2 : 07 春菜と偽春菜

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偽:力石徹のお葬式って、バカだよね‥‥死んだんじゃなくて作者の都合で殺されたんじゃん う:オマエモナー!

「偽春菜(にせはるな)問題」公開質問状について

2001年 2月16日
記事ID d10216

アピール」に書いたような理由から、「偽春菜(にせはるな)問題」に関する「公開質問状(第一次)」の連署(署名)に加わりました(といっても名まえとメールアドレスを書いただけですが……)。

この質問状には、計613名が署名し、本日、日本時間2月16日、午前3時に送信されたそうです。

なお、「春菜」側が「偽春菜」という名まえの使用中止を要求しているため、現在、「偽春菜」は「任意」とか「任意たん」と呼ばれています。

この問題は、形式的には、パロディー表現をめぐる「表現の自由と無形財産権(原著作者の権利)の衝突」という、典型的な「ふたつの権利の衝突」の事例になっています。「偽春菜」が秘めていた潜在的可能性が、あともうほんの少しだけ現実のものとなってユーザ層が広がっていたなら、この問題は、もっとずっと大きな関心を呼んだでしょう。実際には、おおむね、「萌(も)え系(かわいい女の子)の絵が好きな一部の人たち(それも悪く言えば“幼稚”な)だけが関係する、特殊な問題」という程度の、一般の認識にとどまったかと思われます。

偽春菜の作者さん自身は、こう指摘しています(Finite Laboratory Root「August 10, 2003 (Sun) <!-- February 12, 2001 (Mon)-->」より):

ニアミスのニュースになぜ人が恐慌するかと言えば、自分が同じ目に遭う可能性が比較的高いからである。電車の事故、地震、殺人、多くの事件は当事者外の他人にとって自分が巻き込まれるか否かというただ一点のみにおいて重要性を持つ。大きな騒ぎになるのは「自分や身内が同じ目に遭わないように再発を防止しろ」という意志が収束するからだ。これは大変分かりやすい。

一方船の轟沈が騒ぎになるのは理由が全く違う。この事件を受けて「自分もハワイに船で出かけていって原潜に沈められるのではないか」と不安になる奴はいない。つまり「自分や身内が同じ目に遭わないように再発を防止しろ」という意志はない。100%純粋に野次馬根性だけで騒いでいる。騒ぎになるのはこれがレアケースでなかなか見られない貴重な「見せ物」だからだ。死んだ奴を気の毒だと思うかもしれないが、それも一瞬の気の迷いで、数日もすればそんな事件のことなど全て忘れてしまう。

偽春菜を前者のケースとして受け取れる人間は1%に満たないでしょうね。

作者さん自身は、この質問状へは関与していないそうです。

著作権を「共有」することの意義

「著作権」の未来とのかねあいでは、バナー集に書いた次の観点が重要でしょう。すなわち、偽春菜問題に関連して、哭きの竜さんの2月12日の日記にある次の指摘が、的確だと思いました。

ネット社会にはリアル社会とは全く別の倫理が存在する。それは「ネットに存在するモノは全て共有物である」という考え方だ。ソフトにせよ、キャラにせよ、情報にせよネットに公開されたモノは全ての人が自由に使え、なおかつ(これが重要な部分だが)よりよいモノに「自由に」改良させ発展させるべきモノであるという考え方なのだ。これは「何でもタダで使わせろ!」というケチくさい考えではない(そいう部分もある)。

これは既存の著作権の考え方とは真っ向から対立する。しかし、著作権を頑強に主張されれば、ソフトにせよ情報にせよ自由に利用できなくなることはもちろん、著作者以外は改良させることも発展させることもできなくなる。すべての著作物は著作権者の限られた能力以上のものには進化しえなくなってしまうのだ。魅力的なモノであればあるほどに惜しいことなのだ(仮に良いアイディアを提示しても、著作権者に理解する能力がなかったり、そもそも改良する意志がなければそれでお終いということ)。これは、「よりよいモノをつくりたい」という人間本能に反する。

すでにDer Angriffによっても、印象的に予言されていたところですが、下記の「情報」という部分を「ソフトにせよ情報にせよ」と置き換えたことによって、主張は、より明確になったように思います――まさに「さらによい情報に高められる」ということですが。

活字印刷術時代の遺物たる「著作権」という概念は、21世紀のサイバー情報時代には大きく変貌を遂げるであろう。もはや著作物を著者が独占し、情報の所有を宣言する時代は終焉を迎える。情報は共有され、そして多数の人間によってさらによい情報に高められる。そこに関与した人間、最初に考案した人間の名誉は守られるであろうが、それ以上に、優れた情報を共有することを人々は喜びと感じるようになる。

