今朝のガッカリしたニュース。国難(それは世界レベルの経済危機でもあった)に断固対処して多くの人々を救ったヒーローも、「人気がない」という理由で更迭されてしまうのか。後任のポールソンさんも立派な方だとは思いますが……。
浜田宏一さんも岩田規久男さんもかつて、日銀の審議委員にならないかという打診に否定的な回答をされたそうな(「日銀はだれのものか」による)。個人の幸せを考えると、そうなってしまうのかな。しかしそれでは、ある種の使命感を強く持った人ばかりが審議委員を務めることになるのも致し方ないということにはなるまいか。「能力よりやる気」みたいな。
いま岩田さんらが執行部(総裁+副総裁)をガンガン批判するのは OK でも、タカ派の審議委員への批判はしづらい雰囲気はあるのかも。「そんなこというなら、あなたが審議委員をやればよかったのに」という心理的圧迫。中原伸之さんが、何だかんだいって執行部以外は強く批判しないのも、自分自身の歩みを顧みてのことかな、という感じはします。
ジョン・ウィリアムズ・スノー財務長官に不満を募らせていた6割のアメリカ人って、一体どれくらい素晴らしい結果なら満足できたのか。
ブログ問題のスレの者です。
VIP住民はまとめサイトでお金を儲けている通称”ブログ連合”を問題視しています。
貴方のサイトはそのブログ連合の一員と見なされています。
もし貴方のサイトがアフィリティー及びニャー速へのリンクを入れているのなら
それを外した上で以下の踏み絵のタグを入れることを要望します。
【踏み絵用タグ】
<a href="http://www13.atwiki.jp/vsblogger/pages/1.html"><img src=" http://vipblogbokumetu.up.seesaa.net/image/uporg400609.png"></a>
詳しくは下記のサイトを参照して下さい。
http://www13.atwiki.jp/vsblogger/
以上、ご検討願います。
気持ちはわからないでもないが(以下略)。
つまりVIPブログは有料コンテンツを無断転載してるわけですね。このこと知らない人が多いみたいなんでまあ一応。
とするとこの先、危ないのは makimo.to やみみずん検索あたりでしょうか。dat 落ちしても無料で読めちゃうし、広告も貼ってないわけじゃない。mimizun.com は嘘の管理者情報を登録してドメインを取得しているようなので、ご注進に及ぶ人が出ると簡単にドメインを剥奪されてしまいそう。
転載とかはしていないにせよ、2ch に寄生しているという意味ではスレッドタイトル検索や2ちゃんねる検索はどうなのか。まあ、怒る人がいなければ、何も起きないわけだけれど。
ネット世論というのはおかしくて、昔の Napstar が潰されたときは残念がる声が大きかったのに、Naver ブログが相手となると叩く声ばかり。相違点は多々ありますが、どっちも不特定多数を結びつけるウェブサービスという大雑把な括りでは共通していますよね。私が思うに、世論を誘導した決定的なポイントは、著作権被侵害者の主体がプロか素人か。ネットユーザは、自分たちがプロの作品をコピーする行為に甘く、素人の作品のコピーに厳しい。剽窃や盗作の批判ならともかく、転載だって(しばしば)許さない。
パブリックP2Pのような考え方を支持するなら、素人のコンテンツだって、コピーと無許可流通をある程度は認めなければ、矛盾するのではないでしょうか。あるいは、お金になる素晴らしいプロの作品こそ、ガッチリ保護されるべきであって、コピーされても、さらにコピーが公開されても実害の生じない素人の作品に過剰な権利を付与する必要はないのでは?
VIPPER 自身が何ら利益を受けないのだとしても、VIP ブログにあれほど大きな需要があったということは、VIP ブログには社会的にそれなりの存在意義があったのだと思う。私を含め、数万人の幸せに寄与していた。VIP ブログのモチベーション維持にアフィリエイトが有効だったとすれば、その是非は「VIPPER の不快感」と「社会的意義」の綱引きにより確定されるべきではないのかな。
以下、逆リンクなど。
データとして面白いのでお勧め。VIPブログの始祖であるニュー速VIPブログの通算PVが今となっては大したことないのは意外。それにしても、リンク切れが大量に発生したのは残念。ウェブログ図書館の保管庫サービスが広まると嬉しい。転載ではリンク切れには対処できませんが、それは仕方ないと思う。
「岐阜中2殺害事件 まとめ」など事件系2ch情報まとめで定評ある裕子さんが密かにショックを受けている模様。
ひろゆきさんも煽るとはちょっと驚き
昔の2chに良くあったログ消失時の
ログを復活させたりした功労者である
みみずんさんもリンクきるとはねー
うちは田代祭り頃の2ch(ニュース速報板、お祭り板)
に育てられたサイトだけども
その2chの人々がたとえ引用でもダメだ
こんなサイトいらないというのであれば
2chスレの紹介をやめるかもしれません。
「テキストサイト」ってもう死語なの?
まあ、それはわかってて、あえて書いているのかも、という気もしなくもないけど。
ホンマかいな、って話がいろいろ。
こういうの、広まるといいなあ、と思ってます。
「赤肩」の意味がようやくわかった。あと「」も長らく謎だったので、解説が嬉しい。これで気分スッキリ。
私は結局、まともに絵の勉強をしなかったんだよね……。
仕事用メモ。非常にありがたい無料データベース。
ども。
何だこれ、と思ったんだけど、長尾確さんって大学の先生なんですね。いまさら驚かないけど。
見る側の価値観の問題、という感じ。
なんか書くつもりだったけど、飽きちゃったな。
テレビ局って、何で自分たちに関する誤解をどんどん広めていくんだろうね。視聴者が「たぶんこんな感じだろう」と思っているものを見せることを優先してしまって、それでいいのかね。まあ、彼らは割り切ってやっているのだろうから、私が心配することじゃないけれど。
自分のところでさえこんな風なので、他の世界を無茶苦茶に描くのも当然か……。いちいちこっちも迷惑だとかいう気もないけれど。
全然本題と関係ないところ
http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060527/p1
昔のことを持ち出さなくたって今だって、コンビニのバイトは半分以上女性だよ。
おれはかなりコンビニに行く頻度が高いというか、頻度というよりもいろんなコンビニに行っている。たぶん回数では他人に負けても店舗数では負けないはずだ! そんなおれにいわせると、コンビニのバイトは8割以上は男性です。半分は外国人です。
単に時間帯の問題だろうと思った。昼間から夕方にかけては女性店員が過半というお店が多いと感じてます。一方、早朝と深夜は男性店員が多い。あと外人が半分というのはジョークか、ちょっと特殊な地域なんじゃないかな。私はその実例を知らない。
……データ出せ? 面倒くさいので印象論のみです!
