いろいろ書いたけど、はてブでご紹介いただいた「Live2View」「にっこりてろっぷ」「V2C」あたりで、概ね私の希望は満たされるらしい。試してみます。
ニコニコ動画でテレビ番組の、いわゆる「本編」動画を見たいという人の少なからずは、単にコメント付きで動画を見れたら満足なのでは? 各自がパソコンで録画したデータにコメントだけ重ねることができれば、著作権問題をクリアできていいような気がする。
TVキャプチャを作ってる会社と連携して、例えばネット経由で送られてくる信号に合わせて、みんながいっせいに番組を録画するというのはどうだろう。野球中継とかで放送時間が変更された場合に合わせて、信号発信のタイミングも調整する。放送のない地域の人は、残念でした。
録画したデータは、ニコニコプレーヤーで再生する。コメントはサーバーに蓄積されるけど、動画自体はアップロードされない。地域による放送日や放送時間帯の違い、同じ番組が複数の放送局から放送されるケース、などについて、適当に丸めて同一の動画IDを振る。
CMの内容と秒数の違いが難点かもしれないが、デフォルトでは動画とコメントのシークバー(時間軸と現在地を表示するもの)は共有されているが、ボタンを押すとシークバーが2つ出て、別個にシーク可能、てのはどうか。コメントの時間軸は関東版だから、他地域でCMが長いならコメントだけ一時停止するとか。
DVDなんかも同じ仕組みが使えるよね。ニコニコプレーヤーで再生すれば、コメント機能が使えますよ、と。この場合、コメントサーバーの方に作品データベースを用意して、動画再生の開始時に、自動でその作品のコメントデータを取得できるといい。それが難しいなら、手動で検索・取得してもいい。
それなら録画を見ながら2ch実況板の過去ログを見ればいい、って意見もあると思う。でも実況板はリアルタイム視聴専用でしょ。自動リロード設定で新着レスが流れていくから動画と平行して楽しめる。過去ログを投稿時刻を参考に手動でスクロールしてたら、そっちの方に意識が向かって主客逆転してしまう。
……思いついた! 上述の仕組みが難しいなら、実況板をニコニコ化できないか。録画データ再生時に自動的にコメントデータを取得できず、手動で検索・設定する必要はあるが、シンプルかつ強力な方法だと思う。
まず実況板と番組議論板を分ける。議論板は通常通り。そして実況板はスレッド制を廃止し、番組単位で2ch運営が自動でスレを立てる。1番組1スレッド、放送1週間前にスレ立て、放送開始と同時に書き込み許可、HTML表示は最新1000件のみ。事件などによる番組編成の変更に追随(スレ立て人を雇う)。
リアルタイム視聴もローカルにある動画データの再生も可能なニコニコプレーヤーは、実況板の実況スレッドを検索する機能、コメントを動画に重ねて表示する機能、コメントを追加する機能を持つ。
現状のニコニコ動画には、アニメ番組以外、テレビ番組本編のアップロードがほとんどない。著作権問題の解決も無理っぽい。JASRAC みたいな一人勝ちの管理団体があって、全てのテレビ番組のライセンスを定額で一元的に扱えたらいいのだけれど、少なくとも今、そういう状況にないわけで。
その一方で、実況板にはコメントが集まってるんだよね。関東で放送されてるNHKと民放キー局の全番組に、2桁以上のコメントがつく。これを活用できれば、リアルタイム視聴でも、録画によるタイムシフト視聴でも、地上波の全テレビ番組をコメント付きで楽しめることになる(とりあえず関東在住者の場合)。
注:番組関係なくダベり続ける実況スレは番組ごとのスレッドとは別にあっていいと思う。ニコニコプレーヤーでこのスレッドを選択する場合には、タイムシフト視聴なら時刻指定、リアルタイム視聴なら最新を表示、がデフォルト設定だといい。
私はニコニコプレーヤーについて、現在のニコニコ動画のようなフラッシュアプリケーションを想像しているのだけれど、技術的にはどうなんだろう。ローカルの動画とアップロードされた動画をシームレスに扱えたら便利かな。
コメントデータの参照数が動画の表示回数に対応するので、ニコニコ的視聴率の高いTV番組とかも一目瞭然になる。TVキャプチャソフトとも連動するようになれば、録画がたまって見切れなくなったときに、視聴回数とコメント数、あとタグなんかが隣に表示されたら、参考になるかもしれない。
ニコニコ動画の画質で満足できるような人なら、今でもやっぱりテレビパソコンは便利。でも、せっかくのキーボードやネットとの親和性を十分に活かしたサービスは、これまでなかった。ニコニコ動画とTVキャプチャが組み合わさったら、いろいろ楽しいと思う。
「灼眼のシャナ」のプロデューサーがニコニコ動画を批判したラジオが話題になった。DVD を買ってくれなきゃ生きていけない、という訴えに、値段が高すぎる、という反応が。だからニコニコ動画で見ているんだ、という開き直り。
こういう話をする場合、とりあえずとっつきやすいところで GyaO@ShowTime のラインナップを確認することをお勧めしたい。Gyao では、なんと「シャナ」全24話が1932円です。これでも高いか。
「ひぐらしのなく頃に解」が1〜3話無料、4話以降は1話105円で配信中。手頃な値段だと思う。犯罪に加担して開き直って世間に理解されるような価格とは思えない。ちなみに「ひぐらしのなく頃に」は全26話で1543円。DVDをレンタルするより安い(画質が違うけど)。
テレビの番組表みたいに毎週決まった曜日に決まったアニメをニコ動で流す。初めの一週間は無料で流す代わりに、テレビのように広告を入れる。それもイメージ広告じゃなくて、インターネットのインタラクティブ性を十分に生かした広告で、マイリストからその人の好みを識別したターゲット広告のようなものが好ましい。
「ガンダムOO」とか、数は少ないけど無料で最新話を放送してますよね、Gyao は。1話につき105円分の広告を用意するのはたいへんな話だし、権利関係の問題だけでなく、無料ネット配信モデルでは番組の充実が難しい面があると思う。
ともあれ、正直なところ、ニコニコ動画にまともな権利処理を期待するより、Gyao にコメント機能を期待する方が、可能性があるのではなかろうか(私も要望は出してます。みなさんもぜひ!)。まじめにやってる会社がニコニコ動画に客を取られて大赤字というのは、あまりにもかわいそうというか、理不尽な話だと思う。
レンタルDVDは、DVDが発売されないと見れない。いくら安くても、昨日放送された番組を見る、ことができない。Gyao は頑張ってると思う。無論、ラインナップの貧弱さは明らか。あの作品がない、この作品がない……。でもこれ、メジャーが存在せず、JASRACもない映像業界の限界なんだよね。
それでもアニメはまだいい。私はアニメを見ることはほとんどなくて、実写のテレビドラマや映画がメイン。あとはバラエティ番組と報道関連。そういう番組って、Gyao はもちろんニコ動にもほとんどない。せいぜい数分の断片だけ。ネット配信だけで満足できる未来はきそうにない。
それでもとにかく、いわゆる「本編」動画を(現状の)ニコニコ動画で視聴するのは、言い訳の難しい行為だと思う。
この秋、ニコ動でいろいろな動画を楽しむには、やっぱり元ネタを知ってた方がよかろ、と思ってアニメ番組も見てみるようになった。でも何だかよくわからない作品も多い。「ドラゴノーツ」とか。話がさっぱり頭に入ってこない。
で、ちゃんと録画して、CMを全部見て、自分の中で言い訳を作ってから、ニコ動で本編を視聴してみた。なるほどね、本編動画をコメント付きで見たいという人の気持ちが、よくわかった。悪口三昧といえばその通りですが、何だそりゃ、って思うところで突っ込みが入ると、やっぱり面白いんだよね。
「あれっ?」と思ったら解説が入るし、みんなおいてけぼりな展開になれば、呆然としてる人たちのコメントが並んで安心する。これはいいな、と。でも、コメント機能さえあれば1話105円で大勢が視聴するようになるのでしょうか。どうも、そうはならないような気がします、残念ながら。
その後、ニコニコ動画は著作権侵害コンテンツへの対応を強化し、数年のテストを経て2010年には多くのテレビアニメの最新話を1週間無料で配信するようになった。有料配信の利用者は少ないまま。1話105〜315円(パックなら1話80円程度からある)と手頃に思えるが、人気作品でもなかなか1000人の壁を破れない。最高でも5000人に満たない状況。絶望的な感じがする。
他方、経営が悪化したUSENは黒字化の目処が立たない無料配信の「Gyao」や有料配信の「Showtime」をYahooなどに売却した。Gyaoが映画の無料配信をしても全く話題にならなかったのに、「YouTube」が無料配信を始めたら「革命だ!」なんて騒ぎに。USENの手を離れた後も、Gyaoはずっと「かわいそう」なまま。
