趣味Web 小説 2011-04-11

原発事故報道と新聞の読み方

1.

首都圏の人間が「放射線から身を守るには」という紙面を読まされた時、どう思うだろう。当然「福島第一原発の放射能物質は、東京にも降り注ぐのだな」と理解するに決まっているではないか。

新聞には、いろいろな記事が載る。それをバラバラに取り上げて云々するのは、新聞の読み方ではない。廃品回収に出す前に震災直後1週間の新聞をザッと読み返してみると、次のような情報が読み取れた。

  1. 政府による避難や屋内退避の指示には従うべき。
  2. 原子力発電所の敷地外に、人が直ちに死ぬような危険は存在しない。今回の原発事故によって周辺市街地に生じているのは、将来、ガンなどが発症しやすくなるというリスク。このリスクはなだらかに変化するので、安全の線引きは恣意的なもの。どの程度のリスクなら許容できるか、という価値判断の問題になる。
  3. 関東地方全体に多少の放射性物質は飛来するが、原発から遠く離れてしまえば、喫煙などと比較して十分にリスクは小さくなり、むしろ心配が引き起こす心因性の健康被害の方が大きくなる。とはいえ、リスクがゼロでないのも事実。屋内退避地域と同等の対処をする方が、放射性物質に対して、より安全には違いない。
  4. 原発事故の完全な収束には時間がかかるが、周辺への放射性物質の放出の抑制ができれば、放射線量は次第に減っていく。「現在の値がずっと続く」と仮定した健康被害の想定は、「これより悪くはならない」という目安と考えてよい。

烏賀陽さんが批判している朝日新聞の報道は、上記第3項の後半部に対応するものだろう。新聞は多くの記事で紙面を構成しているのであって、ひとつの記事に上記の4項目を全て組み込むことはしない。朝日新聞の紙面は確認していないが、第3項の前半に対応する記事もどこかにあったはずだ(同じ日付とは限らない)。

2.

結論は、「チェルノブイリ級の事故になることはまずない。なっても汚染物質が降るのは半径30キロメートル程度」とあるではないか。あまつさえ「首都圏のブリティッシュスクールは休校すべきか」という問いに「地震や津波を別として、被曝の心配なら、その必要はない」とまで言い切っている。「今回の事故をチェルノブイリに例えるのは、完全に間違っている、と強調した」(イギリス政府主席科学顧問のジョン・ベディントン氏)。

烏賀陽さんの記事でいちばんわからないのは、この部分だな。こんなの、日本政府の発表と変わらないではないか。ベディントンさんだって、「絶対にそうだと言い切れるか? 保証するか?」と問われたら、日本政府と同等の腰の引けた表現になったろう。だったら政府見解を報じる新聞を読んでも、安心できたはずだ。

結果的には、30km圏外でも地形や風向きの関係で人が住み続けるには問題のある水準の放射線量になった地域が出たわけだが、それでも直ちに健康に影響するほどではなかった。避難が1~2ヶ月遅れても、飲酒や喫煙の習慣と比較すれば格段にリスクは小さく、許容範囲内だ(私の基準では)。

日本政府の見解を読んでも全く安心できない人が、イギリス政府の科学顧問やアメリカ政府、オーストラリア政府の見解を正確な情報と認識し、それを読んで安心するというのは、奇妙な話だ。

クライシスに市民のために役立たない報道など、何の存在価値があるのだ。

烏賀陽さんは、私より情報の収集と咀嚼に長けているはずだ。それなのに、私が上にまとめた程度の情報も新聞から読み取れなかったのはなぜか。それは、最初から新聞をきちんと読む気がないからだと思う。

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3.

新聞というのは、読者の代わりに何かを考えてくれる存在ではない。いや、ある程度はそういう機能も持っているが、基本的には読者に判断の材料を提供するのが仕事だ。原発事故報道でもそれは同じであって、新聞には毎日、何人もの専門家のコメントが掲載され続けた。人によって意見は違っていたが、それでも一定の幅に収まっていることは理解できた。その先は、読者が自分で判断すればいいことだろう。

私自身は、13日の朝刊を読んだ時点で、原発から150km離れた街に暮らす自分がオロオロするような事態ではないと判断した。

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