備忘録

平成22年1月31日

モーニング娘。というアイドルグループは199年に始まったという。年にはミリオンセラーとなるCDをリリースしている。が、ほとんどテレビを見ない生活を続けていた私は、「グループ名を床屋の待合室に流れているラジオで聞いたことがある」という程度にしか彼女らのことを知らなかった。

ところがいまの私は、4期メンバーあたりまで、顔はよくわからないが、名前はそこそこわかる。それは何故かというと

平成22年1月30日

本日開催の『九十九式9周年記念新年会』について、テキトーに虚実織り交ぜてメモを残します。(記事公開:2010-02-02)

1.

29日の夕方、「明日は九十九式オフだよな……」と予定をチェックしたとき、「あれッ!?」と思ったんです。集合する場所と時刻がわからない。

明日の集合場所ってどこでしたっけ?
時刻の方も忘れてしまったので、
申し訳ありませんが、もう1回連絡ください。

こんなメールを出してみると、すみません!徳保さんがお忘れではなく、私が連絡を忘れていました!という返信あり。宮本・ザ・ニンジャ開催のオフ会とはいえ、こちらは一般人のファンなので、情報を伏せたまま現地集合という離れ業はさすがに不可能。危ない、危ない。

そして30日、待ち合わせ場所の「六本木アマンド前」へ行ってみると、『六本木アマンド』はビルごとなくなっていました。よく調べてみると、アマンドは現在、路地裏に場所を変えて営業しているらしい。「六本木アマンド前」って、まさかそっち? 慌てて電話をしてみると、背後に宮本さんが出現。ホッとしました。

ところで、「六本木アマンド前」は、いつも待ち合わせの人でにぎわっているそう。「渋谷ハチ公前」や「新宿ルミネ前」などもそうなんだけど、お互いに顔を知らない人同士の待ち合わせには向かないと思う。よい対案はないけれども、地下鉄の出口を指定して、「正面」とか「すぐ右側」などと狭く限定するのも一手。

2.

事前に聞いていた参加者は『九十九式』の宮本さん、『モーネ申通信』『えだは』のTKさん、私の3人。あと2人が参加予定だったけれども、1人不都合、1人インフルエンザで欠席とのことでした。

ところが、宮本さんの仰るには、『if→itself』のifさんが1時間遅れで参加する予定だという。急遽、という話だったので、「あー、不都合が解消されたのかな」と。この予想は「はずれ」で、事実は「インフルエンザが治った」のだそう。

「てことは、ついさっき病院へ行ってみたら、もう治ってますね、とかいわれたのかな?」……この予想も「はずれ」。熱が下がって2日経ったらもう大丈夫、という自己診断で参加を決めたのだという。「了解、了解。でもさ、だったら1時間遅れる理由って何?」……後で当人に質問したはずなのですが、回答は忘れました。

TKさんは宮本さんと先に合流していたので、ほぼ定刻に集まった3人で予約していたお店へ移動することに。

まず、宮本さんの案内で、西へ向かう。150mほど歩くも、残念ながらこの道は方向違いと気付く。途中で道路を渡って目的地に少し近づきつつ、最初の交差点へ。

今度は北へ。200mほど歩くと、残念ながら目的地を行き過ぎたことに気付く。「だんだん目的地に近づいてますよっ!」「ダウジングなら、すごく反応がきてる感じです!」なんて冗談めかして仰っていたけれども、さすが忍者、尾行を探知する歩き方が身体に染み付いているんですね。感心しました。

さて、ようやくお店に到着。2階のカウンターに「予約していた宮本ですが……」と声をかけると、「お席は3階に用意してございます。お手数ですが、3階の入り口へお願いします」とのこと。下駄箱に入れた靴を取り出し、履きなおす。

そうして階段を上り始めると……「お久しぶりですー」ifさん到着。これが真の狙いか!!! 神タイミング。忍者たるもの、これくらいの時間調整がパッと実行できなきゃ生き残れない、ということかな。

3.

案内されたのは、窓際の掘り炬燵。ゆったりしていていい感じ。机の上には「(有)ツクモキカク御一行様」という札がありました。そういえば6周年のときも、ツクモキカクの慰労会という体裁だったような気がします。もちろん宮本さんが社長、他は一般社員。

忍者屋敷をイメージしたお店なので、店員さんが忍者風の格好をしています。女性店員は小手代わりの布を肘の先に巻いているし、桃色の装束で各部の意匠がよく目立つため、一目で「あっ、忍者!」という感じ。一方、男性店員の装束は「自然」な感じで、最初は忍者装束と気付きませんでした。「忍者としては、目立たないのが正しい」と宮本社長。「仰る通りです」と一般社員は納得する。

……というわけで、個人的にはこのあたりでもう大満足だったので、その先の話は他の方のオフレポに譲ります。(ええー!?)

平成22年1月29日

memo:記事にならなかった話題(2010年1月版) 他(2010-01-25)の補足記事です。

私は様々な話題のメモにはてなブックマークを利用しています。会社の昼休み、自宅、出先、実家……どこでメモしても同期が取れて、ブックマークレットで簡単に記録できるのが、便利でよいと思っています。「ブックマークレットではてなダイアリーにかんたん投稿」という手もあるのですが、多少、思うところあって、非公開のブックマークにしてます。

もつたいないと思つた。(中略)記事の完成度だの何だのは氣にする必要がないと思ふ。

過去に何度か書いてきたとおり、私にとってウェブに何かを公開するのは「面倒くさい」ことなんです。何かしらの動機なしには、「面倒の壁」を越えられません。

はてブに記録するなんて、ボタンひとつ押すだけの手間なんですけれども、それすら「面倒くさい」。だから、「後で何か言及するかも」と思った記事しか記録しないのです。

で、1日に1回くらい、自分のはてブを眺めて、何か書こうかなあ……と思案します。でも、文章を書く面倒くささは身に沁みていますから、よっぽど「これだけは書いておきたい!」という気持ちが湧き上がってくるか、他の記事を書くのに途中で疲れて、何となく惰性で軽く書くか、何かしらそういった状況が整わないとダメなんですね。それぞれ思うことはあるんだけど、「また今度にしよう」というのが大半。

では、どうしてストックを消してしまうのか。それは、ストックされた話題が増えてくると、ひとつひとつの話題については、記事を書く面倒を乗り越える力がないのだけれど、それがたくさん集まると心を動かす力を持つからです。何か書きたい気持ちはあるのだけれど、具体的な文章にならない。結果、イライラする。

記事は書けなくとも、はてブから下書きページに転記するくらいのやる気はあるんじゃないか……そう思ってやってみたのが25日の記事なんですが、やっぱりいまひとつでした。

私が「気になる」話題というのは、それ自体は別に、人様に紹介したいものではないんですね。「こんな意見が広まったら嫌だな」みたいな部分を含んでいるので、そこのところを注釈せずに紹介したくはない。あるいは、全体としては平凡なんだけど、一部に注目すると面白い、とか。

だから、単にリンクだけしても、それで私の期待するようなことは起きそうにない。事実はそうではないかもしれないけれども、いま、私はそう思ってしまう。すると、ただコピペするだけの意欲すら、全くわいてこない。で、イライラ解消のために、記事にならなかった話題はネタ帳から消してしまう。

経験上、イライラとか怒りというのは、怠惰な私を動かす大きなエネルギー源です。heartyなドラクエ9のレビューですら、Amazonを舞台としたネガキャンの嵐への怒りと、「もっとこういうレビューを書く人がいていいはずなのに……」というイライラゆえに書かれた、といっても過言ではありません。

このイライラの力は、「記事を書く」という創造的な方向だけでなく、「ネタ帳をスリムにする」という破壊的な方向にも、大いに力を発揮する、というわけです。

追記(2010-02-10):

「私が何う思つたか」を「はつきり書かねばならない!」と、さう徳保さんは思ひ込んでゐるのだけれども、私にしてみれば、「私の意見」は所詮「判斷の一つの材料にしかならない」ものだ。ならば、自分の意見を明示する事はプライオリティが低い、と云ふ事になる。「考へる材料」を多くの人に示す事こそが重要だ。

同意できません。野嵜さんだって、何も言葉を添えずに野嵜さんの名誉を毀損し侮辱するような記事ばかりたくさんリンクするような人がいたら、不愉快になりませんか? 私なら怒ります。ひどい記事を無言で紹介するのは、消極的な肯定の意思表示だと思う。実際、堂々と支持すると外野がうるさいから、黙ってリンクだけしておいた、なんて話を後で聞くことがしばしばありますし。

大勢が無責任にリンクしたせいで、非常に問題のある記事が検索上位に登場するようになってしまった、なんていう事例には事欠かない。常連読者の方なら無言でも紹介した側の意図を汲んでくれるだろうけれど、リンクの影響は常連の外側へ波及していく。問題含みの記事をコメントなしで紹介するのは嫌です。

平成22年1月28日

1.

これは、正直、わからない。わからないが、まあ、人気のあるブログはたいてい、それぞれに理由はあるな、とは思ってます。ただ、突発的に注目を浴びる記事というのは、もうどうしようもないというか、狙って書ける人なんて滅多にいないと思う。

昨年の私の記事の中で、概ね狙い通りにウケたのはPCに入れておきたいフリーソフト+α (2009年秋)(2009-11-25)くらいしかない。子どもの悪事が明らかになったときの対処(2009-08-25)などは、たしかに一定の反響は予想したけれど、結果は予想を10倍くらい超えていました。ときどき「同じような記事は過去に何度も目にしているんですけど……」みたいな記事がヒットしていたりするので、大当たりは目指してもしょうがない。

じゃあ他に何が、といって、わかりやすい目標は提示しにくいな。それでも、人気サイトの管理人たち(2005-06-29)に書いたことは、少し形を変えてはいるものの、5年経った今も、あまり変わっていないように思う。

この備忘録の固定客が1000人くらいいるのですが、私の記事にリンクしてくれる人は限られています。おかしな話なんですが、大手サイトの管理人さんしかリンクしてくれない(くれなかった)記事というのがたくさんあるんですよね。人気記事のいくつかは多くのサイトからリンクされていますけれども、じつはそういう記事の方が少ない。

大手サイト同士でアクセスの回しあいをしているように見えて、不愉快に感じる方もいらっしゃるようなのだけれど、少なくとも私には、そんな意図はありません。

2.

私は滅多にオフ会などには行かないのですが、その乏しい経験からいうと、人気ブログ(仮に1日平均1000ページビュー以上とする)なんて割合としてはかなり少ないのに、オフ会は人気ブロガー比率が高い。一般ブロガーの方が少数派で、身をすくめていたりすることもあるくらい。

初期のイザ!からは彗星のように人気の記者ブログがいくつも誕生して、お祭り的に、いくつかオフ会が開催されました。その参加者には、やっぱり同様に頭角を現した人気のイザ!読者ブロガーの割合が多かった。毎日数千人が読んでいるブログなのに、ファンの集いに参加する20人、30人の内の2割以上が人気ブロガーというのは、単純計算で考えれば異様なことです。

九十九式』が復活したとき、気付いてすぐ文中リンクした人は、みんな逆リンクされたと思う(リンクしても相手側のアクセス解析に全く記録が残らない零細ブログは別として……)。九十九式の読者でブログみたいなのをやってる人はもっとたくさんいたろうに、結果的に文中リンクした人の大半が、現役の人気ブロガーか、かつての人気サイト製作者だったのはなぜなのか。

こうした小さな体験の積み重ねを安直に一般化させてもらうと、特別な情報の乏しい、日々思うところを書いていく(だけの)ブログがそこそこの人気を集めるかどうかって、「コミュニティに関与していく意志」の影響が大きいんじゃないか。

この備忘録は、人気の割にはてブ数が多い。それはどうしてか。私は「話題をはてブから拾う割合が非常に高いブログだから」と理解しています。はてブの人気記事に対して、たびたび気合入れて言及する。すると、はてブのユーザーに認知される。結果、はてブされやすくなる。

ブログ検索してみると、私と同じようなことを書いてる人は既に存在したりする。しかも、コメント欄の賑わいとか、トラックバックのつき方とかを見ても、この備忘録より明らかに読者数も多そう。なのにどうしてはてブはうちの方が多いのか、と考えてみるに、はてブのコミュニティへの関与度の違いではないか。

つまり、ブログって同人活動に近いんだな。芸能人とファン、みたいな世界ではない。

3.

