備忘録

平成21年1月30日

お腹いっぱい。

平成21年1月30日

「人民服がほしい」というのは同感。スーツは家事に向かない。家の中のことをスイスイできて、そのまま外にも行けて、そして制服のように個人の選択を必要としない服装があったらいいよね。

スーツがいいのは、仕事で人と会うとき、相手が取引先の社長だろうが、商売敵だろうが、子会社の人だろうが、あるいは場所がランチでも会議室でも応接間でも、何も考えずに「そのまんま」の服装で乗り込んでいけること。

私は1万円台の激安品ばかり着てるけど、取引先で「そんなのを着てくるなんて! 君は我が社を侮辱しているのかね!」と怒られたらどうしよう……なんて不安になることはない。新人の頃は「大丈夫かな?」と思っていたんだけど。

生活着が面倒なのは、TPOを考えなきゃいけないこと。親戚づきあいでも、気の置けない仲間とのレジャーでも、恋人とのデートでも、「とりあえずこれを着ておけば何もいわれない」みたいな服装があったら、人生の悩みがひとつ減る、そんな人は少なくないだろう。

大事な取引先と会うからって、服装に悩む? いや、悩む人もいるだろうけど、とりあえずいつものスーツでいい。だけどデートの服には悩む人がたくさんいる。勘弁してほしいよね。リンク先の記事はさすがに書き方が大袈裟だと思うけど、感じはわかる。

……でも正直なところ、そもそも苦手分野に自尊心なんか持つから不幸になる。「俺は確かにダメな奴だが、それがどうした。ざまあみろ」と開き直るのが一番いい。他人に何を期待しても裏切られる。

補記:

スーツは便利だけど、その文化的代償は大きい。「宗教的理由でスーツを着れない人」を想像してみればわかる。結局、スーツはたしかに便利だけど、人の自由を強力に抑圧する存在でもある。

ファッションの多様性を阻害しない「人民服」は、現実に存在し得るのだろうか。私が想像する限りでは、そのような「人民服」は、せいぜい「どのような場面でも門前払いされない服」にしかなりえず、劣等感とは切り離せそうにない。

平成21年1月30日

寒い地方を中心に、女子中高生の制服にスラックスを導入する事例が増えているという。ただ、スカートとの選択式にすると、スカート人気が圧倒的なのだそうな。埴輪スタイルの方がよっぽど「負け」なんじゃないかと思うのだけれど、謎の「勝負」を「降りる」選択はし難いということらしい。

私の高校時代、アメリカからきた留学生の一人が、学校に特別に申し入れてスラックスを穿いていた。たいていの留学生が日本の制服文化を気に入っていたが、「たまにはこういう人もいないとおかしい」と思ったものだった。そんな彼女も、卒業する頃にはスカートを穿くことが増えた。どうしてなのだろう。

一見、誰もファッションに気を遣わずにすむ街は「ファッションに気を遣う男性=ゲイ」という偏見に縛られていた……というのも嫌な話だけど、まあ、文化って偏狭と結びついてるところがあるね。スラックスの制服に統一したらしたで、「そういう学校を選ぶ」ことが意味付けされちゃったりするんだろうな。

女性用スーツだとスラックスがけっこう人気ある。私が話を聞いた僅かな事例では、単純に好みで選んだ、という人ばかりだった。高校生も、文化的な抑圧がなければスーツと同じくらいのスカート:スラックス比になるかもしれない。

あと関係ないけど、いまだに女生徒用の夏服で白いブラウスが定番なのはおかしい。真夏に羊毛100%の指定ベストを着てる女の子たちを見て、全国のデザイナーは何も思わないのか。アンダーシャツを着る文化が何故か廃れ、旧来のデザインは成り立たなくなってから20年以上になる。

いい加減、「夏服=白いブラウス」の次のトレンドが登場すべき。それが難しいなら、涼しくて透けない夏用のベストを開発してほしい。

平成21年1月30日

私も土地の権利書とかについては全く知識がない。金庫にしまってあるらしいが、実家のどこに金庫があるのかが、まずわからない。当然、開け方も知らない。両親の死後、権利書が行方不明で、親族の誰も家と土地を相続できない、なんてことになりはしないか。

実印と銀行印の違いも知らなかった。というか、節約のため銀行印に実印も兼ねさせているんだろう、うちの場合は……なんて思っていて、実家を出て以降、印鑑証明ほか全て銀行印(にするつもりで私が小学生の頃に母が買った印鑑)で手続きしてしまった。じつは実家に(かつて)実印(だったもの)があるのだそうな。

ふつう、あっちこっちで押す機会のある銀行印は、実印と兼用するのは危険なので避けるものなのだそうな。

★元市民課職員の危ない話★の1コンテンツ。おすすめ。サイト全体が有用なので、時間のあるときに一通り読んでおくと有意義な時間を過ごした気分になれます。実際には読んだそばから内容を忘れていくので、何の意味もないわけですけれども……。

