なぜ作文を書くのはつらいのか?

作文を書くのはつらい。つらい理由は3つあります。

  1. 書きたいことがない
  2. 規定枚数が長い
  3. 先生に読まれる

以下、詳細に解説します。

5分間の自己紹介で作文のつらさを実感

たいていの子どもは、お喋りするだけなら達者です。であれば、それを書けばいいじゃないか、と。自由題の作文なんて楽勝じゃないか、という気がします。なるほど、たしかにその通りといってもいいのです。

けれども、実際には簡単じゃない。言うは易し、行なうは難し、です。

それはなぜかといえば、第一には、一人で書く作文は独り言だということです。いくらお喋りのお子さんであっても、じっとその目を見つめて、決して頷いたり返事をしたりせずに応対して御覧なさい。その状態で30秒以上、話し続けられる子どもは滅多にいません。

つまり、お喋りというのは、基本的には誰かに聞いてもらわないと続けられないのです。「うちの子は一日中喋ってばかり。口から生まれてきたような子なのよ」と苦笑するお母さんがいます。きっとそのお母さんは、本人は気付いていないかもしれないけれど、意外と聞き上手なのです。少なくとも子どもの語りのペースにピッタリの応対をしているのだと思います。そうでなければ、子どもが思う存分話し続けることはできません。

そして第二の理由は、子どものお喋りをじっと聞き続けていればわかるでしょう。そう、話題がコロコロ変わっていくのですね。ひとつひとつの話は実に短い。そして個々の話に一貫した流れが存在しない。思いつきでどんどん喋っている。

ようするに、原稿用紙3枚とか5枚分もひとつの話題を続けられないのです。原稿用紙5枚分といいますと、目安としては5分間話し続ける内容に相当します。

なーんだ、たった5分でしょ、と思ったあなた、今から5分間、自己紹介してみてください。それも子どもに向けて。これはつらいです。学生アルバイトの塾講師で、いきなり5分間よどみなく話すことができた方を私は知りません。

まず5分間は長い。「えーと」「ん~とね、」と言葉に詰まる。

そして非常に厳しいのが、生徒に向けて話さねばならないということです。

不思議と NG ワードや絶対に生徒には話せないエピソードばかり頭に浮かんでくる。生徒と会話しながらであれば、いろいろ思い出話などしている内に、合計で5分間くらいの自己紹介は簡単にできるのです。ところが、一方的に5分間話すのは、なんとつらいことでしょう。そして生徒相手に話すのは、なんと窮屈なことでしょう。

この苦しみが、学校に作文を提出しなければならない子どものつらさなんです。

作文指導をする大人は、まずこのつらさを知らねばなりません。ぜひ、本稿をご覧になっている保護者の方は、お子さん相手に5分間の自己紹介をやってみてください。あるいは配偶者に対してでも構いません。

何を話そうか、よくよく頭の中で考えていてさえ、5分間は長いということを理解されるはずです。そんなに話すことない、と気付かれるはずです。そして困ったときに頭に浮かぶのは「使えない話」ばかりだということも、体験として実感されるはずです。

どうやってつらさを解消していくか

作文は、大人が挑戦してもつらいのですから、子どもが挑戦すれば、もっとつらいのです。

このような難敵にぶつかっていこうとする子どもを、「宿題は一人でやらなきゃ意味がないのよ」なんて適当な嘘をついて見捨てる保護者が多過ぎることは、いささか残念でなりません。たしかに保護者は疲れているのでしょう。一日中、子どもの世話は焼いていられないのでしょう。ならばひとつだけ、申し上げたい。適当な嘘をついて自分を正当化するんじゃない、と。

もちろん、当サイトをご覧になっているのは、まじめで優しい保護者の方に間違いありませんから、私がここで冷たい保護者を非難しても何の意味もないわけですが……。

先生のことは忘れる

ここで状況を整理しましょう。

今、難題が3つあるわけです。

  1. 書きたいことがない
  2. 規定枚数が長い
  3. 先生に読まれる

……これらはそれぞれ関連しているわけですが、当サイトの卑近な目標は作文をとにかく完成させることでありますから、「先生に誉められること」は忘れることにします。上手な文章であるとか、先生に気に入られそうな歯の浮くような言葉だの優等生的な考え方の提示だのは無用です。といっても、子どもは自分自身のことですから、こだわることが多い。