万年筆ト雑キ帳』は元『迎賓館裏口』です。書き手の柊楸(ひいらぎ・ひさぎ)さんには、いろいろご迷惑を……。

と、書いてみて思うのだけれど、私が何かしら言及しても、人気サイトや、あるいは後に人気サイトになったサイト以外からは、ごく稀にしか反応がない。柊さんは私のつまらない言いがかりによく相手をしてくださったので、ずいぶんご迷惑をおかけしました。

しかし逆にいって、2chなどを別とすれば、柊さんの書くことにいちゃもんをつける人は少なかったのだろうと思う。もし私みたいな読者がたくさんいたら、柊さんのようなレスポンスのよさでは、とっくに破綻していたはずなので。

……それにしても、「バクトラ」も一区切りなんですね。同志が欠けてしまうような感覚。なお、柊 (backentrance) on Twitterの方は更新が続いています。

「同人仲間と友人関係の違い」とでもいうか、お互いの関心事が離れてしまうと、けっこう簡単に人間関係もなくなってしまう。ブログは続いていても扱う話題が昔と変わってしまったので、全く言及しなくなったとか、ブログを閉じてmixiへ活動の場を移したのがきっかけで没交流になったとか、とくに珍しくもない。

twitterへ移った柊さんを追いかけるかというと、これはわからない。私はtwitterには距離を感じている状態なので、もしそれが変わらないなら……。はてブのユーザーがYahoo!ブログの記事をほとんど読まないようなもので、暮らしている街が違う、というような感覚なんです。

平成22年1月27日

大学の教養系科目では、毎回のように小文を書かされたんだけれども、それについて先生がどんなことを感じたり考えたりしたのかを聞く機会はあまりなかった。たまに次の講義で少し触れられるくらいで。だから、こうした試みは大歓迎。

よくテレビドラマで「このドラマはフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係がありません」みたいなことわりがきを流しているが、あれが必要なら占いや性格診断には「この占いは科学的根拠がありません。あくまで娯楽としてお楽しみください」みたいなものが必要だろう。

山口さんの問いかけに対し、大半の学生は現状肯定的な意見を返したのだという。

学生の意見に従うなら、ドラマに「この作品はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がありません」といった注釈をつける必要もないように思う。ちなみに、この注釈は1972年の特撮テレビドラマ『超人バロム・1』放映時に放送局へ寄せられた抗議への対応がはじまりだという。40年足らずの歴史か……。

……あれっ!? とすると、「この作品はフィクションであり(以下略)」という注釈が普及しているのは日本だけなのか? 海外作品でも見かけたような気がするのは、気のせいかな。気になって30分くらい調べてみたんだけれども、よくわからなかった。

ちなみに映画のエンド・クレジット(英語では closing credits というが一般的だそうです)が長くなった詳しい経緯についても興味があるのだけれど、「1970年代にスタッフらの組合の活動が奏功した結果である」という以上のことがわからない。どうしてテレビ放映時にはクレジットをカットしていいのか、とか、多くの疑問が解消されないままになっている<。/p>

長く視聴率の問題でエンド・クレジットの短かった米国のドラマなどでも、90年代末から組合の意見が通り始めて、次第に長くなりつつあるという。Wikipedia英語版には、しかつめらしく、近年は画面を分割して視聴者を楽しませる映像とともにクレジットを流すようになっている、なんて説明がある。

そんなの日本のテレビドラマでは80年代から……と思って古い作品を見てみると、なるほど、長いクレジットは冒頭に近いあたりに配されていて、ラストはスパッと終っている。あるいは、クレジットを末尾に配する場合、長くない。『古畑任三郎』のように長いエンド・クレジットが長い作品は、この件を気にし始めてからでは、今のところ90年代以降の作品しか発見できていません。

「意外なものの歴史が浅いんだなあ」と。まあ、私の調べ方が浅いだけで、実際は長い歴史があるのかもしれないけど。

こういうのも、調べていくと今ひとつ真実が掴めない。「どこまで本当かなあ?」という疑問はある。ただ、こうした視点を持つことは大切だと思う。

新聞や本を全国民的に読むようになったのは高度成長期だ、とか。昔の人を引き合いに出す議論が出てきたら、だいたい疑ってかかった方がいい。客観的な観察では「偶然」以上でも以下でもない占いを「当たる」と思うのは「認知の偏り」のためなんだけれども、能力の高い人は、同種の人に囲まれて成長することが多いから、だんだん世間が見えてくると「社会が劣化した」と思いやすい。

そういうことを周囲の人に力説してきた私が、いま「えっ、そんなに歴史が浅かったの?」なんて驚いている。人間の脳の仕組みには根本的に欠陥があるのだと思う。(……これもまた、ろくに根拠のない決め付け)

余談

最近、驚いたのが「ハートフルは和製英語」という事実。英語に親しんでいる人なら皮膚感覚でわかることらしいのだが……。ちなみに、英語では hearty というのだそう。

平成22年1月27日

個人的には、PHS(現在はWillcomのみ)とdocomo、au、emobileの間で携帯電話番号ポータビリティ(契約している電話会社を変更する際に電話番号を引き継げる制度)が実現してほしい、と思ってます。コストがメリットとつりあいそうにないから実現の可能性は低そうですけど、ソフトバンクとの関係が深くなるなら……。

なんとなく標準プランでずーっとやってきたけど、自分から電話をかけることがまずないのだから、いざとなれば公衆電話を使うことにでもして、安心だフォン(発信先が3ヵ所に限定される)にしてもいいような気がします。

平成22年1月26日

国民新党代表の亀井金融相は25日、衛星放送BS11の番組で、小沢民主党幹事長の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件に関して「今の国民は相当数が大脳皮質で冷静に判断する能力をお持ちでない。新聞が『けしからん』と書いたりすると、その人(小沢氏)が何を言っても耳を貸さない」と述べた。

記事にする価値のない、どうということのない話、だと私なら思う。が、新聞社の判断は正しかった。

どうしてそんなにカリカリするのだろう。実際、小沢さんの言い分を、先入観を極力排して虚心坦懐に聞こうとした人が、どれだけいたのか。

平成22年1月26日

1.

非モテSNS内の日記からリンクされたので、アカウントを取って読んでみました。

誰でもアカウントを取れるSNSの中で「全体に公開」されている記事でもあるし、一部を引用させてもらいます。

カザ太郎 2010年01月26日 00:17
↑の記事によると新聞の価格は
流通+コンテンツ(ジャーナリズム+情報の写し・整理)
こんな良く指摘されてんのに、記事の中程からまたまぜてるんだもんなぁ。
・流通→超ダメ
・ジャーナリズム→価値あり!金になる!
・情報の写し→そもそも写し方がヘタ。価値なし。
雰囲気で書くとこんな感じかとw

今まで水増してた部分が削ぎ落とされて、売上縮小して利益確保じゃないかな。

以下、反論など。

2.

私の記事がわかりにくいのでしょうが、私が書いているのは、人々の直感的理解に反して、金になるのは「印刷物を配達する」という部分であって、「ジャーナリズム」はほとんど金にならない、ということなんです。そして「情報の写し」はバカにされているけれど、実際には、テレビニュースや新聞報道に求められていることの大部分でもあるのです。

具体的には、毎日たくさん出てくる政府発表、広報資料、審議会報告、閣僚や幹部の会見、政治家の会見・インタビュー・講演要旨、各地の警察発表、海外の主要報道の要約、企業の決算、新製品、業界情報、民間団体の調査報告書・アンケート集計、イベント情報、映画・演劇・歌謡、伝統文化、地域情報などをマスコミが報じるのをやめた世界を、考えてみていただきたい。毎日、新聞をきちんと読めば、1日1時間でこれらをざーっとチェックできるわけです。新聞社の情報収集・整理能力は、IT技術がどんなに発達しても、一般人が追いつけるものではありません。

フリージャーナリストが独自取材をまとめた本が1冊1600円で売れる、といった程度には、ジャーナリズムもお金になります。けれども、独自に取材した情報しかない新聞は、ノンフィクションの本と同程度(1,000〜10,000部)にしか売れないでしょう。いや、それさえも、ネットに出したら無料で読まれておしまいです。

ネットのマスコミや情報収集系ブログへの蔑視とは裏腹に、人々は「誰かが情報を集約してくれること」と強く望んでいます。ネットがどんなに発達しても、自分で大臣の会見記録を読みにいくのは高々数万人に過ぎません。面白い発言なんて100に1つもないからです。99.9%の国民は、報道機関などが「こんな発言があったよ」と紹介してくれるのを、ただ待っていて、それは合理的な選択なのです。

3.

しかし、じゃあ誰がその仕事をやるのか。通信社がひとつあればいい、というのは、半分だけ正しい。もし国民が興味を持つ発言の見極めが簡単なら、通信社はひとつでいいのです。でも実際には、数十社が取材して、2〜3社だけがニュースにして、それが話題になればみんなが報道するし、スルーされれば忘れ去られる、という風になっているのです。毎日、試行錯誤があるのです。だから、1社ではダメなんです。

記者会見の質問だってそうです。いろんな会社の記者さんが、あれこれ聞きます。読者が食いついてくる記事になるような面白い答えを引き出す質問を狙っているんです。でも、ほとんどは空振りです。記者が一人では、すぐにアイデアが切れてしまう。何人も記者がいて、限られた時間内に先を争って質問をして、それでも現状程度なんです。「低レベルな現状」をバカにするのは勝手だけれども、事業仕分けを毎日取材していて、スパコンの「世界一でなければダメなのか」発言が一番ウケるなんて、誰がわかりますか。ニュースへの需要は、膨大なトライ&エラーなしに掘り起こせないものなんです。

「内容さえよければ有料コンテンツを買う」という人は多い。けれども、ギリギリ成功した会社がWSJくらいしかない(それも山本一郎さんが喝破するように紙媒体のブランド力で何とか維持されているもの)。一部の有料メルマガが1万人くらいのファンを掴まえましたが、それでは現在の新聞社の業務を全く維持できません。人々の財布の紐は固すぎます。

4.

無料のネットニュースは、紙媒体でコストをペイしている前提があって成り立っているのであって、紙の新聞が売れなければ存続できません。もちろん、壊滅はしない。ではどうなるかというと、テレビニュース程度の情報量にまで縮小せざるを得ない。現在のテレビの貧弱極まりない報道で十分だというなら、今まで水増してた部分が削ぎ落とされてよかったね、ということになります。

もちろん私は、そんな風には思えない。

政府は毎年数十冊の白書を発行していますが、テレビ報道の取材班は、これを読んでいない。新聞記者が読んで要約して記事にし、その記事をさらに要約してテレビ報道にしています。新聞社が崩壊すれば、テレビ報道もガタガタになります。本当にそれでいいんですか? と私は思うし、山本一郎さんもそういうことを危惧しているのではないでしょうか。

どうせ独自取材の記事なんか少ししかないじゃないか、という「マスゴミ」批判は、報道機関の存在意義を勘違いしているのですよ。政府の何とか白書なんて、10万部もなかなか売れない。それが報道に乗ることで、1000万人程度には概要が伝わるのです。経済白書、警察白書、防衛白書、この3つだけでも毎年読んでいる人が、どれだけいるんですか。

ネット時代になってますます進んできている誤解なんですけど、「必要になってから調べればいい」なんてのは、辞書と文法書があれば英語がわかるというのに近い。ネットニュースは「知りたいことを知る」のには好都合ですが、「興味のないことを含めてさまざまなニュースを効率よく知る」には向いていないのです。だから紙の新聞がネットニュースに移行して消えてしまうとすれば、それは大問題だと思う。

「どうせ紙の新聞だって、興味のないページは読まないもん」ええ、ええ、そうなんでしょう。それが1億人の実感なんですよね。もう諦めるしかないのだけれど、1000万人の側に属する者としては悲しいな。

20年後か、30年後かはわからないが、広告だけでペイする水準まで報道が縮小された世界で、私はどうしているだろうか。ただ単に「面倒」に負けて、乏しい情報から世界を想像しているのかな。いやまあ、現状だって、世界の広さと比較して、私の得ている情報はあまりに少ないのだけれど。

5.

地方の新聞社は、現在でも一般ニュースを通信社に頼り、独自の地元取材を足し合わせて新聞を作っています。この独自取材の部分はネットに出てこないわけで、チラシと同様、印刷媒体を売り続ける引きになりますよね。市場を独占している県もあるくらいだし、地方新聞社は、かなりしぶとく生き残っていくと思う。

危ないのは「全国紙」。産経新聞とか、真っ先に消えそう。現状でも読売や朝日と比較して(広告の少なさを考慮しても)

ま、そうはいっても、私が死ぬまでに新聞業界が完全に崩壊してしまうほど、世界の変化は速くないと思う。20年先を想像しても、固定電話が完全消滅しているとは考えにくいでしょ? VHSに敗れたベータマックスも21世紀まで存続したくらいで、あんなものでも27年間存続したわけ。炭鉱なんかでも、「もうダメだ」といわれてから完全消滅するまでには、ずいぶん時間がかかったんですよね。

それでも、業界の縮小整理は避けられないので、新聞ファンはこの先、長い長い悲しい道のりを歩いていかなくちゃならない。

平成22年1月25日

私は何かしら元になる文章がないと自分の記事を書けないので、いつも20〜30件くらいのネタをストックしています。が、実際には何も書けないまま終ることが多い。それで月に1回程度、記事になりそうでならなかった文章を消しています。

今回は、ふと思い立って、ネタ帳から消すことにしたネット上の文章の一部をご紹介します。いったんは何らかの記事を書けそうだと思った文章ですから、本文の内容orはてブなどの反応について、何かしら同意できないこと、違和感、疑問、補足したいことなどがあった文章ばかり、という点にご注意。

余談:

ところで、私が読む文章は印刷物が過半なのに、どうしてブログの記事はネット上の記事ばかりネタ元にしているのか? 自分でも疑問に思っていたのであらためて考えてみると、URIひとつでネタ帳にストックしたり、マウス操作で簡単にキーフレーズをコピペしたりできる利便性があるからかな、と。

あと、印刷物については、読んだらどんどん手放しちゃってるから、というのも大きな理由のひとつ。さあ記事を書こうというときにはもう、手許にないことが多い。私もニュース的な話題に言及することはあるのですが、基本的には、ある程度、時間を置いてから記事を書くことが多い。考えがなかなかまとまらない方なので、「こんなことを書こうかな」と思ってから何回か睡眠をとらないと、文章にならないのです。

常時300〜1000冊の蔵書があるのですが、既読書は100冊程度。他は全て積読本。毎年、数百冊も読んでいるのに、ちょっと気を抜くと、みるみる蔵書が増えていく。ジュンク堂書店などへ行くと、私が読みたい本が軽く10万冊以上あることを実感させられます。人生の全てを読書に費やしても、読みたい本を際限なく買っていったら全く追いつかないことになります。