揉め事を起こしてはいけない相手、というのがあって、yuki1976_2さん(そろそろ敬称略したいんだけど、なんて呼んだらいい?)とかはそれだと思う。
いいことを教えてもらった。私もこう見えて「触らぬ神に祟りなし」をある程度は実践していて、例えば異論があっても macska さんの主張には言及してこなかった。そもそも***というテーマ自体、避けてきたつもり。実際、備忘録の中で***という言葉は一度も使っていない。
「思想」は深入りを避けてきたテーマ。評論家の名前が飛び交うような空中戦は眺めるに留めてきた。私が繰り返し紹介し、その考え方を援用してきたのは岡田斗司夫さんだけだと思う。
岡田斗司夫さんのいいところは、最低限たった1冊だけ読んでいただければ足りるところ。基本的な主張が一貫しているのでありがたいです。
ところで yuki1976_2 さんってどんな人なんだろう、と思って初めて日記を読んでみたのだけれど、なんだか極端な人だな。ひとのことはいえないかもしれないが。
2ch の書き込みを利用して誰かが儲けるのは許せない、という人々が VIP 系まとめサイトを攻撃中、だそうな。私は VIP 板のスレッドを直接に見たことがほとんどない。面白いところだけまとめたサイトを見る方が効率がいいので。というか、まとめサイトさえ基本的には見てなくて、はてなブックマークや迎賓館裏口で紹介されたものしか読んでない。
あまり理解されていないことだけれども、マスコミ報道の過半は情報の集約・整理・取捨選択によるもの。ウェブでは何かというと「一次情報に当たれ」といわれるし、私もそう書いてはきたのだけれども、現実問題、そんなことは不可能だというところに中間情報産業の存在意義がある。新聞のスクラップをまとめただけの雑誌とか、専門分野の世界にはたくさんあること、ご存知でしょうか? 興味・関心のある分野の特許公報を毎月まとめてオフィスへ配送するサービスなんてのもある。古い新聞記事くらい、図書館へ行けばタダで閲覧できますよね。特許公報なんてウェブで無料検索さえできる。
新聞のスクラップをまとめた雑誌は新聞社に著作権料を支払っているでしょうが、その新聞社が**研究所が無料で公開した**調査報告を記事にする際、お金を払うか? 当然、払いません。でもその新聞記事は有料で売られる。おかしい、と思います? 調査報告から面白そうな部分を抜き出して紹介する手間暇に対価を払ってもいいと私は考えますが、怒る人は怒るのかな。
ここでは、日本の個人サイトとしてトップクラスのところでもアフィリエイト収入は月30万円程度ではないかと結論付けているのだけれども、その数字を2倍にしても3倍にしても、ウェブって本当に儲からない世界だな、と思う。紙媒体で1日10万部以上出るなら小新聞社として胸を張れる数字で、ビルだって建つのに。
id:rhizome さんのコメント:のまネコの頃からっつーよりノリで全共闘に参加してた頃からワカモノは全然変わってないってことですよ
にけっこう同感。ま、当時もノンポリが真の多数派だったのだし。
それにしても、転載に怒っているサイトだけに、転載条件が厳しい。でも管理人が原本の書き込みをした人から転載の許可を得ているかというと……? ここでも明文化されたルールではなく多数派の空気が世界を動かしているわけです。
ところで、whois 情報はドメイン管理者に連絡を取ってネットワーク上の問題を解決するためのもの。検索エンジンに引っかかるような場所に情報を転載して、大勢が無目的に参照できるようにするのはおかしい。……と小倉秀夫さんが説明してもみな聞く耳を持たないようなので、落合洋司さんら他の弁護士の方も折を見て啓蒙活動をしていただけないかなあ。
もうひとつ、のまネコのときもそうだったけれど、いろんな人が怒っているので、その主張は一様じゃない。金儲けは批判の手段に過ぎず、VIPPER の悪口を書いたのがいけないんだとか、そういう人もいますな。だったら何なんだろね。悪口を書いていないのに攻撃されている人のことは見て見ぬふりのようですし。
私がいいたいのは「需要あるところに供給あり」といった話。VIPPER の不愉快は、わからないではない。ただね、「不愉快だから潰そうぜ」なんてのは、つまらないですよ。まんま自分に跳ね返ってくる。2ちゃんねる自体、中間情報産業という側面を持っていますし、大勢の我慢を前提に成り立っているわけで……。あー、お節介ですよね。恩着せがましくてすみません。
アフィリエイトやってる VIP 系まとめサイトが全滅しても、どうってことないはず。金儲けが非難を集めるなら、アフィなしのまとめサイトが登場するだけ。「スレの杜」の時代に戻るわけ。あるいは、2ちゃんねる管理人の西村博之さんへ利益還元が行われる結末もありうる。映画版「痴漢男」は西村さんを企画段階から参加させた結果(?)書籍版の騒動は再現されませんでした。
映画版「痴漢男」は映画版「電車男」よりもリアルな感じ。「電車男」のようなヒネリ(気づかない人は気づかないと思います)もなく、素直な作りです。ただまあ、逆にいって「リアル」のどうしようもなさってのがまんま出ちゃってるので、万人受けするような作品ではないです。
ADP が更新を再開していたとは! いやー、よかった、よかった。
アンダースコアハックを用いたCSSをIE7の後方互換モード(標準準拠モードが適用されないモード)で解釈させるとはまるケースがある、というのはわかった。けれど、だからアンダースコアハックは使えない、絶対使ってはいけない、というわけではなくて、たとえば、XML宣言ありのXHTMLなら、IE6では後方互換モード、IE7では標準準拠モードで解釈するわけだから、アンダースコアハックを使っても見た目の問題は出ないはずだ。
仰る通り、それがひとつの抜け道になりますね。
あと、正攻法の CSS ハックもありまして、じつは先日リンクした IE7 の CSS ハックはその系統。IE が仕様として対応していないセレクタを利用するものです。ま、実のところ、これでいいんじゃないか、という感じがします。使い勝手は悪いですけど。
先日、従姉の結婚式があった。探りの段階で「出席するのは面倒くさい」という気持ちを伝えていた私のところには、もちろん招待状が届かなかった。両親の結婚式でピンクレディーを歌って祝福してくれた従姉だけに、両親のもとへは問答無用で招待状が届いた。
従姉の父にあたる伯父は数年前に会社を早期退職して悠々自適の生活を送っている。昔とった教員免許を活用して長年の夢だった教職に就いてみたり、従兄(従姉の弟)の子(つまり伯父にとっては孫)の面倒をみたり。伯母はまだ仕事をしているので、最近は家事を頑張っているのだそうな。で、お金には困っていないし、貯金もたくさんあるので、退職金は全て株式投資に注ぎ込んだのだという。それが2001年頃の話。
伯母(母の姉)は長いこと伯父の株式投資を「お金を無駄にして」と愚痴ってきたのだけれど、伯父は非難の言葉を聞き流していた。一時期は1000万円以上も含み損があったらしい。ところが伯父の眼力に狂いはなかったようで、今では資産が倍増している。伯母は有頂天で母に「あなたも株をやりなさいよ」と勧めたそうだ。母が「うちの人はお金には縁のない人だから」と答えると、「馬鹿ねえ、あなたがやればいいじゃないの」だって。でも、そういう伯母だって自分では絶対に株に手を出さない。伯父はニコニコしていたそうだが、針のむしろに座り続けた日々を忘れてはいないのだろう、他人に株を勧めたりはしない。
一方、バブル崩壊後に都市計画の都合で農地の一部を安売りする羽目になった父方の祖父が、いろいろお金の使途を考えた挙句に株式投資へ入れ込んだのは10年ほど前の話だった。昔からあすかあきおさんの著作や、怪しげな有機農法などに入れ込んでいた祖父らしく、ちゃんと第二海援隊の浅井隆さんの本にハマった。そして98年の金融危機の頃に銀行株へ全力で投資して、長い長い潜伏期間に入る。結局、10年で約3000万円の利益となったのだそうな。浅井隆さんの本で儲かることもあるんだね。
1年あたり300万円だから、大したことないといえばそうなのかもしれないけれど、年金と株の利益を足せば父の収入をはるかに越える。昔から祖父を尊敬してきた父は「親父はすごい!」と感動し、結婚式から帰ってきてから突然、株の勉強を始めた。父は仕事も趣味も全力で取り組むタイプ。結果は出ないのだけれど、当人は楽しいらしいので、いいことだと思う。
母と結婚してから、これで幾つ目の趣味になるのかな。熱帯魚、釣り、パチンコ、オートバイ、囲碁、将棋、コイン、骨董、家庭菜園、日曜大工、麻雀……。全力でこんなにたくさん同時にできるわけもなくて、メインの趣味は数年集中して取り組み、飽きたら完全に忘れ去るのがパターン、コイン・囲碁・将棋などは細く長くで続いている。
さて、母は「ボケ防止になるなら、100万円くらい無駄にするのは諦めないといけないかもしれないね」と GW に実家へ顔を出した私にいった。母は既に父の失敗を見込んで今後10年の家計のやりくりを考えていた。母が知恵を絞って準備してきた老後の蓄えが1割も減ってしまうというのに、「100万円くらい」といえるのはすごい。それ以上は傷口を広げさせない自信があるのだろうが、それにしても……。
そして母が悲しんでいたのは、「お母さんは骨董品が好きだったから、お父さんが骨董のことを忘れてしまったのが残念」ということだけなのだった。
母は趣味のない人で、父が新しい趣味を持つと、少し自分も手を出してみることを繰り返してきた。父がオートバイに乗れば、母もオートバイに乗ってみた(が、私が「おかーさーん」と走り寄ってエンジンに触れ火傷したので、すぐやめた)。パチンコは大音響が駄目。釣りは早起きがつらく、船酔いもする。将棋や囲碁は難しかった。そうして残ったのが家庭菜園と骨董なのだった。