平成21年1月30日

ネット世論が記者を嘲笑しようと、実際問題として、マスコミの方が世論の動向にはシビア。だって商売だもの。「自分がどう思うか」なんて重要ではない、「読者・視聴者がどう思っているか」が大切なんだ、というのがマスコミ。

ネットで怒っている人たちはマスコミの見ている多数派ではない。それだけのこと。マスコミは少数派の意見を代弁しない。半径1メートルの世界だけみていないで、まず自分たちが少数派であり、多数派の説得がいかに困難なのかを認識した方がいい、と思う。

結局、その後、匿名の医療系ブログのコメント欄などにおける医療訴訟の原告たちへの嘲笑・中傷の横行が報道され、世論はますます医師たちに冷たい視線を向けるようになった。状況は悪くなる一方だ。

マスコミは読者・視聴者の姿を映す鏡である。マスコミの誤解は世間の誤解である。マスコミなど信用できない、といって背を向ければ、誤解されたまま叩かれ続ける他ない。

少数意見を報道に乗せるには、実名が必要である。匿名の意見はマスコミが信用を担保しなければならないから、多数派に寄り添った意見でなければリスクが大きすぎる。少数意見は発言者自身に責任を持ってもらうことが必須となるのだ。

記者さんが「匿名のままでは……」というのは当然の話であり、ここで無理を押しても何も出ない。「いや、それは記者さんの努力が足りないからだ」とファンタジーの世界に引きこもりたいなら、勝手にすればいい。だが「そのような態度こそ、医療崩壊を放置することにつながるのだ」と私は批判する。

もっと**が**なら……そうして他人にばかり努力とリスクの追加配分を求めていてはダメなんだ。自分はもう手一杯だというなら、あなたの批判している相手だって同様だろう、と何故そう思い至らないのか。

平成21年1月30日

因果関係が逆だと思う。思考の硬直化が先にあって、「知るかボケ」になる、という。

平成21年1月30日

昨年5月のニュース。日本へ留学していたウイグル人のトフティ・テュニヤズさんが、ウイグル独立を唱え国家分裂を煽動したとして一時帰国中に逮捕された問題について、安倍晋三さんが訪日中の胡錦濤さんに釈放を求めた話題。結局、今年2月10日の刑期満了まで拘束が続く見込みだという。

これも昨年5月のニュース。結局、大方の予想通り流行りませんでしたね。私の名前を漢字で入力したら、「長すぎます」でアウト。ポカーンとした。この問題、いまだに改善されていない。結局、ほとんどの参加者がローマ字表記。こんなことがどうしていつまでも改善されないのだろう。

平成21年1月30日

私がついつい冷たくしてしまうのが、保険の外交員さん。申し訳ない。サービス業の人に居丈高な対応はするまいと思ってはいるが、セールスに対しては、ふと気付くと邪険にあしらっている自分がいる。もっとソフトな断り方は、いくらでもあると思う。

平成21年1月28日

A地点で100円で買える商品をB地点へ持っていくと200円で売れるとき、A地点で商品を大量に買ってB地点で売るのは、正当な経済行為だ。濡れ手で粟の大儲け、と見えるが、さにあらず。A地点では需要が増えて価格が上がり、B地点では供給が増えて価格が下がるので、結局は手間賃くらいの価格差となる。

さらに時間が経つと……価格が上がったA地点で商品の生産が増え、次第に価格が下がって100円へ復帰していく。それにつれてB地点の価格も下がっていく。仮に手間賃が20円なら、120円へと近付いていく。

ネットでは、A地点とB地点がすぐそばのように見えるので、「不労所得」を得ているとして、転売ヤーは倫理的に批判される。しかし本来、市場の需給関係から導かれる価格が「定価」と乖離していることを明らかにする転売ヤーは、有意義な存在のはずだ。

もし商品の生産と価格の変更が瞬時に可能なら、生産者は現在の売れ行きを見て柔軟に生産量を調整し、可能な限り安く、大量に商品を供給することが可能となる。しかし実際には、生産には多大な準備と長い時間がかかる。そのため、生産者は市場の声を十分に聞けないまま商品の供給量を決定しなければならない。

すると、生産者が「過少供給による機会損失より、過剰供給による直接損失を嫌う」結果、商品の供給は過少となりやすい。結果、商品の価格は高止まりする。60〜70年代の岩波新書などには、これを物価上昇の一因として批判する意見がしばしば登場している。

価格が高止まりしているとき、企業には機会損失があり、本来もう少し価格を下げても企業の利益は増大するはずなのに、日本の経営者はバカで、みすみす商機を逃している、というのが経済学者の意見だった。その後、需要の成長が弱まってデフレに陥った日本経済で生産過剰が問題となったのは皮肉なことだ。

さて、いまや供給不足は過去の話になったかといえば、さにあらず。転売ヤーのいるところ、必ず供給の過小が存在する。

転売ヤーが出現する典型的なジャンルは、チケット、ゲーム機、ゲームソフト、限定版のDVD、……。

キーワードは「定価」だ。各業界が「定価」という計画経済の発想から離れられない事情は様々だが、いずれの業界においても、市場による需給調整を否定した結果、必然的にミスマッチが生じている。

