備忘録

平成22年7月31日

1.

働かずに遊び暮らすのは、人類の夢ではなかったか。失業率が上がったとはいっても、「失業=飢え死に」ではないのだから、そもそもその人が働く必要はなかったともいえよう。仕事が減って失業率が上がることの何が問題なのか? ……というような話だと理解した。

2.

端的に回答するなら、失業者とは「仕事がほしいのに仕事がない人」のことであり、無職とイコールではない。ほしいものが手に入らないのは不幸だから、失業者が増えて失業率が上がることは、問題である。

年金暮らしにそこそこ満足して、毎日ぶらぶらしている老人などは、賃金労働に就かずに当人の納得のいく水準の衣食住を確保している。これなどは、幸せな無職ではないだろうか。ぶらぶらしているのが好きな老人に「仕事を用意したから働いてくれ」といっても、いい顔はされまい。だが、求職中の失業者や、就職の希望が持てる経済環境になったら求職を再開しようと考えている潜在的失業者は、仕事がほしいのである。

「社会が必要とする仕事が減ったなら、働かなくてもいいじゃない。生活保護があるから死なないよ」という言葉に、失業者も勤労者も同意するなら、いい。しかし現実には、たいていの人は生活保護水準では満足できないし、勤労者も所得の再分配に厳しい条件をつけたいと思っている。

例えば、日本人が所得の一部を最貧国に分配すれば、日本人全員と同じくらいの人数を「働かずに暮らせる」ようにすることは可能だ(注:現状、社会を成り立たせるためには、特定の社会の全員を無業者にすることはできない)。生活水準を据え置くということが可能ならば、これは持続可能な仕組みだ。

実際、貧しい国の子どもたちへの支援は、子どもたちに賃金労働をさせないことを目標のひとつとしており、大きな成果をあげてきた。同様に老人や病人を見捨てないための支援も、地球に無業者を増やすことに貢献してきたといえよう。現状程度の国際支援でも、かなりの成果が出ている。

だが、このような発想を延長したところで、労働力率を4割にするのが精々ではないだろうか。日本人の経済力をもってすれば、最貧国の健康な大人たちも最大限、仕事をさせずにおくことが可能だ。でも、それをよしとする意見は聞かない。

3.

ここで仮に、「1人の労働者が10人の無業者の命を支える」ことが物理的には可能になったとしよう。しかしその実践には、なお壁が立ちはだかる。稼ぎの大半を「働かざる者」を生かすために消尽しなければならない労働者を納得させる「物語」がない。多くの人は、己の労働の報酬に対して独占的な権利を感得する。それを他人に分け与えるなら、強力な理由がほしい。

現代の先進諸国では、賃金労働者は社会の構成員の6割程度となっている。子どもは働かない。老人も働かない。「家族だから、社会的弱者だから、みんなでその命を支えるのだ」という物語で、これまではやってきた。多産社会では労働力率4割ということも珍しくない。

しかし、2割、1割となると、これは人類未踏の領域だろう。従来、技術の進歩は生産力の増強に主に貢献し、社会全体が必要とするマンパワーの圧縮には相対的に小さな貢献しかしてこなかった。今後もその傾向は変わるまい。その先にも、分配の理由付けという課題がある。21世紀中には現実味のない話だとは思う。

平成22年7月30日

1.

リンク先とは関係ないのだけれども、あちこちでよく見かける、「福祉は安定財源で」という主張には疑問があります。

「安定した福祉+景気によって増減する直接税中心の税制」の方が、優れていると思う。1〜3兆円程度の減税や給付金だけで国会は大騒ぎになりますが、法人税や所得税なら、景気の悪化に対応して即座に10兆円を超える規模の減税を実現します。逆にバブル景気ともなれば、スルスルと税収は伸びていく。

景気対策のスピード感を問題視するなら、いちいち国会で議論したり、大臣が決断したりする必要がなく、自動的に効力を発揮する制度を予め用意しておくのがいちばんよい。

2.

福祉予算を消費税とセットにしたがるのは、福祉を財政再建論議から切り離したい人々。効果的な戦略だと思う。たしかに「福祉予算を聖域化するな」という声は鎮まっていない。むしろ高まりを見せつつあるのではないか。危機感を持つのは分かります。

ですが、異論の持ち主の説得を放棄して、あるいは持論の正しさを自明視して、「バカの攻撃から制度の壁で福祉予算を守るんだ」という方向を目指すのは感心できません。端的にいえば、独善的です。「正しい独裁」ないし「正しい既得権益」を認める発想でしょう。

……とはいえ、かくいう私も、理想を掲げて作られた法律によって、守られてきた一人です。言論の自由など、実際のところ、世間の多数派はそれほど尊重していない。人が生きる権利すら。推定無罪も何のその、いざ冤罪が明らかになっても「警察が悪い」「マスコミが悪い」みんな他人のせい。

人権派の不満はよくわかる。そして、これでも日本政府は暴虐な世論によく抵抗している、と私は思うようになりました。福祉を消費税とセットにすることだけを、問題視するのはおかしい。

だけど、それでも、やはり基本的には、政府と民意は寄り添うべき。制度・法律の壁で民意に抗する領域は狭い方がよい。世論に簡単に左右されない制度を民主的に構築し、独善に陥ることなく民意とのバランスを保ちながら修正していくのは、とても難しいことです。

3.

「筋」が通っているのはbewaadさんの方だと思う一方、世論のうねりを捉えた小泉純一郎総理(当時)の発言を簡単に切り捨てるところに、陥穽があるとも感じます。

制度というのは、なかなか変えられない。民意と大きくズレてしまってさえ、修正は難しい。制度のダムに世の人々の憤懣が積み上がっていく。けれども、そもそも簡単に世論に左右されないために特別会計などの制度は作られるのだから、この問題は最初から内包されています。

現行の制度に問題があるなら、それを廃止して新しい制度を作るべき。それ自体は正論だけれども「制度の強度と世論とのズレのバランス」への配慮を欠いています。道路特定財源という制度が、他の制度と一律に頑健であることに、多くの人々は怒ったのだと思う。小泉さんは、このジレンマに対して「道路特定財源に関しては制度をちょろまかす」という解決策を提示したわけです。

筋を枉げてなし崩し的に制度を変更するのは、ヤバイ。けれども、小泉発言を単に「意味不明」と評したのでは欠落する部分があると思います。

平成22年7月29日

まあでも、檀家が減って法事が少なくなってしまった以上、お寺を存続させるには、たった1回の葬儀で十分に利益を上げるしかないんだよね。いずれは全国的に「もう寺に住職は要らないよ、市町村が管理業者なんかに清掃と修繕だけお願いすればいい」となっていくのだろうけど。

というか、ビジネス云々は説明に都合のいい話に過ぎないと私は思う。宗教をビジネスにせず、生活の糧は副業で稼ぐような僧侶が大半だったとしても、葬式を不要と考える人は現状と大差ないペースで増えていったのではなかろうか。

うちの家族だと、母と私と弟は葬式不要派。3人とも、お寺にはとくに不満を持っていないが、病院で死亡確認後、火葬場に直接、棺を持ち込んで燃やすことを希望している。火葬場に集まれる人だけ集まって、間に合わなかった人は「別にいいんじゃないの」。遺産は弟だけが引き継ぐ(弟が死んだら遺産は全て国庫に収める)。母と私は相続放棄する。両親の墓は解約済。遺骨は引き取らない。

以上が「本人の希望」なんだけど、どうしてもそれじゃ嫌だという人がいるなら「勝手にすれば?」。葬式をやりたい人が、勝手に葬儀屋の手配とか費用の負担をすればいいよ、と。父は葬儀をしたいそうだ。

ちなみにその父は、自分が死んだ場合も葬式をやってほしいという。贅沢な葬儀は求めないそう。それなら、ということで、予算はもう確保した。とりあえず300万円。将来、インフレになっても、ある程度は利息がつくだろうから、まあ十分だろう。

平成22年7月28日

クリエイティブ・コモンズ(CC)が「表示」を外したライセンスを作る可能性って、ないのかな。

以前、CC版のパブリック・ドメイン・ライセンスであるCC0の採用を検討したのだけれども、英語じゃなぁ……と二の足を踏むことになりました。自分自身が(きちんと納得できる程度の正確さで)理解できないライセンスを付与するわけにはいかない。それから1年半、日本語化は進んでいない。残念だな。

CCってそんなに厳密なものじゃないらしいので、多少は不正確でもいいから公式の日本語訳を作ってくれたらいいのに。費用の問題なら、実費に相当する金額を寄付する用意はあります。

追記(2010-09-15)

有志による翻訳が進んでいるとのことです。将来、公式サイトに統合されたらいいのにな。

平成22年7月27日

1.

