備忘録

平成19年1月18日

1月30日に Windows Vista が発売されるそうで、パソコンの年末商戦は低調だったという。こんな馬鹿な話はない。いや、自分で OS をインストールできたりするような人はどうだっていいけど、メーカーがインストールした OS を死ぬまで使い続ける私のような初級者ユーザなら、今こそパソコンの買い替え時なのだ(と思う)。

WindowsXP に出会ったのは大学4年のときだけど、店頭で XP プリインストールマシンを触ったときの衝撃は忘れられない。こんなスローモーなパソコンを売るなんて犯罪じゃないのか、と思ったのだった。昔、父がミーハーで買った Windows3.1 を動かすのがやっとのパソコンに新聞で話題の Windows95 をインストールし、「どうだ、これならお前も使ってみたくなるだろう」と紹介してくれたときのことを思い出した。

寒い冬の日で、まるで腹話術のように動作するマウスカーソルを追い、印刷命令を出してから5分近くもガタガタ震えながらプリンタが目覚めるのを待っていた。裕福とはいえない家庭である。すべての部屋に暖房器具を入れることもできないというのに、月給に近いお金をこんな道楽につぎ込むなんて、と私は憤りを覚えたものだった。後で他の人の話を聞くに、父はちゃんと母との約束を守って激安の商品を買ったので、そんな悲惨なことになったものらしいが、当時の私にわかるはずもない。

父は嫌いになれない。必然的に、怒りはパソコンに向かったのだった。

とまれ XP である。当時、工学部生の私が使用していたパソコンの OS は Windows98SE だった。購入当初の 64MB のメモリではとても使用に堪えず、1年間苦心惨憺した挙句、192MB までメモリを増設してようやくバリバリ使えるようになったという経緯があった。ところが XP は 128MB のメモリを積んだマシンが異様な重さ。たまらんなあ、と思った。

会社に入ってみると、NT はほぼ駆逐されて Windows2000 が主力となっていた。128MB のメモリを積んだ事務機は微妙な操作感だったが、シミュレーション用に 512MB のメモリと高速な CPU を積んだマシンを使ったときの感動は今も覚えている。

だいたい CPU はそのうちに改善されるので、しばらく買い控えていれば重い OS に追いついてくる。しかしメモリの仕様はなかなか変わらない。遅いパソコンの悲しさは強烈な初期体験として身に染み付いている。それでなかなか買い替えの踏ん切りがつかず、とうとう前述の Win98SE マシンが故障するまで待つこととなった。

3年間の延長保障期間を過ぎてからの(飽きたので中断)

平成19年1月18日

日本ユニシス勤務の伯父がいたり、他にも70年代からのパソコンユーザという伯父がいたりしたこともあって、幼少時、愛知県の母方の実家へ帰ると、決まって一度はパソコンに触れる機会があった。簡単なゲームなどをやらせてくれたりしたのだけれど、不器用な私は3歳にしてキーボード恐怖症となり、以後18歳になるまでキーボードを毛嫌いし続けた。

高校時代、私は文芸部員でありながらほとんど何も作品を書かなかったが、それは「自分で清書すること」というルールのためでもあった。ワープロに向かうとキーボードに圧倒され、苦手意識が悪く作用して1日かけても400字程度しか書けず心身ともに疲れ果ててしまうのだった。その一方で幼児期以来の「文章書けない病」を克服し、部内回覧のノートに大量の文字をせっせと書き込んだことを懐かしく思い出す。

私の父が例によってミーハー精神を発揮してパソコンを買ったのも私の高校時代だった。Windows3.1 の頃で、Word が入っていた。月給20万円台の家庭で父親が趣味に投じられるお金なんて高が知れている。安いパソコンの悲しさよ、何をするにもスローモーション、印刷ボタンをクリックしてから2分も3分もたってからプリンタがカタカタと動き出すのだった。

パソコンから出力されたギザギザの文字、その表現力の低さと操作性の悪さ、その上、起動を待つ間にカップラーメンができてしまうのんびりペースは私に強烈な印象を与え、パソコン嫌いを決定的にした。大学に入り、「手書きのレポートは受け付けないよ」という教授の冗談を真に受けた私が買ったのがワープロだったのは、そのためだ。

