例によって、学生の発言を中心とした「議論」の部分のみ取り上げる。
Q1 政府や法が存在しない状態でも、私有財産権が生じるというロックの考え方は、成功しているだろうか?
基本的人権の尊重は日本国憲法にも謳われているが、財産権は公共の福祉のために制限されることが非常に多い。租税はその代表だが、家や土地も、空港や道路などの公共投資の都合で(一定の客観的な合理性はあるものの主観的には納得できない)補償と引き換えに奪われることがしばしばあった。生命や自由と比較すれば、個人の財産権が保護される度合いは低い。
なぜ財産権は生命ほど強力には保護されないのだろうか。中でもとくに、労働によって得た賃金と比較してもさらに、土地に対する権利は大きな制約を受けることがしばしばあった。それは何故か? と考えてみるに、「そもそもは誰のものでもなかった土地を、誰かが私有するに至った過程」に疑念があるからではないか、という議論が立ち上がってくる。現代の先進国の中にも、シンガポールのように土地の私有を認めていない国家が存在する(シンガポールの場合、特殊な事情が絡んではいるが)。
リバタリアニズムの議論においても、「取得の正義」は重視されている。土地の私有に根本的な疑念があるとすれば、土地に対する財産権の主張は取り下げる他ないといえるだろう。さて、土地の私有を擁護するロックの主張に対し、学生の反応はどうだったのただろうか。
約半数 説得力がある
約半数 説得力がない
ご覧の通り、意見は割れた。この結果を受けて、サンデル教授はまず、ロックへの反論を募った。
(ロシェル)ロックは、ヨーロッパ人の文化的規範を正当化しようとしていると思います。ネイティブアメリカンはアメリカお土地を文明化できなかったけれど、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到着したことで、そのままでは起きなかったかもしれないアメリカの発展が出現したからです。
(教授)つまり、土地の所有権を守るための弁護だと思うんだね。
(ロシェル)はい、到着したというだけでは、その土地を手に入れたとはいいにくいからだと思います。
(教授)ロシェルはヨーロッパ人が入植した頃、北米で何が起きていたかを考えると、所有権に関するロックの説明はそれに適合しているという。ロシェル、つまりそれは土地の占有を正当化するための弁護だということだね。
(ロシェル)はい、ロックは名誉革命も正当化しています。だから植民地化を正当化することがあってもおかしくないと思います。
(教授)なるほど、たしかにそれはおもしろい説だね。賛成意見も多いだろう。
これは動機を問う議論である。主張の内容を無視して、搦め手から攻撃するやり口なので、詭弁の一種としても知られる。しかし現実の討論においては、きわめて強力に機能することが少なくない。
ちなみに、ヨーロッパ人が一方的に土地を収奪したと見るのは、実質的にはかなり当たっているとしても、形式的にはあまり正しくない。先住民がとくに利用していなかった狭い土地に住み着き、その後、様々な軋轢を平和的に解決せず武力衝突を招き、賠償に近い形で広大な土地を奪う、といったケースを考えてみてほしい。実態としては単なる侵略と違いはないかもしれない。しかし移民たちは、自らの道徳的な正当性を、形式的に築こうとしていたのである。
北米先住民がヨーロッパ人の経済感覚や契約の概念に疎かったことから、詐欺に近いような形で土地を奪う事例は珍しくなかったという。それでも、ヨーロッパ人が先住民の土地所有権を完全に無視して進出していったわけではない。それなら詐欺的な契約すら必要なかったはずだ。
取得の正義と移転の正義の概念を無視すれば、自分が獲得した土地に権利を主張するのは難しいという理解を、ヨーロッパ人は持っていた。自分が単に銃を振りかざして手に入れた土地は、他人の暴虐によって、いつ手放さざるを得なくなってもおかしくない。だからヨーロッパ人たちは、先住民の暮らす土地を手に入れる際には、何らかの契約という形を作ることにこだわった。
ところで、先住民たちは土地の私有という概念を理解できず、どうして白人たちは土地の権利などというものをやり取りできるのか、と疑問を述べた、といった類 の逸話は有名である。しかし集団ごとに縄張りがあって、他の集団の構成員が自分たちの縄張りの中で好き勝手をすることを許さない、という考え方は持っていた。それはヨーロッパ人の土地所有の概念とはいくらかのズレはあっただろうが、人間が自然の土地を区切って権利を定める点で、根本的なアイデアは共通している。
