3月、ベータテストのフェーズ1.1に当選。ソロで始めたものの、そのキツさに愕然。その後はフェーズ2.1まで、ほぼ誘われ待ちプレーヤーとして過ごしました。幸い、よいフレンドさんたちに恵まれ、楽しくプレイしてこれたわけです。
そうした旅の途上、何度か初心者の方のSOSを受信。パーティーをなかなか組めず、悲しい思いをされている方がたくさんいらっしゃることを理解しました。そこで6月下旬、いよいよベータテストも残り僅かとなった頃、私は従来の方針を大きく転換し、自ら積極的にパーティーを組むようにしてみました。
ところが、意外なことに、パーティーを組むのに苦労らしい苦労がない。仲間募集中マークを出している方を誘うと、だいたいOKの返事。初顔合わせ同士ばかりでも、これといったトラブルなくスムーズに旅が進むことが多い。トラブルといってもケンカとかではなくて、フレンドさんに呼ばれたとかリアルの急用とかでパッとPTから抜けるというくらいのこと。AIのサポート仲間で十分に対応できる範囲内。
他のMMORPGだと仲間募集に1時間かかったりすることもあると聞くけれど、DQXなら5分もかからない。すごくいい、と思いました。ところが。
私が知り合った、とある冒険者Eさん。Eさんと私はフレンドになったので、ときどきフレンドチャットが入ってきます。
「いま、いっぱいなんですよね? このあとの予定とかは?」
「今日はずーっといまのメンバーでいく予定です」
「わかりました〜」
DQXでは、フレンドさんのPT加入状況と大雑把な居場所がわかります。Eさんは、私とのチャットのあと、ずーっと城下町で一人。気になってフレチャで話してみると、仲間の募集を続けているのだという。レベルも職業も私と遜色がない。DQXに職業差別はないと思いますが、仮にあったとしても、それはEさんが仲間を見つけられない理由ではないわけです。
結局、Eさんは1時間ほど粘ったものの、仲間を見つけられないまま。仕方なく、サポート仲間3人と一緒に旅に出て、全滅しました。その後もEさんはパーティーには入れなかったり、パーティーに入るまでに非常に苦労することが続きました。
私自身はその後もサクサク仲間を集められたので、「プレーヤーの積極性の問題」という言葉を口にしたくなる。けれども、ドラクエが好きで、いったんパーティーを組んだら私などよりずっと操作も上手で、受け答えもしっかりしているEさんが、仲間に入れずにがっかりしているのを「本人の問題」と突き放すドラクエであってほしくはない。
なぜEさんがパーティーに入るのに苦労していたのか、私にはわかりません。わからないので、改善案も思い浮かばない。それでも、製品版で導入されるという新しい仲間募集の仕組みへの漠然とした期待は、高まりました。
私自身が全く問題を感じていなかったところで、苦労されているプレーヤーがいる……。それはあたりまえのことですが、私が素晴らしい作品と思っていた中にも課題が山積しているわけで、これほどのものを作り上げてもなお道は険しい。たいへんなことだと思いました。
フォーラムで繰り返し猛烈に攻撃されていたのが、「レベル上げ戦闘の単調さ」です。でも私は断然、現状支持です。昨日の記事と半分くらい重なりますが、大切なことだと思うので、「強敵への挑戦に見返りがないのはおかしい」という意見への反論を軸に、あらためて書きます。
レベル上げは多くの時間を投入する部分だからこそ、ゆるく楽しめる方がいい。手洗い、電話、宅配便の受け取り、食事、ウトウト……こうした事情で仲間の手が止まるとき、「おk」「大丈夫!」「どぞー」「5分放置、了解〜」「寝ちゃった? ま、いっか」と言い合える状態でないとダメだと思う。
そのためには、弱めの敵をザクザク狩るのが時間効率に優れる、というゲーム側の設計が必要です。なぜなら多くの弱者は「誘われ待ち」の側に身を置くからです。人を誘い、狩場を決める強者が、自ずと弱者に優しい状況を作り出すのでなければ、弱者は切り捨てられて行先を失ってしまう。
「戦闘が面白い強敵への挑戦にメリットが皆無なのはおかしい」という不満がフォーラムに何度も出てくるのは、私にもよく理解できました。しかし私は、この要望を開発側が却下し続けてくれることを、心の底から望んでいます。
相対的に高レベルの敵は、宝箱を落としません。それでも、強敵への挑戦には根源的な魅力があります。ベータテストでは、報酬が乏しくとも、大勢が強敵に挑戦していました。格下と戦ってレベルを上げ、時々強敵に挑戦する。現状がベストバランスではないかと思いました。
私のフレンドさんは、ステータスより見た目の好みで装備品を選んでいました。DQ9を遊んでいた私の両親もまた、そうしたプレーヤーでした。こうした方々がPTに苦労せず加われるような世界を、私は望みます。強敵への挑戦では、ゲーム内の合理への忠実さが問われます。そうした場面は、極力減らしてほしいのです。
現状のザコ戦だって、敵の残りHPを計算して各担当の位置取りや攻撃手段を選択し、最小ダメージかつ短時間での撃破を目指すことはできます。そうすれば、MP回復アイテムなどの使用量が減り、挑戦できる狩場すら違ってきます。でも、そこまでやる方は少ない。理由はわかりません。でもこれは、見事な調整です。
例えば、キメラの火炎の息の被害は、頑張れば0〜1人にできます。1体なら、前衛が押せばいい。問題は、複数のとき。とくに3体相手に前記目標の実現を目指すと、目が回る忙しさ。でも、私が遠くから眺める限り、素直に2〜4人がダメージを受けるPTがほとんど。それでいいのだと思う。
大多数の弱者にとって、「雲の上の人たち」が何をしていようと関係ない。今そこにいる「ありふれた強者」のふるまいだけが重要です。「ありふれた強者」が自動的に弱者と同レベルの行動を取ってしまう現状のDQXは、素晴らしいと思う。
フォーラムに繰り返し出てきていたのが、「戦闘がつまらない」という意見。とくにレベル上げがかったるいのだという。
