備忘録

平成23年3月31日

このところ、節電に協力して日が暮れると眠る毎日なので、まだ夜も明けないうちに目が覚める。東京電力の電力使用状況を見る限り、深夜から明け方にかけては60〜70%程度の使用率なので、安心して電気を使っている。地球環境のことはとくに考えていない……。

このところ、毎朝だんだん夜が白んでいく様子を窓から眺めている。朝焼けって夕焼けよりレアな気がする。ちゃんと統計を取っているわけではないので、「そんな気がする」だけなんだけど。いきなり空が白いし、一時的に世界が黄金色に染まっても、またすぐに青空に遷移してしまう。朝焼けの街を歩こうと思ってシャワーを浴びたら、もう赤みが消えて朝の冷え込みを反映した白っぽい世界になっておりガッカリする、ということが3回ほどあった。

朝の方が空気が澄んでいるので、朝焼けになりにくい……という可能性はあるかな。

平成23年3月30日

「織田信長が周の文王の故事にちなんで岐阜と命名した」という通説について。

1.信長は沢彦に「井ノ口」は城の名が悪いので名を変えたまえと命じた
2.沢彦は岐山・岐陽・岐阜のうち好きなのを選んでくださいと答えた
3.信長は岐阜が人が発音しやすいので岐阜にすると決めた
4.信長は沢彦に「祝語」はないかと聞いた
5.沢彦は周の文王の故事を述べた
6.信長は喜んで沢彦に褒美を与えた

という話だ。沢彦が文王の故事を述べるのは信長が岐阜に決めた後のことだ。

もちろん、それを聞いて信長は気に入ったのだろうし、沢彦も信長が喜ぶことを予想していただろう。だが、これはやはりどう考えたって「信長が周の文王の故事にちなんで岐阜と命名した」という話ではない。

学校教育の「国語」の問題として考えれば仰る通りだと思いますが……。

1.

現代の政治家は、審議会に集めた専門家に諮問し、その答申をベースに政策を決めることが多い。けれども、世間では議会で専門家の主張に沿った政策を訴えた政治家が、政策の発案者として扱われます。テレビはともかく新聞は真の発案者を報道しているのですが、読者の大半はそうした記事に関心を向けません。

安土・桃山時代の武将:藤堂高虎さんは「城づくりの名人」として知られていますが、藤堂さん自身が優秀な設計士や石工や大工だったわけではありません。藤堂さんは「よい城」のイメージを持った築城組織のトップでした。藤堂さんのもとで築城の実務に当たった人物の名も現代に伝わっており、その道では尊敬と研究の対象となっていますが、大抵の歴史の本では藤堂さんが築城名人として紹介されます。

というわけで、まず、通説において主語が織田信長さんになっているのは、問題視するにあたらない。要約表現においては、沢彦さんの提案の良し悪しを判断した織田さんが名誉を総取りしてよいでしょう。

2.

私なりに状況を整理すると、「井ノ口の新地名について、織田さんは沢彦さんの助言に基づき、発音しやすく文王の故事に由来する(という説明が成立しうる)岐阜に定めた」となります。ここからまず、「沢彦さんの助言に基づき、」の部分は社会的には重要でないので、省略可能。

さらに踏み込んで、「織田さんは周の文王の故事にちなんで岐阜と命名した」と表現してもよい、と私は考えます。ひとつの結論Cを導く2つの理由A、Bがあったとしましょう。たまたま実際の議論の過程においてAが先に登場し、その時点で結論が定まったとしても、その後より対外的な説明力が高い理由Bが見出されたなら、「理由Bにより結論Cを出した(理由Aは補強と位置づける)」と説明するのはおかしくない。結論Cが攻撃されたとき、その最強の盾となるのは理由Bだからです。

織田さんは3つの選択肢から音で「岐阜」を選んだけれども、それは仮採用に過ぎなかったのではないか。沢彦さんがろくな祝語(私は「祝い言」と同義だと解釈する)を用意していなかった場合、「それではダメだ。3つの選択肢にこだわらず、ゼロベースで考え直せ」と命じた可能性がある。仮採用の通り本採用されたのは結果論であって、祝語がどうあれ「岐阜」で決まりだった、という根拠は乏しいのではないでしょうか。

これは元号なども同じだと思う。既存の地名と被らないことや、漢字や音などから候補を作るのだけれど、うまい由来をこじつけられなければ没になる、という……。

3.

もともと井ノ口のあたりには岐山、岐陽、岐阜、岐府、岐阜陽などの地名があったとする史料がある。もしそれらの史料が正しいとすると、沢彦さんは文王の故事から3つの地名案を作ったのではなく、既存の地名から、きれいな「地名の由来」を創作できる3つを選んだとも考えられます。

岐山・岐陽・岐阜の「山」「陽」「阜」の意味するところはどれも同じく「小高いところ」「丘」です。「陽」のポイントは阜偏(こざとへん)にあり、つくりの方は装飾。ですから、沢彦さんの示した三案は、いずれも文王の故事に結びつけることが可能です。

岐阜の「阜」は孔子の生誕地である曲阜から取った」という説もあるそうですが、織田さんが岐山や岐陽を選んでいれば、「山」や「陽」のために、また別の由来が創作されたのかもしれません。

平成23年3月29日

いま東日本の電力不足が深刻化し、計画停電が行われている。西日本の電気は60Hz、東日本は50Hzなので、西から東へ電力を融通できず、夏場にはいっそう深刻な事態に陥ると予想されている。

が、今後も周波数の統一は行われまい。今にして思えば、「明治時代に統一しておいてくれたらどんなによかったか」という話なのである。だが、周波数統一のための経費負担が大きすぎる、という理由で問題は放置され、経済発展に伴いますます周波数の統一コストは上がっていき……そうして、現在に至る。

現下の状況を見てもなお、周波数の統一は赤字だ。冬には電力供給が回復するというならば、半年くらい、我慢した方がよほど安い。しかし、明治時代に周波数を統一するために必要だったコストは、現在の計画停電による経済損失の1か月分より小さいだろう(根拠なし)。おそらく、100年後に今回のような災害が再び起きたときには、「2011年に周波数を統一するコストは、2111年の計画停電による経済損失の1か月分より小さかったはずだ」と、ご先祖様を呪う声が出てくるだろう。鉄道の広軌、狭軌も同じである。

おそらく、どうしようもないのだ。人の一生は短い。ふつうは5年か10年、どんなに思い切っても高々50年で元が取れなきゃダメなのだ。「100年我慢すればコストをメリットが上回る」という場合、100年経たずに死ぬ99%超の人々にとって現状維持の方がマシなのである。

例えば、明治時代に無理をして周波数を統一したら、そのコストを回収するために数十年間にわたって電気料金が高止まりし、それゆえ電気の普及が遅れ、日本経済は停滞したのかもしれない。当然、医療・福祉の水準も足を引っ張られたろう。日本人はそれを「子孫のため」という大義名分で我慢できただろうか?

余談:

この小文を書きながら、東ティモール、ユーゴスラビアの分裂、あるいは旧ソ連の小国群のことを連想した。日本は大国だから、東で大震災が起きても西は健在だが、欧州やギニア湾周辺の小国などは、東日本大震災クラスの大災害が起きたとき、国全体がダメージを受ける。

東日本大震災に対して「国際社会」はたいへん温かい手を差し伸べてくれたが、派遣された人員も提供された資金も必要量の1割足らずだった。9割超は自国で賄わねばならなかった。それが現実だろう。独立のメリットは国家壊滅のリスクすら背負うに足るという判断なのだろうが、2004年のスマトラ島沖地震はアチェの独立戦争を終結させた。まだ戦争中だったので生活感覚が勝ったわけだが、独立から10年ほども経っていたなら、国が滅び人々が死ぬのを座視することになったろう。

その後のユーゴ紛争で霞んでしまったが、1993年のビロード離婚は、私にとってはショックだった。民族的アイデンティティの曖昧なドイツ人が東西統一を喜んだ、僅か3年後のことだ。1994年にはルーマニアとモルドバの再統合も流れた。その後も、世界的には小国分立の流れが止まらない。

平成23年3月28日

1.

後世はともかく、夏頃までの数ヶ月間が最大の山場。街を復旧するのか、街を高台に移転して復興するのか、その判断は今すぐに迫られる。津波の被害も周縁部では既に回復工事が始まっている。放っておけばなし崩し的に復旧が選択されることになる。

経験的には、復旧が選択される。第一に、当の被災者たちが復旧を望むからだ。第二に、政府には私有財産を補償する財源がないからだ。

街を復旧すれば、意外なことに地価は回復する。100年以内に必ず大津波に襲われることがわかっている地域は、三陸の他にも三重県や高知県など数多い。だが津波のリスクは、不動産価格にロクに反映されていない。「自分がその家や土地に暮らす間に津波がくる」と予想する人が十分に少なくなれば、地価は津波のリスクから切り離されてしまうのだ。

今回、たいへんな津波の被害にあった地域も同じだろう。10年も経たずに津波の心配のない土地との地価の差は消えてしまい、当面の経済状態を反映した数字になるだろう。だから「もはや1円の価値もない土地だからお見舞金程度の金銭補償で立退きを迫ることが可能」なんてことはない。

2.