ワープロは起動が早く、プリンタ内蔵だから総合的にコンパクトで、ACアダプタもなく、感熱紙は安くて、白黒でよければ印字結果は見事なものだった。CASIO の Darwin という機種だったが、いい機械だったなあ、と思う。1998年春、家電量販店でパソコンと同等以上のワープロ販売コーナが作られた最後の時期だったかと思う。工学部に入学したのにワープロを買った私に両親は驚き、「パソコンを買うお金くらいあるぞ」としきりにいっていた。

私がパソコンを買ったのは2000年初春のこと。Windows98SE を搭載した NEC 製のパソコンで、19万円くらいだったと思う。大学の実習でレポートを書く際、実験結果をまとめてグラフを書くのに表計算ソフトを使いたかったのだ。(飽きたので中断)

平成19年1月9日

労働組合が頑張っている会社に勤務していると、ピンと来ない話というのは多い。

例えばサービス残業。文句をいう暇があるなら、さっさと帰宅すればいい。経営側がそれを不愉快に思って解雇をチラつかせるようなら、労組が黙っちゃいない。

逆にデキる人に仕事が集中して過労死、なんてのも不思議。みんな定時で帰る、そうすればこんな問題、起きるわけがない。一定の時間内にたくさんの仕事をこなすのが優秀な人であり、何も死ぬほど働かなくたって、能力と名誉・給与はきちんと対応するはずだ。

人が足りないなら増やせばいい。変動負荷なら派遣やパート、固定負荷なら正社員を増やす。

結局、それができないから問題が生じるのだろうけれど、ようは定時で帰宅する社員たちに払えるだけの給与にしておけばいいわけでしょう。同じプロジェクトを回すのに同業他社よりたくさん人を使うのだから、1人あたりの給与はその分、少なくする。それで何か問題あります?

「その他大勢」の側にいる人々は、労組の強い会社に入るべき。あるいは、労組を結成して、勤務先をそういう会社にしていくべき。なぜそれをしないのか。……なんて迫るのも「強者の論理」なんですかねえ?

ホワイトカラーエグゼンプション(WE)について安倍晋三総理大臣は「労働時間短縮に有効」との所見を披露されたそうだけど、本来そうあるべきだと思う。(参考:柳澤伯夫厚生労働大臣会見2006-01-05

「頑張ったけどノルマをこなせませんでした」という場合に、「じゃあクビね」と短絡することを法は認めていないはず。分裂勘違い君が書いているように、WE が無能な人を排除するとすれば、それは構成員一人一人がそのような空気(文化)を是としてしまうからに他ならない。

定時に帰るのは労働者の権利であり、時間内に終らない仕事を割り振るのは上司が悪い。残業は上司の割り振りミスから生じるもので、労働者は必ず残業代をもらわねばならない。残業代を払わない会社は、法令に違反している。世の中に仕事のできる人間とできない人間がいるのは当たり前で、だから給与格差とか昇進の差が生じる。各自、分相応に仕事をすればよい。

ようするに、定時で帰る労働者こそ正しいのであり、平気な顔して残業してる方がおかしいのだ。

こういう原則をきちんと教えないでいると、「定時で帰る奴はクビにすればいいのに!」といった空気が職場に蔓延する。失業者は税金で生かすのだから、基本的人権を尊重する現代の日本社会においては、できの悪い仲間を会社から追い出して気分爽快になったって、大局的には無意味なことだ。定時に帰る人が「申し訳ない」と引け目を感じたり、無能者のレッテルを貼られたりするような文化が払拭されない限り、過労死は減らない。日本の労働者は幸せになれない。

「負け組」の自愛が「正しい」ならば、「累進課税緩和と法人税減税、消費税に賛成」と主張する民主党が勝っても無意味。「所得税の累進課税を強化+法人税増税→消費税撤廃」という政策を掲げて275の小選挙区を戦った共産党を支持するのが正解。

