滄我砲発射から2週間、攻撃を受けた聖ガドリア王国は、遺跡船を操作して滄我砲を発射したグルザンド王統国に対する戦勝国となり、遺跡船へ軍人を送り込んできた。
セネルらは源聖レクサリア皇国から勲章をもらい、メルネスとして水の民の里へ去ったシャーリィ以外、みな港の街ウェルテスに滞在していた。
ウェルテスにフェニモールが現れ、セネルに元気のないシャーリィに会いに来てほしいと頼む。レクサリア聖皇の新書を届ける用事のあったウィルとともに、セネルらは水の民の里へ向かう。現在、マウリッツら水の民の一部は大陸から遺跡船へ移住して小さな村を作っているのだ。
*フェニモールの故郷は今も大陸にある。遺跡船にいるのは水の民の一部らしい。
ウェルテスから南西へ長い道のりを歩いて水の里へ到着すると、シャーリィがメルネスとして重要な「託宣の儀式」を行うという。戦争後、水の民の里には怪しい来訪者が多いのだという。メルネスの親衛隊長として本来の職責を果たしているワルターは、ますます狷介な性格になっていた。
夜、フェニモールの勧めでセネルに会うシャーリィ。しかしステラが命を落として2週間あまりのセネルの気持ちが自分に向いていないことを悟ったシャーリィは、メルネスとして生きていくことを心に決める。
ワルターの依頼を受け、クルザンドの残党が潜む隠し砦へ。隠し砦はどういうわけか水の民の里の近くにある。
隠し砦は以前、シャーリィとフェニモールが監禁されていた牢獄のある場所。現在はモンスターの巣になっている。最深部まで進むも、クルザンド軍の残党は見当たらない。しかしヴァーツラフが大陸で捕まえた水の民に人体実験を行い、人為的にメルネスを作ろうとしていたことを示す資料があった。
ワルターから事情説明。セネルたちを隠し砦へ連れてきたのは、託宣の儀式を邪魔されないため。儀式が成功すればメルネス(=シャーリィ)の意識は滄我と一体化し、現在の人格は失われるのだという。ワルターは託宣の儀式の場へ陸の民の軍勢が現れたとの一報を聞き、飛び去る。
後を追おうとする一行。そのときジェイは「メルネス捕獲作戦報告書」を発見する。そこには工作員としてセネルの名も記されていた。
託宣の儀式は遺跡船の北端(船の舳先)にある望海の祭壇で行われている。
望海の祭壇を襲ったのは聖ガドリア王国騎士団だった。滄我砲の攻撃を受けたガドリアは、滄我砲がメルネスの力で動作すること、現在のメルネスがまだ目覚め前の無力な状態であることを知っており、自国の安全のため託宣の儀式を中止させることを企図していた。
ガドリア軍は水の民を打ち倒し、シャーリィに迫る。マウリッツは儀式を中止しない。騎士団長の剣が光る。フェニモールが割り込み、身代わりとなった。悲しみに包まれたシャーリィに滄我の声が聞こえ、蒼い光が彼女を包み込んだ。
ワルターが到着したときには、既に手遅れ。さらにセネルたちも駆けつけたが、シャーリィはメルネスとして目覚めていた。騎士団長はクロエにシャーリィの殺害を命じるが、クロエは聞かない。セネルは騎士団長を殴り倒し、回答とする。
しかしセネルもまた、シャーリィの変身を認められないことでは同じ。シャーリィを元に戻そうとするセネルたちはワルターに阻止される。ワルターが止めを刺そうとしたとき、シャーリィはそれを制止し、滄我の力=爪術を奪う。(5章終了)
水の民は陸の民の粛清を宣言し、聖ガドリア王国は水の民との戦争準備に入る。爪術を奪われたセネルたちはモンスターたちに勝てなくなり、ウェルテスに閉じ込められた。
むざむざと滅ぼされるわけにもいかず、さりとてシャーリィと戦いたくもないセネルは悩む。そんなとき、ウェルテス北端の通称「灯台」が頭に浮かぶ。なんとなく、そこに行かねばならないと思う。
灯台の入り口へ向かうと、仲間たちも集まっていた。みな理由は何もないが灯台へ行かねば、との思いに取り付かれたのだという。そして、長年閉じていた灯台の入り口が開く。
灯台の中にあったのは、地下空間へのエレベーター。