震災復興にどれだけの金額を投入するか。

全く新しい街をスムーズに作るなら、被災地域の私有財産と、新しい街を建設する周辺の高台の土地を、被災前に近い価格で全て買い上げる必要がある。そうでないと被災民の反発によって計画が止まる。復旧ではダメだというならスピードが重要であり、買い上げ価格を十分に高く設定しなければならない。この場合、経費は10兆円を優に超える。

お金はかかるが、これは自然災害からの復興の理想形といわれる。被災地から私有地が一掃されれば、過去にとらわれず今後の問題だけに目を向けられる。防災・減災はもちろんのこと、未来を見据えてゼロベースで理想を追求した街作りができる。また面倒な交渉が不要になるから、再建事業はコンペで選定した民間企業に委託でき、被災して人員の足りない地方公共団体でも巨額の復興予算を執行可能だ。

だが、過去には限定的な局面での実施例しかない。財源を工面できなかったからだ。財源なしに同じことをしようとすれば、財産放棄の折衝に非常に長い時間を要し、待ったなしの生活再建が先に立って、なし崩し的に復旧活動が進んでいく。関東大震災後の東京も、阪神大震災後の神戸もそうだった。

過去の例に倣って私有財産への補償を行わず、行政が従来型の復興を進める場合、莫大な予算があっても執行できない。被災地の県と市町村の平時の歳出規模は6兆円足らずであり、人員と環境の問題で莫大な復興予算を執行することは難しい。財政学の専門家:土居丈朗さんの予想では、2011年度中に5兆円も執行できれば御の字とのこと。

3.

復興財源の規模をどうするのかによって、その捻出方法も変わってくる。3兆円程度なら予算の組み替えで足り、5兆円ならいくらかの増税で不足を賄える。10兆円、20兆円ともなると、国債を大量に発行するか、政府紙幣でも刷るのか。この場合、結局はインフレ税になるか、あるいは将来の増税を見越した消費の停滞と景気の冷え込みが先に待つ。もし5%以下のインフレですむなら、むしろデフレ脱却を歓迎したいが……。

私はリフレ支持のつもりなんだけど、一部のリフレ支持者の意見にはわからない部分がある。とりあえず3点、メモしておく。

  1. 今回の震災の被害が非常に大きいならば、デフレギャップも縮小していると思う。飯田泰之さんの2011年度に10兆円という話なら不安を感じないが、twitterで50兆円、100兆円を日銀引受で調達しろと訴える人を見かけたときには驚いた。震災前に私が目にしたいくつかのデフレギャップの試算結果は、高々60兆円だったと思う。
  2. 国債を市中消化するより直接引受にした方がいい理由。というか、市中消化ではダメな理由。
  3. 直接引受を目指せば日銀との調整が必要だが、政府紙幣なら政治家の決断だけで発行できる。だったら政府紙幣の方が話は簡単なんじゃないか。借金も増やさずに済むし。ただ、いきなり10兆円は怖いから、1兆円単位で物価の様子を見ながら少しずつ発行していってほしい。「すぐに必要な分」は予算の組み替えで対応できるから、慌てなくていい。政府紙幣の初回発行が5月以降だと様子見の時間的余裕が消えてしまうが……。

平成23年3月27日

いま「原子力発電を今後も推進し続けるかどうかの結論を議論によって決めねばならぬ」という発想がネットの片隅で渦巻いているのだけれども、私は初級の経済学の教科書が好きだから、少し違うことを考える。

端的には「市場の再設計をして、人々の自由な判断に任せたらいいんじゃないの?」と思う。

原発推進派が主張する原発の利点のひとつはCO2の排出が少ないこと。発電所の建設・解体をはじめ、発電の周辺ではある程度のCO2排出は避けられないが、火力発電所などとは比較にならない。しかし現在、この利点は外部経済性となっている。つまり、市場の外にある。でも、これを内部化するのは難しい。

そこで、逆に考える。火力発電にはCO2排出という外部不経済があるので、火力発電から炭素税を徴収することにする。こうすると、火力発電の真のコストが市場から見えるようになる。

一方、福島第一・第二原発の事故(とくに第一原発の事故)により、大きな被害が出た。今回は東京電力が単独で全被害を補償することが難しいので政府が一部を肩代わりすることになりそうだけれども、こうしてリスクが顕在化したわけだから、今後はリスクを見越した補償費の積み立てが必要かもしれない。事故1回につき補償費用が3兆円程度だとして、30年に1回の割合で事故が起きるなら、長期で均せば年間1000億円のコスト増になる。「違う、これから次々と事故が起きるのだ、5年に1回で再計算しろ」ということなら年間6000億円。別にそれならそれでよい。

……あ、外部不経済を市場に取り込む際に、恣意的に炭素税とか補償費の積み立てとかの金額を決めてしまうのでは本末転倒だな。適切な炭素税はいくらか、補償費は年額いくら積み立てればよいか、という点も、市場を通じて明らかにしたい。

補償費の方は、原子力発電所を持つ電力会社に保険契約を義務付けて、保険会社の自由競争に任せる、という手がある。保険会社が優秀な技術者を雇い、検査官として派遣することと引き換えに保険料の割引をする……といった競争が行われ、10数年後には意外なほど保険料が低位安定するような気がする。

だから難題は炭素税かな。こっちは「加害者」が多すぎて、温暖化の「被害者」が火力発電所だけをつかまえて訴えるとは考えにくい。とすると、こればっかりはどうしても議論で決めるしかないのか。

平成23年3月26日

1.

私は以前から、買い物をする際、「ありがとうございます」ということが多い。「客なのに、ヘンじゃない?」と首を傾げる人も少なくないのだけれども、私のほしいものを、リスクを負って仕入れ、そしてリーズナブルな価格で売ってくれる人々に対して、感謝しない理由がないと私は思っている。

もちろん、レジ打ちの人は、お店の機能の一部を担っているに過ぎない。レジ打ちの人に感謝の言葉を伝えるのは、他に適当なタイミングがないという消極的な理由が大きい。結局のところ、自己満足の領域には違いない。だから、レジでレシートを貰うようなタイミングで「ありがとうございます」と口にするようなことを、とくに他人に勧めるつもりはない。

ただ、今回の地震で、お店がいつも通りに開かれ、そこで私がほしいものを買うことができるありがたさは、あらためて身に沁みた。これで客が店に感謝する感覚に賛同してくれる人も増えたろう……と思いきや、「せっかく長時間並んでガソリンを入れて**へ行ったのに、**が売り切れていた! 許せない!」とか、「閉店が早い! 発電機くらい用意しておけ!」とか、そんな感じだった。

2.

学校の先生などがよく話していた、「年に1回くらい停電デーを開催したら、みな電気を大切にするようになる」てのは間違いだったな。実際に計画停電がはじまってみると、電力会社への文句ばっかり。「どうして予備の発電所をもっとたくさん作っておかないんだ!」なんて人さえ珍しくなかった。

電力需要の停滞を背景に、「水力発電所の計画を取りやめる」「火力発電所の増設を延期する」といった東京電力の判断を歓迎してきたのは誰か。電気料金が少し上がるたび大騒ぎしてきたのは誰か。「え? 自分じゃないよ」といって無関心を省みないのは誰か。結局、私の問題なのだと思う。

新聞をよく読むと、原子力発電所よりも火力発電所の方が発電能力という観点では被害の絶対量が大きいので驚いた。震災直後には約1600万kWも発電能力が落ちていて、これは震災直前の原発の全発電力に匹敵する。その後、200万kW分復旧しているけれど、残りは夏までに修理するのは難しいそうだ。

東北電力の女川原発は、配電盤が火を噴いたくらい(修理完了)の被害で、原子炉は全く無事だったが、今も停まったままで再開の見通しは立っていない。被害ゼロの東通原発も同様だ。福島第一原発の事故があろうとなかろうと、「今日」の計画停電は避けられなかったんだな。事故に大きな関心を向けるあまり、何でもかんでも「事故のせい」という発想になってしまう人が私の周りにも多いが、その怒りは事実から浮遊している。

批判は批判で、やればよろしい。だが、東京電力の場合、役員報酬など売上げに比して小さなものである。幹部の首を締め上げること自体に意義があるとしても、いま不満を持っている問題を解決するためのコストは、そんな手段では捻出できるものではない。私たちが負担するしかなかったのだ。

3.

21世紀になって以降は、電力需要の伸び悩み、単身者世帯の増加などの影響で世帯あたりの電力消費量は低落している。しかしそれはともかく、私が最も衝撃を受けたのは、1970年代に電力消費量が激増していることだ。1970年代といえば、原油高で省エネ推進の必要性が身に沁みた時代だったはずだ。それなのに、10年間で55%も電力消費量を増やしている。

「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」どころか、「いかに熱くともウマいものは我慢できない」というレベル。環境サミットなどで70年代に日本は省エネ技術を鍛えて云々といっても中国やインドが納得しないのは当たり前だと思った。偉そうにお説教するなら、現在の中国やインドと同等の水準まで1人あたりの消費エネルギー量を減らしてみせろ、という話になるのも当然だよ。

これまでの日本人の歩みを振り返るに、夏を過ぎ、火力発電所が修復された後、節電の努力などコロッと忘れてしまいそうだな。地球温暖化にも本音では関心が薄いし、火力発電頼りの状況が続くのだろうな。

平成23年3月25日

1.

震災から半月。あの日、鍋を抱えて向かった川へ、今日はカメラを携えて散歩。

自宅から徒歩10分の大自然。

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突然ライフラインが寸断された人々が、水を求めて押し寄せた川辺。

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たくさんの足跡が残っていた。

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2.

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本格的に春がきて、近所の倉庫の下からイタチ(?)が顔を出した。

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3.

