初期稿のネットで実名を出すと天変地異が起きるぞ論は、いささか難がありました。そこでなんだか言ってることが180度変わってしまった
とも評された補記をつけたのですが、さらに追記。
「自分が実名を名乗るリスク」と「他人が匿名であるリスク」と両方あるので、そのリスクの許容具合のバランスになると思う
という件は、まったくその通りだと思います。問題は日本のウェブで声の大きい人々の間では天変地異論者が多数派であり、彼らは恐怖あるいは人間不信のあまり実名を名乗るリスクを現実に比して高く見積もり過ぎていること。現に実名で(も)情報発信している方は、天変地異が起きる可能性は高くないことにご賛同いただけるはず。
ちょっとやそっとでは匿名を破れないので、事実上の匿名社会が実現しているのが現在の日本のネット状況です。もちろん強制的な匿名剥奪に必要なコストは高くてもいいのです。問題は、この仕組みを悪用し無責任なふるまいをする人が少なくないことです。天変地異論者は前提条件がぶっ飛んでいるので、「自分が実名を名乗るリスク」「他人が匿名であるリスク」より遥かに高く評価してしまい、現に無数に存在するカジュアルな誹謗中傷を「仕方ない」と簡単に諦めてしまいます。
実名を名乗ることで大きなメリットを得られる人が「自分が実名を名乗るリスク」を取りつつも大きなメリットを享受している状況下で、「他人が匿名であるリスク」をなくそうと実名談議を繰り広げるのは、あまりにも自分勝手な気がするよ。おれは。
という意見には半分不同意。私には実名公表のメリットはないけれど、メリットがある人だって、基本的には「現在の状況はおかしい」と考えているから発言しているのであって、私利私欲中心ではないと思う。
そして「徳保隆夫は仮名だよね」という問題について。
私は転向組なんです。たろたま騒動のときに、私が匿名のまま強硬姿勢を貫いたらサーバを追い出されてしまったんですね。サーバ屋にも迷惑をかけました。それで独自ドメインを取って、調べれば本名がわかる状態へ一歩踏み出したんです。その後、ぼんやりしていたらはてなでしくじって上司バレ。意想外のやられ方に愕然。その後ようやく逆転の発想に到達し、恐る恐る本名でサイトとブログをはじめました。ところが本名ブログの ID が**だったので 2ch の徳保スレに本名が。
かくて歴史的経緯から私は微妙な立場になりました。私の本名を知ってる人がやたらと拡散しちゃってる、という。ふつうの仮名さんは本名がばれていないはずなので、重大局面で「被害者」らに氏名・連絡先を開示する(匿名に逃げない)覚悟さえあればいい。一般読者に対しては匿名を通していい。これが私の考える議論の着地点。
今にして思うのは、最初に本名でサイトを作っていればなあ、ということ。ほとんどのことは本名で書けるので。そして、本名ではどうしても書きづらいことだけ、仮名で書けばよかったな、と。でも昔は天変地異論者でしたから……。
今でもこのサイトで本名を完全公開するのは「絶対に嫌」ですし、かといって4年も積み重ねてきたサイトは捨てられません。徳保隆夫という名にも愛着があります。これを捨てハンにはできない。結局、中途半端な状態で更新を続けるのが、私にも読者にも嬉しい状態なのかな、と思っています。誰か私に恨み持つ人が「徳保の本名は**です」というサイトを作って、それが Google 検索の1位とかに登場したら、このサイトは潰れるかもしれない。そのときは、読者にお詫びする他ないですね。
悪徳商法?マニアックス管理人の Beyond さんが株式会社ウェディングからの情報開示請求を飲むか、契約を解除するかを迫られた件についての感想を以下にご紹介。どこまでも匿名であろうとした、当時の Beyond さんに対する怒りが綴られているのですが、私がどのような匿名を嫌っているのかについて、感覚的にわかりやすく伝わる文章だと思うので、少し長いですが引用します。
「自分は矢面に立つ気はさらさら無いが、悪口は書かせてもらい、けつは全部プロバイダに持ってもらう、プロバイダが逃げやがったら許さん」という主張をなさった方は存在したのだろうか。という問いの答えに近いのが Beyond さんです。Google に検索インデックスから削除されては悪態をつき、プロバイダから決断を迫られてはどこか良いプロバイダは、無いものでしょうかと書く。もちろん、Beyond さんは正しいことしか書いていないつもりなのだから、そうした反応は当然です。それはそれでいい。世の中にはいろんな人がいるんだから。ただ、「うんうん、そうだそうだ」と賛同する人がちょっと多過ぎないか、と思いました。Beyond さんと異なり、Google にも同情的な人は、たしかにたくさんいました。しかし、Google の判断を歓迎する声はとんと見かけなかった。少なくとも、先月23日の時点ではそうでした。多数派ってのは怖いよな、と思います。たいていのトピックについて少数派になる私のような人間にとって、これは(いつものこととはいえ)憂慮すべき事態です。
「はてな憎し」「google憎し」的な事を言っている方は多くありませんが、このようなある種の(違法性の高い)言論に対する弾圧について、「残念に思う」人は多かったといってよいでしょう。ishinao さんとの違いは、私が今回の事件の顛末(まだ続きがあるかもしれませんが)を積極的に肯定していることです。話を拡散させますと、三浦和義さんがここ数年、マスコミ相手の名誉毀損裁判にどんどん勝っていて、その一方で別の事件では有罪判決も出たりしたわけです。で、たいていの人は無罪になった事件についても「でもやったんでしょ」と思っていて、マスコミの報道は正しかったと考えていたりするのではありませんか。あるいは小野なんとかという老人が裁判で無罪になって、冤罪被害者の象徴となった数年後にたいへんな殺人事件をやった。だから「前の事件もやったんじゃないの」とみんな思っていたりする。
別に、そういうことを思うのは勝手であって、また、日常生活の会話で、私見を述べてもかまわない。ただ、著作権侵害関係でありがちなことですけど、そういう感覚で WWW という場でもふるまってしまうと、問題になるわけです。しかしながら、ほとんどのWebサイトは零細で、実態としては日常生活の延長上にあるわけです。だから、平気で一線を踏み越える。
リンクなどに関する意見(例えば最近の儀礼的無関心の話題とか)では、日常生活との境界線が一見、曖昧であっても、WWW はじつは紛れもなく公の場なんだという「常識」が語られることが多い。にもかかわらず、「言論の自由」をテーマにすると、個人サイトがマスコミ並の慎重さを持つべきとの意見はどこかへ消えてしまう。そして、Google やはてなが企業の申し入れに「屈した」ことをみんなで残念がる。おかしいでしょう、それは。友人・知人との会話と同じ気分で、名指しで無根拠な誹謗中傷をするのが「言論の自由」ですか。
公の場で発言するならマスコミを見習うべきです。みんな「マスゴミ」と呼ぶけれど、素人のタチの悪さを見るがいい。みんながそうだと思っていれば、証拠も何も要らない。そう思ったというだけで、何でも書く。咎められると心外だという顔をする。確信犯なのだ。全然、悪いことをしているという自覚がない。相手が組織になると、どんなにひどいことをしてもいいと思っている。どうせあいつらは金持ちでしょ? 力があるんでしょ? 俺らは無力な市民ですから? ふざけるな。
匿名の存在意義として例に挙げられることの多い「内部告発」だって、証拠がなければ誹謗中傷です。私がいいたかったのは、誹謗中傷の自由のための匿名なのか? ということでした。Beyond さんに匿名を貫くに足る社会正義があるのか。ないだろう、と。
他人の暴露話は大好きなのにの続編。
親がサイトに掲載する子どもの写真はよく話題になりますが、子どもを探すなら保育園や小学校を地図やタウンページで調べる方が話は早い。犯罪者がそれらの場所で好きな子を選び、住所や電話番号を調べるくらい、造作もないことです。写真をウェブサイトに載せているだけで狙われるのだとすれば、テレビドラマに子役なんて使えません。面識の有無に関わらず地域住民には顔と名と家が知られてしまいますし、第3者でも簡単に居住地域は絞り込めますから。
ネットで仲間を集めて集団自殺、といった話題と同様、「可能性」はありますよ。ただ、どの程度の可能性なのか、なんです。ネットがなければ、「ネットで仲間を集めて集団自殺」という事件は起こらない。だからネットなんかなくせ? それもひとつの考え方ですが、大切なのはバランス感覚だと思うのです。
「事故の可能性があるから電車で旅行はしない」といったら極端ですよね。「生活費を稼ぐための通勤と異なり自粛は可能」といわれても困るでしょう。育児日記に写真を載せたければ載せていいのではないか? と私は考えます。自分がそういうことをしない、というだけならともかく、他人にお節介するような話とは思えません。子どもの安全を考えるなら、「素人が運転する車には乗せない」といったことの方がずっと有意義ではないかと。案外、交通事故は遭遇確率が高いので。
ウェブサイトの写真を怖がる発想を敷衍すれば、可愛い我が子が公共の街路を歩くことさえ、危ないという結論になります。いつ誰に目を付けられて、ストーカーの被害にあうかわからない。変質者に襲われるかわからない。子どもが一人で歩いていれば、家は近所だとすぐわかる。適当に尾行すれば住所もわかる。そこで番号案内サービスを使えば電話番号もわかる。怖いですね。
ふだんはそういうことを忘れているわけでしょう。気にしても仕方ないないレベルだと思っているわけでしょう。日常生活を覆面無しで過ごしているのに、いまさらネットで写真を出す出さないで悩むという感覚、理解はできますが、同意はいたしかねます。
他人の暴露話が一過性なのは、遠くにいる人の場合。地元の有名人の暴露ネタは何十年でも語り継がれます。中嶋常幸の長男のエピソードが成田ニュータウンの某地域で永久不滅の語り草となっているように。中嶋家の人々が日々接する地元民たちは、けっこうしぶとくいろんなことを覚えているのです。そういった事実と比較せずにウェブの危険性を語るのでは、やはり片手落ちでしょうね。
また FC2 ブログの話? そうなんですけど、このニュースは見逃せない!