遺跡船の広大な地下空間には、外界とは対照的な静かな海が広がっていた。再び爪術が使えるようになったセネルたち。しかし地上へ出ると、やはり爪術は使えない。ジェイは、爪術の力の源である滄我とは、海のことだと気付く。モーゼスが追い求めた聖爪術とは、地下の海の力を源とする爪術のことだったのだ。
さらに世界の歴史と謎について知るため、地下空間の各所にあるモニュメントを探索していく。「火のモニュメント」「氷のモニュメント」「雷のモニュメント」「土のモニュメント」を探索し、4枚の碑版を集める。すると「ジオグリフエリア」が発光する。
途中、ワルターがセネルらを始末しに現れるが、水の民が「打ち捨てられた地」と呼ぶ遺跡船内部の空間では、爪術が使えない。地下の静かな海は陸の民に力を貸し、外の荒れた海は水の民に力を貸す。
ジオグリフエリアにある砂浜のくぼみに碑版を順番どおりにはめ込むと、セネル以外のメンバーの爪術が強化され、地上でも爪術が使えるようになる。
かつて空から現れた水の民は、原住民の陸の民との戦いで劣勢に立たされ、「光跡翼」を発動し「大沈下」を起こし大陸の半分を沈めたが、メルネスは力尽きた。過去のメルネスはシャーリィと瓜二つ。いま水の民は、4000年の時を経て復活したメルネスの力で大陸の残り半分も沈めようとしている……。
滄我の力を与えられず、打ち沈むセネル。彼はクロエに過去を告白し、過去と決別してシャーリィと向き合うことを誓う。すると、「静の滄我」はセネルに力を貸すのだった。(6章終了)
世界をあるべき姿(=大陸のない世界)に戻す……滄我の意志に従うシャーリィたちは、遺跡船の南端(船尾)に位置する蜃気楼の宮殿で光跡翼の復活を目指しているのだという。セネルたちは地下空間への昇降装置のそばに隠されていた機関車に乗って、あっという間に蜃気楼の宮殿入り口へ。
迷宮を抜け、ワルターを倒し、シャーリィのもとへ到達。だがシャーリィはあらためてメルネスの使命を果たすことを明言。セネルがメルネス捕獲のためにシャーリィの前へ現れたことを知り、セネルと完全に決別。内海から光跡翼が復活する。
水の民は光跡翼へ移動し、セネルたちは後を追う。
光跡翼と同時に、灯台と光跡翼を結ぶ光の道「天かける奇跡」も復活する。一晩休んで、いざ出発。
ずっと水に沈んでいた光跡翼にも、なぜかモンスターがたくさん暮らしている。先へ進むと、ワルターと再戦。ワルター、力尽きる。ついにシャーリィのもとへ辿り着いたセネルたちにマウリッツが立ちはだかるが、これを撃破。しかしメルネスのテルクェスで行動を封じられる。
マウリッツは語る。この世界には本来、海しかなかった。猛りの滄我が怒っているのは、遺跡船に乗って現れた陸の民によって大地が作られたことによる。原住民は水の民であり、陸の民こそ侵略者だったのだ。静の滄我が陸の民にだけ力を貸すのは、自然なことだった。
光跡翼は大地を作る装置。大沈下は、その機能を逆用したもの。水の民が陸の民の失われた文明を活用するのは本意ではないが、他に手はないので、そうしているわけである。
仲間の力でテルクエスから解放されたセネルはシャーリィに歩み寄り、抱き締める。メルネスの光が失われ、光跡翼が止まる。
マウリッツは怒り、滄我に祈る。するとマウリッツは滄我に取り込まれ、ネルフェスとなる。そして裏切ったシャーリィを殺そうとするが、セネルらに倒される。
セネルたちが光跡翼の屋上へ出ると、海が静まっていた。「輝ける青……長旅の果てにこの世界へやってきた人たちが、最初にこの海を見たとき、そう呼んだの。」とグリューネ。(7章終了/メインシナリオED)
ゲームにしろドラマにしろ、大勢のプレーヤーの共感を得ようとするとどうしてもそうなってしまうのだろうけれど、現状維持的という意味で保守的なストーリーにせざるを得ないのか。
私は別に、シャーリィの人格が変化しようと、とくに問題を感じないのだが。むしろ行動原理として、数千年来の恨みを晴らそうとする水の民の考え方の方が、理解しやすい。
