ノージックのリバタリアニズム ミルによる個人の権利の擁護 長い目で見れば、個人の権利の尊重は社会の効用を最大化する。 強力な権利理論 個人は社会の道具ではなく、権利は無条件に尊重されるべきだ。 リバタリアニズム =自由原理主義(≒市場原理主義) 個人は独立した存在であり、自由という基本的な権利を持つ。 強力な権利理論の典型(所有権の主張に特色) 代表的論者:ロバート・ノージック リバタリアンの政治的立場 1.干渉主義的な立法の否定 2.道徳的な立法の否定 3.富者から貧者への所得再分配の否定 以下、所得の再分配に注目する。 リバタリアンの考える公正な所得分配の要件 1.取得の正義(最初の保有) *最初の保有の正当性 2.移転の正義(自由市場) *自由な意思決定による取引 米国の富の偏在 所得上位10%が富の70%を所有 →功利主義者 所得の再分配は社会の効用を増加させるので「正しい」 →リバタリアン 取得の正義と移転の正義を満たして築いた富を 政府が強制的に再分配するのは「間違っている」 上位10%からの所得の再分配に賛成するか? 賛成:多数派 反対:少数派 →リバタリアンは少数派 リバタリアンが課税に反対する理由 課税=所得(労働の果実)の取り上げ =強制労働 =奴隷制(国家が個人の部分的所有者である) =自己所有の原則の侵害 *功利主義が少数派なのは自己所有の原則に賛同する者が 多いからだろう。 →ならばリバタリアンはなぜ少数派? 次回→所得再分配の是非を議論する/自説を整理せよ
リバタリアニズムへの批判と反論 小さな政府についてのミルトン・フリードマンの議論 個人が利益を受ける年金などの社会保障制度 →自発的な参加に任せ、政府が加入を強制すべきではない。 警察・消防などの集合財(公共サービス) →フリーライダーの問題が生じるため政府による提供が妥当。 *フリーライダー =活動に必要なコストを負担せず利益だけを享受する人 以下、再び所得の再分配について。 リバタリアニズムへの反論 1.貧しい者のほうがより金を必要としている 2.統治されている者の同意による課税は強制ではない 3.成功した者は社会に借りがある 4.富は部分的に運で決まるので、当然のものではない。 リバタリアンの回答 1.富者の自発的な所得の分配なら問題はない 2.所有権は基本的な権利なので多数決による制限は間違いだ 3.成功者を支援した者はその対価を既に得ている 4.双方が納得する自由な取引から得た富の所有は正当である リバタリアニズムへの根本的な疑問 私たちは自分自身を所有していないのではないか? *リバタリアンが少数派なのは、論理に穴があるためではなく、 議論の前提に賛同が得られていないためだろう。 次回→ロックの私有財産と自己所有の原則を検討する
不自由な伝統社会の美徳(徳倫理学)と対立した功利主義は、「他人に迷惑をかけない限り何をするのも自由だ」という「危害の原理」を見出します。これは、自由から正義を導く考え方の源流となりました。
功利主義は、観念的な価値観から人々を解放し、現実の幸福を最大化することを目指しました。ところが、伝統的価値観が後退したとき、人々は自由主義を信奉していました。自由が認められるのは「害がないから」ではなく「人には生命、自由、財産の自然な権利があるから」だというのです。
自由主義の典型は、ロック、カント、ロールズの『社会契約論』です。個人の平等な権利を保護するため、社会は公正な制度を提供する責務がある、と考えます。とくにカントとロールズの立場は『リベラリズム』と呼ばれます。
ノージックの『リバタリアニズム』は、自由主義の新しい潮流です。自己所有の原則を掲げ、個人単位での自由の追求を前面に押し出します。
ノージックが唱えたリバタリアニズムは、経済発展により人々が飢えから解放され、人権概念が広まった社会で普及しました。
かつて自由主義者は、個人の無力さから社会契約論を当然視しました。しかし多くの人々が豊かになった現代の先進諸国では、個人の権利を守るため政府の干渉主義的な政策を受け入れる必然性に、疑問符がつくようになったのです。
リバタリアンは課税を妥協と解釈します。現実的な妥協と道徳的な正義は異なります。課税は個人が持つ絶対の権利の侵害なので、多数決によって課税を正当化するのは、功利主義と同様、人権を軽視する誤りを犯していると考えるのです。
また、富の格差が双方の納得する自由な経済取引の結果として生じているなら、富者が貧者に道徳的な責務を負う理由はありません。富者が貧者から収奪しているのではないからです。運による格差も同様に富者に責任のないことであり、富者が強制的に所得を再分配される道徳的な根拠とはなりえません。
以上が、社会契約論とリベラリズムに対するリバタリアニズムの反論です。