保険のセールスの方が、「やっと水道が復旧しました」と嬉しそうに語っていた。たっぷりのお湯で髪を洗えるのが、こんなに幸せなことだったなんて! と声が弾む。たった一晩、電気・ガス・水道が止まっただけで、どれほど心細かったか。半月ぶりの水とガスは、どんなに心を温かくしたことだろう。

東北では、まだ電気もない避難所が一部にあるという。ガスや水道は望むべくもない。今日も、栃木の地平線に陽が沈む。1日が、終ってしまう。

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平成23年3月24日

平成23年3月23日

平成23年3月22日

平成23年3月21日

土居さんは経済学の博士で財政学の専門家。リンク先の記事はやたら長いので、私なりの理解に基づき大胆に言葉を補いつつ(ゆえに多少はわかりやすくなったとしても信頼性は大きく低下していることに注意)、以下に要点をまとめる。

  1. 人々が寄付したい金額と同額の増税をする場合、増税によって追加的な景気の冷え込みが生じることはない。なぜなら、寄付金を捻出するために消費を我慢することと、納税のために消費を我慢することに、経済活動としての差異はないからだ。
  2. ただし寄付には、心理的、物理的な壁がある。それゆえ、寄付する意思はあり、一時的に消費を抑制してはいるが、結局そうして捻出したお金(の一部または全部)を寄付をしない人々が現に存在する。一方、税金ならば、必ず支払うことになる。よって、人々の善意を遺漏なく吸い上げるには、税方式の方が優れている。
  3. ようするに、復興増税の後に景気が冷え込んだとしても、それはもともと増税がなくても観察されたはずの現象なのだ。そして寄付方式の場合、消費を抑制して浮いたお金の一部が実際には寄付されず、そのまま貯蓄されてしまう。だが復興増税ならば、吸い上げられたお金の全額が復興支援のために使われる。
  4. これは「復興に必要な経費の全てを増税で賄う」という提案ではない。ほぼ確実に、必要な金額は人々が寄付する意思を持っている金額を上回るだろう。不足分は、国債の発行で賄ってよい。
  5. なお、日本銀行による新規発行国債の直接引受には、少なくとも現時点では賛成しない。当面は現行法下で実施できる市中国債の買いオペを進めるべき。全ての市中国債を買い切ってもなおデフレが続くとき、初めて新規発行国債の直接引受を検討するのが理に適っている。

以下、さらに蛮勇を奮って補足する。つまり、こういうことだと思うのだ。

「寄付なので、自由意志に任せます」といわれて人々が出す金額と比較して、「復興のために税金を徴収します」といわれて「それなら仕方ないな」と思える金額はずっと大きい。復興増税は、この心理の綾を有効に活用し、被災者への支援を願う国民の意志を、最大限に現実化する政策である。

例え話をすると……多くの人々は「こんなときに遊びまわるのは自粛しよう……」と消費を1万円減らして、1000円だけ寄付をする。差額の9000円は、結局、貯蓄に回る。土居さんは、一時的に景気を冷やすだけで有効に活用されないこの9000円を、「復興増税によって吸い上げよう」と主張されているのだと思う。

では、復興費用を全て国債で賄う、とはどういうことか。それは、人々が現在休眠させているお金を政府が借りて復興に使う、ということだ。前段の例でいえば、貯蓄に回った9000円を政府が借りて、復興支援に使うわけだ。ただ、政府が借りた9000円は、将来の日本国民が利子をつけて返済しなければならない。

土居さんは、復興支援増税なら被災地の人々には返済義務が生じないが、国債を発行すれば、被災地の人々も平等に返済の義務を負うことになる、と指摘されている。自然災害からの復興支援という目的を鑑みれば、現役世代内の富の再分配の方が道義的に正しい、という主張だろう。

個人的には、土居さんの主張に説得力を感じた。今回、集まる寄付金は1兆円に達しまい。平均すれば、年額1人1万円、月額1人1000円、1日につき1人30円を大幅に下回る。それが現実だろう。他方、経済行動の自粛はその数倍にもなるだろう。復興増税をして、「税金を払って義務を果たしたのだから自粛はやめる」という空気が広がれば、むしろ経済は活性化するのではないかとさえ思う。

いずれにせよ、「人々が寄付したい金額と同額の増税をする」……つまり、それ以上の増税はしないという前提があるので、注意してほしい。

また土居さんは担税能力に応じた負担を主張し、人頭税方式は否定されている。所得税の税率変更や、原子力発電所の事故で供給能力が落ちている電力への消費税上乗せを想定しているのだろうか。電力消費税の場合、商品価格を「最小限の利用なら安くすむが、基準値を超える毎に従量課金のカーブがきつくなっていく」という設定が可能だから、うまく設計すれば節電促進効果も期待できる。

補記:

復興増税について、徴税時に「避難してきた被災者」を区別できず、被災者も税負担をすることになるので反対、という意見がある。土居さんの答えを見つけられなかったから、私の考えだけを記す。

例えば、経済的な弱者は、消費税を免除されるべきだろうか? 私は、そうは思わない。全員から消費税を徴収した上で、その分配にメリハリをつければ、弱者は小さな負担で大きな支援を受けることができる。それでよいではないか(現在の消費税が実際にそのように機能しているかどうかは脇に置く)。同様に、被災者が納税額より大きな支援を受けられるなら、被災者も復興増税の徴収対象に含まれていい、と私は考える。

個人の住宅や企業の事業所などを全額公費で再建する、などということはありえない。どのみち復興に被災者の負担はつきものだ。年額1人1万円程度の負担で道路や学校が再生され、住宅や事業所を再建する際に無利子で融資を受けられるなら、被災者にとっても悪くない話だと思う。

平成23年3月21日

震災の後、20世紀の出来事を回顧する本を開くことが多い。

1.

2005年、アメリカ南部の都市ニューオーリンズは、ハリケーン・カトリーナに襲われた。堤防が決壊し、もともと海面より低い地域を中心に、広範囲に洪水の被害に遭った。海面より低い地域は、1965年にも洪水に遭っており、40年ぶりの大被害となった。長期的な視点に立てば、洪水被害を避け得ない地域なのである。だが、復興に際し、防災の専門家が「もうこの場所に住宅を建てるのはやめよう」という報告書が発表すると、被災民たちは猛反発した。仕方なく、大統領は原状回復を約束した。おそらく今世紀中には、同地域は再び洪水に飲まれ、大勢が命を落とすのだろう。

1896年、岩手県の宮古に遡上高20メートルを超える(注:東日本大震災による津波に迫る)大津波が押し寄せた。三陸海岸という名称が生まれる契機となった、明治三陸津波である。多くの集落が壊滅し、死者は約2万2千人にもなった。津波の難を逃れた人々の一部は、命からがら辿りついた小高い土地に「ここより下に家を建てるな」と刻んだ鎮魂の碑を建てた。が、街は再び、その碑から見下ろせる場所に復興していった。ちなみにこのとき、大船渡には遡上高38.2メートルの津波が押し寄せた。これは観測史上最高の値である。

1933年3月3日 昭和三陸津波(中日新聞社)

1933年、復興した街を昭和三陸津波が襲う。最も被害の大きかった集落では、住民の4割が落命した。このとき、大船渡では遡上高30メートル近い津波が観測されている。それでも、三陸の沿岸集落は、間もなく復興していく。1958年、宮古市田老地区の防潮堤1期工事が完成する。1960年、防潮堤はチリ地震津波を見事に防いだ。そして1980年、高さ10メートル総延長2.5キロメートルの防潮堤「万里の長城」が完成。だが2011年、防潮堤を数メートル超える津波が訪れ、田老の集落は壊滅した。同様に、岩手、宮城北部の大多数の各沿岸集落で、現代文明の備えは突破された。宮城、福島では海沿いの平野部を数キロメートル内陸まで津波が走った。多くの命が、海に呑まれていった。

おそらく、いま原状回復を望む人々の大半は、死ぬまで再び今回のような大災害に遭うことはあるまい。ならば、自分にとって一番幸せな未来を選択するのは、当然のことだろう。仕方のないことだ。失ったものを、可能な限りそのまま取り戻したい。その願いは切実だから……。

2.

地震に耐える住宅は建てられるけれども、津波に耐える住宅は、現実的とはいえない。

故郷の千葉県で、九十九里の海岸沿いに、ハザードマップを無視した宅地造成が進んでいることについては、以前から疑問を感じていた。

昔から浜沿いに家はあったが、中世からの大規模集落は、砂浜から何キロメートルも離れた場所にあった。今回の津波で宮城県の仙台平野は地震による地盤沈下前の旧海岸線から6キロメートル奥まで津波に侵食されたが、江戸時代に建設された街道は、さらにその奥を通っていた。街道沿いに発展した仙台市中心市街地は、だから津波の被害を免れた。房総半島でも事情は同じである。

しかし近代以降、急増した人口を吸収すべく、海よりの平坦な土地にたくさんの宅地が造成された。その危険性は、きちんと認識されていた。千葉県のハザードマップを見れば、それは一目瞭然である。そして2011年、津波がやってきた。津波は、犬吠崎を回りこんで九十九里浜にも押し寄せた。近代的な街並みが、津波に洗われた。車が流され、建物の1階がメチャクチャになる映像を見て、とても虚しい思いがした。

東北地方の各県と異なり、千葉県を襲った津波は、房総沖地震による津波想定の範囲内だった。津波が押し寄せたのは夕方で、地震の後、逃げる余裕は十分にあった。にもかかわらず、10数人が命を落とした。

比較的すっきりと家が並ぶ住宅地は、昭和以降に発展した街ではないかと思う。かつて、海辺の人口はこれほど多くはなかったはずだ。

仙台市の津波ハザードマップを見ると、仮に想定の範囲内の津波であっても、完全に飲み込まれる集落があったことがわかる。様々な事情で、海のそばに暮らさねばならなかった人もいるのだろう。しかし、本当にこれほど多くの人が、どうしても海沿いに暮らさねばならなかったのか。……

とはいえ、20年、30年とその集落で暮らした人々、その集落で育った人々は、客観的な必要性とは関係なく、原状回復を望むだろう。それが人の心だ。お金の問題もある。居住禁止区域に指定されたら、虎の子の土地は二束三文になってしまう。行政には、居住禁止の指示により失われる財産価値を補償する財源がない。

だから、おそらく政治的には、原状回復を基本とすることになるのではないか。それでも、最大波高10メートル程度の津波は、遅くとも今世紀中に再び、東北のどこかへやってくる。いま30歳未満の人は、生きているうちに再び津波の災禍を見るだろう。そのときにもきっと、大半の被災者は「こんな津波は初めてだ!」と肩を落とし、若いレポーターは「信じられません!」と叫ぶのだろう。

3.

