本稿の対象読者層

重要なことなので、何度でも書きます。

当サイトは、子どもの夏休みの宿題を正しく支援したいまじめな保護者の方にむけて書いています。あるいは、そのような保護者を持った幸せなお子さんに向けて書いています。

ひとつひとつの指示は、簡単です。けれども、必要とされる労力は小さくありません。

多くの子どもは、何だかんだいって、精神的または身体的な暴力あるいは脅しを用いれば、宿題をやります。自分はお菓子を食べつつ寝転がってテレビを見ながら、子どもには宿題をやらせよう……とお考えの方には、当サイトの情報は何の役にも立ちません。

宿題は子どもが自分でやる気を出して、自分で取り組まねばならない、という信念を一歩も譲らない原理主義者にも、当サイトは役立ちません。

そして当サイトは、そのような保護者を持った子どもには残酷な内容であり、その子らが読むことも勧めません。

ありがちな勘違い

子どもは好奇心の塊、といわれます。もちろん嘘です。

子どもも大人も、好奇心なんて、それほど持っていません。ただし子どもはその成長過程において自分が暮らす社会の価値観をアンバランスに吸収していくため、過渡現象として大人が興味を失っている物事に最大の関心を寄せる場合があります。

多くの方が、こうした事例を過大評価し、無茶な期待を子どもにかけがちなのは、不幸なことです。

自由に研究する前に

まず保護者の方は、重要なことを認識せねばなりません。

「今、何か知りたい、研究したいテーマをお持ちですか?」

この質問に絶句される保護者の方は、子どもも絶句した自分と同じ気持ちであることを、わかってください。たいていの子どもは、何も研究したいと思っていません。宿題だから、嫌々研究させられているだけなのです。

虚しさとの戦い

図書館に行けば、自由研究の種本は無数にあります。正直に申し上げると、自由研究を単に作業としてこなすなら、それらの本を読めばいいのです。そして書かれている通りにすればいい。目次を見ると、いろいろな実験テーマが並んでいるわけです。

実験には手間もお金もかかります。でも宿題なんだから、やるしかない。

そう割り切れば、やれます。

ただ、虚しいと思うのではありませんか。やってみれば、たいていの実験は、それなりに面白いのです。「案ずるより生むが易し」と申します。けれども、その面白さは所詮、一過性です。後に残る虚しさは、長く尾を引くことを知らねばなりません。

そして、このような虚しいことを、子どもに「自発的に」やらせる残酷さを、保護者の方はきちんと見据えてほしいと私は願います。

断言していい。大人がつまらないと思っているものは、子どもだってつまらないと思っているのです。大人が虚しく感じているものは、子どもだって虚しく感じているのです。

ふたつの選択肢

宿題をサボるという道はあるのですが、ここでは排除することにします。宿題をやるとすれば、ふたつの選択肢があります。

  1. 親子で虚しさを分かち合う
  2. せめて親が虚しさを感じない研究テーマを選ぶ

子どもの気持ちは、究極的にはわかりません。「自由研究なんて虚しいものさ」と割り切って、親子でその虚しさを分かち合うか、せめて親が手伝って楽しいテーマを選択するか、です。

端的には、親自身に何か調べたいこと、取り組みたいテーマがあるかないかが判断の唯一の根拠です。

子どもが研究したいテーマを持っている場合

非常に喜ばしく、幸せなことといってよいでしょう。

この場合、保護者の方がやるべきことは、夏休みの自由研究としてまとめることが可能な構想へと子どもを導くことです。

多くの子どもは、多くの大人と同様に、自分にできることとできないことをよくわかっていない。何となく、誰かが助けてくれて、うまくいくような気になっていることが多い。また所要時間の見積もりも、とんでもなく甘い。このあたり、よく注意しながら話を聞くことが大切です。

そして最も肝心なことは、子どもには決定的に行動力が無いという事実です。おそろしく面倒くさがりであり、また保護者や先生といった知り合い以外の、街に大勢いる大人たちに話しかけることを怖がります。

したがって、子どもにどんな夢や希望があろうとも、放っておくと全く状況が進展しません。そして最後のギリギリになって、大幅に構想を縮小してちまちまとした研究をやり、それでお終いということにしてしまう。そうならないような子どもは、いずれ博士になるような例外的存在であって、そのような子がそんじょそこらにいるわけがない。

だから親の心構えとして、子どもの「自主性」に過剰な期待をしてはいけないのです。

「図書館で本を調べた方がいいと思う?」と問うてみて「うん、そうだね」と子どもが答えたなら、親子で図書館へ行かねばなりません。そして子どもが本を見つけられなかった場合、あるいは見つけることはできたけれど、まだ不十分な場合には、「じゃあ司書の方に訊ねてみようか? **について調べたいのですが、私にも読めそうな本はありますか、って」などと促しましょう。

いちいち、こういった手間をかける必要があります。なお、母親帯同を嫌がる子の場合は父親の出番。逆も同様。どちらも嫌だという場合、以下の解説を参考に子どもを説得するか、あるいは自由研究の結果については最悪のケースも覚悟してください。

子どものプライドは不思議なもので、「親と一緒の様子を友達に見られたくない」ということを、「自由研究を完成させる」ことより重視する場合がままあります。その価値観を教育によって変革させるか、そのまま受け入れるか、という保護者の選択の問題といえます。

なお万が一、親が教えることが何もないほどしっかりしたお子さんなら、それは確かに親がしゃしゃり出る必要はない。お子さんに全て任せて結構です。

自主性を育てる教育とは

自主的に自由研究に取り組まない子どもには、大きく分けて2つの問題があります。

やる気を引き出す

簡単な処方箋は、親がやる気を見せることです。親主導で構わない。「しょうがない、つきあってやるか」で子どもの重い腰を上げさせます。

教育書には、成功体験の積み重ねが云々と書かれています。それはそれなりに正しいと思いますが、夏休みの宿題をこなすという課題への回答としてはずれているでしょう。その理由は簡単です。あらゆる物事に果敢に挑戦する人なんて、いないわけです。どれほど多くの成功体験があっても、興味のあること以外は、頑張る気になれないのがふつうです。

夏休みの宿題は、天下り式に提示されるものです。興味があろうとなかろうとやるしかない。こういった問題について知見があるのは、会社組織です。ビジネス書の示す回答は、「まず上司が手本を見せろ」これに尽きます。

行動力を育てる

処方箋は、そもそもなぜ行動力がないのかを考えれば明らかとなります。

この2つの理由には、微妙な関係があります。人は「難しいこと」「こなすのが大変なこと」をやりたがりません。行動に必要な能力が不足している場合、多少の「やる気」では「面倒」に負けてしまうのです。

一番面倒な、第一歩を踏み出す段階は保護者の力で乗り越えてしまってよいと思います。問題はその先。

前述の「図書館へ行き研究に必要な本を探す」事例でいえば、「本を探すなら図書館へ」「図書館の場所はどこ? 公共施設の所在の調べ方」「地図の読み方」「地図を見ながら目的地に到達する方法」「交通安全の知識」「図書館で利用者カードを作る方法」「本の探し方」「司書の方に話しかける言葉」「感謝の気持ちを態度に表すこと」といった雑多な能力が必要とされます。

宿題をやるのは親じゃなくて子どもなのだから、子どもを一人で放り出して目的を達成させればよい……といった主張がどれほど荒っぽいか、理解してほしい。

誰かがどこかで教えなければいけないことなのです。自然と身につくものだ、と思っている保護者の子どもは、いつまでたっても常識知らずで社会を生き抜く能力を獲得しないことがしばしばあります。

(2006-08-14)