「定価」のない商品であれば、需要を供給が上回れば速やかに価格低下で調整され、逆に供給不足の場合も価格が上昇して需給が一致する。その結果、需要曲線が明らかとなり、利益が出るギリギリまで生産を拡大することが可能になる。

これに対して、「定価」のある商品は、供給過少の調整に困難を抱えている。商品が「定価」で完売したとき、生産者は需要曲線を描けない。ある1点が需要曲線の内側だとわかるだけ。よって直接損失より機会損失をマシだと思う生産者は追加生産を抑制し、価格は「定価」に張り付いたまま品不足が続くだろう。

任天堂の商品供給計画は「品薄を演出して飢餓感を煽り、ブームを持続させる」などと解説されることが多いが、それは後講釈だと思う。直接損失を嫌う経営方針のため増産計画で冒険をできず、結果的に品薄状態が続いているのだと私は考えている。

ニンテンドーDSiの販売について、経営幹部は報道陣に対して商品の立ち上がりの速さを誇ってみせた。任天堂だって、本来は機会損失を減らし、可能な限り大量に商品を供給したいはずだ。新ハードの立ち上げ時なら、なおさらそうだろう。しかし需要曲線がわからないので、保守的な計画に甘んじているのだ(多分)。

現状、消費者の謎の心理的抵抗のため、転売市場は大きくなれずにいる。そのため転売市場の価格は市場の需給を素直に反映せず、参加者の特殊性ゆえバイアスがかかっている。しかし本来、転売市場は「定価」の壁によって見えなくなっている需要曲線を明らかにし、生産者の適切な増産を促す力を持っているはずだ。

……ていうか、そうなったらもう「定価」自体が象徴的な意味しか持ち得ないわけですが、そもそも「定価」というのが不合理なので、むしろそれはよいこと。

補記:

サッカーW杯のチケットでもそうなんだけど、なぜ消費者が定価販売に固執するのかがわからない。なぜ「定価」が生き残っているのかを考えていくと、「消費者が望んでいるから」というあたりに落ち着く。しかし消費者に具体的な利益はほとんど見当たらない(少しはある)のである。

オークションより抽選の方がいい、なんて意見もよく聞くんだけど、これも同じ。生産者に大きな利益があれば、いずれ商品の供給が増えて、ゆくゆくは価格が下がる、という道筋を近視眼的に封じてしまうのは、賢い選択とは思えないのだが。

サッカーW杯だって、もっと儲かるなら観客席やパブリックビューイングが増えていくだろう。それなのに定価でチケットを販売して、自ら売上を制限してしまう。人気カードで十分に儲けず、不人気カードで損失を出す。キャンセル待ちを期待して無謀な行列を作る人々の労力も無駄なら、ガラガラの客席も無駄の極みだ。

社会主義国が次々倒れて、計画経済なんかうまくいかないと、みんな思い知ったはずだ。定価販売とは、まさに計画経済の発想だ。計画に「価格が高すぎる」失敗があるように、「価格が安すぎる」という失敗も起こりうると、なぜ思い至らないのか。

ダフ屋がよくないのは、市場が見えないことだ。需給よりも口八丁で価格が決まってしまい、消費者に不利だ。ヤフオクも(ダフ屋よりはるかにマシだが)市場が見えにくい。その点、Amazonマーケットプレイスはよくできている。(狭義の)ダフ屋の規制は正しい。しかし転売市場そのものを否定するのは間違いだ。

価格による需給の調整は、将来の生産の増大につながる。これを頭ごなしに否定しないでほしい。

追記(2013-12-18)

私の主張は約5年前に書いた通りだが、チケットの転売について、少しだけ補足したい。

転売屋がチケットを買うのは、転売するためだ。最終的に、多少の売れ残りは出るにせよ、大半のチケットはファンの手に渡る。つまり転売屋は、ファンからチケットを奪ってはいない。チケットを手に入れるのにふさわしいファンを、主催者とは異なる基準で選別しているだけだ。

需給から決まる「価格」と「定価」の差額を転売屋が手にするのは嫌だ……としても、公式によるオークション方式のチケット販売に反対する理由はないだろう。本文で述べた通り、条件を変えて何回かオークションを試せば需要供給曲線が見えてくる。「希望小売価格でチケットの需給が一致する販売数量」の見当がつくなら、もっと攻めて供給を増やしたい主催者が多いと思う。

また、供給過少だから転売による価格吊り上げが成功するのであって、需給がほぼ一致していれば、転売は絶対に失敗する。通常、転売屋が買えるチケットは一部である。公式から定価で買えるものを、転売屋が高く売るのは無理だ。仮に買占めできたとしても、定価で需給が一致していたなら、定価より高くすれば必ず売れ残るから、仕入れ代金を考慮すれば絶対に損をする。価格が合理的なら、転売屋は特殊な需要を満たす以外に生き残る道はない。

