カントの義務論・3 義務の実践 *人間の肉体は感性界に属する経験主義的存在。(である) *人間の精神は叡智界に属し自律の能力を持つ。(べき) →人は本能や欲望と切り離せないが道徳的な判断は可能。 →科学は道徳的真理を見出せない。 カントの主張は厳格すぎて実践不可能か? ――義務論の復習とまとめ 1.義務に従うのは自律と矛盾しないか?(Lecture11,12) →道徳法則への敬意という動機付けは傾向性と異なる。 *本能や強制ではなく理性により自由に選択する。 →道徳法則には普遍的法則の定式があるため、 人々の理性が辿りつく道徳原理はひとつになる。 *「各個人の自律した判断が一致する」のであって、 「他律的に道徳法則に従う」のではない。 2.道徳的な行動に実利が絡んでもよいか?(Lecture12,13) →動機の全てが道徳法則への敬意である必要はない。 →人を欺く目的で「紛らわしい真実」を語る場合さえも、 「嘘をつかない」ことには一定の道徳性を認められる。 Ex.1 殺人犯から友人を匿うための嘘は道徳的に正しい? Ex.2 クリントン大統領が「性的関係」という曖昧な言葉を用い 人々に誤った印象を与えたことをどう評価する? バンジャマン・コンスタン(フランスの哲学者) 「嘘をつくことを完全に禁止するのは間違っている。 それが正しいはずがない。」 →カントは帰結を考慮した定言命法の例外を認めなかった。 嘘をつくこと自体は道徳的に擁護できない、とする。 *帰結主義では、嘘と紛らわしい真実に差異はない。いずれも 結果から良し悪しを判断する。 *カントは、あえて嘘を避けて紛らわしい真実を述べることに 道徳法則への敬意を見出し、一定の道徳性を認める。 【「Lecture13,14 再検討」も参照のこと】
仮説的契約の道徳的な働き カントの政治理論 「権利の原則を生み出す契約は、単なる理性の理念である。 しかし、それは疑いのない実践的な現実を持っている。 それは、すべての立法者に法を起草する際、その法が 国全体の統一意思によって生み出されたかのように 起草するよう義務付けることができる。」 →法は仮説的な社会契約から生まれる。 →現実の社会契約は個々人の利害や知識や交渉能力に 左右されるので、正義と権利の擁護を保証しない。 疑問:仮説的な契約の道徳的な効力とは? ジョン・ロールズ(1921-2002) アメリカの政治哲学者 1971年『正義論』 正義の根拠として仮説的契約を重要性を論じた。 功利主義の道徳を否定 「人間は、正義に根ざす不可侵性を持ち、社会全体の福祉でさえ、 これを侵すことはできない。 正義により守られたその権利は、政治的な交渉や社会の利益の 計算に左右されることはない。」 無知のベール 正義の原理は平等な人々が合意する仮説的契約から導かれる。 →己と他者の能力や立場を認識しない「無知のベール」の 中で成立する合意の考察だけが正義を導く唯一の方法だ。 仮想的契約の重要性は、現実の契約の性質から求められる。 1.義務や拘束力は何に起因するのか? a.同意→自律 :自分で自分に義務を課した b.便益→相互性:互恵関係の構築・維持に必要 2.契約の条件はいかに正当化されるか? a.同意の事実は義務が発生する十分条件ではない。 →自発的な合意は契約の公正さを保証しない。 b.同意の事実は義務が発生する必要条件でもない。 →便益の交換は同意なしで義務を発生させる。 *とくに便益の判断には個人の知識と判断力の影響が大きく、 現実の契約は真に公正な合意とはなりにくい。だからこそ、 社会契約は仮説的な契約でなくてはならない。 次回→平等で公正な契約が導く正義の原理とは?
2つの具体例で考えます。まず「自分の悪事をごまかす」場合です。目的は利己的で、行為の全体は弁護できません。が、紛らわしい真実を語ることに利益はないのに、あえて嘘を回避する行為、それ自体は道徳的な賞賛に値します。
あるいは「ひどいネクタイを贈られた」場合。「すばらしい!」と嘘をつかず「こんなネクタイは見たことがないよ!」と反応するのはどうでしょうか。功利主義的な説明も可能でしょうが、そこには「真実を語れ」という道徳法則への敬意あるように見えます。カントは、これを評価するわけです。
日常生活の全てを道徳的に説明しようとする功利主義と、生活を基本的に道徳とは無関係の部分として扱うカントの義務論は、対照的です。
また広い意味では同じく自由主義に属するノージックのリバタリアニズムや、ロックの社会契約論とも異質です。カントは公正な憲法を「個人の自由と全体の自由を調和させるもの」と規定し、リバタリアニズムの自己所有の原則を却下します。また幸福は人それぞれなので、社会の目的とはいえない、と考えます。さらにカントは、正義と権利は理性の概念に基づく仮想上の社会契約に由来すると述べてロックの社会契約論とも一線を画し、リベラリズムの基礎を築きました。