そもそも水の民と陸の民の見た目と知力・文化のレベルが同等だから、心理的に引っ掛かりが大きいのであって、道中、セネルたちがどれほど多くのモンスターを一方的に虐殺してきたか、と考えるとね。生物学的には全くの別人種なわけで。何せ水の民は水中で呼吸できるのだから、呼吸機構の根本から違っているはず。
セネルとステラは恋仲だったけど、子どもは絶対に生まれない。まあ、「テイルズ オブ ファンタジア」ではエルフと人間のハーフがいたりしたんで、ファンタジーだから何でもありなのかもしれない。そうなるとますます、モンスターはどうなのか、と。
ていうのは、ちゃんと言葉を話せるモンスターがいるからなんだ。モフモフ族とは戦わないが、ジェントルマン族とは何度も戦っている。とくに最初に登場するタイプは、基本、攻撃してこない。ストレッチなどやっているときに、手足が長いのでこっちにぶつかっているだけ、みたいなんだよね。
隠し砦のイベントによれば、巣食っているモンスターたちはクルザンド軍の残党ではないらしい。
となると、いろいろ疑問を感じるというか、人間って馬鹿なんじゃないかと。
だってモンスターたちは、しばしば複数の種類でパーティーを組んでいるのだけれど、仲間割れは一切ない。フィンクス族とタコエッグ族とマンドレイク族が一緒に登場しても、みな主人公らだけを攻撃してくる。
驚くのは、モンスターの中に「人型」が混じっていること。おいおい、だよ。アーチャー、アサシン、テイマー、フェンサーといった名前がついているんだけど、一般の旅人っぽい。ようするに、主人公とモンスターたちが戦うことに理由はないと思えるんだな。
陸の民と水の民の違いが何なのか。シャーリィがちょっと変わってしまったくらいでコミュニケーションに絶望する感覚って、何なのか。コンピューターRPGは、せっかく異世界を舞台にしているわけでさ、プレーヤーの共感ベースで凡庸な物語を展開するのって、もったいないと思うんだよね。
もうひとつ、モンスターたちが人間やモフモフ族の文明社会と切り離されている(そのことはウェルテス、モフモフ族の村、水の民の里、マウリッツの庵にモンスターが出現しないことからわかる)とすると、山賊のアジトやクルザンド軍のアジトって相当にカオスな状況なんだな、と。
PS2テイルズは、PSテイルズ3部作「テイルズ オブ ファンタジア(TOP)」「テイルズ オブ デスティニー(TOD)」「テイルズ オブ エターニア(TOE)」の戦闘システムを大幅に見直し、「テイルズ オブ デスティニー2(TOD2)」「テイルズ オブ リバース(TOR)」と2作続けて意欲的な新システムを導入してきました。
TOLはPS2テイルズ第3作ということで、PS2テイルズの集大成になるかと事前には期待されていた作品です。しかし実際には、ナムコ社内で格闘ゲームを作ってきたスタッフが中心となったチーム・メルフェスのRPG第1作として、むしろシンプルに先祖がえりをすることになりました。
各キャラクターはHPとTPを持ち、HPがゼロになると戦闘不能、TPがゼロになると「爪術」が使えなくなる……ドラクエ以来、お馴染みのシステムですね。爪術はTOPの「特技」「法術」「召還術」「魔術」、TODの「特技」「晶術」、TOEの「特技」「晶霊術」を総合した概念となっています。
かつて爪術は、遺跡船上に元創王国を築いた「煌髪人」だけが使える能力だったのだが、近年、人間の中にも爪術を使える者が現れているのだという。先天的な能力であるらしい。
爪術の発現の仕方には大きく3通りあって、格闘技や剣術の必殺技として発現するのがアーツ系、いわゆる魔法スタイルで発現するのがブレス系、ジョジョの奇妙な冒険に登場するスタンドのように発現するのがガスト系。セネルはアーツ系、ウィルはブレス系の爪術士です。
結局、名称を爪術に統一しただけで、ゲームシステムとしては従来と変わりありません。