テレビ番組を丸ごと無断でアップロードすることは、現在のニコニコ動画ではほぼ根絶されている。YouTubeにはチラホラ残っているが、それも減り、近年は「Dailymotion」や「Megavideo」などが人気。一時期は中国の動画共有サイトがよく使われたが、アクセス遮断で利用が減少。その他、HD対応の「Stage6」が人気を集めて間もなくサービスを終了するなど、巨人YouTubeの周辺で動画共有サイトの興廃が繰り返されている。
2010年にはNHKと民放キー局の動画配信サービスが出揃った。どれも投資に見合わない状況だが、縮小均衡に甘んじる決断もできず、展望が開けぬままもがいている。アップルの「iTunes Store」は世間的には成功例扱いだが、ネットが破壊した市場を補完する規模には程遠い。
2011年7月の地デジ完全移行を前にテレビの買い替えが進み、「アクトビラ」「ひかりTV」「J:COM オン デマンド」などのテレビ向け配信サービスが勃興したが、どれも成功には程遠い。家庭用ゲーム機 Wii の1000万台販売達成に勢いを得た任天堂の「Wiiの間」も、成果を数字で示せないそうなので、惨状が想像できる。
有料配信が苦戦している理由はkawangoさんの書いていることに尽きると思う。権利者に断りなくコンテンツをコピーできるなら、結局のところコンテンツの価格はゼロになってしまうということ。
文化の振興に役立たない著作権侵害は認められない。
テレビ本放送やDVD特典のアップロードには、クリエイティブなところがない。コメントがあると面白い、というだけなら、サーバーにはコメントデータだけあればいいだろう。金銭的な損得はさておき、権利者の情報コントロール権を奪うだけの積極的な価値を私は見出せない。
ネットに無料で動画を公開することが利益につながるという説が正しいとしても、その決断は権利者に任せるべきではないか。だから本編動画は運営側でフィルタリングして削除するのが妥当だと思う。
2次創作(手書きアニメなど)や、MAD動画などは、動画のアップロードができなきゃどうしようもない世界。これも1次創作物あってのものだから、著作権処理の道を探っていく必要はあるが、お目こぼし文化として存続することも不可能ではないかもしれない。削除の判断は権利者に任せる形で当面はOKかも、と思う。
んー、でもMAD動画から本編の内容は「わからない」(ケースが大半だ)と思うけど、音楽はほとんど無加工で「全部」が使われちゃうことが少なくない。やっぱり対価ゼロでこれを認めろというのは無理筋か。今のままでいいってことはないな。
それに動画の切り貼りだって、コミケの同人誌の大半が商業誌の切り貼りだったら権利者も怒っていたろうと考えると……。同人誌みたいなもの、って単純にはいえないなあ。甘く見てると先が怖い。
「作業用BGM」の類はよくないと思う。無料で無断使用という体制の中でこれを認めるのは、害の方が大きいと私は判断。権利者への金銭補償体制が整うまでは、運営側で積極的に削除すべきではないか。
アレンジを頑張ってる「組曲」とかはどうか。アップロードする人に音楽使用料を払わせると、萎縮効果が強い。やはり視聴する大勢が薄く広く負担する体制が必要。しかしアレンジ活動振興のために使用料をタダにするのは……やっぱり私はアンバランスだと思うけど、判断に悩む事例も。金銭補償体制の構築を急ぐべき。
番組の一部分を切り取って見せる、というタイプの動画はどうだろう。ハプニング映像みたいなものとか。将来、全チャンネルを1週間分録画する、みたいなのが一般化するなら話は別だけど、当面、これは各自の録画では対応できなさそう。でもこれを無制限に認めると収拾がつかなくなる。
現状のニコニコ動画は許容不可のサービス。本編動画は問答無用として、他は何とか……と思ったけど、やっぱり無理。権利者にお金を回さないというのは、どうにも不都合がある。
今すぐ完璧にしろとはいわない。潰れてほしくなんかない。でも、現状維持はダメ。それではやはり、害の方が大きい。でも、ニコ動が権利処理をきちんとしようとするとき、最大の障害となるのがユーザーの気質ではなかろうか。とくに反JASRACに代表される「不透明」嫌い、反TV局に代表される「中抜き」嫌い。
これで「解決」なんて可能なのか。
私は長らくテレビを見なかったんだけど、社員寮時代、食堂で食事しながら見る限りは面白いと思ってたんだよね。じゃあなんで自分の部屋で見ないのか、と自問してみたところ、自分のコンプリート志向に気づいた。
例えば私の読書記録は「全ページに眼を通した本」を基準にしてる。だから8割方読んだ本でも、載せてない。人に勧めた本を、勧めてから数年後に興味薄くて後回しにしてたページをようやく読み終えて記録したり、なんてことも。まあ大抵のことにはズボラなんだけど、テレビは書籍と同じ側だったらしい。
つまり何かというと、帰宅時間が不定なので、毎週ちゃんと番組を見られない。それが嫌だった、と。でもパソコンがあるんだからTVキャプチャを買えばいいんじゃないかと思った。で、買ったのがソフトウェアエンコードタイプのもの。これが失敗。パソコンが非力だった……。使えないものは仕方ない、売ってしまった。
今夏、実家に帰ったときに、用があってまたTVキャプチャを買ったんだけど、このときはハードウェアエンコードタイプにした。予想通り快調。無事に用が済み、これを持って帰ったので、秋あたりからテレビ視聴を始めてみようかな、と。
もともとレンタルDVDでテレビドラマを見るのは好きだったので、秋ドラマから、と考えた。
私が共感するのは田中というキャラクター。容姿は全然違うけど、性格とか。
よくわからない。こういう人もいるんだろう、と思う。まあ、いていいんじゃないですか。
どうせ子どもは親のいうことなんか聞かないし。友達になりたければなるでしょ。親が邪魔したら、いっそう依怙地になったりして。
すごいバイタリティ。
私なんか就職氷河期組だけど、同期入社20数名の中で、SPIとかのペーパー試験対策をやってた人が私を含めて2人しかいなかった。ペーパーだけでも何度も落とされちゃった、でもこの会社が拾ってくれて助かった、とか休み時間に話してた。世の中そんなもの、と思う。
だからリンク先記事の筆者が就職活動で圧勝、てのは当然。ただ、ペーパー試験対策なら頑張れた私が、なぜか配属先では無能化しちゃってるわけで。悔しいと思いつつ、どうにもできずにいるわけで。そうなる可能性は低いけど……。ご活躍を期待しています。
世論はそうだろうな、という印象。個別面談ではなく電話や郵送による調査でも、結果に大きな違いはないと思う。
個人的には、反対派の言い分はよくわかる。例えば資料5を提示して、対象者によく読んでもらってから質問する
というその資料5の内容。
近年、子どもたちに悪影響を与える恐れのある以下に示すような情報(「有害情報」と言います。)が多くなっています。
- (1) わいせつ画像などの性的な情報
- (2) 暴力的な描写や残虐な情報
- (3) 自殺や犯罪を誘発する情報
- (4) 薬物や危険物の使用を誘発する情報 など
雑誌、DVD、ビデオ、ゲームソフトなどの有害情報に対しては、現在、ほとんどの都道府県で条例により、有害図書類等の指定や青少年への販売禁止などの制限がありますが、罰則が弱い、各都道府県により規制がばらばらであるなどの指摘があります。また、インターネットの世界でも通信事業者やネットカフェ業者による自主規制などが行われていますが、業界団体に属していない業者は規制の対象外となっています。子どもがインターネット上の有害情報に携帯電話等でアクセスして被害にあうケースも増えています。
一方、表現の自由等に配慮して、どのような情報であっても規制すべきでないという意見もあります。政府では、こうした状況を踏まえ、様々な取組を行ってきたとともに、平成19 年7月に「有害情報から子どもを守るための検討会」を立ち上げ、
- 1 国の姿勢を示す
- 2 社会全体として取り組む
- 3 有害情報を適切に把握する
- 4 有害情報の特性等に応じた対応策を講ずる
- 5 表現の自由等に配慮する
の5原則を掲げて検討を進めているところです。
悪影響を与える恐れ
はさておき、悪影響を与える
という十分な証拠は、ない。
でも、旗色悪いと思うよ。だって、証拠がないといえば、そもそも18禁とかいう規制自体、科学的な根拠がない。小学生にアダルトビデオを見せて社会に何の悪影響があるのか、という話になる。そりゃ多少の文化的衝撃はあるにせよ、数十年も経てば新しい世界はそれなりに安定しているでしょう。
注:首を絞めれば人は死ぬ、なんて小学生でも知ってること。だからといって「試してみよう」で殺しちゃう事例は滅多にない(がゼロでもない)。小学生に自制心がないかのような前提で、あるいはリスクゼロ志向でアダルト規制を正当化できるだろうか?
