ハーバード白熱教室ノートの欄外:サンデル教授の六本木講演は失敗だった?
1.
8月27日のサンデル教授の講演では、会場で手を挙げて発言した人が、教授の反駁によって次々に当初の主張を撤回していくという場面が繰り返された。
当日、会場にいて手を挙げながら指名されなかった人や、ネット配信でその様子を眺めていた人の一部は、そのことに落胆したり、悔しがったりした。ただ,
私の視界に入ってきた発言のほとんどは、気持ちを吐露するだけで、背景にある考え方がよくわからないものだった。だから「ああ、そういう人もいるのだな」としか反応できなかった。
だが、今日あらためて検索してみると、ある程度まとまった意見をいくつか見つけることができた。
- twitterのハッシュタグ#JusticeJPで29日に交わされた議論
- 件の発言者たちは、ディベートの訓練または反駁を予想した自論補強の準備が不足していたので、よく考えれば十分に予想されたはずの反論に対応できず、腰砕けになったのだという。
- 日本人が英語で話すと論理的な構成力が下がるのかどうか。 : ひろゆき@オープンSNS
- 弱い議論をした発言者は、どちらかといえば英語で発言しようとした方に多かったように思えるので、日本人と英語の組み合わせに問題があるのではないか、という。ひろゆきさんの仮説は「論理的構成力が低いけれど、英語を披露したがる日本人がいる」「英語で話すと、論理的な構成力が下がる日本人が多い」この2つ。
- Haruka Tsuboiさんの意見
- サンデル教授は講演の冒頭で正義を説明する3つの考え方を紹介し、その先の議論を整理する補助線を引いているのだが、発言者たちの多くはその点を全く理解しておらず、その場の思いつきか従来からの持論を述べるばかりだった。結果、講演に資する発言者になれなかったのだという。
2.
私の感想はHaruka Tsuboiさんに近い。ただし、『ハーバード白熱教室』の学生たちの議論をていねいに追いかけた者としていわせてもらうと、ハーバードの学生たちも、自分の立場を明確に定めてはいなかったし、思い付きを話していたので、簡単に腰砕けになったり、論理の破綻を主張のエスカレートで糊塗したり、といった場面はたびたびあった。
- 例えば、雑誌で講義のハイライトとして取り上げられたアファーマティブ・アクションに関する議論では、ダニエルとハナのやり取りが興味深い。ダニエルの批判に対し、ハナはほとんど何も答えず、新しい、より大きな主張を打ち出して、結論を死守しようとする。最後には当初ハナが最重視していたはずの人種問題が消え去ってしまうことに、私はポカンとした。
- 代理母出産に関する議論では、アンドルーが当初の主張をあっさり取り下げてしまう。講義の構成上は突っ張るべき場面であり、もったいなかった。アンドルーが譲歩した内容が、講義のまとめでは「多くの人々が譲れないと考えている部分」とされてしまい、締まりのないことになっている。
- ロックの社会契約論に関する議論では、粗雑な主張がいくつか登場する。ロシェルはロックを悪党と決め付けてその理由を説明しないし、学生Aもまたニコラの説明を無視して自分の論理を一方的に押し付ける。
- あるいは同性結婚に関する議論では、サンデル教授はリベラリズムと共同体主義を対比させようとしている。ところが、とくにLecture24の議論は、実際には功利主義と共同体主義の対決になっている。これは教授のミスだと思う。
- 同様にサンデル教授の議論に疑問を感じるのがロールズの格差原理に関する議論だ。マイクの主張を反証するために教授が示した事例は、イメージ戦略としては一定の成功を収めているものの、じつはマイクの主張と論理的に正対するものではない。ゆえにマイクの主張は相変わらず力を失っていないように見えるのである。
- 契約の義務に関する議論では、ジュリアンが迷走する。最初の主張がうまくなかったので第2の例を出すのだが、勢いに乗った教授は、ジョークによってこれを吹き飛ばしてしまう。面白かったけど、それでいいのか? ちなみにジュリアンが言葉にできなかった部分は、続くアダムがきっちり発言し、一矢報いる形になった。
- そしてリバタリアニズムに関する議論は、全面的にひどいと思う。教授の方針がリバタリアニズム批判に偏っているのもひどいし、擁護側に立ったジュリアの言葉足らずも、それが全くフォローされないこともひどい。
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注意書き
- 筆者は徳保隆夫(とくほたかお)です。1980年愛知県生まれ。千葉県成田市育ち。メーカーに技術者として就職後、関東各地を転々としています。……という設定です。
- 私の文章は全て実記ではなく小説なので、客観的事実と異なる記述を多々含みます。
- 著作権は主張しません。詳細はInfoで、過去ログなどはNoteでご案内します。