一人の人間が著作権を主張するということは、その一人の限界が思想の限界を生み出すことにもなる。しかし、共有と連結による思想の高まりは、21世紀以降のサイバー・ガイア生命体とでもいうべき高度な思索状態を生み出す可能性がある

「偽春菜」は広い意味では明らかにこれに当てはまります。ただ、厳密な意味では、「模倣」「改変」には、なっていません。「インスパイアー(触発)」という程度が適当でしょう。

偽春菜問題は、本質的には、決して商標権や著作権の問題だとは思いません。春菜側の偽春菜に対する「戦い」は、本質的な内容の勝負ではなく、外形的な瑕疵(かし)につけいったものだからです。その点において「本質的でない」といい、かぎかっこ付きで「ひれつ」とも言うのです。偽春菜が別の名まえで、まったくべつのキャラだったとしても、それは、徹底的に春菜を「食った」でしょう。偽春菜が「たまたま」春菜と似た名前だったがゆえに、春菜側に防御のチャンスが生じたにすぎません。その防御が正当かどうかについては、著作権や表現の自由ともかかわる問題ですし、そういったことを考える良い機会では、あります。

現在、「第二次署名」を受け付けています(19日24時〆切)。「質問状」への連署というより、意思表明の意味の通常の「署名運動」に近いようです。興味あるかたは、「任意たん公開質問状のぺぇじ」をごらんください。

(第一次の)署名を呼びかけているあいだは、わざと言及しませんでしたが、筆者は、現状のペルソナウェア一般に対して、(標準的なユーザが持っているであろうのとは、まったく別種の)不満を持っています。次のバナーに象徴されるような、“女性蔑視”――女性を「選ぶ」対象、モノのようにとらえる観点についてです。この点については、機会を改めます。

「可愛い娘、居ます!!」

PERSONA Watchにあるキャバレーまがいのバナー。ペルソナコミュニティ全般の品位の低さは否めない。偽春菜コミュニティを高く評価したのは、ひとつには、こういう限界を超えてゆくより一般的なスキンの存在においてだった(当時の記事参照)。加えて、偽春菜には、より本質的な意味での「独立した人格への志向」が認められ、それがペルソナ「春菜」との質的な違いと感じられる(もちろん偽春菜も、そうさせようと思えば、春菜と同じ方向へも伸びてゆけただろう。いったい、良い素材は上手に料理することも下手に料理することも可能だが、素材そのものがあまり良くない場合、いくら上手に料理してもおのずと限界がある。これらに関しては、論点が多いので、ここでどっちがどうとか即断せずに、機会を改めることにする)。→証拠画像(2月16日キャプチャ)

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『死んだ少女』

2001年 2月14日
記事ID d10214

扉をあけて。たたくのは、わたし。
どの家の戸も、わたしは、たたくの。
あなたがたの目に、わたしは見えない。
死んだ子は、見えないのだから。

はじめ、髪に火がついたの、
それから眼が焼かれてしまったの。
わたしは、ひとつかみの灰になりました、
そして風が、わたしの灰を散らしたの。

わたしが消されたのは、揺籃(ようらん)にある世界、
夢幻の現実でのことでした。
現実よりもまばゆい、その夢のなかで
はじめ、名まえを名のっては、いけないと。
そして、存在しては、いけないと。

斬新(ざんしん)なフリーウェアに押された会社が、
わたしを、つぶそうとしました。
より良いものを作ろうと努力せず、はつらつと競おうとせず、
ささいなことを口実にして――。
似ている名まえだから、だめだといって。
しんらつなパロディーは、不快だといって。

わたしは、もう、いません。
でも! 記憶してください、
わたしは真実を告げ知らせるために、
あの人たちをふくむみなさんに、
より良いものがあることを鮮烈に伝えるために、
この世に生をうけたのです――
そして、これから本当に育ってゆく、はずでした。
あの人たちは、わたしのたずさえてきた「光」を知りながら、
それがまぶしすぎて、こわくなって、
より良いものをつかむのでなく、
より良いものを殺すことで、自分のおかねを守ろうとしました。