みなが現在の定価と同等の価格でチケットを買える未来を実現するためには、生産者が需要供給曲線を探索する試みを避けて通れない。一時的にはチケット価格が高騰しても、それは過渡期の問題だ。(新進気鋭のアーティストなどの場合、なかなか安定せず過渡期が続くだろうが……)

ITの発達によって、かなりの割合のチケットについて、公式がオークション方式でチケットを売ることが、現実的な選択肢のひとつとなった。新しいやり方には反発も大きいだろうが、いずれはその合理性が理解されると信じたい。

平成21年1月28日

他人の金儲けが嫌いな人々。Amazon が自社の利益にならないサービスを切るのは当然で、Amazon も儲かる商売の枠組みを構築できなかった転売屋がコケることに疑問はない。ただ、転売屋の不幸(?)を大喜びする感性には、私もついていけない。

ここしばらく、ときどき Amazon にカスタマーレビューを書いている。たいていのレビュアーは、レビューを読む人が知りたいことではなく、自分が書きたいことを書く。それが悪いとはいわないが、商品選択の参考にならないレビューの山にはウンザリする。しかし、自分で書いてみると、これがなかなか難しい。

「まず自分がやれ」という反撃は、しばしば変化を嫌う勢力にとって有効すぎる防御策となってしまい、状況の改善を阻害する。だから、他人にいうときには、せいぜいスパイス程度と心掛けるべきだと思う。けれども、自分自身に対しては、折にふれて突き付けていくべき言葉だと思う。

さて、Amzon のカスタマーレビューには、「参考になった/参考にならなかった」という投票ができる(書いた本人はできない)。やはり「参考になった」票が多く入ると嬉しい。幸い、私のレビューは高打率を維持しているけれども、上を見るともやもや感がないではない。

映像コンテンツなどでは、特典付の初回限定版は通常版より高い値段が付けられていることが多い。しかしゲームソフトの場合は、初回特典の有無で価格が変わらないことが多い。当然、特典付の限定版から先に売り切れる。すると、コレクター商品の専門店などが登場し、定価より高い値段で限定版の販売を開始するわけ。

こうなると、俄然レビューが活気付く。「ぼったくり許すまじ!」の声が吹き荒れるのだ。私は別に、ぼったくりとは思わない。需要が供給を上回るなら、価格で調整するのが市場の仕組みだ。「**店では定価で買えたよ!」だから何? 定価に縛られた計画経済の非効率を倫理道徳で守れば、経済厚生の発展は阻害される。

人気ゲームソフトなどの場合、コレクター商品の専門店などを非難するだけのレビューに「参考になった」票が100くらいポポポンと入る。似たようなレビューがたくさんある中で、ほんのいくつかのレビューだけがそうなるのだから、私にはわからないツボを押した名レビューなのだろうが……釈然としない。

コレクター商品が定価より高値で取引されるのは珍しいことではない。「じゃあ大手量販店がこぞって限定版を売り惜しみしたらどうなるんだ!」なんて意見も聞くが、ゲームソフトはたいてい発売初週の売上が総売上の半分程度となる。在庫を抱えるのは重大なリスクで、2週目以降は限定版も値崩れすることが多い。

2ヶ月経っても限定版の在庫が捌けず、悲惨な安売りに突入することも珍しくなく、在庫を長期間抱える費用を考えても、コレクター商品専門店が濡れ手で粟の大儲けをしているわけはない。そもそもニッチ市場なので、大手が参入したら、あっという間に値崩れが起きて商売の前提が成り立たないだろう。

スーパーのタイムセールをはじめ、同じものに複数の値札がつくことは珍しくもなんともない。人それぞれ事情があって値頃感も違うのだから、それぞれが納得する値段で売買が成立すればよい。

在庫処分を優先する大手量販店を巡って限定版の残りを探せば定価で買える。ネット経由でコレクター市場にアクセスすれば、割増価格になる。これはタイムセールに自分の生活時間を合わせる努力をすれば、同じ食品を安く買えるという話と何ら変わらない。前時代的な「定価」に惑わされるからおかしなことになる。

平成21年1月26日

中国河北省の天洋食品で製造された冷凍餃子を食べて体調を崩した日本人が数人おり、調査の結果、冷凍餃子から農薬のメタミドホスが検出された。複数の流通ルートを経由した全国各地で同様の被害が発生したため、日本の調査チームは中国国内での薬品混入を疑った。

しかし中国の調査チームは「農薬は日本国内で混入された」と断定。商品回収と取引中止の憂き目に遭った天洋食品は被害者として同情され、河北省主導で回収品の地元業者への払い下げが行われた。結果、中国国内でも複数人が吐き気や腹痛を訴える事態となった。幸い、重症患者は出ていないという。

天洋食品は先進的な生産体制を整えた中堅企業で、日本国内の食品加工企業と遜色ないレベルの管理システムを有していたという。それだけに、よりによって天洋食品の製品が問題を起こしたのは衝撃だった。