うおおおおおおおおおおお! FC2 ブログテンプレートコンテスト 全作品感想集の余話(+講評)で私が提案した共有テンプレート検索システムが、ブラッシュアップされた形で実装されました! 素晴らしいです。感動。これは嬉しい。感想集を書いた甲斐があったと思う。
daniel さんの心配は杞憂でしょう。複数の項目で絞り込むくらいの知恵はみんな持っていると思う。仮に知恵がなくても、とりあえず最近1週間のダウンロード数上位10件が表示されるわけで、問題ないのではないでしょうか。
主要なテンプレート作者が登録テンプレートの情報を整備し終える頃には、キーワード検索は廃れているでしょうね。イメージや色からサクッと検索、サムネール画像に心ひかれたらプレビュー、気に入ったらダウンロード。作者名やテンプレート名といった、不自然な検索情報にアタマを使わなくてよい時代がやってくるわけです。
あとサムネールの導入は大正解ですよね。何よりユーザフレンドリーだし、ぼんやりしてるテンプレート作者たちに「さっさと情報を登録しなきゃ!」と思わせる迫力もあります。「No Image」じゃ寂しいですからね。
今までリンクされたことがない、というサイトに fujipon さんがどうやってたどりついたのか。そのあたりが、ちょっと気になる。
興味を持ってサイト内を見て回ったら、かなり驚かされました。まずデザインのデザインと構成にたいへん手間がかかっていますね。このリッチな構成を見て連想したのはマダファカ!!!でした(キュウテキを参照のこと)。
そして何よりコンテンツの充実ぶりがすごい。日記やテキストは質も量もいい感じなのですが、特設コンテンツがとくに印象的。丸ビルグルメは衝撃のコンテンツ。関東人ならともかく、北海道在住なのです。これからも東京に年に一度は赴き、全店制覇を目指していきます。
……その情熱はどこから? 東京の観光名所は丸ビルだけじゃないのに。
姉妹でこんなに頑張っていて、「この読者数はないよなー」と思う。
こうして悩んでしまうのも当然ですよね。私はこの記事で紹介されているホームページ アクセスアップの鉄則について、悪い本だとは思わないけれども、肝心なところがうまく伝わっていないと思っています。
簡単にいって、読者を増やすには、新規読者数が消え行く読者数を上回ればよいわけです。旧来のアクセス向上教本は、入り口論として検索エンジンを持ち出し、出口論としてデザインの改善とかテーマの絞込みなどを挙げます。この戦略は間違いとはいえないものの、テキストサイトの場合、どうもうまくいかないのが実情です。
ブログは検索エンジンに強いといわれます。私もそれは実感していますが、結局のところ検索エンジン頼りでは高が知れています。なぜなら、人気上昇にしたがって検索経由の読者も増えるからです。その逆はあまりない。検索エンジン対策で人気サイトを目指すのは、日記やエッセイを中心としたサイトでは難しいのです。
テキストサイトの入り口論は、「大手サイトからのリンクをいかにして得るか」を抜きに語れません。方法は主に2つ。ひとつはリンク報告、もうひとつは文中リンクです(ブログならトラックバックも併用)。
内容がないサイトからのリンク報告はたいてい無視されますが、素晴らしい内容のあるサイトなら話は別。かつて斬鉄剣がたろたまを発掘したきっかけもリンク報告のメールでした。斬鉄剣の「発掘」は、基本的にリンク報告とアクセス解析のチェックによるものだったことは(一部で)よく知られています。
侍魂がスタートダッシュに成功し、さらに傑作テキストの公開と同時に大手サイトからリンクされたのも、リンク報告のメールを律儀に出していた結果です。リンクの許可を求めるメールはしばしば嫌われますが、「リンクしました!」という報告は好きな方が多い。
文中リンクはリンク報告のメールほど確実ではありません。そもそも相手が数日間アクセス解析画面を見なかったら、ログが流れて消えてしまいますしね。また、リンクした記事が興味深い内容でなければ、やはり意味がない。リンク元は毎日多数ありますから(当サイトの場合、検索エンジンとアンテナとオンライン RSS リーダを排除しても1日100件以上)、リンク元からのアクセス人数が1人程度だと、そもそもチェックされないし(時間の都合)、4〜5人いても、当該記事だけしか読まないことがふつうです。
……と書くと、あたかもリンク報告のメールが一番いいといっているかのようですが、そうとは言い切れません。リンク報告は1回しかできませんが、文中リンクは毎日やってもいいわけです。
以上が入り口論の概要。サイトの内容さえ素晴らしければ、必ず逆リンクが返ってきます。
そして出口論なのですが、ここが難しい。デザインやサイト内のナビゲーションは、きちんとしている方がいい。では、それだけでいいか。そんなことはない。正直、デザインのひどい人気サイトは多いです。結局は内容なんですね。ただし日々の更新がどうこうという話ではなく、いかに読者に期待させるかが重要。
重要、なんていわれても、どうしようもない? その通り。だから私は、基本的にはこういうことにしています。
自分の書きたいことを書けばいい。出口論は忘れていい。ただし入り口論は、ときどき思い出してください。
というわけで、そんなに悩むことないのでは? 正直、現状に問題があるとすれば、リンクされないという1点にあります。その原因は知名度が低いこと。まあ最初はみんなそうなんだから仕方がない。運がよければわらしべ長者のように大手サイトの管理人にたどりつくのですが、途中をすっ飛ばす方法がふたつあって、それは既に書きました。
アクセス向上は地道な戦いでありまして、琥珀色の戯言と Target capture で紹介されたら即座に知名度がアップする、というものでもありません。カトゆー家断絶で紹介されれば数千人が読みにきますが、それも一過性。気長に構えて楽しく更新を続けられることを期待します。
いくら書いてもベスト1000レビュアーにもなれないし。これからはamazonのレビューに注いでいた情熱を、HPの「本紹介」に注ごうと思う。
イクヤさんが Amazon で参考になった票を集められないなんてことがあるかな? と思って調べてみたら、案の定「参考になった」票が投稿数の6倍超でした。ほとんどのレビューで「参考になった」票が優勢。名レビュアーの素質あり。これがお世辞じゃないことは、ベスト1000レビュアー達と比べてみればすぐにわかります。
とりあえず100件、レビューされることですね。そうすれば、必ずベスト1000レビュアーになれます。もちろん、評価されるのを前提に本の感想を書くなんて何かおかしい。少なくとも私は居心地が悪かった。
とのことなので、無理にとは申しませんが、50件で諦めるのはもったいない。
最後に再び、日記にリンク。最初から順に読んでいくことを勧めます。新しい日付の記事が上なので、ちょっとつらいですけど、アクセス向上に悩む話が好きな人(?)にはたまらない内容。Folio に関わってウェブで活動している作家の卵さんらを眺めていることもあって、個人的には二重に興味深かったです。
「人気サイトを作る人=平凡で一般人的な考え方をしている人」ではありません。
はてなブックマークユーザって1万人くらいはいるんじゃないかと思いますけど、しばしばこうして(?)人気サイトの管理人が高密度で登場するブックマーク記事があります。あるいは、後々大化けしていく記事を最初にブックマークしたのが大手サイトの管理人だった、というケースも妙に多い。人気サイトの管理人なんて、30人に1人くらいしかいないのに(逆にここでは、そのあたりを大手の基準とします)。これはどうしたことでしょう?
この備忘録の固定客が1000人くらいいるのですが、私の記事にリンクしてくれる人は限られています。おかしな話なんですが、大手サイトの管理人さんしかリンクしてくれない(くれなかった)記事というのがたくさんあるんですよね。人気記事のいくつかは多くのサイトからリンクされていますけれども、じつはそういう記事の方が少ない。
大手サイト同士でアクセスの回しあいをしているように見えて、不愉快に感じる方もいらっしゃるようなのだけれど、少なくとも私には、そんな意図はありません。
将来はどうかわかりませんけれども、少なくとも今、はてなブックマークでホットエントリに登場するよりARTIFACT@ハテナ系でフィーチャーされる方がアクセス増に貢献するわけで、「マーケティングで人気商品を生み出すのが難しいわけだよなあ」と思ったり。
今月、話題になった文芸作品。両親と娘のブログを順に読み進めていくと、ひとつの物語が浮かび上がるという寸法。ホラー系。以下、ネタバレするので、要注意。
お話は面白いのだけれど、本気で怖がるような内容ではない。というのは、昔から有名人や芸能人の子どもというのは、こんな感じだったのだから。椎名誠が息子をテーマに書いたエッセイ集「岳物語」「岳物語(続)」は今も売れ続けるベストセラー(お勧め!)。面白おかしいエピソードの宝庫なので、この本のために岳さんは非常に恥ずかしい思いを何度もしてきたそうです(「定本 岳物語」で岳さん自身が書いている)。では「岳物語」は岳さんを不幸にしたか。そうではない、ということを岳さんは書いています。
私が育った千葉県成田市のニュータウンにはプロゴルファー中嶋常幸さん一家が暮らしていました。庭にゴルフ練習ネットが設置されているので、近くの道を通れば「なるほど、あそこが有名な中嶋さんの家なんだな」と誰にでもわかる状況でした。中嶋さんの長男(中島雅生さん)が私と同学年だったこともあり、彼の話もよく聞きました。いつ誰にどんなお菓子をおごった、とか。小遣いをたくさんもらっていたそうで、クラスメートらにずいぶんたかられていたと聞きます(子どもの伝言ゲームですから大幅に割り引いて考えねばなりませんが)。
隣の学区に暮らす私のところまで情報が伝わっていたくらいだから、有名人の子どもはつらい。テレビや雑誌の取材でも「知られざる一面」がしばしば報じられており、有名人のプライバシーなんてトイレの中にしかないのかもしれない……と私は思ったものでした。
中嶋雅生さんがいじめられていたかどうかは知りません。ただ、幼少時の恥ずかしいエピソードなど
を親が文章にして発表したら必然的に子どもがいじめられるかというと、それはありえない。もちろん危険は増すのでしょう。誰にも何も情報を渡さず、姿も見せず、透明人間になってしまえばいじめられようもない。そうした状態を基準に考えれば、たしかに危険度は高い。けれども、ようは程度の問題。過去、作家や芸能人の子は、親によってずいぶんいろいろな情報を公開されてきたし、近所のコミュニティでは「あの子がそうなのね」と知れ渡っていました。
それで不幸になった人がいないとは申しません。けれども、多くの場合、大した問題にならないから、親が子のことを赤裸々に綴った文章が連綿と書き継がれ、ひとつのジャンルをなしてきたのでした。西原理恵子「毎日かあさん」もひどいし、柳美里の本だって天変地異論者が読んだら卒倒しかねない。室井佑月「子作り爆裂伝」もとんでもない内容です。
作家や芸能人となると急に他人事になってしまい、情報消費者としての視点からしかモノを見れなくなる人が多い。若い女の子が顔写真を1枚載せただけで大騒ぎ、とかですね、ときどきそういう方がいらっしゃるのですが、だったら眞鍋かをりさんとか、「どうやって生きているんだ?」と考えたことはないのでしょうか。用心深いのは結構ですが、恐怖に支配されて現実を見失ってしまうのは、いかがなものかと思います。
本日付で情報フロンティア研究会報告書が正式に公開されたのを受け、情報フロンティア研究会 資料集を作成しました。PDF ではよみにくいでしょうから、主要資料を HTML 文書へ再構成してあります。マスコミの報道に一喜一憂する前に、ぜひご一読を。
例によって「ネットで実名を出すと天変地異が起きるぞ論」が大噴出していますが、実名系ブログや芸能人ブログを見て何も思わないのか。人気絶頂期の木村拓哉だってふつうに顔を出して街中を歩いていたんだけど。そういうこと、知らないのかな。
ちなみに、私は本名でもブログを開設しています。また私の本名は whois.jp で調べられます(注:参考情報1と参考情報2を熟読のこと)。
私の本名を Google で検索すると、住所・収入・勤務先までわかります。私が公開しているからです(もともとは 2ch 管理人・西村博之さんの真似)。けれども、いたずら電話などの被害はありません。それは奇跡ではなく、ふつうはそういうものなのです。例えばネットショップを運営している個人事業主は、みな法の規定に基づいて本名・住所・連絡先を明示しています。彼ら全員がひどい目にあっているわけがない。天変地異論者は、もう少し世の中をよく見るべきです。
韓国をはじめ実名利用が基本の国は存在し、それなりにうまく回っています。匿名利用の道を残すのはかまいません。けれども、誰も彼もが必要もないのに匿名で情報発信し、そのことに何らの疑問も抱いていない状況が果たして望ましいのか否か?
総務省は SNS と老人世代のネット利用促進に期待をかけています。実名利用者が匿名利用者を人数で圧倒することにより、ウェブ情報の信頼性について各発信者が責任を負う世界を現出しようというのです。「実名を出して一定の節度と責任感を持って情報発信する」という常識を確立するのは、正しいことだと私は信じます。
例えばネットでの悪口に悩む店という問題。嘘や誇張がなく、言葉の選択も正しければ、訴訟を恐れる必要はありません。匿名でなければ発信できない情報は多くないのです。
「完全な匿名はありえない」とはいうものの、現実問題としては少々のことでは匿名が破られることはありません。そのため事実上、カジュアルな誹謗中傷をノーリスクで行うことができ、多くの人々が誘惑に負けています。私はこの現状を素晴らしいとは思っていません。「面と向かっていえないことは書かない」という抑制ある態度を守って発言することがウェブの基本となるべきです。
「匿名を完全に排除すべき」と主張したいのではありません。匿名である必要もないのに匿名であろうとすることが常識となっている社会は、不健全だと思うのです。実名を出して情報発信しても、個人レベルでは得することがないのは事実。それは諸外国でも同様ですが、ではなぜ実名の情報発信者が多いのか。それは、実名で責任を負って発言することを称揚する文化があるからです。文化で勝つ他ない問題だから、学校教育の提案が出てくるのです。
私は複数のブログを本名を明かして運営しています。最初から自分を知る誰にでも読まれる可能性があることを引き受けて書き始めたのですが、意外に制約を感じないこと、そして実際、問題の起きないことには驚かされました。オフラインで最初に出会った友人・知人らに対するのと同じ態度を通せばよいのです。これは決して難しいことではない。それは私以外の本名系ブロガーの方々も異口同音に話していることです。いたずらに怖がるのではなく、今そこにある声にも耳を傾けるべきです。
一方、当サイトではハンドルネームを使ってきました。私は表裏のある人間なので、裏側メインで運営するサイトを本名で運営したくなかったからです。ただし電話やメールで問い合わせがあれば、本名・住所・電話番号を個々の読者に開示してきました。仮名での発言も(最終的には)全人格的に責任を負う意図によります。
けれども、重大な問題が生じない限りは情報を伏せておきたい。私の本名で Google 検索して「徳保隆夫は**のハンドルネーム」とわかってしまうのは嫌です(詳細)。会社の上司にはサイトバレしていますが、これ以上は勘弁してほしい。そこで読者の皆様のご協力をお願いしてきたのでした。
もうすぐアルファ版が公開される予定の Sleipnir 後継ブラウザの話。
私は新ブラウザの名称は Fenrir だと予想しますが、そう思っていない人がいるんだな、というところに軽く衝撃を受けました。
柏木さんの設立した会社の名前が Fenrir なので、これで決まりだと思ってたのです。だって一番人気のある商品の名を社名にするというのは、王道パターンだから。商品の知名度を会社の知名度とリンクさせる戦略。
ところでタブブラウザ Sleipnir 開発日記の過去ログを読むと、次期ブラウザへのご要望で「それは難しいんじゃないか?」という声が出ていた機能の多くを実現しているようなので、驚かされました。期待しています。
え〜!?
