ジョン・ロックの哲学・1 自然権 ジョン・ロック(1632-1704) イギリスの哲学者 アメリカ独立宣言に大きな影響 「アメリカ国民には、生命、自由、幸福の追求に対する 不可譲の権利がある」(独立宣言より) 自然状態 1.政府や法律がまだない状態(≠無法)←自然法の制約 2.人間は自由で平等な存在 自然法に制約される行動 1.自然権を自ら手放すこと 2.他人の自然権を奪うこと ロックの考え方 人は神の所有物なので、自己決定権は制約される。 「人間はすべて、唯一神、全知全能なる創造主の作品であり、 彼の所有物であって、他の誰のためでもなく、 彼が喜ぶ限りにおいて生存するように作られている」 →リバタリアニズムの「自己所有の原則」を否定 自然権は不可譲である。 「自然状態には、それを統治する自然法があり、何人もそれに 従わなければならない。その法である理性は、人類に、 すべての人は平等で独立しており、他人の生命、健康、自由 または財産を害するべきではないと教えている」 →自然法=人間の理性の産物 ロックの議論は実質的に無神論者にも適用される 労働が財産権を基礎付ける。 「人は誰でも自らの一身に対する所有権を持っている。 これについては彼以外の何者も権利を有しない。 彼の身体による労働、手による仕事は、彼のものだ」 「自然が備えておいた状態から取り出すものは何でも、 自分の労働を交えたものであり、彼自身の何かを 付け加えたものであるから、彼の財産となる」 「人が耕し、植物を育て、改善した土地から得られた ものを利用する限り、その土地は彼の所有物である。 彼の労働が加わることで、それは一般とは区別される」 *ただしロックは有限な資源の独占を否定する ロックとリバタリアンの分岐点 1.民主的な手続きは個人の自然権の侵害を正当化しない。 2.「自然権が守られている状態」の定義は政府が決める。 次回→権利を定義できる「正統な政府」とは?
ジョン・ロックの哲学・2 社会契約 自然状態(自由で平等な人々がバラバラに暮らす状態) →個人が自然法の執行者となる →侵略と処罰の繰り返しは暴力による支配に至る →大多数の人々の生命、自由、財産に対する 不可譲の権利=自然権が脅かされる →人々の同意により社会を形成する必要 社会契約に参加するため、人々は自然状態の執行力を放棄し、 多数決原理で意思決定する政府に同意しなければならない。 自然状態の不都合は明白なので、文明社会では実質的に全員が 社会契約に暗黙の同意を行っているとみなせる。 ジョン・ロックの言葉 「人は社会において所有権を持っており、物に対する権利は、 コミュニティの法律により、彼らのものとなる。 ゆえに、最高権力ないし立法権によって、人々の財産を 意のままに処分したり、ほしいままに取り上げたりする ことができると考えるのは間違いである」 「政府は大きな負担なしに支えられるものではない。政府の 保護を享受する者は皆、その維持のための割り当てを自分の 財産から払うべきである。しかしそこには、本人たちまたは 彼らに選ばれた代表者によって与えられた本人の同意、 すなわち多数派の同意がなければならない」 自然権と政府の関係 1.自然権は不可譲の権利ゆえ社会契約に参加しても存続する。 →特定の個人・団体に対する恣意的な権利の侵害は不可。 2.多数の人々の自然権を守るために形成された政府は、 社会契約に参加した人々の集合的な同意に基づき、 権利を擁護するため、その協定的な側面を民主的に定義する。 →一般的なルールにより権利の一部を制約できる。 Ex. 統一ルールによる課税 Ex. くじ引きによる徴兵制 次回→同意の道徳的な働きと限界
ロックは「個人の権利を守るため社会が生まれた」と考える『社会契約論』を唱えました。そして社会が個人の権利を守るためには、人々が一定の犠牲を払う必要がある、とロックは認めます。しかし市民の娯楽のためにキリスト教徒を猛獣と戦わせたローマ帝国を、ロックは原理的に否定しました。社会契約に反して平等な人権を守らない国家は、打倒されるべきだといいます。
一方、功利主義は、異教徒と猛獣の格闘を、原理レベルでは否定できません。多くの場合、実際には功利主義からも否定できるだろう、としかいえないわけです。
人権の保護を追求するロックの社会契約論は、個別の問題では功利主義と意見が一致しがちですが、根本の発想には大きな隔たりがあります。
リバタリアニズムと社会契約論は、いずれも個人の自然権を奉じる自由主義に属しますが、「社会」の必要性に対する認識に決定的な違いがあります。
リバタリアニズムは、個人で権利を守れると考えるので、あらゆる課税を否定します。社会契約論は、権利の保護には社会の形成が必要と考えますので、社会の維持コストを平等に負担することを求めます。
ロックの社会契約論では、社会契約は平等に結ばれるので、特定の個人・集団に対する不平等な扱いは認められません。しかし平等で一般的なルールに基づく、必要不可欠の負担であれば、それを受け入れるのが人々の義務です。
ルールの平等性、一般性が問われる事例の典型は、「所得の再分配における累進課税の是非」や「犯罪者の人権」などです。
現代の先進諸国では自由主義の概念が普及しました。しかし自由主義を奉じる人々が団結して不平等なルールを批判することは稀で、むしろ功利主義に沿った議論が展開されることが少なくありません。