品質管理の現場を少しでも知っていれば、ほとんどのケースにおいて、現実に実行可能なあらゆる安全対策は、悪意ある従業員がいれば突破されうることを理解されると思う。

しかし私たちは、どうしても「天洋食品の管理体制に問題があったから事件が起きたのだ」と考えてしまう。逆にいえば、「管理体制が万全なら事件は起きなかったはずだ」と。

ここに不幸の原因があるのではないか。

おそらく天洋食品は標準的な対策を全て実行済で、過去の記録にも不審な点がなかったのだろう。だから中国当局は天洋食品は「白」と判定した。しかし天洋食品の従業員に悪意を持って農薬を混入した者がいなかったとは限らない。が、この理屈は日本の消費者に通用しないし、中国でも同様だろう。

日本では、仕方ないから会社に損を被ってもらうことになっている。私は理不尽だと思うが、多くの日本人は「従業員の犯罪は雇用主も責任を免れない」と考えている。法律の世界では「対策の取りようのないことに責任はない」のだが、世論は法学者の見解に同意していない。

いや、違うか。現に事件が起きたんだから、何か不備があったはずだ、と考える。そこに錯誤がある。他人事になると、空想的な安全対策が平気でポンポン口端にのぼる。

ともかくそんなわけで、不幸にも悪意ある従業員がいたために、天洋食品は日本の企業と取引を停止されてしまった。中国当局は天洋食品の管理体制に不備がないことを確認したが、犯人は不明。天洋食品を守るなら、残る手札は日本国内混入説だけだった。妄想含みだが、私はこう考えている。

2chの反応(2008-08-06)を見ると、中国人を嘲笑する声が目立つ。しかしこれは、「天洋食品に問題がない=中国で農薬混入はなかった」という中国世論の短絡、「現に事件が起きたのだから天洋食品には問題があったはずだ。取引停止は当然だ。倒産したって知るものか」という日本世論の酷薄、双方が招いた悲劇だ。

不運な企業を人為的に潰していいのか。完璧な企業はない。叩けば埃は出るだろう。2005年から2006年にかけて、姉歯さんの個人犯罪で2社が消え、2社が大ダメージを受けた。それでも世論は許さない。そこで司法が粗探しをして、3社のトップが有罪となった。暴走する世論の恐ろしさを、まざまざと見せつけられた。

天洋食品の農薬入り餃子問題は、結果の重大さでは日本企業の産地偽装などとは比較にならないが、企業としての悪質さは別問題である……と私は考えるが、多くの人はそう考えないらしい。だから私が「天洋食品が存亡の危機となるのは理不尽だ」といっても「はぁ? バカじゃないの」。

日本人はこれからもずっと他人には酷薄であり続ける。また第二第三の天洋食品はきっと現れる。そして中国は日本の通った道を歩み、罪なき企業が世論に叩き潰されるのを歓迎する社会になっていくだろう。今回のような事件は、いずれ起きなくなる。だが、それでバンザイという話ではないと思う。

補記:

日本へ輸出される前に回収された餃子を食べて、中毒症状の出た人がいる。日本国内の流通過程で農薬が混入したという主張は説得力を失った。しかし工場から出荷される前に回収された餃子だったとまでは書かれていないから、事件の現場が天洋食品の工場内なのか、中国の流通過程なのかは、まだ謎らしい。

平成21年1月26日

この記事の書き方には疑問がある。まるで事件自体が初めて発覚したかのような文章だが、実質的には昨年8月の記事の続報だろう。

2chの反応は5ヶ月前と全く同じ。新聞が報じれば何でも「ニュース」なのか?

はてブ民も健忘症のようだ。5ヶ月前の報道を、きれいさっぱり忘れ去っている様子。

政治家は選挙民の鏡像といわれるが、マスコミだって同じだろう。続報というより新しいニュースだといった方がウケる。所詮、商売だ。客がバカなら、売る方もそれに合わせるまでのことだ。

NHKでも中国内での中毒事件が最近わかったみたいな放送してて、夏頃にはわかってただろとツッコミながら見てた。「中国当局は昨年夏ごろ<略>外交ルートを通じて日本に伝えた」<当時マスコミはほぼ総スルーだった記憶が

新聞の過去記事検索サービスを使えば、この件についてマスコミはきちんと報じていたことがわかる。勝手に忘れているのは読者と視聴者の方だ。

客の気持ちに寄り添わない報道は商売として成立しない。だから一見バカっぽい記事を前面に押し立てつつ、小さな記事に良心を託す。私はテレビ報道には疎いが、新聞はずっと読み続けてきたから、新聞を作る人たちの苦心惨憺は理解できる。

ネットで適当にリンクを辿って読みたい記事を読むだけの人が、「マスゴミ」などと悪口をいうのは、天に唾する行為だ。紙の新聞を、きちんと端から端まで読んでみてほしい。「ゲーム脳」批判もリフレ推進の主張もID説批判も、扱いは小さくとも、ちゃんと紙面に掲載されていることに気付くはずだ。

