議論を再検討する

例によって、学生の発言を中心とした「議論」の部分のみ取り上げる。

Lecture15

格差原理への賛否

ロールズの格差原理とは、最も恵まれない人々の便益になるような、社会的、経済的不平等だけが認められるというものだ。無知のベールの背後では、最も恵まれない人たちの便益になるような不平等だけが正義に適う、とロールズは論じた。

教授は格差原理への意見を学生に求めたが、学生たちは才能や努力を当人のものと認めず、偶然の産物に過ぎないので賞賛に値しないとするリベラリズムの前提に強い反発を示した。

(マイク)先生の議論は、政策や正義を下から、つまり最下層の目線から議論していることを前提としていますが、なぜ上からではないのでしょうか。
(教授)マイク、いい質問だ。では自分を無知のベールの背後に置いて、思考実験をしてみよう。君はどんな原理を選ぶだろうか、考えてみてほしい。
(マイク)ハーバードも上層思考を進める1つの例だと思います。僕は生まれた時は自分がどの程度頭がよくなるのかわからなかったけど、この場所にたどり着けるよう頑張って来ました。ハーバードが何の資格もない1600人を無作為に受け入れるとしたら、勉強は無意味になってしまいます。
(教授)それで、君はどんな原理を選ぶ?
(マイク)僕だったら能力ベースの原理を選びます。自分の努力に応じて報いられるシステムがいいと思います。
(ケイト)1つ疑問があります。その能力ベースというのは皆が平等なレベルからスタートできることを前提としていて、そこからどこに辿り着くかによって報いられるということでしょうか。教育が始まったとき、その人がどれほど有利な状態にあったかは無視するということでしょうか。
(マイク)誰もが平等なレベルからスタートできるわけではない、と言いたいのでしょうが、僕はそうは思いません。能力に報いるシステムは誰にとっても最善のものだと思います。上位2%に属する人も、下位2%に属する人もいますが、結局のところ、それは生まれながらの違いではありません。努力に報いることが最下層のレベルを押し上げるのです。
(ケイト)でもここにたどり着くまでの過程で、明らかに有利な条件下にいた人もいるはずです。そういった人の努力になぜ報いなければならないのでしょうか。私と同じだけ努力した人が皆、この大学に来ることができる同じだけのチャンスがあったとは思えません。

マイクの議論を補足したい。マイクは条件の違いを無視しているわけではない。環境にも能力にも格差はある。だから、最下層から本人の努力だけでトップへ到達できるわけではない。

しかし、下位2%の立場に甘んじているのは、明らかに当人の努力不足を指摘できる種類の人々ではないか、と。逆に上位2%の人々にも、幸運だけという人はまず存在しない。マイクは、そう考えている。だから、能力主義こそ、全員にインセンティブを与え、真に最下層の人々の生活を底上げする仕組みなのだ、と結論するのである。

金持ちの所得を再分配するだけで社会が豊かになるか。なりはしない。みんなが生産性を上げて、経済成長を実現していかねばならない。……と読み解くと、これは経済学の知見とも合致する考え方のように思われる。ただし、格差原理もまた経済学と矛盾しない読み解き方が可能である。

(教授)以前、こんな調査を行った人がいた。アメリカの優秀な大学、146校の学生を対象に統計を取り、彼らの経済的なバックグラウンドを調べようとしたんだ。その中で家族の所得が下から25%に属する学生はどのくらいいたと思う? わかるかな? 最も優秀な大学では、貧しい家庭出身の学生はたった3%しかいなかった。70%以上が裕福な家庭出身だったのだ。

サンデル教授の挙げた例が、マイクの意見への反論になっていないことは、ご理解いただけると思う。マイクは能力主義を、貧しい家庭の出身者でも裕福な家庭の出身者と平等に競える制度だとはいっていないのである。それは確かに平等ではないが、しかし、個人の才能や努力に「報いる」制度だと主張しているのだ。