単純に魔法というものがあって、冒険を進めてレベルアップすると新しい魔法を使えるようになる、というドラクエ的世界観は、よくよく考えてみると、いろいろおかしい。もちろん、そういうゲームデザインなんです、といってしまえばそれまで。
だけど、これを素直に受け入れてしまうと「ドラクエとどう差別化するのか」という話になる。劣化ドラクエを作っても仕方ない、と多くのゲームデザイナーは考えるらしい(私は別に「劣化ドラクエ」で困らないんだけど……)。しかし結局、魔法のようなもの(超能力を含む)を完全に排除すると、なかなかRPGって面白くならないんだよね。だから魔法が出てくるのは仕方ないとして、その理由付けに知恵を絞る。
FFやテイルズには、魔法(のようなもの)が存在するのは何故か、というところから世界設定をスタートしたかのような作品がいくつかあります。テイルズではTOP、TOEは物語の展開自体が魔法集めの旅と重なっており、本作TOLにおいてもまた「爪術とは何か」を理解したとき、エンディングはもう目前にあるわけです。
遺跡船内部のモニュメント探索は、ちょっとつらかった。自分が古代人だとして、こんなやり方で後世に情報を伝え残そうとするだろうか。理不尽だと思う。何より、ずっと封印されていたはずの場所にモンスターがうようよいるのが、やっぱり、どうしても我慢ならない。
断片的に提示される古代からの伝言をつないだ映像がTOL開発の初期段階にはあって、社内プレゼンなどに使用されていたのだという。「ネタバレになるから」ゲーム本編から削除されてしまったのだそうだ。残念。
話が見えなくてストレスがたまるというコストを支払うに足るほど、種明かしの衝撃に爽快感があっただろうか? 静の滄我が煌髪人に味方せず、主人公らに力を貸すという状況を見れば、ジェイたちの仮説が誤っていることは明らかじゃないですか。
宇宙から遺跡船に乗ってやってきた煌髪人は、遺跡船を自然あふれる島のような環境に変えて定住するも、大陸で陸の民と戦争になり、光跡翼を発動して大陸の半分を沈めた……というのだけれど、それなら遺跡船内部の小さな海=静の滄我は水の民の味方でないとおかしい。
もちろん、遺跡船の上にかつて栄えた元創王国が、煌髪人の国だったという歴史は重い。しかしこの星の海(=「猛の滄我」)が煌髪人(水の民)に爪術を与え、静の滄我は主人公たち陸の民に聖爪術を与えた、という状況から考えれば、シンプルな真実が見えてくる。
せっかくモニュメントをクリアしても話がよく見えないようにしているのは、ここで「そうか、なるほど」となってしまうと、ラストバトルあたりで物語の種が尽きてしまうからなのだろうけれども、別にそれでもよかったんじゃないかと私などは思うのだけれど。
ゲームをクリアしてもなお不思議なことというのもいくつかあって。
例えば、猛りの滄我の意志を具現化するメルネスによって爪術を奪われた主人公ら陸の民ご一行は、静の滄我によって再び爪術(聖爪術)を与えれらるのだけれど、爪術も聖爪術もパワーは変わらず、技の名前も傾向も何も違いがない。
つまり、こういうことか。個別具体的な爪術のカタチはあくまでも各個人の中にあって、滄我はエネルギー源にすぎない、と。(追記:クライマックスモード発動中の攻撃力などが10%だけ上昇しているそうです)
たとえそうだとしても、まだ不思議はあります。主人公らの爪術にはダブりがないのに、敵の中には主人公らと全く同じ爪術を使ってくる者がいるのです。これは一体どうしたわけか。人間でなくとも爪術が使えることに不思議はないけれど、じゃあ滄我にとってモンスターたちはいかなる存在なのか。
もっとも、陸の民もとくに理由なく10数年前から爪術が使えるようになっており、滄我が不安定な状態となり、エネルギーが自然界に遍在するような状況となっているのだとすれば、理解できない話でもないか。
ちなみにメルネスは陸の民から爪術を奪ったが、モンスターの爪術は奪われていない。人型モンスターも同様。あれ?