「家は買うのが得か、借りるのが得か」という話題は、はてブ界隈では繰り返し注目を集めています。

k atakaさんが、不動産価値の目減り、保全費用、固定資産税、頭金の運用益、利払い費を考慮して試算したことろ、買っても借りても大差ない(残された不動産価値相当の現預金が手もとに残る)という結果になったそう。

素朴にいって、家を買うか借りるかで圧倒的なコスト差があれば、必ず裁定取引が行われるはず。長期的には、そのコスト差は消えます。なので、家を買っても借りても、コストに大差がないのは当たり前の話。……というのは、経済学の入門書に書いてあることですが、人に話してすんなり納得されたことは、あまりない。

不動産は流動性が低いので、個別の具体例については、かなりのコスト差が観察されることもあると思う。そしてマクロの理屈より、ミクロの観察体験の方を世界認識の基礎とする人が多いわけから、それも仕方のないことかな。

ところで、k atakaさんの試算では、頭金の運用利率と住宅ローンの利率が0.2%しか違わない。だから頭金とローンのバランスを変えても、結論がほとんど動かない。これは少々特異な前提だと思う。

(k atakaさんの前提は近年の状況を反映したもの。20年近い日銀の金融失政は事実だが、「銀行がまじめに住宅ローン事業をやって地価変動や不況に脅えても、国債との金利差は0.2%ぽっち」なんて異常事態が今後20年も続くと仮定するのは疑問。「失われた40年」……)

2.

矛盾したことをいうようだけれども、そもそも論をいえば、大家が寄生している以上、賃貸は分譲より高いに決まっています。ところが、その価格差が「納税や管理の外注費」として受け入れられることはなく、日本の賃貸市場には、分譲との価格差をゼロにしようとする圧力がかかっています。大家側の対抗策は二つ。

ひとつは、大家が無借金で賃貸物件をはじめること。通常、住宅ローンの金利は頭金の運用利率よりかなり高い。ライバルの分譲物件の実質価格はローン金利込み。だから家賃をそれと同等に設定すれば、銀行の利潤に相当する額が、大家の利潤になります。

もうひとつは、物件のグレードを落とすこと。「立地・間取り・見た目」でごまかして、壁や床をケチる。大半の大家は借金して賃貸を始めるので、これしか手がない。多くの消費者が「大家の仕事」に適正な支払いをする意思を持たない限り、日本の賃貸物件の悲惨さは改善されません。いつまでも。

平成22年7月26日

経営の傾いた準大手の出版社があって、希望退職に応募した「たぬきち」さんが社員生活を振り返るブログをはじめたら、大きな反響を呼んだのだという。7月末にブログが書籍になることを6月上旬に告知したら、コメントの著作権の扱いをめぐって批判が殺到することに。いまはもう落ち着いているみたい。

コメントの著作権については脇において、少し別の話をしたい。

今のエンドユーザーは非常にレベルが高いので、ちょっと嘘を書いたらすぐ見破られてしまいます。すごくたくさんのコンテンツに触れているから、見抜く力がすごいんです。

別にそんなことはないと思うけど。せっかく匿名でやっているのに、そんな窮屈な枠を作らなくたっていいだろうに。ちなみに私の日記には、適当に創作が混じってますよ。そのつもりで読んでください。いちいち書かれていることが全部「真実」だとか、思わないでほしい。

ていうか、「本当の話」なら面白いけど、「創作」ならつまらない、って、私にはよくわからない感覚。どうせ他人事じゃないか。そこにどんな差があるっていうの? まあ、私の文章が全部「本当」じゃないと面白くないという人は、私がさっき「創作も混じってますよ」と書いたのが「嘘」だということにすればいいんじゃないの。

それ以上に謎なのが、「出版社が希望退職を募って応じた中年男性の語」が、なぜ書籍にするだけのコンテンツと看做されるのか、ということだ。だいたい中小の出版社はいくつも潰れているのも周知の通りだし、編集プロダクションや個人ライターが収入を得るのに厳しさを増していることも今にはじまったことではない。

そんな理屈が通るなら、書店に並んでいる本の大半は商業的な価値を持たないことになります。でも実際は、それぞれ、それなりに売れているわけでしょう。

たぬきちさんの日記は、当のParsleyさんを含めて数万人の耳目を集めて、3月末からの4ヶ月で150万PV以上という結果を出しました。ウェブ上でも、ちゃんと需要があったということですよね。「1億2千万人強の日本人のうち、1万人くらいは興味を持つ本にはなりそうだな」と出版社の人が思うことに、私は疑問を感じないな。そりゃたしかに、「99%の国民にとっては、どうでもいい話だよな」とは思うけれども。

追記:

新潮社が思い切って1.8万部も刷ってくれたので、コメント部分の印税額は約64万円にもなったとのこと。

リストラなう!

サラッと読んだ限り、個人的には、コメントは不要ではないかと思った。無駄な騒ぎだったんじゃないか。どうしても必要なコメントがあるなら、いくらか追記して「引用」すれば十分だったように見える。

平成22年7月25日

小企業の経営者である松尾琢磨さんが、中途採用応募者の履歴書についてtwitterで感想をつぶやいたら、大きな波紋を呼ぶことになった。

これが官公庁の話なら、「非常識」に対して国民が怒りの声を上げるのもわかるが、民間企業の話じゃないか。松尾琢磨さんの選考基準が理不尽なら、松尾さんの会社は必ず人材難に陥り、ライバル社に負ける。だから放っておけばいいんだ。逆に松尾さんの会社が成功するなら、松尾さんは正しかったということになるね。

自由経済というのは、人々が思い込みを捨てて多様な方針で突き進み、死屍累々の中から事前には想像もできなかった勝者が現れるところに、その良さがあるんだ。「みんな」の考えが「正しい」と決め付けたら、そんなのは計画経済と同じじゃないか。行政サービスなら、市場による淘汰が起きないから、仕方ない、常識に沿って運営するしかないのだが。

唯一、問題があるとすれば、何らかの病気や障害のためにまっすぐに印鑑を押すことができない人が、当人の努力ではどうにもならない理由で職を得られない可能性だ。しかし松尾さんは、そのような特殊事情を考慮しないとはいっていない。勝手に悪い方へ憶測してブチ切れるのは、感心しない。

最近はワープロ印字の履歴書が歓迎されることも多いそうだ。ていうか、手書き主義に怒っているような人は、臆せずワープロ印字の履歴書を送ればいいじゃないか。それで落とすような会社なんか、社風が合わないのだから、入ってもロクなことはないよ。

余談:

印鑑をきれいに押すために「印矩(いんく)」という道具があります。

でもこれ、印鑑の軸が角型でないと使えない。残念ですね。軸は角型、印面は丸型、という印鑑があれば便利なのに。いや……そもそも個人のサイン代わりとして丸型の印鑑が普及したのは何故なんだ? ちょこっとネット検索してみたけど、わかんなかった。別に丸型にこだわる意味はなさそうなんだけど。

平成22年7月24日

結論 企業は養護施設じゃないんだから、「仕事が出来ない人」に多大なエネルギーを使うくらいならクビにするのが筋

優秀な人間だけ集めて社会を作ったら、どんなに暮らしやすくなるだろうか……みたいな感覚、現代の日本ではそれなりに人権感覚が広まってきたように思うのだけれど、なかなかしぶとい。

「(少なくとも身寄りのない)ボケ老人は、さっさと殺した方がいい」とまで突き抜けた考えを持っているなら、それなりに一貫性はある。けれども、そこまで割り切れないなら、会社から無能を追い出したって、税金経由で命を支えざるをえない。だったら少しでも仕事をしてもらった方がいいじゃないか。

いま一方で「障碍者雇用」が少しずつ進んできているのだけれども、「障碍者」なら許せる、「無能なヤツ」「向上心がないヤツ」は許せない、みたいな分断って、不幸だね。便宜的に線引きが必要になる場面があること理解するけれども、それはあくまで便宜のためだと考えた方がいい。

こういう話とは別に、私が夢想するのは、基礎収入制度と最低賃金撤廃がセットで実施された、「ほんの僅かでも社会に貢献できることがあれば、1円からでも収入を得られる」ような社会。いきなり時給600円というのが、仕事の敷居を高くしている。もっと気軽に仕事をできる社会であるべきだと思う。

昔から、これは考えてた。もし可能なら、やるべき。日本人の平均所得なんか、いまの半分でいいだろ。70年代後半くらいの生活水準じゃ、そんなに不満なのか? 飢えて死ぬわけじゃなし、自動車とカラーテレビと冷蔵庫と洗濯機くらいはあるぞ。

平成22年7月23日

なんでも程度が過ぎると病気ということになる、わけか。しかしよくわからないのは、だいたいどれも生育環境にその要因を求めていることだ。ようするに、親がよい育て方をすれば、「ふつう」の範囲内に収まったはずだ、というのだろう。

ここにも、人間の個性を、大多数の人々の平凡な想像力の範囲内に押し込めようとする、画一的な人間観があるように思える。

平成22年7月22日

私はディービィーさんと意見が違う。

1.

