趣味Web 小説 2012-02-19

私がお節介な助言をする理由

はいはい、君が言っていることは正しい。しかしそんな言い方では「普通の人」から引かれるって。もっとよく考えなよ。……と、そういった趣旨の「アドバイス」をしてくる人が毎回のように出てくる。(中略)

しかし、なぜその人たちは「普通の人」ではなく「左翼」(サヨク)の側にアドバイスをするのだろう。たとえば「普通の人」の側に向かって「左翼はいいことを言ってるんだよ。語り口にドン引きしたりせず、是々非々で判断しなきゃ」と、「左翼」の言葉に耳を貸すように働きかける人はなぜいないのだろうか。

私は過去に何度か、この指摘に当てはまる文章を書いてきたように思う。とりあえずすぐに思い出せたのが、この記事群。

読んでみると、私はトロープさんがされているような批判を予期して、あらかじめいろいろ説明していた。しかしながら、いろいろ書きすぎて要領を得ないな……。あえて1箇所だけ引用するなら、ここかな。

理屈はわかる、と、共感する、は違うんですよね。

「お話はわかりました。本題について、異論・反論はありません」なんだけど、胸の中にもやもやするものが残っている。理屈でもって抑圧されている何かがある。それをそのまま言葉にしても、いいことがない。ただの感情である。不快感である。反論の体をなしていない。それはわかるから、黙っている。

自分が説得されたとき、いつもそんな気持ちになるわけじゃない。パーッと光が差すような、「エウレカ!」と叫んで走り出したアルキメデスに「わかる、わかる!」といいたくなるような、そんな気持ちになることだってあるのだ。でも、いまはそういう気分ではない。

理性では納得した。だから反論はない。どう考えても反論はない。自分は完全に説得された。あるいは、最初から相手と同意見だったのである。ならばどうして、自分は不愉快なのか。これは謎である。居心地の悪い感覚である。どうにかしたい。何かうまい説明がつけば、スッキリするような気がするのである。

言い方の問題は、そうした煩悶への「答え」として、発見されやすい。「言葉の選択が悪い」「いちいち他人の感情を逆なでするような言葉を使うからいけないのだ」というわけだ。

おそらくそれは、本質的ではない。他の人はどうか知らないが、少なくとも私の場合は、そうだろう。やっぱり私は心情的に「悪」の側に与しているのだと思う。ズバリ指摘されればまず否定するし、そのときの気持ちとして、それもまた本当のことなのだが、残念ながら「決め付け」は当たっているといわざるを得ない。

理屈はわかるが、共感できない。その時点で、答えは出ている。私が共感できないのは、建前と本音が一致していないからだ。その先、私のすべきは、長い長い内省の旅路を歩むことだけなのだと思う。

まあね、私の人生なんか丸ごと無駄だともいえるし、やるべきことだけやって生きてるわけじゃないから。「そのいい方が気に食わない」という批判は、今後も何度でもやるんじゃないですか。「いや、わかってますよ」「わかってんならやるな」「そーですね(うるせーよ)」まで想像してセルフイライラ。

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