと。アクセス解析ツールが、ブックマークからのアクセスを計算しているかどうか、まず調べる必要があります。そして、アクセス解析ツールの多くは、IP アドレスまたは短時間で有効期限の切れる cookie で訪問者を判別しています。一部の ADSL 利用者などのように IP アドレスが変化しないケース以外は、ネットに接続し直すたびに IP が変化し、同一人物の訪問であっても「初回訪問」と判断されます。
訪問者の半分を占めるランキングからのアクセス数がいくつなのか、計算してください。これが1日100人以上なら、私の間違いです。本当に浮動票頼みの状態ということになります。要確認のこと。私が 0574 のランキングを見る限り、本当にそれほどアクセスがあるならトップ級といってよく、多分それはありえないだろう、と。新規訪問客の半分がランキング経由なのだろうと推察します。
私の予想通りなら、リピート客の割合は標準的な割合の範囲内に収まっているはずで、心配ご無用かと思います。
内容と対象層にマッチしたデザインだと思います。落ち着いた背景画像の選択、一定の統一感の感じられる文字色の選択、いずれも悪くありません。
一部、読みにくい文字があるかな、とも感じましたが、致命的というほどではないでしょう。しかし、今後の参考までに、文字色について気になった点を列挙します。
FrontPage4.0 をご利用になられている様子。だからあまり HTML とかスタイルシートがどうのこうのといったことはいいたくないのではありますが、将来的な方向性の話として。
FrontPage2003 にバージョンアップして、十分にその機能を使いこなせば、Web テンプレート機能によりコンテンツのデータとページのデザインを分離し、内容はそのままに、簡単に文書の見た目だけ変えることもできるようになります。けれども、そのためには時間とお金の投資が必要で、だったら HTML や CSS を勉強してもいいんじゃないかな、という気はします。もちろん、今後もこれまで通りのデザインを続けてもいいのですが……。
なぜこんな話をするのかといいますと、愛未さんのサイトのデザイン上の不都合の最たるものは、デザインの不統一だからです。常に画面の一部を占拠するナビゲーションフレームが一定の歯止めになっていますが、やはりコンテンツ間のデザインの差は強烈です。スッキリと安定感のある、信頼性の高いデザインを実現する最も単純な方法のひとつがデザインの統一であり、現在のサイト製作手法の延長上でそれを実現するのは、なかなか簡単でない。
ここで私があまり強く新方式への転換を勧めない最大の理由は、パソコンが調子悪いという当座の問題もさることながら、過去ログ資産が膨大だということです。新手法へ転換しても、今後新しく作るコンテンツにおいてデザインの統一が簡単になるだけであって、過去ログはそのままです。過去ログを一斉に書き換えるには、テキストの自動置換ツールと正規表現検索について学ぶ必要があり、HTML だのスタイルシートだの自動置換だのと、頭が痛くなりますね。
希望を実現するまでの苦難の道程を考えると、そこまでして勉強する意味があるかなあ、と思わないではありません。もし興味があれば、お勧めの入門書などで勉強なさってください。好きで学ぶ分には、苦も苦でなくなります。それならば、躊躇は要りません。
不統一が問題、と書きましたけれども、前述の通り、ナビゲーションフレームが押えになっています。それに、概ね各コーナ単位では統一が取れているわけです。現状の延長上のデザインガイドに従ってサイトを拡張していくのも、ひとつの選択肢としてはアリです。
ただ、仮に私が作りなおすのであれば、配色にはバリエーションを持たせても、デザインの大筋は共通させていくでしょう。とくに目次とナビゲーション、基本的なレイアウトについては、きちんと整備し直します。当サイト「趣味のWebデザイン」ほど単純明快にデザインを統一してしまうのも一手であって、つまらないと思われるかもしれませんが、やってしまえば案外、それでうまく見えるものです。
管理人にとって自分のサイトは唯一無二のかわいい我が子であり、あらゆる装いを試したいところでしょうけれども、他人にとっては大勢の中の一人です。だから、「これだ!」という個性をハッキリさせていく方が望ましいのです。
いくつかの観点があろうかと思います。
