趣味Web 小説 2007-12-12

講座設計のイロハ

1.

数年前、ふと気になって、夏休みの宿題について WWW にどのような情報があるのか、調べてみました。出てくるのはたいてい、宿題に取り組む人のための情報でした。

たまに親視点の情報もありましたが、基本的に「宿題に取り組むのは子どもであって私じゃない」というスタンス。子どもが宿題をサボるのは自分が至らないからだ、と考える親はほとんどいないらしい。なるほど、「勉強しなさい」と他人事のようにいうばっかりなわけです。

私が「夏休みの宿題」という小文集を書いたのは、こうした状況への抗議でもありました。宿題は家族で取り組むもの、子どもだけに「やらせる」ものじゃない。だから、保護者は子ども以上に、宿題にきちんと取り組まねばならない。そんな主張が、検索上位にひとつくらい顔を出してもいいはず……。

今日、「夏休みの宿題」と検索してみると、宿題の指導がたいへんというお母さんの質問が上位に出ていました。私の解説など貧弱なものです。もっとこうした保護者の需要を満たす情報があるといい。もうひとつ、教師はいかにして夏休みの宿題を出題・指導・評価すべきか、を説くサイトもほしい。

それにしても、日本人が1億人以上もいて、私が書いたような情報を提供するサイトを作る人が他に一人もいないのだから、なるほど「個性」というのはバカになりません。

2.

レポートのコピペ問題が話題になって以降、100を超える文章に目を通しましたが、不思議と「教師のためのレポート出題法講座」のような記事がない。学生の意識改革のための提言が大半。なぜ自分のやり方を反省しないのでしょう。

そもそも何を目的にレポートを課しているのか、よくわからないケースが多い。というか、講義自体、何をどう教えたいと思って組み立てているのか理解に苦しむ事例が多過ぎるように思う。そりゃ賢い人たちだから、訊けば立て板に水の回答は得られます。コピレポ問題にも言及している武田徹さんの日記からひとつ紹介。

バイオテクノロジーに対して二人の講師がそれぞれ自分の意見をぶつけあう。それぞれに自分の考えを披露し、報道関係者に切実に伝えようとする。13時30分からはじめて19時までそれが緊張感を途切れさせずに延々と続く。講師二人はいろいろと不満も残ったかもしれないが、そんな光景を間近で目撃したジャーナリストは、少なくとも今までと同じレベルでバイオ関係の記事を書こうとは思わなくなるだろう。そこにいまだ結論の出ていない問題があることを目の当たりする経験の衝撃は大きいはずだ。生きているように動く「脳死」体の映像はショックだったろうが、それを含めてもセミナーの時間内で手に入れられる事実は実はそう多くない。しかし身構えが変わればジャーナリストとしてのいつかは姿勢が変わって行く。

bioethics とは生命倫理(学)のこと。上記の説明に「なるほどー」とか感心する人が、たぶん多いのでしょうが、私の判断では典型的なダメ講座です。

「身構えが変わる」って、具体的にどう変わるの? そりゃ何か変わったような気にはなるかもしれないけど、客観的に、どうなの。1年も経たずに、主観的にも勉強の成果は謎になってしまうに違いない。当然ですよ、従来の取材の組み立てに何をプラスすべきか、全然教えていないんだから。

武田さん、この講座に関して、いったいどんなレポートを課したのだろう。「興味関心のある生命倫理的課題をひとつ発見し、自由に論じなさい」みたいな感じか。断片的知識を与えるタイプの講座である以上、せいぜい講座の感想か、思い付きを書かせる他ない。

私なら、武田さんがサラッと流した前説の部分を中心に、「現状把握→講義→練習→試験→評価→復習」というパターンを素直に踏襲します。

1.小論文 50分

現状把握:課題「脳死移植について自由に論じなさい」(2000字)

2.解説 10分

生命倫理の問題は、「人道」「効率」「私権」「公益」という4つの観点で掘り下げ、「人道VS効率」「私権VS公益」という2つの対立構造で整理することで、特定の倫理的立場に偏った記事や結論先行の取材など独りよがりを脱却できる。健全なジャーナリズムには幅広い立場への取材とバランス感覚が必要だ。

