ニコニコ動画の人気と唐沢盗作騒動(2007-10-16)の補足記事。先の記事では私がニコニコ動画を好きなのか嫌いなのか、わかりにくく書きましたが、今回はその点、読みやすいと思います。
私は親ニコニコ動画なんですよ。有料会員登録だってしてます。
ただ、プロの権利を庶民様が侵食していくばかりの(ほぼ)一方的な戦況に、天邪鬼の血が騒ぐ。ニコ動を賞賛しつつ素人ブログの盗用に憤激する人々には、「おかしいだろ!」といいたい。
権利者削除には淡々と応じるが、権利侵害を行ったユーザーはアカウントを停止されるだけで、本名晒しや賠償や逮捕はおろか、公的な謝罪さえも免除される、それがニコ動。無断転載禁止という注意書きの無視は問題とせず、権利者の削除依頼まで何もしない、それがニコ動。弾さんはこのバランス感覚を賞賛した。
私も、これはなかなかいいな、と思う。ニコ動的著作権運用が広まっていくと、この世のいくつかの問題が魔法のように消えていくはずだから。
ところが、現実はどうですか。プロの素晴らしい著作物の利用をもっと自由にしていこうという人が、庶民様の著作物はガッチガチに守っていこうとしているわけですよ。唐沢盗作騒動はその典型。謝罪しろ、賠償しろ、絶版は当然だ、幻冬舎の対応には誠意がない……権利者当人より、むしろ周囲が権利意識を煽る。
どうして「ニコ動流の解決策でいいじゃないか」という声がほとんど聞こえてこないのか。謝罪と賠償は求めない、増刷分から出典表記追加、在庫・出荷分は折込かシールで対応。もともと1円の損害もないのだから、それくらいで手を打ってもよさそうなもの。ニコ動の生命線は、そういう相場観にあるはず。
プロとか、庶民様が勝手に強者認定した相手の権利はガシガシ削るが、自分たちの権利はトコトン守る。弱者権力万歳、か。そういうの、大っ嫌い。
私の平等・公正観がよく現れている記事をピックアップしてみました。ひとつだけ、というなら坂東眞砂子さんの子猫殺し問題:雑感(2006-10-05)がお勧め。私の偏屈ぶりが、端的に現れていると思います。
ニコニコ動画は、株式会社ニワンゴが営利目的で運営しているサービス。Gyao のように権利問題をクリアしていくことだって可能なのに、あえて現在のようなやり方を選んだ。私はこれをズルイと糾弾するより、その結果、開けつつある新しい可能性を支持したいと思ってる。
唐沢盗作騒動は商用利用だから話が違う、という意見もある。でもブログのパクり騒動は過去に何度も起きていて、常にパクった側がボコボコに糾弾されてきた。ほとんど誰も、「文才のない俺たちの日記なんかパクりで十分じゃないか!」といわなかった。tumbler 村の reblog 文化は日本から産まれてもよかったのに。
だから商用利用は重大な問題ではない。私がパクったって絶対に叩かれるよ。盗作許せない、って。
そして幻冬舎批判。ニワンゴがいつ、権利者に謝罪した? 何か責任を取ったっけ? 何もやってないじゃないか。幻冬舎と何が違うのか。どちらも公開前のチェックが甘い、という点で同罪じゃないか。
例を変えます。初音ミクという人気キャラクターがあります。とあるソフトウェアのパッケージに描かれた1枚のイラストから、たくさんの二次創作が作られています。
いま、勝手にミクを描いて、その作業工程をニコ動にアップした人が「神!」「すごい」などと賞賛される一方、ミクのキャラクターデザインをしたイラストレーターの名前を、ほとんど誰も知らない。KEIさんは名誉でもお金でも報われていないわけで、これが盗用でなくて何なのか。
漫棚通信の人が唐沢さんに求めたのは、名誉の分配でした。ミク絵のうp主がキャラクターの著作権を持っていないことはみな知っているわけですが、しかし名前も知られていないKEIさんにとって、そんなの気慰めでしかない。権利者が正当な名誉の分配を受けているとはとてもいえない。