家庭菜園は今でこそ庭でできるからいいけれど、以前は15分ほども歩いていった先にある6畳ほどのレンタル農地を耕していた。父が飽きてしまった後、一人で野菜を育てることに、母はときどき寂しさを感じていたのだと思う。約10年間、あちこちの骨董市に夫婦で出かけたりしていたので、今回のことには堪えたらしい。
中原伸之さんの予想では、このたびの景気回復の期間はいざなぎ景気を越えられないのではないか、とのこと。
ちなみに浅井隆さんも2004年12月にこんな本を出しており、日本株で儲けたいなら2006年前半まで、とのこと。当然、中原伸之さんとは「理由」の部分が全然違うのだが……。もう1冊の方は、半分死人さんのレビューが面白かったので、なんとなくご紹介。
そういえば、消費税導入論議が盛んだった頃、国民の賛同を得るために持ち出されたのが「農家や自営業の人は収入の詳細が不透明でサラリーマンと比較して所得税の取りこぼしが多い」という主張でした。大平内閣が消費税の不人気で選挙に大負けしたこともあって、中曽根内閣はガンガンこのキャンペーンをぶった。それで農家をやっていた父方の祖父母の家には毎年のように税務署員がやってきました。
竹下内閣が苦心惨憺の末に消費税を実現したらパタッと税務調査がなくなったそうです。そして数年経ったら益税とやらが問題になり、今度はアパートと駐車場の件で税務調査がやってきました。田舎のワンルームアパートを8軒持っているだけで年収何千万円にもなるわけがないだろう。でも、「国民の突き上げがありますので」みたいなことで、数年間、調査にやってきたのだそうな。
父方の祖父は10年ほど前に株取引に目覚め、銀行株にたくさん投資して3000万円くらい儲かったのだそうな。今度は株取引の件で調査がくるのかもしれない。それにしても、「あなたはたくさん税金を納めたので表彰します」なんて賞状を額に入れて飾っているような人を一生懸命調査するのって、税金の無駄遣いじゃないのかなあ、と私などは思う。
吹き出した。一時期、あちこちでこのパターンのジョークを目にしたのだけれど、じつはいまだに元ネタを知らない。朝日新聞のジャーナリスト宣言かな。いろんな人が「言葉は**」といって、最後に「ジャーナリスト宣言。朝日新聞」とかいうやつ。ちょっと違うか。
ところでカナかな団首領さんの文章、picoBBS に書くのとはてなダイアリーに書くのとでは、けっこう違う雰囲気で、はじめてはてな版を読んだときには意外感がありました。
ここで「えっけんだって同じように罵倒しているだろう」と反論してくる事は容易く予測されるわけだが、俺は相手がこちらに対して罵倒をしてこない限りは、一方的に罵倒コメントをすることはない(以前からそれがなかったとは言わんが)。罵倒コメントをするものに対してのみ、罵倒返しをしている。
もちろんそれはベターなコメント返しではない。罵倒されても落ち着いた言葉使いで対応するか、それができなければスルーが正解だと思う。趣味のWebデザインの徳保さんなんかは、そうした大人気ない俺の態度を、恐らくは嘲笑っている事であろう(憶測ですみませんが、そう感じることがたまにあるのです、徳保さんに限った事じゃないけど)。自意識過剰かもしれんが。
あはは。ま、「うまくやる」のもコストがかかりますからね。いくら頑張ってもできないものはできないし、「こうすれば損をしないのに」なんていわれても仕方ないということはあります。
えっけんさんにとって現在のスタンスがひとつの落ち着きどころであるように、はむはむさんだっていろいろあって気に入らない主張をするブログのコメント欄に粘着する道を選ばれたのでしょう。コメント欄でのやり取りを継続する利益より、経費の方が高い二人。コメント拒否という結末は、残念といえば残念な感じもしますけれども、これもまた必然的に導かれた結論なのだと思う。
あまり関係ないけど、見習いたい同人系サイトのリスペクト体質(2005-03-18)に書いたとおり、批判・反論より賞賛・同意をメインにしていきたいという希望を私は持っています。でもなかなかこれが難しい。更新の面倒くささという壁を越えるのがね……。いわゆる「個人ニュースサイト」を運営されている方々のことは尊敬してます。
脈絡ないけど、面白かったのでご紹介。単なる広告だと思っていただいても可。高校時代、美術部で映画を作ったことがありました。といっても私は何もしなかったのだけれど、「WEEKEND BLUES」の画面には「あー、この感じ! わかる!」と共感する部分がありまして……。「ひみつの花園」も少しそんな(?)雰囲気が。
えっけんさんって、以前、excite blog で駄文にゅうす風の試みをされてた方だったのか! アクセス解析経由で何度か見に行った記憶があります。で、エキブロで最初の更新がunko-
だったのを発見。いかにも、という感じでおかしい。もうそれから3年が経ったのですね。
順番に読んでください。私はガツンとやられました。
昔、頑張って覚えた言葉をいつの間にか忘れ去っていたことを恥じるどころか、忘却に依拠して他人を判断してしまう自分の愚かさ。情けない。
こんなことでトラブルになってしまうのだから、一寸先は闇とはよくいったもの。コメント欄まで参照のこと。以下、解説。
「他人」に厳しい人々(2006-05-22)では「身内に甘いマスコミ」とやらを叩く人々の心象を批判的に紹介したが、そういえば昔、探偵ファイルが痴漢の顔写真・本名・勤務先を公開したら散々に叩かれたことを思い出した。中小企業の冴えないサラリーマンなら警察に突き出せば十分で、たった14万人の読者に実名を示すだけで批判の大合唱。テレビ局の職員なら全国ネットで実名報道+懲戒解雇をして当然なのかね。
このようなハードルの高さが拒絶すべきものであり、ハードルは万人について同一の高さであるべきとする場合、「万人に共通の」高さの基準になるのは「今の時点で高い方」である。
私は(どちらかといえば)低い方に合わせるべきだと思っている。未成年の芸能人が飲酒・喫煙したら大批判するような人々には辟易している。彼らが友人の、あるいは彼ら自身の飲酒・喫煙に対して倫理的に高潔である以上のものを「共感の対象とならない他者」に求めるのは「美しくない」と思う。
「**たるもの、こうあらねば」と本人が思うのはいい。そうして努力するのはよいことだと考える。しかし外野が好き勝手いうことで自覚を促すなんてのは、馬鹿馬鹿しいとさえ感じることが少なくない。
たいていの人は別の問題とみなしているようだけれども、私にとって、親の子に対する期待の押し売り、「子どもは風の子、お外で遊ぶのが一番に決まってる」なんて無茶な理想の押し付け、「最近の若い社員には愛社精神がない!」というベテラン社員、そういった事象と「彼ら」の倫理的な批判は同じ構造を持っているように見える。
自分の嫌いな正義は感情的に払いのけ、自分の信じる正義を押し付けることには躊躇しないという不幸の再生産。職業に多少の貴賎はあってもいいが、「そんなにハードルを上げて、いったい誰が基準を満たせるの?」という疑問を、ときどきは思い出してほしいと私は思う。正直、私は社会がJR西日本の社員に求めた職業倫理を達成できる自信がない。
工場で爆発事故が起きて近隣住人に死者が出ても飲み会を切り上げず、あるいは会社で事故に遭遇しても、定時になったら後を一部の担当者に任せて帰宅するような気がする。目の前で交通事故が起きても、誰かが警察に電話するのを見たら、それで安心して立ち去るような人間だもの。
自分に火の粉が降りかかると、突然に怒り出す。さらに「あいつだって」風にも読める文章を書きなぐる。
橋下さんが不正確な報道に怒った気持ちはわかるが、記者だってリークされた情報をむざむざ腐らせるわけにはいかないことを理解していいと思う。記者の態度の悪さを責めてもいいが、結局は有象無象のマスコミに向けてファックスで見解を送付する羽目になったわけで、取材拒否は失敗だった。電話を掛けてきた人物が信用できないなら、産経本社を経由して電話を折り返せばよかった。なぜ取材される側がそこまで……と思うだろうが、権力を相手に意地を張ってどうなるというのだろう。
また橋下さんは報道に対する怒りから転じて、予断と偏見に満ちた公務員批判をバリバリ書いているのだけれども、相手側の言い分を僅かでも取材しているようには読めない。批判の対象を曖昧で大きな集団として責任逃れをしているだけの話で、不当に公務員の印象を貶める発言をして恥じないのは、とりあえず電話は掛けてきた新聞記者にも劣る所業だ。新聞報道と比較して単なる個人のブログは……と言い訳してもいいが、橋下さんはテレビでもブログでの発言と大差ない放言を繰り返している印象がある(と、私も放言しておきます)。
あまり関係ないかもしれないけれど、オウム真理教がテロ事件を続発させていた頃、オウムにきちんと取材してオウムの言い分も両論併記していた報道機関が叩かれた。何が真実かわかりもしない段階で決め打ちの報道を視聴者が求めたわけだ。あるいは耐震偽装事件ではヒューザーの幹部社員がたくさん偽装マンションに暮らしていて、大々的な組織的詐欺ではなかったことは最初から明らかだったのに、なぜか視聴者の期待する報道が延々と続けられた。JR西日本がレールに砂利の粉砕痕があり、置石の可能性もあると発表したら「責任逃れ」というコメントとセットで報道された。「可能性」はあったろうに。
(実態はどうだか知らないが)庶民にエリート視されている著名な弁護士さんが修正申告したという話題を「橋下弁護士、申告漏れ 税法…詳しくなかった?」と茶化す報道、これも国民の求めるものだったのだと思う。今回は報じられた「事実」の中に誤りがあるという話なのだけれど、橋下さんが許せるらしい日経の報道でも修正額は2004年までの3年間に約2500万円
で追徴税額は過少申告加算税を含め約1000万円