思想信条の自由なんてフィクションなのであって、実際には様々な文化的規制がはびこっています。もちろんフィクションだからどうでもいいんだ、とはいわない。現状程度のバランスで踏みとどまっていることに意味はある。でも、所詮は相対的な自由に過ぎないということ。
であるならば、日本という国から児童ポルノ文化を廃絶したいという人々の願いが非常に強いものだとすれば、原則論で対抗するのは難しい。地道に許容範囲争いをしていくしかない。で、まあ、児童ポルノじゃあ、勝ち目は薄いと思う。
宮台さんはこう結論する。
性的メディアが青少年に「悪影響」を及ぼすとの理由で、性的メディアを規制することには、科学的に根拠がない。にもかかわらず性的メディアを規制するなら、第一部で述べた「法と道徳の分離」という近代法の原則に抵触しているという誹りを免れない。
多分、宮台さんのいう「法と道徳の分離」という近代法の原則
は、日本で国民的なコンセンサスを得ていない。ハリウッド映画などを見る限り、アメリカでも庶民はその原則に賛同していないだろう。メディア規制は、シンプルに「民主主義的に正しい」とする主張が、世間的には一番通りがいいのではないか。
言論の自由の確保こそが民主主義の生命線であり云々、1対1ならそれで勝てるかもしれないが……。ことによると、児童ポルノを守らなきゃ存続できないならむしろ民主主義を捨てる、という人の方が多いかもしれない。日本が直接民主主義を採用していたら、児ポ法はとっくの昔に強化されていたろう。
欧州では被害者を出さないという観点から云々、これも通用しないだろう。日本は日本、欧州は欧州。国民の価値観が異なれば、結論も異なって当然。死刑賛成の世論と同じ。
「岡田斗司夫×いいめもダイエット」問題 雑感(2007-10-16)の予想は全部当たった、と思う。岡田斗司夫さんはパブリシティ権という言葉を思いつかなかったので、苦し紛れに誤って著作権侵害といってしまった、というだけのこと。
でもこれ、ネットユーザーの無知だって問われていい。この話題を取り上げたブログの記事を数十も読んでみたけど、ひとつとしてパブリシティ権に触れていない。ITmedia の記者さえパブリシティ権を知らない風で、岡田さんもかわいそうだ。そりゃ一般人がパブリシティ権を主張する場面なんか滅多にないだろうけど、不勉強には違いない。
なお、私の一番いいたいことは16日の記事に書いた通り。ここでは繰り返さない。
岡田さんのブログに寄せたコメントを転載しとく。
「洗脳社会」以来の愛読者です。せっかく本が売れてきた矢先の「いいめも」騒ぎを残念に思っていましたが、今回の説明で岡田さんの主張はよくわかりました。ただ、何らかの権利なくして、他者の自由な行動を妨げることは不可能です。とくに「残念に思う」程度のことでは。
岡田さんが「著作権」の侵害、として抗議したのも、やはり権利に基づく抗議という形を模索した結果だと思います。しかし日本の法律・判例に当たる限り、いいめもは著作権を侵害していません。そのため「事実誤認で合法サービスを潰すのか」「誤った法律知識を有名人が吹聴するのは許せない」といった反発が広がったものと思います。
ではいいめもは無謬だったか。そうではありません。いいめもは、岡田さんの「パブリシティ権」を侵害していました。著作権侵害という主張は事実誤認として取り下げることを表明した上で、あらためてパブリシティ権の侵害事案という認識を提示されてはどうでしょうか。
今回の記事をよく読めば、岡田さんにとって問題なのは、レコーディングダイエットへの誤解が広まることだったとわかりますが、「著作権」についても同様に、誤解が広まることを許せないと思う人がたくさんいます。前記の件、ご検討いただければ幸いです。
「誤解されたくない」は岡田さんとその批判者に共通するキーフレーズなので、ここを基点とすれば問題は解決できる、と考えた。
著作権云々の批判は「それは本筋じゃない。揚げ足取りだ」と思う。でも著作権にこだわるのも、「太っ腹になれ」という弾さんの記事に「人を成功困難なダイエット法に導くツールは認められない」と反発するのも、構図は同じ。
岡田さんから見て瑣末なことでも、こだわっている人が現にいる。別に全員を説得したいわけじゃないし、と放り投げるのも一手だけど、いま岡田さんが著作権侵害と主張したことの誤りを認めて、パブリシティ権の侵害だったと主張しなおすのは、コストパフォーマンスのそう悪くない対処法だと思うのだが、どうだろう。
パブリシティ権入門。岡田さんがいいめもダイエットに対して抗議はできてもサービス停止を強制することは困難で、実際、「お願い」という形になった事情が理解できる。
岡田さんが一部分の引用を認めないとしていることに反発している人がいるんだけど、お願いをするのは自由なんで、著者の意思を尊重しようと思う人はそうすればいいし、一部分の引用は法で認められた権利なんだから自由に行使したいと思う人は、やっぱり思う通りにすればいい。
「希望を述べる言論の自由」を認めない、という主張は解せない。言論の自由を軽々に侵すべきでないよ。他人が「嫌がる」ことを許容できない、みたいな感覚には与しない。違法でなくても嫌なものは嫌だ、といえる世界がいいに決まってる。そうでなきゃ法律は無謬で変更不可能ということになってしまうじゃないか。
人を怒らせたくないと思うあまり、自分の(現行法下で)合法な活動に対して人が怒ることを許さない、みたいな転倒が起きている。部分引用を岡田さんが許可しないのは岡田さんの自由だが、無許可での引用を法は認めている。それ以上、どんな勝利を望むのだろう。
みんな、「合法だが許せない」ものに怒りを表明する権利を奪われても全然気にしない、のか?
引用は著者に無断で行うことができる。引用の範囲は、名誉毀損などになってはならないが、基本的には自由。法律がそのようになっていることには、理由がある。しかしもちろん、現行法は無謬ではない。議論の余地はあると思う。岡田さんを啓蒙・説得したいなら、「バーカバーカ」じゃなくて、正攻法で行くべきだ。
あほか
で済んじゃう話なら、問題視する必要はなかろうに。いやまあkotorikotorikoさんの場合、面白がってるだけっぽいけど(それはそれで)。
追記にあるように、6歳の子どもが小学校に入学して2年半、ようやく100÷30が解けるようになる。授業時間数にして300時間超。免許を持った数十万人ものプロフェッショナルが100年知恵を絞ってきたけれど、これ以上のペースは望めない状況だ。
難しいものは難しい。ときどき「**をわかりやすく説明する」みたいな記事や動画や授業案が話題を集めるが、たいていは「わかっている人から見てわかりやすそうに思える」の類ではないか。もちろんそれで救われる人もいるのだが……。クイズヘキサゴン2というテレビ番組を見ていて、つくづくそう思う。
それはさておき、リンク先の本編に書かれている、相手が求めるレベルの回答をする、というのは大切なことだと思う。物語を語ることが専門(企画や営業など)の人が物語を語れない相手を見下している場合も見受けられる
というあたりも、いちいち納得。
どう見たらいいのか、よくわからないので、各説の末尾に○×△をつけてほしいな。
……といっても仕方ないので、人力検索とかで意見を募ってみるか。
Wikipedia で数項目、編集したことがある。自分の記事がリンクされたのがきっかけだった。
その後、飽きてしまって縁遠くなったのだけれど、やっぱりちょっとイヤだなと思ったのが、思い入れ優先で私の編集をバッサリ否定する人。
テレビ離れの証拠として土曜日の10代男性の視聴時間が減っているというデータだけを引っ張ってきたり。それはおかしいと思って、じつは若者の視聴時間が延びているゾーンもあるといった事実と合わせて中立的に書き直してみた(つもりだった)んだけど、「事実を消すな」とかいって元に戻されちゃった。
あんなところにいくら書いても、自分が納得できるような形にはならないという、当たり前のことに気付かされた。あと、なんかいろいろ面倒くさいな、という印象が残った。
テレビ離れなんて、取り立てていうほどのことなのか? 素直にデータを見れば、変化は緩やか。15年ほど視聴率の低下が続いているものの、1970年代レベルへ戻ったに過ぎない。
似ている、近い、というだけで数学の先生や数学者が検証抜きに「オウムガイには1:1.618の黄金比がある」といっている。どこの比が黄金比なのか、という点も諸説それぞれ勝手な思いつきである。「自然という王様は黄金の服を着ていてほしい」という願望の投影としか思えない。
ちゃんと調べれば違うとわかるのに、という。理系文系、問わないよね、こういうの。私も実験やってて、これまでに何度、関係ないものを関係あると誤認識してきたか……。中間報告までは威勢がいいんだけど、最終報告ではお手上げ状態になってる、という。パッパラパー。
偉い先生も安直に俗説へ乗っかってしまう。データから俗説に異を唱えるこの記事の方が、私はずっと説得力があると思うけど、世間の常識は微動だにしない。なんでだろ。
日経ビジネスオンラインの竹中正治さんの記事には、思い込みの妥当性を調べてみる、というテーマで書かれたものが多く、面白いです。
世界の「解釈」と「事実」。おかしな解釈に、じつは合理性がある、それはわかる。でも事実に反する主張は、どこまでいっても事実に反している。オウムガイの件で、事実を知ってなお議論したがる人はいない。なのに誤解は拡散していく。バカには見えない服という物語に乗った王様を笑える人はいない。(2007-10-26)
リンク先の記事の内容とはあまり関係ないんだけど、褒めるのは、やっぱり難しい。私の場合、当人のいない場で悪口が出たときに、いちいち反論してみるのが簡単だと思ってる。
いや、それは言い過ぎでしょ、とカチーンとくると、ふだんは死んでる「人のいいところを発見する回路」に電源が入る、というか。まあそれで、褒められた人が喜ぶかどうかは知らないけどね。
以下はまた別の小話。
では、「無断リンク禁止という主張は合理的でなく、マナー違反である」という主張が声高に言われだしたのはいつ頃からのことでしょうか。
私がこういう意見をはじめて目にしたのは確か2001年後半頃のことだったと思うのですが、それがどのサイトであったのかわからず、最古の主張を特定するには至りませんでした。
(多分このサイトのどこかで、内容的にはここ(Internet Archiveによると、2003年には既に存在)かここ(2002年)の11月21日くらいではないかと思うのですが、はっきりしません)