ときどき書店へ行っても読みたい本がないという人がいるんだけれども、私にはよくわかりません。

平成22年1月25日

嫌味なニセ成金の気持ち(2009-12-30)という記事で弟の奨学金はと書いたら、はてブのコメントなどで「奨学金の受給者が死亡した場合は返済を免除されます」という指摘をいただきました。

たしかに私の書き方にはまずい点がありました。契約によればたしかに、保証人の債務は、受給者の死によって免除される(ことがある、らしい)のだから、私が保証人になっているから、弟が急死したら、私が代わりに返済する。という記述は誤解を招く。

ただ、私は、弟の保証人になったときに、もし弟が在学中に亡くなったとしても「奨学金は(私が)返済する」と決めたのです。弟が無事に大学院まで卒業した今、返済免除の申請は、ますますありえない。私が返済したお金が、また別の苦学生に回ればいいと思う。つまり私の使った「保証人」という言葉には、独自の定義が入っていて、契約を超えた責務を自分自身に課しているのです。

借りたものは返すべきであり、免除規定があるとしても、それは救済措置に他ならないのであって、それを「権利だ」「使わなきゃ損だ」という風には考えない。弟は奨学金のおかげで楽しい学生生活を送ることができ、私は感謝しています。そして返済に必要な余裕資金は十分にあるのです。返済しない理由がありません。

平成22年1月25日

流行する・しないの差って、どうもよくわからない。

ヴァン・ノゴハンはなかなか傑作だと思ったんだけど、その後、あんまり見かけない。

平成22年1月24日

私は池袋の隣駅の大塚から歩いて4分くらいのところに住んでいるけれども、怖い人とか見かけたことないし、家の前をパトカーがサイレンを鳴らして通ったこともない。救急車は4年間で2回見たかな。

池袋は社員寮時代は平日は毎日利用していたけれど、私が職務質問を受けたのは1回きり。警官が目立つのもデモ隊が練り歩くときくらいで、ドラマとかに出てくる池袋にはピンとこない。まあ、よく知っているわけじゃないから、あれがウソだというつもりはない。ただ、ピンとこない人も実際ここにいるよ、ということだけは書いておきたいかな。

あと、はてブのコメントなどにもあるけれど、区だと単位が大きすぎるんだよね。池袋と大塚がある豊島区なんかは狭いけれど、かなり広い区はいくつもあるので、駅単位とかにしないと実りのある話にはならないような気がします。

余談

ていうか、治安がいいとか悪いとか、何と比較しての話なんだろう。

私は自分が生まれ育った成田ニュータウンって、とてもいい街だったような気がしてたけど、私の高校時代だけでも、過激派が高校に侵入して警察署へ向けて迫撃砲で攻撃したり、「定説です」で有名な宗教指導者がミイラ死体事件を起こしたりしてる。客観的には結構とんでもない街だったのかもしれないよな……。

平成22年1月23日

取り上げる基準が難しいんですが、「わりと昔からあるサイトで、今後も更新されそうな雰囲気がある、と僕が感じた」という、すごく自分でも恣意的だなと思うラインでピックアップしていきます。

個人的には、すごくしっくりくるラインナップになってます。せっかく更新が続いているのに、1年以上ご無沙汰してたサイトがいくつもありますね……。この機会にアンテナに「テキストサイト」フォルダを作って、登録しておこうかな……。

平成22年1月23日

さまざまな価値観の持ち主が、自分の納得できる金額で自由に取引できることが、市場が成功するひとつの要件。無料掲載を許可した作家をみんなでワーワー批判するような状況にならなければいいが。

「批判」くらい自由だろう、といわれるかもしれないけれど、「意見に納得したから無料掲載を不許可にする」だけでなく、「批判を気に病む精神的コストを解消するため無料掲載を不許可にする」なんてことも起きるのです。つまり、実態として「私は***します」という発言と「***しないヤツは許せない」という発言の効果は違っているわけ。

で、道徳的観念を持ち込む言説は市場を歪めるんだよね。市場にだって倫理は必要でしょうけど、経済合理性をないがしろにする(という代償を払う)だけの確信があって、みんな発言しているのかな。そのあたり、疑問に思うことが多い。

関係ないけど

Togetter(トゥギャッター)って著作権でトラブルになったりしないのかな。一度は騒動になりつつもコミュニティが発展し続けているTumblrのような例もあるし、2chまとめブログもますます隆盛だし、「問題になる=滅びる」というわけじゃないんだけど、著名人の発言とかもけっこう転載されてますからね……。

そういや「非公式RTは無断転載じゃないか」問題はいつの間にか下火になってるんだけど、これは一体どうしたわけなんだろ。

平成22年1月22日

10,000人くらいから民事訴訟で賠償を勝ち取らないと、こういう状況って変わらないのかな……。

正月休みに読んだ佐々木俊尚さんの『ネットvs.リアルの衝突』(2006年12月刊)は、Winny裁判を中心に据えた本。その後の展開を知るだけに、いっそう興味深く読んだ。個人的に印象に残ったのは、Winnyがなければ人生を失わずにすんだのに、というような、著作権法違反で逮捕された人々の言葉。勝手なことをいうもんだ、とは思ったけど、その気持ちはわかる。

ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか (文春新書)

以下、関係ない話題ですが、「脱力」つながりで。

平成22年1月21日

デフレと円高の何が「悪」か (光文社新書)

上念司さんの『デフレと円高の何が「悪」か』を読んでみました。

1.

うーん……リフレ派の身内ウケ系の本かな、これは。素人向けだから極力わかりやすく、という意図は理解するけれども、論敵を「トンデモ」「非常識」「愚か」と表現し、判断基準を示さず「極端」「極めて」「非常に」という。軽妙に書かれ調子よく読めますが、手放しでは褒めにくい。

あと、明らかにマズイ記述も。ジャンケンでも、10億回ぐらいやれば、たぶん10連勝できる時もあるでしょう。というのですが、1対1なら約1/6万の確率で10連勝できます。

あるいは、デフレ脱却の過程では、名目金利が3〜4年程度安定しているということは、昭和恐慌とその脱却のプロセスからも歴史的に証明されています。といった記述。昭和恐慌は強力な傍証ですが、「証明」は言い過ぎ。

2.

言葉の選択の問題にとどまらないのが、「国民が本当に返済しなければならない国の借金は総負債の30分の1」という議論。総負債から国の資産を全て差し引き、続いて国民同士の貸し借りを相殺すると、たしかに1/30になるのですが……。

まず、財政が破綻しても国の資産を全て債務の返済に充てることはありえない。国家の清算は非現実的で、行政に必要な最小限の資産は残さざるを得ない。

そして、国内の貸し借りなんだから相殺可能というのはマクロの話。国債を(直接・間接に)保有しているのは資産家。資産の偏在は租税負担の偏りより極端なため、パッと国債を完済すれば貧乏人から金持ちへの所得移転になるし、逆に債権放棄すれば資産家イジメになります。

ひとつの整理としてはよいのですが、この議論から財政赤字のほとんどは返さなくていいお金でしたと結論するのは、おかしい。私も財政危機論者には与しないけれど、大勢の専門家が財政の危機的な状況を憂えていることには、それなりの理由があるのです。

3.

著者は給料が変わらず物価だけ上がるようなことにはならないといいますが、可能性は否定し難い。そもそもデフレを脱却することで雇用が回復する最初の要因は「実質賃金が下がるから」です。その後、需要が経済成長を牽引し、人手不足になって、ようやく賃金が上がります。賃金の上昇が実現する前に次の不景気にもなりかねない。

デフレの脱却は、深く狭いデフレの痛みを、薄く広いインフレの痛みへ転換する作業。世論の支持を集め難い政策です。でもそれが全ての出発点で、デフレのままでは力強い経済成長はありえないと私は思うから、諸般のリスクは承知で、もっと早く確実にデフレを脱却できるような金融政策を待望しているのです。

著者には、デフレの害と大胆な金融緩和の利益を説くと同時に、様々なリスク要因と、専門家の間でも意見が分かれている部分も、ていねいに解説してほしかった。そうでなくては、一時的に増えた賛同者も、その多くが先入観に親和的な意見に切り崩されてしまう。もっと強靭な議論が必要だと思う。

追記:

http://ow.ly/ZblA この人に一応反論しておきます。 1.昭和恐慌脱却時に名目金利が急騰したデータを示して下さい。 2.財政危機とデフレ不況の関係はスルーですか? 3.デフレの痛みはスルーですか? 検索でヒットするので為念です

1.昭和恐慌の際、高橋財政が成功したことに異論はありません。しかし「似た事例」で同じ結果になる保証はないので、安達誠司さんの著書では慎重な言葉遣いになっています。「歴史に学ぶと、名目金利が急騰する可能性は低いと考えられる」という穏当な表現の方が、真に多くの人を説得できると思うのです。

2.財政危機論が財政支出の足を引っ張り、また早すぎる減税措置の終了や、財政再建を目的とした増税が景気の腰を折ってきたことを批判的に捉えている点で、私と上念さんに意見の相違はないでしょう。しかし財政危機論を否定するために、非現実的な仮定をおいた議論に踏み込むのは、賛成できません。財政危機派の前提に可能な限り歩み寄った上で、それでもなお「増税は不要」と主張する方が強い。

3.「失業率が50%に達するまでデフレ親和的な世論は動かない」というエコノミストの言葉があったかと思いますが、デフレの痛みは失業者に集中します。逆にインフレは薄く広く痛みを分散します。私はインフレの方がずっといいと思いますが、ともかくデフレ脱却=生活改善ではない事実をきちんと説明しなければ、短期的には生活が苦しくなる人々は「騙された」と思いかねない。

つまり私が申し上げたいのは、リスクも短期的な痛みも承知した上でのリフレ支持でなければ、「私も失業してしまうかも……」という恐怖が和らいだ段階で、みなさっさと元のスタンスへ戻ってしまうに違いない、ということです。論敵を罵倒せず、リスク要因も明示しつつ、データからリフレ政策の勝算を説く……そんな(安達誠司さんのような)書き方が必要だと思う。

デフレは終わるのか 円の足枷―日本経済「完全復活」への道筋 恐慌脱出―危機克服は歴史に学べ

私は「ハイパーインフレ」とか「国家破産」とかいったものを無批判に信じてしまう人たちをとりあえず正しい方向に向かせたいと思って書きました。トンデモを論破するにはある程度レトリックが必要です。

参加者がそれぞれに工夫を凝らし、いろいろな方法論を試すのが自由経済のいいところです。私の感想はどうあれ、現に多くの方が『インフレと円高の何が「悪」か』を絶賛されています。ズレているのは私の感覚であって、上念さんの採用した解説スタイルこそ、大勢の心を動かすのに最適なものなのかもしれません。デフレは今すぐ終ってほしいので、そうであってほしいですね。

平成22年1月20日

政治系ブログの造語のセンスがよくわからない、という話題。

ブログ以前に、政治家の造語センスが、そもそもよくわからないんですよね、私は……。

高い支持率を概ね維持した小泉政権を思い出すに、そもそも「構造改革」というのが、ナゾワードですよね。まあ大勢にウケたんだから「変」ではないのでしょうけれども。「官から民へ」はわかりやすい。これはいいと思う。「改革の本丸」……「本丸」という言葉が、もう若い人にはわからない(私の周囲には「大切なこと、って意味?」「だよね?」なんて人がふつうにいた)。でも雰囲気で意味が伝わっていたので結果オーライ。

そして問題なのが、「三位一体の改革」。これだけは、擁護に困る。国庫補助負担金、交付税、税源移譲をセットで見直すという意味なんだけれども、誰か「その言葉の選択はいかがなものか」といわなかったのかな。

ちなみに初出となる経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002には「三位一体」という言葉が2回登場します。歳出、経済振興策、税制の一体見直しも「三位一体」で推進すると書かれているのだけれども、こっちは世間にウケなかったらしい。

補記:

「上げ潮」とか「事業仕分け」も、先に広まった似たような意味の言葉を押しのけて政治報道の中に広まっていった。「事業仕分け」は世間的にもウケましたね。歳出の見直し、事業の見直しということなんだけれども、一体どういうことなんだか。将来、歴史の勉強をする学生がかわいそうだな、と思う。

平成22年1月20日

第39回インターネプコン・ジャパン(ただし同時開催の第2回カーエレクトロニクス技術展が主な関心地)に行って疲れ果てました。気張って10時から18時近くまで歩き続けたから、もうクタクタ。営業マンは毎日こんな生活をしているのだろうから、尊敬するな……。

主催はリードエグジビジョンジャパン、年間53本の国際見本市を開催しており、ものづくり系の技術者なら、どれかには参加したことがあると思う。

私は2年近く展示会へ行くのをサボっていたので、いつの間にこうなったのかわかりませんけれども、今回、ちょっと気になることがありました。何かというと「名刺が復権していた」のです。50枚近く持っていたのに、きれいサッパリ使い果たしてしまいました。まさか、という感じ。

私が何度も行った2年くらい前までのリード開催の見本市では、持って行く名刺は2枚で十分でした。1枚はリード社に渡し、1枚はバーコードつきの入場カードにステープラーで留めます。入場カードにはバーコードに対応したシールが付属していて、リード社は受け取った名刺にシールを貼り、電子名簿を作成します。出展各社のブースには名刺の読み取り機があります。これで読み取った番号をリード社に問い合わせると、ブースへの来訪者の名刺情報が手に入るというわけです。

これ、来場者はいいけど、出展者には不都合な仕組みだとは思っていました。あれこれ相談されたことを、すぐに調べて返信したいと思っても、すぐには宛先がわからない。リード社の情報入力が終って検索できるようになっても、「何時何分に訪問した人か」がわからないと一発で検索できない。ここが曖昧な場合、話をしたとき名札に留められた名刺を目で見て訪問者票や手帳などにメモした会社名や名前と対照する必要がある。

