演出がていねいなTOL

映画のように楽しみたい、とはいいつつも、RPGで全くそういう風にやられてもなあ……というのが正直なところ。絵的に、というのもそうだし、会話のテンポもやっぱり、ね。

「テイルズ オブ レジェンディア(TOL)」って、好意的にいえば演出のていねいなRPGなんだと思う。やたらめったら会話シーンが長い。映画やドラマと変わらない。むしろどのイベントもないがしろにせず、いちいちきちんと描くので、全体としては相当に饒舌な印象。

媒体がDVDになって科白を好きなだけ入れられるようになったのはいいことなんだけど、強制的に見せる分量は最低限でいいじゃないですか。

というのは、RPGの演出がいくら進歩したといっても、プレーヤーが会話から情報を拾う必要がある以上、オート音声メモみたいな機能を用意しない限り、ボタンを押すまで勝手に会話が先へ進まないという手動会話スキップ機能を捨てられない。結果、科白をプチプチ区切る他なく、流れるような会話は無理。

それに、そもそもRPGってのは、映画やドラマが省略しちゃう部分を、あえてプレーヤーに見せることで成り立ってるもの。演出を贅沢にするとダラダラ長くなってしまう。あのFFだって、SFC時代までは相当にシンプルな演出をしている。

声を聞きつつ進めると1イベントに30分超

TOLはクリアするのに50〜100時間かかるという。メインシナリオを私は23:57で終えたけど、○ボタン連打でこの時間。会話を文字で読むのではなく全部声で聞いてたら25時間越えは確実だったろう。

たとえばウィル編で、TOLには会話を自動で進めるオートスキップ機能があるから、「○ボタンも押し疲れたし……」と思いふつうに声を聞きつつイベントを進めてみた。すると、雷のモニュメント後のイベントが、30分経っても終らない。勘弁してほしいと思った。

ハリエットが駄々をこね、ミュゼットさんの家とウィルの家を3度も行き来する。5分も10分も続く会話イベントの間、家から家へ移動するときだけプレーヤーが操作しなきゃいけない。街の外には出られないし、街の人の科白がいつもと違うわけでもない。何なんだ。これなら移動も自動にすればいい。

で、30分かけてどれだけ話が進んだのかというと……。(FC時代の)ドラクエなら30秒で済ませたろう。オールドゲーマーの意見かもしれないが、それくらい簡潔で必要十分、いちばん快調なリズムだと思うんだ。

RPGは長すぎると思う

映画やテレビドラマだって、この程度のことを30分もかけて扱わない。だいたい連続テレビドラマは1回43〜47分で、全9〜12回、合計8〜10時間くらい。映画は1.5〜2.5時間くらい。4クール(1年)のアニメ番組でも、1回の本編が20分程度で、全48〜52回、本編の合計は16〜18時間でしかない。

DS版「テイルズ オブ ザ テンペスト(TOT)」はラスボス撃破に10数時間、迷宮を制覇して20時間くらい。FC版「ドラゴンクエスト」とあまり変わらない(SFC版はレベル上げに手間取らないので、より短時間でクリア可能)。なのに「短すぎる」と批判の嵐が吹き荒れた。

おかしいですよ。高々数千円で10時間以上も遊べて、「値段が高すぎる」という金銭感覚が私には理解できない。音楽CDやドラマのDVDはもちろん、本や映画と比較しても、ゲームソフトは「安すぎる」でしょう、客観的にいえば。

ゲーマーは時間の節約には関心がないのか。TOLのAmazonレビューなどを見ても、「演出がくどい」という意見は少ない。不思議だ。物言うゲーマーって、なんかズレてると思うよ。

いや、私の方がズレてるのかも。たしかにFC時代のドラクエのシンプルな演出に、私の母は関心を持てないようだった。映画やテレビドラマのように演出してくれないと、入り込めないようなのだ。それがほんとのゲーム初心者なのであって、TOLの演出はゲームが進化した証なのか。

そういえば小説も大長編が多い

描写を詳細に思えばいくらでも長くできる媒体といえば、小説もそうだろう。弁当箱と称される大作がたくさん書かれ、「このミス」の上位にも厚い本が並ぶことが多い。書き下ろしのほとんどない漫画の場合は、雑誌連載時に毎回何かしら盛り上がりを作らなきゃならない制約があって、ダレることは少ないのだが……。

私は300頁超の小説が好きじゃない。もっとシンプルに書いてほしい、と不満に思っている。だけど人気のある本は、レビューなどを読むと、500頁もあるのに「読み終わってしまうのが残念で……」なんて書かれている。

こういうことなのかな、私のようなタイプで「お金を出す人」は少ない、と。お金を出すような人は、こってりしたものを望んでいるのかな。そうであれば、現状は理解できる。

でもどうなんだろう、小説より漫画の方が、RPGより映画やテレビドラマの方が、「編集」の技術に長けていて、より大勢に届いている。スピーディーに物語を展開させる工夫も大切なんじゃないか。

映画的表現を目指すなら編集も模倣してほしい

無駄(というと語弊があるのかもしれないが)を削ぎ落としてコンパクトにする、それは表現者にとっては制約でしかない、のかもしれない。だけど、消費者にとっては逆に、時間という障壁を取り払ってくれるものなんですよ、「編集」って。

やたら大勢と話をさせられる長い長いDQ7のエンディングも悪くはないけど、FC版「ドラゴンクエスト4(DQ4)」の科白なしのシンプルなエンディングの方が印象深いのは私だけでもないと思う。