秋田県男鹿市1983年5月26日(講談社『20世紀全記録』より)

1983年5月26日、秋田県能代沖でM7.7の地震が発生。102人が死亡・行方不明となった。たった28年前のことだが、記憶に留めているのは1千万人程度でしかないだろう。この悲劇を、1億人が忘れ去った。

1933年3月3日 昭和三陸津波(毎日新聞社)

3000人以上が亡くなった昭和三陸津波も、20世紀や昭和を振り返る本を見ると、じつに小さなスペースしか与えられていないので愕然とする。講談社『20世紀全記録』の記述は、僅か21字。1300ページを超える本の、0.0008%を占めているに過ぎない。

講談社『20世紀全記録』P476

平成23年3月20日

平成23年3月19日

平成23年3月18日

地震から一週間が経った。

1.

人々の買いだめによる食品と電池の品薄は、西日本へと波及した。連休中には、全国的な現象になるのだろうか。それとも、そろそろ落ち着きを取り戻す頃合なのだろうか。

私はというと、地震後、徒歩通勤がつらくて中古の自転車を1台買ってしまったが、他は何も買っていない。あれこれ食料を備蓄していた甲斐があった。うどん、そば、餅などを合計すれば、まだ15食分ほどある。幸い、私の暮らす街ではガスも水道も早期に復帰したから、乾パンや水の在庫は20食分以上も残っている。

2.

強い人は弱い人のために、賢い人は愚かな人のために、健康な人は病を抱えた人のために、力持ちの人は非力な人のために、冷静な人は動揺している人のために、用意のいい人は備えを怠った人のために、寛容な人は狭量な人のために、周囲に配慮できる人は自分しか見えていない人のために、いるのだと思う。

いま、食べ物、飲み物、電池などをたくさん買わないと不安に押し潰されてしまう人のために、私は何も買わない。慎ましい食事をし、日が暮れれば眠る。私の懐中電灯の点灯時間は、一週間の合計で10分に満たない。こうして私が節約した分の商品や電気が、誰かの心を僅かでも安らかにするなら、それでよいと思う。

大画面テレビ、エアコン、乾燥機、……いつも通りの生活を維持せずにはいられない人のために、私は計画停電の対象地域かどうかによらず、日が暮れれば電気を消して毛布を被って寝ることにしている。厳しい節電生活に耐えられる者が耐え、電気を浪費せずにはいられない者を助ける。それでよいと思う。

昨日、小山市内のガソリンスタンドを利用するための渋滞が、隣の結城市にまでのびているのを見た。私は運転免許を持っているが、自動車を持たず、運転もしない。徒歩、自転車、電車のいずれかで移動している。栃木県内で車なしの生活をするには、ある程度の割り切りが必要だ。しかし、私が何かを諦めたことで、ここに並ぶ車が1台減ったのなら、それでよいと思う。

写真 計画停電の街に日が沈む

3.

誰にも、できることとできないことがあるものだ。私は私にできることをしていく。こうありたいと願う生き方を、可能な限り実践していく。それが、弱く愚かな私を支えてくれた人々に対して私ができる、唯一の恩返しだと思う。

テレビなんか見るのをやめたらどうか。ラジオでいいだろう。エアコンがどうしても必要な人もいるだろうが、あなたがその「必要な人」なのか。みんなで我慢すれば、どこも停電せずにすむのに。……他人を見ると、そういうことを、いいたくなる。もちろん、いいたい人はいえばいい。でも、私は、いいたくない。少なくとも、今は。

視覚的にも情報漬けにならねば心の平穏を保てない人、非常時にもエアコンの快適さを手放せない人……長期的には、その弱さは克服されるべきだ。が、今いっても仕方ない。私が節電することで、少しでも停電地域が狭くなり、誰かの心が安らぐなら、それでよいと思う……いや、違うな……よいと思える、私でありたい。

追記:

19日と21日に歩いて見て回った限りでは、うちの近所のスーパーでは、店の売り方、客の買い方ともに、ほぼ平常に復帰していました。21日夕方、私は購買抑制体制を解くことにしました。午前に並べられた商品が、半日経っても十分に残っていたからです。

まず、野菜などを平常通りに購入。野菜を買うのは今月いっぱい無理かもしれないと思っていたので、とても嬉しい。保存食の類は、少しずつ買い増して、1ヶ月ほどかけて地震前の備蓄水準を回復させる予定。21日には、うずたかく積まれたまま午前からほとんど変化がないように見える缶詰を購入しました。

米、電池、水、麺類は人気が高いらしい。私がそういうものを買うのは、4月以降でいい。私は、お店の人が張り切って仕入れたけど、売れ行きがパッとしないものから、少しずつ買っていきたい。

平成23年3月18日

東日本大震災が起きて旅行の自粛を考えている方も多いと思う。だが、旅行を中止すると決めてから旅館に電話をするのではなくて、まず電話をしてから判断してほしい。

昨日から5日間、私の両親は千葉、茨城、栃木の3県で旅行三昧である。「えっ!?」と思われるかもしれないが、予約していた宿泊先に電話して「ぜひおいでください! 大歓迎です!」という言葉を貰ってのこと。

東北ほどではないが、関東各県でも震災で死者が出ている。今も物流が止まって苦しんでいる地域がある。水道がいまだ回復しない地域もある。だが、県の全体が大きな被害に遭ったわけではなく、既に日常へ復帰している地域の方が多い。にもかかわらず、各地の旅館には予約のキャンセルが相次いでいるという。

いきなり問答無用でキャンセルされてしまうので、旅館の方はつらいそうだ。被災して旅行どころではなくなった人も多いのだろうが、自粛によるキャンセルも、かなりの割合を占めているのではなかろうか。

電車は通勤・通学時間帯こそ間引き運転で混雑しているが、営業の方に話を聞くと、既に昼間の電車は平時より空いているくらいだそうだ。医療機関のお世話にならないよう怪我と病気に細心の注意を払い、計画停電の予定をよく把握しておけば、電車による旅行はしてよいのではないか。私の両親は、そう判断した。

こういうときこそ、きちんと散財をしなければならぬ。突然に買い手がいなくなって、売り手が泣いている商品を買わねばならぬ。かつて何度もそう力説してきた父の、有言実行だ。「一人勝手に旅行の自粛など決めてはいけない。相手の事情を忖度するより、まず率直に問うべきだ」と父はいった。

「**日に予約をしている**です。震災のお見舞いを申し上げます。被害の方はいかがでしょうか。……はい、はい、なるほど。物が落ちたくらいで大きな被害もない、と。それはよかったです。では、もう通常営業に戻っていらっしゃるわけですか? ……ええ、はい、1日3時間の停電だけですね。それはもう、了解しております。では、もしご迷惑でなければ、予定通りにお伺いしようと思うのですが、はい。……いやあ、よかった。この旅行は妻とたいへん楽しみにしていたものでありまして。……はい、では、予定通りにお伺いしますので、よろしくお願い致します」

軽微な被災に留まった地域では、炊き出しなどを行う理由がない。どの家にも、今日の食材は十分にあるからだ。そうして、街でパニック的な食材の買い漁りが進む一方、旅館などでは生鮮食品が無駄に腐っていくのだそうな。だんだん、需要減に合わせて消費財の仕入れも人員配置も適正化していくのだが、変化は可能な限りなだらかにしたい。

他人事だがお互い様である。自分たちが楽しみにしていた旅行を諦めないことで、行った先の土地の人々にも喜ばれるなら、こんなによいことはない。

平成23年3月17日

平成23年3月16日

平成23年3月15日

平成23年3月14日

写真2 街に計画停電が迫る

日没とともに就寝した私が、余震をものともせず10時間眠った後に目を覚ますと、東京電力の計画停電が決まっていた。まず、しっかり朝食をとった。そして、散歩がてらに駅へ。JR宇都宮線は終日運休、との張り紙。一人の駅員さんが拡声器を持ち、「たいへん申し訳ございません」と連呼していた。

ドクン、と自分の中で何かが脈打った。

栃木へ引っ越してきてから9ヶ月、私は街を歩き続けた。買い物に行く際、わざわざ片道500m、往復で1kmの距離を余計に歩いてきた。そのとき、私がいつも気にしていたのは、どの道に歩道があり、どの道にないか、歩きや自転車で安全に通行できるのはどの道か、ということだった。引越しの翌日には市街地図を購入し、一週間、毎日のように丹念にチェックしていた。

何のために、私はこんなことをしてきたのか。そうだ。今日の日のためだ。私は「月曜日から平常どおりに自らの務めを果たす」と決めた。その決心を、掛け声だけで終らせないために、私は実力を蓄えてきたのではないだろうか。

正規の出勤時刻まで2時間。片道8km、往復16kmを歩き抜いてやろうじゃないか!