配色については既に繰り返し述べているように、もう少し背景色と文字色のコントラストを大きくしていただけるとありがたいですね。こころ帳の「白背景にピンクの文字」も少し読みにくいですし……。サイト内を見て回った限りでは、日記の配色がベターかと思いました。基本にしてしまってもいいかもしれません。リンクの色を(少し濃い目の)ピンクにして、本文の文字色は青系統の色とするわけです。
そしておそらく最も重要なのは、改行の扱いでしょう。現在、1文の途中でもどんどん改行しているのは、画面の端から端まで文字がずらっと並ぶと読みにくいという判断があるからだろうと思います。けれども、それらはデザイン次第でかなり改善できるのです。スタイルシートで行の高さなどを適当に指定し、画面の両端に余白を作れば、行単位ではなく段落単位の改行スタイルも採用することができます。
以下の改善案をご覧ください。
愛される方法の転載版。
配色とレイアウトに手を加えたもの。
配色とレイアウトに手を加え、改行位置を段落単位へ変更した実践例。
必ずしも改善案が素晴らしいわけではありません。文字やレイアウトは(多少なりとも)読みやすくなっているはずですが、改行スタイルについては自信がありません。
文章と改行位置については、有力な文化が複数存在します。段落単位よりも行単位でリズムを刻むスタイルを好ましく感じる方も少なくないのです。私は段落単位で整理された文章に馴染みがありますが、愛未さんはいかがでしょうか? お好きな方を選んでいただければと思います。
ここがポイント。
個別文書の改善案を示したついでといっては何ですけれども、目次ページについても改善案をご紹介します。
かなりスッキリと見やすくなったのではないかと思いますが、いかがでしょうか? また、「愛未の恋語り」改善案を「愛される方法」の改善案(その1/その2)と見比べると、デザインを統一した効果が、何となく見えてくるのではないでしょうか。
それにしても、画像などはみな元のままなのに、私が整理すると不思議と堅い雰囲気のデザインになってしまっていけませんね。素人のダメなところ、修行の足りないところです。いつも自分の個性が前面に出てしまう。
愛未さんのサイトの長所は何か? 第一に挙げられるのは、愛未さんの人柄でしょう。
同じ話を書くにしても、怒り・恨み・悲しみなど負の感情をそのままぶつけていくか、いったん勢いを殺してていねいに書くかによって、雰囲気や伝わるものは変わってきます。どちらがよいというものではありませんが、「気楽に恋の話しを楽しんでもらえる場
を作りたい」という目的に適っているのは、愛未さんが選んだ、落ち着いて書くやり方です。
温かく優しい雰囲気のサイトを作ろうとしても、できない方がいます。個性があるから、得手不得手は仕方がない。けれども、しばしば人は、自分に向かない道を進もうとして傷つき、周囲にも迷惑をかけます。
愛未さんが自然体でサイト運営に取り組まれているなら、たいへん幸せなことだと思います。自分に合った道を見つけ、1年半もの間、しっかり歩んでこられたのですから。
努力して、目標に向かって頑張っているのなら、それも素晴らしいことだと思います。こうありたいという希望を実現していくことができる人は、そう多くありません。自らを律して道を踏み外さずにきた1年半の歩みを、愛未さんは誉めていい。自信を持っていい。
いずれにせよ、サイトが無事に軌道に乗って、現在のスタイルで数百人の閲覧者の支持を得たのは、愛未さんの人柄によるところ大だろう、と思うのです。今後もウケ狙いに走らず、淡々と誠実に書き継いでいかれることを期待します(少なくとも「恋愛茶話館」においては)。
……なんて書いてみたのですが、日記の更新頻度は高く、基本的にその日のことをすぐに書いているわけで、何が書かれていても読み手の私の方がスルーしているだけなのかもしれません。
更新頻度が高く、豊富なコンテンツがそれぞれ作りこまれている。ていねいに作られたサイトという印象を持ちました。継続は力なり、という言葉をあらためて思い出します。
日記が非常によく続いていますよね。パソコンが不調で他のコンテンツは更新がままならないそうですが、これまでのところ、閲覧者もとくに離れていないようですし、とりあえず安心してよいのではないかと思いました。
ただ、掲示板の方は、やはり管理人がある程度のペースでレスをつけていかないとうまく回らない場合が多い。もっとも、今、とくにレスが遅いという印象はありません。気に病むような状況ではないのでは?
以上です。