私の記事にリンクされているのですが、月単位のアーカイブなので個別記事を紹介しなおすと、リンクは無断で(2002-11-21)や少数意見を無視する自由(2002-11-22)かな。
でもどちらかというと、私がその記事の中でリンクしている仮説:無断リンクを禁止しても良い(岩城保さん, 2001-11-10)や、そこからさらにリンクされている仮説:リンクの自由は憲法で保証されている(岩城保さん, 1999-08-22)の方が、それっぽいような。
「無断リンク禁止」批判なんて、前世紀から珍しくもなかったような気がします。気がします、てだけで何の証拠も示さないんだから、ひどい話だけど。
韓国の様子を見ると、実名制になっても、誹謗中傷は大して減らないみたいだね。「被害者」が「加害者」と突き止めやすくなった、としても、実際に罰を与えるところまでいく事例が増えないことには、なかなか……。韓国政府の調査については、今後もレポートを続けてほしい。
ともかく現状は、言論の萎縮も、中傷の抑制も、ともに限定的という感じ。まあ実名制といっても、常に名前が出ているというわけじゃないようだし……。考えてみれば、知人・友人間では、実名をお互いに出している場で、ひどいことを言い合ってたりする。そうそう劇的な変化はありえなかったのかも。
先日、出張先で久々にタクシーに乗った。運転手が道に迷って、私の行き先の会社に電話。受付嬢が応対したのだけれど、どうも要領を得ないようで、イライラしてる感じ。切った後で「やっぱり女はダメですね、ホント」とかいって、同意を求めてくるので困った。
私が例えば、タクシー会社に「おたくの会社は社員教育がなってませんな」みたいな一報を入れるかも、という危機感がないんだな。運転手席の後ろに名刺入れがあって、運転手と会社の連絡先が書かれたカードが入ってる。ご自由にお取り下さい、とやってるわけ。それなのに。
ニコニコ動画に先日、NGコメント機能が実装された。将来的には、一定以上の人数(捨てアカ問題を無視できないなら有料ユーザー限定でもよい)がNG指定している発言者のコメントはデフォルト非表示、多くの動画でデフォルト非表示となったユーザーはコメント不能となる、というのも「あり」かもしれない。
言論の自由は、あらゆる場面で最大限に保障される必要はなく、民間サービスは個々の事情に応じて言論を制限してよい、と。現にアダルトコンテンツの公開を禁じているウェブサービスは数多い。
名誉毀損で有罪だとかどうとかいう話と、誹謗中傷が野放しになっているみたいな状況との中間に、「そういう言論は、弊社のウェブサービス上では認められません」という領域が広がるといい。声の大きい先進ユーザーには嫌われそうだけど、最終的な獲得ユーザー数など商売としては勝利し得るのではないか。
「可能性」に事寄せて、中間領域自体を認めないという主張、私は賛同しない。
削除請求に法的拘束力はないし、仮にブログサービス事業者から追い出されたって、発言自体が禁じられたわけではない。今回だってサービス事業者は削除要請を蹴っている。そういう自由がある。楽天だって、明らかに違法でなければ何でもあり、ではないだろう。個別に判断するはず。こういう領域は必要なんだ。
著作権侵害の非親告罪化だって、違法行為と適法行為、いずれの萎縮効果が大きいのか、という判断をすべきだと思う。現時点では「判断の材料がない」というのが実際のところ。だからやらない、だからやってみる、どちらの道もありえる。
画面ではあまりきれいに見えないのですが、印刷してみると美しく仕上がる。もっとギザギザが出るのかと予想してた。図形に文字を重ねてみた箇所も、違和感なし。1箱100枚で送料込890円(片面カラー)は、たしかに安い。すごいな、と思った。(って実物の写真を示さずにいっても説得力ないけど)
あ、でも写真みたいなのは試してないので悪しからず。
いっぱいあってたいへんだ……。読むのはまた今度にしておこう。
とかいってるうちに季節が変わってしまった。
うわ、めんどくさ……。
mattzさんによれば、fake24さんの記事の6番目、お説教は聞いているふりをすること、言われたことに対して深く悩まないこと。
だけでOKとのこと。
実際問題、イジメかどうかなんてのは、なかなか難しいんだよね。「被害者」に訊ねてみると、「これはイジメではありません。放っておいてください」とかいうこと、多いしね。すると学校として対応することが難しくなってしまう。頑固な生徒を説得するの、難題なんだ。
ブログ自体を校則違反にしておけば、ブログやってたということで、「被害者」が学校の介入を拒もうとも、「加害者」のブログを閉鎖に追い込むことが可能。ひとつ教師の武器が増えるということ。学校にまつわるトラブルについて、対処法がないという状況は放置できない。保護者はいろいろ求めてくるしね。
泥縄式であれ、とりあえずこういう決まりごとが作られていくのは、故なきことではないと思う。こういうのは、運用の様子を眺めてから抵抗しても遅くはないと思う。
プロならもっとまともなやり方で教育しろ、とかいうのは簡単だけど、みんなそうしたいに決まっている。でも、できなくて悩み、苦しんでいるわけだ。それを教師失格と非難するなら、あんたが教職免許を取って学校に乗り込めよ、て感じかもね。
ともあれ先生方は別に山岸さんのブログを潰したいわけじゃないはずなので、山岸めもの是非は問わず、黙っているのが一番いいと思う。
弟の通う公立小学校では、子どもだけで学区外へ行ってはいけないことになっていた。でも学区の端っこに住んでいる人はどうするんだ、という話でね。家の隣にある空き地で遊んじゃいけないのか、と。こういうことをバカ正直に申告する生徒がいると困るんだよね。
ダメなものはダメ、というか、あるいはオマケのルールをいっぱい追加していくか、になっちゃう。もちろん、定番の切り返しもある。「これは大切な問題なので、お父さんお母さんから先生のところへ電話していただけるよう、お願いしてください」
とりあえず学校としては、学区外の危険情報まで把握しきれない、教師による巡回にも限界がある、といった事情がある。保護者の方が納得した上で、どう判断されるか、それは自由ですよ、ということ。
徳保さんがミラーサイトをいっぱい作っているのは、意外と知らない人がいるかも知れない。
「私は自分の著作物に対して何の権利も主張しないから、あなたの著作物の権利は踏みにじります」という。
動画共有サイトに自分が権利を持たない著作物をアップするのと、自分のサイトに自分が権利を持たない著作物をアップするのは同じだと思う。
考えるところあって、あえて法を踏み越えて転載しているコンテンツも一部にあることは事実。でも「無為徒食日記」「妖精現実」「化ケモノ青年」「observation」「Simple」「へたのよこずき」「Tips」「ちゆ12歳」「XHTML1.1 入門」「宇治IN茶筒」は、転載OKの宣言があったか事前に許可を得て作った白系のミラーです。「ルミ姉さんと一緒」は後日著者に感謝されてますし「テンプレコン感想集」「情フロ研資料集」は関係者から黙認の言質を内々にもらってます。「WE」も著者は転載を知ってます。
リンクした記事も参照してください。
私は根本的に「嫌儲」という価値観に賛同しない。嫌儲は社会の発展に害悪をなすので、根絶やしにすべきだと考えている。その手段は教育でも啓蒙活動でもいいが、ともかく嫌儲を前提として受け入れた議論には与しない。VIPブログ騒動でものまネコ騒動でも電車男問題でも、常にそこは変わらない。
2chを直接読むのはかったるい。面白いスレッドとレスをピックアップしてくれる2chまとめブログは非常にありがたい。「電車男」だって、私は書籍になっていなけりゃ読んでいない。誰かさんの儲けを許容することで、世界は少し豊かになった。嫌儲は社会の可能性を縛り付ける有害無益な考え方だと思う。
べき論を語るなら、嫌儲は打破すべき障壁として扱いたい。
注:もちろん一人で世界を変えられるわけがない。良し悪しを別にして、当座の難局脱出法を考える、ということであれば、嫌儲の存在を前提として自分の行動を決めていくのは大切なこと。
ニコニコ動画の人気と唐沢盗作騒動 補足の「3.」で書いているのも、同様のこと。
うp主が権利者でないことをみなが知っていたとしても、マイナーといった理由で権利者に黙示的な名誉の分配すら行われず、金銭的補償もない状況なら、それは「盗用」である。著作者詐称を重大視するのはユーザーの錯誤、権利者観点では無意味な区分。文化の発展に真に重要なのは「盗用」の解消だ。
……という認識を議論の前提に置いているから、ニコニコ動画問題と唐沢盗作騒動を並べて論じているんだよ、と説明してるわけ。前提に賛同するしないは別として、なるほどそういう前提なら話はつながるな、と理解していただきたいところ。
賛同まで求めてはいないので、私は必ずしも戦略ミスとは思っていないのですが……。でもちょっと設定したハードルが高すぎて、入り口で理解を拒否されてる感も少々。>おけぐわさん
いつものことだけど、賛同されないのは気にならないけど、こちらの主張を理解できてない状態で「おかしい」といわれると腹が立つ。徳保の示した価値判断を前提とすれば整合性のある話なのに、自分の価値判断から一歩も離れず「矛盾してる」とか「それとこれは違う」とかいう人にはフンガーッとなる。
まあ「わかってて、あえてこう書いてるな」と思えるときは、サラッと流せます。あと、何より自分自身が、「ま、異論の持ち主の主張を、こちらが理解できれば御の字とするか」とハードルを下げること。これで気が楽になる。
でもやっぱり一番イライラするのは、例え話を理解できない人。共通点に着目するのが例え話なのに、相違点ばかりあげつらう。理性的な人でも突然この病気を発症することがあって、精神衛生に悪い。
JASRACが権利を管理している楽曲は、単純にいえば、お金さえ払えば使い放題。テレビ番組のBGMとか、権利者の名前はもちろん、曲名だって画面には表示されない。そしてラストシーンは「製作・著作TBS」。金銭的補償が全て。名誉の分配はしません、という割り切り。これはすごいことだと思う。
もしJASRACあるいは同様の組織がなかったら、私たちは権利者一人一人に許可を取って回らなきゃならない。作曲者、編曲者、演奏者……。そして一人でも「あなたの顔が嫌い」とかいって使用を許可してくれなかったら、それでアウト。こんな状況で文化の発展がありえたか?