物語の根幹でありもっとも重要なのは、その「『嘘の世界』での出来事に『キャラクター』がどう動き、感じるか」です。それに共感した人が涙をしたり笑ったりする。逆に「ご都合的なもの」や「白々しさ」や「嘘を嘘だと思わせてしまう」ものが潜んでしまうと、受け手はガッカリしてしまうのです。

つまり、物語を描くには、題材に対する膨大な知識と人間への観察・洞察が必要なんです。それらをもって、世界の創作と言うのはおこなわれるのです。

私なんか、自分が変人だから、ふつうの人ばっかり登場するドラマには違和感がある。だいたいドラマに登場する人って、みんな恋人から電話がかかってくると喜ぶ。たまに喜ばない人がいると、本当はその人のことを好きじゃないんだ、と決め付けられる。ふざけんな、と私は憤りを覚える。

人間観察を敢えて放棄した小説とか、「ふつう」の現代人とは明らかに価値観というか「人間のつくり」が違う人物が登場する歴史小説が、私は好きです。森博嗣さんが「殺人の動機なんてわかるものか」と書いて、本当にそのまま動機の追求を放棄した推理小説がバカ売れしたときには、すごく嬉しかったな。「人の気持ちがわかる」つもりの作家には、もうウンザリだ、と思って。

2.

観察や洞察なんかしてるからダメなんだ。もっと想像力を持ってほしい。でもそうすると、リアリティーがない、とか、圧倒的多数の「ふつう」の人々にいわれちゃうわけでしょ。

別に、共感するだけが物語の楽しみ方じゃない。でも、もうちょっと、私が共感できるような人物の登場頻度が高くてもいいんじゃないの。たまに「あ、ちょっとこれ、わかる!」と思ったら、たいてい悪役だし。悪役って、途中まではよくても、追い詰められると、きわめて愚かなことをいわされるから嫌なんだ。ちぇっ、取って付けたように「ふつう」の人が理解できる世界に押し込みやがって……不愉快だ。

一番ひどいのがファンタジー作品で、世界観が突飛な分、人格はきわめて「ふつう」。異世界なんだから、現代の地球の先進国人と同様の感覚で生きているという方がおかしいと思うんだけど。

北川さんは「Twitterはただのシステム」というスタンスを取っているようです。つまりは、その裏側の「Twitterユーザーならではの生活」、もっと言えば人間を見ていません。人間を見ていない、ということは、上述の「創作された世界での出来事に『キャラクター』がどう動き、感じるか」が描けない、と言うことなんです。なんでかと言うと、瑛太君や上野樹里さんを「Twitterユーザー」という人間に見せかけることができないからです。

これ自体はもっともな指摘なようにも思えるけれども、でも結局は、「ふつう」の人が納得できる「Twitterユーザー」像でなきゃダメといっているわけで、一定の枠に想像力を押し込めてしまうことになるわけだよ。所詮、「ふつうのTwitterユーザーはそんなことしない」みたいな形で、変人の感覚は殺されてしまうんだ。

本人がTwitterユーザーである北川さんが書いているんだから、最低限の基礎体験はあるわけで、その想像力の発露が「ふつう」かそうでないかという観点からバッサリ斬られてしまうのは悲しいね。

そりゃ正直、Twitterというより、どマイナーなチャットに集まる常連たちがオフ会を開いた、みたいな方がそれっぽい感じではあったけど。でも、部分的には「物理的にありえない」描写があるとしたって、人物像としては全くありえないわけでもなかったろう。Twitterを「あんなふうに」使ったっていいんじゃないの。

でも結局、ドラマはほとんどTwitterと関係なかったけどね、実際。まあ、あれだけ仲良くなれば、Twitterじゃなくて電話やメールが中心になるよな、「ふつう」は。だから、Twitter関係なくなるのは自然だな、とは思ったけど。逆にいえば、Twitterのシーンを増やそうとしたら、あんなに主人公らを親密な関係にしちゃいけないんだろう。変人を描くつもりでなければね。

3.

「現実に極めて近い世界」に「面白い嘘」が混ざっているから物語は面白いのです。世界自体が嘘っぽかったらそれは物語として不完全なのではないかな、と私は思います。

こういう意見って、よく見かけるんだけれども、私みたいな人間の存在が許されないのが「リアリティーのあるドラマや小説の世界」なんだよね。主要登場人物はせいぜい数十人でしょ。60億人のうちのたった数十人が変人だったら、どうしていけないのか。簡単に「嘘っぽい」といわれちゃうのか。

私には吃音があるのだけれども、わかりやすさ優先で、ドラマに出てくる吃音って、つっかえたり、同じ音を重ねたりするタイプがほとんど。私のような「(頭の中にはちゃんと言葉ができているのに窒息するような感じになって)声が出ない」タイプの吃音は、まず見かけない(ていうか実例をひとつも思い出せない)。あー、世間的には「そんな人間は存在しない」ことになっているんだなー、と。

まあでもね、それは全然、許せる範囲。やっぱり、変な人が、「ふつう」の人の基準で勝手にあーだこーだ決め付けられてしまう描写とか、そういう視聴者の反応というのが、いちばん堪えるね。自分と違うタイプの人間がいるってことを、どうしてそのまま受け止めてくれないんだよ、という悲しみ。

「ふつう」に腹黒いとか、「ふつう」に陽気だとか、「ふつう」に強欲だとか、そういう「ふつう」の枠内の個性しか存在しない世界を当然視して、知ってるパターンのどれにも当てはまらない人を「リアリティーがない」と断じてしまう思考形式というのが、キツイ言い方をするなら「許せない」。

平成22年7月21日

個人サイトの凄みを感じる。ウェブならではの物量作戦。とくに「市町村変遷パラパラ地図」なんて、業者が請け負ったらベッドタウンに一戸建てが買えるくらいの見積もり価格になると思う。まあ、実際には発注する主体が存在しないので、無意味な仮定であるわけだが……。

それにしても、「市町村変遷パラパラ地図」より、私の「夏休みの宿題」の方がアクセスが多いらしいというのは、いったいどうしたわけか。製作の手間もそうだし、内容の素晴らしさから考えても、いくらなんでも理不尽だろ、と思ってしまう。抽象的な議論だと、ミルよりベンサムに与したいと考えるのだが、心は揺れるな。

まあね、このブログだって、誰かに金を払って、これだけの分量の記事を、これほど長期間にわたって書かせたら、家が建つくらいの値段になるのだろうけどね。

東アジア歴史地図2000」「北米歴史地図2000」で有名なサイト。歴史もの専門というわけではなく「生きものスコープ」など驚嘆するようなコンテンツが多々。

平成22年7月20日

こんなことが可能なら、どうしてふつうのPCリサイクルは有料なんだろう? そう思って少し調べてみたのだけれど、決定的な要因というのはわからなかった。

リスクや不安の管理基準を少し緩くすると(例えば中古のHDDをデータだけ消してリサイクルするなど)、無料でも商売が成り立つということだろうか。あるいは、働いている人の給料とか、作業の安全基準とか、いろいろなところを必要最小限+少々という水準にして頑張っているのかもしれない。

「産廃の不法投棄とかやってたら嫌だな」とか半月ほど逡巡したが、とくに根拠はないがパソコンファームを信じることにして、利用させていただいた。パソコンの関連機器も引き取ってくれるのが一番のポイント。Windows7非対応の機器をまとめて処分したくて。ヤフオクとか、手間に見合わないもん。

余談

そういえば、引越しに際して処分した洗濯機のリサイクル料金は、一覧表を見るとメーカー毎に微妙な差があった。リサイクルというのは、企業の判断や努力が敏感に表れる分野なのかも。

関係ないけど料金一覧ページの「price_aiueo.html」というファイル名は、なんかいいな。

平成22年7月19日

1.