顛末

余裕で到達。した。何のドラマもない。拍子抜けした。

が、一日の仕事を終えて「さあ帰ろう」と思った途端、心が挫けた。毎日こんなに歩くのは嫌だ。帰途、リサイクルショップに寄り道し、1万円の自転車を買った。軟弱者には厳しい現実。しかし風が気持ちいい。雨さえ降らなきゃ、毎日これでもいいな。……いや、これも一時の感情だろう。それでもいいさ。少なくとも片道は歩いたんだ。

写真1 アパートの駐輪場

午後6時20分からの停電に向けて、お店のシャッターが次々下りていく。ふだんの午後6時ごろなら空きが目立つアパートの駐輪場も、今日は満杯だ。すっかり日も暮れた。さっさと寝て、明日に備えよう。

追記:
気温が高くて寝苦しかったせいかどうか、今日は3時間で目が覚めてしまった。あれ? 電気が点く。午後6時過ぎから予定されていた計画停電、うちの近所の地域では回避されたのかな……。冷凍庫の中の温度が変化してないっぽい。本当のところはわからないけど。まあいいや。また眠ります。

平成23年3月13日

平成23年3月12日

1.被災

3月11日、午後2時50分ごろだったか。人生で2度目の、訓練でなく机の下に隠れた地震(注)。最初は、「最近多いんだよな」とだけ思って、窓辺へ行き、外を眺めていた。

「今日のは長いですね」「長いな」「ちょっと揺れが大きくないか」「あ、人が出てきた」工場から何人かが出てくるのが見える。地震発生時に建物の損壊がないか点検する担当の人たちだ。いつもお疲れ様。「音が」「この音はヤバイ」先輩がダダダッと走り去っていく。この揺れの中、階段を駆け下りる気か。「う」「まずい」「床が」「安全行動!」課長指示が出たのか? よくわからない。

一瞬、呆然とする。逃げ遅れた……。ハッと我に返り、慌てて机の下に飛び込む。揺れは止まらず、いよいよ激しさを増していく。戸棚も壁も軋みを上げ始める。こんなところで死んでたまるか。

机の脚にしがみついていたら、すぐ近くに20kgくらいの重量物が落下した。換気口のカバーだった。危うく、死ぬところだった。

写真1 換気口の闇

地震発生から20分後、退勤命令が出た。余震が続いているため、復旧作業は月曜日以降と決まった。

注:私が初めて訓練でなく机の下に隠れたのが千葉県東方沖地震(1987年)だ。自宅近くの東京ガスでは震度7を記録し、教室のテレビや、校舎の屋根瓦が落ちた。

2.対応

駅前にはタクシーが数台停まっていた。田舎の駅だから、慌ててタクシーで帰る人もいないわけか。

タクシーの車内から見える街は、平静を保っているように見えた。ところどころ、通行止めになっている。その先には、一部損壊した家屋などが見えた。この対応の速さはすごい。感心した。

写真2 この先、危険。

が、帰宅してみて愕然とした。電気、水道、ガスが止まっている。会社はそれらを全て自前で用意していたので、それらが止まったことに気づかなかったのだ。とりあえず電気のブレーカーを落とし、ガスの元栓が閉まっていることを確認した。水はどうにもならない。

予想はしていたが、電話がつながらない。会社でテレビを見たとき、震源地は東北地方だといっていた。きっと実家は大丈夫だろうが……。しかし情報がないのはつらい。引越しの際、ラジオを手放してしまったことを後悔した。

写真3 ちょっとした被害

電気がないなら、日没までに部屋を片付けなければならない。こんなこともあろうかと、箒と塵取りを準備していたことが役に立った。

30分程度で片付いたので、川へ向かった。トイレ用の水を確保したかった。信号も停電している。警察官が手旗で車の流れを捌いている。混乱はない。

河原には多くの車が停まっていた。さらに次々と車がやってくる。へぇ、ポリタンクを用意している人って、こんなに多いんだ……。私はそれほど用意がよくないので、ビニール袋と大鍋だ。大鍋のみだと、傾けただけで水が失われてしまう。いったんビニール袋に水を入れ、口をきっちり縛ってから鍋に入れれば、安全に運べる、という工夫。

……重い。川を離れたときは「もっと多くの水を運びたい」なんて思っていたが、ちょっと歩いただけで「3割くらい水を捨てようかな……」と弱気になってしまった。しかし、いざというときのために川近くの高台の家を選んだのだ。直線距離で500m、道なりに1km足らず。どうにか踏ん張って、帰宅した。

日没。やることはやったぞ。

3.街へ

情報がほしい。街へ出ることにした。

公衆電話と警察に行列ができていた。お店は全部閉まっている。ラジオを買うことはできないわけだ。あちこち回ったが、ATMも使用不能だった。市役所が避難所を開設、帰宅できなくなった人々を案内していた。職員の方々にも自分の家があるだろうに。公務員の方々の奮闘に感謝する。

駅前の商業施設が店頭でラジオをかけていた。大勢が聞き入っている。実家近辺も震度6だという。最悪の事態もありうるわけか。30分ほどニュースを聞く内、あたりはすっかり暗くなった。

写真4 停電した街

帰宅。

午後5時半、日没から時間がたち、親戚宅にようやく電話がつながった。両親は無事とのことだった。あと消息不明なのは弟だけか。

春分の日まで約2週間だから、夜明けまで12時間。長い夜になる。停電はいつまで続くかわからない。電気は貴重だ。携帯電話と懐中電灯の電池は節約したい。もう寝る。

4.夜

3月12日、零時過ぎ。目が覚める。余震に慣れてしまったのか、案外、熟睡できた。

しかし夜明けはまだ遠い。これから、どうしようか。

夜が明けたら実家へ行こうか、と思った。が、まだ家に帰れずにいる人がたくさんいる。日曜まで待つべきか。

眠れない。こういうとき、電池が長持ちするゲーム機はいいな。DS Lite は画面を暗くしておけば10数時間動作するんだったと思う。

取り留めのないことをいろいろ考えた。明日(まあ今日だが……)休みでよかった。

ふと思い立って外に出て、空を見上げる。満天の星空。感動した。

そして、朝

午前4時過ぎ、電力の回復と断水解除を確認。電力会社のみなさん、水道局のみなさん、本当にありがとう。

テレビニュースを見る。今朝から、電車が動き始めるらしい。寒い駅で夜をすごした皆さん、お疲れ様です。この様子なら、うちの近所では、明日にはお店が開きそう。新聞が届く。ビックリした。本当にありがとう。私は2日間静養する予定だけれども、地震から半日後にはこうして黙々と勤めに励む人々がたくさんいる。月曜から、自分もしっかり自分の役割を果たしたい。

掃除機で部屋をきれいにした。

夜明け。こんなに待ち遠しかった朝の光は記憶にない。

写真5 朝の光

実家に電話がつながった。両親の声を聞くことができ、ホッとした。弟はまだ、消息不明である。

5.その後

3月12日夕刻

ロイターと共同通信の写真で東北の被害を知る。言葉を失った。

昼ごろ、ガス復旧。午後、弟の無事を確認。今日は一日中、街を歩き回った。一部の店が早くも開いている。頭が下がる思いだ。私は、とくに買うものがない。日が傾く頃にまた覗いてみると、飲み物や食べ物は、あらかた消えていた。疲れた。今日も日没とともに就寝する。

3月13日夕刻

ニュースなど見ても自分の無力を痛感するばかりだ。原子力発電所から直線距離で180km余り。ニュースを聞いていなかったらどうなる、というわけでもない。私はもう、新聞だけでいい。そう決めた。

今日も、日が沈み、暗くなってきた。自分は自分の仕事をする。このまま電灯をつけずに就寝し、明日からの仕事に備えたい。

平成23年3月11日

平成23年3月10日

1.

ミスがあったことを会議にかけるより、ミスを裏返して「キミはこの仕事を行うためにこの点を考えて欲しい」という意義を伝えればいい。しっかも、裏を取れば済むだけの話なら犯人捜ししてもメシマズではと。個人的にあとで注意すればいいだけで、みんなの前でやらなくてもいい。

ミスに対して怒ったり、責めたり追い込んだりすることにメリットはないが、原因を調べて記録することは有意義。ミスの記録は会社の財産だ。配置換えを跨いで記録の蓄積を数年続けていくと、属人的な問題なのか、仕事の仕組みの問題なのかが見えてくる。

2.

仕事に問題がある場合、誰がその仕事をしてもミスがなくならない。1ヶ月、2ヶ月ではわからない。運の要素もある。1年、2年というスパンで見ていく。

ミスが一定以上の頻度で発生するなら、あるいはミスの影響が大きいなら、個人の努力に任せず職場として対処する。この判断基準は、最初は適当に決めて公知し、それから様子を見て更新していく。職場単位の判断基準なら結論は「対処する/しない」の二択でよいが、部署や会社単位なら、問題の重大性と対策の必要性に応じて数段階にランク分けをする。また基準更新の仕組みも作る。

対処策は大きく3つある。他部署との連携も、必要に応じて行う。重大な問題に対処するためなら、全社的な取り組みだって必要になるだろう。

  1. 工夫してミスを減らす
  2. ミスがあっても大丈夫なようにする
  3. 全く新しい仕組みに変える

3.

属人的な問題ならどうするか。魔法はない。時々、ずっとミスの多かった人が、急にミスを減らすことがあるから、「一体どんな工夫をしているの?」と話を聞きにいく。すると、その人が何に躓いていたのかが明らかになる。だから、こうした変化を察知する仕組みを作る。

意外と、病気や障碍がミスの原因だったということがある。例えば、本人も気付いていない「右側の視界が少し狭い」という障碍があって、作業中に手許とガイドパネルを同時に見ることができなかった、とかね。新しい職場ではたまたまガイドパネルが左側にあったので、首を動かさずに作業できるようになったという(以降、入社後の適当なタイミングで各社員の視界の広さを1回は検査することになった)。

ちょっとした工夫で人並み以上に活躍してくれる才能を、埋もたままにするのは大きな損失だ。しかし当人は自分にミスが多い原因に気付かないものなので、周囲が勉強して真実を見出す目を磨くしかない。

4.

こうした知見を社内で共有し、データベースに積み上げていくと、30年後には膨大な知見が集積した人材活用マニュアルになる。

大量の古文書を分析して30項目くらいに整理し、各項ペラ1枚に要点をまとめると、教育研修の資料となる。月1回30分、年10回、3年かけて30項目を教育する管理職研修プログラムを組む。

管理職や、間接部門が、人材管理のために一定の時間を割き、「情報収集→マニュアル化→研修資料作成→研修プログラム」というサイクルを回し続けるのが、きちんとした企業の強み。中小企業でも、ちゃんとやっているところは少なからずある。

5.