産経新聞の記者さんのブログ。記事を書く側にどんな思い入れがあろうと、結局は商売の都合が最優先である、という現実を繰り返し説明されている。みんなの大好きな陰謀論より、よっぽど現実味のある話だと私は思うのだが、福島さんはファンのコメンテーター陣の説得にすら成功していない。見ていて悲しくなる。

平成21年1月22日

定額給付金、私は消極的に賛成。

平成21年1月22日

日本の消費税のいいところは、制度設計がシンプルなことだ。その道の本を読むと、実際の納税・収税はそれほど簡単ではなく、輸入品・輸出品の扱いに複雑さを抱えているそうだが、少なくとも一般庶民の生活と、国内の大半の取引においては、シンプルな付き合い方ができる。

しかし税率アップの話題が出るたび、「消費税は逆進的な性質を持った税だから、生活必需品は税率を据え置くべき」といった意見が出てきて、多くの国民の支持を集める。この調子では、やたらめったら複雑になってしまった所得税などと同じ道を歩むことになりそうだ。

私は「生活必需品だけは低税率にする」ことに反対だ。その理由:

  1. 何が生活必需品なのかは、国民一人一人の価値観や生活状況によって異なるはずだ。中央政府や地方自治体がどのような生活必需品リストを作成しても、全員が満足することはない。
  2. 生活必需品の指定とは、逆にいえば低税率維持品目の規制だ。規制の増加は官の仕事と権限を増やし、行政の肥大化を招く。「発泡酒」「第3のビール」のように、ただ規制を逃れるためだけの虚しい商品開発競争が生じるだろう。さらに必需品認定のボーダーライン周辺で贈収賄を誘発しかねない。
  3. 生活必需品の材料や、設備投資で購入する機械などは、たいてい生活必需品ではない。あるいは、外食産業など、生活必需品たる食品を材料とするが、提供するサービスは高級なものだったりする。現在、輸出入周辺でだけ行われている複雑な処理が、全国津々浦々で必要になってくる。
  4. たしかに欧州などには、生活必需品だけ税率を変えている国がいくつもある。その代償として、帳簿単位ではなく伝票単位で税務処理を行う必要が生じ、膨大な事務管理の手間が発生している。もちろん、山のような書類をチェックする収税官吏の仕事量も莫大。これは無駄な労力だ。

しかし消費税率が上がっても給料は増えないわけだから、何らかの生活保障政策は必要だ。この問題について、生活保護の支給額を増やす、子育て支援の拡充、医療費補助、などを同時に進めるべき、といった貧窮者の保護に焦点を当てた意見をよく見かける。

だが私は全国民に1人あたり一定額を一律支給する「定額給付金方式」がよいと思う。その理由:

  1. 生活必需品は、全国民にとって必要な物なので、全員を保護するべきだ。一部の貧窮者のみ保護すれば、生活費の増大を我慢する大多数の国民は弱者に冷たい視線を向け、弱者攻撃が激しくなるだろう。
  2. 多様な生活スタイルに柔軟に対応するには、世帯単位よりも個人単位の一律保障が有利。それでいて多人数で同居する人々に有利に働くため、自然な子育て支援策になる。
  3. 用途無限定の現金支給だから、各々が本当に必要とする物を、自由に買うことができる。低税率維持品目の規制が不要なので、規制逃れの商品開発や、必需品認定に絡む汚職も生じない。
  4. 消費を控えて貯金する、貯金を崩して消費する、そうした自由があるのはよいことだ。必要なときに必要な分だけ支援する制度には、自由がない。Ex.お小遣い
  5. 民間の事務負担増は税率移行の経費のみ、行政の負担増も(口座登録手続きが一斉に行われる)初年度を除けば生活必需品の税率規制と比較して小さい。

具体的な支給額は……仮に税率が5%上がるとして、自炊する食材の消費税分だけなら年額1〜3万円、最低限の生活に必要な全ての消費にかかる消費税相当額を支給するなら年額5〜8万円を想定している。

なお現行税率の5%分は給付金を支給しない。もし現行税率分も支給するなら、支給額に対応する金額だけ、既存の生活保障政策の縮減が必要(そうでなければ増税の意味がない)。私は今回の記事とほぼ同様の考えから、ベーシックインカムにも賛成だが、既存の生活保障政策の大幅縮減が大前提である。

2009年春実施予定の景気対策としての定額給付金は、1回ものなので事務経費5〜7000億円が問題視されている。だが毎年支給するなら、10年、20年を平均したコストを考えるべきだ。受け取り口座の変更が平均で5年に1回なら、事務経費は1〜2000億円となるのではないか。また年金事務などと一体化できるならしたい。

定額給付金は評判が悪いので、きっと「現場の大混乱」が散々報道されるに違いないが、既に年金は2000万人以上に振込で支給されている。それなりにトラブルは生じるに違いないが、だから支給金なんてダメなんだ、という方向へ世論が流れてしまわないことを期待したい。