焦点は、ほぼこの3点に絞られていたように思う。私は全て、現状維持希望でした。
DQ6やDQ7には消費MPゼロの特技がたくさんあり、戦闘のバランスが、そうした特技の使用を前提としたものになっていました。だからA連打で戦闘を済ませようとすると、レベル上げに苦労します。
DQ3の場合、最後のゾーマ城に到達するとザコ戦の単純化が極まって、「たたかう」と「どうぐ→賢者の石」の他にすることがなくなります。賢者も僧侶もラスト4連戦のためにMP温存。私はそんなDQ3が大好きですが、DQXのベータテスターフォーラムで声の大きい方々は、たぶんDQ3のそういうところは嫌いなのだろうと思う。
A連打では嫌だ、いろいろな特技を毎回のように使っていきたい。だからMP制ではダメ、そして特技の種類はもっともっとたくさんほしい……。ベータ段階で特技の種類は90を超えていました。それでも少ないという。私は現状ですら特技が多すぎると思っていたくらいなので、とても賛成できませんでした。
「レベル上げ」は、DQXで最も多くの時間を費やす作業のひとつ。だからこそ、経験値獲得効率の最もよい相手は「格下」がよいです。
「レベル上げ=格下狩り」なら、フレチャへの返信で動きが止まっても、手洗いや電話などで離席しても、転職してLv1に戻っても、「眠いので10分後に落ちます」といっても大丈夫です。最も多くの時間を過ごす部分だからこそ、「ゆるーい楽しみ方」ができる方がいい。
「たかがレベル上げ」で、いったんPTを組んだら気軽に抜けられない、離席できない、真剣に戦闘せよ、というのでは、私はDQXを楽しめません。緊張感のある戦闘は、クエストやストーリーを進める場面だけで十分です。強敵への挑戦は、レベル上げとは無縁の領域に隔離してほしい。
格下狩りなら、レベル差PTで何ら問題ない。そしてレベル差PTは、決して妥協ではなく、むしろ楽しいものなのです。
まずレベル上げ自体、レベル差PTの方が楽しいです。「いかにして低レベルの人を守り抜くか」というミッションが追加されるので、戦闘にメリハリがつきます。そして、どんどんレベルが上がる人がPTに1人いるのは、とても愉快なこと。「おめでとう!」は、いう方も嬉しい。
適当にレベル上げ戦闘をしつつ「このあと何しよっか?」。3人くらいレベルが上がったら、一緒に旅立つ。「**さんのクエストを手伝いましょう!」「**まで道案内しますよ」などなど……。ストーリーやクエストを何度も楽しめます。一人で同じイベントを繰り返してもあまり面白くないかもしれないけれど、みんなでワイガヤしつつリプレイするのはとても楽しい。
レベル上げで集まって、誰かの希望を叶える旅で終る。DQXのマルチプレイは、美しいと思う。
同格狩りや格上狩りの報酬が増えたら、私のような弱者は、レベル上げPTに入るのにも苦労するし、何とか入れても「怒られたら下がるのは基本」「意味なく怒らせないで」「無駄に炎くらうのやめてね」などといわれ続けることになる。
頭を使う戦闘は疲れちゃうから、レベル上げの戦闘はA連打がいい……というのが、私のような弱者の思い。誰にも強要されないなら、連携攻撃があってもいい。でも、きっとそうはいかない。確率的に勝手に発動するタイプの連携攻撃ならいいけれど、意図して操作して出すタイプの連携攻撃は、マルチプレイのハードルを高くすると思う。
DQXは弱者に優しい作品であり続けてほしい。レベルや職業を問わずレベル上げPTに入れてもらえて、A連打で問題なく戦闘でき、最後に「今日は楽しかった! また一緒に遊ぼうね〜」と終れる状態を維持してほしいのです。
以下、4月にフォーラムに投稿した文章です。
個人的には、DQXには、「無言誘いは失礼」という文化を破壊して、「無言誘いOK」という文化を提示し広めてほしかったので、話の流れとしては残念に感じてます。とくに根拠はありませんが、私は「真にMMOの敷居を下げるためには無言誘いOKの文化を確立する方がいい」と、今でも思っています。
グレン入口でのPT誘い連呼も、私は大歓迎でした。私は積極的にPTを組みたいとは思っていないんです。だけど、何度もグレン入口を通り、数百回も様々な連呼を聞き続けるうち、フッと「じゃあ組んでみようかな」と思う瞬間が訪れるのです。いま私はプレイ時間の半分くらいでPTに入っていますが、誘ってくれるのは、グレンで私が気まぐれで「PT入るよー」と声をかけて、その日にフレンドになった方が過半です。
もしPT募集掲示板のような仕組みになったら、私はそういうのを見ないと思います。見なければ出会いもないし、出会いがなければ私をPTに誘うフレンドも増えません。
私にはやっぱり、マルチプレイ対する壁が、相変わらず存在しています。誘われれば楽しいし嬉しいが、自分からは動かない。これが私のスタンスです。なので、PT募集掲示板やプラカードじゃダメなんです。そういうのは、積極的にPTに入りたい方だけが見るものでしょう。誘われない限りPTを組まない私のような「待ち専」のプレーヤーは、ただ街を歩いているだけで勝手にPTメンバー募集の声が聞こえてくるのでなければ、知らない方とPTを組むきっかけが得られません。
「いくらなんでもそれは消極的すぎる」と思われる方もいるでしょうが、私は、これこそ「敷居が低い」ということだと考えています。PTを組むことに臆病で、PT募集掲示板を見ようとさえしない人でも、PTを組むきっかけが得られる……それがグレン入口のPTメンバー募集の声なんです。私は、あれはとっても素敵なものだと思ってきました。
例えば、私はリーダーがPTの3人目、4人目を勧誘する様子を眺めていたことが何度かありますが、呼びかけに反応して「参加するよ」といってくれる方のほとんどが、仲間募集中マークをつけていないんです。そういう方って、やっぱり私と同じように、たまたまフッと心を動かされて「入りますよ」といってくれたのではないか? 酒場にPT募集掲示板があっても、自分から積極的にそういうものを見たりはしなかったんじゃないか? そう思うんです。