となっている。産経報道の問題点はタレント活動に必要などとして、経費請求した飲食代などの一部
という記述に限定される。
これが当人にとって大問題なのはわかるが、飲食代で経費性を否定されたものは、3年間で約87万円であり事務所収入に占める割合は、0.24%
と橋下さん自身が認めている通り、飲食代も含まれていないわけではなかった。この手の「面白そうな部分を針小棒大に報じる」やり口は世の中にあふれている。それを支えている社会構造が、まさに橋下さんが不用意に公務員批判をぶつ心性と相似形だと橋下さんは気付かれない。
自分が痛い目にあってさえ、人は他人の痛みを理解できない。
2006年7月8日、産経新聞社は朝刊社会面にて、以下の訂正記事を出した。
訂正:5月23日付「橋下弁護士申告漏れ」の記事中、領収書がないなど実際に支払いがあったか確定できなかったものとして「タレント活動に必要などとして、経費請求した飲食代などの一部について」とあるのを「経費請求した一部について」と訂正します。
私は昔、ウェブブラウザとして Mosaic を使っていた。大学の情報処理室で利用できるブラウザが他になかったのだから、仕方ない。
UNIX の更新に伴い Netscape Navigator 4 が導入されたときは嬉しかったなあ。フレームを使ったウェブサイトには散々苦しめられていたから。
IE5 が大学図書館の端末に入ったら、NN4 なんてすぐに使う気がしなくなったことを思い出す。NN4 のデフォルトスタイルは行間が狭くて嫌だったし、IE の方がインターフェースが洒落ていた。
自分のパソコンには最初から IE5 が入っていた。IE5.5 が出てしばらくすると、IE5.5 でないと機能しないスクリプトを利用したサイトが巡回先に多くなったので、バージョンアップした。
すると間もなく IE6 が出た。何かが安全になったらしい、というのでバージョンアップしたのだけれど、ピンとこなかったことを覚えている。「にゃごろう村」の表示が崩れて驚き、IE6 に標準モードとかいう不可解な機能が搭載されていたことを知ったが、後の祭りであった。
その後、何となく和ジラが好きになり、続いて Opera に乗り換え、現在に至る。
IE7 で従来の CSS ハックが使えなくなることは予告されていた。
一般向けの IE7beta2 の公開を受けて書かれた佐藤信正さんの記事は、文書型宣言の書き方次第で描画ルールを切り替える機能(いわゆる DOCTYPE スイッチ)と CSS ハックの違いがうまく説明されておらず、一部に誤解を招いているように思う。
IE の DOCTYPE スイッチは、基本的には、新しい HTML・CSS 解釈モードを搭載したブラウザに、古い(誤った)解釈をさせるために用意された機能だ。多くのウェブ製作者が文書型宣言に無関心で、そもそも文書型を記述さえしていなかったことを逆手に取り、識別子まできちんと文書型宣言を書くか、厳密な文書型を選択している場合に限って新しい解釈モードを適用し、そうでない場合には古いモードで描画を行うようになっている。
2001年当時、デファクトスタンダードとなっていた IE5 と IE5.5 できれいに表示されるサイトが IE6 の新しい描画エンジンでは閲覧すら不可能となるほど表示結果が崩れるケースが少なくなかった。DOCTYPE スイッチは IE6 を普及させるために不可欠な機能だったといえる。
世の中にウェブブラウザが IE しかなければ話はこれでオシマイなのだけれど、実際には Firefox や Opera や safari などがある。少なからぬ人々が、これら多くのブラウザにおいて意図する表示結果を得るために、CSS ハックに手を出した。CSS ハックとは、各ブラウザのバグ(のようなもの)を活用し、特定のブラウザに特定の記述を読み込ませたり、逆に読み込ませないようにしたりして、ひとつのスタイルシートの中に併記した複数のスタイル設定を、各ブラウザに振り分ける技術である。
IE と Firefox と Opera と……というだけでも嫌になるのに、IE のバージョン違いまで考えたくはない。そこで、CSS ハックを利用する方の少なからずが、DOCTYPE スイッチを利用して新しい IE に古い解釈モードを使わせてきた。IE7 は、こうした状況に一石を投じることになる。
前述の通り、IE7 では CSS ハックの多くが利用できなくなっている。IE7 の描画エンジンは Firefox などと概ね同等の能力を有するので、特別に高度な指定をしない限り CSS ハックなど必要ないはずだ、ということらしい。問題が生じるのは DOCTYPE スイッチを利用して古い解釈モードを呼び出していたケースだ。これまでは古い解釈モードに対応したスタイル設定を CSS ハックを使って IE にのみ読み込ませていたのに、CSS ハックが無効化された IE7 では古い解釈モードに標準のスタイル設定が適用されてしまうのだ。
対策は2通りある。
佐藤さんは後者の対策を推奨した。この背景として、IE5.5 以前の古い IE が実務上無視できるレベルまで利用率を低下させている最近の事情がある。注意しなければならないのは、IE7 が IE6 の不具合をいくつも解決していること。新しい解釈モードの中でもレベルの差があるわけで、IE7 できれいに表示できているからといって、IE6 でもそうだとはいいきれない。そして IE6 がシェアを伸ばすのにかかった時間から類推すれば、IE6 は4年あまりもの期間、無視できないシェアを維持し続けるだろう。(参考:IE7の自動更新による配布、日本語版はリリースから半年後の予定)
というわけで、生真面目なウェブ製作者は IE6 の不具合をよく勉強して IE7 に移行するか、IE6 を表示確認用に使い続けるかを選ぶことになる。IE5.5 以前の IE のことは、もうそろそろ忘れよう。
IE7 が正式公開に際して DOCTYPE スイッチを廃止することはないだろう。「文書型宣言って何?」という人はいまだに大多数であり、IE のシェアは相変わらず圧倒的だ。そのため、IE の古い解釈モードしか知らず、それに頼ったデザインを行っているウェブページは日々たくさん生み出されている。IE6 の普及に従い新しい解釈モードを前提として製作されたウェブページが増えているとはいえ、古い解釈モードを前提としたページは無視するには多すぎる。マイクロソフト社は Firefox と同じ壁にぶつかる愚を避けるはずだ。
バージョン 4 の悪夢を吹き飛ばした IE5(1999年)と IE5.5(2000年)の快挙も今や呪縛と成り果て、IE6(2001年)の5年にわたる奮闘によっても解かれる様子がない。IE7 は素人向けに DOCTYPE スイッチを残しつつ、プロ側の意識改革(=新しい解釈モードの利用)を促すために、小さな一歩を踏み出したといえる。将来、IE8 が後方互換を気にする必要がなくなることを期待したい。
……。ま、これがなくともマイクロソフト社のこと、後方互換を諦めるわけもないか。
横山秀夫さんは好きな作家。レンタルDVDをたくさん観ている中で、テレビドラマ版と平行して小説も読んでいきました。そういうのも面白いかな、と。
この手の映像化の結果について、たいてい小説派の人は怒るらしいのですが、私はまあ、これはこれで……。テレビドラマも見慣れてくると、楽しみ方のコツというか、何を気にして、何を大目に見るといいのかといったあたり、なんとなくつかめるようになってくるように思う。とはいうものの、ドラマ→原作という順番だからよかったのかも。最終回だけ見た「白夜行」にはずっこけたから。なんでこうなるの、って。先に思い入れがあると難しいのかも。
横山秀夫「顔 FACE」は連作短編集で、連続ドラマの題材にはなるほど向いていると思う。ただし全5話なので、連続11回のテレビドラマにするには話が足りない。原作第5話はドラマ版では前後編になったので、5話が新作ということになります……が、原作のある作品の中にも筋が大幅に書き換えられたものが多く、興味深かったですね。
「白夜行」の作者・東野圭吾さんの楽しい連作短編集「名探偵の掟」の中に「『花のOL湯けむり温泉殺人事件』論」と題したミステリー小説のテレビドラマ化を扱った作品があります。以前はアハハと笑っていたのだけれど、よく考えてみれば東野さんもけっこう作品が映像化されていて、エッセイでも喜んでいらしたり、完成した映画のできばえを褒めたりなさっていたわけで、変な映像化にずっこけるファン心理もわかっていますよ、というバランス感覚の証明でもあったのかな、と。
「顔」のドラマ版にある原作からの大きな逸脱も、個人的には、その事情や意図を理解できた感じ。東野さんがよく仰っていることだけれども、脚本家だってつまらないものを作ろうとは思っていない。対象とするお客さんの嗜好に合わせていろいろアレンジしたい部分があるということなのでしょう。
小説ファンは変な映像化作品について Amazon などでボロクソにレビューするのだけれど、「愛がない」だの「やる気がない」だのといった倫理的批判はさすがに当たっていないと思う。本当にそんな風なら、作者がまず怒るでしょう。
誰かが呟いた。「帰る巣が無くとも、巣に女王が居なくとも、食い物に不自由しなくとも、やることは結局一緒だったんだな」
女王がいない以上、働きアリたちは立派な巣だけを残して寿命を迎える他ない。けれども……。
アリの寿命については次の記事が参考になります。蟻も蜂も同じ仲間で、働き蟻も兵隊蟻も、生殖機能を持たないメスです。
といった記述も面白い。
- 盗撮で思う(薮内雅子さん)
キモオタとかホームレスが似たようなことをやって同じように擁護できるなら尊敬するけど。なんとなくちがうっぽい。っていうか炎上中?