ロールズは、しかし、「所得や富、あるいは機会の分配は、自分の功績だと主張できないものに基づくべきではない」と強く主張する。封建的貴族社会は、もちろん完全否定する。そして能力主義もまた、ある才能がたまたま社会に需要される偶然性に拠っているという点で、根本的に不公正だと断じるのである。

そこまでいってしまえば、なるほど、いかなる成功者も「その成功は偶然によるものであって、その果実を独占する道徳的な根拠はない」と解釈できるわけである。

(教授)幸運よって便益を享受することは、それが最も恵まれない人の便益になるという条件の下のみ許される。例えば、マイケル・ジョーダンは稼ぎの大部分を他の人たちを助けるために税金として支払うというシステムにおいてのみ、3100万ドルを稼ぐことが許される。

きわめて強力な理論だと思う。人々の素朴な実感とは大きなズレがあるが、私はそんなことは気にしない。また、この考え方は、ベンサム的な功利主義が人を平等に扱うことへの個人的な納得感にも通じている。

しかし教室の反応は厳しかった。。

(ケイト)平等主義者の主張は、才能のある人が稼いだものの一部が分配されてしまうことを知っているのに、それでも一生懸命働くだろうと考えるもので、ずいぶん楽観的だと思います。能力がある人が才能を最大限に発揮することができるシステムは能力主義システムだけだと思います。才能は明らかに恣意的な要素ですが、それを正そうとするのは弊害があります。
(マイク)この教室に座っている僕たちは皆、君たちは何もつくりだしていない癖に受けるに値しない名誉を受けているといわれているようなものです。足の早い男が競争で走ることで社会全体が悪影響を受けるという考えに僕たちは嫌悪感を抱くべきです。一番才能に恵まれた人が早く走ることで、僕らももっとも早く走れるかもしれないし、僕の後ろの人やさらにその後ろの人ももっと早く走れるかもしれません。
(教授)わかった。マイク、君はさっき努力について話したが、成功するために一生懸命働いた人には、その努力に見合った報酬を得る価値がある、と考えているんだね。それが君の弁護の背景にある考え方だ。
(マイク)もちろんです。マイケルジョーダンをここに連れてきて、なぜ3100万ドル稼ぐのか聞いてみれば、トップに立つまでに彼がどれだけ努力したかわかると思います。違った角度から見れば、僕たちも基本的にを少数派を抑圧する多数派です。
(会場一部拍手)
(教授)賛同者がいるようだねぇ。
(マイク)そんなに多くはないですけど(笑)

ロールズは努力も恣意的な要素だとした。ある人が勤勉に育つか、それとも怠け者に育つかは、生育環境の影響を免れないからだ。サンデル教授は、生まれた順番によって勤労倫理や頑張りの度合いが変わるという心理学者の研究結果を紹介した。そして実際、教室に集まった学生たちの多くは「第1子」だった。これは、最初の子どもがいちばん努力家に育ちやすい、という研究を裏付ける結果だ。

努力を本人の功績と認めない、という考え方は、私にはすんなりと納得できる。だが、世間では受け入れられていない考え方だろうと思う。

Lecture16

サンデル教授のロールズ解説が講義のほぼ全てであり、書くことがない。教授の解説を私がどう理解したかということは、ノートの方にまとめてあるので、そちらを参照してください。

インセンティブの問題は格差原理への反論になるか?

(ティム)ロールズは、最も恵まれない人を助ける場合にのみ、格差は存在すべきだといっています。平等過ぎたら、恵まれない人は深夜番組を見ることも職に就くこともできなくなるかもしれません。コメディアンや企業経営者が働く気をなくす恐れがあるからです。ですから、恵まれない人々が、才能から利益を受ける十分なインセンティブが残るように、正しい税金のバランスを探すことが必要になります。
(教授)要するにロールズはインセンティブを考慮に入れている。そして、インセンティブを考慮した上で、賃金格差と、いくらかの税率の修正を認めることができると、いっているわけだね。

『正義論』の17章で、ティムと同様の説明がされているという。