技術の進歩が何かうまい解決策を生み出すのかと思っていたけれども、結局は名刺交換が復活した、と。1日中歩き回って、2回しかバーコードの読み取りを求められませんでした。

平成22年1月19日

少し記事の書き方に悩むところがあって公開が遅れましたが、レビュー:ドラゴンクエストIX 星空の守り人[後日談]、幸い多くの方の目に留まったようですね。よかったです。たぶん読みたい人が多いんじゃないかと思っていたのです。丸1日無反応だったので、RSSを最新10件から30件に拡大したら、気付いてもらえたみたい。

はてブのコメントなどでは、父のドラクエの楽しみ方と、母の地図のエピソードが注目されていますね。

じつは私がRPGをプレイしながら自分で地図を描いた最後は、2009年4月。えっ? と驚かれるかもしれないけれど、1年以内のことです。作品は『Phantasy Star 千年紀の終りに』でした。リンク先はWiiのバーチャルコンソール版ですが、私がプレイしたのは、PS2にベタ移植されたバージョンです。

この作品は世界地図がとにかくわかりにくく、それでいてイベントの都合であちこちへ歩いていかなきゃならない。2時間くらいプレイしたところでブチ切れて、地図を作り始めました。チラシの裏にどんどん描いていくと、あっさり紙をはみ出したのでセロハンテープで紙を継ぎ足して完成させました。適当な書き殴りだけれども、あるとないとでは大違い。苦労した甲斐があった……。

と、そんなタイミングを見計らったように、説明書の最後のあたりに地図が付属しているのを発見。ポカーンとして、それから無言で地図を処分しました。今思えば、写真を撮っておけばよかったな。まあ、こういうことで「無駄なことをした」と思ってしまうのが、私の未熟なところ。

結局その後、地図は不要になりました。地図を作っている間に、世界地図を記憶できたようなのです。ね、無駄じゃなかったんですよ。私が父に贈った『ドラゴンクエストIX 星空の守り人 公式ガイドブック 下巻●知識編』によって、母の地図は用済みになりました。しかし母は、自分の地図を家計簿に挟んで大切に保管していました。

こういう気持ちが大切なんだよね。幸せに生きるコツだと思う。

平成22年1月18日

1.

でも、新聞のコンテンツが全部ジャーナリズムかっていうと全然そんなことはないから経営難になってるわけで。新聞のコンテンツのうち、「単なる発表の写し」って部分はかなり多いと思うんだけども、そこでは新聞社がジャーナリズム(あるいはコンテンツ生成)としての仕事をしているわけではなくって、これまでも単に情報流通の仕事しかしていなかった。だからいま苦境に陥っている。

「単なる発表の写し」はインターネットによって不要になったかというと、全くそうなっていない。『Authority - 日本の影響力のあるブログランキング100』の上位に並ぶのは、情報の収集整理がメインのブログ。『GIGAZINE』は「オリジナルのコンテンツに乏しい」と蔑視されがちだけれども、それは中間情報産業への偏見によるもの。

現に、「自分で世界にアンテナを張るのは面倒くさい。自分とセンスの近い情報整理サイトをいくつかチェックすればそれでいいや」という人がたくさんいるからこそ、『GIGAZINE』などは人気を集めるわけ。官房長官の記者会見を『首相官邸』で毎日チェックしたいですか? かなり熱心な人でも、言葉尻を捉えた批判を見たときに「前後の文脈を合わせて知りたい」と思ったときだけ、見に行くのが精々だと思う。毎日たくさんの情報源をチェックするのは、現実には困難。だから情報の収集整理には、大きな価値がある。

Livedoor Reader』のような膨大なフィードの処理に適したRSSリーダーが登場して以降、1000件以上のフィードを登録した方はたくさんいる。ではそれで自分の知りたい情報のオリジナル(に可能な限り近いもの)を網羅できているかというと、答えはNoでしょう。多分、フィードを1万集めても10万集めても、網羅はできないと思う。だから結局、『カトゆー家断絶』や『はてなブックマーク』などの情報整理サイトもチェックせざるをえない。

2.

アニメ産業の金回り、音楽や書籍の著者印税などの話題を見ていていつも首を傾げるのが、「どうして最初の一歩ばかり注目されるのか」ということ。報道機関や『GIGAZINE』に投げかけられる軽蔑の眼差しも、構図は同じ。

もしアニメ製作会社の人だけでいい作品を完成させることができて、それを『YouTube』に投稿したら十分な宣伝になって、DVDの直販や高画質動画の直接有料配信だけで制作費を回収できるなら、みんなそうするはず。何より、まず出資者がそういうことを考えるよ。彼らは金儲けをしたいのだから、投資したお金の多くが本当に「無駄」になっているなら、黙っているはずがない。

「だから中間搾取している当人が出資しているんだってば!」って? そんなうまい話があるなら、世間には無数の投資ファンドがあるのだから、いくらでも新規参入があると思う。いやだって、真の経費が売上の1割で、9割を無駄遣いしても収支トントンの投資案件が実在するなら、夢のような話です。

あるいは、億円単位の現預金のある音楽業界のアーティストたちは、もう大組織に所属する理由がない。自己資金で作品をリリースできるのだから。そして実際、独立したアーティストは何人もいます。が、やっぱり少ない。多数派ではない。宇多田ヒカルのようなトップアーティストでも、手取りがかなり減ることを承知で他人に作品をリリースさせている。

俳優・タレントなど、まさに身一つをそのままコンテンツとしている方々さえ、ちょっと調べてみると意想外に独立している人が少ない。「ピンはね」は承知で組織に属している。でもそこに、「不当な中間搾取」はないのですよ。合理的な判断の結果なんです。

よく「テレビは総務省が電波を許認可しているから規制に守られた産業で云々」という。でも、地方は明らかに電波が余っている。関東だって、地デジ移行でみんなUHFアンテナを持つことになるので、電波の不足は問題にならない。総務省は「もうこれ以上、地上波のテレビ局は増やさない」なんて宣言はしていない。電波法の規制が採算ラインを吊り上げているとしても、「国民が納得できる範囲内の規制緩和で有力な新規参入業者が現れる」という説得力のある業界分析を見たことがない。

大都市圏と地方の経済格差くらいでこれほど局数が違ってしまうのだから、現状は規制より競争の結果と考えたほうがよほど納得しやすい。テレビ局の職員給与が単純に規制の産物なら、1968年開局のテレビ東京や1995年開局の東京MXの給料が安いのはなぜ? 東京ではリモコンの「12ch」や「9ch」のボタンを押したくなくなる病気が蔓延しているのか。

もし先行局の資本の蓄積が後発局の追随を許さない唯一最大の理由なのだとすれば、テレビ東京が民放トップを目指して増資に成功すれば、状況は一変します。そこに勝算があれば、ソフトバンクがボーダフォン日本法人を買収して携帯電話事業に新規参入したときのように、出資者が登場することでしょう。

現在の均衡が最適解だとはいわない。けれども、よほど変な規制でも存在しない限り、経済合理性を全く欠いたビジネスというのは、まずありえない。もしその数少ない例外を発見できたなら、ぜひ投資して大儲けしていただきたい。大勢の「果敢な挑戦」が中間搾取を少しずつ排除してきたのが資本主義の歴史だと思う。

3.

かなりの割合の国民が新聞記事の内容を信頼しているのに、肝心の新聞を購読しなくなった理由は、ネットで新聞記事を読めるようになったからだけではなく、新聞紙に掲載されている情報のうち、読者が読みたいと思う記事が全体に比べてわずかだからである。

(中略)

国内のネット関連企業に関しては、Yahoo!の規模と収益性は群を抜いており、考えようによっては彼らが既存の情報産業に対する確信犯的なフリーライダー(ただ乗り)になっていると指摘することもできよう。もちろん、合法的な契約に基づいて新聞社、出版社などから記事の情報を提供され、読者に無料で閲覧させているのだから、何ら問題はないのだが、その記事を提供するために得られる対価だけでは、新聞社も出版社もその企業規模を維持することができない。持続可能な協調関係ではないのは明確である。

(中略)

いま、我が国の情報産業に対して必要とされるのは適正な利益率であり、対価をきちんと支払って情報を得るという本来の情報の消費活動に立ち返るための処方箋に他ならない。既存の情報産業がネット時代の新自由主義的な自由競争の流儀で戦う必要は必ずしもなく、いかに無秩序なネットの現状を統制し公正な競争状態に導いていくかが、いま一番求められていることなのである。

新聞のいいところは、「読者が事前には関心を持っていない情報」を精選して提供してくれることだと思う。私が『Yahoo!ニュース』などを見ないのは、自分が関心を持っているニュースを見ているだけで持ち時間を使い果たしてしまい、後で「えっ!? そんなことがあったとは……もっと早く知りたかった」となるから。

印刷物を毎日届けるコストを考えると、記事のバラ売りはできない。それで新聞は現状のサイズになっている。でも、せっかく新聞にいろいろな記事が書かれていても、ふつうの人は読まないらしい。見出しだけでも読めばいいのにな。『SANKEI EXPRESS』は記事が少なくていい感じ。栃木では読めないのが残念。

私はネットニュースもテレビニュースも時間効率が悪すぎると思うので、新聞の効率のよさにはお金を払う価値があると判断しています。それが宅配の新聞という印刷媒体である意味は、電源不要で独立・完結、面積の大きさと軽さ、折り畳んでも落としても雨で濡れても不都合ないタフさ、読み捨ての気軽さ、読み終わった後の紙としての用途、資源の再利用の容易さ、といったあたりかな。

かくいう私も、コンテンツ自体にお金を払っているわけじゃない。たとえば、私の巡回先でとくに紹介されれば『asahi.com』の記事も読むけれど、「情報料代わりに年1回くらい朝日新聞社の有料サービスを利用してみようか」とは思わない。

それでも、我が国の情報産業に対して必要とされるのは適正な利益率であり、対価をきちんと支払って情報を得るという本来の情報の消費活動に立ち返るための処方箋という山本さんの主張には、強く同意します。

4.

いろいろ書きましたが、ようするに「単なる発表の写し」というのが、意外と手間なのであって、読者はその手間を他人に任せたがっている。実際、その手間を読者の代わりに請け負って上手にこなしているブログは大人気じゃないか、と。

世界に薄く散らばった良質なコンテンツと一般の情報消費者との隔絶を埋めるには、検索エンジンやRSSリーダーでは力不足なのです。リンクという仕組みすら、一部の先進的なユーザー以外には、不十分なものです。「リンク先」なんて、大半の読者には読まれないのです。

にもかかわらず、「リンク先を参照」みたいな手間を読者にかけさせず、単独で完結する記事や、そんな記事を集めた新聞を作る、「情報を収集整理してパッケージングして届ける作業」の価値は不当に低く見積もられている。そのコストが「省略可能なもの」と誤解されている。これは不幸な話だと思う。

しかし私自身、ネットニュースにいちいちカンパする気にはなれない。紙の新聞という商品にお金を払っている。となると、紙の新聞の「良さ」に同意しない人が増えるにつれ、新聞社はつらくなる。現在の無料のネットニュースなんて現状の延長上には永続しえないのだけれど、降りた者負けのチキンゲームになっていく。

『GIGAZINE』が有料化しても読者がついてくるなら、新聞社の未来だって明るい。でも、そうはなるまい。山本さんの記事には見通しのよい結論がないけれども、私も最後は言葉を濁すだけ。

5.

強いていえば、新聞と比較して極端に情報量の少ない(話題の量がまず断然違っていて、ひとつひとつの内容にもかなり差がある)テレビニュースでみんな満足できるなら、広告モデルで報道機関は存続できる、ということなんじゃないかな。「別にいいよ、それで」というのが、現実的な日本の未来のような気がします。

NTTが民営化されて、電話交換機の堅牢性は大幅に落ちました。携帯電話用の交換機に至っては、端っからベストエフォート思想が入り込んでいる。今でもかつての堅牢性を維持しているのは、高速道路などに備え付けられている緊急電話くらい。

新聞には宅配という問題があって、「どのみち、一定以下の価格にはしようがない」という条件がありました。そのため価格競争にはなりにくく、「過剰な利益」を様々な読者の要望に応えて「膨大なコンテンツを提供する」ことに振り向けていった……のではないか。NTTが独占市場で通信料を下げることを選ばず、電話網の堅牢性を高めていったのと同じ構図だと思う。

それが、NTTは民営化で、新聞は無料のネットニュースの登場で、従来とは全く違う競争に巻き込まれた。私はテレビニュースでは全く物足りないから、現状水準の新聞が維持されてほしい。強くそう願う。でも、無理かな、と。電話網も、ずいぶんボロボロになったんだけど、みんな価格が下がって喜んでいるもんね……。

平成22年1月17日

フミコ・フミオさんが実家の書斎に入ったところ、不運にも扉の取っ手が壊れてしまい、出られなくなったのだそう。窓には防犯用の格子がはまっているので、外へ出るには扉を開けるしかない。

カナかな団首領さんの提案は、針金ハンガーで扉をラッチを押し込み、扉が開くようにするというもの。フミコ・フミオさんは、試してみたけど隙間が狭くて無理だったという。

「面白いな」と思って私の部屋でも試してみたんだけど、たしかにハンガーは使えなかった。じゃあ……と厚紙や樹脂板を使ってみたんだけど、予想していたよりラッチが固い。金属板なら……と思ったんだけど、加工がたいへんなのでパス。下図のようにラッチの奥に枠木があるので、L型にカットしないと枠木とラッチの間に入らない。難題だな、こりゃ。

図:枠木とラッチ

まあ、私の場合は一人暮らしなので、扉を自分で壊すことになると思う。フミコ・フミオさんの場合は、消防を呼ばず、物を壊さず、家族にも気付かれないように、という縛りをつけているので、強硬手段をとれない。夏なら別にいいんだけど、冬は寒いからつらいですよね。

追記

フミコ・フミオさんは無事に脱出に成功されたそうです。詳細は上記リンク先に追記されています。フミコ・フミオさんが閉じ込められた部屋の扉には、邪魔な枠がなくて、外からカードか何かでラッチを押し下げて開けてもらったらしい。うちみたいな造りだったら詰んでたのかな。

余談

私がかつて所属した大学の研究室、実験室には、建物が施錠されて出られなくなっても大丈夫なように、毛布が用意されていました。低層階の廊下にはセンサーがあるので、手洗いを利用したい場合に階下へ降りないように、という指示も。聞いたときは笑ったんだけど、私も一度、お世話になりました。

平成22年1月16日

1.