日本テレビが社員の不祥事に関して逮捕&送検(起訴猶予)で処分公表無し
(id:plummet さん)としている件について、一部で話題になっているのだそうな。薮内さんは「元日テレアナ」を肩書きにしているので、日テレの彼も、社会的制裁はうけたでしょ。
の一言が身内に甘いマスコミの典型的な発言として咎められている様子。
盗撮事件は毎日たくさん発生している。しかし微罪なので、ふつうは報道に乗らない。そもそも犯人がマスコミ関係者だったからニュースになったのであり、匿名だから甘いという主張はコトの軽重を取り違えているものと思う。ふつうの会社員が個人的な理由で殺人を犯したって勤務先は報道されないし、ましてや会社の広報が何かコメントを発表することもない。
- 女子トイレのぞき、41歳の高校教諭を逮捕(読売新聞)
- 秋田女児水死 「不自然な点…徹底捜査を」母が訴え(毎日新聞)写真付き記事
- 電車内トラブルで女性の顔殴る、国税局徴収官を逮捕(読売新聞)
これは id:plummet さんが引用・分析されているYahoo!ニュースの人気記事上位3件だが、庶民様が共感の対象としない職業が何か、よくわかる。「格差」是正を訴え、職業に貴賎はないなどというなら、こうした差別もやめるべきだ。
しかしかくいう私自身、被差別者たちが愚痴るのを聞くと、もやもやする。最初からわかっていたことだろう、嫌なら他の仕事を選べばいいじゃないか、と。
私は大企業(従業員300人以上)に勤務しているので、新人の歓迎会などでは未成年の社員がお酒を飲まないよう注意している。上場していることもあり、「未成年の飲酒を先輩社員が黙認していた」なんて情報を流されると困る。当人は不満そうだが、これが大企業の窮屈さというもの。そんな私もJR西日本の事故では衝撃を受けた。世間様の提示したハードルの高さには、目を疑った。
ついでにもうひとつ。コメント欄のやりとりまで参照のこと。
いわゆるダフ屋には2種類あって、ひとつは人気のチケットを定価より高く販売する人々、もうひとつは払い戻し期限を過ぎてからキャンセルになったチケットを引き取って安く売る人々だ。
こういった商売が成立するのは、正規の販売店が本来なら稼げるはずの場所で商売し損ねているということ。なんで正規の販売店が同じことをしないのか不思議でならない。
FIFA はワールドカップのチケットを全部オークション形式で売ったらいい。10万円で売れるチケットを5万円で売るから転売が生じるのであって、最初から10万円で売ればいいのだ。そもそもなぜダフ屋が違法なのか、私にはよくわからない。彼らも商売なのだから、買い手のいる値段でしか売れないし、売り手のいる値段でしか仕入れられない。
野球だってコンサートだって金儲けなのであって、金持ちだけがチケットを手に入れられるとして、何の不都合があるのか。文化云々というなら劇団四季や宝塚だって年に1回くらい無料講演をしてもいいような気がする。
……と書いてはみたけれど、私の知らない何かがあるのだろうね、きっと。チケットショップは合法なのだし。
面白い。自動で日記を書くツールなどもあるのだけれど、どうやって数千ものイラストや文章を編み出したのだろう。全て手作業なのだとすれば、たいへんな労力だ。
追記:手入力だそうです。感動しました。
いつぞやの偽ヤフーニュースはパクられた側が激怒したので作者が逮捕された。
今回の偽ブログ、こんな冗談が新聞記事になるの? といぶかしむ人が多いようだけれど、そろそろ危ないよ、ということだろうと思う。Winny の使用中止を訴えた官房長官談話に苦笑した人は多かったけれども、実際、仕事用のパソコンに Winny を入れ、ついつい怪しげなファイルをクリックしてしまう人がたくさんいたわけで、教育の不可能性を感じたのだと思う。
リテラシーの向上には期待できないので単純に使用を禁止する、という方法論は珍しいものではない。工場の安全設計なんて、全てそんな感じだといってもいい。
id:ssmith さんが犯罪的な何かをやっているかといえば、そんなことはない。面白おかしい素晴らしいサイトだと思う。けれども、やっぱり怒る人はいるのだろうし、「騙された!」という人は、この先、増えることはあっても減ることはない。こうして観測気球が何度か上げられる間に、次第に偽サイトや偽ブログの類を厳しく取り締まる方向へ進むのではないか。
堀江貴文さんは今、パソコンに触ることもほとんどないそうなので、偽ブログに怒ることはないだろう。あと、性格的にもね。けれども、例えば糸山英太郎さんだったらどうかな。あるいは、森田大明神の名を騙るブログが作られたとき、森田実さんは果たして笑ってこれを許すだろうか?
将来、テレビのバラエティ番組のように、ネタ専用ブログサービスのようなものが作られたりする可能性も。ここで書いている分には、ジョークをマジに受け取られることはありませんよ、みたいな。
空気が読めなかったこと事態を把握していない。天然である。「自分は空気が読めない人で…」といっている人は「メタ空気の読めない人」なのだ。
自分がズレていることには気付いたが、さりとてどうしたらいいかわからない、ということはよくあるような気がする。間違っていることはわかった、じゃあ正解は?
加野瀬さんは「空気が読める」ことと「空気を読んだ上でどんな行動を取ったか」は関係が深いが同じものではない。
とお書きになるのだけれど、「空気が読める」という言葉は「どんな行動が正解なのかがわかる」ことまで含んでいることが多いと思う。だから、「間違いには気付く」というレベルの人も「空気が読めない」と分類されるのがふつうではないか。
学校で学んだことがたいして身につかないのは、何も英語に限った話でもないと思います
仰る通り。私も大学まで出たのに、大半のことを忘れてしまいました。……なんて書くと、一度はマスターしたかのようですけれども、当然そんなことはありません。
私がいろいろ批判されることの多い団体だということは知りつつも TOSS を基本的に応援しているのは、抽象的なお題目ではなくて、個別具体的な教育成果をきちんと出していく方法について、よく研究しているからです。代表の向山洋一さんのいいようには誇張があると思いますが、たしかに TOSS が集約している教育技術のいくつかを実践してみると、「結果」が出ます。これはすごい、と感じました。
まあ、みなが英語を話せるようになるなんてのは、無理な話です。これほど進学率が高くなってしまった以上、全ての大学生が分数の計算をマスターするのもね。ただ、今よりもう少しマシなところを目指すことは可能だと思います。
君たちすべての人が、可能性という1000枚のコピー用紙を持って生まれてきた。
今日、部活がきつくて塾を休んだA君はそのコピー用紙を一枚ゴミ箱に捨てた。
全部で1000枚しかないのに、そんなに簡単に一枚がなくなってしまうのか。私なんか1〜3ヶ月で使い果たしてしまいそう。1日10〜30枚ペースの浪費。
ま、私の人生は、紙を浪費するために紙を増やす、ということの繰り返しですね。生涯に50万枚くらい浪費するために、一進一退を繰り返す、といった感じ。だいたい、使いもしない紙なんか増やしたって、しょうがないと思うわけだよなあ。ま、無駄に溜め込んだ紙を風に持ってかれちゃう人や、どこかにしまいこんで忘れてしまう人がいるから、私がそのおこぼれにあずかることもできるのですが。掃除をしていて、いいもの見つけたー、みたいな。
関係ないけど、コピー用紙を手漉きで作るのは無理。あれは工業製品です。個人レベルの努力で直接に作り出すことはできません。やっぱりコピー用紙は自分で作るものじゃなくて、お店で買うものなんじゃないかな。いや、だからそういう話じゃないって? なぜコピー用紙なのかなあ、という素朴な疑問。
物言うユーザの多数派にしたがってルールを恣意的に運用する mixi を批判する記事。
個人的には、mixi の運営方針は面白い、と思っている。自分にとって mixi は重要な場ではないので、ひとつの実験として、行き着くところまで突き進んでほしい。
たいていの組織はルールをある程度まで曖昧に運用していくのだけれど、問題が顕在化したときにはルールの厳格な適用を選択せざるをえないのがふつうである。それは痛みを伴うことなのだけれど、そうしなければ、決定的に重要な場面でルールを押し付けることができなくなるのではないか、との不安があるからだ。安全装置としての建前の世界、その権威を守りたいからだ。