結局、残業せずに自分が生み出せる付加価値よりたくさんの給与がほしい人が多いということなんだろうな。あるいは、役付きの給与を分捕って一般社員に分配するより、自分が偉くなって勝ち組になるほうがいい、と考える人が多いのか。で、そのためには現在の無理・無茶は厭わない、と。

そういう考え方、変えた方がいいと思いますけどね。

もし小泉圧勝後に噴出した「格差社会への憎悪」が本物なら、民主党は税制に対する考え方を転換して所得再分配の強化を訴えてほしい。郵政民営化選挙じゃないけど、格差問題について、国民に選択肢がないのは困る。共産党じゃ、その他の政策が問題あり過ぎで選択肢にならないよ(私の場合)。

関連

参考記事

議事録を読む限りでは、抑制された内容に見えます。今後、経済が安定成長軌道に乗り労働環境が売り手市場となっていくなら、人々の心配は杞憂に終るのですが……。

逆リンク!

まかさ Yahoo!ニュース - ホワイトカラーエグゼンプションで関連サイトとして紹介されるとはね。Yahoo!ニュースの編集者はすごいね。自動で選んでいるならもっとすごい。

平成19年1月9日

1日1冊の本を読む方法を指南する本田直之「レバレッジ・リーディング」(東洋経済新報社)という本が一部で話題になっている補足)のだという。

年間1200冊以上を読む弾さんは、年間400冊という著者の読書量は「多読」といえないのでは? とのご意見。年間3000冊以上本を読んでいる日垣隆さんはすごいけど、読書にたいして蘊蓄を垂れるには、このレベルが基準点なのではないだろうかというのは、一般的には厳しすぎると私は思う。

絶対的な差異はトップクラスの中にある、という(よくある)話でしょう。仮に上位1%と上位10%に10倍の差があるにせよ、上位10%の読書家を多読者と呼ばないのはオカシイのではないか。

2005年の出版物総販売部数は約36億冊であり、日本人は1年間に書籍・雑誌(コミック含む)を1人あたり平均30冊消費していることになります。古書業界の影響力は新刊販売の約1割と予想されている[pdf]けれども、それを加味しても33冊ですか。厳しく判定しても、平均の10倍も出版物を消費する人は多読者と呼んでよい、と私は考えます。

私の読書量など大したことはありませんが、それでも小学校時代はクラスで一番、学校で2番目にたくさんの本を読む子でした。中学高校でも読まないなりに上位10%ではあった、と断言できます。読書家の集まりで年間100冊程度の読書量を誇るのは恥ずかしいことですが、一般人の中であまり謙遜すれば嫌味になります。

閑話休題

水素を燃やして「これが水爆の原理です」といってる理科教師がふつうに存在する状況さえ、私は許容しています。その程度の科学的知識の欠如は、小中学校で理科を教える者として致命的でないと考えるからです。漢字を書けない国語教師、47都道府県がいえない社会科教師、いろいろいましたが、みないい先生でした。

1日1冊を読む方法を教えるなら、年間400冊を読むくらい人が適任ではないか、という感じがします。

私の本の読み方

「18行×40字の版面で1ページ1分」が私の読書速度です。私が読書記録の中で行数×字数×頁数というデータを大切にしているのは、読書に費やした時間を記録したいからです。

本を読んで自分がマシな人間になったという感覚はほとんどなく、私にとって読書とは時間とお金の浪費に他なりません。何の役にも立たないけど、楽しいから読んでいる、それだけ。だから読んだ本はどんどん処分してしまう(ヤフオクやブックオフで売るか廃品回収に出す)。

常時200〜500冊くらいある蔵書の約9割が「これから読む本」です。年間100〜300冊くらい読むので、私の書棚(注:ダンボール箱を積み上げてあるだけ)は相当に高回転ですね。ま、そうでなくては四畳半の社員寮で4年間も快適に過ごせたわけがない。

中古品を気軽に売れる素晴らしさ

昨年、後生大事に保管していた雑誌を売ったら3万円超の値がつきました。些細な出費を気にして入退会を繰り返している人もいるそうですが、売りたいときにサッと売りに出せる、そして利用者が多いから確実に落札される、この環境を維持するためなら、ヤフオクの会費は高くない。