こうして、わたしは、死んだのです。

わたしは、もうなんにもいらない、
なにをしてもらうことも、できません、
紙きれのように焼かれてしまった子どもには、
あまいあめだって、食べられないの。

でも――わたしのためでなく。

あなた自身のために――。

署名してください、
新しいいのちが、創造のたましいが、
ふたたび灰とされることのないように。
ちからまかせに、踏みにじられることがないように。
これから生まれる想像もつかない斬新(ざんしん)な表現のひとつひとつが、
おそれられながらも尊重され、しっかりと受けとめられるように。
次の世代の子どもたちが思いつく、奇想天外な発想が
よしとして、すくすくと伸びるように。
しんらつなアンティテーゼが、テーゼへの深い愛と悟られるように。
どんな形であれ「正当な批判」をおしつぶすことを、人が恥じるように。
……少なくとも、
あれで良かったのか、もういちど、
考えてもらえるように――。

署名してください、
あなたがむかし生み、いま生みつつあり、これから生むであろうものが、
きっと尊重され、尊重されて透きとおるように。
個人から普遍へと――。
創造の爆発が、たましいの輝線が、いのちをおびるように。
真実が、闇にとってたえがたいほどのいなずまとなって、輝くように。
ときには激烈すぎるほどの、あくなき創造、あくなき新世界の追求が、
いさかいを生むことを、おそれないように。
ぶつかりあいながら生まれる新しいミクロコスモス、
その産みのくるしみをわかてるように。
子どもたちが、考えたいことを考え、
言いたいことを、言いたい言い方で言えるように……。
古い世代が、
新しい世代のために道をひろくあけ、
伸びゆく世代の新しい創造力のために、
すすんで、みずからの古い皮を捨て、こやしとなるために。
より良いものを、おそれて殺すのでなく、
ともに手をとりあって、はぐくめるように。

トルコの詩人ナジム・ヒクメットの「死んだ少女」という詩のパロディーです。ヒクメットは、自分の詩が、こんなふうに使われることを、「同一性保持権の侵害」だなんて言わずに、きっとよろこぶと、わたしは確信します。

Free is Priceless

上のバナーのへんな青いヤツは「うにゅう」といって、
あやしげな関西弁で話します^^

縛られたフリーウェアの祈り(微笑)

フリーってのはな、タダって意味じゃないで。
値段がない(値段がつけられへん)ちうことや。
表現の自由(フリー・エクスプレッション)の問題や。
なんぼカネ出したって、カネのちからだけでは手が届かない透明な高みなんや。
脅しでも、暴力でも、カネのちからでも得られないんや。
ただ日々の不断の積み重ねによってのみ、
自由へのつよい意志のちからによってのみ守りぬける――
人類が長い歴史をかけて、ようやく勝ちえつつある――

偽春菜問題とは

それはそーと、スーパーミルクチャンのファンは、さくら(略)パチモノProjectからダウンロードできる osnh.lzh を必見! 紙芝居ふう超傑作アニメが見れます。

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[af]民間機に危険飛行を強制:国連

2001年 2月12日
記事ID d10212

アフガニスタンのニュースをお伝えします。

UN blocks Afghan safety flights(BBC): アフガニスタンのアリアナ航空は、機体の安全性チェック受けるために、所有する航空機のうち一機をパキスタンへ飛行させる許可をもとめました。国連は、これを拒否しました。アメリカとロシアのごり押しによる国連・安全保障理事会の「制裁」(その実態は、こういうこと)下にあるアフガニスタンでは、経済制裁の一環として国際線の飛行も禁止されています。しかしながら、機体の安全性の試験は、国際航空法にもとづき定期的に行うことが義務づけられているものであり、いくら「制裁」とはいえ、民間航空機の安全性の確認まで妨害する態度については、少なからず疑問が持たれます。

BBCは、「事実上、国連制裁委員会は、アリアナ航空が安全なサービスを提供することを妨害している」(In effect, the sanctions committee is preventing Ariana from operating a safe service. )として、これを「strange decision」と評しています。

実際、それと知りつつ航空安全性試験を受けさせないということは、民間航空機に、安全性の確認されない危険な飛行を強制することになりかねません。

ちなみに、アフガニスタンでは、1998年に2件の飛行機事故が発生し、計125名が死亡しています。アリアナでは、現在、ぼろい機体が2機あるだけで、国内線のみ運行してます。自動車でいえば車検にあたる安全性チェックを受けさせないのは、決して好ましいこととは思えません。