一方、ニコニコ動画では名誉の分配も金銭的補償も、ほとんど行われない。「作品の広告にもなる」のはメイン素材だけ。「うp主」の名誉欲を満足させるため添え物的に使われた著作物の権利者は、何も得られない。これが「盗用」でなくて何なのか。私はこういう意味で「盗用」といっている。
ニコニコ動画で横行する盗用を是とするなら、そういうあなたの著作物も盗用されて文句をいわないんだな? と私は問いたい。
ただ、私はやはり、権利者には名誉の分配か金銭的補償をすべきだと思う。原則として、たとえ数秒しか使ってない音の権利者にだって、何らかの補償をすべきだよ。しかし作曲者と編曲者くらいはわかっても、演奏家まで調べるのはまず不可能。
まじめに考えていけば、「不透明」の一言でJASRACを全否定する主張に理のないことはよくわかると思う。改善は進めて然るべきでも、夢物語の実現はありえないと気付くはず。
私は、自ら積極的に「名誉もお金も要らない」といってる。私のサイトは何の利益も生んでいないので、盗用されても金銭的損失は生じない。それに私は、自分の名前より、自分の主張がより多くの人に届くことを希望しているので、私のことなんか忘れて、自由に再利用してほしい。
素人の著作物は、たいてい単独では金銭的利益を生まない。岡田有花さんのインタビュー本、内容の核心部分はインタビューを受けた相手の言葉。でも、岡田有花さんが記事にしなきゃ、売れる本にはなっていない。だから印税は岡田さんが総取りする。
ウェブで無料で読める小説を書籍化したら、本屋でお金を出して買う人が現れたりする。金銭的利益を生むのは、コンテンツの本質的な部分ではなくて、だいたいこういう、一見つまらない部分だったりする。
注:もちろん、どんなウェブコンテンツでも書籍化したらお金になる、というわけじゃない。ウェブにある限りは同列に見える無料コンテンツも、書籍化してみると違いが出てきたりするのだろう。
自分の中にある揺れというか、はっきりしない気分を、そのまま書いてみる、というのも、ひとつの手だと思う。わかりやすい記事がいい、というわけでもない、みたいな。自分で読み返してみても、何だかよくわからない記事が、大勢に興味を持たれたりする。
お仕事でやってるプロモーション用ブログとかだと話は違うと思うけど、個人の趣味のブログについて、「ブログ文章術」の類は「大勢に読まれる」という点に関していえば、あまり意味がないと感じる。もっとも、自分の文章が嫌いな人、自信をなくしてる人が、状況を打開する指針にはなる。それはそれで大切なこと。
核の傘……例えば北朝鮮が東京に原爆を落としたら、アメリカが平壌に原爆を落とすのかな。
自分が被害にあったら、大火傷してから死ぬまでの間、「北朝鮮のやつらをぶっ殺せ!」と訴えるかもしれない。でもそれは、ショックで我を忘れた状態での発言。どうか聞き流してほしい。平和な生活を送っている今の私は、やはり原爆は必要悪の範囲を超えていると思う。
原爆による無差別大量殺戮の非道に、同じ非道で返して本当に嬉しいか。私は核の傘から脱退すべきだとはいってない。「可能性」を保留しておく意義はわかる。でも、ギリギリの場面で、日本の世論が核攻撃に対して核による反撃を望むなら、平和国家60年の歴史も虚しい。
あるいは、火曜サスペンス劇場とかで「復讐に何の意味がある!」などと刑事さんが犯人を諭す場面を何十回も見てきたのは何だったのか、ということにもなると思う。
シンプルプランなんて誰も選ばないのでは? なんていわれてますけど、私はそんなことないと思う。もともと自由競争の中で切磋琢磨してきたわけだから、KDDI にしろドコモにしろ、濡れ手で粟の儲けなんかありはしない。シンプルプランがバカ安じゃないのは当たり前の話。
ポイントは、20000円の端末購入補助金。これを24ヶ月で割ると800円くらいになるので、補助金なしで通話料の安いシンプルプランは総合的に安くない、と。でも私は20000円を切る端末が必ず発売されると見る。
ソフトバンクが割賦販売制度を導入して「端末価格の見える化」をしたら、1年以上にわたって上位を走り続ける端末が登場しました。どんな端末? そう、シンプルで安い端末。さらにこの秋、10ヶ月ぶり、半年ぶり、という週間販売台数首位奪還劇がありました。発売1周年で値下げされた高機能端末が大人気に。
つまり、端末の価格が機種の人気を左右する最重要の要素となりつつある。安けりゃ売れる、そういう時代の到来ですよ。もちろんみんながそういうのをほしがるわけじゃない。でもランキングの半分を安価系端末が占める。ドコモの、90xシリーズが席巻して70xシリーズが肩を狭くしてるランキングとぜんぜん違う。
キャリアがどう思おうと、メーカーは売れるものを作りたいし、作るだろう。1年以上にわたって705SHを売りまくったシャープ、ロングセラー706Pに1年ぶりのカラバリ追加を行ったパナモバ、メーカーは時代の変化に即応する力を持ってる。サムスンやノキアもいずれ低価格端末を日本市場に投入してくるはず。
端末価格の見える化には、そういう力があると思う。だから私は、一部識者がいうほどシンプルプランに人気がないとは思わない。ケータイお題部屋では現時点で既にフルサポートプランの3割弱の支持がある。いずれ2:3くらいまでいくかもしれない。
まあ、新機種がどうこうってより、春モデルや夏モデルのどれが販売継続されるのかに注目、って感じかな。ソフトバンクの705SHはボーダホン時代に発売された端末。同期生がドンドン消えていく中、スリムで上品なデザインで人気を維持、さらに値下げ、値下げの価格攻勢。2007年上半期1位のお化け端末に。
もう半月以上前から1円になってる端末もある。従来、au はこういう機種、在庫を売り切ったらそれでおしまいだった。なるべく最新機種を買わせて、新サービスの普及に努める戦略。でも11月からはシンプルプランがスタートする。総務省も注視してる。1円端末を生産続行したら、面白いことになるよ、きっと。
ソフトバンクの割符販売で、高価格機種ほど月額料金の割引が大きいのはどうしてだろう? 端末価格と通信料金を分ける以上、高価格機種だからといって通信料金が安くする理由はないはず。
仮説。高価格機種を使う人の方が、傾向としてたくさん電話機を使う、という調査結果もあるという。ソフトバンクの主力サービス、ホワイトプランには、高額利用者への割引コースがない。その代わりが高価格端末の高割引制、どうかな。
津田大介さんのインタビュー記事。どちらの記事でもポイントは着うたと着うたフル。着うた嫌いの声は大きいけれど、かまわずビジネスを成功させた音楽業界に、私は拍手したい。
あの avex も iPod 時代に対応して CCCD から撤退していったように、儲かるなら昨日までの主張に(さして)こだわらない。だって自由競争で資本主義やってるんだもの。地上波デジタルのコピーワンスだって同じ。本当にそれで視聴率が急落すれば、コピー回数は増えていくよ。
すごいニュース。まさに消費者の完全勝利じゃないか。タイムシフト視聴ならフルハイビジョンが楽しめて、地デジで電波の利用効率が向上、携帯電話でワンセグ放送も楽しめるようになった。それでいてアナログ画質ならコピー回数無制限。
地デジ要らない、アナログのままでいい、っていってた人も、これなら納得すると思う。外付け地デジチューナーの値段は2万円を切ってるし。まあ、ネットではブツブツいう人が多いままなんだろうけど、今より何も悪くならないのに文句をいうというのもヘンな話だと思う。
コピー先で再コピーはできない、という指摘。これで困るとすれば、メディアチェンジ対応だろうか。VHSからDVDへ、みたいな。そういうことができなくなるぞ、と。たしかに「何も悪くならない」は言い過ぎた。
その他は、今と同じじゃないかな。私的利用の範疇でコピーのコピーが必要になる場面って、そうそうないと思う。デジタル編集した映像をアナログ出力でDVDに焼く。枚数無制限。あるいは録画した番組を携帯機器にコピー回数を気にすることなくアナログ出力する。
編集したものを再編集、とかやってる人、そんなに多いのかな。私的利用である以上、自分と家族くらいしか、その映像を見ることはない。9割超の利用者は、プロジェクトファイルの再編集で用足りるくらいの編集しかしないんじゃないかな。
ビデオカメラで撮影したホームビデオなら、相当に手を加えないと人に見せられるようなものにならないから、編集済み映像の再編集が必要になるのかもしれないなあ、と思わなくもない。でもそういった映像には、もともとコピー制限がありませんよね。
あ、HDDがいっぱいになったとき「とりあえず未編集でDVD」ができなくなる……これはあるかも。メーカーの提案はiVDRかな。でもほとんどの人は、単に消す方を選ぶと思う。
私の両親の場合、レコーダーに保存したテレビ番組は、タイムシフト視聴以外のどんな目的にも使っていない。8月に捨てたVHSテープは全て、私が保存したもの。ビデオカメラで撮影した映像は、未編集じゃ見れたものじゃないからいろいろやるけど、テレビは録って見て消すだけ。これがユーザーの多数派だと思う。
CCCDも実のところCDの売上減を加速なんてしていなかった。CCCD導入後、むしろ売上減少ペースが鈍ったくらい。メーカーの犯人探しも、ユーザーのCCCD不買運動も、ともにハズレだったんじゃないか。
コピーワンスは不便だけど、そもそもDVD内臓レコーダー保有者の大半が、DVD作成枚数が月1枚以下。タイムシフト視聴ができればそれでよく、DVD作成機能は「無いと不安」だから、というお守り。切実にコピー制限の緩和を望んでいたのは少数派に過ぎなかったのに、ダビング10が実現して、アナログコピー無制限化。
技術的問題からくる棚ボタてのが実情らしいけど、でも、まさかという感じ。少数派にこれ以上の勝利がありえるのかな。私はもう、ダビング10で不満ないです。両親はコピーワンスでも不満なかったわけでね。まだまだ不満いっぱいの人はずーっと戦っていけばいいけど、まあ、頑張ってください。
大谷さん、テレ朝「やじうまプラス」でも同じことを力説されてたな。私も産経の読者として、こういう話題だから、こういう盛り上げ方をしているんだ、というダブスタはわかる。
しかし大谷流でいくと、傷害致死も殺人も同じになってしまわないか。いや、大谷さんは、もっと極端なことをいってる。人を追い詰めて、自殺に追い込むこととは殺人に等しい、と。手を下さなくとも同罪。
だったら大谷さんは、浅田農産事件に関して、マスコミ報道と、その報道に同調した視聴者・読者たちは、厳しい批判の言葉で老夫婦を追い詰め、死に追いやった、重大な責任がある、というのだろうか。
みんな同じようなもの、殺人でひとくくりにしてしまえ、みたいな意見も、ひとつの見識だとは思う。私も模擬裁判で裁判員をやってみて、傷害致死と殺人の区別は理不尽だと感じたから。でも、それでは罪を背負う側がやりきれない。
私が今度の集団自決をめぐる問題で一番心に響いたのは、一人の高校生が言った「おじい、おばあたちが、はらわたを絞り出すようにしてぼくたちに語ってくれた言葉を国はウソだと言うのか」というものだった。