「こんな作文、先生には見せられない……」

対処策はひとつ。誉めることです。「そんなことない。頑張って書いたじゃないの。素晴らしい作文だと思うよ」繰り返し、断言することです。もちろん、単なる弱気ではなく、もっといいアイデアを思いついた子どもが文章を手直ししたいと考えている場合には、話は別です。手直しの意欲を誉め、応援してください。

とにかく、親の不安は子どもに伝染します。「先生に誉められる」とか「コンクールで入選する」といった基準には、何より親自身が頓着しないことが大切です。はっきりいって、作文を書けなかった子が、いきなり素晴らしい文章を書くことはまずありません。まずは書くこと、それを積み重ねていくことで、だんだんに進歩していくのです。

作文の材料を作る

残る問題は、「長い文章を書くだけの何か」をどうにか生み出すことができれば、解決されます。さて、処方箋は?

そう、私は既に処方箋を示しています。

一人でお喋りを続けることは難しい、と私は指摘しました。ということは、話し相手がいればお喋りを続けられるわけです。そうです、保護者の方が、お子さんと話をすればよいのです。

子どもの話は短い、すぐに話題が変わってしまう、という事実も指摘しました。それは仕方がない。ですから、ここでも保護者の方に役割が与えられます。そうです、年の功を活かして、テーマに関連した話題をどんどん提供し、子どもの言葉を引き出すのです。

原稿用紙5枚分書けばいいのだから5分間お喋りすればいい? 残念ながら、それほど世の中甘くない。30分間、喋っていただく必要があります。30分は長い。非常に長い。しかし、どうか頑張っていただきたい。

……というわけで、30分間お喋りしたとします。これでバッチリか? そうではありません。だいたい、お喋りなんて夢のようなもので、数分経つと何を話したか忘れてしまうものです。これでは作文は書けません。

だから、テープレコーダーは必須です。iPod に録音マイクをくっつけてもいいです。何らかの方法で話を録音してください。

以上で作文を書く下準備が完了します。

ひとつ、大切なこと

保護者が子どもの宿題を手伝う、といっても、保護者が作文を代筆してしまっては意味がないことは、いうまでもありません。それではいつまでたっても子どもが自分で作文を書くことはできません。

私はそういったことを勧めているのではないのです。

こどもに宿題をやらせることは大切なのです。大切なのですが、「自主性」なんてことをいって、実質的に自分が楽をできるような選択をなさる保護者が少なくない。能力がなくて作文を書けない子どもをいくら叱っても何の意味もないということに気付いていない。

字を書ける手があり、お喋りできる頭があるのに、作文が書けないはずがない。うちの子は、ただサボっているだけだ。そうした残酷な誤解がまかり通っています。そしてよくないことに、恐怖と暴力で支配すれば、何だかんだいって、本当に、下手くそなりに作文を書けてしまうことがしばしばあるわけです。「ほらね、やっぱり」と得意顔の鬼が世の中にたくさんいる。

それは違う、間違っている、といいたい。

殴っても蹴っても書けない子はいるし、あるいはそこまでしなきゃ書けない子には、絶対に指導が必要なのです。もちろん脳障害とかいろいろあって、能力的に本当にダメな場合もある。そういったケースでは、病院や学校の先生と一緒に指導法を考えていくべきです。目標の再設定と指導プログラムの見直しをするのです。

たいていの子は、きちんと指導すれば、上手下手はともかく何とか自力で作文が書けるようになっていく。ただ、その指導というのは、「書け」と命令することではない。「宿題をやらなきゃ馬鹿になる。お前の人生はオシマイだ」と脅かすことでもない。「あんたのためにいってるのよ」と恩着せがましくいうことでもない。

じゃあ、何なのか。

処方箋はいろいろあります。当サイトでは、そのひとつを提示しているわけです。私のやり方が絶対に正しいなんていうつもりはありません。私も幾度も失敗してきており、やはりこの方法にも向き不向きがあることはわかっています。

だから、私のやり方を信じろとはいいません。ただ、ひとつ大切なことがあると思います。

子どもを怒鳴り散らし、叱り飛ばし、脅しつけることで作文ができるようになるか。万が一、できるようになったとして、作文が好きになるだろうか。なるわけがない、と思います。これは私の信念です。

「正解が何か」はわからなくとも、「明らかな間違い」には気付くことができる大人であってほしい。そう願います。

(2006-08-14)