私は生来、無責任な性格で、それを克服しようとする努力もせずに生きてきました。だから私が「降りる自由」などと言い出したら、それはたいてい最悪の意味で使っているに決まっていて、注意した方がいい。
梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界の補足、あるいは蛇足。
トヨタ も SONY も Amazon も末端に薄給のマンパワーを必要としています。たしかに今、私は東証一部上場の某大企業で研究開発部門に所属しています。けれども、仕事の大半はデータの取得作業です。それは製パン工場ほどひどくはないけれど、レジ打ちより単調。戦車1台を動かすためには、その何倍もの整備・補給車両が必要になる……そんな感じ。
梅田さんがいう致命的
とは、現場作業員に「落ちる」ことと私は解釈したので「飯を食うため
には勉強だけでは不足」はウソだと書きました。私は就職活動の前半3ヶ月間「工員になりたい。工場で雇ってほしい」と言い続けましたが、返事は「大卒枠はありません」。ところが工場見学の際に現場の人の話を聞くと、「大学で勉強してきたような人が作業するのが理想なんだよ。俺ら、わかってないもんだからさ、よく本社の人に怒られちゃうんだよねえ」というのでした。
薄給のマンパワーは日本国内でもずっと必要とされ続けるし、同じ仕事をするなら賢い方が楽です。4年制大学の工学部卒のが工業高校卒と同じ作業をする。私大文系出身者が商業高校卒と同じ事務作業をする。それはもったいのかもしれないけれど、学歴にプライドを持たないのであれば、ひとつの幸せな生き方なんです。
カネに執着がない人が増えれば増えるほど、情報はどんどんオープンになり、モノを作る行為に対する価値が下がり、モノを作っても買ってくれない時代になる。特に「カネを得る」ことにしか興味を持たなかった人間は、この先10年は辛いだろう。新しい考え、アイデア、仕事の進め方を否定し、どんどん保守的な考えに追い込まれ、その結果どんどん時代と逆方向にもがいてしまう悪循環に陥ってしまう、しかも唯一の拠り所だった給与=カネも減らされる。。。そうはなりたくないもんだ。
私がこの意見に共感しないのは、外部の人間がうちの会社へやってきて、事務作業を無料でやってくれるとは絶対に考えられないからです。
「イラストを描く」「コピーを書く」「ホームージを作る」
といった作業を、依頼主の希望通りに期日を守って無料でやってのける人は少ないでしょう。デザイン会社が淘汰が進む今後、3流のデザイナーが技能の向上なしにデザイナーとして生き残る道はないかもしれません。しかし「イラストを描けてホームページも作れる派遣事務員」として仕事を獲得する道はあります。労働基準法が定める最低賃金+少々の待遇に甘んじるなら、一芸を持つ者が無能の人より先に失職する可能性は低い。
年収300万円で納得できるなら、お勉強のできる人は幸せになれます。ただしそれは勉強できない(しない)人から仕事を奪った結果です。でも自分ひとりの幸せを考えるなら、まずはそれでいい。私が書いているのは、そういう残酷な話です。だから梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界がはてなブックマークで妙にヒットしたことには苦笑い。
「なんで昔はあんなに凄かったお前が、こんなにつぶしの利かない、組織の外では(実は組織の中でも)何の役にも立たない奴になっちゃったの? それは、この「20年間の過ごし方」が間違っていたからなんじゃないの。でもその「20年間の過ごし方」って、今でも「それでいい」って思っている人がけっこう多い生き方なんじゃないの」
この何の役にも立たない
という言葉の使い方に私はひっかかるのです。例えば、この備忘録の読者なら時給900円のパソコン教室講師を務められる人は少なくないはず。スーパーのレジ打ちなど、その人の特性にあわせて適当な仕事を想像していただければよいのですが、梅田さんが考える「役に立つ」の外にある世界へ視線を向けるなら、「生きていくことはできる」のが勉強のできる人の実態です。
露悪的に書きますと、日本人の半分は大学に進学できません。それは多くの場合、金銭の問題ではなく能力の問題です。では日本人の半分が飢えて死ぬかといえば、さにあらず。勉強ができない人には体力に自信のない人も多い。だからいわゆる過酷な肉体労働ばかりでもない。では彼らが何をして生きているのかを考えてほしいわけですよ。
「大卒の俺様がそんな仕事をするなんて!」といったプライドと無縁の人が、勉強ができない人の職域に入り込めば、気楽に暮らしていけます。私は梅田さんを批判したいのではありません。梅田さんの文章は、ある種の層に向けて書かれた文章です。私が書いているような低いレベルまでフォローできないのは当然なんです。ただ、梅田さんの読者には「自分は梅田さんの文章の対象読者層なのかな?」と考えてほしいのです。
徳保さんのおっしゃるような「生き方」で「食える」だけでなくちゃんと幸福になるためには、「勉強能力」なんかよりもうんと稀少な「人生の達人」的素養を実は必要とします。大変化に直面しても何とかしようともがく中で多くを学び成長しちゃんと稼いでサバイバルしようという「生き方」よりも、ある種の人々にとっては、とてつもなく難しいことなのだろう、と僕は考えています。逆に言えばこの「ある種の人々」が、徳保さんから問われた「本欄の読者層は誰なのか?」という問いの答えになっているのかもしれません。
……はてなブックマークで梅田さんと私が大差ない支持を得てしまったのはショック。少数派を応援するつもりでカウンター記事を書いたのに。「知力が高く売れない時代がくる(きた)」という共通認識の下、対人能力の向上によるサバイバルを勧めたのが梅田さん、底辺に下りる気楽な道を示したのが私です。当然、梅田さんの提案の方が素晴らしい。私の提言は弱者の犠牲を前提としているからです。世の中の主流は梅田派であってほしい。
情報フロンティア研究会は、きたるべきユビキタスネット社会(=いつでもどこでもネットに接続している/接続できる社会)に備え、情報コミュニケーション技術(ICT)の利活用などのあり方を考え、政策を提言するために総務省が作った研究会です。6月中を目処に最終報告書を取りまとめている同会を取材した読売新聞は6月14日、キャッチーな見出しをつけて軽い記事を書き、日本のウェブロ界隈に総務省への反発を生み出しました。同月23日、今度はブロガーの反発を報道、またもや波紋を広げています。
さて、例によって例のごとく、当の報告書を読んで言及しているブロガーは少ない。ちゃんと報告書(案)が総務省のウェブサイトで公開されているのに、もったいない話。
とはいえ PDF で61ページもあるから、総務省をくさすためだけにそんなの読むのは嫌だ、という感覚はわかります。そこで、情報フロンティア研究会報告書(案)を HTML 文書として再構成しました。ぜひご一読ください。(追記:6月28日に正式な報告書が公開されましたので情報を追加しました)
私は、たいへん真っ当な提言だと思いましたが、みなさんはどんな感想を持たれたでしょうか?
報告書を読まずに批判するのも、賛成するのもリスクのある行為です。私は必ずしもニュースの元になった情報に接することを強要しません。庶民が要点だけを知るためのマスコミでもあるのでしょう。ただ、新聞記者も人の子です。ヘンな要約は世の中に多い。ですから、原典を読むと衝撃を受けるケースは少なくありません。時間・手間とリスクのバランスを認識した上で、行動を決めるべきだと思います。
読売新聞の記事を読み、?Bのコメント群に溜飲を下げた方は、報告書を読み終えた今、あらためてコメント群を読み返してみてください。何かが、違って見えているかと思います。
以下、読売新聞の記事を基点として一定以上の意見を書いてる個人サイトの記事をいくつかご紹介。研究会の提言に賛成、反対、その他いろいろな意見があります。○印が報告書案を読んだ方の記事、△印が、たぶん読んでない方の記事。
以下、関連記事。
大手出版社の本の場合、取り寄せ本は「4〜6週間で発送」と表示されますが、中小の出版社の本はすぐに「在庫切れ」になってしまう。こうした違いは、出版社がオンライン受発注システムに加入しているかどうかによるものだったようです。
小社は出版VAN(有料オンライン受発注システム)に加盟していないため、在庫情報をアマゾンに何かしらのかたちで小社が提供しない限り、アマゾンが小社の在庫情報をメンテナンスすることはないのです。アマゾンが在庫状況を出版VANで確認できないので、「お取り寄せ」が可能かどうかわからないため、単に「在庫切れ」と表示されてしまうわけです。
だったら、その有料システムに加入すればいいじゃん、と思って調べてみる。
Google キャッシュに残っている日本出版取次協会の平成15年度事業報告書によると、出版 VAN は刷新されて WEB-EDI サービスとなったのだそうな。
今回新たに構築するWEB−EDIサービスは、パソコンとインターネットに接続出来る環境があれば簡単に新出版ネットワークに参加可能で、在庫情報の提供や受発注のデータ交換がインターネット上で実現出来る。これまで、システム投資費用等の点がネックとなって出版VANへの加入を見送っていた出版社も、大きな負担なく加入することが可能になる。
で、その安くなったお値段は? Google で「WEB−EDIサービス」と検索してみますと、トップに出てきたのが日立のサービス。
……初期費用230万円、月額費用79500円。ええっ!? っと驚いたけど、これは発注側の話。受注側は月額3500円から、だそうな。出版社は受注側である、と私は解釈したのだけれど、違うのかな。しかしまあ発注側の負担は小さくないですね。
ちなみにアルファ情報システムズのサービスは初期費用15万円だそうな。でも月額利用料を考えると、これはなかなか厳しい。日本出版取次協会が加入出版社のほとんどは旧出版VANからの切り替えで、約100社が7月までに移行を完了した。
と書いていますが、逆にいうと上位100社くらいしかサービスを利用する余裕がない?
数字ってのは面白いな、という話。
教科書的な、わかりやすい事例。ちなみに調査結果の詳細は以下の通り公開されています。
まさか本文が全部画像化されているとは……。こういうの、久々に見ました。
産経新聞東京本社版平成17年6月24日朝刊3面より。
「日本では、なぜこんなに騒がれるのか」
ビザ・インターナショナル東京事務所のダニエル・リンツ広報部長は困惑気味だ。ビザが発表した日本国内での被害額は約9100万円。「昨年の日本における不正被害(約186億円)の0.5%に過ぎないし、カード会員に負担は求めない」と強調している。
これは知らなかった。0.5%だとはね……。今後、被害額はさらに膨らむ可能性があるというけれど、それにしても5%どころか1%になるかどうかも怪しい。
FC2 ブログはユーザのレベルが高い。後発組らしいそつのない仕上げと高機能で人気を集め、初心者がたくさん押し寄せているのだけれど、決して低きへ流れていない。先端ユーザの意識と技能は非常に高いレベルを維持しており、どんどん新しいものが生まれているように思う。開発者とユーザの間によい関係が築かれているのも素晴らしい。
FC2 ブログの共有テンプレートシステムは驚嘆すべき仕様なのですが、このたびまたまたトンでもないツールが登場しました。しかもユーザ側からです。
ブログ製作者が Style Changer を導入すると、なんと閲覧者が自分の好きなテンプレートを適用できてしまうのだ! しかも Style Keeper を併用すれば、選択結果を保持できる! 公式テンプレートでも共有テンプレートでも、何でもござれ。選べるテンプレートは約800種類。
これはレンタルブログサービスとしては類例のない機能。FC2 ブログテンプレートコンテスト 全作品感想集を見て回れば一目瞭然なのですが、FC2 ブログの異常な自由度の高さを活かし、大勢のユーザが多彩なテンプレートを作成・共有しています。従来型のウェブサイトのように使えるテンプレートや、まるで掲示板のようなスタイル、サイドバーやページホルダに最適化されたデザインまであるのです。それを閲覧者が自由に選べるなんて!
まさかここまでできるとは気付きませんでした。FC2 ブログはすごいということを、わかってるつもりでまだわかってなかったんですね、私は。感動しました。
私が好きなポイントを列挙します。
もともとは無料版で記事の MT 形式バックアップに対応しているところにひかれたのですが、まさかその後、ここまでトンでもないサービスに化けるとは思ってもみませんでした。
私ははてなダイアリーが好きです。リッチな Wiki 記法が便利で、安定性・軽快さにも優れますから。でも「いわゆるブログらしいブログのレンタルサービスならどれがいい?」と訊ねられたら、FC2 ブログを推します。(問題はサーバの負荷?)