だからその、死を強制したといわれて抗議してる側にだって子や孫はいるじゃないか。「被害者」にとっては「同じようなもの」でも、やっぱり「違う」んだよ。だから大谷さんもまた産経と同様のダブスタだと思う。こういう話題だから、罪の段階を曖昧にして、イメージで悪い方に寄せていきたいのだろう、って。
ところでこの話題、テレ朝「やじうまプラス」は基本的に大谷派なんだけど、月曜コメンテーターの竹田圭吾さんがすごく冷めたコメントをしてて面白かった。なんで竹田ラインで話がオチないのか、と思う。
ニコニコ動画の人気と唐沢盗作騒動(2007-10-16)の補足記事。先の記事では私がニコニコ動画を好きなのか嫌いなのか、わかりにくく書きましたが、今回はその点、読みやすいと思います。
私は親ニコニコ動画なんですよ。有料会員登録だってしてます。
ただ、プロの権利を庶民様が侵食していくばかりの(ほぼ)一方的な戦況に、天邪鬼の血が騒ぐ。ニコ動を賞賛しつつ素人ブログの盗用に憤激する人々には、「おかしいだろ!」といいたい。
権利者削除には淡々と応じるが、権利侵害を行ったユーザーはアカウントを停止されるだけで、本名晒しや賠償や逮捕はおろか、公的な謝罪さえも免除される、それがニコ動。無断転載禁止という注意書きの無視は問題とせず、権利者の削除依頼まで何もしない、それがニコ動。弾さんはこのバランス感覚を賞賛した。
私も、これはなかなかいいな、と思う。ニコ動的著作権運用が広まっていくと、この世のいくつかの問題が魔法のように消えていくはずだから。
ところが、現実はどうですか。プロの素晴らしい著作物の利用をもっと自由にしていこうという人が、庶民様の著作物はガッチガチに守っていこうとしているわけですよ。唐沢盗作騒動はその典型。謝罪しろ、賠償しろ、絶版は当然だ、幻冬舎の対応には誠意がない……権利者当人より、むしろ周囲が権利意識を煽る。
どうして「ニコ動流の解決策でいいじゃないか」という声がほとんど聞こえてこないのか。謝罪と賠償は求めない、増刷分から出典表記追加、在庫・出荷分は折込かシールで対応。もともと1円の損害もないのだから、それくらいで手を打ってもよさそうなもの。ニコ動の生命線は、そういう相場観にあるはず。
プロとか、庶民様が勝手に強者認定した相手の権利はガシガシ削るが、自分たちの権利はトコトン守る。弱者権力万歳、か。そういうの、大っ嫌い。
私の平等・公正観がよく現れている記事をピックアップしてみました。ひとつだけ、というなら坂東眞砂子さんの子猫殺し問題:雑感(2006-10-05)がお勧め。私の偏屈ぶりが、端的に現れていると思います。
ニコニコ動画は、株式会社ニワンゴが営利目的で運営しているサービス。Gyao のように権利問題をクリアしていくことだって可能なのに、あえて現在のようなやり方を選んだ。私はこれをズルイと糾弾するより、その結果、開けつつある新しい可能性を支持したいと思ってる。
唐沢盗作騒動は商用利用だから話が違う、という意見もある。でもブログのパクり騒動は過去に何度も起きていて、常にパクった側がボコボコに糾弾されてきた。ほとんど誰も、「文才のない俺たちの日記なんかパクりで十分じゃないか!」といわなかった。tumbler 村の reblog 文化は日本から産まれてもよかったのに。
だから商用利用は重大な問題ではない。私がパクったって絶対に叩かれるよ。盗作許せない、って。
そして幻冬舎批判。ニワンゴがいつ、権利者に謝罪した? 何か責任を取ったっけ? 何もやってないじゃないか。幻冬舎と何が違うのか。どちらも公開前のチェックが甘い、という点で同罪じゃないか。
例を変えます。初音ミクという人気キャラクターがあります。とあるソフトウェアのパッケージに描かれた1枚のイラストから、たくさんの二次創作が作られています。
いま、勝手にミクを描いて、その作業工程をニコ動にアップした人が「神!」「すごい」などと賞賛される一方、ミクのキャラクターデザインをしたイラストレーターの名前を、ほとんど誰も知らない。KEIさんは名誉でもお金でも報われていないわけで、これが盗用でなくて何なのか。
漫棚通信の人が唐沢さんに求めたのは、名誉の分配でした。ミク絵のうp主がキャラクターの著作権を持っていないことはみな知っているわけですが、しかし名前も知られていないKEIさんにとって、そんなの気慰めでしかない。権利者が正当な名誉の分配を受けているとはとてもいえない。
このように、私はうp主が権利者でないことをみなが知っているという状況、というのは、それだけではほとんど何の意味もないと思っています。(意味のないことを重大視するのはおかしい、という主張)
ユーザーの視界が狭いのは、おそらく生物学的な限界。だから名誉の分配は諦めて、お金で納得するのが、社会の知恵。ところがニコ動は、権利者にお金を分配していない。これは改善されるべき状況だと思っています。もうちょっとニコニコの会費が高くなって、JASRACとかにもお金を回せたら……。
JASRACはお金の分配方法が不透明だからどうのこうのという意見がありますけど、ニコニコ見てりゃそんなの、不透明にするしかないってわかる。
無数のバージョンがある「**組曲」の場合、1曲が数秒しか使われていない、みたいなケースは珍しくない。10分の動画で数十曲が使われてる。製作者に、どの曲を何秒使ったか、なんて申告させられると思う? 編曲者や演奏者の権利まで考えたら、素材に使ったバージョンまで調べる必要がある。これは現実的じゃない。
だから、相当程度まで、丼勘定でやるしかない。少しずつ状況を改善していこうとする努力が必要だ、というのは賛成するけど、「カネの流れが不透明なカスラックなんか信用するな! カスラックには絶対に楽曲使用料を払いたくない!」と言い募る人は、永遠に権利者に金銭補償する気がないのと同じだよ。
その他のコンテンツホルダーにも、少しずつお金を回していくべき。中抜きキライというのはいいけど、現に今、名誉もお金も手にできないマイナー権利者に、僅かでもお金を回していく方法が他にありますか。ないと思うんですよ。だって私たちには全ての権利者を把握する能力がないもの。
ユーザーが納得して「この人にお金を払いたい」という人だけにお金を出す方式だと、実際にはコンテンツ制作に必要不可欠な人々の大半が1円も貰えない。今のやり方はベストではないけど、2ちゃんねらーがいうような未来はありえないはず。
こうして考えていくと、やっぱり「ニコニコ動画のおかげでDVDを買わなくて済んだ」みたいな喜び方をしてる人の希望を満たすような方向に進んじゃいけないと思う。
私の記事に関しては盗用も全然オッケーなんだけど、基本的に、自分は盗用しないことにしてる。
社会一般に盗用が横行しちゃうと、コンテンツ産業自体、ぶっ壊れてしまう。プロでなければ作るのが難しいものが、世の中には多い。素晴らしいコンテンツの大量供給には、産業の維持が絶対に必要。だから私は、プロの権利は守られるべきだと考えてる。それが消費者として合理的な選択。
でもアマチュアはどうだろうか。少なくとも私の場合、盗用によって困ることはひとつもない。私が盗用を許可しているのは、そのため。不都合のない限り、自由の増大は可能性の源になるので推進すべき。
私の考える「盗用」の条件であるお金と名誉、クリティカルなのはお金だと思う。名誉欲は価値観の問題。気の持ちよう次第で、別に要らないや、となる。でも精神修養したって霞を食って生きるというわけにはいかない。お金の問題は解決しなきゃいけないんだ。
無断転載禁止、改変禁止、それらは究極的には心の問題(注:無断転載であっても金銭的補償があればお金の問題は解消される)。自由の拡大は新たな文化の揺りかごになるので、少しずつ許容範囲を広げていくべきだ。ただし現状、プロ側の意識改革ばかりが取り沙汰され、それを要求する庶民側の自分のコンテンツに対する意識はむしろ保守化しつつあるという矛盾に、私は腹を立てている。
一方、危機的状況にあるのがお金の問題。消費者の意識向上が急務なのだが、むしろ「不透明」批判など、非現実的な主張が支持を集める始末。とても悲しい。これでは金銭的補償が成立せず、無断転載が権利者の収入減に直結してしまい、自由の拡大による文化の発展など絵に描いた餅ではないか。
以下、ちょっと意識した記事。
実害がないんだから、あなたの商品の宣伝にもなっているんだから、いいじゃないか、と。相手が「プロ」だと、こういう物言いが庶民様相手に説得力を持つらしい。
なんでそんなこと、勝手に「いいじゃないか」なんていえるのか。
もちろん、いうのは自由。だけど、「はい、論破!」みたいな能天気が見え隠れするので、私はイライラする。
もう何度も何度も書いて書き飽きたことだけど、だったらあなたのブログを私が勝手に転載しまくってもいいのか? 改変して電波文を作って公開し、大勢で面白がってもいいのか? 原作に敬意を表してリンクくらい、してやんよ。はてなアカウントを持ってるなら投げ銭も添えておいてやんよ。どうだ文句ないだろう。
文句ありまくり、という人が多いはずなんだ。違います?
この記事に賛同してる人の中のどれだけが、自分の記事も線引きを曖昧に利用されていいと思っているだろうか。
著作権法違反は親告罪だから、権利者削除されるまで権利者の意思は未定とみなして本編動画もMAD動画もアップロードし放題、権利者への事前通告も事後通告もしない。リンクさえしない。BGMのひとつひとつにリスペクトの言葉を公示することもない。貶すためだけに無断転載することさえある。
素人のブログが勝手に転載されたところで1円の損もしない。だけど怒る人が大半だろう。「プロ」だってそれは同じに決まってるじゃないか。たまに仏様のような人がいるのを見て、ホラホラって、うるさい! まずお前が自分のブログ記事の自由利用を許可しろよ!
自分の記事が盗用されたとき、「何もいわなくたって無断転載はダメに決まってるだろ」と思うような人はニコニコ動画をリスペクトするな。「別に害はないし」で黙認できる人だけがリスペクトすべきだ。
ニコニコ動画が宣伝になるのは、MAD動画ならメイン素材だけ。どっかからもってきたBGMなんか、作曲者・編曲者・演奏者はもちろん、そもそも曲の名前すらどこにも記載されない。ニコニコ動画で一番かわいそうなのは、そういう権利者だよ。
「マイナー曲なんだから、使って貰えて本望だろう」という人もいる。ふーん。こんないい記事が不人気ブログにあるのはもったいない。私が盗用して、読みやすく改変して1万人に読ませます。喜びなさいね。出典表示リンク? 面倒なことはしない主義です。こういうの、許せるのか。
ニコニコ動画では無名絵師のイラストも勝手に使われてる。リスペクト系が大半だけど、でも出典リンクはない。滅多にない。あまり見かけないけどDISり系の使われ方もあって、これまた出典リンクなし。作者の知らないところで嘲笑が横行。こんなのがアリなら、ブログ規約の著作権云々なんか、どうでもよくないか?