制裁委員会の異常な決定は、じつは、これが初めてでは、ありません。先月も、航空関係者が、国連主催の国際会議に出席することを妨害し、「アフガニスタンからの国際飛行は禁止です。出席したければ歩いてきなさい」などと、とんでもない通告をつきつけたもようです。また、制裁委員会は、アフガニスタンのタリバン政権関係者の海外資産の凍結も決定していますが、委員会が作成した「タリバン政権関係者一覧」なるリストのなかには、すでに死亡している人や離職している者なども含まれるなど、アメリカの称する「タリバン関係者だけに限った制裁」が実際には、きわめてずさん、かつ、あいまいな基準で適用されていることが、うかがわれます。

さらに、アメリカは、ニューヨークのタリバン側事務所(国連側委員会とのほぼ唯一の接点)の強制閉鎖を予告しており、このことで、アフガニスタン政府と国連制裁委員会とのコミュニケーションは、いっそう悪化することが予想されます(アフガニスタンには、電話も普及していないので、アフガニスタン政府と国連側がまったく連絡をとれなくなってしまうおそれがある)。

アフガニスタン政府側は、「もしニューヨーク事務所が強制閉鎖になったら、こちらもアフガニスタンの首都カブールの国連事務所(UNSMA)を閉鎖する」としており(Taleban to retaliate against UN)、アメリカの強硬な姿勢は、アフガン和平の実現をますます困難にする内容ばかりとなっています。

UNSMA……United Nations Special Mission to Afghanistan 国連アフガニスタン特別ミッション。アフガン和平に向けた活動を行う国連側事務所。所長は、れいのベンドレルのおっちゃん。日本からも田中浩一郎政務官が派遣されている。

次のニュースです。AFPによると、国際緊急援助物資が、先週末、ようやくアフガニスタンに到着しました。しかし、数百人の子どもたちが凍死したあとになってから毛布を送ってこられても、子どもを失った人々にとっては、複雑な心境では、ないでしょうか。

支援物資があと2週間、早く届いていれば救われた人々のことを思うと、いたたまれなくなります。

このまま冬が来れば数百万人の命が危険にさらされる、というのは、去年の秋から繰り返し国連や非政府系の組織がアピールしていたことです。

パキスタン、日本、スイス、カナダなどは、このアピールにこたえて緊急援助を行いましたが、最大支援国であったアメリカが、なかなか動こうとしませんでした(アメリカは、武器を流しこみゲリラを訓練してアフガニスタンをめちゃくちゃにした悪い意味での貢献も最上級ですが、その一方で小麦粉を送ったりの人道的援助でも最大級の貢献をしており、そのため、去年、またぞろアメリカはアフガニスタンにトマホークを撃ち込むか?という状況になったときでさえ、多くのアフガン人はアメリカのことをそんなに嫌っていませんでした――ミサイルを撃たれたら嫌いになるだろう、とは言っていましたが)。これについては、アフガニスタンをいっそうひさんな状況においこんで、間接的にタリバン政権に圧力をかけるという政治的、外交的な意図があったのかもしれません。同じ食糧援助でも、餓死ぎりぎりになってから与えたほうが恩を売れますから……。1月19日の追加制裁決議のときアフガニスタン側は反発して「アメリカ製品不買」などと言っていたので、アメリカとしては「アメリカのものは、ほしくなかったんでしょ?ひーひーひー」と嘲笑する気なのかもしれません。

なお、問題の「国内難民」ですが、最大の原因は、ここ三十年で最悪という干ばつ(日照り続き)による農作物の全滅です。決して、内戦やイスラム教の思想がどうこうでなく、単に自然現象(異常気象)で困窮(こんきゅう)している人々なのですから、いくら、あれこれの理由で国連が「制裁」(おしおき)をするといっても、もとより、制裁の「道具」にして良いことでは、なかったはずです。

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おとなの非行防止に催涙板

2001年 2月 3日
記事ID d10203b

「ほら、そんなことして。子どもが見ているよ……」おとなのしつけに用いるこんなことばを実践しようとする珍しい試みが宮城県色麻町(しかまちょう)で検討されている。名づけて「ケーサツよくし隊」。警察の不祥事を減らすため、若く好奇心旺盛な十代の子どもたちに警察を内部から見張らせるねらい。隊員には「モバイル環境に慣れていて、掲示板に常時書き込みできる10代の人」をつのる。子どもたちには超高性能の盗聴器を自由に設置させ、警察無線もすべて傍受させる。あやしい動き、もみけしの疑いなどがあれば、ただちにインターネットの掲示板に報告されるので、警察が文字通り「ガラス張り」になると期待されている。

