正義の論拠をザックリ分類すると「結果」「自由」「美徳」の3種類になります。
結果から正義を導く考え方を『帰結主義』といい、その典型が『功利主義』です。
ベンサムとミルは功利主義を唱えた代表的な政治哲学者で、「社会全体の幸福の総和と苦痛の総和の差分を最大化することが正義だ」と考えました。
ベンサムは様々な幸福を平等に扱い、その量だけを比較する『量的功利主義』を唱えましたが、ミルは質の高低を考慮した『質的功利主義』を主張しました。
自由から正義を導く考え方を『自由主義』といいます。人間には自然な権利があると考えるのです。
ロックは「個人の権利を守るため社会が生まれた」と考え『社会契約論』を唱えました。そして社会を維持するためには、人々が一定の犠牲を払う必要がある、と認めました。また、社会契約に反して平等な人権を守らず、全体のために一部の者の権利を恣意的に奪う国家は、打倒されるべきだといいます。
カントとロールズは『リベラリズム』の代表的な論者です。特定の価値観に肩入れせず、人々の自由な選択を保障するのが公正な社会だ、と考えました。そのため民主的な多数決ではなく仮説的な社会契約に基づく制度設計を訴えます。カントは、理性が導く道徳は、結果や個別の状況と関係ないことを示しました。ロールズは恣意的な条件による分配を否定し、格差原理などを見出しました。
一方、ノージックの『リバタリアニズム』は、社会の必要性を小さく見積もり個人の自由を重視します。自己所有の原則を謳い、多数決による権利の制限を批判します。例えば、自殺の禁止は不当な干渉、政府による所得再分配は財産権の侵害と捉えます。
美徳とは「人はこう生きるべき」「社会はこうあるべき」といった観念のことです。
アリストテレスは、あらゆる人や物には目的があり、その目的に適った行動や分配が正義だと考えました。これが『目的論』です。選択の自由とは衝突する発想ですが、現代でも多くの人が、様々な場面で目的論に沿って判断しています。
また「共同体の義務」という考え方があります。基本的人権の尊重などの普遍的な義務、契約・同意といった自律的な義務に加えて、地域や血族といった共同体に属すること自体が生む義務がある、というのです。これは共同体の中で共有されている美徳から導き出されるものです。
『共同体主義』は美徳を正義と結びつけ、ときに正義は必ずしも幸福や自由と重ならないのではないか、と考えます。ウォルツァーは、結局のところ正義とは特定の社会における「常識」だと主張しました。サンデルは、道徳的な議論を重ねることで共通善を見出せるのではないか、と訴えます。