テレビ番組がネットに勝手にアップロードされるのが当然の時流なら、ブログの記事だって盗用はあって当たり前だと認識していいだろう。発見し次第、淡々と精査して、1件1件の状況に合わせて削除依頼するかしないか決めていく。そういうインターネット時代の新しい著作権の運用とやら、手本を見せてほしいよ。
……というわけで、ニコニコ動画リスペクト系のブログみつけたら、記事をどんどん無断で転載・改変しちゃうぞ。明示的な抗議がない限り、著作権無視! だってニコニコ動画には、複製厳禁と警告を出してるDVDの内容とかが平気でアップロードされているんだもの。注意書きなんか気にしないよ。
ちょっと待て、MAD動画文化と違って日記の盗用には意味がない、って? 意味あるよ。詳細はどんどん盗用してください(2007-09-04)をご覧ください。そもそも、盗作に需要がないなら、なんで盗作が後を絶たないわけ? 需要はあるんですよ、つまらない倫理観が人々を不自由にしているだけなんだ。
唐沢盗作騒動とか、くだらな過ぎる。出典の記載漏れではなく盗用なのだ、としたって、あんなのブロガーに1円の損害もなかったろう。増刷分から巻末に参考文献として1行、ブログ名を記載してもらったら十分じゃないのか。なんで盗用されるのが素人の文章だと、あんな大騒ぎになるんだ?
ニコニコ動画で権利者削除になっても、せいぜいアカウントが停止されるだけのこと。賠償請求なんかやってこないし、謝罪しろともいわれない。そういう要求があったら権利者の横暴だとか思うんだろ。唐沢さんの本、面白いじゃないか。出典不記載ひとつで裁断処分、いったいこれでどう日本の文化が豊かになったわけ?
唐沢死ね! って人が、ニコニコ動画も潰れてしまえって思ってるのかどうか。無論、そういう人もいると思うけど、瑣末な違いをあげつらって両者の大きな共通点を過小評価する人が多いんじゃないかと私は予想してる。
私はブログのコメント欄が嫌いで、少なくとも自分のところには絶対に付けたくないと思ってる。書き込む側にとっては便利なので、よそのコメント欄は使うけど。
ふつうのブログについてるコメント欄の何がいけないか。まず、お互いにグッタリするまで応答できちゃうこと、そして字数制限が緩いこと、発言履歴の検索が難しいこと。だから、議論ができず、字数制限が厳しく、発言履歴の検索ができる、はてなブックマークは、私の理想のコメント欄。
議論できるコメント欄が好きな人って、自信家なんだろうな。あるいは、何か勘違いしてる。
何回かやり取りをすれば、批判者を説得できると思ってる、わけでしょ。そして(炎上みたいな特殊状況を別とすれば)、コメント欄に登場した数人ないし10数人を折伏したら、世間を説き伏せたみたいな気分になれる。……いまの私は、この世界観に賛同しない。コメント欄は、勘違いを誘発して管理人を疲弊させる装置。
日本人だけでも1億人いるのであって、例えブログが炎上して10万人、20万人に読まれたとしても、そんなのゴミカスみたいな数字でしょ。仮にバカな難癖をつけてくる連中を全員、啓蒙することに成功したって、その外側にあなたの敵予備軍は数千万人いるわけですよ。意味ないんだ、コメント欄で反論したって。
はてブのコメントとかに、絶対に反論しちゃいけないとかいってない。でも、基本的には、もっと他のことに労力を割く方がいい。はてブは、システム的に反論が難しくなってる。これはむしろ福音なんだよ。反論欲に負けがちなブログ管理者たちに、「無駄なことをするのはおやめなさい」と説いている。
最初はムズムズすると思う。私だってそうだったもの。でもしばらくすると、いちいちチマチマと反論せず、自分が主導権を握って情報発信していく文化というのが身につく。
そうなってみるとね、コメント欄でやりあってたのは何だったんだ、って思うようになるよ。ものすごい時間を使ってさ、読者のほとんどが、もう読んでなくてさ。自分で自分の情報発信力を浪費しちゃってた。あるいは、批判者によって浪費させられちゃってた。そういうことに気付く。
ブロガーは、自分の優位なゲームをするべき。コメント欄で特定少数の説得に労力を割くのは損、ブロガーなら不特定多数に向けて情報発信する方がよい。
とりあえず、無言のブックマークは賛同ないしは愛読者表明の記念スタンプとみなすこと。それだけでは不安なら、その人が他にどんな記事をブクマしているかを見ていく。するとたいてい、悪い人ではなさそうに見えてくる。ブクマの不気味感が、これでスーッと消えていく。
ネガコメやネガタグが集まったときはどうするか。アクセス解析を眺めることですね。記事を読んだのが1000人、ネガティブなブクマをしたやつらはたったの50人、5%に過ぎない……と、考える。
岡田斗司夫さんの本が、今年は2冊もベストセラーに。とくにダイエット本の方は30万部突破だそうで、その内容に触発されて「いいめもダイエット」というウェブサービスも作られました。
「いいめもダイエット」は順調に利用者を増やしていましたが、そこへ岡田斗司夫さんから抗議のメールが届いたのだという。
はてブ方面では、「アイデアは著作権で保護されない、だから岡田斗司夫さんの申し入れは難癖である」という方向で盛り上がっているみたい。
私はこれ、パブリシティ権の問題だと思う。「著作権」というのは単に言葉の間違いか、何らかの誤解なんだろうけど、岡田さんが直感的に「これは嫌だな」と思った感覚まで無視していいわけじゃない。
岡田さんの抗議文自体の正誤はさておき、「いいめもダイエット」の人気拡大に権利侵害の香りがすることは事実ではなかろうか。
「今後は岡田さんの名前を出しません、著書の名前を出しません」といったって、岡田斗司夫のベストセラーなしに短期間で5000人超のユーザーを集めることはできなかったはずだ、という見地に立てば、サービスの停止もやむなしという考え方には一理ある。不正なスタートダッシュを不問に付していいのか、ということ。
何か抗議を受けたとき、その抗議が形式的に間違っているからといって却下し、自らの非に気付かない、あるいはほっかむりをする、といったことに、私たちは散々怒りの声を上げてきたはず。杓子定規のお役所仕事、連中は人の心がわかってない、とか何とか。
無料で便利なサービスに金持ちが難癖を付けて潰すなんて許せない。消費者は自分の損得で敵味方を判別、敵の発言はひたすら粗探し、味方の問題には目も向けない。今回の騒動、私には、そういう構図に見える。
サービス停止は岡田さんの過剰な勝利だと私は思います。しかし「いいめもダイエット」に一切の非がなかったとするのもまた、行き過ぎではないでしょうか。
岡田斗司夫のレコーディングダイエットを実践するのにピッタリのツール、みたいな触れ込みでやってるサービスが勝手に作られたとき、著者から見てそれが完璧であることは、まずありえない。サービスの存在が具体的な害をなさずとも、「こんなものに勝手に俺の名前を使うな」と思うのは当然だと思う。
もちろん自分が企画段階から関与したって、あるいは正式に契約して名前を貸したって、サービスが完璧でないことには変わりがない。でも、それは納得のプロセスとして欠かせないものなんじゃないか。
私の推測、見事に的中。著作権云々のミスは認めて、パブリシティ権の侵害事案と表明すれば、騒ぎは収まると思う。
法律用語が出てくると、日本の法律ではその言葉はこう定義されていて、みたいな話になりがち。でも法律は人が作るもの、人が変えたいと思えば変えられる。議論のベースは法文ではなく人の心でしょう。
間違いを正すのは、もちろん大切なこと。でもね、相手が間違っていたからといって、自分が正しかったことの証明にはならないわけですよ。→永田偽メール事件と反省しない essa さん(2006-03-17)
熱くバトってる間はともかく、「勝った!」ならば、冷静になっていいと思う。敵を叩き潰せばそれでOK? そうじゃない、って、相手が置かれている立場に明日の私が立たされる可能性があるんだ、って、気付くことが多いのではないか。
ソフトバンクやイーモバイルと同時に800MHz帯の電波を割り当てられ、モバイル通信市場への新規参入を目指していたアイピーモバイルのサービス開始が難しくなっているという。当初から成功を危ぶまれてはいたのだけれど、まさかサービスを始めることさえできないとは……。
個人的に、とても期待していただけに残念。
1年前の記事。一番上の写真にある、モバイル無線LANルーター機能付データ通信専用通信端末こそ、私が期待していたモバイルブロードバンドゲートウェイ(MBG)。値段は全然違うけど、これがあれば無線LANスポットはもう要らない。超高速ネットを必要としない限り、出先でも自宅でもネット環境を一元化できます。
イーモバイルもかなり迫っていますが、モデム系の端末はパソコンなしに動作しないし、何故か知らないけどモバイルPCに無線LANルーター機能は入ってない(アダプタ機能だけ)。EM-ONE もそれは同じですよね? ……とか思ってたら。
ありゃりゃん? これって、どーなってるの? まあ EM-ONE は電池が持たないのであまり実用的じゃないと思うけど、Windows Mobile 6 でこういうことができるなら、モバイルPCの無線LANアダプタもルーターみたいに使えるのかな。
何か勘違いしているんだろか。私の使える環境だと、ルーターがないと無線LANモジュール内蔵パソコンだけじゃどうにもならないんだけど。
あのソフトバンクも追随できなかったW-CDMAのPC向けパケット定額プラン。でもいろいろ制限が多い。イーモバイルの展開エリアから一歩も出ずに一年を過ごす私としては、例えば iPhone が日本へ上陸するなら、イーモバイルがいいんじゃないかと思ってる。
モバイルブロードバンドゲートウェイも、アイピーモバイルがダメならイーモバイルにやってほしい。W-CDMAの速度で私には十分ですし。マイナーキャリアですが、イーモバイルにはしぶとく生き残ってほしい。