無言誘いは、逆に誘う側の敷居を下げるものだと思う。じつは私も、キーボードがなく非常に低いレベルの頃、僧侶一人旅がつらくてつらくて、フィールドで無言勧誘したことあります。ソフトキーボードで文字を打っている間にみんな走り去ってしまうので、仲間募集中マークのある人にはすれちがいざまに無言誘いしました。ほとんど断られたと思います。b長押しがわからなくて、「パーティー組みませんか」という定型文がパッと出せることも知らなかったんですね。
ともあれ、誘われる側も、誘う側も、敷居を下げてみた……それがDQXのPT編成の仕組みだと思ってました。でも、開発側としては、それは意図したことではない、と。そして問題の解決策というのが、掲示板やらプラカードやらという話になるのだとすると、少なくとも現時点の私の気持ちとしては、残念です。とはいえ、それらが実装されてみたら、気持ちが変わるかもしれません。よい結果になることを、期待しています。
3月から6月まで、私は基本的に自分からPTを組むことがなく、ソロで戦いながらフレンドさんからのお誘いを待つプレイスタイルでした。そんな私を最初に誘ってくださるのは、たいてい小学生や中学生を自称する方。なので、私は(自称)小中学生のプレーヤーと遊ぶことが多かったです。
以下、自称小中学生は実際に小中学生だと仮定し、彼らとのプレイ体験について書きます。
小中学生のリーダーの、グレンで仲間を見つける速さには、ビックリさせられました。レベル差も職業の組合せも気にせずパパッと集めてくるのです。
でも、PTの目的が、なかなか決まらない。「まず人を集める。何して遊ぶかは、それから考える」……小学生の頃って、そうだったな、と。私はPTの目的が決まるまでの間、PTチャットで会話しつつ、ソロでのレベル上げを続けることが多いです。ときどき「目的がないなら抜けます」とメンバーが消えて、仲間募集がやり直しになることも……。
結局、やることはレベル上げが大半。しかし手当たり次第に集めたメンバーで大丈夫なのか? 結論を書けば、どんなPTでも何とかなります。(詳細)
無謀なリーダーが勝ち目のない敵に突っ込んだとき、私は早々に戦線を離脱しました。当然、彼はすぐ死んだわけですが、「後先考えずに突っ込んで死ねるのって羨ましいな」と思いました。私はゲームの中でさえ臆病。
小中学生のプレーヤーはフレンド申請にも積極的。彼らのフレンドさんは急速に増えていく。その結果、街頭での無言PT誘いは、次第に減っていくようです。私をよく呼んでくださる小中学生の方も、GWに入った頃から、フレンドだけでPTを組むことがほとんどになっています。
私のフレンドの中では、フレチャで「全滅した! 助けて!」とSOSを発するのは、小中学生の方だけ。何とか助けたいのですが、居場所を調べると「間に合わない」とわかるケースが大半。2回ほど現地へ向かったこともありますが、救助には失敗しました。
小中学生は諦めが悪いので、仲間が死んで、生き残ったメンバー(とサポート仲間)ではザオできないとき、周囲に助けを求めることに非常に積極的。私が死んだときも、遠くに点のように見えているPTのもとへダッシュし、ザオできる方を連れてきてくれました。「なるほど、子どもの自殺が少ない理由はこれか」と思いました。
小中学生ならではのトラブルといえば……。リーダーが突然、エラーで落ちて戻ってこない。後日、話を聞いてみたら、「お母さんにルーターの電源を切られた」と。
親に隠れてこそこそゲームをやっている方もいて、ご両親が予定より早く帰宅すると、突然、落ちてしまう。あるいは、廊下を歩いてくる足音がすると、Wiiの電源をパッと落としてしまう。ご両親はいろいろな用事で廊下に出てくるから、何回もエラー落ちを繰り返すことに……。
また別の方の話。親は子どもの事情など気にしないので、支度が早くできたなら、夕飯は前倒しになります。「7時まで」だったはずが、「ごはん」の一言で6時半頃に即落ち。呼ばれたらすぐ行かないと怒られてしまうのだとか。
ま、そんなこんなで、小中学生の方と遊ぶのは楽しかったです。トラブルは楽しさのもとだと思うし、何よりPTの空気が自由でいい。お互いに自分のしたいことを正直に話せるし、「ゲームはリアルの事情には勝てない」という認識が明確に共有されているから、いろいろ気楽。
レベルも職業もバランスの取れたPTとか、自分と似たプレーヤーと遊ぶのもいいけど、せっかくオンラインなのだから、自分と違うところの多いプレーヤーとも冒険したいです。子どもは風の子。自由な気風が、断然楽しい。
DQXのいいところのひとつは、PT編成の自由度だと思う。ベータテストではレベル上げ目的のPTが大半だったので、PT編成に悩むことなんか何もない。ところが、ベータテスターが集うフォーラムでは、職業バランスがよくレベル差の小さいパーティーのみを理想とする人々が愚痴を吐き出していました。
なるほど、職業バランスが取れていたら、いっそう戦いやすいでしょうし、レベル差も小さい方がよかったりする場面もあるのでしょう。しかし、「誰でもサッとパーティーを組める」ことこそがDQXの美点だと思う私としては、「全員戦士や魔法使いでもレベル上げはできるし、やってみるとバランスのいいPTでは味わえない楽しさがありますよ」といいたい。
「ホイミとザオを使えるのが自分だけ」なPTの場合、狩る相手を魔法の小瓶を落とす敵に限定します。そして「私のMPが尽きたら全滅なので、私のMPが減ったら小瓶を使ってください」と話します。
小瓶を落とす敵は、各地にいます。集中して、それだけを狙います。
盗賊ではメインの回復担当を担うのは無理があるため、誰もホイミできないPTの戦術を踏襲するのが安全です。
誰もホイミできないPTの場合はどうするか。私は「モンスターの落とした物を売れば必ず利益が出ます」と説明したうえで、出発前に薬草を各自30〜50個ほど買ってもらってます。さらに「自分のHPは自分で管理しましょう」と提案して了解を得ると、他人のHPを気にする必要がなくなり、気楽です。