なぜ特定の部族が特定の土地に特別な権利を持ち、異民族の侵入や利用を禁止できるのか? そう考えてみれば、北米先住民の地権感覚もまた、ロックがしたような説明に合致しているといえないか。
(教授)ロックの議論の有効性についてはどうだろう。ロシェルのいうように、これは土地を囲っていなかったネイティブアメリカンから北米の土地を取り上げることを正当化するのかもしれない。だが、そもそもロックの理論は正しいのだろうか、それとも彼は単に道徳的に正しくない行いを正当化しようとしているだけなんだろうか。
(ロシェル)後者だと思います。個人的な意見ですが。
サンデル教授が問うているのは、ロックには暗い動機があったとして、その主張自体も間違っているのかどうかだ。ロシェルは、直感的にロックを否定して、その根拠を何ら説明しなかった。
この先の展開は2通り考えられる。ひとつは、ロックの主張を否定する理由を明らかにしていくこと。もうひとつは、ロックを支持する意見を求めること。サンデル 教授の選択は、後者。
(教授)ロックを弁護できる人はいないかな?
(ダン)ロックがヨーロッパ人の植民地化を正当化しようとしたという証拠はありません。たぶん植民地化は正しくないでしょう。それは彼が『統治二論』でいっていた戦争状態です。
(教授)つまり、ネイティブアメリカンとヨーロッパ人の入植者との間で起きたことは戦争状態だと。では、土地の所有権についてのロックの議論はどうだろう。これ
が妥当なものなら、入植者が土地を占有して、そこから他のものから排除したことは正当化されるのだろうか。ロックの理論をどう評価する?
(ダン)ロックはある特定の土地でどんぐりを拾ったり、リンゴを摘んだり、バッフォローを殺したりすれば、労働によってその土地自体も自分のものになるといっています。だからその定義によれば、ネイティブアメリカンも周りをフェンスで囲っていなかっただけで、土地の権利を主張できたはずです。
(教授)なるほど、ありがとう。他にロックを弁護する人は?
(フェン)ロックは、土地を私有できない場合もあると指摘しています。例えば、人々の共有財産である土地を獲得することはできません。ネイティブアメリカンの場
合は自分たちの文明を持っていて、土地を共同で使っていたと思います。ですからそのような共同財産を取り上げることはできません。
(教授)それはおもしろいね
(フェン)また、他の人のために土地が残されていることを確かめない限り、土地を取得することはできません。自分が取得したのと同じくらい良い土地が他の人たちのために十分に残されているかどうか確かめる必要があると思います。
(教授)その通りだ。ロックは土地の私有財産権には他の人のために同じくらい同じように良いものが残されている、という但し書きがるといっている。フェンもダン
と同じく、ロックの主張はネイティブアメリカンにも有利に展開できる部分があるといっている。
講義の中では、あたかもヨーロッパ人が一方的に土地を蹂躙していったかのような前提が共有されている。しかし実際には、ロックの議論が北米先住民の権利を擁護することは、よく理解されていた。そうであればこそ、悪党どもは「難癖をつけていさかいを起こし、賠償として土地を奪う」といった手間をかけたのだ。
土地を奪われた側にとってみれば、ひどいやり方で理不尽に土地を奪われたことに何の違いもない。だが、そうした被害者の視点だけで物事を考えると、悪党を倒す道筋はなくなってしまう。悪党たちが敬意を払う道徳の原理を観察し、それを逆手にとって利用する方法を考えねばならない。
ロックは、人々が独立した自然状態では自然権を守ることはできず、それゆえ社会契約が求められるのだと論じた。自然状態の不都合は明白なので、文明社会では実質的に全員が社会契約に暗黙の同意を行っているとみなせる。よって人々は自然状態の執行力を放棄し、民主的に意思決定する政府に同意する必要がある。
……というのが、ロックの社会契約論の骨子である。
(教授)ここで少し考えてみて欲しい。富を均等に分けるのに、マイケル・ジョーダンとビル・ゲイツに反対だという人がいた。では、富を多くの人に分けるのに、少数派に課税することがなぜいけないのか、ということについて、ロックが説明していると思う人は、手をあげて。