アンケート結果を見ての通りで、ユーザフレンドリーな企業としては、新仕様は当然の選択であった、と私は思う。その他、詳細は香雪ジャーナルに概ね同意。
さて本題。
私は公開した記事に後から手を入れまくるので、最近1年くらい del 要素とか ins 要素を使っていない。ときには記事の趣旨自体、変わってしまうのだからひどい。はてなブックマークに引用されている部分がそっくり消えていたりするのは、そのためです。圧力とかじゃなくて、単に推敲過程で消しただけ。
でまあ、そんな私からみて、追記のスタイル設定として「下線を引く」ってのは、正直どうかな、と。
ins 要素はインラインでもブロックレベルでも用いられるので、たしかにスタイル設定は悩みどころ。ちなみに「下線を引く」ことは W3C の CSS2 勧告附記 A で提案されています。CSS2実装時のデフォルトスタイルシートとしては以下を採用するよう推奨する
なんて書いてありますので、たいていのブラウザがこれにしたがっているわけですね。
私も昔は下線を引いていたのですが、なんだか目立ちすぎます。なまじっかの強調スタイルより目立ち、何より文章が読みにくくなってしまう。「追記」かどうかって、それほど重要な情報か? と思い、私はしばらく前に think (デフォルトスタイル)の ins 要素関連の記述を変更し、薄い色の背景色をつけるだけにしました。
真琴さんは追記や削除にこだわる方なので、この記事に限らず、hxxk.jp のあちこちに追記部分が出てきます。グレーで点線だからそれほどでもないのですが、最近はこの程度でも何となく……。Opera ではユーザモード常用なので忘れていますが、IE で見ると気になるんですよね。
ちなみに think では del 要素を display:none; としています。ブラウザは del 要素の内容を表示しないかもしれませんよ、ということは HTML4.01 の勧告に記載されてます。じゃあ、別に構わないかな、という発想。正直、スタイルを考えるのが面倒になったので、「もういいや、消しちゃえ」という安直な……。
梅田望夫さんの記事って、どんな層を対象に設定して書かれているのだろう。そして実際の読者は、どんな人々なのだろう。
世の中は日に日に複雑化し、「勉強能力」「学習能力」が仕事上ますます大切になっているのは事実である。ただその一方で、それだけで飯が食える場(チャンス)が確実に減っている気がしている。インターネットのおかげで。あるいはインターネットのせいで。
それで一つの仮説として、「飯を食うための仕事」と「人生を豊かにする趣味」はきっちり分けて考え、「勉強好き」な部分というのは「音楽好き」「野球好き」「将棋好き」と同じ意味で後者に位置づけて生きるものなのだ、と考えるってのはアリなのかもしれないなと思い始めているのである。文学や哲学が好きで文学部に進んだ人なんかの場合は、「最初から就職先あんまりないぞ」みたいな覚悟があって、ほんの一握りの才能を持った人以外は、「勉強好き」(自分が楽しめると思える領域の勉強)の部分を仕事で活かせるなんて、はなから諦めていた。そしてその部分を「人生を豊かにする趣味」と位置づけて生きるのは、これまでも当たり前の流れだったのだろうと思う。その感じが、文系世界では経済学部や法学部のほうまで、そしてさらに理系にまで、どんどん侵食してくるイメージ。そう言ったらわかりやすいだろうか。同意できる仮説かどうかは別として。
では「飯を食うための仕事」という部分では純粋に何が大切なの? という話になるとやはり「対人能力」なんだろうな。そこをきちんと意識しておかないと、つぶしが利かないんじゃないかなぁ。そんなことが言いたかったのである。ここでいう「対人能力」は前エントリーで述べた「村の中での対人能力」ではない。組織の外に向かって開かれた「対人能力」のことだ。
こんなことに戦々恐々としなきゃいけないのだから、上昇志向のある方々はお疲れ様。私は社会の底辺で細々と生きていければそれでいいと思っているから、梅田望夫さんのおっしゃるような危機感には縁遠い。
梅田さんが飯を食うための仕事
と書いているのは引っ掛け。敢えてどぎつく書けばウソです。それはつまり、現在の日本において新卒者が「就職先がない」というのと同様のウソ。何だってよければ仕事自体はあるわけです。
今、うちの職場で一番高い学歴を持っているのは事務員さんで、都の西北の某大学卒。正社員ではなく派遣社員。
もったいないと思う人は多いでしょうが、私はそう考えない。余裕をもって仕事をして、気楽に生きていくという幸せの形がある。私の母がそうでした。高校時代、トップクラスの成績を誇りながら進学せず、就職。10年くらい働き、簡単な仕事を簡単にこなして楽しく旅行などしていたわけです。そして非才の父と見合い結婚し、あっさり専業主婦におさまりました。
才能を十全に発揮することに関心がなく、結婚相手まで非才の人を選んだ母は、しかしこれまでの50余年、幸せな人生を送ってきたと思います。当人も常々そう語っているし、周囲の声も同じ。世の中には、こうした幸せの形があります。
「勉強能力」と「村の中での対人能力」みたいなものさえあれば楽しい仕事人生を送れる、という選択肢が、ここ数十年の日本社会にはかなりあった。(中略)一流大学を出たかなり多くの人が、大組織に勤めているいないは別として、そういう部分の「甘え」を持ちながら生きている。
「これからの十年」さらに「その先の十年」は、そういう「甘え」が命取りになる時代なんだと思う。
梅田さんは一流大学卒でプライドの高い人を前提として話をしているから、命取り
なんて言葉が出てくるのだと思う。「左遷」されて憤激するような感覚で書いているのではないか。
私も一応、某旧国立一期校の出身者だから、自分の話として書かせていただくけれども、これは生き方の問題です。プライドを捨てれば、「勉強能力」と「村の中での対人能力」みたいなものさえあれば楽しい仕事人生を送れる
はずなのです。
音楽や野球や将棋の仕事での役に立たなさと比較して、お勉強はまだしも役立ちます。漢字が読めるだけで全然違う。新聞記事が読める、2桁×2桁を暗算できる、地理・歴史・政経などの素養がある、パソコンのトラブルにある程度まで自力で対処できる、これらの能力があるとないとでは大違いです。梅田さんはご存じないかもしれませんが、本当に勉強ができない人は、これらのことができません。
話のレベルが低すぎますか? そうかもしれません。しかし私はそれなりの大学を院試免除(学科のみ)が公示される成績で卒業しましたが、四国4県の県庁所在地を全部いえたら「賢い人」に分類されるような世界に生きています。
梅田さんの描いている世界には、100人に1人くらいのトップ層しか暮らしていないのではないか……ふと、そんなことを思ってしまう。現実感のない、どこか遠くの世界に見えるのです。
手取年収200万円あれば食うには困らない。年収1000万円なんて一般人には手の届かない世界なのだし、次の10年を考えるより「年収300万円時代を生き抜く経済学」でも読んだ方が幸せになれる人は梅田さんの読者の中にも多いと思う。
私の両親はフォスターペアレントをやっていて、貧困国の少年たちの就学を支援していました。一応、私の小遣いの半分がそれに使われているということになっていて、だから被支援者の少年が送ってくる手紙には、私の名前が書かれていました。「**様、いつも温かいご支援ありがとうございます……」
強く印象に残っているのはネパールの少年です。私よりふたつくらい年上。ひょろひょろで背が高く、いつも小さな母親を大事にする孝行息子で、大勢の弟や妹の面倒をよく見る優しいお兄さんでもあったという。最初は字が書けないので現地ボランティアの聞き書きが送られてきました。その次は幼稚園児の描いたような絵。それが次第に小学校1年生のような絵手紙となり、小学3年生の作文くらいまで成長しました。結局、支援事業は失敗し、彼は学校をやめて農業に専念することとなるのです。そのとき、私はまだ中学1年生。
「これまで**様のおかげで学校に通うことができ、文字や数字を知ることができました。絵を描くことも知りました。どうもありがとうございました。**様には言葉でいいあらわせないくらい感謝しております。(以下略)」
このとき涙した感覚が、私にとって人生を考えるひとつのリアルな基準となっています。彼は字を覚え、絵を描くことを知ったけれど、結局、それらと無縁な世界に帰っていきました。紙も鉛筆もない、誰も字を読めない家族と暮らしていくのです。では全部、無駄だったのか。そうではない、と私は思いたい。淡々と運命を受け入れた彼の手紙に悲壮感はなく、ただただ感謝の言葉だけがありました。
某方面ではありがちな話なのですが、知らない人は知らない問題。
小中学生って怖い、という話。
この話の教訓は何か? 「最近の若い連中は信じられない!」と呆れるあなた、歳をとりましたね。
こういうガックリ系の話題を読んだ後は、ヒョードル選手のイラスト(via id:tragedy)で和むことを勧めます。
はじめに言いますが、このブログをお気に入りに入れたり、ブックマークするのはやめてください。数名いるようなので・・・。ブクマはHPのIndexのページでしてください!HPのInfoのところに書いてあります。ブクマがあるようでしたらPASS制にします。
えっと、リンクはしてもいいのかな。(追記:ダメだったみたいです)
あと、ちょっと困るのが、私は HP の URI を知らないんですよね……。
ちなみに、HPに"Info"なんてページは無いのですが、違うんですか?
私見を述べるなら、異文化に対しては、基本的にはそれはそれとして尊重していってもいいのではないかと思っています。ウェブは広大なので、お互い適当に棲み分けていけば、とくに不都合のないことが多い。いざとなればこちらの主張をガツンとぶつけるのもいいのだけれど、そうでもなければ、ねえ?
ただ、世の中にいろんな人がいるということは知ってほしいので、私は件の記事をご紹介しました。パスワードによる閲覧制限のやり方もご存知のようでしたし……。だから、私は決していじめるつもりでリンクしたわけじゃない。そのことはご理解いただきたいな、と思います。
私がよく使う手法のひとつを解説。
結論として価値観の相違を持ち出して対話を打切るのは私の常套手段ですが、「だったら最初から何もいわなければいいのに」という意見には賛同しません。それはなぜか。
多くの場合、意見の相違は何らかの前提条件の違いに基づくのであって、一方または両方が論理的な誤りを犯したために間違った結論を導いていたというケースは多くありません。一方または両方の意見が「間違いだった」と結論付けられた議論を精査すると、たいてい前提条件の誤りから結論の誤りを導いています。
世の中にいろいろな価値観があることを知る人同士が意見交換するべき理由のひとつは、「前提条件の誤りチェックは複数人で行った方が確実だ」ということです。
ここまでが今回の話の前提。以下、本題。
さて、私が「企業ならアウト、庶民様なら OK」の身勝手さで使った問題提起の手法は、次のようなものです。
ひとつひとつを見ていけば、とくに違和感のない(人が多いであろうと推察される)意見・事象を、こちらの意図に沿って配置し、見せ方を工夫すると、「アレッ!?」という引っ掛かりを作ることができる。そこに、ひとつの主張をぶつけると、相手が「当たり前」を考え、何もおかしいと思っていなかったことについて、今一度考え直す動機が生み出される。
前提条件の相違とは、必ずしも明白なものではありません。なぜなら、事実と解釈はしばしば密接に結びついてしまっており、ある事実から異なる解釈を導くことができること、即ち価値観の相違について、人は自覚できないことが多いからです。だから、自覚を促すための仕掛けが必要になります。
とくに少数派が多数派に意見を理解されるためには、必要不可欠な手法でしょう。私はよく失敗するので、あまりうまい使い手ではないのだけれど。
昨日の記事は簡単な構造で、「原本も著作者も書かない無断転載をしているアニさんが、なぜ許されるのか」がトリガーです。
えーと、「復活」というわけでもないのですが。とりあえず一山越えたので。また松永か。もう飽きた。
という意見もありますが、まあ、松永さんの文章は私の心の琴線に触れるものが多いので、仕方ないのです。そんなわけで巡回経路から外しているのですが、巡回先のリンク先まではたいてい読むので、どうしても一定の頻度で行き当たってしまうのですね……。
もとの話は以上で終っています。以下、本筋とは関係なく私の語りたい話の枠組において持論を展開します。
私は、「企業がやったら許されないことは個人もやるな」という立場。逆にいって、個人がもっと自由にあれこれやりたいなら、企業に対しても同じことを認めろよ、と思う。
どこかの企業サイトがABC振興会のように原著者に無断で翻訳記事を載せ、広告でささやかな収入を稼いでいるのを見つけた場合、松永さんがそれを批判しないとは思えない。そのとき、批判の理由付けに持ち出すのは著作権や翻訳権でしょう。企業がやったら犯罪だけど、個人がやるなら不問に付す……この欺瞞は私には許し難い。
松永さんが提示されたパクリの基準もいい加減なもので、例えばテラヤマアニさんが日常的にやらかしている画像の無断転載がスルーなのはどうして? 著作権的には何も新たな価値を生み出さない無断転載、しかも転載元どころか原著作者も記載されていない。松永さんは、はてなの本の前書きを知財にたかるダニを自称するテラヤマアニさんが書いたことを「はてなの恥だ!」と何故いわないの?
さらに書けば、テラヤマアニさんの画像が、無断転載禁止とかいっているそのへんのフォトログから持ってきたものだったとしたら、松永さんはアニさんを叩いたり、軽蔑したりしていたと思う。……違いますか? そんなことはない、と断言できますか?
松永さんの主張はいい加減なのです。そしてこれは松永さんだけの問題じゃない。
庶民様は自らの権利を非常に重視するが、企業とか大きな団体とかの権利には無頓着。企業などの既得権益を攻撃するのは好きだけど、庶民様の既得権益はガッチリ守ろうとする。庶民様の無責任行為は庶民様に迷惑がなければ知らん顔なのに、企業の無責任行為は自分に被害があろうとなかろうとパカスカ叩く。庶民様の横暴、ここに極まれり。
私は翻訳をどんどんやってほしいと思っているわけ。著作権がどうとかこうとか、(少なくとも現在の)私は基本的に気にしない。ただ、松永さんの発言はひっかかります。テラヤマアニさんは、法がどうこうということをいわない。でも松永さんは、違う。他人を責めるのに、法律を持ち出す。ジョークではなく、割と本気で。だから、法的には真っ黒な無断翻訳版の公開を是とする主張には、「何それ?」って私は思う。
私の主張の核心は関連記事筆頭の Naver ブログと Yahoo! ブログの挑戦にあります。
情報の消費形態を規制しようとする著作者の近視眼が世界を閉塞させていく……と説いたのが、例えば CCCD 問題におけるネット世論のあり方でした。ならば自らの著作権についても、率先して開放を説いてもよさそうなものなのに、仲間の話となると権利意識向上のアジテーションばかり。権利の制限が世界をよくする可能性を、なぜ想像しようとさえしないのか。
無断で翻訳した記事の公開を是とする松永さんは、著作権にうるさい人でもあるので、気になるのです。
厳密にはこうじゃないか?「営利はアウト、非営利はOK」と。これだったら、確かにそのように感じるし、そこで線引きするのは(逆に法的にも)理にかなっているように感じる。
何をもって営利と呼ぶかが問題。とある動物園のウェブサイトが、ページビューを稼ぐ目的で海外の動物園関係のニュースをどんどん無断翻訳して公開したとする。仮にこれが担当者の独断であって、勤務時間外にボランティアで翻訳していた場合、これは営利行為なのか否か? あるいは、多くの個人サイトがアフィリエイトなどで広告収入を得ている現在、趣味が高じて広告収入=生活収入として生きてる Narinari.com のコ○助さんなら許されるのか?
大半のウェブサイトが広告以外に単独収入を持たず、しばしば赤字に陥り広報費の持ち出しになっている状況下では、ほとんどの企業・団体のサイトは「金儲け」という点で広告収入のある個人サイトと差異がありません。仮に有料記事はアウトとして、他はどう考えればよいのか。管理者が営利企業なら営利サイト、という庶民様の好きな区分に、どれほどの妥当性があるのでしょう?