このとき、休みなくガンガン戦闘するのがお勧め(事前にPT内で了解を得ます)。すると薬草使用時は自分だけ1ターン休みとなります。たった1ターンでも仲間の背中を眺めるだけで過ごすのが悔しいのか、敵の後ろを取るとか、魔法やブレスを回避するとか、誰もアドバイスをしてはいないのに、自然とみな立ち回りが上達していくのが面白いです。そういうのを見ると、僧侶があんまり戦士を甘やかすのも考えものだと思いますね。
まあ、上達しなきゃしないでよろしい。薬草代金がかさんで損をするのは自分じゃないですし。狩りを始めたらうるさいこというのはやめて、「その武器カッコいいですね!」「会心すごい!」とか、そういうことだけ話すのが楽しく狩りをするコツのように感じてます。
助言とか、すればするほどブーメランになりますし、なるべくしない方が……。グレムリンの周囲を走り回っていると、「それ意味あるんですか?」みたいなことを訊かれたりします。なるべくなら、質問が出てから初めて説明をするのがベストだなあ、と感じてます。
防御力が高いので、薬草で回復するだけで安定します。
攻撃力が高いので戦闘がすぐ終り、薬草で回復するだけで安定します。ただし事故に注意。戦闘中にエラー落ちの人が出たら薬草の消費量を気にせず回復優先で慎重に戦うか、いったん逃げて戦闘を中断すべき。
全員魔法使いの場合は、まず薬草を100個ほど用意しまして、魔法のことは忘れてムチや短剣で戦います。狩場のレベルは2段階くらい落とします。魔法使いは防御が弱いので、敵を2ターンで倒せるくらいの場所でないとつらいです。
ただし武闘家などを経由して力を底上げしている方がいればグッと楽になりまして、場合によっては他職と同等の狩場を選ぶことも可能。そのあたりは様子を見ながら判断します。
レベルが上がってアクセサリなどが揃っている場合は、相手をよく選んで戦い、魔法で押しまくるのが非常に有効。ベータテストのLv40制限下では、最終的には魔法使いのレベル上げがいちばん早かったと思う。
ザオ不能PTは死者が出るような場所でレベル上げをすべきではありませんが、万一の場合には、すぐ諦めず、生き残った仲間が走り回って救援を求めるのがよいと思います。「救援要請うるさい」という方もいるでしょうが、ふだんの私のように、むしろ「人助けが楽しすぎる!」と思ってる僧侶や旅芸人はたくさんいます!
周りに人が見えず、2人以上が生き残った場合には、生きてる一人をいったん仲間から外し、サポート仲間の僧侶さんを入れて復活してもらいます。なので、全員が1人ずつサポート僧侶さんを雇っていると安心です。Lv10でいいので、お金に困ることはないはずです。不運にもサポさんのMPが切れたら、魔法の小瓶で回復してください。このために魔法の小瓶を2本以上ストックしておくと安全確実です。
レベルの低い仲間と組むのは経験値補正でおいしいですよ。低めの狩場からはじめてみて、いけそうならどんどん狩場を上げていく。
レベル差のあるPTの場合、最高レベルの人が完全ソロでやれる一番上の狩場で、高速狩りを敢行することに落ち着くと思います。休みなく連続で戦闘し、回復は戦闘中にやってもらうことに了解を得られると、レベル上げの時間効率が改善されます。これはソロでは不可能なことなので、PTの有利さが明確に出ます。
そんなわけで、レベル差PTで高レベルの側が損をすることはとくにないです。「わざわざレベルの高い人と組みたがる人は、効率より安心を優先しているんだな」と私は判断しています。安心の対価は、自分が経験値としていただくわけですね。
ただし火炎の息やスライムシャワーなど範囲攻撃が痛い敵と戦うと、回復がたいへん。なので、単体攻撃が主体の敵を選ぶことが重要。
また、弱い人が攻撃をしても無意味なので「薬草をたくさん買って回復を担当してください」とお願いする必要があります。低レベルだとスティック攻撃がmissになって、戦闘中にMPを回復できません。僧侶でも関係なく薬草大量持ちが必要です。
とあるLv21の僧侶の方が、仲間のLv14やLv12の戦士が自分を守ってくれない、と愚痴っていたのですが、そもそも僧侶が仲間に守られる必要があるような場所は、レベリングに向きません……。この場合、戦士の立ち回りと関係なく、戦う場所を変更するのが無難だったと思います。
プレーヤースキルの低い人でも楽しめるDQXであってほしいので、無能にイラ立つ側が、「このメンバーでも楽しめそうな狩場」を考えて誘導するのが、私の理想です。自分で解決できる問題は、自分で解決してみたら、それまで見えなかった面白さが見えてきたりしますよ。
他のMMOの経験者には、どうもレベルが低い人に狩場を合わせようとする方が多いのですが、DQXの場合、レベルが高い人の方を基準に狩場を決めるべき。弱いリーダーが強い敵と戦いたがるので困る、と高レベルなパーティーメンバーが愚痴る事例が多々あったのですが、これはリーダーの方が正しい。
DQXの場合、1人が手洗いとかで動きが止まっても、さして問題ない。レベル上げの戦闘なら、4人でも3人でもいいんです。だから、弱いリーダーが役立たずでもいいんです。実質3人PTで戦って、サクッとリーダーのレベルを引き上げてしまえばいい。高レベルのメンバーにとって適正なモンスターと30分くらい戦っていれば、実質的にも4人PTになってきます。
誘った側が納得しているなら、それでいいと思います。力が低くて攻撃がほぼ無意味なら、安全な遠くに移動して、薬草やホイミで仲間を回復することに専念するのがよさそう。ドロップアイテムを売れば収支はプラスになるはずなので、目先の金銭を惜しむべきではないでしょう。
怒る側の気持ちもわかるのですが、以前、30分待っても帰ってこなかった人がいました。そういう経験があると、「待たない」選択も理解はできます。