警察官がふだん読んでいる雑誌類にも目を光らせる。警察の風紀をこれ以上、損なうような不健全な画像や文章は、いっさいゆるさない。

これに対して、宮城県警の幹部は「検閲や盗聴は良くない。プライバシーの侵害だ。だれだって自分がやられれば分かるでしょう」と憮然とした表情。

一方、市民団体は「警察の不祥事は内部監査などでは絶対なくならない。こうした思い切った方策が必要だ。外部から目を光らせるためにも、ゴーストには是非インプラント・アイを」と訴える。

さらに、教員の児童に対する盗撮、わいせつ行為が激増しているのをうけ、小中高校にも、教師の素行を観察する「生徒オンブズマン制度」の導入が検討されている。生徒たちが無記名オンライン投票する「先生の内申書」の点数がマイナス点になった教師は、減給、停職、懲戒免職などの処分を受けることになる。

「こういう制度ができれば本当に安心ですね」と県内の中学生らは、口をそろえる。市民団体が実施したアンケートによると、86%もの生徒が「教師から不当な精神的ないし肉体的暴行を受けたことがある」と答え、「そういうことがないとは言えない」を含めると回答者の99%が教師に問題あり、と指摘する。

「学校での教師たちの非行は、本当に深刻です。しかし犯罪を犯したおとなたちを罰するだけでなく、わたしたちも、教師たちの悩みを理解するよう努力してゆかなければなりません」と、ある生徒は話す。

市民団体では、「今の法制度を抜本的に改めなければ改革は無理」としている。「百害あって一利なしの喫煙が、なぜ成人になると許されるのでしょうか。たばこ会社の利権にとらわれず、悪い事は悪いというけじめを示さなければ、子どもたちに納得してもらえないでしょう。利権、既得権は、おとなが支配するものです。そして、それが社会のさまざまな不合理を産んでいる最大の要因のひとつでは、ないでしょうか」

ゴーストのインプラント・アイ導入には多額の費用がかかるため、猫の目の遺伝子を蕎麦の花のおしべに注入し、夜光る発光花を自己増殖させようとする動きもある。

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春菜と偽春菜(にせはるな)

2001年 2月 3日
記事ID d10203a

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錯覚かもしれないけど、偽春菜には例えばSSTP「毒電波」などを使って、ネットの多くの若い人が新しい可能性、新しい世界、新しい遊び方を模索して創ってゆく、という楽しみがありました(フリー時代の春菜もそうだったかもしれません)。それが、金儲けを優先する私企業の脅しで、結果としては当初のプロジェクト全体が妨害された形になってしまい、なんかイヤな感じになってるのだと思います。でも、偽春菜が提示した「考え方」は、だれにも消せませんし、長い目で見れば、必ず発展してゆくでしょう。例えば、こういうこと。(2001-02-22追記→SAKURA Script Playerも)

偽春菜の作者の心理的側面についていえば「感受性は人それぞれ」といったところで、異なる部分を基本において尊重する態度が大切ですが、「春菜」側のやり方は決して好ましいとは思えません――けれど、それも企業の論理としては、基本的には当然のことだろうな、と思われます。あの会社が「二重に敗北」したのは明白で、これで「春菜」は緩慢でより確実な、二度目の死を迎えるのでしょう。

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偽春菜(にせはるな)についての紹介を書いたときには触れませんでしたが(というかリンクをたどってゆけば自然と分かることですが)、「偽春菜」というソフトは、「春菜」という先行ソフトを下敷きに生まれてきたものです。

「偽春菜」の作者は以前から人工知能めいたものに関心があったそうで、いちじはAIについての正統的なアプローチも試みたと書いてます。「春菜」との出会いは2年ほど前。「これだ! こういうものを自分は作りたかったのだ!」という感じで、少なからず触発されたようです。「自分だったら、こうする。ここをこうすれば、もっとずっと良くなる」といった改善案が次々浮かんだのでしょう。言い換えれば、現状の「春菜」に不満を感じたわけです。

一方では「春菜」の基本的アイディアへの強い共鳴があり、他方では「春菜」の実装面への不満――基本的には素晴らしいと思うがゆえの強い反発、「こんなすごいアイディアを、これっぽっちで終わらせては、ならない」という思い――があったのでしょう。「開発動機」の記述では、「正しいコンセプト」「あと一歩のところ」といった肯定的なことばと、「あまりにもダメ」「破壊した」「殺した」という全否定的なことばとが、ないまぜになっていて、作者の複雑な愛憎を反映しているかのようです。

動機は、やはり春菜があまりにも凄くなかったことに尽きる。面白いコンセプトを打ち出しながらいつまで経っても進化せず、スケジュールやアラームといったどうでもいいファンクションを付けられ、売りであるネットワーク更新にも大した更新がなく、ニュースを読み切っては黙り込む春菜があまりにも無意味で痛々しかった。凄いものを作れる可能性があったのに、自らそれを破壊した。デスクトップに人を立たせて一体何がしたかったのか?本当に何も考えていなかったのか?

