趣味Web 小説 2012-07-23

感想:DQXベータ 3.暴虐の荒野

感想:DQXベータ 目次
  1. 孤独な旅立ち
  2. 絶望の雪原
  3. 暴虐の荒野
  4. 封印の森
  5. 悲しみの平原
  6. 旅の仲間たち
  7. 子どもは風の子
  8. 雑踏を歩く
  9. A連打
  10. 強者と弱者
  11. なお道険し
  12. 余白

1.

少しゲームに慣れてきた頃、私が気になりはじめたのが、大勢がバトルをしているフィールドでした。

ドラクエ本編がシンボルエンカウントを採用したのはDQ9からのことですが、DQ9では大勢のモンスターの中で、たった4人の主人公たちが旅をしていました。それはマルチプレイでも同じだったわけです。ところがDQXでは、多くの冒険者が、見渡す限りのフィールドでモンスターを倒しまくっているのでした。

私がそこから連想したのは、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の合戦シーンです。物語上、主人公の側に「正義」が仮託されてはいるものの、戦闘そのものは血で血を洗う陰惨な暴力であることを、ジャクソン監督は正直に表現していました。ドラクエのバトルに血しぶきはないけれど、バタバタと倒れゆく魔物の姿は、かつて北米でバッファローを絶滅の危機にまで追いやった人間の営みを想起させるものでもあって、「戦う意味」を再定義する必要を感じました。

これまで私は、自分にしかできない救世の旅は何としても完遂しなければならないのであり、その過程で「降りかかる火の粉を払う」イメージで戦闘を捉えていました。けれども、DQXの世界にはたくさんの冒険者がいます。私がサボっても別に問題ないではないか、と。

実際には、ひとつの世界でプレイしつつも、物語は各プレーヤーのもの。私のキャラクターが頑張らない限り、私のプレイする世界では、魔王が人々を苦しめ続けます。そう、アタマでは理解しているのだけれど、フィールドいっぱいの冒険者たちを目にすると、「そうはいってもさ……」という気持ちが湧き上がってくるのを抑えきれないのでした。

2.

そんな私のもやもやを吹き飛ばしたのは、ひとつのアイデアでした。

モンスターはどこから現れるのか? 最も多いのは、空中からの出現です。空中にパッと現れて、落ちてきます。次に多いのはたぶん、地中からの出現です。その他、蜃気楼が突然実体化するような現れ方もあります。これって、何かと似ているな、と感じました。そう、プレイヤーキャラのログインです。

ここから、「DQXの世界は一種の演劇の舞台ではないか」という着想を得ました。多くの推理小説は殺人事件を扱っています。読者が求めるから殺人が起きる。それを名探偵が解決するのは楽しいけれど、そもそも殺人事件など起きない方がいいではないか。しかしそれは、小説世界の出来事を「もし実際に起こったら」と考えるから生じる悩み。DQXもそれと同じこと。DQXの世界は遊園地のアトラクションのようなものであって、モンスターはモンスターの役割をこなしているに過ぎない……と考えてみてはどうか。

DQXが遊園地ならば、大勢がログインして遊んでいながら、それぞれが主人公であるという状況にも納得がいきます。全てのプレーヤーが主人公気分を味わえるように、大勢のキャストが奮闘してくれているわけです。他のプレーヤーを手伝えば、何度だって同じ場所で同じボスと戦えたりするのだけれども、これはつまり「ボス役の人がいつもそこでスタンバイしている」ということ。雑魚敵を担当するキャストは、一回負ける毎に少し場所を移動して再び仕事に復帰するサイクルなのでしょう。

大剣で斬りかかってもダメージが出るだけで何も切断できず傷にすらならないのは不思議なことではない。「斬ったつもり」「やられたつもり」でダメージの数字をやり取りしているのがその実態。ドラクエの戦闘で「死ぬ」のは光線銃を使ったサバイバルゲームにおける「死亡」と同じだから、プレーヤーはルールに従って教会で「復活」するし、モンスターは空中や地中から「復活」してみせるわけです。

ゲーム的な死とストーリー上の死が区分されるのは演出の都合であり、いずれにせよキャストが本当に死ぬようなことはない。プレーヤーAさんのストーリーで死んだ人も、それはもちろん役割を演じて「死んだ」に過ぎないから、プレーヤーBさんの世界ではピンピンしているのですね。

「DQXはドラゴンクエストテーマパークの巨大アトラクションだ」と考えることで、私にとって暴虐の荒野はカラッと楽しめる娯楽に変化しました。

3.

よく考えるまでもなく、上記の内容はオフラインのドラクエにもそのまま当てはまる話です。しかしニブい私は、DQXで大勢のプレーヤーがモンスターとの戦闘に興じる姿を見るまで、「ドラクエは客が主人公役を務めるヒーローショーのようなアトラクション」という発想に至りませんでした。

思いついてからしばらくは、「これで全ての謎が解けた!」と大興奮していたのですが、時間が経ってみると「ロールプレイングゲーム」というジャンル名の中に最初から答えがあったのに、どうして今まで自分は気付かなかったんだろう、と。ていうか、こんなことはみんな最初から理解してたことで、気付いて大喜びする方がおかしいんじゃないか、とか。

あるいは、推理小説の中の殺人についてメタな視点から言及する小説はいくつも読んできたわけで、どうしてその発想をすぐドラクエに適用できなかったのか……。

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