私の感覚とはだいぶ違うな。学校でも、頑張っても「結果」は出ない。塾で教えてみて、身に沁みました。自分のときは、すいぶんいろいろ付け足しの説明をして「頑張った甲斐があった」ことにしていたんですね。生徒のあれやこれやの言葉を聞きながら、そう得心したものです。

逆に仕事だって、自分の中の経験は、ちゃんと増えていく。それに、たいていの仕事は「やること」が決まっていて、期待される役割をこなして所定の報酬を得るもの。ふつうのサラリーマンは、商品開発のプロジェクトが失敗して売上がゼロに終っても、給料をもらえるでしょ。

いくつかアルバイトをやって、7年間サラリーマンを続けてみて、少なくともヒラで働く分には学校と変わらないというのが正直な印象。頑張れば、結果が出なくても大丈夫。責任を問われるのは、結果の出ない仕事を命じた上司の方。もちろん、同じ仕事を任せても人によって結果が違う。けれどもそれは、部下の適性に合った指示を上司が出すべきだ、ということ。

「うちはそんなに甘くないよ!」というかもしれないけれど、不幸自慢をして何になるの。巷間に流布されている「社会の厳しさ」なんて、無能な経営陣や管理職の手抜きを正当化しているだけではないか。本当は、もっと多くの人が、気楽に社会人生活を送れるはずです。

2.

コピペレポート問題とか、質問しにこない新人問題とか、ネットで話題になる「問題」のいくつかは、私にいわせてもらうなら、「偉い人が無能」問題なんですよ。「どうして私の周りで同じような問題が起きなかったのか?」と疑問に思って記憶を探ってみると、教授や上司が簡単な工夫をして問題の発生を未然に防いでいたことがわかる。

で、私はポカーンとしちゃうんですよね。コピペレポートを提出する学生とか、質問しない新人とかをバカにする言葉を書き並べてる人がいっぱいいるでしょう。何て無駄なことをしているのだろう。ペンもノートも持ってこない学生の指導法(2007-07-17)に書いたような考え方が、社会の常識になっていってほしいと私は思う。

とはいえ、それを言い出すと、この文章だって「ただ批判しているだけ」なんですよね。こうすれば世間を啓蒙できる、という妙案は未だ見出せていない。

私もとりあえず「コピペレポート」「質問 新人」でググって簡単な解決策がトップ3に登場するようにはしたんだけど、「やってみました」という報告を聞いたことがない。そして何度も何度も同じ「問題」が起きて話題になる。無念です。

2008年11月26日の第10回図書館総合展の講演録です。その道のプロが「解決策」を示す、良い内容。「問題」を云々する記事より、こういう記事が話題になってほしいな。

3.

ただし、私の提示した解決策は独創ではなく、私の周囲にいた方々が実際に行っていたこと。だから別に私の記事を読む必要なんかない。何か問題が起きたときに、まず自分の行動を改めることで解決できないだろうか、という視点を持ってくれたらいいはずなんです。

そうすれば、どうして**先生は「俺のとこにはコピペレポートなんて提出する学生はいないよ」といっているのだろう、どんな授業をしているのか、一度、講義を見学させてもらおう、という風に話が展開していくと思うんです。

質問しない新人だって同じ。新人の態度に愚痴をいわない、とくに不満もない、という人に話を聞いてみればいい。そうすれば、「自分が新人だった頃を振り返ってごらんよ。あなたは優秀で、臆せず質問できたかもしれないけど、遠くの席にいる先輩に質問するのって気が重いじゃない。新人てのはそういうものなんだから、こっちが新人のそばで仕事をしなきゃダメなんだよ」と教えてくれるんじゃないか。

その第一歩のところで、「いまどきの学生はバカ。そんなことしたら自分のためにならないのにコピペでレポートを作るんだから」とか「クソ人事が! こんなヤツを採用しやがって!」とかいいだすのが不幸の元。他人に「一人前」を要求するような発想をどうにかしないと、世の中よくならないと思う。

平成22年1月15日

1996年に書かれた21世紀の経済トレンド予測。「資源価格が高騰する」「環境が高価な資産になる」「大都市の価値が上がる」「大学進学率が下がる」「有名人経済になる」……これはアメリカの話だけれども、今のところ4つは概ね当たっていて(5大トレンドとして取り上げるのがふさわしいほどの変化かどうかは保留)、唯一、「大学進学率が下がる」だけが逆の傾向にある。

進学率が上がると、能力が同じでも低学歴はとても不利になる。だから進学率が上がる。ますます低学歴は不利になる。結果、コモディティ化した高等教育は事実上の義務教育となってしまう。……このサイクルは強い。従来は半年の職業訓練で現場に出られた技能職が、どんどん4年制大学を卒業して現場に出る職種へと変化しつつあるのだから、状況はもはや末期的だと思う。

経済学的な損得をいえば、早く就労できれば生涯所得が増えるし、学費も安い方がいいに決まってる。ところが、高等教育を本来は必要としない多くの職種が「大卒のみ採用」となると、プライドの問題が出てくるんだろうな。それで、職業訓練課程を充実させて4年制大学のカリキュラムにしてしまった方が、優秀な希望者を集めやすくなる。

私は進学率の青天井の上昇は「市場の失敗」によるものなので、政府の介入(=規制の導入)が検討されていいと思う。ただ、不景気で人余りの時期に若年労働者を増やす改革をすると、若年失業者が増えてしまう。また国民には不評の政策となるから、実現可能性はゼロかな。

教育費って医療費と似ていて、経済合理性が他のあれこれに負けちゃう分野なんだよね。医療費の場合、ほんのちょっとでも効果が改善された治療法や薬がある場合、人間の生命に極めて大きな価値があるものだから、「その性能差でこの価格差は不合理」という判断が、まず成立しない。あれもこれも保険適用にしろ、という国民の強大な圧力が政府に襲い掛かる。で、保険が大赤字になっていく。

保険が破綻したらみんな困るのに、国民は自重しない。進学率上昇による教育費の高騰にはそのような国家レベルの破綻が見えていないから、なおのことどうにもならないんだろうな。私は、進学率を劇的に下げて奨学金を充実する方がいいと思っているんだけど。

平成22年1月15日

今後民主党が「古い自民党」的体質を強めてバラマキ志向になり、改革(主に財政再建志向を指す)から逆行するような事態になれば、今度は自民党がバラマキ反対・財政再建路線を強く打ち出す(ついでに消費税増税を抱合せ販売する)ことにより大復活する可能性はいくらでもあると思う。

菅原琢『世論の曲解』の分析からすると、そういうことだと思う。ただまあ、自民党が信用されるかな、というあたりが怪しいけど、民主党政権がもっとひどければ消去法で。

ここで悩ましいのはリフレ含む景気対策は(こと選挙対策としては)有効な政策にならないだろうということ。麻生政権がこけたのは国民の真の願望である「財政再建」より「景気対策」を強調したからで、麻生個人の資質的問題は案外本質ではないのかもしれない。

小泉政権は、税収減でも予算をほぼ自然増させる(高齢化の進展で自動的に社会保障費が膨らむ)ことで、消極的ながら財政を緩和的にした(国債もずいぶんたくさん発行した)のだけれど、国民は「自然増を毎年2000億円分圧縮する」パフォーマンスで「財政再建に取り組んでいるな」と認識しました。世論の支持を保ちつつ財政支出をやっていく、うまい方法だと思う。

ただ、現代の日本にはマンデル・フレミングの法則が妥当すると考えれば、財政支出でデフレは脱出できません。個人的には、飯田泰之さんがVoice誌2010年2月号で語っているように、社会保障の充実は景気対策としてやることじゃないと思う。(景気が回復しても予算を削らないわけだし)

好景気を支えるために必要な物価政策は、財政ではなく金融の担当。しかし日銀は動かない(再来年までデフレの持続を予測するという無責任ぶりである)わけだから、政府が金融政策をするしかない。

ここで重要なのは国民にとってどの政党が(誰が)政権を担当するかというより、(意外かも知れないが)政策の中身が基準になっているらしいこと。とにかく「国の借金」が最大の問題であり、これをきれいさっぱり解消してくれる者に託したいというのが国民マジョリティのホンネだと思う。ただしインフレにして蒸発させようなんていう「呪術」は認めませんよ、というところだろうなあ(リフレ実現への巨大な障壁。)。

引用部の最終文はよくわからない。国債が「蒸発」するようなインフレになったら経済の大混乱は避けられない。インフレそれ自体で国債残高の対GDP比を減らそうというのはリフレ政策反対派に目立つ誤解で、インフレになったら金利も上がるから意味がない、と言及するのが定番。

リフレ派の主張は、「+1〜3%程度の緩やかな物価上昇率は景気拡大に有利な条件なので、物価の下落を止めて好景気を招来する→法人税・所得税の自然増収により国債残高の伸びをGDPの伸びより低くすることで、国債残高の対GDP比を抑制する」というものだと私は理解しています。

結局、私の意見は昨年と変わらない。政府貨幣で国債残高を減らすべし。日銀に国債償還用の口座を作って1兆円玉をたくさん預け入れ、物価を注視しながら償還期限の来た国債をどんどん償還していく(借款債を発行しない)。物価上昇率が+1%を安定して超えるまで、延々と国債の償還を続け、+3%に迫ったら終了する。

突然、貨幣の流通速度が急激に上がって大インフレになる、という可能性はゼロではないけれど、リスクのない政策はない。デフレを放置するよりはいい。それに国債残高が減れば、国民の将来不安が小さくなり、消費が増えて好景気になると思う。

補記

事業仕分けでほとんどお金が出てこなかったから、国債発行44兆円と92兆円の予算、37兆円の税収見込みは整合しない。政府貨幣の活用という議論が出るか? と期待したんだけど、野党時代に一蹴したように、選択肢にもならなかった。税収不足分は特別会計の剰余金を取り崩すそう。

余談

正月の産経新聞で、主要企業106社へのアンケートで、鳩山政権に期待する「景気対策」として最も支持を集めたのが「成長性の高い産業の育成」だった。歴史に学べば成功例の乏しさは明らかなのに、テレビの街頭インタビューでも「成長戦略」とやらを求める人が多い。なんでだろう。とはいうものの。

環境問題に政府がお金を出す件については、単純に産業政策批判で論破することは難しいと思う。環境対策には外部経済性があるのに、市場価格にはうまく反映されない。だから政府が支援する、という理屈がありますから。

平成22年1月14日

1.

リンク先とはあまり関係ないことを書きます。

自分ひとりでは完結しないテーマについて考えているのに、他者の価値観について想像力を働かせること主張すると、「不純」と捉える人がいる。どうしてこんな、社会の幸福の総量を減らすような考え方が広まってしまっているのだろう。同様に、社会に有益とは思えないのに広まってしまっている観念は多々あります。

2.

昔、個別指導塾でアルバイトを始めて間もない頃のこと。新しい塾長がやってきて「これまで、この教室は結果が出ていない。補習塾こそ、点数の取れるような授業をしなければなりません」といって具体的な授業の進め方をガラッと変えたら、講師陣から一斉に反発が起きました。「点数より大事なことがある」と。

塾長は首を傾げて「じゃあその大事なことって何ですか?」と問う。

「今の授業方法で生徒が勉強に興味を持って取り組んでくれています。目先の点数より、興味関心、本質的な理解が大切だと思います」とアルバイト講師。

塾長、応えていわく「みなさんの生徒さんは、宿題をちゃんとやってきますか? 部活が忙しかったとかいって、あまりやってこないでしょう。できの悪い子ほど、そのような傾向があるのです。そしてみなさんは、生徒が宿題をやってきたかどうか、きちんとチェックしていますか。そして成績の推移との相関を調べていますか。私は、調べました。次回、資料を配りますが、宿題の実行率と成績には相関があります。注意してください。全員が、とはいっていません。例外は少なくありません。しかし、講師のみなさんが、自分でその見極めができるとは、考えないでほしい。私が以前に指導した教室では、宿題のチェックをきちんとするようになってから、対象生徒の成績が上がり、また、教室で受講している科目を「好き」と回答した割合が増えました。生徒本人に訊ねると、宿題なんて忙しいから無理、といわれることが多いのです。しかし結果は、事前のアンケートの結果を遥かに超える8割弱の生徒が80%以上の割合で、宿題をやってくるようになったのです」。

残念ながら、私は資料をもう持っていない。ただ、教室の生徒たちの成績が、新塾長の指導であっという間に上がり、近隣教室で一番の上昇率を記録したのは事実です。「今までの努力」を否定されて不満たらたらだった講師陣も、1学期の中間テスト後には、もう文句をいいませんでした。

「テストでいい点なんか取ったって……」という言葉を浴びるように耳にして育ってきたせいかどうか、学生中心のアルバイト講師陣は「点数稼ぎ」を蔑んでいたんですね。ところが、それは色眼鏡で世界を見ていたのであって、実際には、まず成績を上げなければ興味・関心も育ってこなかった。ずっと20点、30点しか取れなかった子が40点や50点を取ると、すごく喜んで、宿題などもきちんとやってくるようになるのです。

もちろん、本番で実力を発揮できなかった子もいます。だけど、ふだんから教室で小テストなどを積み重ねているから、バーチャルな自己像との比較ではなく、リアルな実力と比較になる。口先の言い訳は通用しなくなるわけです。逆に自信にも裏付けができるし、運で取れた高得点も正確に自覚するようになりました。

こうして結果が出てから振り返ると、講師陣の抵抗って何だったんだろう、と思うんですよね。詳細を詰めていくと途端にボロが出るようなレベルの「信念」を奉じて、生徒の笑顔を奪い、好成績への道を閉ざし、上辺では好かれていても本当には信頼されない講師になっていた。新塾長就任前、解約率の高さが教室の課題になっていたんです。それが如実に改善された……。

3.