私の場合、自衛措置として、逃げても助からないような場所ではレベリングしません。例えばベコン渓谷でメイジドラキーを狩るなら、サイ男から逃げられる(=一撃死しない)のが条件です。
なお、強敵のいる場所で素材や宝箱を探索中に落ちたなら、仲間が街へ逃げ帰ってくれる方が安心ですね。万一の際、「1人欠けていたので全滅した」とか思われる方がキツイ。
DQXのPTは各自バラバラの行動が可能なので、強すぎる敵に突っ込んでいく人には、私はついていきません。勝手に死んでもらいます。メンバーの返事を聞かずに自分の希望だけいってルーラで飛んでしまう方もいますが、私は追いかけません。残った3人で話して、3人の希望で行先を決めます。すると、私の狭い経験からいえば、いつもリーダーの方が折れて戻ってきて、他の3人に合流します。
リーダーといっても特別な権限があるわけじゃないです。PT解散したって、残った3人であらためてPT組むだけですからね。リーダーの自爆でしかないんです。なので、「リーダーに振り回されないぞ」という意思を他の3人が持つことが大切だと思います。
誘われたのが目的不明・優柔不断PTだった場合、私は「やること決まったら教えて」といって街を出て、PTチャットに参加しつつ、ソロ狩りで時間を潰してます。街中で10分も15分も放置されてポヤーンとしているとだんだん不愉快になってくるので、能動的な時間潰しをするのがよいと思います。
ある意味、PTメンバーに対してドライになるのがいいと思います。PTを組んでいるからといって、絶対に仲間を助けるわけじゃないし、行きたくない場所には頑として行かないし、やりたくないことはしない。それくらいの方が、むしろ様々な価値観や生き方に対して寛容になれます。
自分の中の守りたいものを守ることができれば、心に余裕が生まれ、それまでイラ立ちや怒りのもとでしかなかったものに、面白さを感じられるようになったりします。
先日、PTメンバーが揃って「さあいきますか」となったら、リーダーが「ちょっと待って」といって走り去る。メンバー同士で適当にお喋りしていたら、いつの間にか2分、3分と時間がすぎていく。預かり所にしては長いな……と思ったところで「**の鍛治レベルが上がった!」の表示が出たから、大笑いしました。とっさに「おめでとう!」とメッセージを出しましたが、しばらく笑い転げてました。こんなの、怒るだけ損だと思いますね。
メンバーとリーダーに実質的な権限の差はないので、偏ったPTに誘われたら、どんどん提案して「このPTで楽しむ道」を探ろう、という話をしたかった。リーダーに全部お任せして、それで後で愚痴るのは自分にとっていいことがないです。
4月某日、お城から西へ通じる街道を駆ける私の背中に、無言PT誘いを下さった方がいました。そのとき私にはやりたいことがあったので、いったん誘いを断り、「そういえば忘れていたな」と、ひとりプレイ表示をしました。そうすれば、パーティー勧誘を遮断できるのです。
しかし、夕陽に向かって走るうち、かつて自分が無言PT誘いをしていたときの切羽詰った気持ちがよみがえってきました。だんだん不安が募ってきた私は、いまきた道を戻ることにしました。
すると、私を誘って下さった方(以下Dさん)は、モンスターの脅威から逃れるように、ひとり石柱の影に隠れていました。
レベル上げのお手伝いをしつつ、断片的な言葉を交わすうち、Dさんの孤独が、次第に見えてきました。
まずキーボードがないから、コミュニケーションのコストが高い。そしてプレイ時間が限られており、少し休んでいる間に出発地点の山村は空っぽになってしまった。そんなわけで、日々PTに誘ってくれるようなフレンドは、とうとう作れなかった。
Dさんは打たれ弱い魔法使い。復活呪文を使えるレベル10以上のプレーヤーがほとんど通らなくなった道を、何度も何度も死につつ走って中継拠点へ。さらに苦難と呪いの大地を越えて一人でお城までやってきたけれど、いまだ右も左もわからない。
Dさんは説明書の重大な訂正事項を知らず、「地図が表示されない。リモコンが故障した」と悲しんでいました。「いまどんな設定」がわからず、Dさんにとって「いまどんな設定」のマークは意味不明の図形でした。
MPはすぐに切れてしまう。だから短剣で、かなり格下のモンスターと死闘を繰り返してきました。とにかく戦って、戦って、死ぬたびに減っていくお金から、宿屋の泊まり賃を何とか捻出してきたのでした。
唯一の頼りだった説明書にも、お城から先の地図はない。心細い。しかし初心者マークをつけているだけでは、だれもPTに誘ってくれない。行き詰った。Dさんの無言PT誘いは、かつて私が発したSOSと同じもの。まさかお城の先まできて……それが私の浅薄な思い込み。いつか受けた恩は誰かに返さねばならないと思ってきたはずなのに、危うく恩を仇で返すところでした。
さて、多くの時間を費やしてレベル10を超えるに至っていたとはいえ、基礎的な知識を相当に欠いているとすると……案の定、Dさんは預かり所クエストを受けていませんでした。物語の進め方が、よくわかっていない。「全てのNPCに話しかける」という基本を欠く。よくわからない施設には近寄ってもいない。当然、預かり所の方とも話しておらず、預かり所クエストを受けていない。そもそも預かり所とは何か、わからない。
以下、この日のプレイ内容。
Dさんが、DQXを楽しんでいなかったとは思いません。魔物が闊歩し、腕自慢がそれを狩り続ける世界。心細くなり、悲しくなり、ときに怒り、絶望さえするのは、当然のことです。
他の冒険者とのコミュニケーションが困難になる呪いをかけられたか弱き魔法使いは、村に置いてけぼりにされても、今日までへこたれることなく地道に腕を鍛えてきました。Dさんの戦歴に、街道沿いには生息していないバブルスライムがあったのは、Dさんがフィールドの隅々まで探索してきた本物の探索者である証拠。
巨人の肩に乗って、それを自分の実力と勘違いしがちな私と違い、真にあらゆる困難に直面し、道を切り開いてお城の西の街道まで到達したDさんこそ、冒険の醍醐味を知る者である。