徳保さんは営利非営利問わずにオープンに、という考えかもしれないが、「自分が金儲け以外のところで無償公開したものをただ乗りされてそれで儲けられてしまった」というような状況になったときに激しく萎える人がけっこういるということは(徳保さん自身はそのように感じないとしても、そういう人がいるという客観的事実は)理解されうることではないかと思う。そこの気持ちの問題を言ってるだけなんですけどね。「あー、ただ乗りされて、あたかもそいつが思いついたかのように思われるのは気に入らない」と。
もちろんその事実は理解します。けれども……。
要するに、パクルなら、パクられたほうが「よくぞパクってくれた」と思えるような「質の高いパクリ方」をしてほしいということ。低レベルなパクリ方を見れば萎える。それだけの話なんだが、ここ、徳保さんは汲み取ってほしい。
以前、同じ主張を読んで「本当にそれだけ?」と思ったことも今回の話の背景にあります。アニさんを許す人が、安直に他人の作品を自分の作品の中に「はめ込む」のは、活用でも何でもなく、他人の成果の横取りでしかない。
と書くのは奇妙です。
例えば綾瀬メソッドについて写真の著作者は「よくぞパクってくれた」と思える
のでしょうか? こうした低レベルなパクリ方を見
て、なぜ疑問を感じないのか。それは著作権の被侵害者が庶民様じゃないからだろう……とは私の憶測ですけれども、大外れではないと思う。
ちなみにアニさんの回答は違法であることは承知しているけども、法を守って我慢するほどのことではない
。私は、アニさんの感覚に賛同します。
つーか徳保たんは著作権解放の方にもっていきたいのであれば、まずfinalventの人の話を否定して、もっと翻訳ものを増やせと煽った上で、「それだけパクっておいて著作権ふりかざしたりできないよな、松永よ」とあとから釘をさしておくのがよかったのではないでしょうか!!
あ、そういうことは先にいってくれないと!
私が書いたのは、「自分の翻訳は OK だそうだけど、企業サイトが同じことをやったら気に入らないんでしょ」という意見。「気に入らないんでしょ」は憶測。憶測であるということは、わかるように書いているつもり。
ゴールが先の目的と目の前の目的があったら、目の前の目的を取るのが徳保メソッド。単に、ネットで主流になっている意見に反対したいだけじゃないの? という気もするけど。
だって、どうせゴールなんて実現しないわけだし。あと諸所の問題について主流派には名文書きがたくさんいて、基本的に私の出る幕はない。自分がそれを読み満足して、おしまい。だから主張の強い文章の大半が反主流派の言説なのは当然。
松永さんの文章は、私に文章を書かせるトリガーになる(背中にゾワッとくる感覚を呼び覚ます)ことが多いけれども、じつのところ松永さんの実際の主張は極端なものではない。それは Amazon の書評にいずれも無難な線なので安心できます
と書いた通り。
どこかに書いたことについては、リンク付きで引用してもらうなら反論でも何でもしてもらってかまわないけれど、見たこともない綾瀬メソッドについて「批判していない」=「擁護」と短絡的にとらえて、先回りしてダブルスタンダードのように言うのであれば、「ためにする反論」と思ってしまいますよ。
この件は、だって目的は、ネットの住人が「企業ならアウト、庶民様ならOK」とダブルスタンダードを振りかざしていることへの攻撃なんだから!
という加野瀬さんの指摘がズバリ。私が書いたのは「そんなこというけど、どうせ**なんでしょ」論法。「違います」といわれたら「そうですか、じゃ、今後も注意して見てますからね」みたいな感覚。
やられた松永さんとしてはたまらないところだろうけれど、これは単に私が JR 西日本と松永さんを同じように扱っていることの現われ。事故ひとつで会社のあらゆる問題を見通す人が世の中にはたくさんいて、みんな好き勝手書いています。で、それらについて誰も反論しないから、「きっと**なんでしょ」がどんどん一人歩きしていく。
私はこれを一概に否定しない。私のように、言説の信用を地に落とすことを承知で「ダブスタ上等」を公言でもしない限り、推測を付加した意見展開を禁じれば自縄自縛に陥ります。物言わぬ人や実態の明らかでない存在を批判する手段も確保しておきたい。憶測は憶測とわかるように書けば十分だと思う。(関連記事)
とまあ、ぶっちゃけた話をしたところで、以下いくつか。
キムタケの一件を除いては、どう見ても「ガチガチの著作権をもうちょっと柔軟に運用しようよ」という話で一貫してると思いますが、「著作権の話が多い」という言葉の印象とはまるで逆なわけ。
私の「著作権にうるさい人」という表現は間違っていないと思う。引用の仕方、著作者人格権、CDの輸入権、これらは法に依拠した話をされています。柔軟に、とはいいつつも、まず順法を前提として話を進めているように見える。それとも、これは単に法を持ち出す相手への対抗手段?
そしてミムラさんの眉をつなげちゃうアニさんのケースですが、サイトにおける借用の比率という話
だけで免責していいの? 松永さんはアニさんあなたはおれの代弁者なのか
と書いていますが、ならば20日に示されたパクリの非難基準
は単純すぎました。サイトにおける借用の比率
次第では質の高いパクリでなくとも許すことになります。
アニさんの「悪行」を是とすれば、木村剛さんのウェブ雑誌的方向性を「転載よりリンクで」といった考え方(だけ)で批判するのは難しくなります(嫌うのは自由)。必然性のない無断転載、出典を書かない、原典にリンクしない、改変もする、といった行為を一概に批判することもできず、例えばおれパパ流の倫理基準で個別判断する必要が出てきます。
はてなの本のまえがきに誰が書こうが関係ないし、ましてやなんでそこで「はてなの恥」などと叫ばなければならないのか、まるで意味不明だ。
あの巻頭言がアクセス数トップクラスだからという理由で「知識の泉 Haru’s トリビア」のようなブログの管理人に割り振られていたら松永さんはムカついたでしょう。仮に私がそれを「こんな人を代表的ユーザとして前面に出すなんて、はてなの恥だね」と評しても、社員でもないのになぜ
という疑問は出なかったのでは? またまた憶測論法なんですけど。
「そんなことないよ」と仰るならそれはそれで構いません。私は、はてなの本の前書きを誰が書くかを気にするし、おかしな人選だと思ったら声を上げたい。そのあたりの人情は酌んでほしい。
改めて考えてみると、パクられる側は別として、パクる主体においては、企業と個人で求められる厳しさが変わるというのは、別に変なことでも何でもない、と思う。
パクられる側は別として
の部分、松永さんに関しては私の誤解だったことを認めます。申し訳ない。
そして後段、私はやはり企業と個人の区別は変だと思っています。中小企業のウェブサイトは事実上の個人運営となっているケースが少なくない。ページビューなど、メディアとしての影響力についていえば完全に逆転しているケースが多い。現状、個人と企業の区別が、一方的に個人有利となっていることが気になるのです。個人サイトに全く信用がなく、企業サイトに絶大な信用があるなら、企業にだけ多くの責務を科してもいい。でも、そうではない現状があるわけで。……このテーマは、今後も気長に取り組んでいきます。
わかりません。
音楽を聴く習慣ないです。
くつしたの「特別な人」
昨年はオリンピックがあったので、テレビから君が代を聞く機会が多かったですね。
年始には社長訓辞の前に社歌を斉唱します。
あと3曲も思いつかないよ。
誰にもバトンを回しません。
あと関係ないですけど、はてなアンテナを公開しました。これにともない個人的リンク集をアンテナに統合して廃止。ついでに(?)サイト批評サイトリンク集も更新。サーバも移転しました。あと電話番号が変わるかもしれないので、全ページに入れていた番号を消して Info へのリンクに切替。
その他、私にとって少し重要な方針転換を行ったのが Lecture のコーナ。元々は備忘録の記事をリライトして一貫性のある記事群にするつもりだったのですが、どうにもこうにも、備忘録を書いただけで気力が尽きてしまう状況が続き、精神的に参っていました。
このほどアクセス解析の結果をあらためてじっくり検討してみると、ナビゲーションが全く未整備にもかかわらず、Folio の記事を転載しているだけの Renewal が人気あるんですね。だったら、「目次に戻る」リンクがなくてもいいかな、と思いまして。備忘録の過去ログへリンクを張るだけのお手軽な Lecture 増強作戦を敢行しました。追々、気が向いたら各記事に Lecture の各目次へのリンクを用意したいのですが……まあ、やらないでしょうね。需要がないんだもの。ブラウザの機能で戻れば済んでしまうわけで。
よそのサイトにアドバイスする際には、まあいろいろいうわけですけれども、自分がそれを全部やれっていわれたら、「嫌なこった」と答えます。ご依頼人の方々はたいていまじめで優しい性格なので、閲覧者を大切になさる。だから、それに見合ったアドバイスをしているつもり。でも、私はそういう人間じゃないから。
当面、更新を休みます。ただし請負中のアドバイスは近日中に全部書きます。あと、すぐに過去ログが読めなくなることはありません。サーバもドメインもしばらく先まで確保されていますので。
以前、FC2 の深月さんからメールをいただいたのが切欠で、こんなコンテンツを作ってました。私の感想はつまんないですけど、テンプレコンの諸作品は素晴らしいので、ぜひご覧ください。
「ゲームボーイウォーズ」というシミュレーションゲームがありまして、その攻略情報サイトです。管理人のあじさんは電気電子情報系の院生。2001年開始といいますから、当時はまだ大学生? とにかく4年間も更新が続いているのは立派なことです。こういった歴史あるサイトにアドバイスするのは苦労するのが常ですが、今回はご依頼が非常に具体的だったので助かりました。
あじ、というものです。「ゲームボーイウォーズシリーズ」というサイト名で、同ゲームシリーズの攻略記事を書いています。また、成績管理CGIで皆で記録を共有して楽しむということをしています。トップページのアクセス数はおよそ500pv/day程度です。それほど有名ではないゲームなので、アクセス数増加は望んでいません。一応、電気電子情報系の院生ですので、HTMLなどの技術的なことについてはそれほど苦労していません。
具体的な相談としては、2001年の全くシリーズ続編が出ていない頃からウェブサイトは開いていましたが、続編が出るたび、記事を追加するたびにメニューを増やしていったため、ナビゲーションが自分でも少々わかりにくい感じがするという点です。今年の夏にさらに続編が出ることが予定されているのでそろそろドラスティックにメニューを改善しないとつらくなるのではないかという心配から相談にあがりました。また、作成時期によって記事の書き方もだいぶ異なっている(1/TURBO/2 → 3 → advanceの順です)点も少々気になります。どのようなメニュー構成がよいか、どのようなデザインが適切か、といった点でのアドバイスをいただきたいと思います。
じつをいえば、アドバイスの内容はご依頼文を読んだ瞬間に決まっていまして、本来なら3月30日のご依頼直後、4月第1週にでもアドバイスできたはずです。ただ、そうしてしまうと書くのがつらいアドバイスをいつまでも待たせることになってしまいかねないので、あじさんには申し訳ないのですが、ご依頼順通りに待っていただきました。
ゲーム攻略情報のサイトのデザインをどうしたらいいのか、という問題は、日本で最も多くのファンがいる FF または DQ の人気攻略情報サイトをざっと見て回ればすぐにわかります。以下のアドバイスは、その大雑把なガイドとお考えください。
一定以上の規模のシリーズもの攻略サイトの場合、推奨される表紙のパターンは3つ。
これはどれでもかまいません。重要なのは、ゲームタイトル別攻略ページの作り方です。それぞれのページだけで用が足りるように作るのが最重要ポイント。表紙でしか得られない攻略情報はナシにする。シリーズ最新作の発売情報など、攻略に関係ない情報なら、どんな扱いでもかまいません。
現在あじさんが掲示板や FAQ などを各目次に用意しているのは非常に正しい判断です。現状では「コラム」が表紙にしか提供されていませんが、攻略に関係ない情報なので OK でしょう。
なお、サイトの宣伝などを行う機会があれば、今後はタイトル別ページをフィーチャーしていくべきだと思います。新作の話題で盛り上がっている掲示板に書き込むときなどは、管理するウェブサイトの URI として新作の攻略サイトのアドレスを入れる、といったことです。
また同時に、現在の「トップページに戻る」のような表現もやめた方がよいでしょう。つまり、シリーズサイトの1コンテンツではなく、それぞれが独立したサイトであって、シリーズサイトとはある意味で対等の関係である、と主張するべき、少なくともそういった意識を持つべきなのです。
そして現状の改良は困難でしょうが、今後の留意点をひとつ。新作の攻略ページは、旧作の攻略ページとくっつけない方がいいです。共通データは丸コピでいいので、新作攻略のディレクトリだけで情報を完結させてください。現在は例えばアドバンス1とアドバンス2の攻略ページがくっついていますよね。こういうのはよくない。記事を読む際に、いちいちこれはどっちのゲームの話かな、と考えなければいけない。もっと単純にわかりやすくするべき。
攻略サイトに求められるデザインとは何か。最も重要なのは「一覧性」です。スクロールなしで全コンテンツに到達できるのが理想。現状はペケですね。それほど多くのリンクがあるわけでもないのに、やたらとスクロールさせられます。現状程度のコンテンツ数であれば、タイトル別に攻略目次を作る必然性さえ、あまりないのです。1画面に3ゲーム分全てのリンクを収められますから。デザイン次第でそれは可能ですし、全然難しいことではありません。
そんな馬鹿な、と思われますでしょうか。簡単に種明かしすれば、現在、リンクの横に付している補足説明を消してしまえばよいのです。無くていいものは消す。すると、一覧性は簡単に高まります。それではあんまりだ、と思われるかもしれないのですが、一覧性の確保の方が重要だと思いますね。
表紙はそれでよくてもタイトル別ページはスカスカのデザインになってしまう? その件については、イラストまたはパッケージの画像を入れるなど、適当に対処する手があります。最もスマートな手は、簡単なゲームの紹介と Amazon へのアフィリエイトリンクなどで穴埋めすることでしょう。
結局のところ、こういった話は作例をご覧いただくのが一番いいでしょう。
余談ですが、Amazon へのリンクは末尾に「/ref=nosim」とつけると、紹介料率が高くなります。またリンク先のページも変化します。私見ですが、「/ref=nosim」がくっついている方が、閲覧者にとってもありがたいのではないでしょうか。
