ベンサムの功利主義と問題点 ベンサムの功利主義の特徴 価値観に優劣をつけず、全てを効用という尺度で検討する →費用便益分析により道徳的に正しい行為を決める *通常は価値尺度の通貨単位に統一する 功利主義を支える費用便益分析が批判された例 Ex.1 チェコのタバコ会社が喫煙を擁護した費用便益分析 →長寿命化の便益を無視して費用だけを加算 Ex.2 自動車メーカーが欠陥の改修を却下した費用便益分析 →人命の価値を収入だけで捉え精神面の考慮が欠落 費用便益分析への様々な批判 1.個人・少数派の権利が尊重されない 2.全ての価値と好みを集計し効用の判断尺度を作るのは不可能 *「〜が抜けている」「AとBは比較できない」etc 以降、批判2.について検討していく。 1930年代の心理学者ソーンダイクの研究成果: 人間の願望は複雑だが貨幣を単位として比較衡量できる *馬鹿げた調査と切り捨てる意見もある 次回→功利主義を発展させたミルの議論を検討する。
効用の判断尺度は作れるのか? 課題1 効用は単一の基準で測れるのか 課題2 全ての価値と好みを集計できるか 課題3 高級・低級の概念を包摂できるか 課題1はソーンダイクの研究を参照。 課題2の克服は難題だが注意深く見落としを避ける手間の 問題であって、功利主義を原理的に否定するものではない。 課題3についてベンサム(1748-1832)は悩まない。 「喜びの量が同じであれば プッシュピン(ピンを弾く遊び)は詩と同じように良い」 ジョン・スチュアート・ミル(1806−1873) イギリスの政治哲学者/「血の通った功利主義」を志向 1859年の『自由論』で個人の権利と少数派の権利を擁護 1861年の『功利主義論』で課題3に回答 ミルの考え方 道徳性の高さは効用で決まる。(基本はベンサムと同じ) 「望ましいものとは、実際に人が望むものである」 経験から生まれる判断こそ正しい道徳的判断である。 高級な喜びと低級な喜びは区別できる。 「2つの喜びのうち、両方を経験した者が、全員または ほぼ全員、道徳的義務感と関係なく、迷わず選ぶものが あれば、それがより好ましい喜びである」 「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。 満足した愚者であるより、不満足なソクラテスである ほうがよい。その愚者が、もし異を唱えたとしても、 それは愚者が自分の側しか知らないからに過ぎない」 個人の権利の尊重は、社会的効用から導かれる正義。 「私は効用に基づかない正義の架空の基準を作り出す、 どのような見せ掛けの理論にも異議を唱える。一方で、 効用に根ざした正義こそが全ての道徳性の主たる部分 であり、比類なく最も神聖で拘束力を持つものと考える」 「正義とは、ある種の道徳的要請の名称であり、 集合的に見れば、社会的効用は他の何よりも大きく、 他の何よりも優先されるべき義務なのである」 ミルの功利主義は定言的道徳律に接近した穏当なもの。 だがミルは……功利主義の擁護に成功した? 功利主義を離れてしまった? この疑問は功利主義と対峙する観点を学ばずに解消不可能。 次回→「権利」の由来を探求する
Lecture2でミニョネット号事件に関して功利主義が導いた結論「3人(とその家族)の幸福のためには1人の犠牲はやむをえなかった」に対しては、「権利の侵害」「不公正な手続き」「同意の不存在」という3つの反論がありました。ところがLecture3では、教授の問題設定の妙もあって、手続きと同意の問題がどこかへ消えてしまう。そして功利主義への批判を「権利の侵害」「価値集計の不可能性」に集約します。
18世紀、長らく社会を支配してきた観念的な倫理道徳を否定し、現実の幸福と苦痛のみを重視する考え方が提起されました。ベンサムは、最大多数の最大幸福を実現する方策に反対する正義なんておかしい、と考えたのです。
結果から正義を導く考え方を『帰結主義』といい、その典型が『功利主義』です。ベンサムとミルは功利主義を唱えた代表的な政治哲学者で、「社会全体の幸福の総和と苦痛の総和の差分を最大化することが正義だ」と考えました。観念的な倫理への批判はミルの『自由論』(1859年)に結実しました。同書でミルは、他者に害をなさない限り個人の自由を最大限認める「危害の原理」を提案しています。
ミルは「満足な豚より不満足な人間がよい」と述べ、幸福の質的差異を「人間の尊厳」から説明したため、観念を否定した功利主義の前提から離れた、といわれます。しかしミルの発想を少しベンサムに寄せ、「人々がそういう観念を持っている」という「事実」を幸福計算の前提とするにとどめるならば、功利主義は人々の価値観の違いを内包した、強力な正義の概念となります。
まず幸福計算の基準を「行為」とする『行為功利主義』と「規則」とする『規則功利主義』に分かれます。特定の局面では幸福が増大する行為も、みなが同様にしたら幸福が減少するかもしれません。しかし規則の遵守が目の前の不幸を解消しないことも事実です。よって柔軟なルールの運用が折衷案となります。
次に『量的功利主義』と『質的功利主義』に分かれます。
さらに、幸福と苦痛の差分の最大化を目指す『幸福主義型功利主義』に対し、20世紀には幸福計算を放棄して人々の希望を最大限実現することを目指す『選好充足型功利主義』が登場しました。