復習課題に取り組む

ロックは、人は決して譲渡することのできない、ある種の不可譲の権利を持っていると考えた。彼は、人は生まれながらに自由で平等であり、私有財産は人間の労働の延長であり、政府は制限され、同意の下に設立されなければならないと考えたのだ。ロックの思想は正しいのだろうか?

  1. ロックによれば、所有者のないものの場合、あなたの労働が加われば、あなたの物になる。それは正しいか?野原で花を摘めば、花について権利を主張できるのか?海をフェンスで囲ったら、どうだろうか?すると海はあなたの財産になるのか?そうでないとすると、財産と労働のつながりは何か?
  2. ロックによれば、あなたの生命に対する自然権は「不可譲」であり、決して放棄してはならない。ゆえに、自殺してはならない。彼は正しいのだろうか?誰かが病気の末期症状にあり、絶え間ない痛みに苦しんでいるとしても、自殺をするのは道徳的に間違っているのか?
  3. ロックは、政府は多数決の原理により統治されるべきだと考える。彼はまた、政府は財産に対する不可譲の権利を保護するために存在すると考える。この2つの考えに矛盾はないだろうか?多数派の貧困層が、少数派の富裕層に課税しようとしたらどうか?

今回の復習課題は、ピンとこない。

1.

ロックによれば、所有者のないものの場合、あなたの労働が加われば、あなたの物になる。それは正しいか?野原で花を摘めば、花について権利を主張できるのか?海をフェンスで囲ったら、どうだろうか?すると海はあなたの財産になるのか?そうでないとすると、財産と労働のつながりは何か?

よくわからない。私はこれまで、労働市場で給与(金銭)と労働を交換し、商品市場や不動産市場で金銭を財産を交換する、という手順で私有財産を増やしてきた。誰のものでもない何かを、労働によって自分のものにできる、という話には、幾ばくかの違和感がある。しかし例えば「漁業権」への多少のシンパシーを手がかりとすれば、理解できなくもない、みたいな。でもやっぱり違和感は拭えないな。

2.

ロックによれば、あなたの生命に対する自然権は「不可譲」であり、決して放棄してはならない。ゆえに、自殺してはならない。彼は正しいのだろうか?誰かが病気の末期症状にあり、絶え間ない痛みに苦しんでいるとしても、自殺をするのは道徳的に間違っているのか?

生きているということ自体に至上の価値があると仮定するなら、「病による苦痛など、相対的に小さな問題だ」ということになるよね。

私は功利主義に共感するところが大きいので、ただ生きているということに、そんなに価値があるとは思えない。生きていることの効用が苦痛より小さいなら、自殺していいと思う。それをダメだという道徳観念には、私自身は賛同できない。

3.

ロックは、政府は多数決の原理により統治されるべきだと考える。彼はまた、政府は財産に対する不可譲の権利を保護するために存在すると考える。この2つの考えに矛盾はないだろうか?多数派の貧困層が、少数派の富裕層に課税しようとしたらどうか?

恣意的な権利の侵害はいけないよ、でも、社会契約を結んだ人々の権利を守るため、一般的なルールに基づいて個人の権利の一部を制約することは認められるんだ、と。自然状態のまま、個人が個人の権利を100%守ろうとするだけでは、結局は暴力と混乱によって大多数の人々の自然権がないがしろにされてしまう。だから、権利の一部を制約されても、社会に参加することに同意した方がいい、と私たち(の祖先)は考えた。

不可譲の権利を守るためには、「基本的には不可譲なんだけど、特定の場合には可譲である」といった修正を加えないといけない。それは矛盾かもしれないが、避けられない譲歩である……。

ロックの考え方は、簡単に書けば、そういうことだと思う。個人的には納得できる。

で、問題は、累進課税だよね。「それって一般的なルールじゃないじゃん、金持ちを恣意的に狙い撃ちしてるじゃん」という批判は、なかなか手強いと思う。何というか、こういう話題のときだけ都合よく功利主義者になる庶民が多いように感じるんだよね。「金持ち」と「私たち」の間に線を引いて、向こう側の人間はふつうじゃないので、区別しても問題ありません、なんてことにしたがる。給付の方だけ傾斜配分として、課税は定率にする方が、道徳観念に矛盾が生じにくいと私は思うのだが。

恣意的な課税は、たびたび問題になる。どうしてビールは税率が高いの? とか。ガソリンなんかもそう。で、近年では、銀行だけ外形標準課税にしようぜ、といったら、庶民は「いいんじゃない?」といったけれども、業界は大反発。裁判所は銀行側の主張に軍配を上げた……なんて例もあった。銀行の特別扱いはダメなのに、ビールの特別扱いはOKってどういう理屈よ? 法的な細かな違いはいくらでもあるのだろうけれど、「特別扱いはダメ」の基準っていい加減なんだよなぁ、という気持ちを吹き飛ばすような意見には、いまだお目にかかったことがない。