ネズミなど、げっ歯類は無根歯または常生歯と呼ばれる「伸び続ける歯」を持っています。そしてときどき、歯が伸び過ぎて食事ができなくなり、死んでしまう個体も出てくる。これを観察した人々は、「ネズミは硬いものをかじり続けないと歯が伸び過ぎて死んでしまうのだ」と考えた。この説明は、図鑑などにも載っています。ところが、じつはそうではないのだ、とcomplex_catさんは説明します。

同じ(硬いものがたくさんある)環境で育てても、異常な個体と、正常な個体が同時に登場することに、complex_catさんは気付きました。調べてみると、歯が伸びすぎる個体は、あごの関節や筋肉に異常があったのだそうです。……とすると、ネズミの歯が磨耗するのは、餌を食べたり、檻をかじったりするときではなく、上下の歯をこすり合わせるときなのではないか? complex_catさんは、そう結論します。

ネズミのあごの力はそれほど大きくないため、尖った歯の先端をノミのように使い、少しずつ削っていくことで硬い殻を持つ種子を割っています。それゆえ、歯の先端の切れ味が鈍ることは、死活問題です。ネズミの歯が伸び続けるのは、「上下の歯をこすり合わせて歯先を研ぐ→種子の殻を削る→エッジが甘くなる→また歯先を研ぐ」というサイクルで、どうしても歯が磨り減っていってしまうからです。

……ん? 結局、硬い殻をかじるから歯が短くなるんじゃないの? いや、そうではないのですね。工具のノミは、刃の先端がほんの僅かに丸まってしまうだけで、途端に切れ味が落ちます。そのまま使い続けても、ノミが短くなることはない。でも、ノミを研いで切れ味のいい状態を保ちながら使っていくと、次第に刃が縮んでいきます。これは包丁の手入れに熱心な方なら、日常生活の中でも体感されていることだと思う。

complex_catさんの仮説は、なるほど説得力があるな、と思いました。

2.

お子さんに話したら分かると思いますが,「ネズミって硬いものずっと齧っていないと歯が伸び続けて死しんじゃうなんて,伸びないようにすればいいじゃない。なんて馬鹿なの死ぬの?」って言われたとしたら,そうだね,間抜けだねって答えて,疑問が生じるかどうかという話なんです。

だから,歯が伸びてしまわないような方向にやりくりしなかったのは,硬いものを齧り続けるからではなく,硬いものでも対処できるように歯をメンテするために必須だったからが正しいということになります。「だったら,硬いものを相手にしない場合は,どうなるの?」っていう疑問に対して,「それには硬いものを齧るんだよ」。という素晴らしく間抜けなストーリーが,「ネズミは硬いものを齧り続けないと歯が伸びて死んでしまう」という言説の正体です。何にも答えになってないし,トートロジーにはまった間抜けな生き物に,齧歯類を貶める反自然科学的所業ですな。

個人的には、この主張にまでは頷けませんね。特定の状況に対応して進化した生物が、その特定の状況と一蓮托生の道に入り込むことは、珍しくないと思うのですよ。水中生活に特化してしまったワニは、恐竜が滅びた後も、地上の覇者とはなれませんでした。みんなの苦手な数学を頑張って得意科目にしたはいいけど、他の科目の成績は並以下になってしまい、受験科目に数学のない学部・学科への進学が困難になった、みたいな。

種子の硬い殻を割る能力を得たネズミが、その代償として硬いものをかじらずには生き続けられない身体になってしまった、というストーリー自体に、特段の違和感はありません。complex_catさんは、世間に流布している説より妥当な仮説を思いついた状態から逆算して、従来の主張を「間抜け」といっているように、私には見えます。

生物の設計には不合理な箇所が多々あることが知られています。最初に変な設計の生物が総合点でシェアをとってしまったために、後から苦労して欠点を補う進化をしていく、というような。私が体感したのは、後足のひざ関節の問題。4足歩行の簡単なロボットを作ったとき、ひざの表裏は逆の方が都合がいいことに気付きました。なるほど、速く走る動物の多くは、くるぶしから先を伸ばして(逆にくるぶしから上は縮めて)、苦労して逆ひざを作っているわけです。

硬い殻を割るアイデアのうち最良のものが、ネズミにおいて実現されているとは限りません。こう考えるのは、決して「反自然科学的所業」などではない。むしろ「げっ歯類を貶める」などという情緒的な発想こそ、偏見で目を曇らせる原因となりやすいと思う。

だからここはシンプルに、世間で常識とされている説明も、その根拠が科学的に怪しい場合は、「本当にそうなのか?」と思って観察してみる価値がある、とだけいった方がよいのではないでしょうか。

3.余談

漢字の誤変換がかなり多い記事で、本題とは別に、気になりました。とくに鑿(のみ)と書いて「かんな」と読ませているのは不思議。どうやって変換したのだろう。ちなみにカンナはふつう、「鉋」と書く。ノミもカンナも刃物として機能するメカニズムは類似しているので、どちらでもギリギリ意味は通じるのが救いか。

ちなみにcomplex_catさんの説明ではネズミの歯をカンナで例えているのですが、私の記憶では、ネズミのかじり屑はカンナよりノミの削り屑に見た目が近い。そこで上の本文では、complex_catさんの使った漢字の方を採用しています。

それに、ノミで木材を割ることは現実に可能だし、(ノコギリなども可能な限り併用する前提で)実際に行われてもいるけれど、カンナで割るというのは通常ありえない。その意味でも、ネズミの歯はカンナよりノミに似ていると思う。

平成22年7月18日

1.

あずまんというのは、小説家の東浩紀さんのことだそう。常野さんによると、東さんは過去の自分の発言について、記憶違いをしているらしい。まずそこに議論がありうると思うけれども、とりあえず常野さんの仰るとおりだとして。

私がよくわからないのは、現在の東さんの主張なら、常野さんは肯定できるのか否か、ということ。もし肯定できるなら、少なくとも現在の東さんは、その発言の通りに考えているのだろうから、もはや批判する必要はないでしょう。常野さんがやっているのは、無意味な嫌がらせに過ぎないのではないか。

逆に、現在の東さんの主張にも問題があるなら、現在の発言をこそ、きちんと批判すべきだと思う。

2.

少なくとも現在の東さんの中で、過去の発言の真意は現在の主張と同様のものだったということになっているのだから、実際の過去の発言がどんなものであれ、それを責める意味はないと私は思う。

誤った言葉の選択を「真情の発露」と解釈されて謝罪を強要され、「理不尽だ」と思ったこと、私は何度もある。それに、刑罰の類は、当人が再び同じ過ちをしないために科すもの。仮に記憶の捏造があったとしても、現在の考えが問題のないものならば、既に問題は解消されている。もはや「罰」など不要ではないか。

私には、常野さんの「勝利条件」と、その根拠が見えない。

平成22年7月17日

前の記事が脱線したまま終ってしまったので、仕切り直し。

このところADPAZ store闇黒日記der Gegenwart冬言響などで書かれている、サイトの変遷メモに便乗する記事を書く。今日はちゃんとテーマに沿って書く。

1.