いま私は経済に関心があるので、「よいデフレ論」をはじめ、社会を不幸に導く信念について、よく考えます。とある個別指導塾の一教室では塾長が蛮勇をふるって成功したわけですけど、国の経済政策となると、そういうわけにもいかない。こういうの、ホントどうにかできないものですかね。

平成22年1月13日

中米のハイチ共和国という国で地震が起きたのだそうだ。数万人が亡くなったのだという。

さて、どうしようかな。まず、ボランティアで現地へ行って支援するということは考えていない。じゃあ、お金か。うーん、1万円、とか? 使途未定の預貯金は500万円以上あるんだよね。なんで1万円なのか、と考えてしまうな。まあそれでも、1万円は1万円なりに役立つのだろう。

だいたいこういうとき、振込先はユニセフか赤十字と決めてます。金額はフィーリング。でも最高で3万円くらいかな。貯金額がどうあれ、「今月の収支」が赤字になるような災害支援はしたことがない。どうしてだろうな。わからないんだよな……。

追記

よくわからないのだけれど、誰かがハイチへ行くとして、どういう人がハイチへ行くのだろう。善意のボランティア、かな。実費は政府が出すとしても、給料は出ないんじゃないかな。それとも、出るのかな。お医者さんとか、ボランティアみたいなものだとか聞いたことあるんだけど、本当なのかな。いや、調べればいいんだけどさ、気が重いんだよね。

何なのかというと、もし自分がまじめにお勉強して医者になったとしてだよ、行くかな、ハイチへ。行かないと思うんだな。何でだろうな。そういうことを考えると、だんだん気分が悪くなってくる。

平成22年1月13日

これは私の考え方が変わってきたということなんだけれども。

「私はこう思う」と自分の立場を明らかにすれば、他の立場には与しないことを間接的に示すことになると思う。ただ、(全面的な)賛同はできないにせよ、たいていの意見の持ち主とは共存できるし、現実にも共存しているわけです。

気に入らない意見や考え方というのは、そりゃありますよ。ありますけど、何としても批判して叩き潰さねばならぬ、という風には思うことは少ない。少なくなったんですね。心境が変化した理由は、よくわかりません。もともと少数派を自認していましたが、あちこちにガッチンゴッチンしてみて、何かしら感じるものがあったのかな。

単純にはこれ、「うるさいこというなよ」なんだけど、「目障りだ、消えろ」という排除主義に共存の道を示して対抗する言葉だと私は認識しています。

気持ち悪いものを「気持ち悪い」と評するのはいい。けれども、その言葉に、実際にはそれ以上の含みがあることを、みな感じ取る。安直に「許せない」といわず、「許せる、だが私は意見を異にする」という領域を拡大していくことが、多様な価値観が共存する柔軟な社会への道だと思う。

平成22年1月12日

個人的には違和感ない結果だけれど、それってつまり、ネット流行語大賞の投票者層と見ている世界の偏り方が近いということなんでしょうね。あ、ちなみにケータイ流行語大賞の方はサッパリわかりません。

それにしても、大賞は「※ただしイケメンに限る」か……。2chの利用者とかは(私のように2chのスレまとめサイトをよく見る人を含め)、相変わらず男性が多いということなんでしょうね。

絶望ってのは、いろいろ都合がいいんだよね。私はどっちの言葉も使ったことがないけれども、まあたしかに、「ただイケの方がジョークとして成立しやすいよな」とは思う。

こちらはBIGLOBEユーザの選んだ流行語。20代でも「トゥース!」が2位に入ってる。うちの会社では流行ってないけど。やっぱりおじさんたちが使ってくれないとな……と思ったら、50台でも5位か。わからんな。「政権交代」や「新型インフルエンザ」、「草食系」は世間話にもよく出てきたけど、「トゥース!」ね……。

平成22年1月11日

虫っ 町の昆虫ものがたり

虫っ 町の昆虫ものがたり』はニンテンドーDS向けのRPGなんですが、あまり売れなかったらしくて、一般ユーザーによる長文の紹介記事がない。意外と世の中そんなものらしいんですけど、まあ私が書かなきゃ、もう他に誰も書かないんだろうと思って、備忘録代わりにあれこれ書きました。面白いかどうかはわかりませんが、興味のある方はどうぞ。

平成22年1月10日

1月28日に『ドラゴンクエストVI』がDS向けにリメイクされるそうで、以前もちょっと紹介した実況プレイヤーのしんすけさんが原作のSFC版に少し手を入れたバージョンの実況プレイをニコニコ動画に投稿中。これが面白くて、更新を楽しみにしてます。

しんすけさんたちの実況プレイ動画は、「ゲームの面白さはプレイヤー側が半分以上を受け持っていると思う」という私の持論を裏付けてくれるもので、とても好きです。

ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』は上の動画ではすごく面白いゲームに見えますし、小学生の頃、実家で弟や父と遊んだときは非常に楽しかったです。でも、ガキ大将の誕生会に招かれたときには、少しも面白くなかったんですよね。ガキ大将が「れいほうチーム」を独占して、リアル暴力でライバルを威圧するんだもの、楽しいわけがない。

まあガキ大将はともかく、本当によっぽどしょうもないゲームというのもあるんでしょう。けれども、しんすけさんの今回のDQ6実況の縛り条件を見ると、実際にこんなゲームがあったら「クソゲー」だろう、と。それが心がけひとつで(?)こんなに楽しめるわけだから、ゲームというのは興味深い娯楽だと思う。

ドラゴンクエストVI 幻の大地

追記

くにおくんの超熱血! 大運動会 特典 熱血高校オリジナルサウンドトラック付き

うわ、『熱血行進曲』のDSリメイク『くにおくんの超熱血! 大運動会』って本当に発売されるのか! 2月4日って、もうすぐだね。ずっと音沙汰なかったから、開発が頓挫したのかと……。DS向けに3Dになったりして、いろいろ変わっていますね。賛否両論あるでしょうが、原作ファン向けに先にバーチャルコンソールへ移植しているわけだから、リメイク版が冒険するのは大歓迎。

DQ6動画

平成22年1月9日

昨年、私は627冊(趣味の読書限定)を読了したみたいです。

私にはとくにお勧めしたい本はありませんが、「こういう種類の本」を読む人が増えたらいいな、という思いはあります。そこで、昨年に読んだ本から何冊かずつテーマ別にまとめてご紹介します。

1.役に立つ本

クビにならない日本語 成果を出さずに平和に暮らす! 究極のコミュニケーション・テクニック

いいことが書いてあっても、読む気になれなきゃ意味がない。納得できなきゃ手が出ない。(ダメな自分でもせめて1割程度は)実践できなきゃ役立たない。ココロ社さんの『クビにならない日本語』は、左記の基準を全てクリアした、2009年唯一の本。

2.世間に冷たくされた人々の言葉

シンプル・リーダー論―命を懸けたV達成への647日 (文春文庫)

北京オリンピックの野球で日本代表を率い、残念な結果に終った星野仙一さん。その星野さんが阪神タイガースを優勝に導いた思い出を語る本書『シンプル・リーダー論』に、試合中の采配の話は皆無に近い。星野さんの思考は、数年単位での選手の育成とチーム作りに集中しているのです。なるほど星野さんはカッとなりやすい性格なのかもしれない。けれども、そうした気性から、星野さんの監督・指導者としての資質を語るのは全くの間違いなのではないか。

独白―ストロング・スピリット

弱い横綱、兄弟対決に貴乃花の温情で勝ったといわれた第66代横綱若乃花こと花田勝さん。弟にして天才の光司さんとともに生き、一緒に周囲の注目を浴びつつも、自分をきちんと見てくれる人の少なかった勝さん。三役力士を多数擁した黄金期の二子山部屋に所属した利得はあれど、横綱の座に到達したのは花田兄弟のみ。

勝さんが、自らの強さの理由を仔細に分析し、必要な鍛錬を怠らなかったこと、そして引退まで秘密を守りきった致命的弱点までを明かしたのが本書『独白』です。若乃花を「弱かった」と評するのはいい。しかし本書の主張を検討せず、大雑把な印象や、単純集計の通算成績をもとに語られる言葉は、信頼に値しない。

赤い夕陽のあとに

土地バブルを崩壊させ「平成の鬼平」とマスメディアに賞賛されたのも束の間、金融政策の失敗で日本経済を奈落の底に突き落とした戦犯として糾弾されるに至った第26代日本銀行総裁の三重野康さん。満州の大地を駆け巡った少年が、友に別れを告げて旧制一高(現:東京大学)へ進学、陸軍野戦砲兵学校を経て、焼け野原からの復活を期し日本銀行で奮闘した人生を振り返るのが本書『赤い夕陽のあとに』です。

「利上げは土地バブル潰しではない」と何度説明しても誰も聞いてくれない。その後の利下げも同じ。特定の事象を見て判断しているのではないといっているのに、経済学者までもが当人の説明を全く無視した説明を付ける。通貨の番人としての強い自負を持ち、国民生活を守ることだけを一心に悩み抜いて孤独な判断を重ねてきた三重野さんの姿が浮かぶ。巻末には総裁当時の会見録が収められており、本文の記述とよく一致します。

私は、三重野さんは金融政策を大いに誤ったと認識しています。けれども、その動機をまことしやかに説明する言説は、間違っていると思う。三重野さんは科学的な金融政策を目指していましたが、現代の経済学はいまだデータから自動的に正しい政策を導きうる水準に達しておらず、最後は説明不能の(実際、会見でも全く説明できていない)総合判断を下さざるをえませんでした。結果、ただ、誤ったのです。

会いたかった―代理母出産という選択

「高田の優秀な遺伝子を残したい」発言を捉えて遺伝子主義者と決め付けられ、子宮頸癌と代理母出産の話題が出るたび若い頃の過ちを責められ続けた向井亜紀さん。人を決め付ける前に、まずは本人の言葉をきちんと読むべきだと思う。向井さんには何冊も著書があるけれども、お子さんの誕生というハッピーな話題で終る本書『会いたかった』が読後感に優れます。

CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ (NT2X)

マスゴミ、利権の亡者、時代遅れ、言いたい放題にいわれている、コンテンツ制作の当事者たちへのインタビュー集『CONTENT'S FUTURE』。みんな生きるために必死に戦っている。消費者が消費者の立場から意見をいうのは当たり前のことですが、人には人の事情があります。思い付きの提案だって無意味ではないと思う。しかし相手の主張をよく聞こうともせずに罵るのはよくない。相手の言葉を受け止めて咀嚼し、歩み寄れる場所を探る姿勢がほしい。

自由と繁栄の弧 (幻冬舎文庫)

先の内閣総理大臣、麻生太郎さん。麻生さんが外務大臣時代に行った講演と、あちこちに寄稿した文章の集成が『自由と繁栄の弧』です。

3.事実を見つめる

新潮選書 日本はなぜ貧しい人が多いのか 「意外な事実」の経済学 金融危機の経済学

世界金融危機や日本の長期停滞の原因は「悪い人」のせいなのだろうか?

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書) 教育改革の幻想 (ちくま新書)

戦後、日本の教育はダメになった(から改革しなければならない)のだろうか?

世界食料農業白書 (2006年版) 世界食料農業白書〈2004‐05年版〉2003‐04年報告 世界食料農業白書〈2003年版〉2002年報告―特集:地球サミット10年後の農業と地球規模の公共財

一時期の食料価格の高騰は、発展途上国の人々の生活を破壊したのだろうか?

世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか (光文社新書)

自民党の敗北は小泉構造改革路線が国民の支持を失ったためなのだろうか?

オマケ:

予想された悲劇は、全て現実となる。わかりあいたい相手に、心は届かない。それでも、私(たち)は生きたいと願う。

びりのきもち おこだでませんように しっぱいにかんぱい!

獣の奏者〈1〉 (講談社青い鳥文庫) 獣の奏者(2) (講談社青い鳥文庫) 獣の奏者(3) (講談社青い鳥文庫) 獣の奏者(4) (講談社青い鳥文庫)

獣の奏者 (3)探求編 獣の奏者 (4)完結編

以上24冊。ま、本を読んでも、とくにいいことはないですよ。それは、生きてても、とくにいいことがないのと同じです。読みたい本があれば、読めばいいと思います。

平成22年1月8日

1月30日開催と決まったようですね。前回の記念会から、もう3年経ったんですね。中学、高校なら入学して卒業するまでの年月……。毎日食事をしなければお腹がすくというのに、どうして時間感覚は加速していくのだろう。

うわ、ビックリ!

平成22年1月7日

1.

キヤノンマーケティングジャパン株式会社が2011年4月入社の新卒採用活動を一時休止し、今期の業績を見極めたうえで4月以降に採用方針を提示することを広報したところ、とりあえずはてブでは話題になりました。キヤノン株式会社とは比較にならないものの、単独で5,700人超の従業員を抱える堂々たる大企業だけに、インパクトがあったのでしょうね。

2.