しかしながら、こうした考え方は庶民の素朴な感覚として「本当にそうする他ないのかな?」と疑われてもきた。小説を見よ。映画を見よ。テレビドラマを見よ。そこでは、安全装置としてのルールを杓子定規に適用する人々が繰り返し悪役として描かれている。直感的に正解を見抜く力を持つ主人公は、不便なルールによって要らざる苦労を背負うことになる。観客は体制に怒り、主人公を応援する。
最近、驚いたのはテレビドラマ「奇跡の動物園」でペンギンの水槽の中を通る透明なアクリル製の通路を設計するシーンの描写。旭川は寒暖の差の激しい場所であり、アクリル製では強度に不安があると建設会社は説明する。「そこを何とか」「責任、取ってもらえますか?」「園長と相談します」「わかりました」こんな感じの会話があって、ゴーサインが出てしまう。ゴムでアクリルの伸縮を吸収するのだ、という説明はあったけれど、安全性をきちんと確保できたのかどうか、説明はなかった。
ペンギンが飛ぶ姿をみせたい、という夢は素晴らしい。無理だ、といわれたことを実現できたという話も、多くの人に希望を与えるものだとはいえる。でも、数年後、通路が壊れて死者でも出たらどうなるだろう。安直に賞賛した人々は、アッサリ手のひらを返すに決まっている。
とはいえ、mixi の運営は、基本的には命に関わるような話ではない。「失敗」が決定的なバッシングにはつながりにくい。大勢に嫌われる bot は排除し、そうでない bot は特例で認める、しかもそれを公式見解として打ち出してしまう、そんな運営でもうまくいくのかもしれない。
今後、同じように複数アカウントを持っているユーザーや、自動巡回ツールを用いているユーザーに対して、どのような姿勢でのぞめばよいのか。明かな規約違反者に対し、運営側がなんらかの対応を行うのは当然の権利だ。にもかかわらず、今回の特例によって、それができなくなる。仮に行ったとしても、警告を受けたものが今回の事件を知っていれば、「なぜ自分だけ?」と思うだろうし、仮にそのように抗議された場合、どのような理由が説明できるのか。
「あなたの排除を喜ぶ人が多く、悲しむ人が少ないからです」と断言するくらい、突き抜けてほしいと私は思う。杓子定規のルール適用にムカついてきた人々の理想を実現してゆく mixi の未来が明るいならば、所詮は夢物語とされてきた社会設計のありように現実味があることを示す、重要な事例となるはずだ。
……とまで書くのは大げさで、おばあちゃんが店番をしている下町の駄菓子屋みたいな緩さで日本最大の SNS が運営されている面白さ、のようなものか、実際は。
平塚5遺体事件、先日の高校生が中学生を殺害した事件と同様、どうも報道向きでない事情を多々抱えた事件のようであり、早々にフェードアウトしていくだろうと予想していたのですが、今週のワイドショーでダントツ1位の放送時間となったとのこと。私には視る暇がないのだけれど、どれくらい踏み込んでいるのだろう。
この手の事件について情報がほしければ週刊誌を読めばいい、というか、週刊誌を読むしかない、というのが従来は相場だったと思う。1誌あたりせいぜい70万部しか売れない(ワイドショー系)週刊誌はニッチ媒体だけに、倫理基準を緩く設定して、人々の下世話な興味を満たすため頑張っています。テレビ局はニュースとワイドショーの使い分けでうまいことやっているとはいえ、やはり数百万人が視聴するだけに基準が厳しい。今でも、そう変わっているとは思えないんだけどな……。
で、その週刊誌さえ平塚5遺体事件では逮捕された50代女性が19年も育てた娘を殺してしまった理由を書いていない。まあ、書いてないけどいわんとするところはわかる、ようにはなっているのだけれど。でまあ、こんなの、テレビでは無理だろうな、と思っていたわけで、肝心な部分を報道もできないのにテレビがいまだにガンガン取り上げ続けていたことを意外に感じたわけです。
そして今日付けの産経新聞朝刊を見て、驚きましたね。産経新聞は一般紙のはずなのですが、ズバリ書いていたのです。もっとも、記者の原稿ではありません。WiLL 編集長・花田紀凱さんによる「週刊誌ウォッチング」というコラムです。以下、後半部を引用。
肝心の千鶴子容疑者と首を吊って自殺した義理の息子山内峰宏氏、岡本利加香さんの関係についてはどこもハッキリ書かない。
『週刊朝日』(5月19日号)が「ただならぬ関係」、『週刊新潮』(5月18日号)が「禁断の親子関係」、『アサヒ芸能』(5月18日号)でさえ、「異様な関係」と逃げている。
千鶴子容疑者と峰宏氏の関係は『新潮』によると「19歳も年下の、義理の息子との関係を表沙汰にはできない」。
一方、峰宏氏と利加香さんの関係については『アサ芸』が峰宏氏の遺書に「死にたい。一緒にさせて」とあり、利加香さんも母親との口論の際、「一緒にいさせて」と言ったと二人の関係をニオわせている。
そう、この事件のキイ・ワードは「三角関係」なのだ。
なのに、週間各誌(ワイドショーも)が、他のことはかなり踏み込んで書きながら、「三角関係」という言葉だけは頑なに使わないのが不思議だ。
利加香さんが20歳だったら書いていたのかもしれない。あと、現代日本社会のタブーがどこにあるのか、という点で興味深いと思いました。週刊誌まで足並みそろえての自主規制、見事なものです。そして、産経新聞を見て、こんな抜け道があるのか、と感心もしました。
ちなみに5月9日付産経新聞朝刊掲載の「正論」欄は聖学院大学客員教授・作田明さんの担当で、タイトルは「風説に過ぎない日本の治安悪化」でした。有料会員ならウェブで読めますが、無料では公開されていません。花田さんのコラムも同様です。無料で公開するとクレームがうるさいのかもしれない。テレビもそうだけど、タダで見てる人間が一番口うるさい、という印象はあります。
なぜ bewaad さんらがこれを批判しないのか、どうもよくわからない。まあ、批判はしないまでも、こうしたいい加減な経済学擁護が有効であり、正しい目的のためなら許容できるとするならば、人権擁護法反対論批判における bewaad さんのスタンスも微妙になりますよね。
bewaad さんは(当時検討中であった)人権擁護法案に(少なくとも積極的には)賛成しないが、反対論の大半は事実誤認と非現実的な仮定に基づいており、看過し難いとの立場を堅持されました。私はこれを「手段を選ばないことへの批判」として(も)受け取りました。けれども、経済学擁護のためなら他人が主張してもいないことを主張していると誤解させるような表現さえも使ってよいとするならば、明らかな矛盾が生じます。私は一概に矛盾を否定しませんが、合理的な説明があるなら知りたい。
「経済学がこの世から消えたら…」はネタに過ぎない、ということもできるけれど、人権擁護法案反対マンガや反対 flash だってネタみたいなものだったと思う。後者は本気にしてた人がいる? それは前者だって、(少なくとも部分的には)そうなのではありませんか。
にしてもこういうのは即刻アニメ化とかするべき。ネット上にほったらかしにしておくのはもったいない
ほらね、人権擁護法案に反対した人々と同じ主張が出てきています。「わかっている人」がジョークとして楽しむのはかまいませんが、現状、半ば本気で「素晴らしい洞察!」とか思ってる人の方が多いのでは? との懸念があります。そもそも発祥地である2ch経済学板での反応がそんな感じ。経済学に興味・関心を持っていてさえ、そうなのだとすれば、一般向けにこんなのを広めたくはない。bewaad さんは BI@K の読者層を考えて、いちいち「これはジョークであり、シミュレーションとしては全くいい加減なものです」と断っていないだけ、なのかなあ。
「経済学の敵」は素朴なアイデアをゴリ押しするため手段を選ばないのだけれど、同じ土俵に乗っかったら経済学も洗脳合戦(=広義の価値観闘争)に巻き込まれてしまい、局地戦には勝っても大局的には勝ち目がない。
こういう(立派な)ことを仰っている chiki さんまでもが「経済学がこの世から消えたら…」をこれは面白いストーリーです。ちょっぴり勉強にも?
