コンテンツ不足はMMOである以上絶対に逃れられない宿命であり、当然DQ10も陥っている。
レベル上げを抜きにすればシナリオは概ね15時間〜20時間程度で完結してしまうわけだが、システム側で用意されているコンテンツが他に一切無いため、ラスボス撃破と同時にやることが無くなる。正確にはやれることはいくらでもあるが、やる意味を見いだせなくなる。
(中略)
報酬がなければ誰も攻略しないわけだが、強力な装備を報酬にすると武器防具鍛冶を鍛え上げたプレイヤーが軒並み首をくくるしかなくなる。
DQXが初MMOで、「コンテンツ」がほとんどなかったベータテストから参加しているためか、「コンテンツ不足」という感覚が私にはよくわからないです。
DQXの特徴のひとつは、DQ1以来の自由な世界。物語の進行と関係なく広大なフィールドの最果てまで歩いていけるのが嬉しくて、プレイ時間のかなりの部分を「まだ勝てない敵」が闊歩している場所を散策することに費やしてます。
絶景ポイントを見つけてカメラ機能で写真を撮る(プレーヤーサイトに余計な要素を省略したスクリーンショットが保存される)のも好きだし、ヒヤヒヤしながらキラキラ(採集可能なアイテム)を拾い集めるのも面白い。苦労して取ったキラキラが薬草(ゲーム中で最も安価なアイテム)だったりして、旅の仲間と大笑い。
レベルが1つ上がるたびに、ちょっと背伸びして強敵と戦い、討伐モンスターリストを1つずつ埋めていく……という遊びも楽しいです。メダルクエストのついでにベロニャーゴと死闘を繰り広げたことや、レベル20台の4人でナグアの洞窟へ遊びに行ってピクシーの仲間呼びに涙目になったのも、素敵な思い出です。
ストーリーで「こちらがボスになります。ぜひ挑戦なさってください」と提示されなくても、自分でいくらでも「今日のボス」を設定できるのが、従来の「ボス戦で移動が制限されていたドラクエ」との大きな違いだと感じています。過去作でも、DQ8で船が手に入った後とか、私はすごく楽しかったですね。アポロンやギガンツに瞬殺された印象は鮮烈。
そういえば、私にとってオンラインで最初の強敵戦の相手は、最初の村の近所の森にいた雑魚敵の「さまようたましい」でした。Lv2〜4の4人パーティー(PT)で挑んでワーワーキャーキャー最高に盛り上がり、大満足しました。
リンクした記事からは離れますが、DQXには「ストーリーがシンプルで、すぐ終ってしまう」という評があります。ボス戦とイベントムービーだけなら、たしかにそうかもしれない。
でも、街などにいるNPC全員と話してみると、意外なほど細かく物語の進行段階ごとにセリフが変わるキャラがたくさんいます。その中には面白いことや興味深いことを話す方もいます。街やお城が危機に陥っているとき、「その他大勢」の一人一人だって、驚いたり悲しんだり悩んだりしているのです。DQXではほぼ全ての住民に名前と個性と役割が与えられています。よくぞこれほどきちんと世界を作ってくれた、と思う。
そんなのはどうでもいい、主要人物の言動だけ把握できればいいです……というのが大方のプレーヤーの需要なのだとは思う。野良でPTを組んでストーリーを進めようとすると、私がNPC全員と話すべく走り回っているのに対して「いつまでかかるの?」と催促されたりします。なかなか終らないので、堪忍袋の緒が切れたのでしょう。
そんなことが3回ほどあったので、ストーリーを進めるときは、ボス戦だけ誰かとやって、その前後は一人で楽しむか、とくに仲のよい方とだけ一緒に遊ぶことにしています。
その私と仲のよい方だって、私が「全員と話してみたいのですが一緒にどうですか?」と持ちかけると「いいですね!」となって、ワイガヤしつつ街中を走り回ってくれますが、よく考えてみれば、そういう提案をするのは、いつも私。受動的にやる分には楽しいけれど、自発的に「じっくり物語を楽しむ」ほどの意欲はない、という感じなのだと思う。
「関係者全員」を描けるのがドラクエ型RPGの素敵なところ。主要登場人物の物語だけでいいなら、小説とか映画とかでいいじゃないかと思う。けど、だからといって全員と話すことを強制されると大多数のプレーヤーがウンザリすることは、DQ7で明らかになりました。いまや9割方のプレーヤーが目にしないことを知りつつも、「全員」を描く道を放棄せずに残してくれたDQXのスタッフに、私は大いに感謝したい。
数百万本売っておしまいという今までの作品とは違い、月額課金で数万本分ずつ利益を積んでいく収益方法なので当然即クリアされたら困るわけだが、その延命方法が只管低Expの敵を倒させるレベル上げ、というのは最悪の選択肢だったと言える。こんな10年前の要素を混ぜてどうする。
これだったらパーティーを組んで攻略する小規模ダンジョンをレベル帯毎に作って(ダンジョン自体は世界各地に無数にあるが、行く意味が全く無い)ちまちま攻略させて起伏のあるレベル上げ+トレハンでもさせた方が余程良かっただろうに、武器防具は基本的に全てプレイヤーが作成するスタンスを取ってしまったため、それもできなくなっている。
報酬なしにダンジョンへ行くのって、つまらないのかな……。私は「観光旅行」と称して、よくフレンドさんと一緒に各地のダンジョンへと足を延ばすわけです。
奥の方へいったら、やたら敵が強くて逃げ回ることになるのですが、お化け屋敷みたいで楽しいと思う。見通しの悪い洞窟で、角を曲がったら目の前に通路をすっかりふさぐ山のように大きなモンスターが現れてドキッとする。仲間チャットで「わわわ!」とか書いて振り返ると、仲間がこっちに向かって走ってくる。強敵に追いかけられているのです。挟み撃ち! 絶体絶命のピンチ、さあどうする!?