平成21年1月22日

私は世の中のたいていのことに無知な人間だ。背伸びせず、素朴に自分の考えを書いていこうと思う。

謙虚でありたいと考えてはいるものの、その道の偉い人の意見を聞いても、どうにもこうにも納得がいかず、イライラすることは多い。どうせ自分はバカなんだから、「よくわからないけどそういうものなんだろう」とでも考えて聞き流せばエネルギーを無駄にせずに済むのだが、それほど人間ができていないらしい。

以前はウェブで意見を公開して、いろいろな不満を解消できた気になっていたものだが、結局のところ恥をかいただけだったように思う。

偉そうな物言いをするからいけない。ま、そうは思っても、実際、心中の苛立ちを文章にしているのだから、表面を取り繕っても傲岸不遜な態度を読者は読み取るのだろう。近年は少なくなったが、それでも時々、穏当な装いをすることすら忘れて自説を開陳している。「あー、こういう人なんだ」はい、正解。

素朴に書いていこう、何度もそう誓ったはずが、文章を書いていると、自然と全知全能の神のごとき書き方へ流れていく。んー、でも、それはそれで素朴な文章ということになるのかもしれない。正直な気持ちを書いている、というような意味で。ただ、そういうのはもういい。

平成21年1月22日

私は何年も前から生年を公表しているのだけれども、いちいちプロフィールにまで目を通される方は必ずしも多くないようで、30〜60歳代と認識されている読者が少なくない。私にとって「老けてる」という感想はポジティブな意味を持つので、この状況を楽しんでいた。

しかし人は歳をとる。だんだん、イメージと現実が近付きつつあるのが寂しい。小中学生の頃、若い先生より中高年の先生の方が話のウマが合った。「50年前なら君のような子はもっとたくさんいたんだけど……」などといわれてご満悦。もう15年くらい、人生の答え合わせをしているような感じ。

平成21年1月18日

現役のテレビドラマ演出家で、段取りをきちんとつけて基本的に1日8時間労働(食事休憩あり)で撮影を終了する方といえば、吉田啓一郎さん。とくに世評の高い作品はありませんが「警視庁捜査一課9係」シリーズなどを演出されている方、という説明で通じるかな……?

平成21年1月16日

私の周りにも日本の財政破綻を心配している人がいます。あまり積極的に説明する気力もないのだけれど、話を振られたら、ポツポツ自分の意見は話しています。ちょうど人力検索に質問が出ていたので、簡単に。

「GDPがマイナスになる」という前提で「破綻しない」とする意見は目にしたことがありません。「日本の財政は破綻しない」とする経済学者は大勢いますが、その前提は「人口は減少するがGDPは増大する」です。

東欧にはロシアやハンガリーをはじめ、人口減少が何年も続き反転の兆しがない状況にもかかわらず、GDPの増大が続いている国家がたくさんあります。日本の人口は将来的にも年率1%以下の減少ペースです。一方、OECD平均のGDP成長率は2.5%程度です。OECD加盟国の人口は年1%くらいずつ増えているので、人口増の影響を引き、さらに日本の人口減少を加味して、つまり2%引いても、まだプラスです。

近年の日本のGDPも平均で1%を超える実質成長となっており、1%削っても平均すればプラスになります。

さて、日本の税収には、名目GDPが増大するとき、名目GDPより高い割合で増加する特徴があります(逆も同様)。したがって、支出の増大をGDPの成長と同程度に抑制できるならば、税収の伸びが支出の伸びを上回ります。

しかし近年の日本では名目GDPがマイナスに陥り、税収が減ることが珍しくありません。デフレが続いているためです。これは日本だけの現象です。他の全ての先進国と同じように1〜3%程度の緩やかなインフレさえ実現できるならば、名目GDPは人口減少下でも安定してプラスを維持できます。

前置きが長くなりましたが、緩やかなインフレを実現し、名目GDPの成長を維持できるなら、増税せずとも日本の財政は破綻しません。詳細は下記リンク先の試算結果をご覧ください。

日本の財政の維持可能性試算‐バランスシートアプローチ

以上を踏まえて。

自民党だけでなく、民主党も補正予算で国債を発行すること自体には反対していません。2008年は実質GDPもマイナス成長でした。こんな状態が何年も続くと日本の財政は本当に悲惨な状況となります。財政による景気下支えの意図は、とりあえずGDPの実質成長をプラスにしよう、ということです。

ただ、日本の場合、今年もデフレが続きそうです。諸外国では実質成長がゼロでも名目GDPはインフレ率の分だけプラスになるのに、日本は条件が悪いのですね。

たいていの先進国では財政赤字が当たり前になっていますが、日本だけがデフレから脱せず、GDP比の財政赤字が膨らむ結果となりました。平均では最低限の実質成長率を確保できているので、緩やかなインフレにより名目GDPを確実にプラスに保つことが何より大切です。

ちなみに石油価格高騰で2008中頃の消費者物価は+2.4%まで進みました。大騒ぎになり福田内閣の支持率が急落しましたね。「緩やか」といっても財政破綻を防ぐためには1〜3%のインフレ率が必要です。諸外国のインフレ率は1〜3%ですし、日本でも1980年代までは同様でしたが、21世紀の日本では許されないインフレ率かもしれません。