(ベン)もし多数派が課税すべきだと定めたとしても、少数派は必ずしも支払う必要はないと思います。それは自然権の1つである所有権を侵害することになるからです。
(教授)もし多数派が少数派に対して同意を得ることなく、特別な課税法に基づいて課税したとすれば、それは無断で所有権をとりあげることと同じことだから、ロックはそれには反対するはずだと君は思うんだね。君の意見を文章で裏付けようと思うんだが、どうだろう。
(ベン)いいですね。
(教授)そうか、君がそういうと思って持って来たんだ。
流れるような講義の展開。素晴らしい。
ここで紹介されたロックの言葉は、ノートを参照のこと。
ロックは、不可譲な自然権は多数決によっても侵害することはできない、とする。しかし、人々の権利を守るために形成された社会を維持するためには、みなが私 財の一部を提供しなければならない。ただしそこには、民主的な同意の手続き(=間接民主制による多数決)を要する、という。
「ここからが重要だ」とサンデル教授は語る。
(教授)財産を恣意的に取り上げるのは自然法の侵害であり、違法である。だが、財産には協定的な側面がある。そして、何をもって財産とする
か、何をもって財産をとりあげたとみなすか。そういった定義するのは政府なのだ。
ここで教授は、疑問や意見を募った。
(ニコラ)政府がすでに機能している場合、政府のあるところに生まれた人たちはそこを出て、自然状態に戻ることは可能なのでしょうか?その点についてロックはどう考えていたのか疑問に思います。それには言及していなかったと思うので。
(教授)君はどう思う?
(ニコラ)習慣があるので政府を離れるのはとても難しいと思います。なぜなら、もう誰も自然状態では暮らしていないからです。今では誰もが立法機関に統治されています。
(教授)例えば君は、自分の同意を撤回して、自然状態に戻りたいとしよう。
(ニコラ)実際、同意したとは思っていません。私はそこに生まれただけで参加したのは祖先です。
(教授)君は社会契約にサインしていない。私もしていない。では、ロックは何といっているだろう。
(学生A)ロックはサインが必要だとはいっていないと思います。これは暗黙の同意です。政府のサービスを受けるのは、政府に何かを奪われることに同意したのと同じです。
(教授)なるほど、暗黙の同意という意見がでた。暗黙の同意は有効ではないと思っている人もいるだろう。ニコラも首を振っていたね。理由を聞かせて欲しい。
(ニコラ)ただ単に政府の様々な資源を利用しているというだけで、必ずしも政府のつくられたやり方に同意していることにはならないと思いますし、それが社会契約
に参加することに同意したことを示唆するとは思いません。
(教授)暗黙の同意に政府に従う義務を生じさせる力はないと思うんだね。
(ニコラ)はい、そう思います。
(教授)ニコラ、君はつかまらないとしても税金を払う?
(ニコラ)(笑)たぶん払わないでしょう。
(ニコラ)私が出展したい部門にだけお金を払うシステムがあったらいいと思います。
(教授)私が聞きたいのは、実際に何かに同意したわけではないから、何の義務も負っていないのか、ということだ。しかし、君は良識的な理由で法律には従っている
ね。
(ニコラ)その通りです。
(学生A)たとえそう考えたとしても、他の誰かを奪ってはならないというロックお統治理論における社会契約を侵害しています。自然状態の中で生きたいのなら、政府のサービスを受けない替わりに自分も何も渡さないという姿勢でかまわないと思います。でも、政府から何も得ることはできません。税金のサービスを受けるためには、税金を払わなければいけないからです。
(教授)自然状態に変えるのは自由だが,道路を利用することはできないということだね。
(学生A)そうです。
学生Aのような、現在の状況を前提として議論の外堀を埋めるやり方は、この講義にそぐわないと思う。また、ニコラのただ単に政府の様々な資源を利用しているというだけで、必ずしも政府のつくられたやり方に同意していることにはならないと思いますし、それが社会契約に参加することに同意したことを示唆するとは思いません。
という発言を説明なく無視し、応答の形式を放棄しているのも不可解。