自サイトの変遷をまとめたページ。昔のサイトがそのままコピーしてあるので、私がだんだんHTMLやスタイルシートを覚えて、まともなマークアップをするようになるまでの過程がよくわかる。「趣味のWebデザイン」のトップページがだんだんシンプルになっていく様子も一目瞭然。興味のある方はどうぞ。

こういうのはサイトを作った自分自身がいちばん楽しいと思う。みんなもやったらいいのに……と、私は時々話してきたのだけれども、実行している人を滅多に見かけない。かくいう私も、2006年を最後にやっていなかったりする。

2001年

3月に山田大佐と「にゃごろう村」をはじめる。当時、山田大佐は自宅にネット回線がなかった(!)ので、「私が郵便でフロッピーを受け取り、データをアップロードする」という仕組みだった。

当初はアップロード係に過ぎなかった私だが、大佐のサイトはあまりに素朴なデザインに見えたので、私は見よう見まねで勉強し、その改善に取り組むようになった。その過程でスタイルシートを知り、HTMLを勉強しなおした。私は文章を書くことには興味が持てなかったが、デザインいじりは面白かった。

かなり苦労してデザインを洗練させていったものの、大佐が掲げる1日100人の訪問は遠かった。私は苛立ち、大佐に対して、思いつく限りのありとあらゆる注文をつけるようになっていった。

12月、私は「02初級Webサイトデザインアドバイス」なるサイトを作った。大佐に自分の意見が十分には受け入れられない鬱憤が、こんな形になったのではないだろうか。当時、サイトの感想がほしい人はたくさんいたので、こんな企画が不思議と成立してしまった。

また、この新サイトは、9ヶ月間の勉強の成果を試す場でもあった。テーブルレイアウトの排除、スタイルシートによる見た目の調整……。「にゃごろう村」はコンテンツが増えすぎてデザインの改修が難しくなり、新しいアイデアへの挑戦には障壁が多かったのだ。

2002年

自分の流儀を守りつつ読者を増やそうとした山田大佐に対し、私はその流儀を捨てることを主張し続けた。ついに私は、大佐が愚痴を書いた1月18日の日記に「愚痴なんかつまらないから書くな」と公開で批判するに至る。翌日、「にゃごろう村」は閉鎖された。

当時、私は大佐の反応に驚いたのだが、今にして思えば、当然の流れだったろう。「大佐の面白い文章を、いかに大勢へ届けるか」という当初の問題意識から完全に脱線して、「大佐がつまらないことを書くから人気がないんだ。面白いことだけ書け」と批判したのだから、大佐が「裏切り」といったのもうなずける。

新サイトの運営は順調に推移し、簡単に1日100人の訪問を達成した。でも私は面白くなかった。私は山田大佐のエッセイを大勢に読ませたかったんだ。11月、私はレンタル掲示板を使い、適当に思ったことを書きはじめた。これが現在に続く「備忘録」のはじまり。以来8年間、うちのメインコンテンツになっている。

2.

こういうのも、作っておくと後で自分が楽しい。

2003年

「change」スタイルを全面改修して「think」スタイルを作る。以降、2009年まで基本的にデフォルトスタイルは「think」だった。

2005年

私は「think」に満足してCSSの勉強をパタッと止めてしまう。新しいスタイルを自分で考えようとすることもなくなった。そんな中、世間ではディスプレイの高解像度化が進み、CSSの伝道師たちの間にも固定幅のデザインが広まっていくことになる。

そこで私は、プロに依頼して固定幅のスタイルをひとつ用意することにした。それが「plant」であり、2009年以降、デフォルトで使用してもいる。

2010年

「plant」から5年。そろそろ新スタイルを追加したいな。相変わらず私自身は「think」がいちばん好きなんだけれども。

平成22年7月16日

1.

2.

1980年

私が生まれる。

1990年代前半

機内食メーカーに勤める父が「キッチン」から「原価計算」へ異動。夜勤も残業もなくなり給料が3割以上減る。以降、定年退職するまでピーク時の所得を回復することはなかった。それでいて慣れない事務仕事で椎間板ヘルニアを患い、手術と長期入院を経験する。

1994年頃

父がパソコンを買い、たっぷり2週間かけて、年賀状を作成した。印刷には1週間かかった。「ありがとう。お疲れ様」といって受け取った母は、半日で100枚近くの宛名書きを終え、投函した。印刷ミスは40枚に達したので、母は何度も郵便局へ足を運び、書き損じ葉書の交換を依頼したのだという。

1995年頃

Windows95は、重くて使い物にならなかった。父はガッカリした。私は学校で初めてパソコンに触れたが、いきなり大嫌いになって、こんなものと関わらずに生きていけたらいいのにな、と思った。

1996年頃

パソコンが新調され、Windows95が動くようになった。父の部屋に仕事関連のフロッピーディスクと印刷された紙であふれかえるようになった。深夜までジーコジーコ印刷したので母は怒り、プリンターは母が管理することになった。年の瀬が迫る頃、父の年賀状作成は、やっぱり2週間かかった。

1997年頃

父はインターネットに興味津々だったが、母にブロックされた。一方、私は部活の用事で一太郎を少し使ったが、ワープロ専用機の方がいいな、と思った。

1998年

春にCASIOのワープロ「Darwin」を買った。レポート作成に大活躍。あと文章の校正が楽になったので、長文の手紙を書くことが苦にならなくなった。

夏、大学の情報処理(UNIX)の授業の一環でHTMLを学んだ。Mosaicは画像が表示できる画期的な云々という説明があったが、画像の扱いについては説明がなかった。課題として、イントラネット用の自己紹介サイトを作成した。自分のウェブサイトを既に持っている同輩がいて、カラフルで何ページもあるサイトを提出したので、圧倒された。

避暑のため図書館または情報処理室に入り浸るようになり、閲覧者として「インターネットは面白いな」と思うようになる。

1999年

NECのノートパソコンを買う。実験のグラフを手で書いたり、手で計算するのが面倒になった。DarwinにもExcelが入っていたらいいのに、と思った。その後も私は、壊れるまで可能な限りDarwinを使い続けた。で、フロッピーの読込不良が頻発するようになり、大量の文書データを失ってしまうことになる。

この頃、手紙でやり取りしていた相手の多くがメールアドレスを持つようになったので、メールのやり取りが増えた。夏に情報処理室のUNIXシステムが更新されたが、SKKの使い勝手は何も変わらず、ガッカリした。他方、Mosaicに替わって標準のウェブブラウザとなったネットスケープの表現力にはびっくりした。

秋、図書館のWindowsシステムが更新されてInternet Explorer5が使えるようになり、また驚愕した。

実家が引っ越して、父のパソコンが新しくなった(この機種は2007年まで現役だった)。また、ケーブルテレビのサービス圏内となり、インターネット24時間使い放題の契約が可能となった。が、契約しない。

2000年

冬、就職活動のために、ケーブルテレビのネット回線を引く。

それから

いろいろあって現在に至る。

3.

あれ? 便乗記事を書こうとしていたはずなのに、他の人の記事と内容が全然違う……。なぜだ。少し考えてみて、「1980年、私が生まれる。」という書き出しが、決定的にまずかったのではないか、との結論になった。

平成22年7月15日

1.

これを更新するのがね、けっこう面倒くさいんだ。まず、Googleで「白熱教室」とか「サンデル」とか検索してブログを見つける。次に、他にも記事を書いてないかな、と思って過去ログを探していく。たまに「ハーバード白熱教室」というカテゴリを作ってくれてる人もいて、ありがたい。

浅学者のよろこび」のtodotaroさんは白熱教室の感想記事を32も書いていらっしゃるのだけれども、一覧がない。全12回の放送の感想をコンプリートしている方は、私を抜きにすれば、他に知らない。きわめて貴重だ。ログが流れていってしまうのは、もったいないと思う。

私がこういうリンク集を作るのは、後日、自分が読み返すためなんだけれども、リンク集がどんどん大きくなっていくと「本当に読み返すのかなあ?」と疑問がわいてくる。「よ、読み返すさ!」と、急にこれまでのリンク先の再読を始めたりする自分が、よくわからない。

2.