おそらく、たいていどこでも事故や怪我だけは事例集を作っていると思う。安全教育の資料を作って、年数回、全社員を対象に5分、10分程度であれ、研修をやっているはず。そうした仕組みに関わった人たちが、あちこちの職場に散らばっているだろう。まずはささやかな形でいいから、情報の蓄積を始めよう。

平成23年3月10日

いまだにこんな記事が書かれるのか。伝統と格式のある寿司店で云々というなら、そういうこともあるのかと思わないでもないが、リンク先の事例は全然違うじゃないか。私が小学生の頃(20年ほど前/1990年頃)から、女性のすし職人さんなんて、それほど珍しくもなかったと思う。

パートやアルバイトの調理担当者を職人と呼ぶな、という人もいるかもしれないが、どうせ私には成果物の違いがよくわからぬ。線引きに合理性を感じない。スーパーやコンビニで売ってる握り寿司だって、なかなか美味しいじゃないか。ああいうのは工場で作っているわけだろう。その職人さんが全員、男性だと思っている人……いるのかな? まさかね。

とりあえず今日、近所の回転寿司店を通りから眺めたら、女性の職人さんが厨房に立っていた。握り寿司をつくっていたかどうかまでは、わからない。冬に祖父の見舞いに行ったときに祖母が連れて行ってくれた寿司店では、間違いなく女性の職人さんがつくっていたが。

補記:

ふだん感心して読んでいるウォールストリートジャーナルの記事って、じつはこういう水準なんだな、と再認識させられた。日本の新聞でも、自分の専門分野の記事が一般紙に載ると、「あのですね……」といいたくなることがままある。そういうことは、もうね、よくよくわかっていたはずなのに、またこうして軽くショックを受けている自分が情けない。

平成23年3月10日

1.

いまのところファミコン世界の年表が圧倒的に充実していて面白い。どうでもいいことがいっぱい書かれた年表は、とても私好み。こういうの、私も作ってみたいと思ってはいたんだよね、小学生の頃から……。だけど、100歳まで生きても、私は作らないままだったと思う。そういうことって、たくさんたくさんある。

2.

3.

リンクした記事に限らず、この『5分で読める採用の達人』という連載記事群は面白い。記事の多くは『雇用の常識「本当に見えるウソ」』の著者でもある海老原嗣生さんによるもの。著書と同様、解釈について異論は多々あるのだけれども、まず事実を探してくる人は偉いと思う。

4.

そんなバカな……と思ったが、まあ、人権を理由とした一律のビジネスモデル規制と考えれば、理解もできるかな。ただ、ちょっと気になるのが、EU在住の人が、この裁判の影響を受けない地域にある保険会社と契約するケース。もしそれが許されるとすれば、EUでは個人対象の保険会社が成立しなくなってしまう可能性がある。逆選択の論理は手強く、無差別の保険が長期的には差別型の保険に負けるのは必然だと思われる。

5.

平成23年3月9日

1.

続いてる!

私の方はというと、『記事にならなかった話題』をまとめるのすら面倒くさくなり、ふと気付くと2010年10月版が最後になっていました。じゃあ記事にならなかった話題のメモはどうしているのかというと、ただ捨てている。せっかくメモしたのにもったいない感じもするけれど、多分、捨てるのが楽しいんでしょうね。不思議な爽快感があるのです。

2.

お任せでこの価格はすごいな。私が利用したことがあるのはPhotobackというサービス。母の撮った写真を本にした。4冊作って、伯母と従姉妹と実家と私が1冊ずつ持っている。大した写真でないなら、小さい版型の方がいい感じに仕上がると思う。

3.

年寄りの病気自慢みたいなものかな。ネガティブな話題でつながる楽しさ。他人を罵ってつながるよりは、よっぽどいいな。

私もそうなんだけど、何割かの人は、選択の余地がなかったわけじゃないだろう。かつて「友達」がいたこともあると思う。ただ、いま自分のいる場で、自分に素直になって生きることと、「ふつうの人」がやってる(ように見える/思える)友だちづきあいが両立し得なかった、ということでしょう。

カウンセリングを受けて自分を変えるくらいなら、友達いない方がマシだと思っている人が(根拠はないけど)過半ではないのかな。言葉では自分の身を思いっきり儚んでいても、それでも、このままの自分でありたい、自分を変える気はない。そういう人が過半だとはいわないけど、3割か4割はいるのだと思う。

4.

実名がいいと思う人のためのサービスはあっていいはずだし、Facebook側は譲歩案を示してもいるじゃないか。「実名で登録」して、「Facebookページ」を作成し、「ページ名でFacebookを利用」すればいい。こんな長文の記事を書くより、よほど小さな手間で実現できるはずだよ。

5.

平成23年3月8日

先日、久しぶりに読み返したら、週末が吹っ飛んだ。更新終了から6年、いつ消えてもおかしくはないよな……。というわけで、ツールを使ってサイトをローカルに保存した。かなり久しぶりのこと。

ブログが普及したあたりから、画像が別サーバーにあるとか、動的生成だとかいろいろで、ツールを使ってサイトをローカルに保存するのが難しいサイトが増えた。あと、CSSが参照するファイル群を完全に引っ張ってきてくれるツールがないのもつらい。メインのCSSが参照するモジュール化されたCSSの内容までチェックしてくれないと……。

たぶん、もともとサイトのログ取り需要なんて小さなものだったんだろうな。ブロードバンド普及の影響もあるか。「寝ている間に落とすだけ落として昼間はそれを読む」なんてスタイル、私もやめてしまったし。そんなこんなで、サイトを丸ごとローカルに保存することの技術的ハードルの高まりに反してツールの需要は低落し、開発が止まっていったという感じかな。

1ページ単位での保存なら、Firefoxの拡張機能とかに便利なものがあって、たいていの用事はそれで済んでいる。

平成23年3月8日

1.

ネットでの反応は冷笑的なものが相当に多いが、私はド正論だと思う。ちょっと不況になると、すぐ赤字転落の危機に直面するのがテレビ局だ。現下の競争がぬるま湯だと本当に感じているなら、起業して新規参入すればいい。チャンネルはいつだって空いている。(追記:氏家さんは2011年3月28日に亡くなられた)

既存のテレビ局が免許に甘んじて手を抜いているなら、優良なコンテンツをどんどん世に送り出し、「現在のテレビ放送にウンザリしている良質な視聴者」とやらの支持を獲得し、視聴率に過度に依存せず善良なスポンサーの広告によって黒字運営ができるであろう。

たしかにテレビは免許制の事業だが、本当はもっと素晴らしい番組を作れる会社があるのに、総務省が免許を交付しないので涙を呑んでいる、なんて話は聞いたことがない。新規参入しても既存のテレビ局からシェアを奪える目算が全く立たないから、新しい申請者がいないのだろう。

2.

個人的に、マスメディアの集中排除原則こそは業界の癌だと思っている。民意を無視した大悪政だと認識している。放送をすることができる機会をできるだけ多くの者に対し確保するというお題目の結果、どうなっているか。地方で享受できる地上波テレビ番組の貧弱さはひどい。

様々な規制を撤廃して、地デジ難視対策衛星放送を一般開放できたらどんなにいいか。私の狭い見聞からいえば、地方のテレビニュースはNHKだけで十分という人は、じつに多い。地方の民放を守るための規制があるから、キー局の番組をBSで全国にサイマル放送できないのだという話をすると、多くの地方出身者が「それはひどい。知らなかった」という。これはもちろん私に誘導された結果だから参考にはならないが、私が口を開く前から彼らは「テレビのチャンネルが少ないから田舎は嫌だ」と話していた。大勢が現状に不満を感じている。

その他、九州なら福岡、中国なら広島、東北なら仙台、北海道なら札幌でやっている放送局などが、各地方全体に地上波の放送地域を広げることも、可能にしてほしい。市場を無視して強制するつもりは毛頭ない。だが「法規制があるから無理」という状況が本当に人々に支持されているのか。NHKというセーフティネットがある以上、地方から地上波テレビが消滅することはないし、BSのアンテナさえ用意すれば地方ニュース以外のドラマやバラエティー番組は現状と比較して圧倒的に充実する。リスクを最大限に考慮しても、試す価値はあると私は思う。

3.

民放の競争は規制されている。ただし、新規参入者から守られているのではなく、テレビ局同士の競争が制約されているのだ。その結果、地方の住民が損をして(有識者の意見は異なるのだが一般人の多くは「損をしている」と認識している)、地方の民放が市場淘汰を免れている。

地デジ難視聴対策衛星放送のことを知ったときには驚いた。地デジ難視対策衛星放送対象リストを見れば全国に利用者がいるのに、受信できるのは関東のテレビ番組だけなのだ。このことについて、「地元の番組が見られなくなって可哀想だね」という意見は、私の周りでは全く聞かない。地方出身者はみな「羨ましい」「勝ち組」「難視聴地域の方がお得ってどういうこと?」などという。これが庶民の本音だと思う。

地方の民放の存在意義は認めるが、それが情報格差という負担に見合うものなのかどうかが問題なんだ。テレビ局の競争は自由化し、地方民放局には民意が許す上限(0円かもね)まで公費を投入する、それでも潰れるなら、それが民意でしょ。「有識者」たちが庶民に情報格差を押し付けるのは、もうやめてほしい。

平成23年3月8日

1.

受験生が試験時間中にYahoo!知恵袋に試験問題を投稿して回答を募ったところ、京都大学が業務妨害で被害届けを出し、警察が動いて身柄を拘束する事件があった。

私は田中説に共感するところ大で、これはカンニングを現行犯で発見できず、事後的にカンニングの痕跡が発見された事例に過ぎないと思う。大学側が世間の大騒ぎに頓着せず内省的に対処すれば、通常業務の範囲内で対応可能な問題だったし、そうするのが正しかったと思う。逆に玉井さんは、試験時間中の問題流出は世間云々に関係なく大学が大騒ぎするに足る事件だという認識なので、結論が違ってくる。現実に玉井さんのように考える人がかなりの割合で存在している以上、大騒ぎは避けられなかったのだろうな……残念なことだけど。

玉井さんの弁当架空発注の例え話は、弁当屋に100%確実に実害が発生する点が違うと私は思う。ていうかこの場合、業務妨害で架空注文した人を訴えるのは大学じゃなくて弁当屋だろう。とはいえ、例え話は「AとBには共通点があるという世界観の表明」なのであって、自分が納得できなかったときこそ、よく検討すべきだ。

試験時間中のウェブ上への試験問題流出について、「警察力に頼ることも厭わず徹底究明を目指す」他に選択肢はないと玉井さんは考えている。そうだからこそ、架空注文に応じて弁当を作った弁当屋に大損害が生じるのと同等の確実さで、それは大学側に莫大な対応の手間=実害をもたらす行為だとみなしている。弁当架空注文の例え話から、そういう玉井さんの状況認識が理解できる。

理解できて、何の得がある? 私は、こう考える。みなが自分と同じ考えだったら、むしろ怖い。しかし自分と意見が違う人がいると、不安になる。同じものを見て、どうして結論が異なるのか。「わからない」と不安になる。だが、理解は安心につながる。安心は、私にとって追求する価値のあるものである。

2.