それでも……最高の「冒険者ロールプレイング」を体験できたのだとしても、一人で戦うには荷が重いモンスターが闊歩する街道で、道ゆく人々にSOSをスルーされ続けた気持ちを思うと、私は胸が張り裂けそうになりました。もしこの身が二つあるのなら、先輩としてではなく、同輩としてともに旅をしたかった……。
DQXは「MMORPGの間口を大きく拡げた、初心者に優しい作品」だと私は思ってきました。相対的にはおそらく、その通りなのだと思う。しかし絶対的にはどうなのか。Dさんとの旅は、私の物差しを修正する好機となりました。
DQXは、ゲームの部分はドラクエそのもの。新しい要素は多々あれど、ドラクエファンなら、ほぼ迷わずプレイできると思う。問題はやはり、オンラインならではのコミュニケーション。「キーボードが使えなくても遊べる」というのは嘘ではないけれど、本当でもないと思う。
私は最初の頃、一人旅がキツくてキツくて、「外で見かけた仲間募集中の方を、とりあえず仲間に誘ってみる」というのを、何度かやってみました。だいたい断られて悲しかったです。
そのときの私は定型文の出し方もわからなくて、ソフトキーボードでモタモタと入力してました。そうすると、文字入力中に相手の方が走り去ってしまうわけです。それで、まず仲間申請からはじめていました。いわゆる「無言PT誘い」です。それを断る側の気持ちは容易に想像がつきましたが、それでも悲しかったです。
そんなこともあって、私はなるべく無言申請を受け入れるようにしていました。そして、キーボードがない方とどう遊ぶか、考えてきたつもりです。仲間を抜けるのはいつでもできるので、いったん組んでから、いろいろ話をしてみよう、と思ってきました。
-----(Step 1)-----
「お誘いありがとう」
「お互い、やりたいことがあると思います」
「まず、いくつか確認させてください」
-----(Step 2)-----
「その前に」
「Yesならジャンプ、Noなら3秒待ってね」
「もしキーボードが使えるなら大歓迎!」
「ではまず、ジャンプはできますか?」
*沈黙
「ジャンプは、ヌンチャクを振るか」
「クラコンのZRです」
「やってみてもらっていいですか?」
*ジャンプ
「ありがとう!」
「Yesならジャンプ、Noなら3秒待ってね」
「b長押しの定型文会話はできますか?」
*沈黙
「わかりました」
「bボタンを押し続けてください」
「いろいろ言葉が出てきます」
「OK!を探して、aボタンを押してください」
*「OK!」
「ありがとう!」
「次にドンマイをお願いします」
*「ドンマイ」
「ありがとう!」
「ではこの先、」
「YesはOK! Noはドンマイ」
「で、お願いします」
「質問は、あと少しだけです」
「キーボードはありますか?」
*「ドンマイ」
「了解です。なくても大丈夫ですよ」
「ソフトキーボードは使えますか?」
*「ドンマイ」
「了解です。使えなくても大丈夫ですよ」
-----(Step 3)-----
「今日は何をしたいと思っていますか?」
「レベル上げですか?」
*「OK!」
「どこか行きたいところはありますか?」
*「ドンマイ」
「地図の見方はわかりますか?」
*「ドンマイ」
「yボタンです」
「押してみてください」
*「OK!」
「左下に獅子門という場所があります」
「獅子門へは行ったことがありますか?」
*「ドンマイ」
「わかりました」
-----(Step 4)-----
「まず、レベル上げをしましょう」
「その後で獅子門まで」
「もし行けたら行きたいと思います」
「こんな感じでよいですか?」
*「OK!」
「では行きましょう!」
実際の会話はこれほどスッキリしたものではありません。それでも、私がやろうとしてきたのは、こういうことでした。
誰もがきちんとコミュニケーションを取りたいわけではないでしょう。経験的には、手っ取り早くレベル上げする仲間がほしいという方が多い。「察してほしい」「さっさと行こうぜ」が本音ではないかな。話をしたいのは私であって、相手ではない。ならば、意を尽くすべきは私の方だ、と思ってきました。
もちろんこれは理想であって、常に実践が伴ってきたわけではありません。あれは失敗だったな、よくなかったな、と思っていること、たくさんあります。気が急くと口うるさくなる悪癖が……。「他人に甘く、自分に厳しく」と念じてきましたが、道半ばのままベータテストを終えることになりました。
少しゲームに慣れてきた頃、私が気になりはじめたのが、大勢がバトルをしているフィールドでした。
ドラクエ本編がシンボルエンカウントを採用したのはDQ9からのことですが、DQ9では大勢のモンスターの中で、たった4人の主人公たちが旅をしていました。それはマルチプレイでも同じだったわけです。ところがDQXでは、多くの冒険者が、見渡す限りのフィールドでモンスターを倒しまくっているのでした。
私がそこから連想したのは、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の合戦シーンです。物語上、主人公の側に「正義」が仮託されてはいるものの、戦闘そのものは血で血を洗う陰惨な暴力であることを、ジャクソン監督は正直に表現していました。ドラクエのバトルに血しぶきはないけれど、バタバタと倒れゆく魔物の姿は、かつて北米でバッファローを絶滅の危機にまで追いやった人間の営みを想起させるものでもあって、「戦う意味」を再定義する必要を感じました。
これまで私は、自分にしかできない救世の旅は何としても完遂しなければならないのであり、その過程で「降りかかる火の粉を払う」イメージで戦闘を捉えていました。けれども、DQXの世界にはたくさんの冒険者がいます。私がサボっても別に問題ないではないか、と。