ハーバード白熱教室ノート」は特別に成功したケースだ。ふつうは、特設サイトを作るより、ブログに書いた方が大勢に読まれる。過去ログとして格納されてしまっても、むしろ特設サイトのコンテンツより検索結果の上位に出てきやすい。「にゃごろう村」(2001-2003)の頃から、きちんと整理されたコンテンツより、何でもありの日記ページの方が断然読まれやすいという傾向はあった。「ブログ以前」からそうだったのだ。

だから、何でもブログに書いてそれでよしとして、特設サイトなんか作らないという判断は理解できる。いつもの手順で惰性も活用して更新できる、物理的・心理的な障壁の低さの面から考えても、合理的だと思う。

なら私は、どうして特設サイトを作ったのか。

まず利便性。一番の利用者である自分自身が、ブログの過去ログに大量の記事が埋もれてしまうと不便だと思った。

次に、完結性の問題。将来の自分は、絶対、全12回のノートが揃っていることを喜ぶはずだ。でも、ブログで更新していくと、1回か2回、抜けてしまっても「まあ、いいか」となるだろう。特設サイトを作って、記事一覧をリストではなく表形式でまとめれば、まだ記事が書かれていない空白の部分が視界に入るたび、「サボるなよ」と自分に負荷をかけることができる。

あとは、勝算があったから。とりあえずは気軽に作ったサイトだったけれども、開設1ヵ月後の時点で、全12回を完走しそうなライバルがないことに気付いた。「だったら、自分がやるしかないでしょ」と。ちゃんと需要があって、他にライバルがいないなら、特設サイトを作る意味は十分にある。

他にも理由はいろいろあったような気がするけど、忘れた。

3.余談

「にゃごろう村」……。

いま読み返しても悲しい。ホントにリアル友人を失った(それきり音信不通)ログ。あ、そういえば、2007年に母校の文化祭へ久々に顔を出した際、数メートルの距離で顔を合わせたんだっけ。こっちは「生きててくれたんだ!」と嬉しかったんだけど、大佐は「嫌なヤツに会っちゃた」みたいな顔をしてたな……。

平成22年7月14日

私が「ハーバード白熱教室ノート」を作った理由はいろいろあるが、aczogさんのような方への反発もそのひとつだ。2chの反応に苛立つ気持ちは共感できるが、それを批判する意見には、素直に肯けないものがある。

多分、私はいつものように、その主張そのものより、態度が気に食わないのだ。白熱教室の公式サイトには、講義を踏まえてさらに考えるための課題が用意されている。それに取り組んでみてほしい。存外、2chの反応と大差ない意見しか出てこない、ということはないか。自分自身にガッカリしたくないから、「結果を出す」ことを避けているのではないか。

批判はしていい。けれども、他者を批判するとき、自分はその批判の対象ではないかのように書くならば、何か証拠がほしい。逆に、じつは自分自身にも向けた批判だとするならば、もう少し書き方というものがあると思う。

これはaczogさんがとくにどうこうというのではない。白熱教室を引き合いに出して日本人を批判する多くの方々について、私が感じていることだ。「お説ごもっとも。こんな私があなたと平等な投票権を持っていてすみません。精進いたします」と思う半面、「俺はあなたが他人を嘲弄できるほどの人物だとは納得していないぞ」という憤りも覚えるのだ。

こういうことを実際に口に出すと、「いえ、あなたのことではありません。気分を害されたなら謝ります」などと返されることが多い。俺じゃなかったらいいのかよ。世間で散々バカにされてる鳩山由紀夫さんだって、差しで話せば私ごとき圧倒するだろう。ふざけんな。……と、私は不機嫌になり、黙り込む。

平成22年7月13日

へー、革命的な人たちはこう考えるんだ……。関係ないけど、共産党と前進座って無関係だけど無縁ではないのか。

えっと、何を調べようとしていたんだっけか。ふと気付くと、そうなっていることが、よくある。

平成22年7月12日

いただいた意見に何か応答したかったが、意見がまとまらない。いろいろ検索しながら勉強する中で、最も読み甲斐のあった記事をひとつご紹介。卒論? ゼミのレポート? ともかく、興味深かった。

平成22年7月11日

1.

今春から宮崎で猛威を振るった口蹄疫に対して、実際に私にできることは、多少の寄付をすることくらいだった。そして、いろいろな報道を見ながら考えていたのは、もし私が直接の担当者だったとして、どのようにすればいいのか、ということだった。

共感できたのは、このあたりの意見。

2.

他には、北沢かえるさんの感覚にも、うなずくことが多かった。

2chでの鳥越俊太郎さん批判は、日本の畜産の現状を所与とすれば外れていないと思う。しかし実際、発展途上国の、自足自給のための牧畜を行っている地域では、先進国のような殺処分はやっていない。その理由はまさに鳥越さんの表明した素朴な感覚に沿ったものだ。

鳥越さんは、とくに食料品などについて、反グローバリズムの立場を取っていたと思う。ならば、国際的な品質と価格の比較を回避できないことを前提とした「殺処分は当然」との声に与しないのも理解できる。

私は鳥越さんの前提に賛成しないから、口蹄疫への対応策についても意見を異にする。けれども、異論の存在を無知・無能で説明付け、馬鹿にし嘲笑するというのは賛成できない。「みんな」が前提としている条件を疑う議論をすると、話も聞いてもらえないことが多い。私はこれで何度も悲しい思いをしてきたので、意見への賛否以前に、鳥越批判の「あり方」の方により強い関心を持つ。

3.

何か書きたいと思ったけれど、書けないままズルズルと時間だけ経ってしまった記事をいくつか。

平成22年7月10日

岡田斗司夫さんの公式サイトが新しくなってた。すべての「理屈っぽい人」のためにか……。個人的には違和感を拭えないキャッチフレーズだけれども、マスに向けたメッセージとしてはこれでいいのかもしれないな。

ひとつ心配だったのは、古いコンテンツがどうなってしまったのかということ。たしか無料スペースじゃなかったよな、と思って。調べてみたら、ちゃんと放置されていた。嬉しかった。「オタク日記」のログだけは、同人誌版が発売されたときに消えてしまったのが少し残念。実際に再読することはないだろうけど……。

平成22年7月9日

個人的には、「餃子の王将」のような会社もあっていいと思う。そういう雰囲気が好きな人もいるんでしょう。研修を受けて本当に自分のためになったと感激している人も、少なからずいるのではないかな。

だから、「餃子の王将」が「改心」することは、差し引きでは幸福を増やすかもしれないけれど、個人を見ていくならば、幸福の減少や不幸の生産にもつながるに違いない。世の中にはいろいろな人がいるのだから、いろいろな会社があっていいと思うんだ。社会がお節介にも個別の企業の文化に口出しをすべきではない。

労働者にだって会社を選ぶ権利はある。不景気で人余りの状況ではあるけれども、何も餃子の王将を選ぶ必要はないだろう。餃子の王将はそれなりに人気の企業である。応募すれば受かるという状況ではない。ここに入れるくらいの人なら、他に選択肢はあると思う。

公式にもメッセージが出ているんだね。いいことだと思う。

現状、不幸なのは、入社してみるまで会社の雰囲気がよくわからないことだ。先輩訪問みたいな習慣も、どういうわけか廃れてきているし。新卒偏重の風潮が崩れて、高卒にせよ大卒にせよ、数ヶ月のお試し期間を経て、双方の希望が合致したときだけ採用する、みたいな就職活動が一般化していくといい。

問題は、そうなるまでの対処。歯切れの悪い話になるが、これは情報共有しかないと考えている。自分の気に入らないものは滅ぼしたい、という気持ちは理解するが、それをどんどん現実化していくような方策には与しない。多数派の認める自由だけが許される社会は、息苦しい。嫌だ。

多分、本当は餃子の王将みたいな会社に入りたい人は多くないと思う。だから、みんながきちんと会社の文化を理解して入社するような社会になれば、自然と、餃子の王将は人材難に陥ってライバル社に負けていく。それで文化を転換するかもしれないし、最後まで突っ張って滅びるのかもしれない。それはどちらでもいい。

餃子の王将みたいな会社は私だって嫌だけど、世論の袋叩きによってブラック企業の足を引っ張るとか、そういうのは肯定したくない。それは結局「みんなが自然と自分に合った会社をみつけていける仕組み」から遠ざかることになると思うから。

つまりさ、そういうのは発想がこんにゃくゼリー規制と一緒なの。どの食品も十分に安全でなくてはならない、というね。危険でも選ぶのは自由であるべき。選べないのが問題なんだ、と私はいいたい。

関連

これも不幸な事例だと思う。

平成22年7月8日

ようするに天ぷらって寿司なみに高い食い物なんで、2ちゃんとかに書く若い子はあまり食ったことがないんじゃないか。

いや、話が逆なんだ。若い子に、きちんとした寿司と天ぷらを食わせるというのが、大人のつとめなんじゃないかと。文化という点でも。

そうだとすれば、きちんとした天ぷらなんて、日本中で100万人くらいが食べれば十分なのではないか。長らく、その程度のサイズの消費者層によって命脈を保ってきた文化なのだろうから、1億人がそれとは無縁でも、とくに心配はいらないと思う。