映像の世紀」を買うとき、ふつうの人は64000円は高い、と考えるでしょう。私は「ヤフオクで売れば40000円にはなるな」と予想し、24000円の買い物と判断します。PC周辺機器も同じ。7000円で買ったPCカードアダプタが、散々使って不要になった段階で3500円で売れる、これは革命的だと思います。

同様に、近所にブックオフがあれば、新刊書を大学の生協と同じく1割引で買えることになります。蔵書を持たない、と決めてしまえば、そのように考えることが可能なのですね。これもプチ革命的だと思います。

平成19年1月9日

昨年の話題。

田中秀臣さんの近著「経済政策を歴史に学ぶ」への批判です。矮小化された「構造改革」への批判という文脈で大きな「構造改革」を考えていた先人の主張を読み直すのは、プロクルステスの寝台の故事と同様の誤りだ、と濱口さんは主張されています。

おことばではございますが、それはいささか道理がちがうのではないでしょうか。世の中、何事も様々な視点がございます。各種分類にしても、ある視点から見れば論敵と思えるものが、別の切り口では同じ船。あるいは仲間と見えたものが、よくよく見れば同床異夢。こうしたことはよくあること。そしてそうした別の見方の提示こそが、各種分類学や系譜ゲームの醍醐味かと理解しております。

さてそこから見れば、「リフレ史観」なるものは、そうした一つの見方の提示。田中氏とて、それしか見方がない、それだけが正しいなどと申しておるわけではいささかもございません。hamachan殿の見方(というのはよく存じておりませんが)を否定するものでもありません。とすれば、それが提示されたことは、新しい見方の登場として言祝ぐべきことでこそあれ、否定すべきものとは毛頭思えません。

私は山形さんのコメントに賛成です。ただ、濱口さんの気持ちはわかりますし、書かれた批判も有意義だったと思います。

例えば私は濱口さんの文章を読むまで、「構造改革」がマルクス主義の一派で、革命ではなく、漸進的に社会主義化を進めるという考え方を指す言葉だったと知りませんでした。また一部と全部の取り違えは珍しくなく、一面的な批判を「一面的である」と指摘すること自体は、社会に役立つ行為だと思います。

ここで注意すべきは、結局のところ「全部」を批判するなんて(人間の言語や認識の限界ゆえ)不可能だということ。それでも全肯定・全否定の需要は厳然と存在するから、仕方なく部分への批判を全部への批判に読み替える技術が必要とされ、みな無意識の内にこうした能力を身につけ日常生活の中で駆使しています。

濱口さんは田中さんによる先人への批判を長期的視野から資本主義社会、近代社会の有り様を深く、本質に分け入って考察した実績を近視眼的なものの見方で全否定するものと解釈し、社会科学系の歴史家の行為として誉められたものではないと主張なさいました。これはちょっとなあ……と思うので私は山形さんに賛同するわけですが、濱口さんの解釈も理解できます。

「部分」を「全部」に読み替えるような「無意識の働き」は、なければ不都合だけれど、ときにコミュニケーションを難しくするもの。四六時中、気にしているわけにはいきませんが、何か起きたときには「問題の発生源はここかな?」と探索してみるとよいでしょう。(って誰に向けて書いているんだろ?)

補記

1994年1月25日初版発行の佐和隆光「平成不況の政治経済学 成熟化社会への条件」(中公新書)には、以下の説明があります。

「変革」という言葉も「改革」という言葉も、ついこのあいだまでは、紛れもなく左翼用語のひとつと目されていた。たとえば「構造改革」とは、一九五六年にイタリア共産党のトリアッティがうちだし、六〇年代以降の日本やヨーロッパにおける社会主義運動にそれなりの影響を与えた、相対的には穏健な「革命路線」のことである。その意味するところは、資本主義の政治・経済・社会構造を部分的・計画的に改革することにより社会主義革命をなしとげようというわけである。「新前川リポート」(一九八七年)が、構造改革という言葉を避けて「構造調整」という言葉をもちいたのも、構造改革という言葉のもつ歴史的拘束に配慮してのことだと推察される。しかし、細川政権が誕生して後は、もはや「構造改革」という言葉は左翼用語ではなくなり、官庁用語のひとつとさえなったのである。

