備忘録

平成20年11月4日

いろいろ議論はあるけど、日銀法の解説が必要になるのではないかな。

という点で政治プロセスがとても重要になる。

まあ、たぶん、ダメでしょう。

財政出動や減税の財源としての国債引受は財政法に抵触しますが、日銀が金融政策目標実現のために行う公開市場操作の一環としての国債買入は別。なので、日銀はいちいち国会の議決を受けずに国債を売買していますよね。

国内のリフレ派の先生方(の多く)が実現性に留意した政策提言において、国債引受で財政政策を通じたインフレ目標実現……といわず、あくまでも金融政策の範疇で国債をどんどん買い入れることを提言してきたのは故なきことではないと思います。

もちろん金融政策単独で国債買い切り額を増額していく場合、市場に供給したお金が(一度でも)確実に消費に回る保証がなく、「本当に景気刺激効果があるの?」という問いに対して「最低限これだけの効果はある」といえなくなってしまう難点はあります。

それでも、ヘリコプターマネー論こそデフレ脱却の本道と紹介されてしまうのは、リフレ派にとって不幸なことだと思います。あまりに過激な意見という印象が先に立ってしまいますので。

幸か不幸か日本国債は発行額が大きいですから、新たに国債を発行せずとも買いオペで莫大な現金を市場に供給できます。fromdusktildawnさんの記事も、一部はともかく、総論としては狭義の「国債引受」抜きで成立する話をしていると思います。

もっとも、形式がどうあれ政治主導なら実質「国債引受」と変わらないんじゃないか、というあたりで、国会を通らない話だろうという意味でなら、「まあ、たぶん、ダメでしょう。」と仰るのは納得できます。

追記:2009年2月、政府紙幣の議論が沸き起こった。本当の本当にヘリコプターマネーの類が(ちょっと)現実味のある話となり、私は驚いた。

平成20年11月4日

他人を土下座させて胸がスーッとする、みたいな感覚がよくわからない。

所詮はお金の話だろう。土下座させたらお金が返ってくるわけでもなし、自分の品性を投げ捨てるような話なのかなあ。問題自体の解決には全く役に立たない、相手の精神を傷付けることだけを目的とした要求をするのは、品性に欠けると思う。

あと、実際に土下座した人は、仕事なので淡々としたものだろうと思うけど、土下座したくて就職した人はいないわけであり、「だからいい」とかいう話でもない。人に土下座させて喜ぶような感性は批判された方がよい。「ありのままの自分」なんてのは醜い、というべきだ。それが未来の自分を守ることになる。

そりゃ怒るのは当たり前だ。当たり前だが、「だから罵声を投げつけていい」という人は、未来の自分の不幸も受け入れる覚悟を本当に持っているのか。私は御免だね。倒産したくて倒産したわけじゃない。路頭に迷う職員の方がよっぽど悲痛な思いでいるだろう。弱者が弱者を暴力を振るって何になるのか。

まあ、土下座しろとか要求してたのは一部の人だったようで、それは安心した。

平成20年11月4日

ちょっと意外な議論になってた。内政不干渉がどうとかこうとか。

私は、内政不干渉というのは、他国の内政について批判すらしないという意味ではない、と考えている。というか、実際、批判は散々行われていて、それ自体が決定的に問題視されたりはしていないはず。中国などはちょくちょく反発しているけれど、言葉のやりとりのレベルに概ね留まっている様子。

今回のソマリアの話、私はひどいと思う。そして、「ひどい!」と声をあげる権利を、私は求めたい。が、かといって、こうしたことを理由に、実力(ようするに武力)でソマリアの内政(無法同然のようだが一応)に干渉していくことに賛成するかというと、それは話が違う。

価値観の対立は、自らの具体的脅威となるまでは、説得の域を大きく逸脱すべきではない。「死刑制度は野蛮だ!」「死刑囚の人権を守れっ!」といって国連軍が日本政府を打倒したら、日本国民は怒るだろう。自分の価値観を基準に、考え方の違いだけで実力行使をしていいとすれば、いずれこうなる可能性はある。

世界の過半数の国が死刑制度反対なのであり、日本は少数派だ。もちろん報道されているソマリアの惨状については、9割超の国が遺憾の意を有しているだろう。違いはある。しかしそれは程度の差じゃないのか。日本の死刑制度はよくて、ソマリアの「理不尽」な処刑は許せない、なんてのは内向きの議論だと思う。