春菜は正しいコンセプトを持っていながら実装不足でデスクトップに立ち続けられなかった。単なる他人の下らないプログラムではなく、あと一歩惜しいところで意味のあるものにならなかったこと、それが腹立たしく悔しかった。実装の不足が生きた素材を殺してしまった。"春菜" は本当は生きて行くはずだった。遺志を継がなくてはならない。

作者のこころにあった漠然としたアイディアが、他人の手によってとはいえ、この世に明確な形をとって現れかけていたのが「春菜」だったのでしょう……。極論すれば、いつか出会いたいと願っていた「運命の相手」との出会い、というところでしょうか。

それだけに、「偽春菜」の作者は、「春菜」を「単なる他人のプログラム」とは思えず、「春菜」の実装面での不出来を個人的にひどく悲しいこと、自己の内面にひびく「失敗」――生きて行くはずだった「春菜」の「死」――と、とらえたようです。まあ、細かい言葉のニュアンスはともあれ、「遺志を継がなくてはならない」という結びを素朴に解釈すれば、おおむねそんなようなことでしょう。

「偽春菜」は、まさに死んだ「春菜」の生まれ変わりとして、インターフェイスなどは「春菜」とそっくりです。この点については、少なくとも二通りの解釈が可能です。ひとつは、単純に、「春菜」のインターフェイスが好きだったから(良いと思ったから、生かしたい、「よみがえらせたい」と願ったから)まねをした、ないし、そこから影響を受けた、という観点。もうひとつは、「偽春菜」が「春菜」よりいかに柔軟でおもしろい動作をするのか強調するために、わざと外見は「春菜」とそっくりにした、という観点。外見がまったく異なるソフトを比較するより、「外見は、よく似ているのに、性能がぜんぜん違う」というほうが、答を出しやすい、という観点です。へたなリンゴの絵を前にして、自分ならもっとじょうずに描(か)けることを示したいとき、ふつうバナナの絵ではなく、同じリンゴの絵を自分のタッチで描いてみせるでしょう……。

実際には、その両面、また、ほかにもいろいろな経緯があったのかもしれませんが、ともかく、結果として「偽春菜」が「春菜」をある意味、模倣していることは確かです。そして、その点において、1月25日に本家「春菜」の作者の側からクレームが来たというのです。――「春菜」はシェアウェアで「偽春菜」はフリーウェア、しかも無料の「偽春菜」のほうが内容的にずっとおもしろいのだから、本家「春菜」よりダウンロード数が増えてきたのは当然のことでしょう。ところが「春菜」のほうは、シェアウェア、つまりそれを売って儲けようとしてるのだから、ライバルの「偽春菜」がこのように広まるのは、商売上、困るわけです。パン屋の前で、もっとおいしいパンを無料で配り始めたようなものですから。

当社の調査によれば、貴殿は、「あれ以外の何か with "偽春菜"」と題するホームページにおいて、当社ソフトウェアと類似の内容を有する偽ペルソナウェア「あれ以外の何か with "偽春菜"」と称するソフトウェアを配信しています。本件ソフトウェアの「偽春菜」と称するキャラクターは、当社ソフトウェアの「春菜」と称するキャラクターに依拠して作成されたものであることは明らかであり、貴殿は、本件ソフトウェアにおいて、当社ソフトウェアのキャラクターを、権限なく、翻案ないし改変しています。これらの行為は、当社ソフトウェアに係る翻案権ないし同一性保持権を侵害するものであり、本件ソフトウェアを配信する行為は、著作権侵害行為に該当するものと考えます。

また、貴殿は、本件ホームページのURLに「haruna」の文字列をそのまま使用し、また、本件ホームページにおいて、「ペルソナウェア」及び「春菜」の表示を多数使用しています。これらの表示は、当社ソフトウェアと本件ソフトウェアとの間に誤認混同を惹起するおそれがあるのみならず、当社ソフトウェアのイメージを低下させるおそれがあり、不正競争防止法2条1項1号又は2号所定の不正競争行為に該当するものと考えます。