多分、私は「きちんとした天ぷら」とは無縁の人生を送ってきたんじゃないかな。

そんな私が大好きなのは、青紫蘇の天ぷら。何せ香りがいい。体積的にはほとんど衣を食べているようなものなんだけど、意外なほど青紫蘇には存在感があって……。とはいえ、かれこれ10年以上も食べてないから、理想化されちゃってる感はあるな。

追記(2010-09-03)

夏が終ったけれども、結局、今年も食べる機会がなかったな。

平成22年7月7日

Windows Vista の登場に合わせて MS フォント (MS ゴシック群と MS 明朝群) が JIS2004 対応版にバージョンアップされました。

JIS2004 対応版は MS フォントのバージョンが 5.0 (以下、MS フォント 5.0 とします。) になり、Microsoft Office IME 2007 がインストールされ、構成されている環境や Windows Vista 以降の環境では変換できる漢字が増加し、名前で使われるであろう漢字については支障なく使えるようになるなど改良点がある一方で、MS Pゴシックと MS UI Gothic においては一部の文字が改悪されてしまいました。

この件、XPの頃はずっと「嫌だな」と思っていたのですが、Windows7プリインストールのパソコンに乗り換えたら、気にならなくなりました。問題の、改悪された「2」を目にする場面がない。OSがどうのこうのというより、画面の解像度とかそういった関係で、9ptのビットマップフォント自体を使わなくなったのです。

だからもういいんだ、とはいわない。やっぱり、「改悪」という評価は正しいと思う。今からでも遅くないから、直してほしい。

ただ、今、素朴に思うのは、ずっと「Windows7(とVista)は嫌だなー、嫌だなー」と思い続けてきたエネルギーって何だったのかな、と。それほどのことじゃなかったな、みたいな。一種の虚脱感があります。本当は、他にもいろいろXPのままの方がいい理由があったような気がします。だけど、もう思い出せません。

平成22年7月6日

求職者の側が、本当に多様な働きやすさを重視されるようになれば、自ずとこうした企業が増えてくるはず。だってその方が優秀な人が集まりやすく、ライバル社より有利になるはずだからだ。

……とはいえ、EC Studioの現在のあり方は、いかにもベンチャー。公式サイトトップのタイトルが社名の前に「社員満足度全国No.1」とか、すごいな。いま、あまりにもそういう会社が少ないので、これだけで会社の最大の売り文句になってしまうんだな。10年後には社員満足度重視なんて十分に広まって、それで会社起こしになんてなる時代が終わるといい。

いや別に、どの会社もそうなるべきだといいたいわけじゃない。1割、2割の会社がそうなれば、まず十分でしょ。伝説のポケモンじゃなくて、野生のちょっと珍しいポケモンくらいになったらいい、ということ。

平成22年7月5日

大勢が誰と誰が似ているか否かの投票をしているウェブサイト。とくに答えを出す必要のない問題なので、多数決をしたいわけではない。それでも、参考資料として、こういう集合知はほしかった。

あと、権利の問題が発生しないようなサイト作りをしていることに好印象。作者はレッサーパンダのロプロスさん。「※ただしイケメンに限る」などの作者でもあるのだとか。個人的には「Twilog」でお世話になってます。

TwilogはTwitterのつぶやきをブログ形式で保存するサービス。全自動なのがいい。手動だと、面倒くさいので放置、ということになりがち。

ロプロスさんの運営サイト一覧を見て連想したのがsatoruさん。久しぶりにサイトを訪問してみたら、Yahooカテゴリ登録サイトが70に増えていた。

平成22年7月4日

復帰したPさんが配属されたのは、管理部門で出社は10時、そして16時には退社する時間限定のワークスタイルでした。当然ながら営業で外出の多いQさんとの接触は皆無に近い状態。ときおりQさんがPさんを職場で見かけると、同僚から腫れ物にさわるくらいに大事に扱われている様子でした。

「大丈夫?無理しないで帰っていいから」

などと、やさしく上司も接しています。Qさんは職場に戻れば上司から厳しくダメだしされ、夜遅くまで作業が続きます。

「同じ社員なにの、この扱いの違いは何?」

帰宅する車中、Pさんとの差を比較してみると営業部門で苦労している自分が損している気になってきたようです。

例に出ている会社では、労働時間と給与が連動していないのかな? と疑問に思った。仕事のたいへんさと給与の関係が公正で、自由な働き方の選択が認められるなら、こういう不満は出てこないと思うのだけれど。

勤務時間の長さだけじゃなく、上司の指導方針もそう。「バリバリやるのでビシビシご指導ください」という働き方と、「無理せず自分のペースで進めたいです」という働き方を、出産とかと無関係に選べたらいいのにな。もちろん、給料には差があっていいんですよ。

余談

こういう記事の長い長いタイトルって誰に向けて書かれてるんだろ。検索エンジンかな。

Google Chromeだと「子持ち女性社員の優遇が許」でおしまい。Sleipnir1.66も「子持ち女性社員の優遇が許せない! “働きマン”な独身女性社員たち|イマドキ職場の」で力尽きてる。ちなみにGoogleの検索結果は「子持ち女性社員の優遇が許せない! “働きマン”な独身女性社員たち」で切れてました。

Firefox3やIE8では、ウィンドウサイズ次第でタイトル全文が表示されることを、私も確認しました。

平成22年7月3日

1.

仰っていることはよくわかる。共感できる部分も、少しある。

世間によくある「表計算ソフト」という名前に縛られて現実の需要をないがしろにする意見には、賛成できない。Excelは「Excel」というジャンルのソフトだ、と考えた方がいい。Excelフォーマットの申請用紙は社内に多々あって、Excelのセルの扱いが現実の多様な要求によく答えていることを日々実感してます。

2.

世間の多くの人は、表計算ソフトの「格子」を、「2次元配列」ではなく、「レイアウト用紙」として見ているのだと思う。

「2次元配列なんて、そんなものは知らん。 Excelのシートは、自動で計算してくれる魔法のレイアウト用紙だ」

という考え方である。

しかし、レイアウト用紙として見るなら、紙の端から端まで、単一の格子がぶち抜きになっているExcelの構造は、極めて不自由ではないだろうか?

私も以前はそう思っていましたが、会社には1mm単位(だったかな?)に格子が切られた「レイアウト原紙」があり、これを使ってみたら、割とどうでもよくなりました。作業手順はこうです。

  1. 好きなように(レイアウト用の)枠線を引く。
  2. 枠内のセルを結合し、完成形を得る。
  3. 不要な行と列を削除する。
  4. 手順3によって縮んでしまったセルの幅と高さを復元・調整する。

総務に職人がいて、「実線の枠の中に透明線でさらに区切りがあり、自然な位置でマウスをクリックして文字を入力すると、いい感じに周囲のセルと文字の位置が揃って、数値のチェックをしやすい」なんて工夫がされたシートもあります。セル書式をなるべく使わないのは、指定漏れが起きやすいから。

格子がぶち抜きになっているのは、複数の線の位置を連動させて調整するには、なかなか便利です。Wordで表の調整をする方法を人に教えた経験のある方なら、わかると思う。ちょっとしたコツの問題なのだけれども、Wordだとセルを消したり足したりしているうちに、行ごとに列がズレてしまうことがよく起きる。この対応策を人に伝えるのは、かなりの難題です。Excelの「確実さ」は、「不便さ」によって支えられています。

私案として「1本ごとに自在に調整可能で挿入・削除も自由なレイアウト用グリッド線」というものを考えたこともありますが、やはり混乱の元ですね。ちょっと慣れれば大した手間でもない作業を略すためだけに屋上屋を架しているような気もしますし。従来のフォーマットとの互換性の問題もあります。

そう簡単には、Excelの牙城は崩せそうにない。

3.

Excelのシートを「紙」として見るなら、ひとつのシートに複数の表が入っているのは、ごく自然な話である。たとえば、こんな、ありふれすぎていて例に出すのもはばかられるようなレイアウトを、Excelで表現しようと思ったらどうすれば良いのだろうか?