世間の興味は優秀な学生の行方に焦点を当てているようですが、私の勤務先のような会社の場合、以前から大学4年の夏以降が採用本番でした。その理由は、大学3年生を採用しても、優秀な学生ほど逃げてしまうのですよ。だから、人気企業の採用活動が終るのを待たねばならなかったのです。

ネットでも新聞報道でも、何十社も受けて落ちまくって……という人がよく出てきます。説明会への参加や、履歴書の送付を「受けた」内に入れるならともかく、10社以上のペーパー試験や面接に臨む人は意外と少ない。田中秀臣『偏差値40から良い会社に入る方法』は、悩むことに時間を費やして、やるべきことをあまりやらない学生の実態を見つめた好著。当人の実感ほどには、就活は学生の時間を(少なくとも)物理的に奪ってはいない。

ともかく、青田買いが成立するのは人気企業だけで、まあ大半の学生は、そんな企業を志望しても時間の無駄。直感的にそのあたりを理解すればこそ、就活のエンジンはなかなか全開にならない。主観的には、大学3年の秋からずっと就活が精神的重圧になって「ものすごく苦労した」のでしょうが、「実際にどこかの面接を受けたのはいつ?」という質問に、2月と答えるのは早い方。4月あたりが多数派でした。(2002年3月卒)

就職活動の間延びは、学生があまり高望みをしなければ、それなりに合理的ではないかと思う。私の場合、7月に入ってから面接に落ちなくなりました。偶然かもしれませんが、そのあたりで「まだ/ちょうどその時期に採用活動をしている企業」が求める水準と私の能力が交差した、という要素も少しはありそう。

3.

新卒偏重に反対する人が、新卒偏重の企業に入りたがるのは、個人的にはもやもやします。個人で組織の文化を変えるのは、きわめて難しい。新卒を偏重する企業には、必ずそれを支える企業文化が背景にあります。自分の気に入らないことをやっている企業に入っても、明るい未来は描けないんじゃないか。

新卒偏重を「嫌だな」と思う人は、最初から中途採用メインの会社を志望した方がいいのではないか。青田買い云々だってそうですよ。大学3年生を就活に駆り立てるような企業は許せない、という人が、どうしてそういう企業に入りたがるのか。

就職希望者からそっぽを向かれるなら、企業だって学生の青田買いなんかしようとはしないよ。

あるいはね、ムカつく企業に入った後で、何か状況を変えるための活動を本気でやってる人が、どれだけいるというのだろう。エスパーじゃあるまいし、心の中で何を思っていたって、それだけで組織が変わるもんか。

権限がないとか、上司に睨まれるとかいうのかもしれないが、人気企業にとって青田買いは合理的なんですよ。それに対して「その合理には外部不経済がある」といいたいわけでしょう。だったら自分の給料には不正な利益の嵩上げの分配が含まれているわけで、一社員といえども完全に責任を免れはしないんじゃないの。

人気企業に「青田買いをやめろ」というのは、優秀な人材が他社に流れるのを我慢しろというに等しい。会社の利益を減らせという要求です。自分の給料が減ることを恐れて何もいえないような人がネットで呟く批判なんか、力を持たないと思う。

平成22年1月6日

いま(スクリプトをOFFにする設定が見当たらない)Google Chromeでこのブログを閲覧すると、デフォルトでは「plant」という製作者CSSが適用されます(製作者スタイルを外すことも可能)。「plant」は、「aamall.jp」にデザイン画を発注し、画像の切り出しとCSS製作は自分で行う、という手順で2005年12月に作ったものです。

aamall.jpは小企業や個人のブログ向けにオリジナルのデザインを製作するサービスです。一時期は20人を超えるデザイナーさんが登録されていました。私は発足直後のaamallに興味を持ち、書画が得意だというデザイナーさんに発注しました。注文の内容は以下の通り。

デザインの参考にして欲しいお客様のお気に入りのブログやWEBサイト:
デザインテーマ:
「HTMLに手を加えない=CSSだけでデザイン」という条件でお願いしたいのですが、よろしいでしょうか? 余白と写真またはイラストを大胆に使った、美しくシンプルなデザインを希望します。写真とイラストの方向性ですが、「自然」または「書」をモチーフにしていただければ幸いです。

ところが、「Joshuainkみたいにしてほしい」という私の要望に無理があったらしく、デザイナーさんが降板。aamallデザイナーチームが仕事を引き継ぎました。CSSの納品は困難とのことで、成果物を完成図一枚に変更。それでもなお作業は難航し、半月余りも悪戦苦闘が続きました。

「plant」と「Joshuaink」

本来は発注から1週間以内に納品(実働3日)の予定が、約1ヶ月の長丁場に。大赤字もいいところだったろうな。ともあれ、自分では製作不可能な水準の絵が納品されたので、注文者としては満足しました。その後、一枚絵からの素材の切り出しとCSSの製作には、半日かかったと思います。

久しぶりに見てみたら、すごいことになってました。ブログデザインの基本料金が250,000円だという。フルタイムではないにせよ、半月以上も拘束されてしまうケースがあるとすれば、当然そういう価格になりますよね……。

サービス開始から4年余り。残念ながらaamall.jpは大成功しなかったようですが、細々とでも営利事業として継続できているのは、すごいことだと思う。

補記:

プロの仕事だって、最初は試行錯誤と七転八倒の苦しみがあるもの。この記事の趣旨は「草創期のaamall.jpは意想外の事態から逃げず、私の小さな案件に大赤字を厭わず全力で取り組んでくれた」ということです。

平成22年1月5日

世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか (光文社新書)

昨年末にも紹介しましたが、「構造改革」は多数派世論に支持され続けている、という本書の世論調査分析には相当な説得力があります。半ば常識として流布している政論とは異なる意見なので、違和感のある人が多いかもしれない。しかし、本書刊行後の各種世論調査は、本書の見立ての正しさを傍証していると思う。

民主党は現在、国民新党、社民党と連立を組んでいます。約4ヶ月の推移を見るに、鳩山政権の支持率低下を招いているのは、主に国民新党。重要政策のキーマンに元官僚を起用し、景気対策のため大規模な財政出動を求める亀井代表(郵政民営化・金融担当大臣)は、多数派世論と対立する存在。民主党は2010年の参院選に勝ちたい。亀井さんのゴリ押しをアピールして、連立解消を期待する票を集める作戦かもしれない。

しかし予算拡大の最終決断を繰り返しているのは鳩山総理なのだから、連立政権が続く限り、民主党のイメージ低下は免れません。ここに自民党復活の余地がありそうです。つまりは自民党新理念・綱領(2005-11-22)に示された考え方・基本政策へ立ち返り、その徹底を図るのが支持率回復への道です。ところが、谷垣総裁は新しい理念・綱領を制定するという。

……事業仕分けに反対したり、公共事業の意義を強調したり、その発言内容の妥当性はともかく、谷垣自民党は政権奪回を本気で目指しているのかどうか。民主党への批判票を集めれば勝てる、というのは万年野党の発想でしょう。日本では多数派世論の求める政策に多くの選択肢はないので、国民の期待する政策の実現可能性が高いという印象を勝ち得た政党が、選挙に勝つ。

まだ政権を失ったばかりだし、麻生内閣の財政出動の後だからいいにくいことだろうけれども、「自民党ならもっと厳しく予算を縮減できた」「官僚出身者の跋扈は許せない」「国の公共事業は減らす(地方に税源を委譲し、地方の責任で立案・実施する公共事業を増やす)」などと主張した方がマシなんじゃないか。

民主党は「マニフェスト選挙」で大勝したはずなのに、多くの注目を浴びた政策には人気がない。新聞の政治面ではミステリー扱いされているけれども、そもそも前提が間違っているわけです。

平成22年1月4日

DSi LLを買った

ニンテンドーDSi LL ワインレッド

いまDSi LLは白、黒、赤の三色があるのだけれども、上面がツヤありなので、黒だと指紋が目立つ。白は汚れやすい。消去法で渋い赤。……といってもこのDSi LLはプレゼント用。昨年7月に母に贈ったDSiを引き取る代わりにあげるものです。

DSi LLで遊んで面白かったゲーム

父は祖父の看病のために家を離れていましたが、正月ということで、実家には母と弟と私が集まっていました。それで、いろいろなゲームで遊んでみたんですけれども、結局は……一人がゲームをしているのをみんなで見て、ワイワイガヤガヤいいあうのが一番楽しかったです。

以下、盛り上がったゲームソフトをいくつか。

レイトン教授と魔神の笛

レイトン教授と魔神の笛 特典 レイトン教授ひらめきコインチャーム付き

知能クイズに物語を組み合わせた作品。物語本編、なぞなぞ、迷路あたりは今ひとつ盛り上がらない。意外と熱く燃えるのが、「ひらめきコイン」探し。

一部例外はあるようだけれども、基本的には各画面に3枚隠されているので、2枚見つかってから3枚目を探すのが盛り上がる。「そこの木の枝は?」「もう探したよ」「いや、もう一回!」「だから探したって!」「もう一回!!」意外と見つかるんだな、これが。「おぉ〜」ま、バカらしいけど、こういうのが楽しい。

あとはパズルかな。一定の手順で何らかの操作をしないとクリアできないタイプの問題。ナゾ150「カエルの恋路」はとくに傑作で、「次はぼくがやってみる!」失敗。「もう〜、だからそれじゃダメだっていったじゃない」「じゃあやってみてよ」失敗。「ほらねぇ」「ちょっと貸してみてよ」「ん? 何か気付いた?」失敗。一人でやっているとイライラするだけかもしれないんですけど、家族でやってると、ふと「このままナゾが解けなくてもいいんじゃないか」なんて、ね。「解けたぁぁあああああ!!!」弟が解きました。

前段で紹介した「カエルの恋路」もそうなんですけど、「隠された謎」は大体どれも盛り上がりやすい。計算用紙なんかを用意しておくといいんじゃないかな。その他、電車のミニゲームもかなりいいね。「それじゃダメでしょー」「いいのっ」「いいんじゃない?」失敗。まあ後半になると難しすぎる感もあるのだけれど。

空気読み。DS

「無難な行動」を選択していくゲーム。DSiウェア(500ポイント)です。ちょっと説明が難しいので、とりあえずプレイ動画をご紹介。

時間がたっぷりあるなら、全100問を黙々と進めていくのもいいけど、まずは「サクッと空気読み。」で10問やるのがいいと思う。8問くらいは「うんうん、そうだね」という感じで順調に進むのだけれども、1〜2問、誰かから「えっ!?」と声が出る。「えっ!?」「いや、それって……」以下、唐突に激論が始まったり、何事もなかったかのようにお互い画面に集中したり。

基本的に、ワイワイやるような感じではなくて、イヤな注目を浴びながらプレイする緊張感みたいなものを楽しめるのがいいところ。ま、家族といえど行動にはかなりの差異があることがよくわかって、いいゲームですよ、これは。

ひらめき◇絵結び

タッチパネルにペンで線をたくさんひいていくパズルゲーム。DSiウェア(200ポイント)です。

パズルの一例

どんなのか私にはうまく説明できないので、とりあえずウェブブラウザ+マウスでプレイできる体験版をやってみてください。

このゲームのいいところは、ひとつひとつのパズルに長い時間をかけてじっくり取り組めることです。もちろん、短時間で解かないと金の冠はもらえない。金の冠を揃えないと、上位のクラスには進めないようになっています。でも、最初はとにかくじっくり楽しめるのがいいところ。

テトリスなどのように、プレイヤーが時間に追いまくられるゲームの場合、周囲がゴチャゴチャいうとプレイヤーが怒り出すでしょう。その点、このゲームではそのようなことがない。何度も線を引いたり消したり試行錯誤できるので、ワイガヤ可能。

「ね、上のほうを通してみたらどう?」
「こう?」
「そうそう。で、次はこっちを……」
「おぉうい、ダメじゃん。さっきのアドバイス、まるっきりただの思いつきじゃん!」
「悪い悪い。じゃあ今度はこっちを……」
「この線はこっちに通せるんじゃないか」
「いや、それは無理でしょ。このブロックが孤立しちゃう」
「そんなことないって。裏側から線を出して、右上を経由していけば……?」
「あー、なるほど」
「でもそれで速くなりそう?」
「じゃあ再挑戦してみようよ」

難問をみんなで解いて、さあタイムトライアルに挑戦だ! ……となるのだけど、これが意外と難しい。

「だーかーらー、それは途中で挑戦してダメだったやり方でしょ」
「忘れちゃったの?」
「うるさいなー、勘違いだよ、勘違い!」
「ああっ! もう金のタイムリミットまで時間がない!」
「焦らせるなー!」

答えがわかっているクイズなんてつまんないでしょ、というのは素人の意見。正直なところ、先が見えない正解ルート探しより、タイムトライアルの方が焦点がクリアになって面白かったりします。めちゃくちゃ狭い隙間に神業で線を通すとか、見てる方もハラハラドキドキ。一粒で二度おいしいゲームです。

で、だんだんみんな慣れてくるから。意外と、「難問」が1回目でいきなり金の冠を取れちゃったりすることもあるわけ。するともう「すごい!」「すごい!」って、これは嬉しいね。

全年齢対応のゲームを目指して

DSi LL ワインレッドをクラブニンテンドーにポイント登録した際、任天堂から提示されたアンケートに回答した内容を抜粋してご紹介。

購入理由:

2009年、私は両親に、2台のDSiと一緒に7月に『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』を、そして12月には『レイトン教授と魔神の笛』をプレゼントしました。