実際には、ひとつの世界でプレイしつつも、物語は各プレーヤーのもの。私のキャラクターが頑張らない限り、私のプレイする世界では、魔王が人々を苦しめ続けます。そう、アタマでは理解しているのだけれど、フィールドいっぱいの冒険者たちを目にすると、「そうはいってもさ……」という気持ちが湧き上がってくるのを抑えきれないのでした。
そんな私のもやもやを吹き飛ばしたのは、ひとつのアイデアでした。
モンスターはどこから現れるのか? 最も多いのは、空中からの出現です。空中にパッと現れて、落ちてきます。次に多いのはたぶん、地中からの出現です。その他、蜃気楼が突然実体化するような現れ方もあります。これって、何かと似ているな、と感じました。そう、プレイヤーキャラのログインです。
ここから、「DQXの世界は一種の演劇の舞台ではないか」という着想を得ました。多くの推理小説は殺人事件を扱っています。読者が求めるから殺人が起きる。それを名探偵が解決するのは楽しいけれど、そもそも殺人事件など起きない方がいいではないか。しかしそれは、小説世界の出来事を「もし実際に起こったら」と考えるから生じる悩み。DQXもそれと同じこと。DQXの世界は遊園地のアトラクションのようなものであって、モンスターはモンスターの役割をこなしているに過ぎない……と考えてみてはどうか。
DQXが遊園地ならば、大勢がログインして遊んでいながら、それぞれが主人公であるという状況にも納得がいきます。全てのプレーヤーが主人公気分を味わえるように、大勢のキャストが奮闘してくれているわけです。他のプレーヤーを手伝えば、何度だって同じ場所で同じボスと戦えたりするのだけれども、これはつまり「ボス役の人がいつもそこでスタンバイしている」ということ。雑魚敵を担当するキャストは、一回負ける毎に少し場所を移動して再び仕事に復帰するサイクルなのでしょう。
大剣で斬りかかってもダメージが出るだけで何も切断できず傷にすらならないのは不思議なことではない。「斬ったつもり」「やられたつもり」でダメージの数字をやり取りしているのがその実態。ドラクエの戦闘で「死ぬ」のは光線銃を使ったサバイバルゲームにおける「死亡」と同じだから、プレーヤーはルールに従って教会で「復活」するし、モンスターは空中や地中から「復活」してみせるわけです。
ゲーム的な死とストーリー上の死が区分されるのは演出の都合であり、いずれにせよキャストが本当に死ぬようなことはない。プレーヤーAさんのストーリーで死んだ人も、それはもちろん役割を演じて「死んだ」に過ぎないから、プレーヤーBさんの世界ではピンピンしているのですね。
「DQXはドラゴンクエストテーマパークの巨大アトラクションだ」と考えることで、私にとって暴虐の荒野はカラッと楽しめる娯楽に変化しました。
よく考えるまでもなく、上記の内容はオフラインのドラクエにもそのまま当てはまる話です。しかしニブい私は、DQXで大勢のプレーヤーがモンスターとの戦闘に興じる姿を見るまで、「ドラクエは客が主人公役を務めるヒーローショーのようなアトラクション」という発想に至りませんでした。
思いついてからしばらくは、「これで全ての謎が解けた!」と大興奮していたのですが、時間が経ってみると「ロールプレイングゲーム」というジャンル名の中に最初から答えがあったのに、どうして今まで自分は気付かなかったんだろう、と。ていうか、こんなことはみんな最初から理解してたことで、気付いて大喜びする方がおかしいんじゃないか、とか。
あるいは、推理小説の中の殺人についてメタな視点から言及する小説はいくつも読んできたわけで、どうしてその発想をすぐドラクエに適用できなかったのか……。
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「与ダメージが1で被ダメージが3とか、そんな……」
スライムの姿は確認できたのだけれど、まずはフィールドでの操作に慣れようと思い、少し走ってみました。そうしたら、モンスターに追いかけられて逃げ切れず戦闘に突入。初戦の相手はビッグハットでした。いきなり「不意を突かれた」で1回休み。その後も被ダメージが与ダメージを上回る苦しい展開が続きます。
そりゃ、DQ3だって、ひのきの棒しか装備してないLv1の僧侶が一人で旅立ったらこんなものだったかもしれない。でもDQXはソロでも楽しめるはずじゃなかったのか……。そのときでした。
ピッピッピ!ピッピッピ!
通りすがりの方の応援でソロゥのテンションが上昇。なんとビッグハットに3ダメージ。おかげさまでビッグハットを撃破。これで初戦での全滅を免れました。助かった……。一息ついた私がソフトキーボードでもたもたと「ありがとう」を入力している間に、応援してくれた方は走り去ってしまいました。
レベルを上げるまでは、小枝では戦えない。山村へ戻って、もっと強力な武器を買わないと……。残金は50G。これならちょうど竹槍が買えます。でも全滅してお金が半分になったら? あらためて確認すると、山村が意外と遠い。DQXはシンボルエンカウントなので、ある程度まで敵を避けて走ることができます。そのため、初戦の時点で山村から不用意に離れすぎていたのでした。
なんとか村まで戦闘抜きで戻らなければいけない。そう思うと、動きが硬くなります。「あっ」またビッグハットにぶつかってしまいました。しかも、今度はスライムをお供に連れていました。
……またもや温かい応援をいただき、MPもすっからかんの状態で薄氷の勝利。が、私は早くも絶望の淵に立たされていました。
まず第一に、これほどの激戦を制したのにレベルが上がっていない。オンラインゲームはレベルが上がりにくいという話は聞いていたけれど、DQXもそうだったのか。第二に、戦闘には勝利したものの、MPなし、体力は尽きる寸前。村へ戻るまでに1回でも戦闘になったら、その時点で全滅確定。お金が半分になってしまう。第三に、1回の戦闘で手に入るお金が2Gとか3Gとか。宿屋に泊まるには10G必要だから、たった2戦で消耗しきっているいま、全滅後に25Gを稼ぐ目処が立たない。いきなり武器選択のミスで詰んでしまったのではなかろうか?