私はすごく楽しいと思って、そういうことを繰り返してきたわけですけど、野良PTの方と話してみたり、公式の投稿広場をザッと眺める限りでは、「クエストがなければトレハンしない」というのが多くのプレーヤーの感覚らしい。そうですか……。
いずれDQXも、クエスト山盛りの作品になるのでしょう。別にクエストがあって悪いことはないけれど、そうしたサービスがまたプレーヤーの受身志向を助長していくのでしょう。
現在のDQXのクエストの多くには「強くなる」系の報酬がない。投稿広場には、そのことへの不満が多々寄せられています。「強くなる」以外に価値基準がないらしく、「困っている人がいるから助ける」とか、郵便局で取り扱う便箋の種類が増えるとか、しぐさが増えるとか、そういうことではやる気が出ないという。これではまるで力に取り憑かれた怪物ではないでしょうか。
DQXでは、夜になると眠ったり昼寝したりしているモンスターがいます。どのモンスターが寝て、どのモンスターは寝ないのか。夏休みの宿題の自由研究の気分で各地を回ってみたりするのって、私は面白いと思う。「DQXにはコンテンツがない」って、実際は「DQXを楽しむ意欲が乏しい」ってことじゃないのかな。
そりゃ私だって、「強くなる」のが最大の動機付けになるということはよくよく実感しています。レベル上げより長い時間を費やす遊びはないかもしれない。しかし所詮はお釈迦様の掌の上の話であって、強さだけを追い求めるのは虚しさにつながりやすいような気がします。
強くなれば楽しいです。だから強くなりたいと思う。同時に、楽しいと思えるなら、強くなるのと無関係のことをやったっていいわけですよね。「キャラの強化につながらないから無意味」という趣旨の意見は各所で目にしますが、ちょっと残念な感じがします。
8月2日、発売。ゲームの内容などについてはリンク先を参照のこと。
私はDQXのベータテスターに当選し、3月から少し遊んでいました。その感想などを、少し……のつもりだったのですが、長くなったので記事を分けました。
いろいろ書いてはみましたが、DQXにはちゃんとラスボスもエンディングもあるそうですし、ドラクエファンの方には、食わず嫌いをせずに触れてみることを勧めたいです。
ただ、サポート仲間が雇えるまではソロプレイはたいへんだし、旧作よりレベルが上がりにくいのも事実。マルチプレイをすればいろいろラクにはなるけれど、コミュニケーションのコストはそれなりにかかることも実感しました。コストに見合う楽しさを私は見つけられたけれど、誰もがそうなることは保証できません。
私はドラゴンクエストが好きだし、面白いと思っているのだけれど、どこがどう面白いのか、じつのところよくわからない。同じRPG同士の比較でなら、「ドラクエはこうだからいいんだ」といえるのだけれど、それはたぶん本質ではない。『暴虐の荒野』に書いたようなことが、いちおうの答えにはなるのでしょうが……。
私は推理小説やアクション映画も好きで、「どうしてなんだろう?」という思いをずっと抱え続けています。現実に起きたら嫌なことばかり、娯楽の世界では好きになるらしい。どうして私がいちばん好きなゲームって『どうぶつの森』や『牧場物語』ではないのだろう……。DQXベータを私はすごく楽しんできたのに、その気持ちや感覚が、どうしても言葉にならない。残念。
とくにコミュニケーションのコストに見合う楽しさについては、すごく書きたかったのに書けないまま。強いていえば『子どもは風の子』あたりかな。多少なりとも伝わるものがあったなら幸いです。
製品版のプレイリポートは、たぶん書きません。