情報技術は進化したが、国家はなくならない。むしろ日本でも地方分権なんていっているくらいで、統一より多様性が志向されている。

実務の都合上、立法・行政・司法が土地で区分される他ない状況は当面続く。しかし現状、地域と価値観はある程度しかリンクしていない。将来的には、各地域に根ざした小政府を、国民が自らの価値観で選択し、移住するような状況になったら理想的だ。足による投票の進展。

実際には、自分は微動だにせず、政府の方に「俺の思うように変われ!」と命じる人が大多数だ。ならば隣人を説得する意思はあるのかというと、それもない。よって、私の理想が実現する見込みはない。残念だ。

自分が暮らす世界を自分の価値観に沿った形に変えるのではなく、自分の価値観にピッタリの世界を選択する、そういう発想が一般的になれば……死刑制度が嫌なら死刑のない地域へ移る、移らずに残った人は大筋で現状肯定なんですよね、と。これくらい話がシンプルになれば、地域の個性が素直に出せるようになる。

都市開発の経済学をお勉強しているときに強く意識したのだけれど、土地に縛られる人の心って、相当に罪深い。多くの人が土地を移りたくない社会では、直接・間接に移住を抑制する制度が成立する。そうして、出口のない価値観闘争の舞台を用意することになる。

補記:

ソマリアの少女が自由に国を移れるわけもなく、何とかして助けたいと思う人がいるのは当然だ。が、武力侵攻のような実力行使には、それでも慎重でありたい。私は、ふと気付くと、どうせ自分が現地に行くわけではないと高を括って勇ましい言葉を口にしていることがある。恐ろしいことだ。

平成20年11月4日

ドバイはアラブ首長国連邦を構成する小さな国のひとつ。もうほとんど石油は枯渇してる。だから人的資源の集積が利く情報・サービス産業の拠点として生き残りをかけるべく必死なのだという。

予想通り、2chの反応は嘲笑に満ちていた。

ワケもなく高層ビルを建てようとしているわけじゃない。石油バブルで遊んでいるわけでもない。SANKEI EXPRESS を読んでいるだけでも、こういう情報は得られる。なので、やっぱりネットで自分の読みたい記事だけを読むのではなくて、紙媒体で全部の記事を読む方がいいよ、と持論を繰り返しておきたい。

SANKEI EXPRESS のいいところは、扱っている記事が少ないことだ。私でも全部読める。1日1時間弱。テレビのニュース番組と同じ時間で、5倍くらいの情報を得られる。それでバカバカしくなって私は午後のテレビニュースを見なくなった。

テレビの速報性とか、正直、一般人にはどうでもいいはず。遅いより早い方がいいが、しかし新聞くらいで十分だろう。テレビの速さは過剰。世間話に困らない程度の速さでニュースに接することができれば問題ないわけで、朝食を食べながら朝のニュースだけ見ておけばいい。昨晩までのことは朝刊に載っている。

平成20年11月2日

航空自衛隊トップだった田母神さんが、「日本は侵略国家であったのか」(リンク先は桜木朱雀さんによるHTML版)という論文を公表して更迭された話題について。

私が新聞記事を読んだ印象では、先の戦争に関する歴史認識が一般常識に沿ったものであることは「自衛隊幹部として必要な能力」とされているようです。田母神さんが自らの論文によって己の無能を暴露したため、無能者を昇進させた任命権者の責任が問われている、と。

映画やテレビドラマでは当たり前のように「お前に医者を続ける資格はない」とか「だったらサラリーマンやめろ!」など、思想信条の問題で職を辞すべきと迫る人物が登場し、しかもそれが異端ではなく視聴者の感覚に寄り添うキャラクターとして描かれてきました。

少なくとも日本では、ある種の思想信条は、その仕事をするために必要な能力とみなされており、それを持たないものは職を追われて当然という考え方が強いのではないかと思います。仮にこれまで職務上の失点はなかったとしても、それは単なる幸運であって、潜在的危険性を重視する、というような。

もし憲法の素直な解釈がこうした社会常識と対立するならば、(解釈)改憲によって憲法の方が修正されると思います。というか、現状すでにそうなっているのではないでしょうか。

……とコメント欄に書きました。

何件か後に Idyll さんが、防衛省が、発表の手続きの問題を調べたり、本人の能力の問題を言い出したりしているのは、懲戒にせよ分限にせよ免職が法的にも可能であったとしておかないと、大臣の更迭行為の正当性を説明出来ないというある意味まともな認識からと思います。と書かれています。

こういうことを大切にしないといけないな、と思いました。くだらない手続きをゴチャゴチャやってるんじゃないよ、みたいな意見に私は与しない。