このように、私はうp主が権利者でないことをみなが知っているという状況、というのは、それだけではほとんど何の意味もないと思っています。(意味のないことを重大視するのはおかしい、という主張)
ユーザーの視界が狭いのは、おそらく生物学的な限界。だから名誉の分配は諦めて、お金で納得するのが、社会の知恵。ところがニコ動は、権利者にお金を分配していない。これは改善されるべき状況だと思っています。もうちょっとニコニコの会費が高くなって、JASRACとかにもお金を回せたら……。
JASRACはお金の分配方法が不透明だからどうのこうのという意見がありますけど、ニコニコ見てりゃそんなの、不透明にするしかないってわかる。
無数のバージョンがある「**組曲」の場合、1曲が数秒しか使われていない、みたいなケースは珍しくない。10分の動画で数十曲が使われてる。製作者に、どの曲を何秒使ったか、なんて申告させられると思う? 編曲者や演奏者の権利まで考えたら、素材に使ったバージョンまで調べる必要がある。これは現実的じゃない。
だから、相当程度まで、丼勘定でやるしかない。少しずつ状況を改善していこうとする努力が必要だ、というのは賛成するけど、「カネの流れが不透明なカスラックなんか信用するな! カスラックには絶対に楽曲使用料を払いたくない!」と言い募る人は、永遠に権利者に金銭補償する気がないのと同じだよ。
その他のコンテンツホルダーにも、少しずつお金を回していくべき。中抜きキライというのはいいけど、現に今、名誉もお金も手にできないマイナー権利者に、僅かでもお金を回していく方法が他にありますか。ないと思うんですよ。だって私たちには全ての権利者を把握する能力がないもの。
ユーザーが納得して「この人にお金を払いたい」という人だけにお金を出す方式だと、実際にはコンテンツ制作に必要不可欠な人々の大半が1円も貰えない。今のやり方はベストではないけど、2ちゃんねらーがいうような未来はありえないはず。
こうして考えていくと、やっぱり「ニコニコ動画のおかげでDVDを買わなくて済んだ」みたいな喜び方をしてる人の希望を満たすような方向に進んじゃいけないと思う。
私の記事に関しては盗用も全然オッケーなんだけど、基本的に、自分は盗用しないことにしてる。
社会一般に盗用が横行しちゃうと、コンテンツ産業自体、ぶっ壊れてしまう。プロでなければ作るのが難しいものが、世の中には多い。素晴らしいコンテンツの大量供給には、産業の維持が絶対に必要。だから私は、プロの権利は守られるべきだと考えてる。それが消費者として合理的な選択。
でもアマチュアはどうだろうか。少なくとも私の場合、盗用によって困ることはひとつもない。私が盗用を許可しているのは、そのため。不都合のない限り、自由の増大は可能性の源になるので推進すべき。
私の考える「盗用」の条件であるお金と名誉、クリティカルなのはお金だと思う。名誉欲は価値観の問題。気の持ちよう次第で、別に要らないや、となる。でも精神修養したって霞を食って生きるというわけにはいかない。お金の問題は解決しなきゃいけないんだ。
無断転載禁止、改変禁止、それらは究極的には心の問題(注:無断転載であっても金銭的補償があればお金の問題は解消される)。自由の拡大は新たな文化の揺りかごになるので、少しずつ許容範囲を広げていくべきだ。ただし現状、プロ側の意識改革ばかりが取り沙汰され、それを要求する庶民側の自分のコンテンツに対する意識はむしろ保守化しつつあるという矛盾に、私は腹を立てている。
一方、危機的状況にあるのがお金の問題。消費者の意識向上が急務なのだが、むしろ「不透明」批判など、非現実的な主張が支持を集める始末。とても悲しい。これでは金銭的補償が成立せず、無断転載が権利者の収入減に直結してしまい、自由の拡大による文化の発展など絵に描いた餅ではないか。
以下、ちょっと意識した記事。