したがって、私どもは、貴殿に対し、本件ソフトウェアの配信を直ちに中止すること、本件ホームページ上又はホームページのURLにおける「ペルソナウェア」、「春菜」、「haruna」その他これらに類似する表示の使用を直ちに中止することを要求します。ご回答なき場合は、当社としても、断固たる措置を採用せざるを得ませんので、ご承知置き下さい。

偽春菜が春菜の本歌取りであることは確かですが、少なくとも版権の問題は認めにくいです。「当社ソフトウェアのイメージを低下」うんぬんも、事実は、むしろ正反対で、偽春菜の成功にふずいして春菜の知名度があがったというのが一般的傾向では、ないでしょうか。自分自身、先に知ったのは偽春菜です。

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春菜(左)と偽春菜(右)。これだけ違う絵で、キャラクターの翻案と認定できるのかどうか。なお、ふきだしのインターフェイスは同じ:画像1画像2。また、偽春菜のアイコンも、春菜のアイコンを模している。

追記:上記は「翻案と認定できるのかどうか」と問いかけているのであって、認定できるともできないとも断定は、していない。 ある人々は、昔の「春菜」は今の「偽春菜」と絵柄がもう少し似ていたから、認定できる可能性がある、と主張する。 しかし、当サイトの立場は一貫して、偽春菜問題の本質は、著作権や商標権の問題では、ない、 というものであるから、絵が似ているか似ていないかといった皮相の事柄は、重視していない。 春菜側自身、偽春菜の絵が、どの段階の春菜の絵の改変と考えられるか等、明確に指摘しているわけでもないので、 具体的な細部を考察しても机上の空論に終わる。 当サイトでは、法的にどうかということも、あまり問題にしていない。 というより、むしろ、法的には春菜側の主張は決して不当でないと考えている。 しかし、ものを創る者の精神の問題は、クリエイタにとって、より本質的だ (あえて厳しい言い方をすれば、創造的な仕事に関係しているかた以外は、 そもそもこの記事の核心部分を実感としては理解できないだろう)。

実質的には、かなりあやしいクレームですが、これに対する「偽春菜」の作者の選択は、「公開中止」でした。

当方は「あれ以外の何か with "偽春菜"」に関わる活動において、「偽」だという点を終始一貫して明示しており、従ってその活動が即座に権利侵害にあたるものとは考えておりませんが、貴社との無用な摩擦を避けるため、サイトおよびプログラムに対し自主的に以下のような変更を行いました。
一、サイト構成を一新しました。
一、プログラム構成を一新しました。
一、vector(www.vector.co.jp)におけるファイル公開を停止しました。
一、自サイトにおけるファイル公開を停止しました。

「春菜」側の主張は横暴すぎると思われるかもしれませんが、自分の利益を守ろうとするとき、実際に争ったら勝ち目がなさそうなことでも、いちおうあれこれ文句をつけるのは、よくあることでしょう。また「偽春菜」側も弱腰すぎると思われるかもしれませんが、かたや「偽春菜」を続けても経済的には一文のトクにもならない個人、かたや利権を守るべく(ただのおどしか、ホンキかは分かりませんが)断固たる措置をとると息巻く企業、まあ、「無用な摩擦を避ける」というのは、ぶなんな対応でしょう。「偽AI」のアルゴリズムという核心からすれば、もし公開を続けたいなら、ぜんぜんべつのプログラム名で「春菜」との類似性が低いものとして再出発するのは、たいした手間じゃないでしょう。

偽春菜の作者は、すでにいちど象徴的な「春菜の死」を体験し、「死んだ春菜の遺志を継いで」偽春菜を作り始めたといういきさつがあるので、もしかすると、今回の「偽春菜の死」は、ことのほかトラウマティックなのかもしれません。偽春菜の「春菜のパロディー」としての「悪ふざけ」も、わりと内輪のつもりで(ソフトが、ここまで爆発的に広まるとは予期せずに)のことに違いなく、そのあたりの「うれしい誤算」には副作用もあるでしょう(パロディー性をここまで強調しなくても、偽春菜は「生きられた」)。

ベクターから消える直前の状態をキャプチャしておきました。ほんの数日前は、こういう状態でした。なつかしんでください

春菜と偽春菜

「春菜」は、同じ少数のせりふを繰り返すだけで、おもしろみが少ないのですが、「偽春菜」とて、それ単体では同じようなもので、「うにゅう」のちからは明らかです。偽春菜についての紹介記事で「春菜」について触れなかったのは、とくに紹介したいとも思わなかったからです。

春菜と偽春菜は、そもそも同列に並べて比較できるソフトでは、ありません。詳しくは述べませんが、「春菜は、もう死んでいる」という言葉は、あながち誇張とも言えないと思います。