佐和さんが親切なのか、1994年当時はまだ、「構造改革」という言葉を留保付きで用いるのがマナーだったのか。「書いていないこと」を「わかっていないこと」と短絡する読者は困り者。けれども、そういう人は常にいるのだから、とくに誤解を招きやすい点は先回りしておくべきかもしれない、とは思う。

でも、「構造改革」と書くたびに留保をつけねばならないとすると、相当に面倒くさいよね。

平成19年1月5日

2006年回顧 サイト編

備忘録の2006年を振り返るに、ひとつ特徴的なのが書き手の意識の変化です。明瞭に「備忘録はプチ論壇系ブログ」と自己規定したのです。

MT 導入が2003年11月、2004年の末頃には迷いが出始めたものの、2005年にはまだ、「テキストサイトの生き残り+CSSコミュニティ最後の世代」という気分でいました。でも2006年になると面白系テキストサイトもウェブ製作の雑誌や本もほとんど読まなくなってしまい、意識と現実のズレがハッキリしてきました。

実質的には2004年来の状況を追認しただけですから、読者の方にはおそらく何が変わったのか分からないと思います。けれども静かな変化はあったようで、カトゆーさんにとうとう一度もリンクされないまま終りました。

ところで2006年の原稿(HTMLファイル)の総量は約1.3MBで、当然、2005年の約1.6MBや2003年の約1.7MBには負けるものの、じつは2004年の約1.2MBを上回っています。超長文記事などの影響でしょうか。

おまけ アクセス推移

アクセス推移

これは deztec.jp 全体のアクセス状況です。夏場の閲覧者増は夏休みの宿題の集客力を反映したもの。全体的にページビューは漸減傾向となっています。

2006年回顧 生活編

サイトに何らかの記事を公開している範囲について、2006年の生活を振り返りますと……。

まず大学卒業+会社員生活スタート以降、何の変化もなかった生活スタイルだが、2006年3月に社員寮の入寮期限を迎え、(本当の)一人暮らしがはじまったのが、最大の出来事か。料理は案外楽なもので、掃除も大した手間ではありませんでした。他人を家に入れないと決めれば、何でもラクなのです。

きつかったのは夏場の症状悪化。約3ヶ月も苦しめられ、備忘録の更新がすっかり滞ることになりました。専門医に処方されたツムラの漢方薬が驚くほど効き、助かりました。年末に再び更新が停滞した理由? これは自分でもよくわからない。

2005年は経済書をガンガン読んで311冊を読了したけど、2006年は280冊の読了にとどまりました。前半の貯金が大きく、意外に健闘した感じ。

余暇の多くを注ぎ込んだのが映像作品の鑑賞。引越しのため通勤の途中でレンタルDVD店に寄ることが困難となったことから、オンラインDVDレンタルサービスを利用することにしました。その結果、2005年には250枚だったDVDの鑑賞枚数が、2006年には582枚へ倍増したのでした。

まとめると、体調不良で苦しみつつ本を280冊読んでDVDを582枚鑑賞し備忘録もけっこう書いた……わけか。一体いつ仕事をしていたんだろう。有給休暇は月1日ペースで、ほとんど体調不良のために消費しました。私の虚弱体質は同僚全員の常識となったようです。

ちなみに貯金は100万円増えました(注:手取年収は300万円未満)。食事つきで月額1500円の家賃だった社員寮を出たのに、なぜ年間の貯金額が以前と同等なのか? 寮を出て以降、家計簿をつけているが、妙なお金の出入はない。2005年まで年間125万円ペースでしか貯金が増えなかったことが、むしろ不思議。

2007年展望

このところウェブに接する時間が低下気味なので、2007年は備忘録の更新停滞が予想されます。

日常生活は変化が乏しいことでしょう。仕事はもう少し頑張らないとよくないと思う。毎年そういっていて、なかなか進歩がないわけだけど。