日本国民がインフレを許さないなら、日本銀行が大胆な金融緩和に踏み出すことはなく、日本のデフレは続き、名目GDPは増えず、いずれ大増税か財政破綻を迎えます。財政破綻の可能性は低くないと私は思います。

うーん、自分のいいたいことを優先して、質問文に正対していないな、この回答は……。

平成21年1月5日

暇つぶしが目的でないならば、素人の投資はパッシブ投資がよい。ネット証券に口座を開き、ドル・コスト平均法にしたがって「景気の浮沈に関係なく、ETFやインデックス型の投資信託を毎月おなじ金額だけ買う」と設定しておく。

たったこれだけのことで、新聞の株価欄や些細なニュースをチェックする時間を全く節約できる。最初に1冊だけ読めば、以降、何の勉強も要らない。お金を引き出す銀行口座に企業年金など使う当てのない定額収入が入るようにしておけば、残高確認すら不要となる。

悩みを解決することも大切だが、そもそも悩みなどないのが一番よい。いま世界的に株価が下がっているが、次の景気回復まで淡々と投資を続けることができれば粘り勝ちである。そんなわけで、マネー雑誌が悲壮な特集を組んでいるのをよそに、母は恬淡としていた。

父が車を買い換えたいというので貯めていたお金は、父の投資趣味のため2007年に半分消え、2008年には残額も8割消えた。毎日3時間以上もの父の努力は、経済の荒波の前には何の意味も持たなかったように見える。意気消沈した父は、町内クラブで麻雀(賭なし)を楽しむ日々である。

毎朝毎晩、ニュースを見ては血圧を上げる生活は、過去のものとなった。父は100歳まで生きるという。母は「せいぜい70歳」という。

平成21年1月5日

正月は実家で過ごした。

父が完全に給料仕事を辞めたので、私からの慰労記念品としてテレビを買った。居間に42型、父の私室に32型の液晶AQUOS。これまで使っていたのはソニー製の25型と23型ブラウン管テレビで、それぞれ10年目、14年目になる。画面がフラットな25型がきたとき、中心が凹んで見えたのは懐かしい思い出だ。

家電を安く買うなら価格.comで探せばいいが、修理に出したり、配線作業を依頼したり、といったことを考えると、地元の長続きしそうな家電量販店で買うのが妥当だろう、と考えた。チラシを見て、予算を30万円とした。画面サイズは店頭で両親の意見を聞いて決めた。機種の選定は店員に任せる。

少しでも安いものを……と値段を気にしだすと、グズグズ悩んで時間を浪費するし、買った後まで尾を引くことにもなりやすい。自分はテレビに30万円の価値を認める、と判断したなら、予算は固定して、店員に最適な機種を逆オークション方式で選んでもらうのがよい。

予算が確定していれば、店員はプロなので、予算ギリギリの商品をプレゼンしてくれる。より低機能・低性能の商品と比較して、いかにこの商品が素晴らしいかを力説してくれるので、満足しやすい。予算が曖昧だと、もう少し高くてもよければこんな素晴らしい機能が……なんて話を聞かされてしまう。

見事だな、と思ったのは、ポイントの扱い。紹介された商品の合計価格が1万円ほど予算を超えていたので、疑問をぶつけた。すると「じつは初売りセールでポイントがたくさんつきますので、まず42型をお買い上げいただきまして、そのポイントを活用しますと、32型もご予算の範囲内に収まります」と立て板に水の回答。

結局、ブラウン管テレビのリサイクル伝票を買っても1万円程度、ポイントが残った。これで母のパソコンのバックアップ用にSDカードを購入。

一通り店内を回って、最近の電化製品について世間話。両親の関心は、アナログレコードプレーヤー、電子辞書、携帯電話にあるようだ。そんなこんなで入店から退店まで約1時間。母の膝への負担も大きくなく、高額商品を手際よく買えたと思う。

余談

自宅のテレビはSANYO製の10型。社員寮時代に、DVDプレーヤーとして買った。アパートへ引っ越したらテレビ線が腐食せずに生き残っていたので、以降、テレビとしても活用中。画面は16:9だけど地デジ非対応。何のための16:9だかよくわからない。一部のゲーム以外で画面の両端が役立ったことがない。

数年前からDVDプレーヤーとしては使えなくなってしまったこともあり、10型くらいの小さな地デジ対応テレビがあったら買い換えようと思っている。が、7型以下のワンセグテレビと16型以上のフル地デジ対応テレビの間に挟まれて10型のがないんだよね。2011年までには出るのかなあ?

正直、ワンセグテレビだとテロップが読めなくて悲しいし、16型だとちゃぶ台の上にパソコンと並べて置くには大きすぎる。顔との距離を考えても、10型くらいがいい。ソニーの有機ELテレビは価格が問題。あと意外と設置面積が大きい。パソコンでテレビを見るとチャンネルを変えるのにもたついて嫌だ。

……我侭いっぱいだな。ま、2011年7月はまだまだ先。気長に待ちますかね。