Excel書類完成図

手元に、インプレスの「できる Excel97」という 恥ずかしい本があるので、一応調べてみたが、載っていないようである(できるの?)。この本には、複数の表を入れたシートの例もいくつか載っているが、どれもわざとらしくタテ線がきれいに揃った例ばかりである。

「できる Excel97」はいい本だと思うけど、それはともかく、私の回答は次の図の通り。

セルの複雑な結合によってレイアウトを実現している様子

ちなみにタイトルは1列のセルを全て結合して中寄せ。見出しは文字の「はみ出し」を使う。

私だって、こんなのは面倒だし不合理だと思う。会議資料ならWordを使う。でも手書きでなくパソコンで表を埋めて返信してもらう場合は、やっぱりExcelにしておいた方が便利だ。表の左寄せの位置を何度も何度も微調整したがる人が、Excelで作成したくなる気持ちも、よくわかる。

4.

ローカルに位置を決められる線と、シート全体で共通の線を自在に使い分けられたらいいのにね。んで、後からでも線の種類を切替可能にするの。CADだとそういう参照線の操作や性質の変更が容易なので、Excelにだって不可能ではないはず。それでも、基本ルールが複雑になってしまうことと、互換性の問題は残る。

だから、レイアウト用のExcelラッパーがあったらいいんじゃないか。最終的にExcel形式で出力されればいいのであって、途中はもっと自由でも不都合はないはず。

5.

互換性について、ちょっとメモしておきます。

Excel形式をCSV形式に変換するツールはたくさんありますよね。どんなに複雑なシートも、究極的にはCSVファイルに変換できる。1m幅のセルを数十個つなげたセルの内容も、CSVにしてしまえば、「何行目かの何番目にあるデータ」になる。

人は目で見てマウスとキーボードで入力するので、複雑なレイアウトが求められます。でも、それを処理する側は、各セルが何行目の何番目にあるかということだけ認識できていればいい。そういうことが少なくない。それで、ある種のツールはExcelをCSVと同じ感覚で食ってくれる。Wordじゃ、なかなかそうはいかない。

シート全体がExcelで作られていればこそ、回収した数千枚の記入済みシートを、手馴れたツールで手軽に集計できる。そういう場面って、ときどきあるわけで。「新入社員の研修報告をツールに食わせると、一覧表形式で整理されたシートが出てくる」みたいな基本的な使い方だけでも、なかなか便利ですよ。営業課員の日報とかなら、ちゃんとシステム化した方がいいのでしょうが。

ともかく、最終的にExcel形式であって、しかも人間が何とかついていけるくらいの複雑さで収まっていることには意味があるな、と感じています。1px単位でグリッドを切って無茶苦茶な行数、列数にされては、さすがにたまらない。

例話:「WordよりExcel」って、こんな感じ。

レイアウトの自由度が低くても、PDFよりHTMLの方が内容を再利用しやすい。といっても、HTMLなら何でもいいというわけじゃなく、ホームページビルダーのどこでも配置モードではソースが謎すぎるから、標準モードくらいにしてくださいね……。(この表現で、一部の人には伝わると思う)

平成22年7月2日

道路沿いの郊外型店舗の戦いで勝者となったヤマダ電機が、駅前店舗の戦いにも参加したが、売上目標を達成できていない。そのうえ線路の先にあるベッドタウン地域の道路沿い店舗の売上げが下がってもいるという。横ばいの市場でシェア争いをする業界の疲弊を伝える記事。

'09年12月の第2週、歳末商戦の最中に、ある調査会社が、ヤマダの日本総本店に顧客がどこから来店しているかを調べたレポートを入手した。結果は次の通りだ。

【23区内・・・46%/東京都下・・・8%/埼玉県・・・23%/神奈川県・・・16%/千葉県・・・7%】

「つまり、日本総本店への来店客の半数近くは23区ではなく、他県から来た人たちなのです。JR埼京線や東武東上線が池袋駅に直結しているため、埼玉県からは23%も客が流入している。ヤマダの地域別の売上高を見ると、'08年3月期から'09年3月期の1年で、下げ幅の大きい地域として神奈川が約110億円、埼玉でも約10億円下げています」(調査会社の関係者)

自宅近辺では自動車で移動するけれど、都心への通勤には電車を使う、という人は少なくない。利用者の23%を占めるのに、地元への影響が10億円という埼玉県民の購買行動に注目したい。これは「会社の帰りがけにちょっと寄って買う」という需要を示している。逆に神奈川県民は、利用者の16%でありながら地元の売上げを110億円も落としているのだから、高額商品を買っていることが予想される。

神奈川県民のフットワークのよさは少し誤算だったかもしれない。それでも、これまでほとんど取れなかった23区内の需要を吸収して、全体としては売上げを伸ばしているのだから、記事の見出しのような批判は当たっていないのではないか。

しかしそれはそれとして、池袋の本店はにぎわっているけれど、先に建ったモバイルドリーム館が閑散としているのは事実。単純に価格で隣のビックカメラに負けていることが多い(ように私は感じた)ので、地理的にも駅から一歩近いビックカメラの方が繁盛していることに、不思議はない。でも、明るくきれいで通路の広い店舗作りは私好み。生き残ってほしいな。

あと、記事を読む限り、ヤマダ電機が苦戦している根本の原因は、家電市場の成長が予想を下回っていることだ。ライバル社は郊外型か駅前型のいずれかに陣取って「相手の側から客を奪う」ことに注力しているけれど、ヤマダ電機は既に全国展開し両方をやっているので、市場全体が拡大しないと自社競合が起きる。でも、それは仕方ないんじゃないの。シェア自体はまだまだ大したことないもの。売上げの拡大を目指すのは道理だと思う。

いま私の勤務先はiPadやiPhoneの販売好調で間接的に潤っているのだけれども、ヒット商品がどんどん出てくるといい。

補足

池袋の家電市場1210億円のうち、ビックカメラが売り上げ810億円を占めたのに対し、LABIは400億円程度に過ぎない。実情は、自ら仕掛けた"戦争"に苦戦していたのだ。

「ヤマダは日本総本店のオープンによって、池袋商圏が計1660億円程度にまで拡大すると踏んでいました。顧客の大量流入が実現したとして、そのうちの半分を取るという意味で800億円という目標売上高を設定したのです」(家電メーカーの販売担当幹部)

ちなみにこれは、豊島区民がいきなり財布の紐を緩めるという話ではなく、ヤマダ電機が進出していない近隣の駅前から客を奪うという想定だと思う。

追記(2010-09-08)

ヤマダ電機はまずLABI(現在のモバイルドリーム館)を建設して総合店舗として出店し、続いて三越が去った建物で総本店を開業しました。埼玉や神奈川の売上減は、その調査期間からしてLABI出店の影響をみるもの。調査会社の見立てが正しいなら、本店開業後は、売上の減少幅は拡大しているはずです。

「神奈川の売上減は県内に大型の競合店が増えた影響では?」というご意見には納得感があります。たしかに神奈川からの客が高額商品を池袋で買っているという想定には現実味を感じません。埼玉からの客と同様、仕事帰りにちょっと寄っているだけに思えますね。

平成22年7月1日

3つ試しましたが、断然、毎日ボートマッチが素晴らしい。どの候補者と自分の意見が近いか、あるいは遠いか、といったことが一目瞭然なのです。

政党への支持・不支持を決めるだけなら、どれでもいいのだろうけれど、私はやっぱり候補者個人の考え方に興味があります。自民党が政権を失って、何人もが離党しました。毎日ボートマッチの結果を眺めていくと、政党差より個人差が大きいということがよくわかります。

ちなみに私は、みんなの党の寺田典城さんと意見が近いらしい。公式サイトのトップに置かれたメッセージを読む限りでは、私と意見が近いとはあまり思えないだけに、どうしてこれほど具体的な政策について意見が一致するのか、意外な感じがしました。

まあでも、自分のサイトで大書している内容こそ本当にやりたいことなのだろうと思う。そこのところで方向性のズレを感じるのだから、注意しないといけないな。

平成22年7月3日

2chのお勧め漫画作品を挙げるスレッドのまとめをいくつかブックマークしたんだけれども、結局、参照するのが面倒で役に立っていない。私は『コミかる!』をよく利用するので、在庫がある限りコミかる!にリンクしています。

5巻以内で完結してて面白い漫画(カナ速 2010-03-17)

10巻程度で完結してて面白い漫画(日刊スレッドガイド 2008-02-02)

5巻くらいで完結する、面白い漫画ない?(日刊スレッドガイド 2008-02-02)