学生生活を満喫中の hiro さんが日記と小説と写真を公開しているウェブサイトです。
3月29日にアドバイスの依頼がありまして、2ヶ月余りお待たせしている間に驚きのリニューアルが。ここで FLASH が出てくるとは思いませんでした。
ただ、たいへん苦労されたことが予想されるのにこういったことをいうのは非常に心苦しいのですけれども、今回のリニューアル、正直どうかな、と思います。以前の方がよかったとは申しません。でも今のデザインがいいかというと、それも疑問があるのです。
日記と趣味の写真をメインとしたサイトです。シンプルさを前提に作ってみたんですが、意外と受けが悪かったので、何が悪いのか洗いざらい言ってほしいです。お願いします。
内容は昔ながらのテキストサイトで、フォントいじりで楽しくやっていこうという。更新頻度は低いけど、けっこう面白いし、いいと思います。思いますが、思いますが……。
いや、参りました。勘弁してください。
リニューアル前の様子も、記録はとっていないけれど、拝見はしていたのです。意外と受けが悪かったので
と hiro さんはおっしゃる。そりゃ、受けが悪いでしょう。シンプルさを前提に作ってみたんですが
とおっしゃるのですが、どうしてシンプルを目指して、こうなってしまうのでしょう? たしかにゴテゴテしたくどさはありません。でも、余計なことをたくさんやりすぎているように思います。
シンプルに、作ればいいと思うのですよ。難しく考える必要はないのです。最低限のナビゲーションをきちんと用意して、各ページのデザインは淡々とまとめればよいのです。といっても、そこのところで何か躓いていらっしゃるわけですよね。とすると、私は正直、別の道を勧めたいですね。そのあたりもまあ、追々。
せっかくホームページビルダー7を所有していらっしゃるのに、全然その機能を使いこなせていないのが残念です。まあたしかに、ちゃんと勉強しないとビルダーはワケわからないですよね。かといって、勉強するのはだるい。そういった気分はわかります。でも例えば、超初心者向けに用意されているテンプレート機能くらいは説明書を読めば10分で使えるようになるはず。そのテンプレート機能で、半自動でホームページを作ってしまった方が、閲覧者にとってもう少しわかりやすくなるのではないか、という気はします。
「星のかけら」のデザインには変なところがたくさんあります。ふつうじゃない。それは個性なのかもしれませんけれども、他人に喜ばれる個性と、そうではない個性が世の中に存在することはよくお分かりのはずです。でも、じゃあどうしたらいいのかというところで、困ってしまう。まあ、そういうものだとは思います。
で、ここからはぶっちゃけた話をさせてください。
従来、hiro さんのような方は自分で1からホームページを作ろうとは考えなかったろうと思うのです。いや、一度は考えても、作成過程で何かに絶望したりして、別の道を模索されたのではないか。あるいはいったん完成させてしまってもですね、「何だかなあ」と思って、将来を考え直すことになったのではないか。
「別の道」とは、簡単にいえばレンタルサービスです。形はサービス提供者に決めてもらう。自分はひたすら文章を書くだけですよ、みたいな立場へ移行するわけです。
今、ブログというのが人気あります。ご存じなければ、調べてみてください。Yahoo もライブドアも力を入れているサービスです。検索エンジンで「Yahoo ブログ」とか「ライブドア ブログ」などと調べれば、すぐにわかります。といっても調べるのは面倒でしょうからリンクしますね。
えー、こんなのは嫌だよ、と思われるかもしれない。でも、悪いことはいいません。今のサイトはそのまま残しておいていいですから、仮移転、してみてください。昔のレンタル日記サービスと違って、写真とかもどんどんアップロードできますし、携帯電話からの投稿も可能だったりします。写メールで更新できちゃう。すごく簡単で便利になってます。見た目もたくさんのテンプレートから選ぶことができて、探せばひとつくらい気に入るのがあるんじゃないか、と思うのです。これまでの過去ログも移転できます。ちょっと手間はかかりますけど。
いろいろサイト内を見て回って、つくづく思ったのです。1から作ろうとするのはやめて、例えばブログに移行してしまう方がよいのではないか、と。「実録鬼嫁日記」をご覧くださいな。「フォントいじり+改行しまくり」というスタイルがブログでも問題なく通用する好例です。
HP評価コムは私も拝見しましたが、私の意見は他の方とは違います。内容は現状維持で全然かまわないと思います。方向性もハッキリしなくていい。写真も日記もごちゃ混ぜでいいと思う。スクロールがたくさん必要なのも、別に問題ではない。じゃあ何が問題かといえば、ひとつはサイトのデザイン、そして更新頻度ですね。
ブログを使えば2つの問題が同時に解決されるわけです。更新は携帯電話からできてしまえるから、これ以上ラクなこともないでしょう。日常雑記を増やせば、毎日だって書ける。そしてレンタルブログの場合、新着記事が自動でポータルに表示されますから、更新回数が多いだけで一定数のお客さんがきます。バカみたいな話ですが。というわけで hiro さんにとって。悪い話じゃない。そしてデザインもわかりやすく便利になる(はずです)から、閲覧者も嬉しい。
いーや、ブログなんて認めないぞ、という場合、もうひとつの提案を用意しています。これは無料じゃなくて有料になってしまいますが……。
ウェブ製作ソフトウェアです。ホームページビルダーを買って、FLASH を買って、また新しく買えっていうのか! とお怒りになるかもしれませんが、私が思うに、hiro さんがこれまで使ってきたソフトウェアは自由度が高すぎるんですね。何でもできる代わりに、よく考えないと何もできない。変なことを考えたら変な結果になってしまう。そういったところに問題があった。
だから逆に、できることの限られているソフトウェアがいいのではないか。
……と説明すると、ブログと同じじゃないか、と思われるかもしれません。ある意味、その通り。ただ、結果としてできるものは、かなり異なります。
利用者の声と作例をいくつかご紹介します。これはメーカの公式サイトで紹介されているようなものではなく、Google で検索して上位に登場する一般ユーザの感想と実例です。
いかがでしょうか。ビルダーなどの場合、日記にソフトウェアの紹介記事を初めて書く段階では作例を紹介できないことがふつうです。ところが ID ではそれができてしまう。なぜかといえば、操作が嘘みたいに簡単だからです。それでいて、結果はご覧の通りで、素人が作ったものとは思えない出来栄えですよね。きれいでカッコいい。
とりあえず14日間、機能制限無しで使えるお試しバージョンが公式サイトでダウンロードできますので、ちょっとでも興味を持たれたなら、ぜひ一度試してみてください。なお、作例をご覧いただければお分かりの通り、ID を使うとブロードバンド専用サイトになります。ま、hiro さんがブロードバンド利用者ならば、そのことはあまり気にする必要ないでしょう。ナローバンド利用者は怒るかもしれませんが、別にサイトの人気には影響しません。
ただし総 FLASH サイトとなる都合上、検索エンジンからのアクセスは期待できません。したがって、いくつかのサイトと相互リンクするとか、方法は何でもいいですけれども、最低限の訪問者を呼び込む手段を用意しておく必要があります。いったん人気が出れば、あとは芋づる式です。検索エンジンなんてオマケです。でも最初から訪問者がゼロではどうしようもないんですよね。
その意味で、ID を使う場合、現在のサイトも大切に残してください。日記とか消してはいけない。で、「Home」のリンク先を ID で作ったサイトにします。ただしその場合、現在のサイトの表紙のどこかに HTML 版表紙へのリンクを用意してくださいね。FLASH メニューだけだと、検索エンジンのロボットは広告のリンクしかたどってくれません。せっかく日記という検索エンジン引っ掛け資産があるのに、現状はもったいないです。
おそらくご期待とは異なるアドバイスでしょう。申し訳ありません。でも、きっとこれが一番いいと思います。私はアドバイスを延々とお待たせしてきましたけれども、これまで何度もそちらには伺ってます。それでずっと考えてきたんですが、やはり今のサイトをどうこうするというのではなくてですね、抜本的にウェブサイト製作の手法を変えてしまった方がいいのではないか、と。
以上、参考にならなかったかもしれませんが、どうかご寛恕ねがいます。
CLAMP ファンの中学1年生、雪花さんのウェブサイト。CLAMP は息の長い漫画家ですね。いまだに若い読者を獲得し続けているというのは凄(すご)い。
「sweet Lolita」イラストと交流がメインなのだそう。「交流がメイン」ってどういうこと? と疑問に思われる方は少なくないでしょうけれども、これは実際にサイトを訪問してみればすぐにわかります。用意されているコンテンツの大半がレンタル掲示板やレンタル投票システムの類(たぐい)なのです。なるほど、納得(なっとく)。
ちなみに雪花さんというのは本名なのだとか。北海道在住でテニス部に所属する中1の女の子で名前が雪花さん……と、これだけ情報が揃(そろ)うと、知り合いなら「あの子かな」とわかるでしょうね。するとお節介な人がいて、情報はもっと隠(かく)さないとダメ! とかいい出したりする。でも考えてみると、例えば本名も住所もわかってる芸能人はいくらでもいて、彼女らがみな不幸な目にあっているかというとそうではない。
ネットショップを開設している方は商法の規定に基(もと)づき本名、住所、電話番号を明かしているわけで、「ネットで個人情報を明かしたら恐ろしいことがおきる」というのは都市伝説といっていい。もちろんネットで調べた情報を元に犯罪を行う人はいるでしょう。ネットがなければ起きなかった犯罪もあるかもしれない。しかし個人情報の保護は程度の問題であって、完全に隠せるものではありません。以下、関連記事です。(注:これは常連読者向けの案内。雪花さんは以下の関連記事を読む必要ありません)
アドバイスのご依頼を受けた時点ではまだ小6だった雪花さんですが、ずっとお待たせしている間にランドセルを卒業して中学生に……。入学おめでとうございます。そして、たいへんお待たせしました。
注:当サイトは教育上よくない内容を含んでいるらしく、キッズgooに嫌われています。そこで本稿では、私が塾で中学生に国語を教えていた頃、多くの生徒が読めなかった漢字について振り仮名を付しました。雪花さんは日記などで難しい漢字を使っておいでなので、「国語が得意」と仮定しています。ふつうの中学1年生は「依頼」の読みがわかりません。正解はもちろん「いらい」。え? 「依頼」の意味? そんなの辞書で調べてくださいな。
私のHPは毎日2〜30人くらい来てるようなのですが、掲示板などの書き込みなどがとても少ないです。デザインが悪いのでしょうか?? 私はまだ小6なので知識があまりありません・・・。なのでご指摘よろしくお願いします!!!
まずウェブサイト運営について正しい認識を持つことが必要です。毎日20〜30人が訪問する一般のウェブサイトにおいて、掲示板に毎日1件以上の書き込みがあるケースは稀(まれ)です。それは、雪花さんがどこかのウェブサイトのカウンターを20〜30くらい回しても、一度も掲示板に書き込みをしないことと同様です。「表紙→日記→表紙→掲示板(見るだけ)→表紙」という閲覧経路(えつらんけいろ)を辿(たど)った場合、表紙のカウンターは3つ回ります。同じことを10回やれば30回ですよね。
一度、数取器(は持っていないでしょうから万歩計でも可)で1日の閲覧ページ数をチェックしてみてください。30分間に10〜120ページくらい見て回ったろうと思います。さて、雪花さんは毎日どこかの掲示板に書き込んでいらっしゃいますか? おそらく、そんなことはないだろうと思いますが、いかがでしょう。
ネットだけで仲のよい相手がいれば、その人のところには毎日何か書き込むかもしれません。何人かそういう相手がいれば、一人くらいは「お返し」をしたがる人がいるもので、雪花さんのところの掲示板も少しにぎわってくるものです。
掲示板に人が集まるかどうかを決めるのは人柄です。同じデザインのウェブサイトであっても、日記などあちこちに性格は現れるもの。自然と掲示板に人が集まるサイトとそうでないサイトの差が生まれてきます。これは必ずしも学校で友達が多いかどうかとは対応しません。ただし、緩(ゆる)やかな相関はあります。
一昔前まで「学校で一番人気がある人はネットとか興味ない」のがふつうでした。ところが最近は、携帯電話からウェブサイトを更新し、掲示板への書き込みに対応できるサービスが十分に増えたので、状況が変化してきました。その結果、明らかになりつつあるのは、どうやら暇を作ろうと思えばいくらでも作れる(帰宅部が多い)女子高生などの場合、やっぱり携帯電話にたくさん番号を入れている人が、ネットでも人気者になりやすいのかな、ということ。
端的(たんてき)にいえば、「メールをもらったら必ず返す、借りを作らない性格」「相手のノリにうまくあわせることができ、場を白(しら)けさせない」「空気を読むことに長けている」「ネアカで自然と周囲の人を元気付ける」など、当たり前といえば当たり前な条件が整っていれば、やっぱりふつうに掲示板の書き込みも増えるようです。結局、頑張って人気者を演じるならともかく、それほどやる気がない場合には、自然体で条件を満たしてしまう相手には勝てませんよね。
デザインがまずいので書込みがないのではないか、と心配されているようですが、そんな問題ではないと思いますね。
たしかに雪花さんのサイトの現在の表紙画像は重すぎます。544KB はさすがにひどい。他の画像もやたらと重たくて、全部で 800KB を超えてしまうのです。しかもそれらの画像があちこちのサーバへの直リンク。その一部に回線の細いサーバがあるらしく、一部の画像がなかなか表示されない。これはさすがにいかがなものかといわざるをえません。
しかしながら現在のネットユーザの大半はブロードバンド回線の利用者です。人数だけを見れば、ナローバンド(ダイヤルアップとか AirH" とか ISDN 回線)ユーザが4割くらいいます。でも彼らはネットに接続している時間が短いし、しかもナローバンドなので各ページの表示がゆっくりです。速度が遅くて利用時間も短い4割のネットユーザを切り捨てても、人気サイトを作ることはできます。Naver ブログも Yahoo ブログも、だから人気があるわけです。
雪花さんのサイト程度の重さなら、ブロードバンドユーザには苦痛ではないわけで、不人気には直結(ちょっけつ)しません。(参考:大多数がどうだとか、そんなことを気にするようなご身分なのか?)