3.講師2人の激論を聞く 3時間30分

取材の演習:受講者には「ダッシュボード」「人道」「効率」「私権」「公益」「人道VS効率」「私権VS公益」合計7枚の取材メモを書いてもらう。

4.小論文 1時間

記事執筆の演習:課題「脳死移植について自由に論じなさい」(2000字)

5.評価

最後に2つの小論文と7枚のメモを提出してもらう。採点後、全員の全提出物をスキャナで取り込みPDF化、会員制ウェブサイトなどでダウンロード配布。

武田さんは講座設計のイロハを学んだ方がいい。武田さんには、受講者に習得させたい具体的なものが何もない。何もないから、現状把握も演習も評価もしない。終了後、受講者の少なからずが「で、この講座が明日からの仕事にどう役に立つんだ?」と本音では疑問に思ってたはず。

講座の様子を撮影してDVD化すれば、コタツでみかんを食べながら追体験できちゃう程度のことを、未来を変革出来るポテンシャルをもったセミナーだなんて武田さんはいう。2年経って、日本の報道の何がどう変わったのか教えてほしい。

3.

生徒にとっては「このことについて自分の考えをまとめなさい」系の課題は苦手のようです.新聞・雑誌,図書,Webページなどいろいろ調べさせても,テーマを理解することまでしかできず,自分なりの課題設定ができない.結局,どこかのWebページにある記事をそのまま写しておしまいにしてしまう.

それはどれほどつまらないことかというと,「自分にとって”勝ち組”の条件とは?言いなさい」と問われて雑誌に載ってたことをそのまま言っちゃうくらいつまらない.痛い.自分がない.魅力がない.価値がない.

真にくだらないのは「自分の考えをまとめなさい」という課題の出し方です。学生が苦し紛れに思いつくのは、過去に身につけた数少ない思考パターンの焼き直し。足し算しか知らない小学生が、自力で掛け算を思いつくか? ありえない。そんなレポートを書かせて何が楽しいのだろう。

小学生は382回の授業を経て、ようやく掛け算、割り算を「使える」ようになる。考え方のパターンを学ぶ、パターンに従って問題を解いてみる、何度も練習する、そうしてようやく、新しい思考パターンの初歩的な活用力が身につく。

授業に出ていなくてもテーマだけ聞けば書けちゃうようなレポート課題を出してる教師は、みんな反省してほしい。ようするに何も教えていないんだよ。きっかけを与えた、などといって無内容な講義に満足している人々には、いい加減、目を覚ましてほしい。

講義で、考え方の枠組みを示す。例題として、その枠組みに従って、具体的な問題を読み解いてみる。演習で、似た問題を学生に解かせてみる。だいたい演習の時間がないので、そこをレポートにする。半期15回、きちんとこのパターンを守って授業を進めていく。

こういう基本的な技術すら知らず、知ろうともせず、くっだらないレポート課題を出して、コピペレポートに愚痴る。自分でおかしいとは思わないのか。

4.

と、書いてはみたものの、武田さんの授業法は、市場経済的に正しいのでしょう。以前、大学改革案をいろいろ書いたときに、「ホントに需要があるならビジネスチャンスでは?」みたいな意見をいただきました。その通りで、おそらくは需要がない。

私は現に存在する消費者の不満の声の一端を紹介したけれども、いま、私が改善すべきといったようなことを頑張ったところで、それが売りになって受験生が殺到するとは考えられない。所詮は優先順位の極めて低い要望に過ぎないのです。

武田さんの講座に参加して、「これが何の役に立つんだ?」と思った人も、私が示した構成だったら、多分、そもそも参加しようと思わないでしょう。どうせ使う気のない(面倒な)メソッドを習得することには関心がなく、手軽に何かの「きっかけ」がほしいというのが本音。武田さんは、その需要に誠実に応えただけ……。

ゆえに武田さんは、私の批判など歯牙にもかけないだろうし、それはそれで「正しい」判断だと思う。「自分の考えをまとめなさい」というレポート課題も、いまの「常識」を背景にしたもの。そう簡単に倒れるわけがない。しかし、私の批判も、僅かに引っかかりを感じる人が、いるはず。地道な挑戦は続く。

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