そもそも、いかなるカンニングもこの世に存在しなければ、試験監督など不要だろう。教室にもっと大勢の受験生を詰め込んだっていいんじゃないか? たくさんの教室を用意し、大勢の試験監督を揃えるために大学の平常授業を休みにすること自体、業務妨害の内部化なんじゃないだろうか。特定の個人に責任を負わせることが難しいから、考えるのをやめているだけでさ……。

もし長らくカンニング犯のいなかった世界に、例えば100年ぶりにカンニング犯が現れたとしたら、業務妨害で逮捕されたりするのかもしれないな。とんでもないことになった! と大騒ぎになって。

逆に今回のような事件が全国で恒常的に発生するようになれば、いずれ業務妨害とはいえなくだろう。「ありうる事態」に備えておくのは当然であって、ネットを利用したカンニングへの対応も通常教務の範囲内、というコンセンサスができるので。まあ、こんな事件は今後ともレアケースであって、ネット監視まで通常業務の範囲内とみなされる未来はこないと私は予想するが。

平成23年3月7日

1.

驚いたのは、日本の新幹線網で、東京・大阪間以外の区間は今後ずっと赤字を垂れ流す運命だったのかということに、うかつにも気がついていなかったからだ。

JRが黒字でも、駅の建設には莫大な公費が投入される……というか、そうでないとJRは駅を作らない。作っても投資に見合う利益が出ないからで、素朴に「新幹線というのは、現在の運賃ではペイしないのだな」という感覚はあった。以下、断言調で書くが、基本的に私の臆断なので注意。

「赤字を垂れ流す」という言い方は、誤解を招くと思う。一般道路は公費で建設され、公費でメンテナンスされる。市町村の予算を見てみれば、道路特定財源だけでは全く足りないので住民税から多額の道路予算が出ていることは一目瞭然だ。鉄道と同様に考えるなら、交通関連の警察予算とともに、全て自動車のオーナーから集めた税金だけで予算を賄うべきだが、実際にはそうなっていない。

道路特定財源だけで道路を建設したら、国道と県道以外はアスファルト舗装されないままだったかもしれない。そのような社会において、現在そうであるほど自動車が便利なものと理解されただろうか。

ようするに、道路について「赤字を垂れ流している」というなら、新幹線の地方駅も「赤字を垂れ流している」といって不公平にはならない。そういう話だと思う。九州新幹線が赤字になるか、黒字になるか。おそらく黒字になる。でもそれは建設費のかなりの部分を公費で賄ったからで、そうでなければ成り立たない。

2.

なぜ新幹線を公費で建設するのかといったら、それに乗って数千万人が毎年各地を移動することで、大勢に利益があると信じるからだ。しかしそれは運賃に乗せたって同じことのはずだ。税金を払うか、運賃を直接・間接に払うかの違いでしかない。

だが、道路にこれほどの予算を投入し、その他の交通にも大なり小なり補助を入れている状況を一挙に変えない限り、新幹線だけ生のコストを運賃に反映するというわけにはいかない。新幹線のみ「ハンデなし」では勝ち目がないからだ。間接的な受益者から薄く広く税金という形で負担をいただこうなどと考えず、全て単純な受益者負担として、間接的受益者には市場経済を通じて間接的にご負担をいただく仕組みとした方がよかったんじゃないか。(注:こう書いたが、実際には、お金の取り方を変えれば社会の姿も変わる。どう変わるかについての推察は後日)

まあ、もともと経済的な不合理を通すために無駄をやるのが政治の意義ともいえるので、仕方のないことなんだろうな。

補記:

東京-名古屋間のリニア線は全額JR東海の負担で建設されるという。その代わり、両都市をほぼ直線で結んだようなルートになる。もちろん途中駅を作るなら地元負担になる。

これに対して長野県が「うちの県を横切りたいなら、主要都市を通る遠回りのルートにしろ。さもなくば建設許可を出さないぞ」みたいなことをいったわけだが、「だったら余計にかかる工事費は長野県が払え」という反論が出たのは当然の話。日本の新幹線で、税金の補助なしで成り立つのは、東京-名古屋-大阪の三大都市圏貫通ルートのみ。他は途中駅も含めて税金の補助なしにはどうにもならぬ。

平成23年3月6日

1.

Tumblrは、そこがネット上のわが家だと自信を持って呼べる場所になるよう作られている。Tumblrは非常にデザイン指向で、自分の個性に合わせてカスタマイズできる、それもMySpaceのような悪趣味にではなく。

製作者自身がそのように考えていたのか……。納得しました。デザインの不統一は、閲覧者としては不便だけれど、見た目に楽しいのはわかります。ああやって各利用者が個性を発揮し「わが家」感覚を持つことで更新が長続きするなら、メリットの方が勝つだろうと思う。

2.

Tumblrが簡単かどうかについては、いろいろ議論のあるところ。個人的には、とりあえずブログとの比較でいえば、「記事タイトルの入力は任意」という1点で、相当に投稿の敷居が下がっているように感じます。

  1. タイトルを考えるのが面倒だから記事の投稿が億劫になる
  2. ブログ化する前はよく書いていた200字程度の小さな記事は公開意欲が投稿の面倒くささに負ける
  3. どうせ公開しないから書かない
  4. テキストエディタを開くのが日々の習慣ではなく「とくに何か書きたいことが思い浮かんだ日」だけのイベントになる
  5. アウトプットが見えないとインプットの意欲も減じる
  6. 更新頻度の低下

かつてウェブ日記をブログ化した際、私はザッとこんな流れで更新頻度を低下させていくことになりました。これだけが理由ではありませんが、これも無視できない理由のひとつ。

そういえば、私が以前はてなダイアリーを気に入った大きな理由のひとつが「記事にタイトルをつけなくていいこと」だったのを思い出しました。実際には割とマメにタイトルをつけていたのだけれど、「どちらでもいい」ことで、どれだけ気が楽になったか。

オマケ

2009年春の時点で全14回か……。

3.

ここ数年「数ヶ月遅れ+数日分ずつまとめて」という形で記事を公開しているのは、タイトルを考えるのが面倒くさいというのとは、また別の理由です。

理由、理由、理由……どれも書き留めておきたいんだけどね。いちいち自覚してやっているわけじゃない。「無意識にそういうことになっている自分」を見つめなおして、それでようやく理由が見つかるというわけなので。いま理由を追究せずに数年放り出したら、本当の理由はわからなくなってしまう。分析をした時点の自分の推測になってしまう。まあ、何が本当の理由なのかなんて、どうせ自分ではわからないのかもだけど。

平成23年3月5日

2ch の AA は MS Pゴシックを前提としているので、Windows Vista が登場したときに「この先、大丈夫かな?」と思った。いずれメイリオが IE のデフォルト設定のフォントになるといわれていたので。その後、パケット定額制が当たり前になって携帯電話からのウェブ閲覧が増え、さらにスマートフォンや iPad みたいなものが急に普及しだして、いよいよ厳しいな……と。近年は AA を画像化している 2ch まとめサイトも多い。

リンク先には微妙な感情を表現する AA がたくさん集められている。これらの多くは記号や括弧を駆使しており、おそらくそれゆえに、私の視界にはあまり入ってこなくなってしまった。

そういえば、かつてメールの文中でよく見かけた小さな AA は、私の周囲では絵文字に押されて消えていった。orz とか OTL なんかは、とうとう絵文字にならなかったので生き残った……ように思う。www というのも、笑顔の絵文字では嘲笑や苦笑のニュアンスが伝わらないので存続しているんだろうな。

平成23年3月4日

1.

例によって、実家ではどうだったかと考えてみる。母は父を起こさなかった。「口でどういっているかということよりも、実際に起きられるかどうかが大切。お父さんのように仕事を頑張る意欲を持っている人が、それでも起きられないのなら、心身に無理がきているということよ。そのまま寝かせてあげたいわ」

一方、単なる怠惰で寝坊をする私と弟は、もちろん叩き起こされた。

母が父の稼ぎに不満を漏らしたことは一度もない。一時、父の勤務先の経営状況が危なくなり、年収が激減しても、母は動じなかった。父が病に倒れたときも、ゆっくり治療することを主張している。父が仕事を辞めたいならそれでいいともいった。父が早期退職に応募することには反対したが、その最大の理由は「会社に義理立てする必要なんてない。定年まで働きたいなら、働きなさい」というものだった。

「いざとなれば私が稼ぐから心配無用」といっていた母は、結局、結婚してからは父がリタイアするまで一度も働きに出ることはなかったが。

2.