……と断言してもよいのですが、ナローバンドユーザには口うるさいのがいたりしますので、画像を軽くする方法について簡単に説明しておきます。
重たいサイトに対して厳しい意見をいう人も(ギリギリなんとか)納得してくれるであろう改善案を作成してみました。
やはり表紙の巨大イラストが最難関。PNG 形式から JPEG 形式に変換するだけで 544KB が 100KB になりますが、AirH" 利用者の私の感覚でいうと、まだ重い。結局「441×640 という版型がそもそも大きすぎるのだ」という結論に至り、300×435 に縮小。ようやく 64KB まで圧縮成功。画質さえ譲(ゆず)れば 40KB 前後にまで落とせますが、今回はここで決着としました。
改善案ではレイアウトなども大幅に変更しています。コンテンツの大半がレンタル CGI で、作者の手になる HTML 文書はフレーム定義を含めてわずかに3ページでしかありません。だから、自作部分だけでデザインの統一性確保を目指しても虚しいのは事実ですけれども、それでも一定の方向性を示すことはできるのではないか、と考えてやってみました。
ちぃのイラストがオレンジ系、ちょうどメニューフレームの背景にオレンジの写真が使用されていたので、このあたりから着想を得てリニューアルしています。緑色は原本でも各所に用いられていますし、目立つところではカウンターの画像が緑色で、これは私が他の色に変更することができないんですね。そういったわけで、一見、かなり異なるデザインに見えますけれども、基本的には原本に対する「改善」案となっていることがご理解いただけるだろうと思います。
原本はデザインが非常にガチャガチャして見えます。たいてい中学生くらいの女の子の作るウェブサイトはこんな感じなので、ことによるとそういうのが彼女らの年代では一番素晴らしいデザインなのかもしれません。けれども、私から見ると、とにかくあまりうまくないような気がします。
何でもかんでも中寄せでまとめてしまっているのが癌(がん)なのです。
そこで改善案では、左寄せを基本として作り直しました。すると main ページの右側に余白ができましたので、2段組を採用。ランキング・同盟・ウェブリングの画像もバッサリ削り、一覧性を高めています。画像を表示しないと規約違反になるのかもしれませんが、正直いって、テキストだけの方がわかりやすいと思いますよ。
メニューフレームは写真に文字を重ねて読みにくかったので、まず画像を加工。ついでに main ページのタイトル画像にも流用し、サイトのイメージシンボルとして活用しています。
また、メニューが英語ばかりなのも問題。雪花さんのウェブサイトの閲覧者は 99% 以上が日本語を母語とする人々でしょう。彼女らにとって、パッと見るだけで「読もう」としなくても意味が理解できるのはやはり日本語。メニューを分類するラベルには日本語を採用し、またメニューの一部を整理し直しています。「表紙に戻る」と「ウェブ拍手(はくしゅ)」の画像は削除し、テキストにしました。やはりこれも、テキストの方がわかりやすいと思いますね。
デザインはどうでもいい、と書いておきながら何ですけれども、もう少しだけ続けさせてください。
この3点を頭においてデザインしていくと、スッキリとした結果が得られます。
一番重要なのは「各ページのデザインを何らかの形で揃える」こと。自然と「デザインルール」について考えることになります。あまりにも複雑なルールでは覚えきれないので、「色をたくさん使いすぎる」失敗など、思いつきで適当にデザインしていった場合に陥(おちい)りやすい罠(わな)を避(さ)けることができます。
例えば私の改善案では、「リンクは緑」「見出しや項目名などは茶色」「強調は太字」といったルールが用意されています。緑と茶色を選んだのは「表紙のイラストがオレンジと緑からなる絵」で、しかも「デザインのモチーフにオレンジの画像が用いられている」から。オレンジと茶色は仲間の色ですね。このように、あれこれ理由を考えながら作業していくと、わかりやすいデザインとなりやすいのです。
なお、改善案では自作 HTML 文書だけしか手を、加えていませんが、もし可能であればレンタル CGI の見た目もカスタマイズして、パッと見て「同じサイトのコンテンツなんだな」とわかるような雰囲気を作った方がよいでしょう。現在はレンタル CGI の見た目が基本的に青系統の配色になっており、白とオレンジの印象が強いサイトデザインといまひとつマッチしないように思います。
次に、中寄せは初心者に大人気なのですが、とりあえずこれをやめましょう。絶対に、何が何でも、とは申しません。ただ、できる限り避けようと努力する。すると、実力が一歩上がります。
最後に、完成したデザインのよしあしを判断するポイントはたくさんあるのですが、ひとつだけ挙げるなら、文字の読みやすさですね。「読みやすいかどうか」をあまり気にするとデザインできなくなってしまうので、「読みにくくないか」を考えるようにしてください。あまりにひどすぎなければ、「まあいいか」としてかまいません。
ようやく本題。
本題なのに最後に持ってきて、しかも分量が少ないことには理由があります。というか、単に書くことがない。ぶっちゃけた話は、最初に書きました。正直、管理人がいてもいなくても勝手ににぎわっている掲示板はあって、それはサイト運営の上昇期に管理人の人柄が掲示板の核となる人物を大勢呼び寄せた結果なのですけれども、それを真似しろといっても無理ですね。無理だと思った方がいいです。では、他に何をアドバイスできるのか。
「溺れる者は藁(わら)をもつかむ」といいますが、その藁をひとつ提示しましょう。
ふつう、ウェブサイトを運営していても、誰がサイトを見てくれたのかはわかりません。ところが、これがハッキリわかる世界が存在します。どうしても書込みを増やしたければ、そういった場所へウェブサイトを移転されることを勧めます。あるいは、日記だけ移転してもよいでしょう。
これらのサービスを利用してウェブサイト(ブログといってもいいです)を作りますと、訪問者の記録が残ります。誰が何時何分にやってきたか、わかるんですね。で、訪問者が会員の場合、訪問者のウェブサイトが判明します。FC2 はちょっと例外としまして、他のサービスの場合、たいていの訪問者が同サービスの利用者です。なので、サイトにやってきたのに掲示板やコメント欄に書込みをしなかったのが誰なのか、かなりの確率でわかります。
ただし、そのことを責めたって誰も友達にはなってくれません。「うるさいことをいわれるなら、訪問するのをやめよう」となってしまうだけです。
だからどうしたらいいのかというと、雪花さんが訪問者のサイトに行って、何かコメントすればいいのです。だいたいマメにあちこちに書込みしていれば、それなりにレスポンスがあるものです。お互いの行動が(ほんの一部であれ)ばれていると、そうひどいことはできないものです。嫌われてしまったら仕方ありませんが、ふつうにウェブサイトを運営するよりはずっと確実にレスポンスが返ってきます。
もちろん、訪問者のサイトへ行ってみてですね、「この人とは仲良くしたくないな」と思ったら、書き込みはしないでもいいわけですよ。仲良くしたい相手とだけ仲良くすればよろしい。
まあこういった場所でウェブサイトを運営するといろいろ便利ではありますけれども、当然、いいことばっかりじゃありません。
誰が訪問したかわかるのは、相手も同じですからね。雪花さんがお友達のサイトをずっと訪問せずにいれば、当然、相手は気付きます。「いや、忙しくて書込みはしてなかったけど、いつも見てたよ」ってイイワケしても、それは嘘だとばれてしまう。面倒くさいですね。
ここで話は最初に戻りますけれども、訪問者が掲示板に書込みしてくれないのは、雪花さんがよその掲示板に書き込みしてあげないのと同じ理由のはずです。ようするに面倒くさい。あなたが面倒だと思っていることは、訪問者だって面倒くさいと思ってる。この壁(かべ)を突き崩す(つきくずす)には、まずあなたの行動が必要です。それは CURURU や Yahoo ブログを使っても同じこと。
お互いに「読むだけで書込みはしません」という関係になってお終い、というケースは多い。というか、たいていそうなっちゃうのです。でも雪花さんだって、訪問するサイト全部に書き込みしろっていわれたら嫌でしょうし、自分がされても「こんなの本当に望んでいたんだっけ?」と思うことになるんじゃないでしょうか。30人訪問してきたら30個の新規書込みがあって……というのも、きついですよ。
おそらく、1回更新したら、2〜3人くらい、何か反応してくれたらいいな、ってことなんじゃないでしょうか。そうであれば、5〜10人くらい、仲のいい閲覧者がいれば何とかなるわけで、それくらいなら無茶な話ではないだろう、と。で、誰が仲良くしてくれるのかを探りながらあちこちにコメントを書き込んでいくために、CURURU などの機能はありがたいですね、という話。
CURURU とかを使えば簡単に友達が増えますとかいっているわけじゃないので要注意。最初の一歩は雪花さんが踏み出さなければいけないし、仲良くしてくれる相手に辿りつくまでには一定のコストがかかります。そして関係を維持するためにもコストがかかる。
で、今、雪花さんは部活が楽しくて、ネットをやる時間もないわけですよね。ちょっとそうしますとね、やっぱり無茶をおっしゃっているんじゃないかなあ、と思うのです。入院したのに誰もお見舞いに来なくて悲しくなったけど、よく考えてみたら自分も誰かのお見舞いとかしていない、みたいな話なんですよね。一部の人は、何もしなくても見舞い客がたくさんきたりしますけれども、それは真似できるものではないのです。
アドバイスは以上です。っていうか、あんまりアドバイスになってなくてすみません(その割に文章長すぎ)。
オリジナル絵中心でしばらくやってきたものの、このところ版権もの(二次創作)が増えつつあるイラストサイト。管理人の朱(シュウ)さんは美術系への進学を目指す中部地方在住の女子高生。デッサンの練習を積んでいるだけあって、片足立ちポーズのイラストもなんのその。
なるほどこれなら倒れないね、と頷けるレベル。
正直、これは偉いですね。素人が趣味でやってるイラストサイトというのは、絵の「味」で勝負してしまうケースが非常に多いわけですよ。やろうと思えばきちんとデッサンできますよ、というならいいけれど、単に技量がないだけの方が大半でしょう。そういう方がいい絵を絶対に描かないというつもりはありません。ただ、基本的にですね、ものの形を把握し、表現する力があるのは大きな強みです。
とまあ、そんな朱さんのサイトにアドバイスできることがあればよいのですが。
メインコンテンツとなるイラストの展示の仕方などにもう少し工夫したほうが良いと思ってますし、全体的に見にくいなぁと最近悩んでいるのでお願いに来ました。どのような事でもいいので、お時間あるときにご指摘お願いします。
難しいご依頼ですね。ざっと拝見しましたが、なるほど工夫の余地はいろいろあるにしても、致命的な欠点はない。「もう少し」というあたり、ヒントがほしいということなのでしょうが、さて……。
……。
……工夫の余地はいろいろある、と私は書きました。その理由は、現状が非常にシンプルな仕上がりになっているからです。装飾の余地は多々ある、ということは、見ればわかる。では、具体的にどうしたらよいのか。そこが難しい。たいてい私のアドバイスは、何らかの欠点を克服する方法の提示として書かれるわけです。今回は、そこがどうもピンとこないわけです。
個人的には、一番気になるのは文字の大きさ。けれども、これはいっても仕方ないことか、とも思うわけです。私のような閲覧者に向けて作られているウェブサイトじゃないわけですし。この非常に小さな文字を好む閲覧者が、朱さんの望む閲覧者なんですよね、おそらく。
じゃあ配色? これもなかなかよくできています。ちょっと色数が多いかな、という印象はありますが、きちんと検討していくと、「ああ、ここのオレンジは、目次の色と対応しているわけね」という感じで、どれも一応、説明がつくように思われました。しいていえば目次の「絵」という字、この緑色はもう少しくすんだ色にした方がいいでしょう。さすがに読みにくいように思いました。
以上、おしまい。……と、これでは3ヶ月もお待たせした面目がたちませんので、もう少し書き足します。
いきなり改善(?)案を示します。クエスチョンマークをつけているのは、これが使いまわしの手抜き案だから。Advice332 にもソックリの改善(?)案が登場しています。
とはいえ「Le Petit」の現在のデザインをある程度まで活かしたつくりにしたつもりなので、まずはご確認ください。サイト全体の改善案を作るとたいへんなので、一部のページは省略しました。しかし主要なコンテンツについて一通り処方箋を示しておりますので、アドバイスとしてはこれで足りているのではないかと思います。
まず配色については、あまり気にしないでけっこうです。シンプルに色数を減らした改善案となっていますが、何もここまで減らすことはない。モノクロ基調となっているのも、安全策に過ぎません。暖色系でまとめられ、ぬくもりのある「Le Petit」のデザインは、今後も大切にされたらよいと思います。
文字サイズはスタイルシートで 12px と指定してあります。そのため、IE では文字サイズの調整に左右されず常に 12px で表示されます。これは一般の IE ユーザが「インターネットオプション→ユーザ補助→Web ページで指定されたフォントサイズを使用しない(にチェックする)」という設定をしていないことによります。