気球で各地を回り、凱旋して大歓迎される仲間たちと次々に別れていく勇者。DS版の真エンディングでは、故郷を滅ぼしたピサロさえ赦し、ロザリーと静かに暮らす二人を空から祝福する。一人で帰還した故郷の荒廃した風景は、もはや憎しみすらない勇者の虚無感に重なる。その中心で、勇者は奇跡の幻想を見る。終幕。

私は泣けて仕方がなかった。

ふつう、映画のエピローグなんて、たいていワンシーン。長くても3分。映画やテレビドラマを模倣していくなら、編集の妙も見習ってほしいと思う。

PS版「ファイナルファンタジー9(FF9)」のエンディング、見事ですよ、見事ですけど、絶対にもっと刈り込める。全員に十分な量の科白を喋らせたい、どのキャラに愛情を持っているプレーヤーも満足できるように……わかりますよ、わかりますけれども。

「RPGだからエンディングだけで30分以上かかってもいい」という感覚、それでいいのか、という。

ゲームはゲームらしく

個人的には、RPGが映画を模倣しても面白くない、と思っている。なぜなら、映画の演出の基本は「切り取り」だけど、RPGの演出の基本は「簡略化」だと考えているから。

「ロッキー」が体を鍛えるシーンなんて、映画の中のほんの一部でしょ。だけど実時間では、そこがすごく長くて、試合なんか一瞬であるわけだ。少なくともドラクエ型のRPGは、実時間に近い展開となる。延々とフィールドやダンジョンを彷徨(さまよ)う時間が長く、ボス戦は一瞬。

A地点からB地点へ向かうのに、映画ならカットをつないでおしまいだけど、RPGでは実際に全行程を歩くしかない。その代わり、リアルにやったら面倒すぎるから、世界を簡略化するわけだ。

会話や物語のつなぎ方も同じ。RPGではゲームスタート後、メインキャラクター周辺のほぼ全ての会話と体験をプレーヤーに見せていくのだから、いちいちリアルな厚みを持った描き方をしては面倒だ。「ゲーム的会話」などとネタにされても、私には、FCやSFCの頃の圧縮された会話が、プレイしていて心地いいリズム。

TOLでも街の人との会話はまさにゲーム的。だけどTOLはメインキャラクターたちのイベント会話がリアルに長い。もちろん現実の会話はもっともっとダラダラ長い。それはわかるけど、ゲームとしてどうなのか。映画やドラマより詳細でいいのか。

テキトーな提案

会話圧縮モード、とか。TOLでは戦闘ランクを下げると敵HPが減って、戦闘時間を短縮できます。同様に、サクサク進めたい人のために、会話を必要最小限の科白だけにするモードを用意する、みたいな。

30分超のイベントはTOLでも稀だけど、ほぼ会話のみなのに、10分も20分も時間をかけて、ほとんど話が進まないことは多い。1話30分(本編は実質20分)のアニメでこんなの放送したら視聴者は怒るだろう(「キャプテン翼」「ドラゴンボールZ」の例があるから、そうでもない、のかもしれないが)。

ゲームはゲームらしく、その特性に最適な演出をしてほしい、と私は思います。いや、製作者はもちろんそういうことを考えて、それでこうしているんでしょう。そして不満の声も少ない様子。だからまあ、こういうプレーヤーもいますよ、という程度の話ではあります。

補足

私がこれまでプレイしてきたPSテイルズ3部作では、ストーリーの理解に有用な情報も、相当程度、聞くも聞かぬも自由な「スキット」に詰め込まれていました。イベント自体をていねいに演出したい、という作者側の希望を満たすことはできないけれど、けっこうスマートな解決策だと思う。

「静かなRPG」の代表であるドラクエ。DQ7や、リメイク版のDQ4、DQ5では、街でもダンジョンでもフィールドでも随時、仲間の科白を読むことができるようになっている。もちろん科白が用意されていない場所も多いので、空振りはあるし、ここで科白があるよ、という合図もないから不親切だ。

だけど、ダンジョンを進む途中、何もないところでも強制イベントへ突入し、仲間たちの会話シーンを見せるTOLは面倒くさすぎるんじゃないか。たしかに映画やドラマなら、ここでワンシーン用意するだろう。だけどそれは、道中をほとんど略す前提があっての話だろう。

何か起きたときだって、いちいちキャラクターの反応を見せる必要があるのか。プレーヤーが「おおっ」と思うだけでも十分だったりはしないか? DQ7のダーマ神殿(現在)にガボを連れていくと、転職するなら過去ダーマのフォズ大神官と決めてるんだい、と駄々をこねる有名な科白も、ボタンを押さなきゃ表示されない。

これくらいでいいんじゃないか、と私は思うのだけれど。だったらドラクエをやってりゃいいだろ、という話じゃないよ。PS版「テイルズ オブ エターニア(TOE)」でキールとメルディが心を通わせていく過程を、本編ではどう描いていたか。僅かな会話と印象的な出来事(図書館など)の組み合わせだったでしょう?

TOEはCD3枚組のボリュームを活かしてたくさんのスキットを扱っている。それをていねいに聞いていけば、TOLのように膨大な会話を通して、キールの警戒心が解けていった過程を理解できる。でもそれは、聞きたい人が聞く、という穏当な演出になっていた。

強制イベントにしないと、会話の中に伏線を入れられない、といった都合があるのはわかる。たしかにTOLをやっていて、「そういえば、あのとき……」という展開がたくさんある。そのよさは理解できるのだけれど……って、これは私の了見違いかな。単に私が、TOLの想定プレーヤー像から外れているだけ。

FCゲームのような省略の美学についていけない人が世の中の真の多数派なのだろうし、初心者に敷居の低いRPGを作ろうとすれば、TOLみたいになるのかも知れない。没ネタ以外は全て強制イベントという線引きも、いちいちプレーヤーに判断させるな、という判断だろう。

[了]

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