それはさておくとしても、結局のところ、ニコラの当初の問いには答えが出ていない。まあ、ロック自身が書いていないのだから、サンデル教授も説明のしようがないのだろうが。いや、でもいったんは何かを語ろうとしていたわけで、途中で話がそれてしまったのは残念だな。あるいは、サンデル教授も学生Aと同様、「自然状 態に戻ろうとするのは非現実的なので、そんなケースについて考える必要はない」という意見だったのか。
(教授)では、道路を使うことや、税金を徴収することよりも、もっと重い問題について話をしよう。命はどうだろう、徴兵制はどうだろう。
(エリック)人を戦争に送ることは必ずしも彼らが死ぬことを意味しているわけではありません。生き残る可能性を高めていないことは明らかですが、それは死刑ではありません。だから、徴兵制が人々の命を抑圧しているかどうかを議論するのは正しいアプローチとはいえないと思います。ここでの本当の問題は、ロックの同意と自然権に関する見解です。私たちは自然権を放棄することも許されていません。では、税金や徴兵制について考える時、ロックは命の放棄や財産権の放棄をどう捉えていたのでしょうか。ロックは自殺には反対していたとは思いますが、それも各個人が同意の上で行うことです。
(教授)エリックはロックを読み始めてからずっと格闘してきた疑問に引き戻してくれた。
私たちは生命、自由、財産に対する不可譲の権利を持っていて、それらは放棄できない。政府が制限されるのはそのためであって、私たちが制限に同意したからではない。私たちは同意する際に権利を放棄できないから、政府は制限される。これが正当な政府に関するロックの説明の真髄だ。
しかし、今、エリックがいっているのはこういうことだ。自殺や財産の放棄が許されないなら、どうして命の犠牲や財産の(一部)放棄を強制する多数派に従うことに同意できるだろうか。
ロックはこれに対する答えを持っているのか、それとも、不過剰の権利を主張しながらも基本的に全権を持つ政府を認めるのだろうか。
いよいよ本日のハイライト。
(ゴクル)個人が持っている生存権と政府が1人の個人の生存権を奪うことができないという事実の間に一般的な区別がつけられるべきだと思います。徴兵制が政府が特定の個人を戦争で戦わせるために使命するものだとすれば、それは彼らの生命に対する自然権の侵害になるでしょう。一方、徴兵制に例えば、くじ引きがあるとすれば、全住民が彼らの代表を選ぶとみなすでしょう。住民全員が送られたら財産権を守ることはできないので、基本的に無作為に彼らの代表を選ぶという考え方です。そして選ばれた代表が出兵して人々の権利のために戦うのです。それは僕の意見では選ばれた政府と同じように機能すると思います。
(教授)選ばれた政府はコミュニティを守るために市民を徴兵できる、ということだね。しかし、それで人々は権利を教授できるのだろうか?
(ゴクル)できると思います。それは立法府の代表を選ぶ手順ととても似ているように思えます。
(教授)しかし、それでは政府が徴兵という形で特定の市民を選び、全体のために死なせるようなものだ。それは自由に対する自然権を尊重することと一致しているだろうか。
(ゴクル)僕がいおうとしているのは、特定の個人を選ぶことと、無作為に選ぶこととの間には違いがあるということです。
(教授)ゴクルは命を犠牲にするために、個人を選び出すのと、一般的に法律を持つことの間には違いがあるといっている。実際これはロックが出すだろう答えだと思う。
ロックは恣意的な政府には反対している。イラクへの戦費をまかなうために、ビルゲイツを選び出すようなやり方は反対しているし、戦地で戦わせるために特定の市民やグループを選び出すことにも反対している。しかし、一般的な法の元で、政府が選択したものや多数派が行ったことであれば、それは人々の基本的な権利を侵害することにはならない、と彼は考えている。
番組を視聴していて、凄いな、と思った場面。教授があえて繰り出す意地悪な問いにきっちり反駁していくゴクルはかっこいい。
講義のラストは、ロックの主張にリバタリアンが失望する理由について。まず、自然権は不可譲なので、自殺も財産の放棄も許されない。自分自身を自由にできないということだ。次に、人々の権利を守るためにいったん政府が作られたならば、民主的に作られた一般に適応できる法律による課税や徴兵は、権利の侵害には当たら ない。