エンディングがよくわからない。力尽きて塔の天辺から海面へ落下したセネル、後を追ったシャーリィ、二人とも怪我ひとつしない。スーパーマンか? ともあれ、水中で手を取り合った二人は、極めて荒っぽいやり方ながら「水舞の儀式」(=水の民伝統の婚姻の儀式)を済ませ、晴れて恋人関係にある義兄妹となる。
ハッピーエンド、なのか?
ゲームに限らず、なのだけれど、「破滅を未然に防ぐ」ことを目標に物語を進めながら、最終的には半分くらい破滅が現実化する、という展開は多い。海外ドラマ「24」なんかその典型で、「おいおい、これで原子爆弾が米国上空で爆発するのって何回目?」「今度は原子力発電所がメルトダウン!?」主要キャラも続々死亡。
本格推理小説だと犯人が本懐を遂げてから探偵がようやく真相に辿り着くパターンが一般的で、それと比べればまだマシとはいうものの、「これほどしっちゃかめっちゃかになってしまったのに、バンザイとか喜んでる場合じゃないだろ」といいたくなるRPGは非常に多い。
「テイルズ オブ レジェンディア(TOL)」もやっぱりそうで、「妹」を助け出すことには成功したけど「恋人」は死亡、滄我砲は発射されて某国の霊峰を砕き、平和な共有地だったはずの遺跡船で二大国家の地上軍が激突する。ワルターも殺してしまう。
あと、結局のところ、侵略者も4000年居座れば市民権を得る、みたいな展開なんだよね。これ、人類と異星人の戦いだったら、主人公は人間側で、きっと異星人を滅ぼしてバンザイなエンディングになるんじゃないのかなあ。
相変わらずグリューネだけ話から浮いているとはいえ、今度こそ終りでいいと思ったんだけど、これでまだ半分。レジェンディアの長さは異常! と思ったんだけど、「テイルズ オブ リバース」と大差なく、「テイルズ オブ ジ アビス」はもっと長いらしい。
昔、「天外魔境2」がクリアに60〜100時間かかるというので話題になった。「ドラゴンクエスト7」も長いといわれた。が、「ドラゴンクエスト8」のときは全く話題にならず。標準クリア時間は大差ないのだが。
近年はむしろ、20時間以内でクリアできる作品が、「短かすぎる」としてAmazonレビューで叩かれまくる。短い作品が好きなプレーヤーには悲しい状況だ。いや別に、レジェンディアの場合、ところどころで話に区切りがついているので、私なんかは第4章でプレイをやめればいいだけなのかもしれないけどさ。けどさー。
メインシナリオ最終戦、猛りの滄我と融合したマウリッツ(=ネルフェス)との決戦直前、ネルフェスが決戦のせりふを述べてから、主人公側の台詞回しが数分に及ぶ。どうなってるんだろう……。FF9のラスボス戦後、イーファの樹が今にも崩壊しそうだというのに、延々と会話シーンが続くのと似てる。
ゲームってビジュアルは映画に追いついたといってもいいけど、演出はまだまだだなあ、と思う。まあ、映画でもたまにこういうばかばかしい演出があったりするんだけど、その頻度がね。