復習課題に取り組む

哲学者、ジョン・ロールズは、「無知のヴェール」の背後では、二つの原理が合意されると主張する。それが彼の正義の原理である。あなたは、ロールズの正義の原理に同意するだろうか。

  1. ロールズの第一の原理は、誰もが立法と政治に影響を及ぼす平等な機会を持つことである。しかし、現実には裕福な個人や企業が、平均的な市民よりも、政府や法律についてより大きな影響力を行使している。これは不公正か?
  2. 多くの場合、才能があるにも関わらず貧しい子供は、親にお金がないため、いい学校に通ったり、個人レッスンを受けたりすることができない。裕福な親を持つ子供と比較し、貧しい子供は自らの才能を伸ばす機会が少ないのだ。ロールズの正義論によれば、なぜこれは不公正なのか?
  3. ロールズの第二の原理は、社会的、経済的不平等は、それが社会のもっとも恵まれない人たちの利益になるように機能する場合に限り、正当化されると主張する。多くの努力をした人でさえも、特別な報酬には値しないという。あなたの努力する才能は、ある部分、あなたの子供時代がいかにいいものだったか、つまり、両親があなたを愛し、励ましてくれたかによって生まれたものだからである。それゆえ、あなたが今、努力しているとしても、それに対してあなたは全面的に権利を主張することはできない。
    あなたはこの考え方に同意するか?自分の生い立ちについて、実際に権利を主張することができないのは正しいのだろうか。今のあなたの能力は、ある程度はあなたの生い立ちがもたらしたものだろう。それは、努力の結果あなたが得たものに、あなた自身が値しないことを意味するのだろうか?

今回はメモ程度の内容です。

1.

ロールズの第一の原理は、誰もが立法と政治に影響を及ぼす平等な機会を持つことである。しかし、現実には裕福な個人や企業が、平均的な市民よりも、政府や法律についてより大きな影響力を行使している。これは不公正か?

形式的に機会が均等であればよいのではないか。結果の完全な平等については、格差原理のような発想から否定できるものと思う。無論、現状が最適なバランスか、という点は検証を続ける必要がある。

2.

多くの場合、才能があるにも関わらず貧しい子供は、親にお金がないため、いい学校に通ったり、個人レッスンを受けたりすることができない。裕福な親を持つ子供と比較し、貧しい子供は自らの才能を伸ばす機会が少ないのだ。ロールズの正義論によれば、なぜこれは不公正なのか?

恣意的な要素による不平等だから、不公正なのである。

3.

ロールズの第二の原理は、社会的、経済的不平等は、それが社会のもっとも恵まれない人たちの利益になるように機能する場合に限り、正当化されると主張する。多くの努力をした人でさえも、特別な報酬には値しないという。あなたの努力する才能は、ある部分、あなたの子供時代がいかにいいものだったか、つまり、両親があなたを愛し、励ましてくれたかによって生まれたものだからである。それゆえ、あなたが今、努力しているとしても、それに対してあなたは全面的に権利を主張することはできない。

あなたはこの考え方に同意するか? 自分の生い立ちについて、実際に権利を主張することができないのは正しいのだろうか。今のあなたの能力は、ある程度はあなたの生い立ちがもたらしたものだろう。それは、努力の結果あなたが得たものに、あなた自身が値しないことを意味するのだろうか?

同意する。私は「努力家」といわれたことが何度もあるが、実際には、自分が努力できることを努力してきたに過ぎない。たまたまそれが、ゲームやマンガではなく、お勉強だったり絵画だったりしたので賞賛されたのだ。私は虚弱体質を改善する運動を一貫してサボり続けたし、嫌いな教科の家庭学習もしなかった。特定の何かについて努力できるかどうかは才能の一種といってよいことを、私はよく知っているつもりである。

所詮、偶然に自分が持っていた才能によって得た成果について、道徳的に完全な所有権が認められるとは考えられない。不運にも多くを得られなかった方々のために所得や財産を再分配することは、正義に適っていると感じる。

ロールズは「自然の分配は、正義でも不正義でもない。人が社会のある特定の地位に生まれるのも不正義ではない。これらは単なる自然の事実である。正義や不正義は、制度がこういった事実を扱う方法にある」と説明したそうだが、全く同感だ。現実の施策としては難しい点も多く、相当な妥協が必要となることを認めるが、これは正義の議論である。私はロールズの主張に同意する。