と紹介なさってる。トンでも本を読んで「勉強になるなあ」といってるのと大差ない。変な主張に気付けるかどうかは、アタマの良し悪しよりも、知識に負う部分が大きいのだと思う。
人権擁護法反対論において提示されたストーリーが、ディストピアフィクションとして描かれたのであれば、内容の出来不出来によって評価が変わったり、内容がヘイトスピーチに該当するようなものであれば眉をひそめたりといったことはあったかもしれませんが、あのような形で取り上げることはなかったのではないかと思います。違う言い方をするなら、議論の流れとして若干その余に触れたことはありますが、基本的には人権擁護法(案)の解釈論について批判をしていました。いわば、フィクションではなくノンフィクションであるとして主張された部分を対象としていました。
そういうことだろう、とは思うのです。しかし現に「経済学がこの世から消えたら…」は良質なシミュレーションとして(も)読まれています。また経済学擁護の意図を持って書かれていることも明らかです。
同作品は経済学擁護のシミュレーション小説としてはアンフェアで、ディストピア実現のため、経済学と同時に多くのものを世界から消しています。独占や監視密告社会の是認など、ご都合主義が目立つのです。本名のまま登場する榊原英資さんや、少し名前を変えて登場する野田幸夫(=野口悠紀雄)さんの言動も、肝心な部分(金本位制復帰への参画など)が当人の過去の言動に根拠を持っていない。
今、CD や新聞の再販価格維持制度に反対しているのは経済学に親和的な人々だけですか? 全面的な価格統制を国民が歓迎するという描写が作中で説得力を持つのは、焚書坑経のためではなく、国民の素朴な価値観にまで手を突っ込んでいるからです。「焚書坑経が行われるような社会なのだから国民の多数派の考えだって違っていて当たり前」なのだとすれば、ミスリードを誘うタイトルは詐欺的だといいたい。
私は焚書坑経の非現実性を問うているのではありません。経済学の抹殺だけを明記して、その他多くの非現実的な仮定を隠蔽した不誠実なシミュレーションで経済学擁護を狙うことを批判しているのです。隠し条件に気づく人同士で楽しむ分には罪がない。だから BI@K でアンフェアを明記するのは無粋、という説明なら納得はできるわけです。
恋人に「ねー、経済学の本なんか読んで面白い?」と訊ねられて、「経済学がなくなったら世の中こうなっちゃうんだぞ」と語る人が、「へー、すごいねー。尊敬しちゃうなー」といわれているのを見て、「えー!?」といってるのが私。みたいな。
オークションは小額の商品になればなるほど送料が割高でいけない。11冊セットで1000円、13冊セットで1300円、45冊セットで3000円としているのは、そのため。「せどり」の仕入れ価格として趣味的なレベルの採算は何とか取れる価格にしてはいる(Amazon マーケットプレイスの相場を眺めた印象)ので、よろしく。
あと300冊くらい整理すると、かなり部屋がスッキリしそう。今すぐ処分できないのは、ようするにそれだけ積読になっているから。人間、分不相応のお金を持つとろくなことにならないという話。引越し準備で部屋を片付けると称して蔵書をどんどん整理しているさなかに経済書をどっさり買うなど、これまでは無茶苦茶が多かったのです。
4年制限のため社員寮を出たので、今後数年はさすがに本を買いまくれる経済状況にない。300冊片付けて蔵書を200冊未満とすれば、部屋はずいぶん落ち着くはず。
じつは、貯金しなければ本なんて読みきれないほど買えます。だから相変わらず自制心が必要。私は何を買うでもないのに家計をクロにしないと不安になる性分で、社員寮にいた頃は可処分所得の約半額を余らせていました。このお金は捨てたつもりで、死亡保険金として両親に通帳ごと渡しています。私が死んで530万円ぽっち残ってもつまらないだろうけれど。逆に両親が先に亡くなったら、葬式と墓にでも使います。
社員寮を出た今年度はさすがに家賃負担が厳しく、毎月の収支は1〜2万円の黒字にしかならない。それでも年2回の一時金を全額残せば約90万円を銀行に預金できる。90万円が口座にあれば、1年は現在のアパートに居続けられるのです。田舎へ移れば食費などを含めても年間100万円で十分に生きていけるので、3年間で2年分の生活保険を積み立てていく感じになるのかな。
まじめな人は使い道のないお金があったら自分への投資とか考えるのでしょうが、私はもういいです、そういうの。飽きちゃった。東京の山手線の内側で職住隣接の生活をして年に90万円(可処分所得の約3分の1)もお金が余って、何の不満もない。現状維持で十分すぎますね。一方、弟はふつうの若者なので、いくらお金があっても足りないらしい。母は病弱だけど父は頑健なので弟の最期も看取ることになりそう。だから弟は財産の生前分与を期待していると聞く。弟が全部もらえばいいよ。私は要らない。
弟はほぼ全ての面で私より有能なので、私の3倍、4倍の収入を得ることになるでしょう。彼はプライドが高い。学歴に続き職歴でも、私に圧倒的な差をつけていくと思う。そうした、現状維持では満足できない人々のエネルギーに、私はタダ乗りして生きていく。
私は自分が平凡な人間だということを知っているので、結果平等志向なんです。あくまでも「志向」なのですが。所得再分配の仕組みが用意されていない「ウェブサイトの人気」の分布などを見ますと、こりゃあ厳しすぎる、と。実力主義バリバリの世界では、とてもじゃないけど私など生きていけない。
実力主義なら自分の給料は上がると思っている自信過剰な人が世の中には多いようで、私は不思議に思う。同年代の人が集まると「給料が安い!」という話題が一度は出たりするのだけれど、その多くは「あいつよりは俺の方がいい働きをしているはずだ」とかいう主張。累進課税を強化して消費税を撤廃すればその格差は縮まるが、「それでは夢がない」という。ふーん、将来は自分の給料が上がると思っているのか。そして、自分の稼ぎは他人に分け与えたくないのですね。そのくせ突然、弱者に同情して「行政は何をやっているのか!」なんていいだす。あなたが何とかしたらどうか。
ともあれ、連合が嫉妬心に訴えるような、あるいは増税に対する素朴な怒りを喚起するような形でしかキャンペーンを打てないのは、残念ですね。左翼も所詮は私利私欲かよ、というつもりはない。倫理的説得の不可能を身に沁みて知っているから、やむなくこんな形をとるのだと思う。
悲しいのは、こうした状況下で真面目なブロガーたちを集めると、価値観闘争を真正面から仕掛けられて対応に窮してしまうことです。これは勝ち目ない。だから実力主義を奉じる人々の矛盾、例えば無能な自分が平均年収に満たないことへの怒りや、ズタボロになった敗者への憐憫の情などを突くのだけれど、それで万が一かりそめの多数派工作に成功したところで、虚しさはぬぐいきれない。じつのところ、連合の中でも一部の理論派以外は「戦略」ではなく「本気」でキャンペーンに乗っかっているのでしょうけど。
連合は essa さんを呼んだら面白かったんじゃないかな。まあ、ベタな話をしたいだけだったのかもしれないから、花岡さんの所得税廃止→消費税UPという主張でもキツかった可能性も。
関係ないけど、NHK が4夜連続で放送していた「プラネットアース」がとてもよかった。そのうちに再放送されると思う。第2シリーズは10月1日より。
伝説に従うなら、会社ワラシをいじめて追い出すと、業績が傾くこと請け合いですね。
弟は「思い出の品」を持っていない。物に執着しないのだ。
少し見習うことにして、実家に帰って部屋を整理した。「家族の思い出」になっている物の他、ほとんど全て処分してしまった。自分で買った本なんてのは、時間が経ってみれば割とどうでもよくなってしまうものだな、と思った。高校時代に文芸部で発行した雑誌だけは後生大事に残してある。これが最後の大荷物か。
10年間くらい地道に溜め込んだ新聞のスクラップ帳を捨てるときは、さすがに躊躇した。夕方、まとめて整理した。小学校入学時にもらった机と本棚ふたつが空になったので、これも処分した。部屋の中で声が響くようになった。以前の引越しの際、幼少時より使ってきたおもちゃ箱を処分したことを思い出した。
就職してから5年目になる。実家の荷物の処分は、「もう戻らない」という意思を明確にしていくことでもある。弟の部屋に続いて私の部屋も空っぽになっていくのを、母は残念がっていた。たまにはメールに返信くらいした方がいいとは思うけれど、私は親不孝者なので返信しない。
母は病弱で、先日も旅行から帰ったあと、十日くらい寝込んだそうだ。母方の祖母は元気で、まだ畑仕事に精を出しているのだが……。
ちなみに遠く愛知県にある祖母の家には、嫁入り前に母が暮らしていた離れが、今も当時のままに残されている。いつでも戻ってこられるように、手入れされているのだという。しかし、部屋に母の私物は何もない。高校時代に使った英語や古文の辞書まで全て、母は嫁入り道具のついでに持ち出していたのだった。
というか、闇黒日記に対して「リンクしにくい」とか何とか文句をいう人は、闇黒日記は転載OKなのだから、自分でブログツールか何かを用意して文章をコピーしていけばいいじゃないか。あなたが苦労すれば、他の読者がみんな喜ぶだろう。自分じゃ何もせずに他人に文句ばかりいうのはおかしい。
真名垣さんが各記事に ID 振るのをやめたらきっと不満の声が出るのだろうけれど、真名垣さんの記事も転載自由なので、リンクしたい側が何か努力すればよいだろう。
だいたいリンクなんかされて何のいいことがあるのか。何もない。リンクしたい側が何とかすればいいんだ。私がこの備忘録を(いわゆる)ブログ化したのは、自分で自分の過去ログにリンクすることが多かったから。私の場合は野嵜さんと異なり、同じようなことを何度も書く面倒が、ブログ化の手間より大きかった。
リンクしてくだらない負荷を増やそうとする側がお願いの域を超えて、「リンクしにくいサイトにはリンクしてやらないよ」みたいに居丈高な振る舞いをする感覚は、どうにもよくわからない。リンクしたければ万難を排してすればいいだろう。リンクしたくないならしなくてよい。
もちろん、リンクされたくてたまらない人は、多少の努力をしてもいいだろう、とは思う。
- リスト形式の日記
- 利便性云々については数日前の日記を御参照。
- この際id振るのも止めてしまいたい。