父は問題なく楽しめたようですが、老眼の進行した母は、「ふりがながあると、文字と重なってぼやけた感じに見える」というのです。

ゲーム自体は非常に気に入ってくれて、DQ9などは500時間以上もプレイしています。それだけに、しょっちゅう虫眼鏡で画面を拡大しないと字が読めないのは、たいへんな不都合だというのでした。ただ、虫眼鏡で問題が解決されるならば、最初から画面が大きければいいだろう、と私は思いました。

また母はいろんな体勢でゲームをするのですが、どうも画面が明るく見えないと見づらく感じるようで、しょっちゅう角度を調整していました。DSiLLの液晶画面は、この問題も同時に解決してくれそうです。

幸い、母の腕の筋力は落ちていませんし、老眼のせいもあって(頭と画面の距離をとるため)膝にDSiを載せてプレイするスタイルに慣れています。DSiLLの重さは、大きな不都合にはならないと考えました。

最後の一押しは、現物を見たことですね。ああ、これはいいな、と。

自由意見:

小学生をもターゲットにした作品で、漢字に「ふりがな」や「よみがな表示」がないのは考えられません。親戚の子にねだられて何本かゲームソフトを買いましたが、漢字が読めないという理由で私が遊ぶソフトになってしまったことが何度もあります。

ゲームを遊ぶために漢字の辞書をひいたりはしてくれません。強く指導すれば最初は従いますが、すぐ他のゲームへ移ってしまうのです。ポケモンの孤高の強さは「本格的なゲームで漢字が(ほぼ)ゼロ」を抜きに語れないと思います。ちなみに英語もダメです。

が、両親もDSで遊んでくれるようになって、「ふりがな」だけでは全年齢層には届かないのだと思い知りました。

新聞や文庫本が読者層の高齢化に従って文字を大きく、きれいに変化させたように、ゲームのインターフェースも文字を大きくきれいにしてほしい。

任天堂の次世代ゲーム機は画面解像度が高くなると予想します。その際、ゲーム製作のガイドラインとして、大きな文字サイズを強く打ち出していただきたい。家電量販店で『ファイナルファンタジーXIII』を見て、母は「これは無理だわ」と。あんな画面設計では40型HDテレビでも高齢者には手が出ません。

平成22年1月3日

ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)

新年早々、こんな本を読んでしまった……。はぁ……。あ、この本そのものはお勧めします。だから意気消沈しているわけで。

ダメな議論を見分けるチェックポイント
  1. 定義の誤解・失敗はないか
  2. 無内容または反証不可能な言説
  3. 難解な理論の不安定な結論
  4. 単純なデータ観察で否定されないか
  5. 比喩と例話に支えられた主張

他人のブログはともかく、この備忘録の記事にはダメな議論しかない。私は読者を説得したいのだけれど、みなさんは私の意図とは距離を置いて、「お話」として楽しむことに徹した方が安全でしょうね。

私は面倒くさがりなので、記事を書くのにいちいちデータを調べない。私は自分の考えにそれなりに自信を持っていればこそ、こうして記事を書いているのだけれど、根拠は乏しい。だから私の記事のほとんどは比喩と例話から説き起こされており、ようするに信頼できない。結果的に私の意見は正しいかもしれませんが、偶然、たまたま正しかっただけ。

ところで、『ダメな議論』の肝はたしかにチェックリストなんだけれども、個人的に感銘を受けたのは、人間が客観的な損得では説明しがたい「信じたいこと」を信じるメカニズムの解説。「自分に都合のよい話に飛びついているわけじゃない、「正しい」から信じているんだ」というときこそ、危ないんだな。

平成22年1月2日

ドラゴンクエストIX 星空の守り人

2009年7月、私はドラクエ休暇を取り、ついでに実家へ帰って両親に『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』をDSiとセットで贈りました。かつてファミコンを嫌った母が受け入れてくれるかどうかが心配でしたが、結果オーライ。両親の初めての「冒険」がはじまりました。

冒険初期の様子をまとめたレビュー記事は多くの方に読まれました。その後の展開を期待するご意見もいただきましたが、私は3日間でエンディングに到達して実家を離れてしまったので、その後の様子をリポートすることはできませんでした。

この正月、私は実家へ帰り、母とすれ違い通信してみました。父は、祖父が脳梗塞で倒れたため、看病のため千葉県を離れて故郷の愛知県へ行っていましたが、両親は12月にすれ違いをしていました。DQ9ではすれ違い通信をすると、お互いの戦歴が交換されます。母のDSカードに(DQ9を遊んでいない弟を除く)家族の戦歴が集まったので、この機会に後日談を兼ねてご紹介したいと思います。

両親の戦歴

母と父と私の戦歴

プレイ時間、500時間を突破

じつはドラクエ休暇以降、母は本編の展開に行き詰るたび、私に質問メールを出していました。「エンディングを見たよ!」というメールが届いたのは9月のことで、そのとき母のプレイ時間は90時間程度だったといいます。それがどうして正月には528時間にも達しているのかというと、自転車でコケて足を骨折してしまったんですね。もう暇で暇で仕方ない。で、どんどん宝の地図に潜り、プレイ時間が延びていったという。

マルチプレイ、約60時間

マルチプレイは60時間オーバー。初期には「お父さんの場所は空けておかなきゃダメ」といってお供を2人しか連れていなかった母ですが、じつは1週間くらいで3人目を作成したそうです。まあ、そんなものですよね。で、本編クリアまではよくマルチプレイをしていたのだけれども、その後は父と宝の地図のレベル競争になり、アトラスやSキラーマシーンとの対戦では父の協力を仰いだものの、その後は母の方に勢いがついていく。

マップで拾える錬金素材、全種99個

一方の父はというと、無茶苦茶プレイ時間が長い。その割に戦闘回数や宝の地図クリア回数が少ないんですね。一体、何をやっているのか? 母が笑いながら話してくれたことには、なんと父は世界各地で拾える錬金素材を全部99個にしていたんです。「えっ!?」私は驚きました。「でも、お父さんはそれが楽しくて仕方ないんだって」……なるほど、『おいでよ どうぶつの森』でも他人にはわからないこだわりを持ってプレイしている人、いるもんね。

DQ9は夫婦の会話のネタを大量に提供してくれたらしく、母が語る父に関する話は、9割方ドラクエのことでした。たいていのことは、母が本気を出せば父など相手にならない。ドラクエは「たいてい」の内だったようで、父の愚かなプレイが、母にはおかしくっておかしくってたまらなかったらしい。父の方はたぶん、いつものように、母が笑顔なら満足だったんじゃないかな。

それにしても父のプレイ時間はすごい。主人公に転生させたり、たくさん作成したお供のキャラを平等にレベル99まで育てたり、みんなに同じ装備品を作ってあげようと頑張ったり、世界中の全ての土地をマス目単位で踏破しようとしたり、あとは寝落ちしたり。残念ながら、父の努力は戦歴画面に表現されないタイプの目標に捧げられているのでした。

すれ違い通信、2回

両親のすれ違い通信は各2回。父と私は初期に1回、試しにすれ違い通信をしていたので、12月に両親がすれ違って合計2回。母は12月に父と、正月に私とすれ違い通信をして2回。千葉県成田市はすれ違い通信の不可能な街ではないと思いますけれども、父がすれ違い通信をしながら丸1日ふだん通りの生活をしても誰ともすれ違わなかったので、それっきり挑戦もしていないという。

ドラクエのある生活

特製の地図

母が作成した地図1

母が作成した地図2

母は、私が帰りがけに買ってプレゼントした『ドラゴンクエストIX 星空の守り人 大冒険プレイヤーズガイド』の折込地図を拡大コピーして、マップに落ちてる錬金素材と宝の地図の場所を、発見するたび書き込んでいきました。上の写真はその一部です。

私はこれを見て、背中に電撃が走るような感覚を覚えました。そう、ゲームって、こうやって没頭しちゃうくらい面白いものなんだよね……どうして、いつの間に、忘れてしまったんだろう、この情熱を。親って、ありがたいものだな。ただ生きているだけでも、多くのことを教えてくれる。

20年ほど前、私と弟も攻略本をボロボロになるまで読み込んで、あちこちに書き込みをしていました。でもゲームを恐れた母は、「1日30分」の制限をつけます。ドラクエは何とかクリアできたものの、『ファイナルファンタジーIII』のクリスタルタワーは兄弟でリレーしても踏破できず、悔しかったなぁ。1日だけでいいから許してほしい、と何度も頼みましたが、答えは「ダメ」。どうしてぼくたちの気持ちをわかってくれないのか……悲しくてたまらなかった。

びっしり情報が書き込まれた地図を見て、「ああ、やっぱりぼくたちの母さんだったんだ!」と、当たり前のことを思って、心が震えました。部屋に戻ると、なぜか涙があふれてきて、止まらなくなりました。

攻略本

ドラゴンクエストIX 星空の守り人 大冒険プレイヤーズガイド (Vジャンプブックス) ドラゴンクエストIX 星空の守り人 公式ガイドブック 上巻●世界編 (SE-MOOK) ドラゴンクエストIX 星空の守り人 公式ガイドブック 下巻●知識編 (SE-MOOK) ドラゴンクエストIX 星空の守り人 PLATINUM BIBLE 大いなる神々の書 (Vジャンプブックス)

まず7月に贈ったのがソフトと同時発売の『大冒険プレイヤーズガイド』。次に9月の父の誕生日に『公式ガイドブック 下巻』をAmazon経由でプレゼントしました。父はこの本をとても気に入ったそうで、祖父の看病のため愛知へ旅立つ際、母のためにもう1冊買って、家に置いていったという。

マーキングの様子

ちょっと開いてみると、あちこちに母のマーキングが。「あ、これはね……」と、いろいろ説明してくれました。

ドラゴンクエストIX 星空の守り人 4コマ劇場 (ガンガンコミックスアンソロジー)

攻略本じゃないけど、数年ぶりにドラクエ4コマの本が発売されたそうで。もう出ないのかと思っていたので、意外。でも以前の担当者がもういないのかどうか、かなり本の編集が変わってしまったとかで、ネットでは評判がいまひとつ。でもせっかくだから読んでみようかなあ……。

電話

正月には弟も帰省していて、母がDQ9を500時間以上もプレイしていることに衝撃を受けていました。「俺は1日30分って制限されていたんだから、毎日ファミコンをやっていたけど、500時間もプレイした作品はないんじゃないか? これだから大人ってのはズルイよなぁ」

息子たちから「で、そんなに遊んで飽きないの?」とスポイル攻撃を受ける母。「飽きないよー」といっていたけれど、だんだん不安になってきたみたいで、夕方、父に電話していた。「ね、そっちはもう2000時間に迫っているんでしょ? 病院でお義父さんのリハビリ中、暇だもんね。いくらなんでも、そんなにやって飽きない?」父の声は聞こえないが、予想通りの答えが返ってきたらしい。母が大笑いする。

「ねぇ、隆夫たちにも聞かせてやってよ。ほら、隆夫、お父さん」と受話器を渡される。「あー、お父さん? ドラクエ、2000時間近くもやって、飽きない?」「うん! 全然飽きない! 面白いよ!!!」あっはっは。父は偉大だな。こりゃ母が楽しくなるわけだよ。

ちなみに。翌日、母は私が持っていった(私の)クリアデータが入っている『レイトン教授と魔神の笛』に関心を移しました。本編は「ナゾを解くのが面倒くさい」といっていましたが、クリア後特典の「レイトン教授のロンドンライフ」は、とても気に入ったらしい。

父にはちょっとだけ悪いことをしたかな。

平成22年1月1日

1.

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

リーナスの毎日は、組織に所属する技術者たち以上に勤勉である。その生活は「好きなことをしてただ漠然と過ごす」とか「嫌なことをしないで安逸な時間を過ごす」という安易なイメージの対極にある。「面白くやりがいのあること」だからこそ、没頭して長時間その対象にコミットする。よって社会への貢献度も自然に大きくなる。そのことに自負を持つ。そういう生き方である。

梅田望夫さんは「上位10%」を自認する意識の高い層に向けて発信されているのだから、リーナス・トーバルズさんの生き方を規範として紹介するのは正しいと思う。

私は「下位90%」の一人として生きていきます。「好きなことをしてただ漠然と過ごす」「嫌なことをしないで安逸な時間を過ごす」……素晴らしいことじゃないですか。そんな幸せな時間を少しでも長くとれるよう、現在の天国のような環境を守り抜くための様々な「戦い」を継続します。それが2010年の基本方針です。

  1. 内なる自分の声との戦い。「お前、そんなんでいいのか」この追及がやむことはありません。私は何度でも「いいのだ!」と叫びます。敵は社会通念を笠に着て自分を大きく見せようとする。こちらには、「生者の実感」しかない。だから、きちんと食事をして、声量で勝つ。
  2. 生活防衛。低コストで満足感の高い生活スタイル、職場に隣接する充実した住環境は、春以降の勤務地においても、きちんと再構築する。栃木の平原の中での「車なし生活」にチャレンジします。
  3. 不況に抗う。私の経験に照らして、今の勤務先ほど、所属していて不快の種の少ない組織はない。しかも、無理のない仕事量で、十分な生活の糧を安定して得られるのです。この幸福の基盤を、万が一にも失いたくはない。短期的には本末転倒をも厭わず、仕事を守る努力は惜しまない。

2.

ブログは、適当に書き続けます。

ところで、このブログで過去にはてブで話題になった記事の少なからずが「家庭」をテーマにしたもの。私はただ、思い出話をしているだけです。でも、それだけのことが逆に、大人の視点が並ぶブロゴスフィアの中では特異な印象を与えるのかもしれませんね。

どの程度、更新が続くかはわかりませんが、2010年もよろしくお願い致します。