12px という文字サイズは、原本において推奨文字サイズ設定「中」を選んだ結果よりも大きいのですが、この程度で妥協するのが賢明でしょう。文字サイズ調整ができないケースの最たるものは画像化文字ですけれども、主要なポータルサイトで使われている最小の画像文字サイズは 9px です。しかしそれらは短い文字列の表現に限られています。単純に参考にはできません。
そこで Yahoo!JAPAN トップページを IE6 にて文字サイズ「中」の設定(以下同)で閲覧しますと、本文の文字サイズが 12px で表示されます。Yahoo! ニュースでは、トップページ本文の文字サイズは 12px で、個別記事本文の文字サイズは 16px です。
日本一多くの人が利用している Yahoo のデザインは、ひとつの指標となります。12px 以上の大きさの文字なら読むことができて、一番読みやすいのは 16px というわけです。だから 12px で固定しても、基本的には致命的な問題とはなりません。とくに朱さんのウェブサイトは、同年代の女の子を主な読者層として見込んでいます。視力の問題で文字サイズ「固定」では困る方には、IE のユーザ補助機能をお勉強していただくという方針で構わないと考えます。
原本の問題点は、文字サイズ「最小」の設定で閲覧すると文字サイズが 8px になってしまい、非常に読みにくいことです。小さい文字の好きな女の子の何割かは、ふだんからブラウザの文字サイズ設定を「小」や「最小」に設定しています。ちょうど「最小」にしていると Yahoo! ニュースの個別記事本文が 12px で表示されるのですね。ちなみにトップページの本文は 10px 程度の表示となります。
文字サイズ「中」で小さい文字で表示したい人と、「小」「最小」を使っているけど小さくなりすぎて読めないのも困る人の両者が幸せになれる方法は何かないだろうか? そのひとつの答えが、文字サイズの 12px 「固定」(=IE ではユーザ補助の設定無しに文字サイズを変更できない設定)なのです。
スタイルシートで本文の文字サイズを固定することの是非はさておき、「図解の中の文字サイズをどの程度にするべきか」という問題は、多くの製作者が避けて通れないものです。実際問題として、16px は大きすぎて使えないことが多いはず。ではどこまで小さくしてよいのか。12px 以上あれば、まあ安心でしょう、というのが今回の話です。
フレームの切り方には定石がありまして、基本的に%値で切りません。メニューフレームは幅固定、本文側を自由幅に設定します。なおこのとき、メニューフレームの幅は 350px 以内に収めるべきです。
これらの定石には一定の根拠があります。
ブラウザを小さくしていったとき、%値の指定ではメニューと本文領域の両方に横スクロールバーが発生しかねません。これは最悪の事態です。そこでメニュー側を幅固定とします。なぜか? 本文の幅を固定してしまったら、ブラウザの表示領域を大きくしたとき、非常にみっともないことになるからです。
……ただしこれは原則論。インラインフレームは幅固定が基本ですし、本文を固定幅の領域の中に表示するデザインも、最初からそうと狙ってつくったなら、しばしばよいものとなります。基本的には、本文領域は可変幅でつくることが多いし、そうすることを勧めます。とくにデザイン上の工夫を用意することなく、本文よりテキスト量が少ないであろうメニューを広大な可変幅のフレームの中にぽつんと置くのは感心できません。
フレームのメニューを固定幅とすると、文字サイズとの兼ね合いが問題となりがち。そこでプロがどうやっているかと思って企業サイトを見て回りますと、たいていメニューの文字を画像にしています。でなければ、今回の改善案のようにスタイルシートで文字サイズを px 単位で決め打ちしていますね。たいていそのいずれかです。
とまあそういったわけで、改善案ではフレームの幅を 280px としております。これなら 640×480 の小さなディスプレイでも本文領域が過半を占めますから、いちおう格好がつくかな、というところ。
初級者には大人気の中寄せですが、慣れてくるとやめるのがふつうです。なぜかといったら、まず文章が読みにくい。そして、左寄せ基本でレイアウトした方が、結局のところいい結果が得られるからです。
この理由について考えるヒントが Advice312 にあります。デザイン要素の配置が作り出す暗黙のライン(Advice312 では「補助線」と称しています)が、中寄せではうまく整わないのです。
中寄せにすれば中心軸はハッキリするのですが、1本のラインでデザインを支えるのは困難です。ウェブデザインの基本はボックスです。上下左右4本のラインを意識するのが定石。中寄せにすると、左右のラインがガタガタになって、ボックスが成立しないんですね。丸い積み木のようなもので、それでは不安定で使えないわけです。
というわけで改善案では、徹底して左寄せにこだわっています。微調整をしていないので、一部、「やっぱりここは中寄せの方が……」という箇所もあるかもしれません。ただ、「とりあえず左寄せ」でも、案外、悪くないじゃないか、ということを訴えたいわけです。何の工夫もありません。ただ左寄せにしているだけなのです。その結果、デザインはどう変化したでしょうか? 原本より整って見えませんか?
原本では PNG のイラストが多数用いられていましたが、転載版の原本と改善案では、すべて JPEG 形式へ変換しております。
一般にイラストは PNG または GIF 形式、写真は JPEG 形式がよい、とされていますが、じつは水彩やグラデーションなどの表現を駆使したイラストは JPEG 形式が最適です。GIF や PNG が特異なのは、塗り絵のようなイラストだけです。勘違いしやすいところなので、よく注意してください。
単に画像の形式を変換するだけなら、ViX のような画像管理ソフトで十分対応できます。今回、私も ViX で形式変換しております。しかも素人目には劣化を認識できないレベルの圧縮なのに、ファイルサイズは6〜7割減少しています。
私は、ホームページビルダーの「どこでも配置モード」が嫌いです。できれば、「標準モード」を勉強してほしい。本当をいえば、HTML をきちんと勉強されてから、便利ツールとして HPB を使っていただきたい。
とはいえ実際には「勉強せずにウェブサイトを作るため」に HPB を買っている方が多い。まあそれは仕方ないことです。「どこでも配置モード」で作ったからといって「Le Petit」の価値が下がるわけでもない。それが現実でしょう。だから、別にいいんです。朱さんは「どこでも配置モード」を使い続けていい。
ただ、私の改善案が、どうして様々なレイアウトのページを扱いながらも、画像素材は原本と同じものを使いながらも、サイト全体の統一感という点で原本よりまとまっているように見えるのか。そして「どこでも配置モード」を使うとき、どうしてこれを真似するのが簡単でないか。
そのあたりを説明し、納得していただくことができないのが残念ではあります。ま、私の改善案だって、「所詮この程度」ですから、忘れてくださって構いません。
アドバイスは以上です。
これははてなダイアリーというコミュニティの問題。
40過ぎのおじさんが女子中学生を食べるとスゴーク旨いとか発言するだけで既にもう相当にかなりマジでヤバイっていうか大丈夫ですかという感じなのですけども、そういうことをご本人はまったくわかってないところがもう相当にかなりマジでヤバイっていうか大丈夫ですかこわいですよ正味の話。あふれ出る栗の花パワーは仕方ないと言えば仕方ないかもしれないので、お金がちゃんと絡んでる、プロの現役デリヘル嬢ブログとかにコメントした方がいいと思う。プロならお仕事としてきちんと栗の花コメントを受け止めてくれる。
端的に言って、そういう栗花コメントを防ぐ手立ては現状存在しないので、一般の女性ブロガーはいろいろと大変だなあでもめげずに面白い文章書いてくださいね、と思った。あとそういうコメント歓迎な女性は「栗の花上等!」っていうバナーを貼っておいてください。多分もう誰かが作ってる。あと電車内で女性に栗の花をブッカケると立派な(?)軽犯罪なのだけど、ネットで栗花コメントブッカケても何の罪にも問われないので、ブッカケ放題ですねネットは^^。
おじさんの栗花コメント
を避ける最良の手段のひとつは、ぱどタウンや Cafesta を利用することです。今回の被害者は高校受験を目指す年齢らしいので、もうぱどタウンは無理かもしれない。でも最近の Cafesta は、幅広い年齢層のユーザに支持されていますよ。
栗花コメント
を喜んでつけるような人を排除できないのは、コミュニティの問題です。id:moomin630 さんにも何らかの羞恥心はあるのですよ。おそらく Cafesta で楽しく生きていくことは難しい。逆にはてなは、Cafesta 的なナンパ野郎には生き難い世界なのですが。
えっ!? 栗花コメント
さんも嫌だけど、ナンパ野郎も嫌だって? ならばヤプログを使ってみてはいかがでしょうか。女性ユーザの比率が高いので、危険遭遇率が低下します。とにかく、おじさんご用達みたいなサービスにおいて栗花コメント
さん遭遇率が高いのは自明。
栗花コメントさんもナンパ野郎も滅多にいない。でもその世界はガキっぽすぎる気がして、卒業しようと思ったりするわけでしょう。
栗花コメントさんがいますよ、という話。
どの世界にも、それなりにどうしようもない人がいて、それを排除できないので、その意味では端的に言って、そういう栗花コメントを防ぐ手立ては現状存在しないので、一般の女性ブロガーはいろいろと大変だなあ
という話にはなります。ただ、「これだけは絶対にイヤ」というものがあるなら、所属するコミュニティを選ぶ手もあるんじゃないか、と思うのでした。とりあえず危険度を下げることはできます。
それにしても、たいていこの手のハンザイ者は男性なので、「ワシらの身内がえらいすんません」とか肩身の狭い思いをすることになる。勘弁してほしいよ。ていうか、この手の薄い共同責任みたいな意識、何とかならないのかね。単に性別が同じってだけじゃん。と、書いてみる。
この作法がディープダイアラーへの道
として通用するのは、所属するコミュニティがはてなだから。自称ブログ、実質 mixi の Cafesta では全くといっていいほど無意味。今回の被害者は自分をうまく売れる場所を選択したのだが、同時に一定のリスクをとらざるをえなかった。もちろん悪党がいなければ一番いい。だけどそうもいかないのが渡世のつらいところだと思う。
ところで加野瀬さんが例示している「リリカの仮綴じ〆」はきれいサッパリ消滅していて、もったいない話だと思う。教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書には、女子中高生らが築いては壊してきた膨大なサイト群とコミュニティの歴史が全く書かれていない。しかしそれは無理もない。彼女らは100万ヒットの人気サイトでもアッサリと消してしまう。歴史を作ったり残したりすることに関心がない。全員が、とはいわない。でも、大半がそう。これでは、仮にばるぼらさんがこのジャンルに関心を持っていたとしても歴史は書けない。
ヤプログでトップクラスのアクセスを誇っていた「まいまいの生存歴」が、いつの間にか削除されていた。調べたら「面白いサイトを見つけたよ。」の4月25日付記事で既に閲覧不能と報告されているので驚いた。というのは、まいまいさんのインタビューが掲載された本が、ちょうどその頃の発売だったから。まいまいさんはインタビューされて喜んでいたのに……。著者は気にしていないみたいだけど、読者としては「エエ〜?」って感じ。
これまでサイト批評サイトリンク集に掲載してきたサイトの大半は女子中高生のもの。1ヶ月でドンドン閉鎖していくので、リンク切れを作らないよう頑張っていた頃には本当に嫌になった。昨日も閉鎖、今日も閉鎖、明日も閉鎖。私がアドバイスした相手も女子中高生がけっこう多い。先日、アドバイス先を全チェックしたのだけれど、これまた閉鎖、閉鎖、閉鎖の山。
はてなダイアリーのブログアイドル達は、おじさんおばさんの心を掴むのがうまい。何か、老人達のセンスに感応するものがあるんだろうね。でもやっぱり彼女らは女子中高生らしくアッサリ過去ログを消すに違いない。それに対して、「そういうお年頃なんでしょうな」と愚痴るのは老人の特権。
数年前は、どうしてガキんちょは「継続する」ってことができんのだ。こんなことでは日本の未来は真っ暗だ。とか思っていたのですが、どういうわけか歳をとるとリセット狂時代を卒業してしまうらしい。少し注意して見て回ると、小中高と進むにつれて次第に気が長くなる傾向があるような……。ま、データにしてないのでいい加減ですが。
「ガングロギャル」をバカにしないでほしい、と社長はいう。でもこの社長、ふつうの「ガングロギャル」じゃないからなあ。例えば、大学には行かなかった。推薦で入れる大学もあった。親も大学に行ってほしいと願っていた。
とかですね。別にそういうカッコしている人がみんな勉強できないとか、そうはいわない。でも、割合の問題として。
個人を見てほしい、という人は多いけれど、物事は抽象化して語らないと世の中回らない。1人で、自分のまわりだけで戦い、ギャルへの意識を変えさせてきた。でも、世間のギャルのイメージは、なかなか変わらない。
というのは当たり前の話で、逆に自分が「見た目で人を判断することは一切禁止」といわれたら困ってしまうはず。
ありがちな感想ですけどね。