以前にも書いたが、私がブログツールを使いはじめたのは、閲覧者の希望を、自分の手間を(あまり)増やさずに実現するためだった。そのオマケとして自分自身にとってもありがたいことがいくつか実現されたので、数年間、こうしてツールを使い続けている。
しかしまあ、いちいち見出しを考えるのが面倒くさいということは私も常々思っていることであり、2003年ごろと比較して100字程度の短文記事が激減してしまったのは、投稿の敷居の高さが上がったためではないか。記事ごとに見出しや URI 決定用の文字列を指定するくらいは些事だ、との判断だったが、見込みが甘かった。
真名垣さんは今、各記事に id 属性を指定するのが面倒だと仰っているが、私はこのところ、マークアップ自体、面倒くさいと思っている。しばらく前から cite 要素のマークアップはやめているし、strong 要素や em 要素の使用も長らく絶えている。よく考えてみれば、たかが日記を書くのにいちいち「ここが強調したい部分」と明示せよ、なんて教育は受けていない。ウェブ日記だからといって、そうしなきゃならないものでもなかろう。poor なマークアップの文書でも、公開されればそれなりに需要がある。これはこれでいいと思う。
昨年はてなダイアリーを試用したり、Wiki を使ってみたりしたことも、この流れの中に位置づけることができる。不便に感じたり、不満に思う点もあったが、更新の省力化を優先してみたのだった。
掲示板を置いて欲しい、と云う要望が最近良くある。閲覧者が希望しているなら尊重したいが、何しろ管理する余裕がない。管理出来ないなら掲示板は置いてはいけない。私が良く見るサイトの掲示板は軒並宣伝で溢れ返っている。それではいけない。管理する余裕があれば置くが、それが出来るまでは置く積りはない。
私のところにもときどき同様の要望があるが、「こちらからリンクするので、あなたの方で掲示板を作成・管理・運営してください」と回答している。すると、それきり何もいってこない。「掲示板を設置するくらい、大した手間ではない」のではなかったか。馬鹿馬鹿しい。閲覧者の希望なんて大抵その程度の話なので、応じられなかったからといって気に病むことはないと思う。
「不可能ではない」からといって「現実問題として可能かどうか」が決まるものではない。
例によって例のごとくのブログ批判なんだけれども、(いわゆる)ウェブサイト形式で公開するべきコンテンツをブログでだらだら書き継いでいくことへの批判としては有効だと思うが、単に「リンクしやすい日記」に過ぎない大半のブログに対する意見としては的外れと感じる人が多いのではないか。
「檢索エンジンに引掛からない情報を、過去ログを漁つて探す」と云ふ場合には矢鱈と不便な事が多い。
という批判は、闇黒日記について私がいいたいことと重なる。Google で site:noz.hp.infoseek.co.jp というオプションをつけて検索しなければ、希望する記述を発見できない。
閲覽者が自分の興味のある事に基いて情報を探さうとしても役に立たない事が結構ある。
という批判も同様で、個人的には闇黒日記にもカテゴリ分類を導入して、「アニメ・虹裏」「それ以外」の二分類で整理してほしいと思っている。無論、これは私なりのフィルターでしかなく、「そんな分類では俺の希望は満たされない」といいたい人も多いだろう。
闇黒日記の特定部分にリンクするのは難しい。日付指定だけでは記事量が多すぎるので「同日付の3番目の記事」なんて書かなければ読者(明日の自分を含む)に不親切か? などと考えることになる。理念的には、ブログの記事単位だって筆者による恣意的なものであり、「第3段落の第2文にリンクしたい」といった希望には応えられない。しかし現実的な落としどころはあるのではないか。
野嵜さんは段落アンカー批判を過去に何度かお書きになっているけれども、メリットとデメリットを比較して、前者が大きいと思った人も多かったのではないかと思う。デファクトスタンダードとなった(いわゆる)ブログ形式では段落アンカーは採用されず、記事単位でのリンクを可能とする仕様となっているが、これくらいが大多数の人にとって便利な単位だったのだろう。闇黒日記が日付で区切られた単位でリンク可能となったら便利だと私は思う。
閲覧者の要望になんか応える気はない、ということであれば現状維持でも別段、かまわない。私が少しだけ更新の手間を増やしたのは、何だかんだいって「個別の記事にリンクしたい」という要望に応えたいと自分が思ったからだ。
昔なじみのサイトを巡ってみたら、何だかんだで更新が続いてた。
日記が続いていたとは、まさかという感じ。いつの間にか高校を卒業して大学生になっていて、細々とではあるけれど、日記が続いている。
昔、「プードル広場」というサイトがあって、そこの管理人さんが「にゃごろう村」の掲示板にときどき顔を出してくださっていた。その方のご学友が「CATAPULT」の管理人さん。関係があるのかないのかわからないくらいの関係でしかないけれども、一時期、村にリンクされていたので当方のメモに残っている。
……というわけで久々に読みにいってみたのだけれど、ううむ、更新は続いているのに、何だか時間が止まっているかのような雰囲気だ。今、何をされているのかは読み取れなかったけれど、大学を卒業なさったことはわかった。
かつてお世話になった頃は大学院生の趣味的なウェブサイトだったのですが、現在は大学の非常勤講師とのこと。一時期、更新を休んで研究に没頭されていたと記憶していますが、無事に素晴らしい論文を完成されたのでしょう。生活は楽でないのでしょうが、喜ばしいことです。
大学の後輩だそうな(顔も名前も知らない)。数年前に卒業して就職されたのだけれども……。伝説さんの楽曲は好きです。
……別の記事で書く。とにかく、続いてた。
転職して やっぱり 気づいてしまったことは 好きなことをしていても 俺は 働きたくない!
「フリーターなんかやってる奴は今が楽しけりゃいいんだろ」 全然楽しくねえよ、今だって。
そりゃそうだろう。
一年前のあんたが今のあんたを見たら死んでるだろうね。
一年前のオレならわからんが、十年前のオレに見せたら死んでる。
マクセルかなんかのCMで10年後の自分に語りかけるCMやってるけど、あんただったらなんて言ってた?
欧州が平気で10%前後の失業率に甘んじてきた理由がわかる感じがする。失業者がその程度の人数しかいない場合、大多数の就業者は「彼らに仕事がないのは彼ら自身の問題じゃないの?」と思うか、「政府と企業が何とかしろ。ただし俺の給料と社会保障は1円たりとも削るなよ」になってしまう。
あと、なんで子どもに「夢」とやらを持たせたがる大人が多いんだろう。アホらしいのは、自分自身、友人と話すときにはそういうのを「くだらねー」といっていた人が、なぜか自分の子どもには「夢」を持たせたがることだ。文化の力は恐ろしい。今の若者は現実問題としてはそれほど自殺しているわけではないが、残酷な教育を受けている気がするな。
ていうか、「大切なこと」を学校でも家庭でも教えずに、お題目を唱えることばかり表で教えて、その内実を現実をもって知らしめるという教育体制って、とても無責任だと思う。
あと唐突だけど、なぜ累進課税を強化して消費税を廃止しようという主張が国民の多数派にならないんだろう。やっぱりアレかな、大人たち(って私も四捨五入したら30歳ですけど)も信じているということか、「お、俺だって! いつかビッグになってみせるぜ!」とか何とか。もしくは、「嫉妬」を厳しく取り締まった結果、建前論に金持ちイジメを導入できない自縄自縛に陥ってしまったのか。
よくわからないんだよね、あれほど「平等、平等」といってきた世代が天下を取ったのに格差拡大って。あと、格差拡大をいいといっているのか、悪いといっているのか。悪いというなら、平等を目指せばいいじゃないか。簡単な話なのにな。裕福でない方が多数派なんだから、選挙で絶対に勝てるのに。
私は今の給料で満足しているから、これ以上何がどうとも思わないのだけれど。仮に物価が同じなら、今の給料のままでいい。手取月収19万円に対して毎月2万円の余裕がある。社員寮にいた頃は、毎月7万円余っていた。
何度も書いてきたけれど、私は意図的に年功序列の会社を選んだ。平凡な人間として当然の選択だったと思う。できる社員にとっても、これは保険に入っているようなもので、そうと納得できるなら悪い話じゃないんだ。いつ病気で倒れるか知れない。何年休職しても、ちゃんと復職できる公務員のような待遇を守るための(能力と比較しての)薄給だと考えればいい。
「ブログ時代なんていってみても、世の中そうそう変わるものじゃないよね」と、あらためて実感。
私自身、会社員をしていてつくづく感じることなんだけど、自分で自分を管理し、自分で学び続けるということみたいな記事が人気を集めているはてなブックマークの偏り具合は面白いな、と。いやいや、いいことを書いているんじゃないでしょうかね。ただ、大半の人は、そういうレベルにないでしょう、私もそうなんですけど。
よく「初心忘れるべからず」なんていいますけれども、私が初心を忘れたことなんてない。なるべく楽してのんびり生きていきたい。多くを望まず、足るを知りたい。
さんざん本音をぶっちゃけた後に残るのが、きれいな言葉。参照記事を「いいこと書いてるのでは?」と思える最後の良心。でも、それが本当の自分だなんて、思えるわけがない。そこまで自分をうまく騙せるほど、私は上手な詐欺師ではない。何が「自己実現」だ、今ここにいる俺は幻なのか? くだらないゲームに巻き込んでくれるな。
学歴競争を否定する連中が、なぜか「自己実現」競争には一生懸命だったりする。自分がエリートになれそうな気がするなら何でもよかったのでしょう(そうでもないか)。私は学校のお勉強が楽しかったから、好きでお勉強をしていたのです。仕事も辞めない程度には楽しいので、それなりに淡々とやっていく。でも仕事を通じて自己を高めるとか何とか、そんなもの、知ったことじゃない。興味ないよ。
若年層だって8割は就職しているのに、「すごい会議」なんて本を読んでみようと思う人は数万人しかいないわけでしょう。やっぱり、世の中そういうものだよな、と思うわけで。
何だか愚痴っぽく書いてはみたけれど、「向上心、向上心」と念仏のように唱えている人が全然いなかったらそれはそれで組織の危機ではあるのでしょう。「頑張って向上して自己実現する」人を崇め奉るのも、故なきことではないのでしょうね。組織がなくなったら私も困ってしまう。
「初心を思い出せ!」なんて断言できてしまう幸せな人には、ハイハイと返事しておくに限ります。