そのとき、瀕死で背中を丸めて喘いでいたソロゥが光に包まれ、シャンと背筋を伸ばしました。通りすがりの方が回復呪文のホイミをかけてくれたのです。全く無償の行為。なんて優しい人がいるのだろう。
私はこれで奮い立ちました。くよくよ思い悩んでいても仕方ない。山村の入口まで猛然とダッシュ。幸い、途中で戦闘にはなりませんでした。そして武器屋へ向かい、竹槍を購入・装備しました。宿屋に泊まるお金はありませんでしたが、それは竹槍でスライムを突いていけば何とかなるだろうと思いました。
1分後。竹槍装備でも与ダメージは1。愕然としました。1回ホッとした後だけに、これは堪えました。失意の中、MP切れで回復手段がなかったこともあり、アッサリ敗北。これが私のDQXベータでの初全滅。
つまり、私は状況を誤認して勝手に絶望していただけで、竹槍装備で全滅を恐れずひたすら攻撃的に戦い続ければ、何の問題もなかったわけです。とはいうものの。
1.1からのテスターですが、最初のログインから3秒後に「こんにちは」の声が聞こえ、1回目の戦闘のときに通りがかった方に応援をしていただき、2回目の戦闘の後では見知らぬ方がホイミをかけてくださって、とてもとても嬉しかったです。
当初は「ありがとう」ひとつなかなか出せず、パーティープレイとか「まだ全然、無理っ!」という感じだったのですが、3回目の戦闘の後、初めて応援したとき、素朴に感動したことを覚えています。「全くの初心者でLv1の私でも少しは他人の役に立てるんだ!」と感じ、オンラインRPGならではの喜びに触れることができたように思います。
こういうことって、だんだん慣れていってしまうわけですが、最初の右も左もわからず戸惑っていたときに、応援されて、応援して、どれだけ嬉しかったかという記憶は、忘れないと思います。
いったん悲鳴を上げたからこそ応援のありがたさが身に沁みたし、自分が他の方を応援したときの満足感も大きかったのだと思う。そしてソロプレイへの絶望感が私をマルチプレイへと導き、中盤以降はマルチプレイの魅力が私にとってDQXの楽しみの大きな部分を占めるようになっていくのだから、不思議なものです。
まず「あー、ちゃんとドラクエだ!!」と安心して、それからオンラインRPGならではの体験(おうえん、辻ホイミなど)があり、そろそろとパーティープレイをしたら優しい人に助けられ、練習するうちセリフを出すのが早くなってきたらお喋りが楽しくなり……と、順調に楽しんでます。
私はドラクエがオンラインゲームになると知って、「今回は無理かな」と思った一人です。それでキャラクターの名前は「ソロゥ」としました。「人付き合いは挨拶程度にして、一人で頑張ろう」という意思表示です。仲間への誘いを断るとき、名前が「ソロゥ」なら理解されやすいだろう、と思いました。
種族と性別は、エルフの女の子にしました。「いくらなんでも自分がこのキャラを演じるのは無理があるだろう」というキャラにして、自分自身でもマルチプレイに壁を作ったわけです。オンラインゲームで見知らぬ人と交流するのが怖かったので、万が一キケンな考えを持っても、「いやいやいや、このキャラだよ? 無理でしょ?」と思いとどまるよう、布石を打ったのでした。
ベータテスターにサーバが開放されるのは、1日3時間だけ(私が参加した頃はそうでした)。私はあまり説明書を読まないプレーヤーですが、サーバーが開くのを待つ間に、さらっと通して読みました。が、いまいち頭に入ってこない。結局よくわからないまま、初めてのDQX体験を迎えることになりました。
山村に現れたソロゥ。周囲をぐるっと見渡すと、他のプレーヤーキャラがパッと出現する様子が見えました。「自分も、こうして根無し草の流浪人としてここに現れたんだな」と理解しました。
「こんにちは!」
ログインから3秒後、近くにいた方から挨拶されました。わわっ、どうしたらいいんだろう。「挨拶ぐらいはしておきたい……」そう思った私は、慌ててソフトキーボードで文字入力を始めましたが、ちまちま文字入力している間に、相手は走り去ってしまいました。(ちなみに正解はよく使うセリフの利用。慣れればコンマ何秒で挨拶できるのですが、初日の私は、この機能の使い方を把握していませんでした。なお、ベータテストの途中から、よく使うセリフの使い方がプレーヤー全員に確実に周知されるようになりました。製品版では私のように戸惑う方はかなり少ないと思います)
動揺が収まった私は、まずは操作とメニューを理解しようと思ってメインメニューと地図メニューをひとつずつ確認しはじめました。すると、チリンチリーンと鈴が鳴る。仲間に誘われたのです。これは断るしかない……。「申し訳ない」と心の中でお詫びをしつつ、誘いを断りました。(なお、ベータテストの途中で仲間への誘いをシャットアウトする「一人プレイ」という状態設定が実装されたので、製品版では「一人で遊びたいのに誘われて心苦しくも断る」という場面は減ると思います)
さて、ソロゥは不思議と最初から100Gを持っているのでした。地図を確認すると、近くに武器屋、防具屋があるようです。ベータテストではスタート地点の山村のシナリオはクリアした状態となっており、次の町まで行かなければ何も始まりません。となれば、「泥棒しない」プレーヤーである私のやることといえば、まずNPCとの会話、その後は装備を整えてフィールドへ飛び出すことの他にありません。
NPCとの会話を終えた私は、迷わず武器屋へ。防具は、後回し。ドラクエ攻略の基本だと思う。
ソロゥの職業は僧侶。スティックを装備すれば攻撃と同時にMPを回復できるという。すごい。ホイミとスティック攻撃を組み合わせれば永久機関の完成ではありませんか。私は「ローリエの小枝」というスティックを買いました。残金は50Gです。「とりあえず、これで行こう」と思いました。
こうして、ソロゥは一人、村を出て旅立つのでした。
何か一言いいたいと思った話題のブクマは続けているのだけれど、ブログの記事を書くことの優先順位が低くなっていて、ちっとも更新できない。5月にいったん12月からの分を追いつこうとしてみたんだけど、2月末のところまで書いて力尽きた。
2月下旬の記事が公開されてないじゃないかと思われそうだけど、下書きファイルの方を見ていた方は、5月中に書き上がっていたことをご存知かと思う。「面倒くさい」がきわまって、既に書き上げた記事をブログツールの投稿画面にコピペする気力さえわかなくなった。書いて満足。もう誰も読まなくていいや、と。
ていうか、もう書かなくてもいいんじゃない? ← いまここ
別に「忙しい」とかじゃないです。アトピーの具合が悪くて……でもないです。いろいろな趣味がある中で、余暇の使い方にどう優先順位をつけるかというだけの問題。