子供は動きまわる時期で、目を話すと事故の危険性があるため、目線が切れない。気が休まる暇はない。これだけでも育児ノイローゼを気をつけなければいけない状況と言える。

ブラック企業もよくないが、親が子どもから目を離さないことを当然視するのもよくない。それでは育児ノイローゼも必然だろう。私は功利主義に与するところ大なので、低い確率で起きる悲劇を防ぐために、全員を育児ノイローゼにするのは間違っていると考える。

私の弟は、歩けるようになって1ヵ月後には玄関の扉を開けた。「まだ早い」といわれても、家から飛び出すためにあらゆる努力を惜しまなかった。そこで母は、暇を見つけては弟を連れて近所を散歩するようにした。すると、ふたのない側溝やら、鉄筋の突き出たコンクリート片やらが見つかったので、ひとつひとつ危険を教えていった。そうして家から十分に離れたら、適当なところで足を止めて「さあ、お母さんを家まで案内してちょうだい」という。この訓練は、幾度も重ねられた。雨が降れば世界の見え方は変わるので、雨天決行だった。

万一に備えて、弟の服には住所と電話番号を書いた布が縫い付けられていた。弟はお腹が空くと帰ってきたが、一度「赤ちゃんが公園で一人で遊んでいる!」と驚いた親切な人が、家まで弟を連れてきてくれたことがある。このとき母は昼食の準備をしていた。弟は庭に出て垣根の下をもぐり、300メートル先にある通称『ゾウさん公園』の砂場でキャッキャと遊んでいたそうだ。「30分足らずで、ずいぶん遠くまで行けるのね!」と母は弟の行動力に感心した。

その後も、子どもが自らの力で世界を向き合えるよう、両親は私たちに様々なことを教えてくれた。「落ちたら自力で這い上がれない溝の深さ」「触ってはいけない虫」「触れるとかぶれる植物」「乗ったら折れる枝の太さ」「走ると転ぶ場所」「雨に濡れると危険になる場所」「気付いたら知らない場所にいたときの対処法」「弟にできても兄にできないことは多々ある。逆もまた同様」「台の幅と落下率」「飛び降りられる限界の高さをどう判断するか」etc

母は兄を亡くしている。父方の祖母は、兄弟の大半を幼少期に亡くしている。いずれも病による。2人の祖父は、ともに兄弟を戦争で亡くした。父は2人の親友を雪山と爆弾テロに奪われた。両親には、「人は死ぬものだ」という感覚がある。そして「命のリスクを徹底的に嫌悪して制限と監視を強化していけば、人は人らしく生きられなくなる」という直感を持っていた。

3.

私や弟が怪我をしたり問題を起こしたりしても、両親が責任のなすり合いをするのを聞いたことがない。両親にはそうした発想がなかった。

子どもの人生は子どものものであって、親の心労を軽減するために子どもの自由を奪うのは本末転倒である。親は子どもにできる限りの教育を行うが、子どもが自由を謳歌して痛い目に遭う、最悪の場合は死に至ることさえも、親は甘受しなければならない。……子どもの頃、両親が繰り返し語ったことを再構成すると、こうした思想が浮かび上がってくる。

これは、父の仕事に対する母のドライな感覚にも通じていると思う。母は父に「仕事をしてくれなければ私たちは困る、だから頑張って仕事を続けてほしい」とはいわなかった。「私も子どもも、勝手に生きていく強さを持っている、だからあなたは自分を大切にすればいい」という姿勢を貫いた。

私や弟は、「お父さんが仕事をなくしたら困る」といったし、「もっとお父さんの給料が多かったらよかったのにな」ともいった。対する母の言葉は、要約すれば「それは自分の人生に責任を持つ気概のない人の言葉だ。お前たちは、家畜や花壇の花のように生きたいのか。人には個性がある。「そうだ」というなら、それもいいだろう。だが、野生動物のように自由を謳歌したいなら、自分の人生は自分で背負わなければならない」というものだった。

逆リンク!

平成23年3月3日

しかしもったいないな。zenhiteiの方も残しておけばよかったのに。まあ、消した当時は、また同じ規模の人気サイトを作れると思ったのだろうけれど、取り返しのつかないことをする前に試しておけばなあ……。

これらが現在のブログなのだそう。記事の短さが、古参っぽい。理由はわからないけれど、近年はてブとかで話題になる記事は、平均的には文字数が増えているという印象。ちゃんと調べてないけど。

文字数が多いといえば2chまとめブログの文字数も異常だな。あれを毎日何万人も読んでいるのだからスゴイな。それでも元のスレを見るとさらにその5割増しとか、数十倍の文字数なので、編集者には大いに感謝する。

逆リンク!

追記(2011-05-02)

そう言えば、当時のメアドが生きているという理由で復活してみたのに、誰も確認してくれる協力者がいないのです。

とくに理由はないけど、確認とかせずとも「これは本物だな」と私は思ったんですよね。もちろん100%じゃないけど、手間をかけてまで100%にしたいとも思わなかった。

それはともかく、元zenhiteiだと明かしても宣伝にならなかったといいつつ、2月以降毎月2倍のペースで更新頻度を上げているのが面白い。1月の記事数は11本、2月は26本、3月は69本、4月は103本……。更新意欲がちょこっと高まる程度には宣伝の効果はあったんじゃなかろうか。少なくとも私は、宣伝がなきゃ現在のブログを知ることはなかったと思う。

平成23年3月2日

1.

昔は、こういう生活の常識みたいなものを学校で教えないのはおかしいと思っていたのだけれど、今は「こんなの学校で教えていたらそれだけで時間を使い果たしちゃうだろ」と。

途中で数えるのをやめちゃったけど、紹介されている情報を全て書籍にしたら、雑誌みたいなレイアウトでも1000ページを優に超えるみたい。ウェブページをそのままプリンターで印刷したら、印刷だけで1日終るんじゃないか……。何というか、生きるのって、たいへんだね。

私はもういろいろ面倒になったので、基礎的なことは市町村が転入時にくれる市民生活マニュアルに頼り、それ以外は基本的な生き方のポリシーみたいなもので包括的に対応してます。

2.

最近目にした記事を適当に並べてみる。

私はこうした記事を読むのは好きだけど、感想はたいてい「面倒くさいから現状維持でいいや」「よく考えてみたら、努力してまでそんな自分になりたいとは思っていなかったな」みたいな感じ。

平成23年3月1日

1.

私が望むのは、多くのコンテンツの作り手が、「どうぞご自由に再利用してください」という世界。割合としては少数派だとしても、日本国内で100万人以上がそう宣言したら、著作権フリーのコンテンツが潤沢に供給され、わざわざ違法行為に手を染める必要はなくなるんじゃないか、と。

プロはコンテンツを飯の種にしているのだから、もちろん無料での再利用は基本的に認めないでいい。でも素人は? 趣味コンテンツを権利から解放しても、具体的な不都合はないのではないか。発想を転換しよう。(例えば CC BY として人格権のみ保持して財産権を放棄するだけならハードルは高くないと思う)

3年前に tumblr コミュニティを批判したとき、ある方から「それは日頃の主張と矛盾しないか?」というご意見をいただきましたが、とんでもない。tumblr や toggeter は、再利用する側が「これくらいいいだろ。みんなそういってるぞ」と権利者の意向を無視する世界。これでは権利者が悲しい思いをするに決まっています。許し難いですよ。

2.

Twitter / サービス利用規約によれば、ユーザーの発信した情報を転載・改変できるのは twitter とその提携相手に限られています。toggeter の場合、編集作業の際に、API 経由で発言が参照されるところまでは利用規約の範囲内ですが、問題はその先。togetter では最終的に、検索されたツイートをコピーして転載しています。だから公式RTと異なり、元の発言が消えても togetter からは消えません。twitter の利用規約に同意したら「toggeter とその利用者が、私の発言を無断でコピーして twitter の外部に転載すること」まで許諾したことになる、なんてのは日本語が読めない人の妄言ですよ。

twitter の利用規約に書かれているのは、「占いサイトなどが、占いの結果を記した発言を API 経由で表示する」とか、「テレビ番組の公式サイトが、番組のハッシュタグの検索結果を表示する」といったことは拒否できないよ、という話でしょう。それらはいずれも twitter のデータベースを参照しているので、元の発言を消せば、それらのサイトにも表示されなくなります。これなら、ユーザーはコンテンツの使用権を twitter とその提携先に対して許諾するだけであって、あくまでコンテンツの所有権はユーザーにある、という利用規約の内容と整合が取れます。

いま割合として多いか少ないかはわからないけれども「無断とぅぎゃり禁止」「無断Togetter禁止」を「無断リンク禁止」と同列に扱う人が何人もいます。リンクが合法なように、toggeter で発言を再利用するのも正当行為だ、と。でも非公式RTや無断とぅぎゃりは、引用の要件を満たしていないなら無断転載かその亜種。犯罪として訴えられてもおかしくない。

3.

「これってまさに俺がいいたかったことだよ!」という文章があるなら、いちいち自分の下手な言葉で書き直す必要のない世界がいい。今日の気分を iPod に入れる曲目で表現するように、あるいは服装をコーディネートするように、日記だって心に響く言葉の取り合わせで十分なんじゃないか。

twitter の公式RTは、私の理想をスマートに実現してくれたと思う。著作権をきちんと保護しつつ、テキストを気軽に再利用できる環境を実現するこんなアイデアがありえたとは、私には想像もつかなかった。なお、この感懐は昨日の記事とは矛盾しない。公式RTの利用者が「自分はRTしただけ」と無責任になることなく、情報の再発信者としての自覚を持って公式RTをするなら、何の悪いこともない。

それでも究極的には、やはり著作権フリーのコンテンツが増えてほしい。他人の権利を尊重して生活していれば、世間に著作権フリーのコンテンツが足りないことは実感できるはずだ。「自由に非公式RTや無断Togetterをしたい」「他人の著作物を流用して自分のアイコンにしたい」と思う人は、現状に満足できないはずだ。ならば、まず自分が著作権フリーのコンテンツを社会に提供していくべきだろう。

ふだんルーズな人には、この理屈がわからない。自分なりの基準を持つのはよいが、立法の手続きなしにそれを他人に押し付ける身勝手を、正義面でやる連中が何人もいる。そのくせ、自分が困ると法律の庇護を求める。ふざけるな。まず自らを律して法を守れ。法を破るなら、信念や確信のある場合に限るべきだ。