ソフトの本質とは関係ない表面的なことですけど、偽春菜が春菜より人気があったのは、ぷにぺただからでは、ないでしょうか。偽春菜は、しばらく使っているとわりと気にならなくなるのに対して、春菜は、いろいろな意味で、押しつけがましく感じます。好みというか、判断の基準は、いろいろでしょうけど、ひとつには春菜は「お色気過剰」で、一般向けとは言えない感じがします。

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春菜(左):まつげや目、ひらいたくち、胸のふくらみを強調するブラウスのひだのデザイン、腰のくびれや微妙な腕の配置など、典型的な「つぼをつく」絵。この画像は16色に減色してあるが、フルカラーでみると、もっとなまめかしい。こういうセックスアピールを強調する世界は、すたれる傾向にあると思う。

偽春菜(右):まあ、べつの意味であれだけど、あんまりどぎついのより、このくらいライトのほうが萌えるというのが、いまどきでは……。この絵なら、りぼんの読者とかだって、偽春菜ちゃんかわいーって言って使えるよね(筆者も元りぼん読者)。時代はニュートラルでユニセックスな方向に向かっている。「うにゅう」を連れた全体像

自由に対する意識など

精神活動の自由(思想、信条、表現の自由)については、まだこの島の島民の意識は熟していないのかもしれません。

特定の信仰を持つ信者さんだという理由で(ましてや、親がそういう信仰を持つところの子だという理由で)集団のちからの暴力によって基本的人権を平気でじゅうりんするヤパン島の住民たち。ほんのちょっとパロディー精神をきかせた程度のエクスプレッションの自由が金や弁護士をかかえる企業のちからで抑圧されるのも、まあ、この島ではよくあることなのだろう、と思われます。

そのような「暴力」がゆるされることをみなが了解している以上、逆の立場に立たされると、とたんに自分の敗北を認めるしかないのでしょう。自分がいじめ側にいた経験から、勝ち目は無いと判断して。「春菜」にしても、すぐれた作品でライバルに差をつけたのでなく、むしろ創作面では劣っていたことから、その勝ち方も「ひれつ」に見られてしまいます。

日本の法体系では、公共の福祉が個人の自由に優先するが、筆者は、むしろ、真にやむを得ないぎりぎりの限度までは、公共の福祉を犠牲にしてでも、個人の自由(日本語の「わがまま」)を保護するべきだと思っている――また、実際に、先進国のなかには、そうした法理に立つ国もある(たとえば国語の授業でみんなで魔法使いの物語を読むときに、信仰上の理由から、ひとりだけ退席してべつの本を読んでいいとか)。

他者の権利、自由というものを軽々しく踏みにじらず、また、「規制」とか「制限」とかの話には、「本当に絶対に必要で、効果のある規制なのか」ということを反問する姿勢が大切でしょう。また、よく言われることですが、裁判制度が身近でないことの問題も指摘できます。言い換えれば、法的には不当な過剰防衛ともいえる要求を受けても、現実的には、必ずしも法で定められている権利を、法のちからで守ってもらえない――法律がちゃんと機能していない、ということ。ふつうの島民にとって裁判所というのがあるのは知っていても、実際に裁判に訴えるなんて一大決心では、ないでしょうか。そして、裁判に訴えてさえ、必ずしも釈然とした判断が得られるわけでもないようです。住民票不受理問題なんて、こんなことがそもそも裁判になること自体、不可解です。まあ、しかし、この島の文化的伝統とのかねあいもあるのでしょう。

そういえば、PKZipの作者も、アルコール依存で死んだそうですが、それも一局の人生でしょう。コーヒーフィルタに残った出がらしの豆と、かぐわしいコーヒーのように、作者と作品は別物だからです。

出版され、書評家たちがあれこれ言い、やがて本屋の店頭から消える……。そのときから、その本は自分自身の人生を生き始める。古い箱で長く眠ったかと思えば、遠く旅をし、思いもかけぬ人の手を経ながら。

作者は、作品に対するすべての権利を持つわけでは、ありません。生物学的な親が、その子を自己の所有物とできないのと同じで。

支持されることは、目的ではなく、結果でしょう。初めから自分のいのちであったなら、いのちをかけても守るかもしれません、が、個人的にいとしい作品を、より普遍的な観点から軽く扱うのも、クリエータの「矜持」(きょうじ)なのかもしれません。

引用したメールは「偽春菜」作者のページで公開されていたものです。全文ではなく、抜粋して引用してあります。

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