有効な同意の条件 ジョン・ロック(139節) 「重要なのは、政治的あるいは軍事的権威が 恣意的に権力を行使しないことだ」 社会的な同意に基づく権威は、一般的なルールによって、 個人の生死さえも決定できる。 Ex. 将軍は命令に従わない兵士を死刑にさえできるが、 兵士の所持金を恣意的に徴収することはできない。 大きな疑問 なぜ(社会的な)同意には政治的権威や道徳的義務を 生み出すほどの力があるのだろうか? 小目標:同意の条件と限界について検討する。 有効な同意の条件 1.強制がないこと(暗黙の強制を含む) 2.判断に必要な情報が揃っていること 軍の人員を確保する道徳的に望ましい方法は? 大多数 志願制を維持し待遇を改善 10人程度 徴兵制へ移行 20〜30人 外部委託(傭兵) 南北戦争における北軍の施策 徴兵制によって徴集されるが、身代わりを雇用できる。 5人程度 賛成 ほぼ全員 反対(不公平) 兵役の市場取引に対する批判 1.(経済的状況などによって)暗に強制された同意は無効 2.義務や権利の割り振りに市場取引を用いるべきではない 志願制≒給与制≒北軍の仕組み、外部委託 →多数派が志願制をとくに支持する理由は? →兵役の分配に市場取引を用いることへの忌避感から、 労働市場との関係が背景化された志願制が支持される 次回→同意の限界について検討する。
市場取引にそぐわないもの ベビーM訴訟 不妊に悩むスターン夫妻は、2児の母メリー・ベスを 代理母として契約を結んだ。出産後、代理母は子どもの 引渡しを拒否し、訴訟に至った。 下級裁判所の判断:契約は有効 「双方が自発的に納得して同意した契約は履行されるべき」 →暗黙の強制は存在していない 州の最高裁判所の判断:契約は無効 「母親は子どもとの絆の強さを知る前に、変更不可な約束を させられている。彼女は完全な情報を与えられた上で決断 したのではない。なぜなら赤ん坊が生まれる前には、最も 重要な意味において、情報は与えられていないからである」 →情報が不十分な状態でなされた同意は無効 「これは子どもを売るのと同じ。少なくとも母親の子どもに 対する権利を売るのと同じである。参加者の動機となた ものが、どのような理想主義であれ、利益を得るという 動機が優位となり、最終的にはこの取引を支配している」 →兵役と同様、代理母契約(妊娠・出産)についても、 市場取引を否定する道徳観念が存在する。 エリザベス・アンダーソン 「いかなるものであれ親が子に感じる愛情の抑圧を代理母に 求めることは、出産を子どもとの情緒的な絆から切り離し、 出産を譲渡できる労働に変えてしまう」 →ある種の行為は尊敬・感謝・愛・畏敬などによって 評価されるべきであり、その利用によって得られる (金銭的)価値によって評価されるべきではない。 市場取引の限界 市場取引の成立=当事者の同意≠社会的な同意 →兵役や生殖行為などの「崇高な行為」について、 当事者間の合意だけで分担を割り振っていくことは 多数派の道徳観念に反する(市場取引にそぐわない) 次回→「崇高な行為」について、さらに検討していく。
Lecture9,10は構成に難があると判断し、『ノート』では大胆に講義の内容を整理しています。サンデル教授は、前回から引き継いだジョン・ロックの哲学への「大きな疑問」について考えよう、といって話を始めていますが、Leson10を終えてもなお、回答の片鱗さえ見えてきてはいません。これはさすがにどうしようもなく、ノートの中で「大きな疑問」は宙ぶらりんになっています。
Lecture9のノートでは「小目標」という1項を入れていますが、じつは講義の中で、この疑問は提示されていません。しかし「大きな疑問」と実際の講義の内容には段差があり、その中間を埋める「何か」が必要だと私は考えました。「小目標」は、講義の内容から逆算して導いたものです。「同意」というのは大きな相手なので、まずはその初歩的な性質から見ていくのだろう、というのが、私の解釈です。
また、2回の講義を通じて最も強調された「市場取引になじまない(と多くの人が考える)事柄の存在」もまた、唐突な印象があります。なぜここで市場取引が話題の中心に登場するのか、私には、しばらくわかりませんでした。数日経ってようやく、「あっ、そういうことか」と腑に落ちたので、「市場取引の限界」という項目をノートに追記しました。市場取引は、当事者間の合意に基づくのだけれども、「本人はよくても周囲の人々がそれを許さない」という種類の問題が世の中にはあるんだ、と。
これも、サンデル教授が明示的に述べた内容ではありません。Lecture8の次回予告で「同意の限界について検討する」という発言があったことを思い起こして、私なりの解釈でまとめたものです。しかし、こうしたまとめがなければ、ここで市場取引の限界について語る意義は理解し難いと思います。
志願制の軍隊には2つの反論があります。
ひとつは「社会に必要だが危険」な仕事を、主に経済的に恵まれない層が担うのは「暗黙の強制」によるもので不公平だ、というものです。しかし、採炭など兵役以外の「社会に必要だが危険」な仕事では、この不公平は問題視されていません。
もうひとつの反論は、兵役は社会に対する各個人の義務であり、市場で取引してはならない、というものです。実際、陪審員制度では志願制は採用されていません。一般市民が兵役と無関係になった結果、指導者の戦争への誘惑を民主主義が適切にコントロールできなくなっている、との懸念もあります。
兵役と陪審員制度の比較からは、多くの人々が市民の義務といった観念を重視しつつも、極めて大きな効用の改善があるなら功利主義に流れる、という様子が伺えます。徴兵制を廃止した米軍が今も志願制に留まり、傭兵制へ進まない理由も、ここにあります。
契約の義務や拘束力の源泉は、自らに義務を課すという「同意の自律性」と、互恵関係の構築・維持に必要な「便益の相互性」にあります。
より根源的なのは便益の相互性です。自発的な同意は契約の公正さを保証しませんし、便益の交換は同意なしでも義務を発生させる場合があるためです。
「ベビーM訴訟」では、利益の相互性も、双方の自発的同意も存在しました。しかし「契約が有効となる条件を満たしていたか」が争われました。焦点は「出産の経験から、赤ちゃんへの愛情を事前に予測できたか」です。
市場取引の成立は当事者間の合意を意味しますが、社会の同意が得られない場合もあります。市民の義務や生殖行為などの「崇高な行為」を、当事者間の合意だけで分担を割り振ることは、多数派の道徳観念に反するようです。