ホームレスの97%は男性、という数字は、ここで見たのが初めてだったと思う。
あまり関係ない話。私は「乞食」に出会ったことがない。両親の幼少時には、夜な夜な街をさ迷い歩き、夕飯の準備をする勝手口に現れて、一膳の食事や小銭を恵んでもらう人がいたのだという。1950年代、愛知県平野部での話。
高度成長とともに乞食は消え、オイルショックの不景気でホームレスをよく見かけるようになった。続発する爆弾テロ、恐るべきインフレーション、街にあふれる失業者、汚れた空に薄ぼんやりと浮かぶ太陽、70年代の東京はひどかった、と父は回想する。
ホームレスの話題となると、こうした話がセットで語られることが多かった。それがふつうのことではなくて、70年代でさえ「昔はよかった」の「昔」に含める人がたくさんいることに私が気付いたのは、高校生になってからのことだったと記憶する。
ここで本題に戻るけど、古いニュース映像を見たり、70年代の本を読んだりする限り、当時の日本が今より素晴らしいとは、とても思えない。自立志向の強まりが云々、と雨崎さんはいう。いつの時代と比較して、どう悪化しているのだろう。
社会生活を拒否する者を救わないのは美しい国ではない、と雨崎さんはいいたいらしい。生活保護は過酷な選択を迫る(2006-07-02)で書いたことだけど、結局のところ「では、あなたは彼らのために、どれだけの負担をすることができますか」という話なんじゃないか。
こういうことをいうと、すぐ「無駄遣いをなくせば」云々と返す人が多い(雨崎さんがそうだとはいってない)。私はゲンナリして、最近はもう反論する気にもなれない。
このところ数冊、地域格差関連の本を読んだのだけれど、その中では、これが一番よかった。提言の章に入ると何だかよくわからなくなってしまうのだけれど、前半〜中盤の状況整理は簡潔かつ分かり易い。倫理的な悪をどこかに見出して叩き溜飲を下げるというパターンを脱すると、視界はクリアになる。
大抵の問題がそうだ、と感じてる。(……にしても「地方自治体壊滅」ってタイトルはどうかと思う。でも何冊かパラパラしてみた感じ、神野さんって、基本的に暑苦しい系みたい。冷静に状況を見てるっぽい印象を受ける本書前半の方が例外なのかも)
これで終ってもいいんだけど、もっと本題に寄せた感想を少しだけ。
女性のホームレスが異様に少ないという事実は、そもそも男性がホームレスになる必要が全然ないことを意味していると思う。雨崎さんは、社会が男性に自立を押し付けてホームレスにしているんだ、さらには脱社会的志向の人間も社会は救うべきなんだ、という考えのようだけど、私は賛成しない。
所詮は個人の価値観の選択の問題に過ぎないわけで、筋さえ曲げれば死なずに済むわけだ。生きるより大事なことなんか何もないという人がホームレスをやっているなら、乞食がもっとたくさんいていいはずなんだよ。生死がかかっている状況下で、なおも自立や脱社会を望むという人に、それ以上何ができるんだろう。
私の知る限り、「社会に戻っておいでよ」「困ったことがあったら頼ってくださいよ。あなたに死なれちゃ困るんですよ、私も」みたいなことは、政府もボランティアの人々も、散々やってきているわけで。まだまだ足りない、ですか? その匙加減だけが争点なのかなあ?
あのね、財布をですね、ケツポケに入れると思うんですよ大抵の男は。大きめトートバッグからごそごそ取り出したり、制服(?)のまんま財布だけ手に持って社外にランチ(たっぷり夏野菜のスパゲッティ(サラダとコーヒー付))とか食いに行く男ってあんまいないと思うんですよ。そう、ケツポケ財布、それは男の象徴。
私は「大抵の」に当てはまらない。
家計簿をつけていてわかるのですが、だいたい週に2〜3日しか財布を使っていない。通勤で都電を使うので、カードケースは平日ならほぼ毎日使いますが、これは胸ポケットに入れています。
財布は使用頻度が低い反面、必要なときに「家に(会社に)忘れてきた」では困る。定期券がなくても現金で払えばいいが、その現金もなければどうしようもない。メーカー勤務なので、会社では作業服に着替える。昼食は法人事業所向けのお弁当が支給される。下は履き替えてしまうので、ズボンのポケットに物を入れると、入れ替えが必要。上はワイシャツの上に作業着を着るので、胸ポケットなら、その手間がない。
財布はカバンの中。カバンには家の鍵と会社のロッカーの鍵も、紐でくっつけてある。外出するとき、カバンを忘れず、同時に財布も決して忘れないための工夫。盗難リスクを考えると危ないのだろうけれど、ロッカーの鍵がなくて会社に到着して呆然としたり、財布がなくて電車に乗れなかったり、そういうことが何度もあったので、より頻度の高いリスクへの対処を優先することにしたわけ。
人並みの注意深さがあれば、私の人生も、いろいろ違っていたかもしれない。
よく朝の天気予報で「折り畳み傘を持っていくとよいでしょう」なんてやっているけれど、「そうか、なるほど」と思いつつカバンに傘を入れ忘れてしまう。入社1年目でつくづく懲りて、以降、カバンに傘を入れっ放し。(注:学生時代は置き傘をしていた)
背伸び厳禁。アホの子はアホの子らしく、大きなカバンをいつも持ち歩くべきなんだ。
以前、社内の自販機で飲み物を買う際、席にカバンを置いて財布だけ持っていったら、見事に財布を戻し忘れた。帰宅途中で寄ったスーパーのレジで愕然。「ごめんなさい」といって商品を全部、棚に戻す。いくら痛い目にあっても、こういうポカは一向に減らない。「気をつける」じゃ対策にならないんだな。
網棚に載せた荷物、そのまま忘れることが多い。だからもう、網棚は使わない。電車の手すりに掛けた傘、乗車中に雨がやむと、これまた忘れ去る。だからもう、傘は絶対に手から離さない。
そう心に決めて、悩みは減った。でも、自分には縁のなくなった網棚や手すりを眺めていると、ワァーッと叫びたくなる。私は恵まれた人間。それはよくわかってる。なのに、こんな小さなことで、鬱々として暗いエネルギーを溜め込む。持たざる者の哀しさ、私も少しは理解しているつもり。
ヤフオクに出品中。サンプル:助役室:記念講演
ほとんどのテープはゴミ箱へポイ、ほしがる人がいそうな講義録2種だけヤフオクに出品、片方は落札・発送済。カセットテープの録音・再生環境もテープのオマケとして手放した。リンク先の、残るひとつが片付けば、手持ちのカセットテープ資産はゼロになる。
いろいろ考えたけど、数十本あったカセットテープの中の「音」は、ついにひとつもサルベージせず。約7年間、一度も聞き返さなかったのだ。私の人生に、必要のないものだったのだと思う。
実家の、かつて私が起居していた部屋に保存されていたビデオテープ(家族全員分をなぜか私が管理していた)もまた、8月に全部処分した。HDD にコピーを残したのは、弟が幼い頃に両親がビデオカメラを買って撮影した合計1時間半程度のみ。
それにしても、どれもこれもテープをケチって3倍モードで録画されていたのは、おかしかった。1本30分のVHS-Cテープ、たしかに安くはなかったが、カメラの値段を考えればタダみたいなものだったのに。
試し撮りを上書きしたテープもあった。それでいて、テープの3分の2が未使用。バッテリーの方が切れたらしい。「昔はそうだったよね」と思ったら、最近のカメラでも「SDカードに最大4時間半録画できますが、バッテリーは90分しか持ちません」とかいう仕様が当たり前だったりする。
長くても5分で途切れる映像。最初は粘土遊びをしている弟を写していたのだが、ニコニコしながら話しかける弟の声を無視して、レンズは窓の外へ向き、庭を写し、パンアップして空へ。暗転。撮影者は母だそうだ。5分で限界に達した気分は、映像を見ている今の私にも伝わってくるものがあった。
ホームビデオを見ていると、私たちの暮らす世界が、どれほど退屈で飽き飽きするようなものか、よくわかる感じがする。「これはぜひ録画しておきたい!」と撮影者が考えたシーンでさえ、5分と耐えられない。
1988年7月にビデオカメラを買って、7〜8月に70分撮り、1989年の弟の入学式で10分くらい撮り、以降8年間で10分だけ撮って、最近10年間は全く使用していない。まあ、上書きされた試し撮りなんかは計算に含めていないわけだけど、誤差の範囲ではないか。
他所のご家庭ではどうなんだろう? ビデオカメラって、どれくらい使われているものなのか。そういえば写真だって、私や弟が幼い頃は年に1〜2冊はアルバムが増えていたのに、次第にペースが落ちて、とうとう36枚撮りフィルム1本で2年持つ、といった状態になった。カメラの中でフィルムが変性してしまいそうだ。
数年前、母はパソコンと一緒にデジカメを買い、しばらくは月10〜15枚ペースで写真を撮っていたけれど、ふと「お父さんなんか撮っても面白くない」と気付いてしまった。さりとて他に撮るものがあるわけでもなく、月に数枚程度、庭の花を撮るペースに落ち着いてしまった。
ここ数年、私が写った写真は年に1〜2枚のペースでしか増えなかったし、私が持っているものとなると、昨年まで4年連続でゼロ行進が続いていた……あ、免許証を更新したんだった。ま、そんな感じ。
HDD にコピーした映像、いつまで見られるものなのかな。HDD レコーダーを落っことしてサヨナラだったりして。どうせ10年間一度も見直すことのなかった映像なんだけど、事故で消えたらやっぱり悲しいんだろうな。DVD も作ってみたけど、パソコンで認識されず。なんでだ!
しかし代わりの方策を打つ前に夏休みは終わってしまったのだった。正月に実家へ行ったら、パソコンや、他の機種でも再生できる DVD をどうにかして作りたい。
こんなのは資本主義に任せておけばいいと思う。市場が必ず失敗する理由があるなら、必要最小限の制度的対応をすることになるけれども、基本的にはね。
昨年は権利者たちの心の問題についてちょっと書いたけど、商業コンテンツについていえば、やはりそれは瑣末な話。